ロッティのアトリエ~アーランドの錬金術師0~ 作:ロッティlove
「アストリッド。そんなに食っちゃ寝ばかりしてると、太るわよ?」
アーランドの職人通りにあるアトリエ。開店休業状態になって久しいその工房。
窓際に置かれたソファーに向かって、少女が注意する。
気の強そうな少女だ。さらっとした桃色の綺麗な髪と同色の瞳が特徴的だった。
「その心配は無用だ、ロッティ。私は太りにくい体質だからな」
「あっ、そう。羨ましい体してるわね」
ロッティと呼ばれた少女の視線の先。
ソファーでくつろぎながら、果実の乗ったタルトを頬張る女性――このアトリエの店主アストリッドは、口にしたそれの上品な味わいに、頬を緩める。
「まったく、君の作るお菓子は本当においしいな。私のティータイムは、このお菓子から始まるといっても過言ではないくらいだ」
そう言ってカントリー調のテーブルに置かれたティーカップを持ち、注がれた黒の紅茶をすする。ほどよい渋みがあっさり系のタルトと非常によく合った。
「あら。そう言ってくれると、私も作った甲斐があるわ」
ロッティはにこりと笑うと、白いフリルの付いた赤いスカートを躍らせ、アストリッドの隣に腰掛ける。
「私も食ーべよ」
赤いベリーのタルトを手に取り、齧る。さらにもう一口。
二口であっという間に一個を完食する。
「んんー、美味しい!」
「太るぞぉ~」
二個目のタルトに手を伸ばすロッティを見て、眼鏡を光らせたアストリッドが意地悪を言う。
「少しくらい太ったって平気よ。太った分はココに行くから」
ロッティの、胸元の開いた服に視線が行く。
彼女はアストリッドの前で谷間を作ると、それを強調して見せた。
「けしからん……実に、けしからん」
アストリッドは頬を僅かに上気させ、谷間を凝視する。
だが、すぐに真顔となって軽くため息を一つ。
「ロッティ。お前、本当に15歳か?」
「ちょっと、それどういう意味よ? 失礼しちゃうわね!」
ぷんぷんっ。
と、口で言いながら両手を振り上げる。
年相応の子供っぽい仕草をするロッティだが、彼女は少女ながらに大人を魅了する蠱惑的な色気を持っている。それは、十代を折り返したばかりの小娘が、とても持つとは思えないほどのものだ。正直、常軌を逸している。
「いや、悪い方の意味ではないんだ。むしろ、その発育具合を見ると……実に素晴らしいことだと私は思うぞ」
「あら、ありがとう。でもアストリッドの方は……残念ね」
「私のことは放っておいてくれ」
ロッティから送られる哀れみの視線。それを遮るようにアストリッドは身をよじった。それをロッティは、アストリッドが羞恥心からきたものだと勘違いした。
「あら? もしかして、恥ずかしがってる? かわいいー」
「別に恥ずかしがってなどいないぞ」
「ええ~、つまんないわねー」
乙女の恥じらいなどは無い、とばかりにけろりとしているアストリッド。そんな彼女にロッティは肩透かしを食らった。
アストリッドはただ、自分が観察される側に回ることが癪なだけだった。
ロッティは頭を撫でようと伸ばしていた手を、さっと引っ込めた。
「さてさて、
「えーっと、去年の12月からだから……4ヶ月ってところかしら?」
「そうだ。もう4ヶ月も経っているのだ。ならば、私がこれから何をするのかも、勿論わかっているな?」
アストリッドは腕を組むと、満足そうに目を瞑る。
だが女の期待に反して、ロッティは手を挙げると、
「先生、わかりませ~ん!」
と、おちゃらけた。
「そうかそうか、わからないか。ならば、教えてやろう」
「うん?」
「寝る!」
「お休みー」
「お休みー、ではない。退きたまえ」
「もう、なによぅ。せっかくリラックスしてたのに」
アストリッドはロッティの背中を、げしげしと蹴って、ソファーから追いやった。
彼女の座っていたところに足を伸ばせば、寝る準備は完了だ。
仰向けに寝転がって、顔だけをロッティに向ける。
「お前にリラックスする時間は与えんぞ。今月の課題はツィンクとネイロンフェザーを5つずつ作ることだ。無論、レシピはそこの本棚に置いてある」
玄関口を跨いだ反対側、そこに背の高い本棚がある。
びっしりと本が収まっているそこを、ざっと眺める。
だが、どれが課題のものを作るレシピなのかがわからない。
「ねえ、アストリッド。どれがレシピなのかしら?」
ロッティは本棚から、手当たり次第本を引っ張り出し、
「これ? それともこれ?」
と、アストリッドに訊く。
本をぱらぱらと捲るが、どこにもツィンクとネイロンフェザーなるものについては書かれていない。
本を手に取っては、ページをぱらぱらと捲る。そして、無視し続けるアストリッドに構わず、レシピの置いてある個所を何度も聞く。これを繰り返すこと数回――
「まったく、騒々しいぞロッティ! これではせっかくの昼寝が台無しではないか!」
「そんなこと言われてもしょうがないじゃない。レシピがどこにあるのか、わからないんだから」
「レシピなら、棚の最上段、左端だ」
「私の背だと、届かないわ」
「そこにある脚立を使えばいいだろう。もういいな? 私は寝るぞ」
つっぱねた言い方で私室前に立て掛けてある脚立を指すと、アストリッドは起こしていた体を横にし、昼寝をし始めた。
後ろの方でロッティが、
「アストリッド、これで合ってる? ねえ、聞いてるー?」
などと喧しく訊いてくるが、アストリッドはすでに寝ると決めてしまった。
もうこれで1、2時間は起きることはないだろう。彼女はそういう人だ。
レシピ本を手に脚立を降りる。
ソファーまで寄ってアストリッドに目を向けると、気持ち良さそうな寝顔があった。
屈んでその寝顔を見ていると、日々のお返しでもしてやりたい気持ちになった。
月初に錬金術の難題を出され、材料集めの冒険に出ていない日などは、召使いのようなことをしている。それが、ロッティのここでの仕事だった。店主のきまぐれ次第で仕事が変わったり、働く時間が変わるなんて当たり前。これがまた、ストレスが溜まるのだ。
落書きでもしてやろうか――
なんて悪戯心が、ふと湧いて出る。
しかし、それをすると後が怖い。アストリッドは間違いなく、落書きなんて目じゃないほどの倍返し以上の仕返しをしてくるに決まっている。
ロッティは小さく嘆息すると、勉強用兼作業用の机にレシピ本とティーカップを置いた。
ツィンクという金属と、ネイロンフェザーという布。それらの作成法を読みながら、ティーカップに口を付ける。
スティム鉱石にアードラの羽。これらの材料はたしか、アーランド国有鉱山とオルトガ遺跡で採れるはずだ。
「またあの鉱山に行かないといけないの? しょうがないわね……。一人で行くといってもついてくるんでしょうし、また喧しくなるわね」
ページを捲ると、材料の鉱石の投入手順や釜で煮る時間などが事細かく書かれていた。手順を追っていくと、最終的には、ただの石ころが立派な金属の延べ棒へと変貌を遂げている。
ロッティは改めて、このレシピの大元である錬金術という学問のでたらめさに頭を抱えた。
「わっけわかんない。なんで適当な石入れて釜で煮てぐるぐるかき混ぜるだけで、こんな整った鋳造物ができるのよ」
――理解できなくてもいいから、まずはやってみろ。でないと、あいつの居場所を教えてやらんぞ?
4ヶ月前、去年の12月、アストリッドのアトリエで働くことになってから、彼女に言われた言葉だ。それを思い出して、ロッティは慌てて次のクロースのレシピへと目を向けた。
あの時のことは、今思い出しても衝撃的だ。
アストリッドと出会ってから、ロッティの人生は大きな転機を迎えた。
特に目的もない、だらだらと過ごすだけの人生に、初めて、目標という色が加わったのだ。
「オズワルド様――」
愛しい人の名を呟いて、ほうっと息を吐く。
彼を見つけることこそが、ロッティの人生の目標だ。
去年の12月。14歳最後の月に聞いたアストリッドの言葉を信じるなら、彼の所在地は、今のところ、アストリッドだけが知っている……らしい。
らしいというのは、彼が、ロッティの探している彼とまったく同じ存在だと認識できるのが、彼女の他にはアストリッドだけだからというものなのだが、普通は胡散臭いと思うだろう。
だが、ロッティは微塵も思わなかった。
アストリッドは、そう考えるだけの判断材料を、これでもかというほどに持っていたのだ。彼女の言葉を思い出す。
――面白いな。バスカヴィル家のシャルロット嬢も、あの、無愛想ないけ好かない男と同じ、“黄金”を内に秘めているのだな。
「――駄目ね。集中力が足りてないわ」
去年のことを思い返していると、今やるべきことからどんどん脱線してしまっている事に気が付いた。
かぶりを振ってロッティは立ち上がると、テーブルの上のティーポッドを手に取り、自分のティーカップへと黒の紅茶を注いだ。
ティーカップを口に付けてから置くと、気を取り直して、彼女はレシピ本へと再び目を落した。
1
貴族風な丁度品が並ぶ一室。天蓋付きのベッドの上には、一人の女性が横たわっていた。
そして、その女性の手を握る少女が一人。
女性の命は、今にも尽きようとしていた。少女は、その女性を看取るためにここに居るのだとわかる。
「ロッティ……」
少女の大きな目から、大粒の涙がこぼれる。
悲痛な面持ちの少女の頬に、女性――ロッティの手が添えられた。
彼女は、少女の茶色い髪を優しく撫でると、ゆっくりとその手を自身の胸元に戻した。
「ごめんね、リリィ。私がいなくなったら……きっと、貴女は一人になってしまうわね」
数年前、ダグが逝き、この前はヴィンセントが逝ってしまった。五代目グレン・バスカヴィルも、自分と同じような状態だ。
妹分である、目の前の少女を残してこの世を去ること、グレンよりも先に逝ってしまうことに、ロッティは心を痛めた。
そんな彼女の心情を察したのだろうか。リリィは涙をごしごし拭うと、
「わ、私は大丈夫だぞ、ロッティ! ほら、私は昔は一人だったからな!」
なんて、強がってみせた。
リリィは、バスカヴィル家に入る前は、辺境の村で家族から迫害されていた哀れな娘だ。家族から疎まれ、追い出され、昔から一人だった。だから、また一人になるのは辛くない。慣れてるから。
「嘘ばっかり……」
リリィの気遣いが、とても辛かった。胸が押しつぶされるような思いだ。
ロッティは、目頭が熱くなるのを自覚した。
「リリィ……」
もう一度、リリィの左頬へと手を伸ばす。
悪魔の印として、元の家族に刻みつけられた魔の模様。それをなぞるように、彼女の頬をなでる。
「顔に彫ろうとは思わないけど……私も、どこかに彫っておけばよかったかしら」
「なっ……、ロ、ロッティは駄目だ! せっかく綺麗なんだから、こんなの入れるなんて駄目だ!」
「こんなのって……。あんたねぇ、ファングとダグが聞いたら泣くわよ」
「うっ……」
同じバスカヴィルである、今は亡き家族のファングとダグ。彼らも、リリィと同じ刺青を、頬に彫っていたのだ。
おそろいですね――。そう言って、小さな自分を抱き上げてくれたファングを思い出す。リリィの顔がくしゃっと歪んだ。
「その刺青は、貴女たちが家族だという証になってたでしょ。だから、私も……って。でも、いまさらよね」
「そ……、そんなことないぞ、ロッティ! じゃあ、どこへ彫るんだ? 腕か、足か? それとも、せ――」
「背中は嫌よ」
「なら、どこに?」
「そおね……左肩辺りにしようかしら」
「そうか、左肩か! 私も左頬だし、何だか嬉しいぞ、ロッティ!」
「ふふ……。やっと笑ったわね、リリィ」
妹分の浮かべた無垢な笑顔に、ロッティは安らかな笑みを作った。
途端――彼女の顔に亀裂が入った。
もう、お別れの時間らしい。リリィの頬を撫ぜていた右手も、すでにもうない。
「リリィ。またね――」
さよならとは言わなかった。それを言ってしまったら、リリィの心にぽっかりと穴があいてしまうだろうことが容易に想像できた。
ゆっくりと目を閉じる。
隣でリリィが何かを言っているような気がしたが、もうロッティの耳には届かなかった。
身体の感覚が徐々に失われていく――
不思議な事に恐怖はなかった。むしろ、言いようのない安堵感が心を満たしていく。
それは網膜に焼き付いたように、忘れることのできない愛しい人がこちらを見ているからだろうか?
彼は射抜くような目つきを徐々に和らげていき、ロッティに呟いた。
『よく、今まで務めを果たしてくれた……シャルロット――』
目を覚ますと、カーテンの隙間から柔らかい日差しがのぞいていた。
悲しくも、優しい夢だったような気がする。ロッティは目を閉じ、ゆっくりと伸びをする。
夢の余韻に浸る彼女だったが、今日が何の日かを思い出して顔を顰める。
「最悪。今日って将来の相手を決めるとかなんたらっていう、たしかお見合いだったわよね……。まったく! 私はオズワルド様以外興味ねえっつーの!」
イラついて、つい枕を壁に投げつけてしまう。そうしてストレスを発散すると、少し冷静になれた。
生まれ変わってもう15年近く経つが、この世界は本当に平和で、優しい素晴らしい世界だと彼女はつくづく感じている。そして同時に、ひどくつまらなく感じてもいた。
理由は簡単だ。まず、バスカヴィルの仲間たちがいないこと。次に、自分の住む街――アーランドが長閑過ぎること。そして、自身が色々と面倒な貴族の息女として生まれてしまったからだ。
最初は自身の生まれたこの家系の姓がバスカヴィルという名であったために、色々と期待していたのだが、ただの同名というだけであり、ひどく落胆したのを覚えている。
それに――
「まあ、シャルロット。起きているのなら早く着替えなさい。今日は大切な、大切なお見合いなのですからね」
勝手に部屋のドアを開けてきた人物――母であるサリー・バスカヴィルもその一因だ。なにせ、この世界に生まれてからこのかたずっとサリーにお見合いだの習い事だの、様々なことを強制されてきているのだ。習い事などは貴族の子女としての作法など、今更な事なので別に構わない。だが、このお見合い、これだけはロッティは我慢がならなかった。
「わかりましたわ。お母様」
ロッティの返事に、昔の自分に良く似た母サリーは、よろしいと言って部屋から出て行った。
「……よし」
ロッティは今日、初めて母に反抗することを決めた。
(お見合いなんて糞くらえだわ)
寝間着から、普段着へと着替える。
深紅色のスカートを翻し、窓を開ける。自室は建物の3階にあり、見下ろすとそこそこ高く感じられた。
(少し高いけど、余裕余裕)
窓枠に手をかけ、彼女は飛び出した。
石畳に着地したせいで足が少し痺れたが、そんな細かい事なんて気にしていられない。
息が乱れるほどに全力で、敷地の道を出口へと向かって走る。敷地を出て、彼女はすぐに街の外へ出るために門へと向かった。
門の前では仕事をしない門兵が欠伸をしていた。彼は息を乱しながら街を出て行くロッティを不審に思いながらも、詰問が面倒だからとそれを見逃した。
2
ロッティが門を通り抜けた頃、バスカヴィル家では大騒動が巻き起こっていた。
玄関ホールでは数人の執事、メイド達が慌ただしく行き交っている。その中に一人、サリーも交じっていた。
「シャルロット! シャルロット! どこにいるの!? ねえ、あなた! シャルロットは!?」
憔悴しきったサリーが、夫のベンに青い顔をして詰め寄った。数十分前まで自室にいたはずの一人娘、シャルロットが忽然と姿を消したのだ。母として気が気でなかった。
「落ち着きなさい、サリー! シャルロットは確かに部屋にいたんだな?」
「え、ええ」
「なら、もしかしたら部屋のどこかに隠れているのかもしれない。おい、そこの君!」
「は、はい!」
ベンは一人のメイドを呼びつけた。
「シャルロットの部屋へ行って中を事細かく調べてきてくれ。もし娘がいるようだったらすぐに知らせろ」
「かしこまりました」
メイドは頭を下げると、踵を返して階段を駆け上がっていった。
ノックを三回。続いて、失礼しますの一言。
メイドがロッティの部屋へ入るとそこにはやはり誰もいなかった。
注意深く部屋の周りを見るが、変わったところは何もない。メイドは開けっ放しの窓を小さくため息をついて閉めると、階下の喧騒の煩わしさに小さく舌打ちをした。
「まったく。困ったお嬢様です」
無事、アーランドから抜け出したロッティは近くの森へと身を潜めていた。
「う~、さむっ!」
何日、何か月も家出をするというわけではないため、逃げ出すための運動性を重視したため、彼女は現在薄着だった。それに反して、季節は冬。結果、彼女は寒さに身を震わせながら森の中をさまようことになっていた。
「それにしても……奥に来過ぎたかしら。ここ、どこよ?」
ロッティがアーランドの外へと出たのは今日が初めてだ。未知の土地へ地図もなしに入り込めば当然、迷子になる。
右を見る。左を見る。後ろを見、前へと顔を戻す。どれも同じ光景に彼女は思えた。自分の陥っている境遇に彼女はげんなりした。
「ざっけんじゃないわよ……。この私が迷子だなんて……。はあ……みっともない――って、きゃっ!?」
俯いていると、突如木の背後から何かが飛び出してきた。それはロッティに向かってぶつかると、「ぷに、ぷに」という鳴き声を発した。
「な、なにこのキュートな生き物は? チェイン? なわけはないわよね」
水色のグミ状の生物、ぷにぷに。ロッティは臨戦態勢に入ったそれに、口元を押さえて笑いを堪えた。
一般人から見たぷにぷにの攻撃は侮れないが、あいにく彼女は一般人というわけではない。紅き死神と呼ばれた、バスカヴィルの民だったのだ。あんな軟体生物の攻撃など痛くも痒くもなかった。
「ぷっ! 何この子、私とやろうっての?」
ロッティの言葉に反応したのか、ぷにぷには目つきを鋭くし、ロッティを睨みつけた。
足元の蟻が必死にこちらを睨みつけている。ぷにぷにの威嚇に対する彼女の認識はそれと同じだ。
がさがさと茂みが揺れた。そちらを向くと、今度はぷにぷにが二体現れた。
「さっきの鳴き声……この子たちを呼んでいたのかしら?」
蟻が何体出てこようがやることは変わらない。足元を踏んで、にじるだけ。
数秒の視線の交差。ぷにぷに三体が示し合わせたかのように、同時にロッティへと飛びかかった。
ロッティはぷにぷにの行動を見て、スカートを翻した。次の瞬間、彼女の手には三本のナイフが握られていた。それを一本ずつぷにぷにたちへと向かって投げつける。
ナイフはすべて、ぷにぷにの眉間へと突き刺さった。
「よわっ」
動かなくなったぷにぷに。図体の割に、小さい投げナイフ一本刺されただけで死ぬという軟弱さは予想外だった。
こんなに弱いのなら、放置しておいても何の問題もなかったのではないだろうか?
こういった疑問が沸くと、途端にちょっとした後悔を覚える。
次遭遇したら、何度体当たりされようと無視しよう。彼女はそう決めた。
「なんだあれは?」
アーランド近郊の森の中。足元に生えた草――マジックグラスを採取しているアストリッドは、異様な光景を目の当たりにした。深紅のスカートに深紅のマントを身に着けた美人のお嬢さんが、どういうわけか数体のぷにぷにに体当たりされながら彷徨っているのだ。
体当たりなど無視し、その少女、ロッティは俯きがちに森の中をふらふらと行き来している。ここらで最弱のモンスターであるぷにぷにとはいえ、その攻撃をノーガードで気にも留めていないところを見るに、ただの少女ではないことがわかる。
とはいえ、アストリッドにとって希少で貴重な美人がぷにぷにごときに泥を擦り付けられているのは見るに堪えないことだった。
彼女は身に着けている指輪から魔法を放つと、一撃で3体のぷにぷにを吹き飛ばした。
「やれやれ、変わったお嬢さんだ」
ロッティは一瞬の出来事に目を丸くして辺りを見回すと、アストリッドの方に顔を向けた。
「あなた、誰かしら?」
「おっと……。これは失礼した、美しいお嬢さん。私はアストリッド、アストリッド・ゼクセス。しがない錬金術師さ」
「錬金術師……ふーん? まあ、いいわ。それよりアストリッド……でいいのかしら?」
「もちろんだとも。いきなり呼び捨てとは、なかなかフレンドリーなお嬢さんだ」
喜色ばんだ笑みを浮かべるアストリッドに対し、ロッティは気まずそうな表情をしていた。
「お願いしたいことがあるんだけれど、いいかしら?」
「その前に一つ」
アストリッドは人差し指を立てて、ずいっとロッティへと顔を近づけた。
「な、なあに?」
「君の名前を是非、教えてくれ!」
「あ、名前……すっかり忘れていたわ、ごめんなさいね。私の名前はシャルロット。シャルロット・バスカヴィルよ」
3
アストリッドの案内でロッティは森の出口へと向かった。その道中、アストリッドは物珍しそうにロッティのことをじろじろと見ていた。
「アストリッド、私の顔に何かついてるの?」
「いや。あのバスカヴィル家のご令嬢が、まさか家出をしているなんて思わなかったものだからな」
「別に家出というわけではないわよ。ただ……」
「ただ?」
「その……親が決めたお見合いに行きたくなかっただけよ」
「お見合い?」
アストリッドは小首を傾げた。そしてその後、盛大に噴き出して大笑いした。
「あっはははは! そうかそうか、シャルロット嬢! 君は優雅な見た目に反して、そういう剛毅な性格をしているのだな! どうりでモンスターのことも気に留めないわけだ」
「ちょっと、笑うんじゃないわよ! 私にとっては笑い事じゃないんだから!」
ロッティは犬が威嚇するかのように、ううー、と呻った。
「ほお?」
アストリッドの掛けている眼鏡の奥がギラついた。
「聞くが、シャルロット嬢」
「ロッティでいいわよ」
「ではロッティ。何故、君はお見合いに行きたくなかったんだ?」
「……気が向かなかっただけ」
「ちっちっちっ。違うな」
舌を鳴らしたアストリッドは、それはもう、玩具を見つけた無邪気な子供そのものだった。
「誰か……心に決めた人がいるのだろう?」
アストリッドの囁く声にロッティの肩が跳ねた。
「それも……相当強い想いだ。バスカヴィル家は古い名家。仕来りだとか面子を気にする名門貴族だ。そこの娘がそれを知らんわけはないだろう? 今ではあちらさんは赤っ恥を晒していることだろうよ」
「うるさいわね。あなたには関係のない話よ」
ロッティは突き放すように言うと、アストリッドを一瞥して顔を逸らした。そんな彼女にアストリッドは目を細めた。
「それが、実は関係あるかもしれないぞ」
「何ですって? それってどういう意味?」
アストリッドの言葉の意味が何を示しているのか、ロッティには見当もつかなかった。
アーランドに錬金術師がいることは知っているが、それが目の前の女性なのかは知らないし、何よりアストリッドは彼女にとって胡散臭かった。当然、その言葉も。
だが、アストリッドの次に放ったセリフによって、そのような些事はロッティの頭の中から吹き飛ぶこととなる。
「私は以前、とある王国でロッティとよく似た雰囲気を纏った人物と出会ったことがあるのだが……」
「私と……? ど、どんな人だったの!?」
切羽詰まった様子でロッティはアストリッドに詰め寄った。
自分と同じ雰囲気ということは、それはバスカヴィルの民に違いない。そうであって欲しい。ロッティは息を飲んでアストリッドの言葉を待った。
「いつもツーンとした、無愛想ないけ好かない男だ」
「えっ! 無愛想? まさか……。そ、その人って……」
脳裏に、敬愛するバスカヴィルの主の姿が浮かんだ。
「もしかしてその方、黒い髪に紫の瞳だった?」
「ああ」
「前髪は真ん中で分けてて、髪の長さはこのくらいだった?」
「ああ、そうだ」
「もしかして、その方のお名前は……オ――」
「オズワルド……とかいってたな」
「あ……」
あまりの衝撃にロッティはその場にへたり込んだ。
呆然とアストリッドを見る。彼女の真面目な表情からして、嘘を言っているようにも見えない。
「ほうほう……察するに、ロッティがご執心なのはオズワルドか。しかし、あいつはここからは遠いところに住んでいるはずだが、どこで知り合った? 大貴族の令嬢があんな辺境まで遠出することはないはずだ。それに、奴も忙しいからあの国から外へは出ないだろう。知り合う機会などあるようには思えんが……」
「え? どこって……それは……」
「あー、言いたくないのなら無理に話さなくてもいいぞ。もじもじしながら顔を赤くして、可愛らしく馴れ初めを打ち明けてくれるのを私は気長に待つさ」
「もじもじなんてしないわよ。それより……どこよ?」
「なに?」
ロッティの質問にアストリッドは首を傾げた。
「オズワルド様。今、あのお方はどこにいるの?」
「うん? ……はて?」
オズワルドに会うにはあの国へ行けば会える。しかも彼はあの国から出ることはないと言っていた。彼を知っているということはあの国へと行ったことがあるということ。しかし、ロッティはオズワルドの居場所を知らないようだ。この矛盾の不可解さにアストリッドは眉を寄せた。
(まさか……オズワルドのことを直接会わず、見聞だけで好きになったとかそういうメルヘンな子ではないだろうな?)
アストリッドはそう思ったが、ロッティの言動からして、それはないなと考えを改めた。
(――ということは、奴とロッティの纏っている他の人間とは違う気配が関係しているのか?)
「ふふ……おもしろい、実に面白いな君たちは」
「ちょっと。笑ってないで早く教えなさいよ!」
どうしてもオズワルドに会いたいロッティは、焦りからか強く怒鳴ってアストリッドの肩に掴みかかった。次いで、はっとして肩から手をどけると、「悪かったわね」とばつが悪そうに謝った。
アストリッドは「気にするな」と言うと、つけている眼鏡を外してモノクルのようなものを右目に着けた。そしてそれを通して、彼女はロッティをまじまじと見つめた。
「ふむふむ。やはりお前たちは異質だ」
「なにそれ?」
「これはだな……私特製の見たものの放つ『雰囲気のようなもの』を色で識別できるアイテムだ」
アストリッドの掛けているモノクルは何の変哲もないものに見えた。ロッティは訝しんで問いかけた。
「それに何の意味があるの? 色がどうしたっていうの?」
そんなことよりも早く教えろってのよ――。ぼそっと最後に呟いた不満に、アストリッドは小さく肩を揺らした。そして、その顔を手間のかかる子を見るようなものへと変えた。
「まあまあ、急くな。普通、これを通して見た人間は無色透明で何もないはずなのだが……。君とオズワルドだけ、どういうわけか黄金なのだよ」
「黄金……ですって?」
「ああ。しかも澱みのない眩いくらいの、な」
アストリッドの言葉にロッティは目を丸くさせた。
(私と同じ……存在ということ? ならやはり、彼女の言っている『オズワルド』はあのお方……!)
「ねえ、アストリッド」
「なんだ?」
「私と……取引しましょ」
4
「私の望みか……」
「ええ」
アストリッドは、ふむ、と言って顎に手を添えた。何を要求しようか考えているのだろう。
ロッティが持ち掛けた取引内容はなかなか代償の伴い得るものだった。ロッティの要望はオズワルドの居所の情報であり、アストリッドへの見返りはロッティのできる限りの、何か一つの望みを聞き入れるということだった。
(大丈夫よね……錬金術師っていまいちよくわからないけど、変な人体実験の材料とかにはされないわよね)
己から言い出しておいて、ロッティは言いようのない不安に駆られていた。
(何か変な道具持ってるし、ちょっとアッチ系入ってるっぽいけど……。うわっ、あの子ニヤついてるわ。やば、ますます嫌な気分になってきた)
口端を吊り上げ、笑みを浮かべてるアストリッドは妙案を思いついたとばかりに、手をぽんと叩いた。
「ロッティ。君の家にメイドは何人いる?」
「メイド? さあ? 具体的な数は知らないわ」
「ざっとでいい」
アストリッドの意図がわからないロッティは首を傾げた。メイドが一体なんだというのだろうか。
理解できない質問だったが、ロッティは「20人弱だったかしら」と答えた。
「ほうほう。よし、私の望みは決まったぞ!」
その宣告にロッティは固唾を飲んだ。
「私の望みはずばり! ロッティ、君をメイドとして私のアトリエで働かせることだ!」
「……は?」
危ない想像ばかりしていたためか、随分と良識的な要求にロッティは拍子抜けした。
「なによ、そんなこと? そんなのでいいのかしら」
「む……案外寛容なのだな。わたしはてっきり『なんでこの私がメイドなんてしないといけないのよ!』と、がなってくると思っていたのだがな。私がオズワルドの住処を出汁にして、大貴族のお嬢様が恥辱に耐えながら渋々こちらの要求を呑むシチュエーションを期待していたんだが……つまらん!」
「それは残念ね。さあ……働いてあげるから、とっととオズワルド様の居場所を教えてちょうだい」
「やめた」
「え?」
「さっきのは撤回する。私の望みは……ロッティ、君が私のアトリエのお手伝いとして“3年間”働くことだ」
「何ですって? 3年間も?」
「ああ」
ロッティは愕然とした。
彼女の目の先にいるアストリッドは、悪魔の嘲笑のような非常に悪い笑みを浮かべていたのだ。
そして、ロッティにとっては痛いところを突かれる。
「もちろん、私の要求の方が
時間が止まったような錯覚に陥った。アストリッドのとんでもない意地悪に、ロッティは口をわなわなと震わせた。
「ええー!! なんでよー!」
「何故って。それは当然、取引を持ち掛けた側が先に誠意を見せて契約を果たすべきだろう? うん? 違うかな?」
「くっ……くう……」
反論はできない。
あまりの悔しさともどかしさに、ロッティはスカートを強く握った。こういうことを言われる想定をしていなかった自分が悪いのだ。
今のロッティは、アストリッドの要求をいやいや呑む想像上のロッティと同じだった。
「ほほう、そういう顔は年相応に可愛らしいのだな」
「……うるさいわよ、この性悪女」
「お褒めにあえて光栄だ」
アストリッドの返し文句に、ロッティは鼻ふんっとを鳴らし、ずかずかと森の出口へと進んでいった。
「街へ帰った後が楽しみだな」
ふっと笑みがこぼれる。
一度目を閉じてから上を見上げると、木々の間から見える日差しは、すっかりオレンジ色へと変わっていた。
2週間に1回更新でけたらええなあ