嗚呼、鎮守府のなんと快適なことか
一日三食温かい食事を摂ることが出来て、おやつまであり、更に顔まで洗えるとは
水を当たり前のように使えることに感動するとは、まだ前世の気分が抜けないようです
さあ、大日本帝国……もとい日本の明るい未来のため、共にシグルイましょう
おっと失礼、吹雪型駆逐艦一番艦の吹雪であります
今年から晴れて大尉と同等の権限を有するようになりました
ええ、大尉です
次回、『ツェアシュテーラー・テークリヒ』
ではまた戦場で
今回は三四〇〇文字ほどあります。
駆逐艦。
戦闘艦艇に於ける基幹戦力であり、随伴護衛先鋒殿軍(しんがり)水雷戦隊秘密戦隊防空対潜輸送その他と多岐多様に渡る活躍が期待される艦種だ。
艦娘としてこの世に顕現した者の中でも駆逐艦は群を抜いて数多く存在し、今日もどこかの大海原を駆けていることだろう。
提督の役目の大切なひとつはこの駆逐艦を如何に適切に運用するかであり、それは断じて暴言や威圧などによって行われるべきでない。
まあ、そのようなことを平然と行う輩は、例え提督になれたとしてもさっさとこの世から退場するであろう。
小柄な子といえども、艦娘の力は人間のそれを凌駕するのだから。
勇猛果敢にして意気軒昂を旨とする。
そは駆逐艦。
戦意に溢れて、倒れる時は前のめり。
カチコミ上等で、近接戦闘も辞さぬ。
重巡空母戦艦をおそれぬ鉄火娘たち。
吹雪。
吹雪型駆逐艦一番艦。
彼女は漣(さざなみ)や叢雲(むらくも)や電(いなずま)や五月雨(さみだれ)と同様に、成り立ての提督を補佐し得る能力が多大にある駆逐艦だ。
上記五名は、『初期艦』と呼ばれる任務につくことも多い。
『初期艦』は新人提督或いは司令官と十全なやり取りが出来得る存在であり、彼もしくは彼女または異なる者を支え、時には叱咤激励(しったげきれい)し、共に歩むことを是とする。
彼女たちは他の艦娘との交流活動にも力を発揮し、管理職としての能力も高い。
人の多様性に合わせて上記五名が提督向けに基本的に『用意』されており、その他に『名誉初期艦』が存在するという都市伝説も稀に聞こえてくるけれど、確実な確認はいまだになされていない。
北の国の函館鎮守府にも、吹雪は着任している。
島風と並ぶ最強系武闘派駆逐艦として、全国の艦娘に知られていた。
甘いものを食べている時と提督に甘えている時及び姉妹艦と戯れている時はあどけない少女の顔を見せるが、戦闘時の迫力は阿修羅もかくやであり、駆逐艦の戦果と思えぬほどの活躍をしている。
演習でも実質的に負け知らず。
だが。
彼女には奇妙な噂が付随した。
旗艦に随伴する艦艇のように。
曰く、砲撃戦での破壊力が戦艦級だとか、彼女といると敵方の戦闘機や爆撃機が頻繁に同士討ちするとか、戦棍で重巡洋艦や空母を撃破したとか、そんな荒唐無稽(こうとうむけい)なものだ。
島風にも戦棍で戦艦級の敵さえ蹂躙(じゅうりん)したとの噂はあるが、なにかを見間違えたのだろう。
たぶん。
敵の血潮で濡れた肩
地獄の娘と人の言う
道南の街に太平洋戦争の亡霊が蘇る
占守島(しむしゅとう)、沖ノ島海域に
無敵と謳われた装甲特殊駆逐艦小隊
情無用、命無用の駆逐艦
この命、三〇億ドル也
最も高価なワンマンネービー
吹雪、危険に向かうが本能か
今日は司令官手製のチーズケーキが食べられる!
吹雪は内心歓喜に満ち、思わずにんまりしてしまう。
あの時の経験を反芻(はんすう)しているかの如く。
彼女は食いしん坊万歳なのだ。
芋や羊羹を始め、色々食べる。
ほんのりと口からよだれをたらす吹雪に、姉妹艦の叢雲が呆れた表情を見せた。
叢雲の頭部にある二つの浮遊艤装も明滅しているのだから、人のことはあまり言えない気もする。
ちなみに龍田の頭部浮遊艤装もぎゅんぎゅん回転していて、よその天龍たちが酷く心配している。
素朴な作りのケーキはまだまだ修行が必要に思われるけれど、その価値は金で計れるものでない。
そう、吹雪は考えた。
そのように思った駆逐艦は多いようで、数多い彼女たちは無言のうちに鉄の結束力をもって戦場へ臨んだ。
ひたむきな駆逐艦群に抗し得る艦種はほとんど存在しないとまで言われる程。
その彼女たちが今、激戦の地へと向かう。
あそこだ。
あそこがはらいそだ。
洋菓子のにおいが少女たちの鼻腔に届く。
あまくせつなくやさしくつよくひとしく。
それは食堂をまんべんなく満たして外へと漏れてゆき、続々と集結してゆく艦娘たちの戦意を高めてゆくことにもつながった。
無数の艦娘たちの
ぎらつく欲望にさらされて
厨房へと引き出される
函館の街の提督
魂無き艦娘たちが
ただ己の甘味を賭けて激突する
バトリング
回る砲塔から
提督に熱い視線が突き刺さる
厨房の中から、クッキーを叩き潰す音が聞こえてくる。
見えた!
そこっ!
普通極まる感じの目立たぬ中年男性がエプロンを装備し、せっせと菓子作りに励んでいた。
司令官。
そう、男性は彼女たちの指揮官だ。
時に料理を作って部下に振る舞う。
そんな軍属の人物だ。
特に器用でなく、特段不器用でもなく。
いや、どこか不器用なのかも知れない。
それでも、なにかをしようという気持ちはあるように思われる。
部下たちと柔術を行っては容易に寝技に持ち込まれ、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンでも連戦連敗更新中だ。
それなのに練習後は士気が高まる不思議。
そんな彼によって、沢山のクッキーが粉々にされてゆく。
頑健な深海棲艦の艤装が、砲撃や雷撃によって破砕されゆくように。
司令官の手が、砕けたクッキーとバターと砂糖を混ぜてこねてゆく。
幾つも用意された丸い型にそれは敷き詰められてゆき、次は練られたクリームチーズと卵黄が混ぜられ、砂糖を加えたそれが型の中へ注ぎ込まれていった。
そして、オーブンへ。
やがて、いいにおいが漂ってくる。
それはまさに生きている証に見えた。
生きているからこそ、食べられる喜びだ。
過去を、重力井戸をこえ、魂は飛翔する。
メレンゲのように、口に入れるや否やふわりと溶けてもうなにも残らない。
やわらかな甘みも、ささやかな楽しみも。
刹那のやさしさ、泡のように消えてゆく。
司令官が卵白を泡立て始めた。
息を止めるがごとくに見つめる幾つもの視線に困惑しつつ。
チーズケーキが焼き上がってくる。
ふくれ、ふくれ、そしてしぼんで。
とうとう一触即発の危機が訪れた。
あら熱を取る間もない程の勢いだ。
あらあら。
数百の娘たちが雄叫び上げんとす。
だが、提督がそこへ一石を投じる。
「騒いだり揉めたりしたら、ケーキをあげませんからね。」
場のざわめきが一瞬で消え去った。
素早く冷まされ斬り刻まれた甘味が鳳翔や間宮たちによって皿へてきぱきと載せられ、待ち構える艦娘たちにどんどん配られてゆく。
共にいただくのは、チコリの珈琲や和紅茶など。
では、いただきます。
提督手製的試製チーズケーキは今後の鍛錬が必要とされる作りながらも好評のうちに艦娘たちの胃袋へとおさめられ、次はいつ食べられるのかと期待する声も複数あるという。
取材記者たる大本営の青葉は、名残惜しそうに空の皿を見つめる艦娘が複数いたと証言する。
また、提督手製的試製焼きメレンゲは一粒一粒ちっこいながらも好評を得て、焼き上がったそばから飛ぶように求められたという。
『図書館』
『押し入れ』
『廃医院』
『夏の民宿』
『親切な隣の奥さん』
『雪山の夜』
『貴子ちゃん』
それぞれの語りが終わり、司令官のこわい話も終盤に近づいた。
歴戦の吹雪はこわいながらも聞き入っていたので、話の合間にオイル漏れしていないことをそっと確認してほっとする。
同様の艦娘は多いみたいで、彼女はほんのりと苦笑いした。
外は吹雪。
自身の名の元になった気象状況をそれとなく窓から眺めながら、武勲艦は司令官の話を聞き逃すまいと身構えた。
暖房で温められている筈の講堂は妙に肌寒く、鍛えられた肉体を持つ艦娘でさえもその影響から逃れ得ている者は数少ない。
おそれを知らぬかに見える彼女たちにも、こわいものはあるらしい。
こわいのについつい聞いてしまう。
聞いてしまえば後戻りは出来ない。
それが提督の怪談。
こわい話。
「夜も更けてきましたので、次のお話で終わりにしましょう。『河原の夜』。」
提督がゆっくり淡々と話してゆく。
しんと静まりかえった屋内。
「あれは提督になる前、先輩と夏に川へ行った時のことです。山の中を延々と運転させられたのが妙に懐かしいのですけど、それはさておき、キャンプ予定地の駐車場に着くといつもは複数の車が止まっているらしい場所の筈なのに、我々の車以外は一台も止まっていませんでした。変じゃのう、変ですねえと言いながら私たちは河原にテントを張り、カレーを作り、酒を呑んでのんびりしていました。で、夜になって、さあ寝ようとした頃のことです。」
屋内の気温がまた下がってゆくように、艦娘たちは感じた。
吹雪は窓の外を見つめる。
雪はまだ止む気配が無い。
いつも誤字報告をいただきまして、誠にありがとうございます。