ひまわり喫茶の朝は早い。
と言っても、早いだけである。
普通のお店なら、仕入れだとか掃除だとか整理だとか、色々と開店準備に手間がかかるモノだろう。事実ここでも手間はかかる。かかるのだが、それら殆ど全てを幽香さんが短時間で―――私が店に辿り着くまでに終わらせてしまうので、朝早くから出勤しても殆ど何もすることが無かったりする。つまり私にとっては朝が早いだけだ。なので、実に健康的な生活だなぁと自分が妖怪である事には目を瞑り、ポジティブシンキングを展開している真っ最中だ。
しかし、幽香さんは食材をどこで仕入れてきているのだろうか。畑を持っているとは河童さんからの噂だが、それでは説明できない部分が多過ぎる。主に調味料とか。蜂蜜は私の仕事だけど、砂糖や塩に始まり『おいすたー』だか『ばるさみこす』だかよく分からない物まで揃っているのだ。謎だらけだがこれが幽香さんの普通でもある。つまりミステリーと言う名の日常である。日常ってなんだっけ。
「おはようございます」
「あら、おはよう。早いわね」
貴女様がこの時刻に来いと言ったのでしょうに。
と言うかこの妖怪さん、一体何時に出勤して来ているのだろうか。因みに今は
閉店時間になればどこかに帰っていくから、店に住んでいる訳では無いはずなのだけれど……幽香さんの細かな所を気にしていたら身が持たないか。思考を切り替えよう。これが対フラワーマスター用コミュニケーション術の秘訣だ。
それでもって、流石に何もしないのは悪いので、出来る仕事をやって行くことにしようか。
「じゃあ私、掃除しますね」
「掃除はもう終わったわ」
「あ、なら食器を」
「食器も洗った」
「な、なら一応備品の確認でも」
「チェック済み。ほら」
備品の在庫数その他諸々を丁寧に纏められたチェックシートを渡された。なんだお前は。いつの間に時を止めて作業出来るようになったんだ。あながち本当に出来そうで怖い。
「えっと、じゃあ私は何をしたら……」
「うーん、そうねぇ。早いけど開店しちゃいましょうか。昨日の天狗さんがやってくれた宣伝が、効果を現す頃かもしれないわ」
……どうだろう。こう言ってしまってはアレなのだが、わざわざ太陽の畑までやってくる物好きはそうそう居ない気がする。ここは悪名高く、そして色々な人口密集地から距離がある場所だから、余計に期待は減ってしまうものだ。
しかしする事も無いので、私は素直に従った。開店を示すボードを手に取り、入口のドアへ手を掛ける。
ガチャリと、錠の外れる音がして。
「ふあう……馴れてきたとはいえ、やっぱり朝更かしはキツイわねぇ……眠い」
「……えっ」
「ん? ……あっ」
ドアを開けたら、噂をすれば何とやら。誰かが居た。
もっと言えば、時間的に有り得ない人物が訪れていた。
もっともっと言えば、霧の湖にでーんと建っている紅い館の吸血鬼が、大きな欠伸をしながら店の前で呆けていた。
一同、無言。
静寂の一拍。
「……お、おはようございます」
「グッドモーニング、虫妖怪。もうオープンなの? 新聞に載ってた開店時刻より早いわね」
先ほどの子供っぽい仕草は錯覚だったのかと感じてしまうほど凛々しい顔つきで、自他共に認める夜行性なお方からおはようを言われた。どういう状況だこれは。
「あの……日光……」
「ん? あー、お前たちの喫茶店が夜間営業じゃないから、私がわざわざ日傘を差して、朝更かしまでして出てきてやったのよ。この私の興味を引けた事を光栄に思いなさい」
「いえ、そうではなくて。翼焦げてますよ」
「……あん? 翼―――ってあッッつァ!? ちょっ、この日傘一回り小さいじゃないの!? フ、フランの奴めすり替えやがったわね! お願い店に入れてこのままだと焼けちゃう!!」
さっきから結構ブスブス煙を上げていたのだが、指摘されるまで気がつかなかったのだろうか。彼女の作った凛々しく尊大な雰囲気も、焦げ臭さとかその他色々なモノで台無しである。
そして飛び込むように入店した紅い館の吸血鬼―――レミリア・スカーレットさんの後を追う形で、私は店へと踵を返す。
店内では、日の光から逃れる事が出来てほっと息を吐きながら、焦げた両翼を涙目になりつつ摩っているレミリアさんと、接客をしようと近づく幽香さんの姿が。
「ふー、ふー。熱ぅ……うう、翼膜の端が焦げてる。フランドールめぇ……! 帰ったら覚えてなさいよ……っ!」
「いらっしゃい。何名様?」
「あー?」
話かけられて、レミリアさんはようやく幽香さんの存在に気がついた様だ。ただ、何だろう。これは来店したお客さんと彼女に接する店長さんの画である筈なのに、胃に来る圧迫感がある。素敵な笑顔が怖いですよ幽香さん。レミリアさん警戒心ビンビンじゃないですか。
しかし直ぐに幽香さんの立ち位置を理解したのか、レミリアさんは強張っていた表情を緩めた。
「ああ、そう言えばここって貴女の店だったわね。一名よ。それ位見れば分かるでしょう」
「はい、お水」
間髪入れず、何故かキンキンに冷えた水のグラスが幽香さんから手渡されている。会話なんてクソ食らえ状態である。
レミリアさんはその突飛な行動に付いていけなかったのか、明らかに頭上へクエスチョンマークを浮かべつつ目をパチクリさせながら水を受け取っていた。
一拍の間が空く。
「……いや、取り敢えず席へ座らせてはくれないの?」
「おしぼりは如何?」
「ねぇ、私の話聞いてる? ねぇねぇお前は私に床でコーヒーを飲めって言ってるの? あのテーブルとイスはなんなの? お飾りなの?」
「コーヒーね、直ぐ作るわ」
「都合よく話を切り抜くなよッ?!」
「あ、ごめんなさい。コーヒーは濃いめ? 薄め? お砂糖とミルクはどの程度がお好みかしら」
「コーヒーはいいから座らせなさいよぉ!!」
むきーっ! と言う効果音が着きそうなくらい、レミリアさんは両手を突き上げて憤慨した。何故こんな言葉のドッチボールが成立してしまったのだろう。幽香さんの頭の中は一体どんな風になっているんだ。
しかし、私は彼女たちの一連の動作である確信を覚えてしまう。
ああ、これはアレだ。私の外せない仕事は、多分これなのだ。今の光景を眺めてはっきりと自分の役割を理解した。
おそらく、幽香さんは絶望的に接客が下手くそな子なのだ。色んな不思議ルートを持っていたり、謎の生産技術を持っていたり、薪を素手で引き裂けたりするけれど、彼女はこう言った一般コミュニケーションに滅法弱いのだろう。意外な弱点が発覚して驚きである。被害が自分のみならず相手に飛び火すると言う意味でかなり危ない弱点だけど。
しかしどうも幽香さん、意思疎通にテンパりながらも初めての来客でかなり舞い上がっている様に見える。あんなにキラキラした笑顔を浮かべているのだ、余程嬉しいに違いない。でもその嬉しさでテンションが鰻登りになり、持ち前の思考回路が更にスパークしちゃっているのではなかろうか。なんとなくテンパっているような気がする。だっていつにも増して会話が成り立っていないんだもの。
よし、そうと来れば私の出番だ。突込みで鍛えられた私のコミュ力は伊達ではないと証明してみせるっ。
「すみません、店長はちょっと変わってる方でし―――」
「あァん!? なんだ虫妖怪!」
相当興奮しているのか、話しかけただけなのに凄い気迫で睨まれた。こっわ! 吸血鬼こっわ!
い、いやいや、ここで折れてはいけないぞリグル・ナイトバグ。思い出すんだ、処刑一歩手前にまで陥っていた幽香さんとの会合を。幽香さんの、微動でもすれば瞬時にデコピンであの世に送ってやると訴えていた冷たい微笑みを。あの時の恐怖に比べればちっとも怖くなんか……。
あれ、何だか両方とも魔王に見えて来た。前門の吸血鬼、後門の幽香状態に思える。もしかしなくてもこれは詰んでるのでは。
……ええい、こうなりゃヤケだ。女は度胸。ノリで押し切ればなんとかなるさ!
「――わ、私が代わりに席へとご案内致します! 幽香さん! 飲み物お持ちして下さいッ!!」
「はぁい」
「ちょ、私まだ注文してないわよ!?」
「ドリンクはご迷惑をお掛けしたお詫びとしてこちらのサービスとさせて頂きます。さぁお席へどうぞさぁさぁさぁ!」
時に、勢いと強引さは重要だ。相手に考える隙を与えず捲し立てれば、この通り大妖怪の吸血鬼さんだって何の弊害も無く席へと案内する事が出来る。接客作法としては文句なしのゼロ点だけど突っ込んではいけない。被害を出さないことが重要なのだ。
「まったく……こんなに失礼な対応されたお店は初めてよっ」
そう悪態を吐きつつも憤慨して店を出て行かない所から、彼女の器の大きさと言うか、秘めたる度量が垣間見えた気がした。もしかしたらこう言うやりとりに馴れていたりするのだろうか。先ほどの会話もなんとなくスムーズな突込みだった気がしなくもない。
なんにせよ、レミリアさんの心の広さには感謝してもしきれない。一発で戦争にならなくて本当に良かった。
「本当に本当に、申し訳ありませんでした。お詫びと言っては何ですが、ご迷惑をお掛けした謝罪と、当店のお客様第一号記念と言う事で、今回はお好きなだけメニューをお頼みください。我々が負担いたします」
精一杯の謝罪と笑顔で私は告げる。独断で決めちゃったけど大丈夫だろうか。チラリと幽香さんの方を見た。笑顔である。別に構わないと言う暗喩なのか、何勝手に決めてんだテメエと言う黒笑なのか判別がつかなくて辛い。ポジティブに前者の意味として汲んでおこう。幽香さん、お金儲けには興味無いって言ってたから。うん。
一方、レミリアさんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「その位の対応、当然よ。まぁ、今回は私が一番初めの客だった様だし、大目に見てあげるわ。感謝しなさい」
皺の寄った表情とは裏腹に、パタパタと翼が動いている。一番乗りと言うのが気に入ったのか、思ったより上機嫌そうだ。
なんだろう、さっきまであんなに怖かったのに、こうして見ると分かり易くて可愛らしく思えてきたぞレミリアさん。
「それにしても……フフッ、これで漸く咲夜に鼻で笑われずに済むって訳ね。それ見てみなさい、私一人でもちゃんと店に行けるのよっ」
幽香さんお手製のメニュー表を取りつつ、得意気に独り言を呟くスカーレットデビル様。今の言葉だけで、何故夜行性の彼女が朝早くからここまでやって来たのか、大方の事情が把握出来た気がする。アレだ。初めてのお使いならぬ初めての一人喫茶と言う奴だろう。彼女の館での立ち位置がどうなっているのか凄く気になった。
「それじゃあ、紅茶の―――ってそう言えばコーヒー淹れてるんだったわね。ならこのひまわりパンケーキが食べたいわ」
「かしこまりました」
返事はするが、この店はそこまで広くは無い。ましてや今はレミリアさん以外に客人は居ないので、彼女の声は厨房の幽香さんにまで易々と届く。現に、清潔感のある純白のエプロンを着た二人の幽香さんはコーヒーの抽出とパンケーキの調理を行っていた。
……ん? 二人?
はは、私の目はとうとう取り換えの時期でもやって来てしまったのかな。幽香さんが二人だなんて、そんな事ある訳ないじゃないか。一人ですら身が持ちそうにないのに、増えたりなんかしたら幻想郷が滅びるぞ。
目を擦る。頬を叩く。厨房を見る。
うん、幻覚じゃなくて本当に四季のフラワーマスターが二人居る。見間違いようもなくダブル幽香さんだ。泡を吹きそうになった。
超スピードで作業しているとかそんなチャチなもんじゃなくて、本当に二人なのである。のんびり二人で別々の作業をしているのである。
「…………」
あれ、幽香さん分身出来るなら私要らなくない?
「ねぇ、虫妖怪」
「リグルです」
「花妖怪の分身に驚いているの? まだまだね。我が妹はもっと凄いわよ、一度で四人に増える事が出来るんだから」
ふふん、と誇らしげに身内自慢をするレミリアさん。どうやら妹さんが大層お気に入りらしい。確かに凄いけれど、さっき傘をすり替えられたとか言ってなかっただろうか。日常では四人に増えた妹さんからしょっちゅう悪戯をされていそうな気がした。
「お待たせ。出来たわ」
幽香さんの声と共に、爽やかな朝には最高の相棒とも言える香ばしいコーヒーの気配がふわりと訪れる。出来立てのパンケーキから立ち上る卵と小麦の芳醇なデュエットが否応なく食欲のスイッチを深く押し込んだ。私のお腹が小さく鳴る。そう言えば朝から何も食べてないなあと、恐らく素材も調理も並ならぬ拘りを持って作り出されたのだろう黄金色のパンケーキを眺めながら思い耽った。
あぁ、なんだかレミリアさんが羨ましい。朝にコーヒーとパンケーキで一杯出来るなんて最高じゃないか。
「お手伝いできなくてすみません、出来上がった事に気付かなくて」
「いいわ。初めてのお客さんだから、私が運びたかったの」
白い食器に悠然と座するパンケーキがレミリアさんの前へと置かれる。二段重ねにされたふわふわ生地の頂点には、洋菓子の味を最大限に引き立てるバターがパンケーキの熱を受けて蕩けていた。
幽香さんはすかさず、私の収集した向日葵蜂蜜を取り出すと、滑らかな黄金の液体をケーキへ滴らせる。蜂蜜はバターと絡み合い、パンケーキから零れ落ちて白皿の底へクリーム色の湖を作った。真上から見下ろせば、丁度ひまわりが満開に咲き誇っているかのような印象を与えてくれる。
最後に幽香さんは蜂の巣の切れ端をパンケーキの上へ添え、ミルクソースでアクセントを加えると、満足気に柔らかく微笑んだ。
「はい、完成」
シンプルながらも王道で、それ故に他の追随を許さない蜂蜜とパンケーキの組み合わせ。そのコンビを主軸に演出された皿の上の芸術を前に、わぁ、と感動の色を含んだ声がレミリアさんから漏れ出した。
が、彼女は直ぐに咳払いをして腕を組み、鼻を鳴らす。
「ふ、ふんっ。東の下町出身妖怪の店にしては中々本格的じゃない。見た目は及第点ね。食べてやらない事も無いわ」
言葉の棘に反して翼はパタパタ。なんだか犬の尻尾みたいだ。言ったら多分殺されるので絶対に口にはしないけれど。
「ありがとう。コーヒーはここに置いておくわね」
「あ、うん」
「それじゃあ」
レミリアさんがナイフとフォークを手に取ると共に、幽香さんは対面座席へと腰かけた。
……いや、何してるんですか幽香さん。
「……何で前に座ってるの?」
「感想を聞きたいの」
「そんなにガン見されてたら凄く食べ辛いんだけど」
「じゃあお話しましょう。気が紛れるわ」
カクン、とレミリアさんの頭が落ち、帽子がズレた。幽香さんのマイペース振りには、流石の吸血鬼でも対処は難しいらしい。その気持ちはよく分かる。吸血鬼でさえこれなんだから、弱小妖怪の私なんてパニックを起こして当然だ。そう言い聞かせておこう。最近段々慣れつつあるだなんて意地でも認めてやるもんか。
「まぁ良いけど……。そう言えば、貴女とは宴会でもあまり話をした事が無かったわね。風見幽香」
「そう言えばそうねぇ」
「私は貴女の名前を知ってるけど、貴女は私を知ってるのかしら」
「もちろん」
「へえ。幻想郷で名高い四季のフラワーマスターにまで知れていると言うのは、流石私と言ったところなのかし」
「フィラリア・スカーレットさんよね」
「おい虫妖怪。ここの店長は客人を犬畜生の寄生虫呼ばわりするのが礼儀なのか?」
「ひぃっ!? すみませんすみません!!」
目からビームを出しそうなくらい鋭い双眼で睨まれた。と言うかなんで? なんで私が怒られるの? 幽香さんが選択を誤ったら全部私が責任を負う鬼畜仕様なの? 責任者追求制度の施行を要求します!
「? マラリアさんじゃないの?」
「レミリアよ! レ・ミ・リ・ア!! というかさっきからなんで病原体ばっかりチョイスしてんのよ!? せめて他に無いの他に!?」
「んー……可愛らしく蝙蝠さんじゃ駄目?」
「…………、」
「待ってくださいどうか落ち着いて本当ごめんなさいうちの店長ちょっとアレなんですそうです変なんです本当ごめんなさいだからお願いどうか妖力弾を撃たないでェえええ戦争になるううううう!!」
「じゃあ、デビルさん」
「幽香さん、お願い、本当もう黙って。これ以上は持ちませんってレミリアさんの腕凄い力なんです食い止められな」
「……まぁ、それなら良いわ」
「大妖怪が分からないッッ!!」
「あ?」
「誠に素晴らしく大変高貴な仇名かと」
畜生、接客なんて止めてやる。私は存在感の薄いお掃除係として過ごしていくんだ。ああでも私が接客しなかったら幽香さんが戦争へ発展させちゃいそうだし、接客すると巻き込まれるし、何このジレンマ。もうやだボイコットしたい。
……ボイコットしても笑顔で
「全く……咲夜から変わった妖怪とは聞いてたけれど、まさかここまで変な奴とは思わなかったわ」
行儀よくフォークとケーキナイフを手に取ると、レミリアさんはパンケーキをカットしていく。刃が生地に食い込むと、滲み込んだ蜜とバターがじゅわっと溢れてナイフを濡らした。それがまた、どうしようもなく食欲を掻き立てる。
ここまでの道のりが果てしなく長く感じたが、遂に実食の時が来た。
レミリアさんは小さく切り取ったパンケーキを、小さな口へと運ぶ。八重歯の覗く柔らかそうな唇が甘味を包み込み、頬張った。
「!」
パンケーキを味わった彼女の表情を、一体何と表現すれば良いだろう。生まれて初めてお菓子を口にした子供の様な、至福の甘みに身を震わせる少女の様な。兎に角、幼いながらも浮世離れした美しさを持つレミリアさんの顔貌が、幸せいっぱいと言った感じに綻んだ。もちろん翼もパタパタ。今まで以上に激しさを増している様に見えた。
しかし彼女は噂に漏れずプライドが高い様で、自分の頬が緩み切っていると悟った瞬間、ハッとした様に表情を引き締め直す。
「……厚めでしっかり味わった気分を堪能させつつも決してクドさを感じさせない生地。その舞台を彩るのは濃厚なバターとほんのり爽やかな蜂蜜。シンプルかつ王道的な組み合わせだけれど、それを武器として扱える程に昇華させた貴女の腕前は中々のものだわ、風見幽香。この私の舌を唸らせるとは大したも――――」
「あっ、コレは出来たてにソースを掛けてから五分が勝負なの。急がなくても良いけれど、このままだと一切れだけで一番美味しい時間を逃しちゃうわよ?」
「そ、それを先に言いなさいっ」
口調は慌てつつも、決して行儀を乱さないのは流石良い所のお嬢様と言ったところなのだろうか。彼女は冷静かつ速やかに、パンケーキを食べ進めていった。
元が小食なのか、小さな口を必死に動かしてモクモク食べる姿は何だか小動物を彷彿させる。今の彼女なら蝙蝠さんのネーミングも似合っているかもしれない。勿論、果物しか食べないフルーツコウモリ的な意味で。
「今何か失礼な事考えてなかったか?」
「滅相も無いです」
何でレミリアさんは私に手厳しいんだろう。遂には思考まで読まれてしまっている気がする。心頭滅却した方が無難だろうか。
「ふぅ、意外と量があるのね。いつも以上に食べちゃったわ、太っちゃうかも」
食べ始めた頃は完食できないかもと予想していたのだが、それに反してレミリアさんは見事完食してみせた。ちゃんとハチの巣まで平らげている。
「ああでも、コーヒーが残ってたわね」
「レミリアさん、苦しいなら無理しなくても大丈夫ですよ」
「ふん、舐めて貰っては困るわ。この程度ならまだお茶の子さいさいって奴よ、虫妖怪」
「リグルです」
「しかし、コーヒーねぇ……普段紅茶ばかりだから、何だか、うん。新鮮だわ」
そう言いつつ少し泳いだレミリアさんの目を見て、私は直観的に察してしまった。
彼女、もしかしなくてもブラックが飲めない。
あのパンケーキは、見ただけでも分かるがかなり甘めな仕上がりだ。それを喜々として口にしていたレミリアさんは甘党の気があるのだろう。そんな彼女に、コーヒーの苦味はキツいのかもしれない。
じゃあお砂糖を頼めばいいじゃないと思うのだけれど、多分頼む事はしないだろうし気を効かせて砂糖を持ってきても拒否するだろう。なにせ彼女はかなり見栄っ張りな性格だ。私の前で意識を高く持ってしまった以上、砂糖を入れるなんて真似はしない様に思える。多分。
そして予想通り、彼女は何も頼まずカップを手に取った。
「そ、それじゃあ、コホン。いざ、参る」
コーヒー片手にどこへ出陣するつもりだ。
「……っ」
もしかしたら吹き出してしまうかもしれない――そう思って布巾を取ろうかと動き始める直前だった。コーヒーを喉に通したレミリアさんは吹き出すどころか、驚きに目を丸くして黒い液体を覗き込むに留まっていた。苦悶の色は見られない。まるで予想に反して美味しかったと言わんばかりの反応だ。
「……苦くない。いや、苦いのだけれど、全然キツくないわ。それどころかほんのり甘くさえ感じる」
「バニラよ」
驚くレミリアさんへ回答を示す様に、幽香さんが春風の様にふわりとした声で言う。
「ほんの少しバニラを加えてみたの」
バニラと言えば、確かタバコや飲料、お菓子なんかに加えられているあの香味料だっけ。そうか、確かにそれならコーヒーとの相性も良さそうだ。特に苦味を不得手とする人には効果覿面だろう。
「バニラ……成程ね。甘いけれど甘くない、この不思議な香りの正体はそれだったって訳。凄い、何の苦も無く飲めちゃう」
「美味しい?」
「ええ、とても」
戦々恐々としていた先ほどの姿が嘘の様に、淑やかな笑顔でコーヒーを口にするレミリアさん。その姿は魅了で人間を虜にすると噂される吸血鬼らしく、とても優雅で思わず見惚れてしまう様な仕草だった。もっとも今は吸血鬼の行動時間とは大きく異なっている朝なのだけれど、突っ込むのは野暮ってものか。
「さっきまで本当に帰ってやろうかと思ってたけれど、これは見直したわ」
レミリアさんはここに来て初めて、素直な賛美の言葉を口にした。それは殆どの仕事をこなしていた幽香さんに対しての言葉だけれど、何故だか私も嬉しく感じてしまう。本当、何でだろう。私がやった事と言えば案内と戦争勃発の阻止くらいなのだけれど。
すっかりご機嫌になったレミリアさんは、また何かを頼もうとしたのか、再びメニュー表を手に取った。
「折角だから、もっと頼もうかな。お腹はいっぱいだからドリンク系に挑戦したいわね。じゃあ次はこの柑橘――――」
「お嬢様」
「ああ咲夜、丁度いい所に。貴女も食べて行きなさい、ここは当たりみたいよ――――って咲夜!?」
唐突、なんて次元の話では無かった。
気がついたらと言うか、何だろう。まるで最初からそこに居たとでも言うかのようにいきなり銀髪のメイドさんが姿を現した。紅魔館の咲夜さんだ。以前異変の時に会った事がある。確か瞬間移動みたいな技を使ってた気がする。今のも多分その応用か何かなのだろう。取り敢えずびっくりし過ぎて変な声が出た。
「探しましたよ。朝だと言うのにお部屋が開いておりましたから心配しましたわ」
「あのねぇ……昨晩伝えたじゃないの。新しく出来た店に行ってくるって。忘れちゃったの?」
「勿論覚えております。しかし、私はこう申し上げたはずです。済ませるべきお仕事はちゃんと済ませてから向かわれて下さいと」
「うっ……」
咲夜さんの冷ややかな視線と指摘に、一気に萎び始めるお嬢様。宿題をせずに遊びに行って怒られる子供の様に見える。
「賢者様との取引に必要な書類の数々や館の予算決済などなどなど、お嬢様のお仕事は山の様に残っていた筈ですわ。早くも済まされたのかと執務室を覗いてみたら、相変わらず書類でいっぱいでしたよ」
「うぐっ」
「まぁお仕事が残っているだけでしたら、今日中に仕上げて頂ければ構いませんから良いのです。咲夜がここまで来たのは妹様のご命令なのですわ」
「へっ、フランが? と言うかあの子起きてたの?」
「はい、昨晩美鈴を自室へ連れ込んで一晩中遊ばれていたそうです。ああそれと、『何で私を置いて一人だけお洒落なお店に行ってるの!? ずるいずるいずるい!! お土産持って帰らなかったらお姉様の大切なボトルシップ達に土詰めておくからねっ! 帰るの遅くても詰めるよ!』と伝言まで預かっております」
「ちょっ!? 何であの子が私のコレクションの在処を知ってるの!? しかも壊すんじゃなくて土詰めるとか陰険な嫌がらせ止めなさいよもーっ!」
「私に申されましても」
うがーっ! と頭を抱えるレミリアさんと澄まし顔で流す咲夜さん。なんだか長年の名コンビに見える。
さておき、どうでも良い事かもしれないけど突っ込みたい。咲夜さんの物真似が上手すぎると。
いや、レミリアさんの妹君には会った事が無いから実際どうなのか分からないのだけれど、多分そっくりだと思う。クオリティが高いと言えば良いのかな。声の音域が声帯を入れ替えたんじゃないかと疑ってしまうくらい変わったぞ。人間って凄い。
「こうしちゃいられないわ、早く帰ってコレクションの場所変えないと……っ! あ、お土産だったわね。幽香、何かテイクアウト出来る物はある?」
「パンケーキにも使った蜂蜜があるわ」
にっこり笑顔で、幽香さんが瓶入りの向日葵蜂蜜を取り出した。可愛らしいイラストが描かれた紙でラッピングまでされてある。幽香さんが描いたんだろうか。
「お代は結構よ。お客様一号記念」
「その好意、有り難く受け取らせてもらうわ」
「お礼は蛍さんに言って。あの子が作ったの。美味しいのよ」
矛先が私に向き、ぎょっとする。うう、辛口で接されてばかりだから目を合わせると委縮してしまう。
「…………あの蜂蜜、貴女が作ったの?」
「えっ? い、いや、正確には私じゃなくて私の頼みを聞いてくれた優しいミツバチさん達なんですけどね、あはははは」
因みに私と幽香さんが結んだ蜜蜂さんとの契約はこうだ。好きなだけ太陽の畑から蜜を取っても良しとし、更に快適な巣箱を用意する代わりに一部蜂蜜と巣を譲渡すること。それだけだ。蜂さん曰く幽香さんが手入れをする向日葵の蜜は質が良いらしいので快諾してくれた。フラワーマスター恐るべし。
よし、現実逃避できた。さぁどんな辛口コメントでもかかってこい。嘘、やっぱりお手柔らかくお願い。
「……美味しかったわ。良い仕事するじゃない」
「へっ」
「帰るわよ、咲夜」
「はい」
毒気も何もなくサラッと褒められて、一瞬何を言われたのか分からなくなってしまった。
掛けられた言葉を噛み締めていく内に、後からじわじわ嬉しさが込み上げて来た。うん、嬉しい。色々理不尽な目にあったけど、やっぱり褒められれば嬉しいものだ。単純なんて言ってはいけないぞ。
「リグル様」
不意に、咲夜さんが話しかけてきた――――と思ったら目の前に移動していた。心臓に悪いから止めて、パニック起こしそう。
咲夜さんは、何を思ったのか徐に私の耳元まで顔を近づけてきた。ふわりと、爽やかな香りが鼻を突く。
「もしや、お嬢様からキツく当たられたりしましたか?」
「えっ、いや……はい。少しだけ」
「申し訳ありません。それには訳があるんです。実はお嬢様、ああ見えて昆虫が大の苦手でして」
……え?
虫が苦手って、まさか、怖いとかそう言うアレなのだろうか。
もしかして……もしかしてなのだけれど、レミリアさんが私にキツく当たっていたのって、照れ隠しならぬ怯え隠しだったりするの?
「はい、その通りです」
超爽やかな笑顔で心を読まれた。瞬間移動が出来て読心まで可能だなんて、人間さん怖いよ。
「どうか気を悪くしないでください。お嬢様は少々幼気な部分がありまして……」
「咲夜! なに無駄話してるの、さっさと帰るわよ!」
レミリアさんに一喝され、困った笑顔を浮かべる咲夜さん。しかしどこか楽しそうだ。確かに、レミリアさんの本性を知った上で思い返すと、あの辛辣な態度もどこか憎めなく思えて来る。だからと言って刺々しく接して欲しい訳では無いぞ。
「邪魔したわね。また来てやらない事も無いわ」
「失礼致します」
余程『ぼとるしっぷ』なるものが大切なのだろう。レミリアさんと咲夜さんは、まさに嵐が過ぎ去っていくかのように店を後にした。
唯一のお客さんが帰ってしまったので、店に閑散とした空気が戻って来た。うーん、来店してた時は大変だったけど、いざ誰も居なくなると寂しく感じるのは何故だろう。
「お疲れ様。とっても助かったわ。私、どうも人付き合いが苦手みたいで」
「あはは、誰でも得手不得手ってあるものですよ。あっ、お皿洗って来ますね」
「流しに置いてて良いわ」
「えっ?」
「今から作るモノがあるから」
……何を作るつもりなんだろうか。今は私と幽香さん以外に誰も居ない。料理をする意味なんて無いはずだ。
相変わらずの不思議発言に疑問符を浮かべていると、幽香さんは真っ白なエプロンの帯を締め直し、
「お礼にパンケーキ作ってあげる。お腹、空いてるんでしょう?」
太陽の様な微笑みを浮かべて、厨房へと戻って行った。
……どうやらバレていたらしい。もしかしたらお腹の音を聞かれていたのだろうか。嬉しいやら、恥ずかしいやら、不思議な気持ちだ。
でも、あのパンケーキを作って貰えると言うので、私のテンションは鰻登りだったりする。レミリアさんとの時間が凄く濃かったせいで忘れていたけど、まだ今日は始まったばかりなのだ。パンケーキを食べて精一杯、自分に出来る事を頑張るとしよう。
「あっ、幽香さん! お皿お皿!」
言うまでも無いかもしれないけれど、向日葵パンケーキはほっぺが落ちそうになるくらい美味しかった。