はこちん!   作:輪音

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時代は今、新たな局面に向かいつつある。
人類史以来の困難な時代を迎えてはいるが、現在我々は深海棲艦との戦いに打ち勝ちつつある。
そして、諸君は人類の最前線たる防波堤としてこの世界に立っているのだ。
諸君はまさに、前衛である。
エリートを自負することに躊躇するな。
諸君はエリートだ。
選ばれた民の中から、更に厳しく選抜されてここにいる。
諸君らこそ、この世界の守護者であると共に新人類の規範となりうる存在なのだ。
奮起せよ!
未来の将星目指して邁進せよ!
戦線に加わり、暁の水平線に勝利を刻め!




※今回は六三〇〇文字ほどあります。





CCCⅩⅧ:扶桑姉様と新任提督

 

 

 

 

 

扶桑はその日、桜と雪の舞う中、春の函館鎮守府に到着した。

休暇を消化するためである。

行き先はどこでもいいような気もしたが、折角山城が手を回してくれたのだ。

あのひたむきな妹。

姉のために奮闘し、姉のために尽くす娘。

いつもいつも感心し感服するほどの働き。

なんとも素晴らしいことではなかろうか。

妹の好意には感謝しないといけないし、おいしい食事を楽しむのも悪くない。

それで、彼女は函館に来た。

扶桑は大変気疲れしている。

就職活動が失敗続き故にだ。

金剛型戦艦や伊勢型戦艦などに比べて需要がやや低めにあたる扶桑型戦艦の彼女はいたく残念なことに今もって提督を得ること能(あた)わず、はっきりいって宙ぶらりんの状態であった。

同姿艦の中には第一線で活躍している者もいる(ケッコンしている者まで存在する!)が、最近とある激戦海域で戦闘後に発見された彼女はしばらく研究機関でなんやかやと実験された挙げ句に成果が伴わないとしてそこを放逐された。

世間を知らないまま。

世界を知らないまま。

 

解放後に就職活動を行った彼女だが、そもそも戦艦級艦娘を欲する提督の元にはケッコンするため日々切磋琢磨する戦艦が目白押しだったし、戦艦級艦娘がいない基地は資金資材共にかつかつのところが殆どだった。

とどのつまり、彼女は予備役艦娘としてひっそりと暮らすしか取り敢えずの選択肢がなかったのだ。

横須賀鎮守府に所属はしているものの、無所属に近い感じの予備役的な扱いである。

本来ならば戦力不足にあえぐよその基地に配属すべきだろうが、戦艦級艦娘の彼女は正規空母級艦娘同様に維持すること自体が金喰い虫で出撃となれば更に資材も大量に必要とする。

駆逐艦数名をやっと扱えるような屯所に所属させるなどもっての外(ほか)だし、水雷戦隊を二つ三つ持っている規模の基地でも扱うのは難しいだろう。

中には彼女を希望する基地も複数存在したが、概算的日常経費及び戦闘経費の目録を手渡された提督たちは一様に形容し難い顔で泣く泣く彼女の着任を諦めた。

 

函館鎮守府は今尚着任希望の艦娘が殺到する激戦地だし、引く手あまたの駆逐艦に比べて大型艦の着任先は意外と厳しい。

戦闘を旨とする艦娘としてはもどかしい気持ちになるが、世の中、そうそう思い通りになるものではない。

世界中で最も『戦前への回復』に近いとされる日本だって、ようやく昭和後期を目指している状況なのだ。

艦娘さえいない国や国際的流通に依存していた国などの状況はお察しの段階である。

メリケンでさえも多数の捨て艦時代を経てようやく人権的なナニカに目覚めつつある環境だし、人間を艦娘的なナニカに仕立てて日々使い捨てる国もある。

国際的協調など、望むべくもない。

扶桑を取り巻く状況は、世界的に見ると随分ましな方だった。

 

 

 

 

旅装を解き、宿泊棟の一室に少ない手荷物を置いた彼女は鎮守府近くの砂浜を歩く。

空は曇っていて、風が強い。

函館は風都とでも言うべき、風のよく吹く街なのだ。

今は雪交じりの風が扶桑を濡らしている。

関東とは気候がまるで違うし、なにもかも違う。

誰もいない海。

荒ぶる海。

灰色の冷たい海。

なんだかもの悲しい気持ちが胸を満たしてゆく。

 

『不幸だわ。』

 

彼女は内心、そう呟いた。

山城定番の台詞と言われる言葉だ。

しかして、彼女はさほど内向的でない。

海域発見(ドロップ)されたからだろうか。

 

『どこかに提督が落ちていないかしら?』

 

同姿艦の中でもかなり楽観的な方に属する彼女は、存外のほほんとしていた。

 

「あら、ホントに落ちていたわ。」

 

思わずそう口にする彼女の視線の先。

緑色の軍服っぽいジャンパーをまとった若い男性が倒れている。

彼の上にはまだそんなに雪が積もっていない。

ならば、そんなに時間は経っていないものと考えられる。

背が高く、ひょろっとしてはいるが鍛えているのか割合がっしりした体であった。

あちこち触ってみて、すぐにそれはわかった。

東洋系の顔立ちも整っていて、地味だがいい。

性癖をこじらせてさえいなければ、おそらく優良物件だろう。

たぶん。

 

「抱きしめられたら、どんなに素敵なことかしら?」

 

扶桑はオイル漏れを起こしそうになりながら、男の頬をやさしく撫でる。

初めての熱情が彼女を翻弄した。

下腹部が熱をはらみ、掻きむしられるような感情が体中を暴走してゆく。

逃してはならない。

決して。決してだ。

彼女のおんなの部分が、そう囁いてきた。

それは、艦娘の本能に近い部分からかもしれない。

彼に提督の資質があることは、一目で見て取れた。

それは艦娘ならば誰でも持っている能力。

そこから自分に最適な提督を探すのは一苦労なのだが、幸い彼女と彼の相性はよさそうだ。

ちくわ大明神のお陰かしら?

扶桑はうっとり男を眺める。

ぺたぺたあちこち触って、彼が生きていることも確認した。

艦娘にとって、己に合った提督を見つけられることはとても幸運なことだ。

提督のために生き、提督のために死す。

それが艦娘の心意気だ。

勿論、地球の平和のために戦うことを第一義として忘れてはいない。

だが、艦娘が乙女の姿をしているのは何故だ。

それは、提督との愛を育(はぐく)むためだ。

そうに決まっているじゃないか。

故に艦娘は提督に愛を囁き、陥落させることに喜びを覚える。

戦いで勝利することと、提督を落城させること。

それは大抵の艦娘の中に於いて等価値の存在だ。

姉妹愛を最優先させる者もいるが、それはそれ。

 

キラキラッと扶桑の瞳が輝いた。

千載一遇の好機が到来したのだ。

こんな機会は二度と来ないぞな。

よかろう、ならばすぐに行動だ。

瞬時に鷹の目となった彼女は軽々と提督をお姫様抱っこするや否や、その体温とにおいと弾力を堪能しながら大淀の元へと向かう。

提督を見つけちゃったら、電撃結婚……もとい電撃作戦が基本。

全身全霊をもって、すぐさま総力戦を行わなくてはならない。

彼女は基本作戦要項に従い、元締め的な艦娘の働く場所へと疾走する。

恋心。

初めて芽生えた恋心。

脳内を幸福物質が駆け巡る。

キラキラッと輝きつつ、扶桑は通常の三倍の速さでウキウキルンルンと執務室へ突撃した。

 

 

 

 

オイルの何滴かを緑色のジャンパーに染み込ませた扶桑は、無事に執務室に着いた。

心荒ぶる彼女は情動うごめくままに扉を何度も叩き、入室許可を得るや否や素早く室内に潜り込む。

輝くばかりの笑顔を随伴して。

その動きは歴戦のくノ一の如くで、それを見た函館の提督は彼女の姿に瞠目した。

ぬ、あの動きは西江水(せいごうすい)。

柳生流か?

提督が男を見て最初に考えたのはあーあ到頭やっちゃった、であり、だがすぐに思い直す。

幾らなんでも、さらってくることはないだろう。

……だよね?

提督は少し不安に思った。

そもそもこの扶桑は建造艦でないし、ちょっと天然成分が多めのように思われなくもない。

そして、暴走状態でお目々ぐるぐる状態の扶桑姉様は無敵だ。

赤い配管工もかくやの勢いである。

彼女は勢いこんで言った。

 

「私の提督を見つけましたっ! ケッコンするので指輪をください!」

「なんぼなんでも、はしゃぎ過ぎで尚且つはしょり過ぎです、姉様。」

 

たまたま提督の仕事を手伝っていた無所属系山城が、冷静に姉様へ突っ込む。

彼女は姉にすいと近づいて鼻の下にハンカチーフをやさしく当て、拭い取ったオイルのついたそれを丁寧に懐へ仕舞い込んだ。

それは非常に自然で流れるような行為だったので誰も不自然に感じなかった。

この山城こそが、扶桑を函館鎮守府へ来るように手配した張本人なのだった。

眼鏡をくいっと上げる仕草が、どことなくなんとなく霧島っぽい。

その上、やたらと多い年度始めの書類業務を片付けるため、室内には事務系装備の艦娘がみっしり詰まっていた。

何故か眼鏡率が高い。

提督の趣味だろうか?

そこかしこで眼鏡をくいっと上げる仕草が見られた。

それは、流行りなのだろうか?

よくわからない。

ほぼ全員が目を丸くしている。

まあ、それは当然だろう。

大半は函館鎮守府所属だが、中には無所属の艦娘もいる。

彼女たちは、扶桑が雄々しくお姫様抱っこする優男をじっと見つめた。

逆だよね、と思いつつ、それもアリかなと思考を巡らし。

彼女たちは、なんらかの理由で無所属となっている戦乙女たちだ。

戦機を逃すような者は誰もいない。

獲物を見つけた猛禽のような表情で、彼女たちは扶桑とこれから提督になるらしい男を凝視した。

雑念妄念執念疑念懸念などなどを、その瞳に浮かべながら。

再び眼鏡をくいっと上げながら。

その様子を見た妖精たちはニヤニヤと笑った。

 

 

 

 

北信の小さな町から訪れた元駆逐艦たる講師は開口一番、こう断言した。

 

「男を捕まえておくには、胃袋を掴むのが一番よ。」

「こうですか?」

「きゃあっ!?」

 

天然の姉様は、ついつい隣の艦娘にストマッククローを繰り出した。

会心の一撃!

山城は悶絶している。

その表情は恍惚(こうこつ)としていて、治療の必要はなさそうだ。

 

「ホントに胃袋を握り締めてどうするの。それは最後の手段なんだから、今は殺らないように。そうじゃなくて、要は旨い料理で提督を餌付けして逃げられないようにしなさいってこと。一時期に逃亡しても、提督が帰ってきたらこっちの勝ちだから。わかった?」

 

元駆逐艦はそれを見てさえ通常運転だ。

冷静沈着な様子で淡々と話をしてゆく。

 

「あの、先生?」

「なに、扶桑。」

「逃げられそうになったら、どうするんですか? 追撃するんですか?」

 

備前の刀工が鍛え上げた包丁を握ったまま問いかける戦艦級艦娘。

それはキラキラ輝いて、よく斬れそうだ。

にこやかに話す彼女の姿からは、病んだ様子は一切うかがえない。

聴講する艦娘たちは真剣な顔で講師と彼女のやり取りを見つめた。

だがしかしおかし。

それにこたえる講師の反応は素っ気ない。

 

「下手な追撃戦を仕掛けても、反転攻勢を受けて壊滅するのがオチよ。」

「ええ……。」

「つまり、一旦逃げられても相手が帰ってくるようにしとけばいいの。」

「どうやって?」

「日々の旨い料理とたまの甘やかしと『教育』で相手を完全にこちらへ慣れさせて、じわりじわりと調教していけばいつも一緒にいるのが当たり前になってくる。くさびさえ打ち込んでおけば、こっちのものよ。薬なんていらないわ。薬はダメよ。副作用が制御出来ないから。不能になったら困るでしょ? 例え美人で床上手だったとしても、料理の下手な女は男を逃がしやすいわ。わかる? 飯マズ女は男を逃しやすいんだから、気をつけなさい。じゃあ先ずは、おにぎりと味噌汁の必須アミノ酸コンビをこしらえることから始めましょ。これらは基本の必殺コンビよ。自分で作った味を、相手の舌に家庭の味として認識・記憶させなさい。それが第一段階の『教育』。それから、鶏の唐揚げや豚カツや肉じゃがやカレー、筑前煮や漬け物などもきりきり仕込んでいくから覚悟してね。これらが第二段階。煮物などはその後で教えるから、ガンガン行くわよ。ついてきなさい!」

 

その後、聴講生たちは容赦なくガンガン仕込まれた。

 

 

 

 

急遽決まった新任提督の研修だが、それは函館鎮守府で行われることになった。

戸惑う彼へ、教官たちは初め嬉々として鬼気迫る勢いで新人教育に臨んだ。

当初白兵戦技術などで劣る彼に教官たちは忸怩(じくじ)たる思いを抱いたようだ。

しかし戦術理論になると評価は一変した。

試しにと行われた演習では、負け知らず。

さして錬度の高くない無所属系駆逐艦たちによる水雷戦隊が彼の指揮によって水を得た魚の勢いを有し、よその鎮守府からやって来た第一線級艦隊を撃滅する。

まさに知将。

彼はそう評価されるようになった。

急速に評価がうなぎ登りしてゆく彼を狙う艦娘は日々増殖してゆく。

扶桑と山城を金剛力士のように従えつつ、いささか頼りなげに見える提督候補生は彼なりにそこそこ真面目に受講した。

日常生活的技術はどん底みたいだが。

彼を見て庇護欲や母性本能がくすぐられる艦娘もいるようだ。

 

そうした日々の中、変化は訪れる。

横須賀鎮守府はつい先頃空席となった艦隊指揮官の席を暖める存在にしようと、彼を積極的に求めるようになった。

それを怒ったのは呉舞鶴佐世保の各鎮守府である。

有能な提督を切望するのはどの基地も同じだった。

日常生活的な技術その他で壊滅的という状況は、大型基地で提督業務を行う際にはあまり問題視されない。

基本的に提督補佐官(副提督、提督補など)が提督の不足を補うようになっているし、私室は大抵いつの間にか片付いているのだから。

 

熾烈な擬似体験型艦隊戦闘による交戦やら複雑怪奇な根回しやら政治的なんやらが幾つも行われた結果、最終的に彼の所属は横須賀鎮守府に確定する。

そのことを漏れ聞いた提督候補生は、深くため息をついてこう言ったという。

 

「借金の期日だって延期出来るのに、どうして提督就任は延期出来ないんだ。」

 

 

 

 

明日は彼が横須賀へ出立する日。

華やかな壮行会が日中催された。

苦笑する新人提督に群がる艦娘。

とても賑やかな催し物になった。

夕食が終わって業務を手伝ってもらった後で私は新しく提督になる彼を誘い、厨房内にある小さな机でささやかな第二次壮行会を催した。

李さんや鳳翔間宮がこしらえてくれた酒の肴(さかな)に、若き提督は舌鼓を打つ。

二人きりの方がいいだろうと思って、他の人員は寄せ付けないようにしてある。

これから横須賀へ着任する新しき提督が、会話の口火を切った。

 

「やれやれ、世界の平和と我が年金生活のために少しは提督業務を頑張りますか。」

「年金生活……はは、実にあなたらしい。」

「私のような、身元不明の人間が提督にならざるを得ない世界。つまりはかなり追い詰められているのですね、人類は。」

「まあ、そういうことになります。」

「そして貴方だけでなく、提督は比較的全般的に恩賞を与えられた存在だ。」

「そうやって、目をそらしているのでしょう。」

「同感です。やたらと恩賞を与えるのは窮迫している証拠だと、古代の兵書にあります。敗北から目をそらせる必要があるからだそうです。」

「まさにおっしゃる通りですね、提督。ところで、ここに一五年もののコニャックがあるのですけど如何でしょうか?」

「それは是非とも、この舌と胃袋を喜びに震わせたいですね。」

 

我々は乾杯した。

民主主義万歳、と言いつつ。

彼はきっといい提督になるだろう。

私はそう思った。

横須賀鎮守府の近くには、『鉄の森』という名の旨いドイツ風家庭料理店が最近出来た。

横須賀に行くことがあったら、一緒に食事を食べるのもいいだろう。

あそこの若い女性料理人、金髪のフロイラインだったか、相当の腕利きときく。

時にはねぎらいも必要不可欠だ。

あそこは問題だらけの部署だし。

横須賀鎮守府も彼が着任することで少しは安定するといいなあ。

 

 

 

 

気まぐれが本領の函館の天候ではあるけれど、本日は晴れ模様。

空は快晴。

出立日和。

にこやかな扶桑と複雑な表情をした山城と正規空母軽空母重巡洋艦軽巡洋艦駆逐艦群とが、密集陣形で新任提督を包み込んでいる。

妖精たちも沢山提督にしがみついていた。

扶桑は津軽海峡を眺める。

波は穏やか。

まるで私と提督の門出を祝ってくれているみたい。

彼女はそう考えた。

自分をおんなにしてくれた提督のためにも力戦奮闘しよう。

扶桑は決意し、提督の手を握りしめた。

 

 

 

やさしく提督を見つめた姉様は、ぎゅっと彼の手を握りしめた。

もやもやするが、仕方ない。

姉様のために頑張ろう。

嗚呼、空はこんなに晴れているのに。

……。

姉様を不幸にしたら承知しないわよ。

覚えておきなさい、ヤン提督。

 

 

 


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