ウレシイ…ウレシイ…
黒谷ヤマメは恐怖していた。目の前の、あどけない笑顔を浮かべる少女の姿をした怪物。
瞳を閉じた覚妖怪、古明地こいしを前にして。
「こんにちはー、ヤマメさん。今日もごくろーさまですっ!」
「……ああ、うん。ありがと。こいしさ……ちゃんは、お出かけ?」
純真無垢で、天真爛漫。
この少女を見たもの、10人いれば10人がそう評しそうな笑顔に頬が綻びかける。直前でキリリと引き締め直し、人当たりの良い笑顔を浮かべ応対した。
「うんっ。お外の友達のとこにいくんだー」
「へー、そーなんだ。ま、楽しんどいでよ。私はここで、ゆっくり門番の真似ごとでもしてるから、さ」
上手く笑えているだろうか。この気持ちを押し殺して、気のいい近所の姉さん妖怪くらいには印象づけなければならない。これまでも、そしてこれからも。
万が一にも、ほんの少しでも意識の外にでも嫌な奴だと思われることは避けなければならない。些細な会話にも全神経を張り巡らせる、この
外の友達? バケモノ仲間の間違いだろ。そう吐き捨てたいのを必死にこらえた。
「ヤマメさんはいつもお仕事頑張ってるよね。わたし、そんなヤマメさんのこと偉いなぁって思うよー」
「そりゃ、光栄なことだね。誇りも何もないけど、そう言ってくれれば報われるってもんさ」
何処までも上から目線の物言い。それが癪に触り、しかし怒りはない。相手はそれが許される上位者なのだ。鬼に「弱い」と評されたところで「そりゃそうだ」としか感じられないようなものだ。そもそも並べるべきではない。
楽しそうにお喋りを続ける少女に、早く終わって行ってくれないかと辟易する。警戒はするものの、こうも長いこと拘束されたのでは意識が散漫になる。適当な相槌を打ち、今晩は酒でも呷るかなと考え始めてしまう。
そして幾らか言葉を交わした後、ようやく少女は時間に遅れるなどと言いながら慌て始め、手を振って空を飛んで行った。
「………………はぁ。生きた心地がしないよ、まったく」
張り詰めた気を解放して、倒れそうになる身体を岩壁にもたれかからせる。ひんやりとした感触が服越しに伝わり、幾らか冷静さを取り戻すのに一役買ってくれていた。
ただの不審者ならば、警戒はしても恐怖する必要はそこまでない。土蜘蛛という妖怪で、病毒を操る自身なら勝ちはできずとも生存することは出来るという自負がある。
ただ……先ほどの、あの古明地こいしというバケモノは無理だ。それこそ鬼と並ぶほどに、対峙しては勝つことが難しい。少なくとも自分はそう考えている。
何せ奴にはーーー
「ーーーヤマメさん?」
「うっひゃるおぉうあっ!? 〜〜〜〜〜〜ッ!」
いきなりのことにゴン、と後頭部を思い切り打ち付けてしまい、驚愕を忘れ痛みに悶絶する。
しゃがみ込み、両手で後頭部を押さえつけるもなかなか痛みは引いてくれない。コブになってはいないだろうか。いや、そんなことよりも。
チラリと髪の隙間から見上げてみれば、間抜けそうな面でこちらを見下ろす少女。
「わぁ……大丈夫? すごい痛そうな音がしたよ?」
「〜〜〜〜っ大丈夫、だよ! うん! ほら、妖怪は頑丈だからね、あはは!」
何もわかってなさそうな顔をしてこちらを見る様子に、少しの怒りが湧いてくる。けれど、きっと本当にこの眼前の少女は何もわかっていないのだろう。
こちらの首筋に、その身体から伸びる管が押し当てられている。鋭く、そして力強い切っ先。つう、と血が流れるのがわかる。
このバケモノに生殺与奪を握られた状態で精一杯、気丈に振る舞う。だけどきっと、このバケモノは自分が何をしているか分かっていないのだろう。
この無意識を操る妖怪、古明地こいしには。
ここ地底世界。というよりは、その一部である灼熱地獄で怨霊たちの管理をしているのが地霊殿という場所だ。
その地霊殿の管理者が、心を読む嫌われ者の覚妖怪。古明地さとり。他者の心を無断で読み取り、あまつさえそれを口に出して第三者にも聞かせるという非常に悪趣味な妖怪である。
敵に回せばどんな厄介ごとが降りかかるか、悪評がばら撒かれるかと恐れ、戦闘能力は低いものの手出しされることのない実質的な支配者のような妖怪だ。
だが……違う。
確かに、それもあの覚妖怪に手を出さない理由の一つではあるが、全てではない。
最も大きな理由はあの妹ーーー古明地こいしの凶悪さにある。
古明地こいし。
覚妖怪の妹であり、種族も同じ覚妖怪。
それだけなら悪意が倍になり、近づくことを嫌がる程度のことなのだが……あの妹は、そういった存在ではなかった。
『無意識を操る力』
他者の無意識に滑り込み、存在を、そして行動を知覚させない力。また一度意識したとしても、一瞬でも意識の外に追いやって暫くすれば存在を忘れてしまうという。そして……古明地こいし本人もまた、殆どの行動を無意識に行っている。
コイツの恐ろしいところはここにある。
なにせ、殺気も敵意も何もなしにいきなり無意識の攻撃が飛んでくるのだ。無意識に死んでました、なんて酒の席での笑い話にもならない。
対抗するにはありとあらゆる事を意識しなければならないが、そんなのは土台無理な話だ。せいぜいが運否天賦、神に縋って乞い願うしかない。
姉の古明地さとりすらも認めるこの力、敵にするなんてあまりに馬鹿馬鹿しい。
「姉が来たらこちらには来ていないと答えてほしい」などと言い残したことを告げ、今度こそ去っていったバケモノを見送る。遅れてやってきた恐怖に背筋が寒くなった。
アレは行ってしまった。ーーー本当に?
もう暫くは見なくて済むだろう。ーーーまだそこにいるのではないか?
もう少ししたら仕事も終わらせて、誰かと酒でも飲んで忘れよう。ーーー今もきっと、自分の後ろに。
無意識に恐れを抱いていたことに、黒谷ヤマメは気が付かなかった。
ヤマメさん大丈夫だったかな? いきなり声をかけちゃったから、頭を打って凄く痛そうだったし。でも本人が大丈夫って言ってたからきっと大丈夫だよね!
それに、わかってるもん。ヤマメさんもお話ししてくれるけど、たぶん私のこと怖がってるんだろうなー、って。私、全然怖くもなんともないただの
お姉ちゃんと違って人の心も読めないし、特に能力があるわけでもない。でも、この身体の管が強いかな? 鋭くて威力が出るから、自分の身くらいは簡単に守れるの。
それなのに怖がられちゃうのは、全部お姉ちゃんのせいなんだから。ぷんぷんっ。
私のお姉ちゃん、古明地さとり。
地底で地霊殿なんて大きなところに住んで怨霊を管理して、たくさんのペットに囲まれてるし、覚妖怪としての力も強い、だーいすきなお姉ちゃん!
……でも、いつだったかな? 昔から本をたくさん読んでたお姉ちゃんが、自分でも書き始めたのって。最初は私も読んでたんだけど、だんだん難しい言葉が多くて読まなくなっちゃった。
「やみにのまれよ〜」とか「ダークフレイムマスター」とか。スペルカードでちょっと難しい言葉を使うけど、よくわかんなかったなー。
それで、本の中で私のことを勝手に出して、すっごく強くてすっごく怖い妖怪みたいに書いてるみたい。
ーーー無意識を操り、人の無意識に潜り込む。
うーん、昔から影が薄くて、あんまり誰かに気付いてもらえたことがないから。そのことだよね?
ーーーその行動もまた無意識であり、敵意も殺意もなき一撃を繰り出す。
お燐とか、鬼の勇儀さんに「ぽわぽわしてて能天気で何も考えてない」とか「思いつきで行動してる」とか言われてるの。
お姉ちゃんのことは好きだけど、そういうことを人に言いふらすせいで私にはあんまりお友達が出来ないのが悲しいかも。
でもお姉ちゃんは悪くないの。私がもっと皆と交流したら、きっと誤解は解けるもんね。
「よーし、頑張るぞー! えい、えい、おー!」
……あれ? 管に血が付いてる。どこか切っちゃったのかな?
とと、いけないいけない。今日はお友達のフランちゃんのお家に遊びに行く日! 遅れたら悪いから、早く行かなくちゃ!
ヤマメさんにも「お姉ちゃんが来ても私のことは内緒にしてください」って言ったから、お姉ちゃんに邪魔されないもん。お姉ちゃんが来ると恥ずかしいから、こういうとこには気を使わなきゃね。
今日も、お姉ちゃんが厨二病で大変です。
こいしちゃんの方が書くのは簡単なのですが、クオリティがフランちゃんの時より低いのでは? と不安になります。
次回は5月半ばまでに手直ししておきます。
2016/6/14 追記
活動報告にも記載したのですが、現実に追われているため、続きが遅くなります。
「今月中には投稿できるかも?」程度のものですので、申し訳有りませんがお待ちください。