はこちん!   作:輪音

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新幹線のくだりを修正しました。
この世界観では北海道新幹線が開通しておらず、深海棲艦による破壊を恐れているため、青函トンネルは封鎖されています。
申し訳ございません。



LⅩⅩⅩⅦ:埼玉県民、北へ

 

 

 

 

埼玉県民の結束力はとても強い。

東京に憧れることもあるが強い。

埼玉県民は愛郷心もまた強い。

密かな自慢は心の内に秘める。

それが彼らの心意気であった。

 

豊かな農産品及び酪農製品が東京の多くを支えているのは事実だし、未だに都会であることに固執する都民でさえ強迫されたら渋々認める事実である。

彼らにとっての今の悩みは近隣の群馬県栃木県長野県山梨県同様、鎮守府や艦娘に縁のないことだ。

西日本だと、奈良県滋賀県岐阜県も縁がない。

つまり内陸県だ。

海に果てしない憧れを持つ埼玉県民にとって、艦娘はアイドルを超越した存在であり、いつかは会ってみたい存在なのだった。

 

 

彩の国埼玉県の最大都市、ネオスサイタマ。

さいたま戦隊サイタマンの本拠地がある県庁所在地であり、彼らは群馬県民の武闘派から成る戦闘連隊クルマールや栃木県民の有志から成る秘密結社鉄観音との終わりなき抗争を日夜繰り広げている。

ちなみにさいたまスーパーアリーナでは、激しい戦いを行う彼らの勇姿から那珂ちゃんのコンサートまで見られるのが特徴だ。

 

 

海に面していない県に鎮守府や警備府は設置出来ない。

艦娘が一名しかいないなんちゃって鎮守府であろうと。

東京のアホなお偉いさんが冷然として、そう放言した。

埼玉県民は人を馬鹿にした態度の発言に強く憤り、一致団結して国会議事堂前に座り込み、国会議員たちを震え上がらせた。

二万を超える県民の姿に恐怖を覚えたからである。

山田うどんを黙々とすすりながら狭山茶で優雅に喫茶する彼らは、大声を上げることなく機動隊と対峙した。

全身を防護装備で固め、ひのきの棒や特殊ポリカーボネイトの楯で緊張した面持ちの警官たち。

対して、普段着姿の無手で表面上はのんびりした雰囲気の埼玉県民。

主婦や老人も多い。

薩摩の軍勢と琉球の庶民との決闘のように見えないでもなかった。

怒り狂った埼玉県民に機動隊が勝てる訳もないから、警官たちは既に戦意喪失しており、彼らに蹂躙される悪夢を見るために寝不足だった。

埼玉県の中でも特に精強を誇る秩父人が混ざっていることは、警官たちの恐怖心をいや増した。

たまたま秩父弁を知り、その存在を把握した警官がいたためである。

彼自身は交番勤務で秩父の人々から大変世話になったが、彼らの戦闘力が並々ならぬことも知っていた。

猪を正面から素手で倒せることは普通ではない。

倒した高校生はおっさんたちからまだまだだが筋はいいと言われ、照れていた。

彼女は元気だろうか?

 

幸い、群馬県民や栃木県民同様戦闘民族でありながらも理性的な彼らは重武装の機動隊を率いる隊長の決死の説得に応じて軍勢を引き払った。

その整然とした行動は錬度の高さを伺わせ、高度な訓練を経たものと想定された。

余程の武将が率いているものと思われたが、指揮を取る侍大将は最後まで判明しなかった。

 

彼らが本気になって東京に雪崩れ込んだ場合の被害を計算した者もいたが、あまりの戦力差に恐怖したという。

埼玉県公式武術の砕魂拳は小学生女子でさえも一人で警官隊と互角に立ち向かえる驚異の戦闘術であり、風魔忍法と併せて極めれば全国有数の戦闘力を有することさえ可能だ。

難点があるとすれば、愛郷心と慈しみの心の無い者にこの業を取得出来ないことくらいだが、愛郷心の無い埼玉県民は殆ど存在しないので問題にすらならない。

 

 

愛と勇気に満ちた存在。

それが埼玉県民である。

 

 

元艦娘の誘致に激しく積極的な府県の最右翼である埼玉県は、薩摩芋の羊羮と狭山茶で胃袋を満たしながら日夜問わず協議を行った。

その結果、元艦娘を誘致するには提督の協力が必要だと結論された。

ならば、どこへ陳情に行くべきか?

呉第六か?

大湊(おおみなと)か?

函館か?

 

埼玉県の諜報防諜部門を統轄し、甲州の武田忍びや越後の軒猿(のきざる)や仙台の黒脛巾(くろはばき)などと日々知恵比べをしている風魔。

その頭領風魔小太郎は埼玉県元艦娘誘致会に出席し、あんバタを口にして狭山茶で喉を潤した後で重い口を開いた。

 

「函館になさるべきかと存じます。」

 

 

腰は重いものの、動き出したら疾風迅雷の動きを見せる埼玉県民。

県の公式発表を知るや否や、その日の東北新幹線の全座席は完売し、長距離バスの指定席も完売した。

翌日の席も同様である。

県内のすべての長距離バスが動員され、埼玉県は『お出掛け時のお願い』と称されるしおりを全県民に無料配布した。

埼玉県の常識が他の都道府県の常識とは限らないからである。

それはどこの都道府県でも言えることだが、埼玉県は東京に隣接しているため、遠くへ出た際の差異に気づきにくいのだ。

自称東京人の一部が自分達を全国標準だと勘違いするのと少し似ている。

 

 

埼玉県民大移動は近隣諸国の動揺を招き、特に群馬県と栃木県はそれぞれのほぼ全兵力を動員して、第一級警戒態勢を発令した。

栃木県側は宇都宮餃子で英気を養い、群馬県側は地元産の旨い日本酒に舌鼓を打った。

埼玉県民はひたすら北を目指したために武力衝突はなく、激戦を予想していた両県をたいそう驚かせた。

集まった兵(つわもの)たちの多くはそのまま宴会を始めた。

 

一方、埼玉県民は海を見ることが出来るとうきうき浮かれていた。

海の日に近くの海岸へと民族大移動を行う県民性のため、彼らは海にとても憧れている。

しわしわになった青森県案内書と函館案内書を握り締め、埼玉の民はのっけ丼や餡掛け焼きそばなどに思いを馳せるのだった。

行田(ぎょうだ)ゼリーフライを使ったコロッケサンドと森乳業のわたぼくコーヒーで盛り上がりながら、一路彼らは海沿いの街を目指す。

数多の艦娘に出会えると心臓をバクバクさせながら。

直接見ることの出来る海に期待しながら。

 

 

 

新青森駅並びに青森駅及びその周辺では、元艦娘の職員や売り子が一時的に裏方になることを決定した。

埼玉県民との接触による大混乱をおそれたからである。

普段理性的な埼玉県民ではあるが、はっちゃけてしまった場合に止められる者がいない。

県民でも精強な者はこの時期、林檎の収穫で忙しいのだ。

陸上戦で艦娘級とおそれられる彼らを止められるのはこの辺りに於いて艦娘や深海棲艦くらいだが、彼女たちを抑止力に用意するとその化学変化でなにが発生するかわからない。

パンデミックなど論外だ。

海の幸を喜ぶだろうと予測を立て、青森県側は関連の販売面積や臨時の食事場所を増設した。

 

 

青森県側は出来得る限りの手を打ったが、埼玉県側の勢いはのんびりした青森県側の予想を遥かに上回っていた。

早々に海の幸系商品を完売する店舗が続出し、急いで追加発注したものの、埼玉県民の勢いを抑えることは不可能だった。

新青森駅舎内の売店は埼玉県民突入後、程なく次々に完売御礼の札を立てた。

青森市に殺到した埼玉県民は駅周辺の市場を席巻し、ストレート果汁の林檎ジュース各種を堪能し、駅近くでおでん屋を営むおばあちゃんの小さな店で旨い旨いと連呼した。

おばあちゃんの津軽弁は半分も理解出来なかったが、旨いものの前では理屈などいらない。

埼玉県民はそのことをよく知る人たちであった。

 

 

五〇万の埼玉県民は青森から青函連絡船を利用する者と大湊からのフェリーを利用する者とに別れた。

青い森鉄道で大湊へ向かった者たちは近年東北有数の大都市になりつつあるその地に降り立ち、賑やかさに瞠目した。

駅構内に設置され第三次改装を経た、中世欧州風地下迷宮都市型大型商業施設ルルイエでホタテコロッケや海軍カレーなどを堪能し、彼らは津軽海峡冬景色を渡った。

 

A集団は青森から函館港へ向かい、B集団は大湊から函館港へ向かう。

人口の倍以上の人々が殺到されると予想された函館市は震え上がった。

多すぎる。

宿泊施設が足りる筈もなく、対応可能な訳もない。

湯の川温泉の全宿泊施設にも緊急事態が伝えられ、古老は昔二度有った埼玉県民の大移動を若い人々にしみじみと伝えた。

相手は穏やかで理知的な埼玉県民ではあるが、如何にすればよいのか?

仮設簡易宿泊施設を取り急いで用意出来るだけ用意し、すべての稼動可能なバスを用いて大沼江差松前などにも宿泊してもらう。

函館周辺のあらゆる宿泊施設は即時に予約で埋まった。

エロいことを目的とする宿泊施設も、予約で埋まった。

足りない。

まだ足りない。

真っ青になる関係者たち。

鎮守府も詰めに詰めれば一〇〇〇人は対応可能だと、提督が函館市に報告した。

おそらく、この鎮守府が最大希望来訪施設だ。

最大激戦区ともいう。

あわよくば、元艦娘を連れて帰る気かも知れない。

まさか。

まさか、そんな。

青森県内でたまたま元艦娘や現役の艦娘に接触した埼玉県民はうぶな反応を示したが、函館周辺で同様の反応を行うとは限らない。

移動人数が多すぎて捌ききれない青森県は、苦渋の選択として元艦娘たちを使うことにした。

県内各地で働く元艦娘で情報提供してくれた者たちを埼玉県民に紹介したのだ。

歓喜する埼玉県民。

戦力の分散化になんとか成功した青森県は他の東北緒藩から非難を浴びた。

莫大な財布が移動するのだ。

上手いことしやがって、と。

浴びたが、急な事態に論理的に活動出来る者ばかりではない。

ブチキレた知事は、他の藩にじゃあお前らが対応出来るのかと喧嘩を売った。

青森県民は一旦怒るととてもこわいのだ。

これに対し、埼玉県側が後程県民を東北各地に向かわせる旨を緒藩に伝え、大事には至らなかった。

 

 

およそ五〇万に及ぶ大軍勢は破竹の勢いで函館に向かう。

北へ。

北へ。

遥かなる憧れを胸に秘めつつ。

 

 

埼玉に栄光あれ。

 

 

 

 


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