誇りと洒落っ気に満ちた怪異に会ってみたいものです。
停電のあった翌日。
函館は涼しき晴天。
その喫茶室付きパン屋を見かけたのは偶然だった。
鳳翔、間宮、島風と共に食料品の買い出しに出掛け、その帰り道に見つけたのだ。
「あら、提督。あんなところにパン屋さんがありますよ。」
航空母艦だけあって目のいい鳳翔が、それを目敏く発見した。
『北南食品流通』と側面に記載された中型トラックとすれ違って、店に辿り着く。
NHK函館放送局の近くにあるその店の前に車を停めて出ると、生地を焼く匂い。
鎮守府の近場にこのようなパン屋があるだなんて!
煉瓦でしっかり造られた、古典的な意匠の建築物。
さっそく立ち寄ってみる。
外国にありそうな外装だ。
初めて見る形が興味深い。
函館もまだまだ奥が深い。
店内に人が見当たらない。
休憩中にしては物騒だな。
店の内部はおいしい香りで満ちている。
「お店の方がいらっしゃいませんね。」
「休憩中なのかしら?」
「説明文や値段や内装の文字がすべて外国語だぞ、提督。」
「凝っていますねえ。」
カウンター、テーブル、展示棚と焼きたてのパイが並んでいる。
店内を埋め尽くさんばかりの勢いの量が、圧倒的質量を見せる。
それは実に壮観な眺めで、食べてゆきたい欲望に駈られる程だ。
林檎のパイ。
檸檬のパイ。
南瓜のパイ。
洋梨のパイ。
挽き肉のパイ。
クリームパイ。
薩摩芋のパイ。
ホタテや烏賊や海老などのグラタンパイ。
ハマグリとトマトソースのマンハッタンスタイルパイ(それはとても素朴な)。
馬鈴薯とベーコンのパイ。
鶏肉のシチューパイ。
パイナップルのパイ。
素敵にして偉大なるアメリカンチェリーパイ(ツインピークススタイル)。
目についただけでもこれだけの種類が存在する。
店主は凝り性のようだ。
看板にはパン屋とあるが、これはパイ屋なのではなかろうか。
ケーキも作るようだが、硝子棚の中にも見当たらない。すべてパイで埋まっている。
「島風、どう思う?」
油断なく辺りを見回している彼女(中身はおっさんだが)に聞いてみる。
「即時に撤退を進言する。」
「私も同意見……って、なにをやっているのですか、お二方!?」
鳳翔と間宮は仲よく喫茶室にパイ群を持ち込んで、珈琲を用意したり寸評を述べあったりしていた。
鍛造されたらしい備え付けの包丁でパイを斬り刻んでゆき、長い時を経たような食器に盛りつける。
二名とも、この状況がおかしいとは思わないのだろうか?
珈琲はどうやら淹れたてのようで、大きめのサーバーになみなみと入っている。
それは飴色したデュラレックスの硝子コップに、芳香を漂わせながら注がれた。
「あの……。」
「パイのお代なら、日本円に換算してレジスターに置いておきました。」
「これ程のものを食べずに帰るだなんて、勿体ないと思われませんか?」
……。
ポン。
島風が私の肩に手を置く。
「食べてゆこうか。」
「仕方ないですね。」
パイの焼き加減は絶妙で生焼けはなく、中身もしっかり下拵えしてあってとてもおいしい。
手間暇かけたのがよくわかる。
大量に造られてはいるものの、そのいずれも手抜きがまったく感じられない仕事ぶりに全員感嘆する。
出来合いの生地ではないのがとてもいい。
旨い旨いと連呼したら、なんだか周囲の気配がやわらかくなってきたように思えた。
……気のせいだな。
店員は結局出てこなかった。
支払える限りの個数のパイ(アルミニウムの皿と透明なプラスチックの蓋付き)を車に積み、お代は改めて計算し直して昔風のレジスターの台に置いた。
置き手紙も添えておく。
【大変おいしゅう御座いました。素晴らしい味わいだと思います。お代は日本円に換算して、レジスターに置かせていただきました。金額が足りないようでしたら、お手数ですが函館鎮守府までご連絡ください。】
パイは、我が鎮守府並びに休暇で訪れていた他所の鎮守府の艦娘に大好評だった。
料理上手な艦娘たちはさっそく研究会を始めていた。みんな熱心だなあ。
翌朝。
鎮守府の食堂に山と積まれた焼きたてのパイ群を眺めて、全員驚いた。
パチパチ、と現在進行形で音を立てるパイまである。
どうやって持ち込んだのだろう。
メイド娘たちや風魔の劉鵬(りゅうほう)が緊張した面持ちで対人地雷を含む罠の確認に出かけ、一切破られていないことを報告した。
アメリカンチェリーパイの上には『For admiral with love.』と記されたグリーティングカードが載せられ、年代物のバーボンウイスキーと薔薇の花も添えられていた。
ノーマン・ロックウェルの絵が描かれた、洒落た感じのカード。
かなり稀少だと思われる、二〇年物の限定生産されたバーボン。
黄色い薔薇一輪。
……ええと。
「ああいうモノにまでモテるとは流石だな、提督。」
島風は呆れたような面白がっているような、複雑な表情をしてそう言った。
パイは昨日にも増しておいしいと思われた。