真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK
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第025話 二つの軍団編⑦







 突然ぼとりと空から落ちてきた『それ』に最初に気づいた賊は、暗がりに落ちてきたそれを無警戒に拾い上げた。その警戒心のなさは賊ならではだったのだろう。その無警戒さの中でそれが人間の首であることに気づいた時、賊が上げた悲鳴は身も世もないものだった。

 賊が上げたのは何ら意味のない叫び声だったが、先日襲撃があったばかりである。団員の大声は『敵襲』と叫んだに等しい。声を聞いた全員が武器を持ち何事だと集まってくる。結果としてそれは首が落ちてきたというだけで襲撃そのものではなかったのだが、いくら発展途上の文明であっても天気によって人間の首が降ってくるということはない。

 そして落ち着きさえすれば賊たちにとって人間の首など見慣れたものだった。

 首の元の持ち主は先日の襲撃で恐れをなして逃げ出した連中の一人だった。いずれ見つければなます切りにでもするところであるが、今は追手を出す余裕もない。逃げたのならば放っておけば良いと廃砦に残った賊は逃げた連中のことを頭から消していたのだが、忘れ去られていたはずの人間は彼らが思いもしない形で戻ってきた。

 首だけになった元同僚に賊たちはいよいよ自分たちが追い詰められていることを感じ取った。

「聞け! クズども!」

 廃砦の賊たちが一か所に集まるのを待って、物見場に立った一刀は大声を上げた。見張りは既に打倒している。高い場所にいるのは一刀と、その護衛についてきたシャンと梨晏のみだ。

「この砦は包囲した。翌日の夜までに総攻撃をかける。命が惜しければ投降しろ。ただし、お前たちのお宝はすべて俺たちがもらい受ける。投降以外の手を選んだら皆殺しだ。何か質問はあるか!」

 一刀の問いに、賊たちは無言で返した。誰もがこの展開に追いつけず言葉を失っている中、考えるよりも先に行動をするタイプの賊はこそこそと物陰に移動し暗闇の中で矢を番えた。狙うのは口上を述べる一刀である。物陰から、一撃必殺を狙って放たれたその矢は、狙い通り一直線に一刀へと伸びていった。

 男は生き残った賊の中では弓の名手として知られていた。正規軍にでも所属していればそれなりの地位に就けたはずの腕であるが、それはあくまで凡人の中にいれば輝くというそんなレベルの話である。武として一刀個人の腕はいまだに大したものではなかったが、脇を固めるシャンと梨晏の腕は賊とは比較にならないくらいに高い物だった。

 護衛の一人であるシャンは男が物陰に移動したのも見えていたし、矢を番え一刀を狙っているのも見えていた。準備の段階で潰さなかったのは、攻撃があるようなら一度はやらせておけと一刀から指示があったためである。危機とは未然に潰すものだ。護衛の観点からするとその指示は堪ったものではなかったのだが、その方が効果があると言われては従わざるを得なかった。

 飛来した矢は一刀に当たる直前で、当たり前のようにシャンに掴まれた。自分を殺すはずだったその矢を見た一刀は内心、かなりびびっていたのだがそれを表には出さなかった。大将の動揺はすぐに下に伝わる。デンと構えるのが一番大事な仕事だと言われそれを実践できていた……というのであればかっこよかったのだが、単純に事態に思考が追い付いていなかっただけである。

 その間に、シャンは一刀を挟んで反対側にいる梨晏にその矢を放り投げ、梨晏は自分の強弓にその矢を番えた。
狙うのは今まさに一刀を狙った賊である。必殺のはずの一撃が年端もいかない少女に掴まれ唖然としている男の額に、その一瞬後梨晏の物となった矢は吸い込まれた。梨晏が使うものとは比べ物にならないくらいに粗悪な矢だったが、梨晏くらいの腕があればそれも問題にはならない。

 何より額を貫通するくらいの強さで矢を受ければ、矢の質に関わらず人間というのは死ぬものである。梨晏の矢を受けた賊が一矢で身体ごと吹っ飛ばされたのを見て、賊たちは上にいるのが自分たちが逆立ちしても勝てない連中であると理解した。

「改めて言うが投降以外の手を選んだら皆殺しだ。何か質問は?」
「投降したら命は助けてくれるのか?」
「官憲に引き渡す。その後のことは俺の関知するところじゃない」
「それじゃあ投降する意味がねえじゃねえか!?」

 こんな時代である。投降した賊に温情が与えられるということはほとんどない。賄賂でも出せるならば話は別だろうが、お宝を奪われるのであれば賊たちにはもう実弾がない。投降するのはほとんど死ぬのと同義だ。戦っても死ぬ。投降しても死ぬというのであれば少しでも旨味がある方を選ぼうというのが人間というものだ。

 この場合は一刀たちに投降しないという手段である。捕まった場合、順当に行けば間違いなく先はない。ならば生き残る可能性が少しでも高い方をと思うが現実として、逃走した人間は首だけになって転がっている。弓で射殺そうとした者はあっさりと返り討ちにされた。相手にはそれ相応の武力あるのだ。

 言葉を全て信じるのであれば、廃砦は既に包囲されている。逃げるのであればそれを突破しなければならない。流石に包囲した戦力全てが上にいるような手練れということはあるまいが、上の連中が騎兵を破った連中と繋がっているのであれば、兵力としての質もあちらの方が上であることが想像できる。

 百の言葉を重ねるよりも、一つの事実を突きつけた方が早い。これが一瞬後の自分となれば、如何に賊たちでも足を止めるには十分な理由だった。事実、射殺された男を最後に即座に反抗するものは出てきていない。目の前にいるのは手練れであっても、見えているのは中央にいる一刀を含めて三人。数を頼みに圧殺するには十分な数がまだ賊たちにはあったが、『敵は目の前にいるだけではない』という当たり前の事実が、死体を伴った交渉によって補強された。死の恐怖と自らの生存の可能性を意識した彼らは、突発的な行動に出ることはできない。

「とりあえず今死ななくても済むだろう。繰り返すが投降しなければ皆殺しだ。今死ぬか後で死ぬか、好きな方を選ぶと良い」

 そこで、更に主張を展開する。今死ぬのも後で死ぬも結局死ぬならば大した違いはないが。今死ぬよりはと希望を抱かせることで、意味のない問答に価値を見出させる。一刀の望みは彼らが問いに対して答えを出すことではなく、その問いを考え続けることだ。欲を言えば、集団としての結論は出ない方が良い。その方が自分たちにとって遥かに安全で、簡単だからだ。

「投降を選ぶのであれば、正門から両手を頭の上に挙げて、何も持たずに出てこい。それ以外の場所、方法で外に出てきた者は、敵意ありとみなして殺す。宝を持ち出しても殺す。いいか、決まり事は厳守しろ。それがこの場で殺されないための、唯一の方法だ」

 一刀は、賊たちに背を向けた。そろそろ夜明けが近い。周囲に人影は見えないが、団の仲間と関羽たちは陣を引き払い、全員で前進している。元直と程立の部隊が時間的に位置についていないため、包囲はまだ完了していないが、臨戦態勢には違いない。

 被害が出ることを厭わなければ、現時点で総攻撃をしても賊を殲滅できるだろうが、そういう手段を一刀は取らなかった。最大目標は、可能な限り多くの賊を無力化すること。そのための準備はまだ済んでいなかった。

「猶予は一晩だ。明朝、また来る。それまでに結論を出せ。それまでに廃砦の外に出たものは、どういう意図であろうと殺す」

 言って、一刀は物見場を飛び降りる。これで自分一人で着地し、颯爽と駆け出すことができれば恰好もついたのだが、先に着地したシャンが一刀の身体を受け止めた。上る分には一人でもできるが、過程を一足飛びにした飛び降りは一刀程度の身体能力であると負担になるのである。二階建て家屋の屋根というのは、一般人が気軽に飛び降りることのできる高さではないのだ。

 これで、作戦の第一段階が完了した。砦に火をつける手はずも大方済んでいる。一刀がシャンたちを侍らせ悪役を決めている間に、馬やら何やらを使った団員たちが、放火に必要な道具を近くまで運んでいたのである。いざ火をつけるまでにはまたセッティングをする必要はあるが、武装解除せずに姿を見せたら殺すと脅しをかけておいた。

 不用意に外を見に来る人間はそういないだろうし、いたとしても梨晏の弓で排除できる。計画を実行するまで射殺役の梨晏と、彼女に次いで弓の上手い関羽には負担をかけることになってしまうが、逃走者を捕獲するために出払った元直と程立が配置につくまでまだ時間がある。足並みが揃い、時間がくれば計画実行だ。

「貴殿も悪役が板についてきましたね」
「あまり嬉しくはないけどな。さて……これで翌朝まで外に出ないでくれるかな?」
「それが生存の猶予となれば彼らは時間一杯を使うでしょう。命が安い連中であれば尚更です」
「それなら重畳だ。それじゃあ皆、後は計画の通りに。休む奴はしっかり休んでくれよ」

 既に一刀隊は砦から視認できるところまで移動している。この辺りに他に建造物を始め遮蔽物はないため、身体全てを晒さないまでも、顔を覗かせれば確認できるはずだ。砦を包囲するように動いているが、その包囲も完全ではない。出払った程立と元直の部隊が合流してもまだ心許ないくらいであるが、砦に火がついた状況を加味すれば、ギリギリこれでも行けるというのが軍師たちの判断である。

 彼女らに比べて知識や経験で劣る一刀にはまだ不安が残るが、軍師が大丈夫と言っているのだから大丈夫なのだろうと思うことにした。こと作戦を実行する段階になれば、大将役にできることは少ない、デンと構えているのが仕事だと言われれば、心に不安があってもデンと構えるのが一刀の役目だ。

 一刀たちの混成部隊は、現在五つに分けられている。一刀のいる部隊を本隊とし、関羽と張飛を隊長とした部隊を二つ。それから賊の逃走経路を押さえていた元直と程立の部隊で五つである。現代ほど通信技術が発達していない現状では、リアルタイムでのやり取りなど望むべくもない。

 緊急時の連絡手段を決めた上で、タイムテーブルに従って行動している。特に予定の変更がなければ、日が沈むまでに配置に就き、本隊が動いたのに合わせて行動を起こす手筈となっている。細かい調整は必要であるものの、全ての部隊に軍師が一人ずつ配置されているため、臨機応変な対応は彼女らに一任されている。

 一刀の本隊には郭嘉が残ったという訳だ。関羽の部隊には諸葛亮――本人である――が配置され、張飛の所には鳳統が配置されることになった。全ての部隊に一流の軍師が配置できるという、規模の割りに軍師過多な集団の頼もしさである。

 そうして、何事もなく時間は過ぎ、日没前になる。その間一刀たちは交代で休みを取りきちんと食事も済ませた。士気の面でも体調の面でも現状考えうる限り最高の状態である。賊の方は生きた心地のしない夜を過ごしただろうが、それも一刀の望むところだ。

「日頃の行いが良いのかな」

 見上げる空には、雲一つない。日はゆっくりと沈み夜の帳は下りた。星と月の光はあり足元を照らしているものの、現代育ちの一刀には、この時代の夜の闇はまさに闇である。その闇を照らすための松明は、既に背後にある。ここから動いていない、ということを誤認させるために、展開した全ての部隊が多めに松明を設置し、それを残してゆっくりと前方に移動している。

 廃砦の上にも松明はともされているが、物見の人間は出ていないようである。実際、物見場に武装を解除しないで上った人間がいたのだが、姿を見せた瞬間に、梨晏に射殺された。余計なことをすると殺されると悟った賊たちは鳴りを潜め、今は自分たちの今後について激論を交わしている。

 仮に宣告した期限まで待ったとしても、全会一致の結論は出ないだろうと一刀たちは踏んでいる。大筋として投降という形には落ち着くだろうが、あらゆる欲を捨てきれないからこそ、彼らは賊に身を落としているのだ。刻限が来るまで、彼らは意味のない会議をずっと続けるのだ。

 それをこれから襲うのである。我ながら卑怯だと思うが、背に腹は代えられない。敵と仲間の命であれば、仲間の命を取る。この世界にやってきて、一刀の優先順位は現代で暮らしていた頃よりも遥かに明確になっている。これから人を殺すという罪悪感はいまだに消えないが、だからこそ正しい道を選べるのだと自分を騙せるようにもなった。

 これは必要な戦いである。自分に言い聞かせるように心中で唱えながら、一刀は腕を振り上げる。一刀隊の中でも工作が得意な人間が廃砦に取り付き、放火の最終準備も済ませている。後は自分が腕を振り下ろすだけで火矢が射かけられ、廃砦は炎に包まれるだろう。

 それが、軍師たちの決めた開戦の合図である。これから人が死ぬ。それを強く認識した一刀は大きく息を吸い、そして腕を振り下ろした。号令はない。ただ、一刀の合図を見た梨晏は、一気に火矢を撃ちまくった。設えられた油類に火がつき、廃砦に燃え広がる。周囲に炎が見える段になって、流石に賊たちも気が付いた。

 小火ではない。明らかな敵方の手による現象に、命の危機が迫った彼らは即座に謀られたのだと察する。各々が武器を取り、火が回らない内にと廃砦の外に飛び出すが、廃砦から出てきた瞬間、梨晏の矢に射殺される。

 廃砦は所々が崩れており、どこが正面というのもないのだが、一刀たちが受け持っている南側の出入り口を賊たちは正面と捉えているようで、それはこの非常時においても同じだった。他の出入り口と比べて多くの人間が飛び出してくるが、その賊たちにただひたすらに梨晏は矢を射かけていく。

 一矢一殺。それはもはや必殺と言っても良い手際だったが、流石に弓の名手でも動きの速さに限界がある。射殺すよりも廃砦から出てくる人間の方が多くなってくると、生き残った連中は纏まることはなく好き勝手に逃走を開始する。

 こうなると、梨晏でも手は出せない。出てくる場所が限定されるなら照準する時間は限りなくゼロにすることはできるが、的が散ってしまうとそれも限度がある。それでも梨晏は矢を放つのを止めない。それが仲間の安全を最も高めることを、彼女自身が知っているからだ。

 同じ射殺係である関羽の十倍を超える量の矢が、梨晏の元には準備されている。それが尽きるまで一刀隊の安全は半ば保証されたようなものだった。それにしても、と思う。夜の闇の中、敵味方入り乱れて戦っているのに味方を避けて正確に敵だけを射抜いていく梨晏の弓の腕には感服するばかりである。

 一刀隊の面々も梨晏の弓の腕に慣れてしまっているため、背中を誤射されるかもなど考えもしない。好きな風に動いて好きな様に戦っていると、梨晏の矢が敵を射殺しているのである。ある意味こんな簡単な戦いもない。信頼のおける援護がある上に、一刀たちは普段から連携を重視した訓練をしている。

 命からがら逃げてきて、しかも個々で戦う賊と、準備に準備を重ねて策に沿って行動し、十分以上の援護をもらって集団で戦う一刀団では勝負の趨勢は明らかだった。

 絵に描いたような一方的な戦いを続けていると、燃える廃砦の中から飛び出してくる人間も皆無になった。生きて居る人間は殺しつくしたか捕虜にしたのだろうか。それにしては数が少ないと一刀は思った。軍師たちの試算では一刀たちの受け持ちはまだ三、四十はあったはずなのだが、予定はあくまで予定である。

 実際は、他の出入り口から出る人間が多かったということなのだろう。賊が出なくなってからしばらく待って、もういないと判断した一刀は梨晏の援護を終了させ、郭嘉の待つ隊の本営に走らせた。散ってしまった隊を集めて被害状況を確認。後は他の隊に伝令を、と考えた所でまだ燃える廃砦から飛び出す影があった。

「撃つな! 撃つな!」

 両手を頭の上にあげ、大声を出しながら廃砦から一人、走り出てくる。薄汚れた装いであるが声は高い。性別不詳だが男であれば声変わりもしていない年齢ということになる。遠目には少年に見える。射殺役の梨晏は今は離れた場所にいるが、それを相手が知る手段はない。

 兵たちは一刀を守るように展開し、正面にはシャンが立つ。暗闇の中でもシャンの大斧の存在感は凄まじい。大斧から手を離さないシャンを横目に見ながら、走ってきた人影は一刀の前に立った。煤で薄汚れてはいるが悪い身なりではない。町中ですれ違えば、中流の人間とは判断されるだろう。少なくとも田舎者と判断されないだけの雰囲気がある。

 若干癖のある薄紫色の髪は無造作に伸ばされ、首の後ろで一つにくくられている。まともな恰好をすれば、女子が放っておかないだろう美男子ぶりだったが、全身の汚れとへらへらと笑いながら両手を挙げている様がその持前の要素を台無しにしていた。

 全身を眺めて、一刀は頷く。直感的に気づいたことはとりあえず置いておくとして、この人物は見た目からしてどう見ても賊の関係者ではない。

「どこの誰か聞いても良いですか?」
「あんたらと同じ人間に雇われた、って言っても簡単には信じてくれないよな?」
「そうですね。俺たちはそういう話は聞いていません。詳しく事情を聞かせてもらっても良いでしょうか」

 込み入った話になると判断した兵たちは、一刀に視線で許可を取って一刀たちから距離を開けた。護衛はシャン一人になるが、それで十分と判断したのだ。兵たちが離れるのを待って、人影は話し始める。

 商人たちも一刀たちが得た物の『一部』を民に放出して回るということは十分に理解していた。回収できるなら良しと諦めれば良い物が大半ではあったが、中にはそうでないものも紛れ込んでいるおり、一刀たちはそれを任せるには信頼できない。そこで目端の利く人間を送りこみ、可能なようであればその回収をするよう依頼があったという訳だ。

「なら俺たちに一声かけてくれてくれても良かったんじゃありませんか?」
「民のために頑張ってますって顔してる人間に、自分本位なお願いはできないもんさ。兄さんたちが名誉とかそういうのを気にするように、商人にだって気にすべき評判ってものがあるのさ」
「確かにクソ野郎と評判の人間から商品は買いたくないものですが……」
「ところでさ、兄さん。あんたいつもこんなにバカっ丁寧なのかい? 俺みたいなのにそうしても、良いことないぜ?」
「そうですか? でもまぁ、年上の女性には丁寧に接しておいて損はないかと思って」

 一刀の言葉に、人影は一瞬動きを止めた。それは演技をすると決めたら貫き通す『彼女』にとっては実に久しぶりの現場での失点だった。眼前の人物のその様子を見て、一刀は気まずそうに言う。

「…………もしかして、言わない方が良かったですか?」
「何も言わないでくれていたら、お互い笑顔で別れられたのですけどね……」

 口調が少年のそれから女性のものに変化すると、雰囲気までががらりと変わった。先ほどまで少年のようにしか見えなかったのに、今ではどうみても女性と感じられる。最初から気づいていた一刀は驚きもしないが、完全に男性だと思っていたシャンは、その変化に目を丸くしていた。

「貴女には会わなかったことにしますよ。俺たちの仕事は盗賊の殲滅であって、奪われた品物の回収はただの努力目標なので」
「沢山回収すれば、お金持ちの方々の覚えが良くなるのでは?」
「そこは別の手段で何とかします。貴女を捕らえて考えるというのも手ではありますけど、かわいい仲間を危険に晒す訳にもいかないので」

 一刀の物言いに、女性はくすりと小さく笑みを浮かべた。一刀の物差しではこの女性は自分よりも遥かに強いとしか感じられない。射殺係の梨晏は郭嘉の方に合流しているため、弓の援護もすぐには期待できない。実際に戦ってシャンが遅れを取るとも思えなかったが、無駄に危険な橋を渡ることもないだろう。

「見逃していただけるようなので、私はこの辺で。縁があればまたお会いすることもあるでしょう」
「名前を聞いて良いでしょうか?」
「それは再会した時の楽しみにしておきましょう。さようなら、北郷一刀さん」

 ゆらり、と女性は身体を傾げると、細身の体に似合わない速度で駆けだしていった。その背を見ながらシャンが得物に手をかけるが、一刀はそれを制止する。今ならば無力化できる。そう判断したからこそシャンは攻撃しようとしたのだろうが、雇い主が同じという彼女の言葉が本当であれば、一応味方ということになる。

 それが本当である保証はどこにもないが、とりあえず一刀は彼女を信じることにした。

「あの人、どうして俺の名前を知ってたんだと思う?」
「そうじゃない可能性も十分にあるけど、依頼人に聞いたんだと思う。さっきの人は結構強いし、ある程度のお金持ちに雇われたと考える方が自然」
「国が送り込んできたということはないかな?」
「それはないでしょう」

 戦闘が引けたのを見て、梨晏とその部下と一緒にやってきた郭嘉が言った。既に他の四部隊にも伝令を走らせており、砦攻めは終結に向かおうとしている。残っているのは戦後処理だが、それは他の四部隊が合流してからになるだろう。明確に撃ち漏らしがあるのであれば、その分の戦力も出さなければならない。終局に向かってこそいるが、まだ終わってはいないのだ。

「貴殿の態度と話の流れを察するに、私に内緒にしたいことがあったようですが、無駄に終わりましたね」
「俺が郭嘉に隠し事をするはずないだろ?」
「ダメな男は皆、女にそういうことを言うんですよ」

 頭痛を堪えるような仕草をして、郭嘉は深々と溜息を漏らした。郭嘉の陰から心配そうな顔で覗いていた鳳統と視線が合うと、彼女はぶんぶんと勢いよく首を横に振った。そんなことはないと全身で主張してくれる鳳統に心が温まっていると、梨晏が無言で頭を差し出してきた。

 撫でれー褒めれーと無言で主張する生意気な頭を脇に抱えてぐりぐりすると、梨晏はきゃーと悲鳴を上げた。少女らしいところもたまにあるのに肝心なところは少年なのだ。身体つきではシャンも大差はないのだが、奇抜な恰好をしていること以外は普通に女の子している。

 梨晏が美少女であることを否定はしないが、扱いは妹分というよりも弟分の方が近い。これで大丈夫なのかなと思いつつも、弟妹のいなかった一刀にとって梨晏との距離感というのは気持ちの良いものだった。

「できることなら全く関与させずに終了と行きたいところではありましたが、流石に個人と集団では個人の方が足が速いですね」
「介入は予想できてたってことか?」
「全員一致の見解でした。詳らかにしたところで支障しかないので、これまで伏せていましたが」
「それまたどうして」
「目立つ所に現れるのでなければ、知らないままでいてほしかったのですよ。どういう事情であれ『貴方の手の者の邪魔をしました』と態度や言葉に出るようでは、我々の利益にはなりませんからね」
「さっきの人が俺の目の前に現れたのは予想外ってことか?」
「我々が包囲している中、気付かれずに廃砦に取り付き仕事を達成した手腕を見るに、気付かれずに外に出ることは十分に可能だったことでしょう。にも関わらず貴殿の前に姿を現したのですから、それは彼なりの意図があったと考えるのが自然です」

 郭嘉の言葉に、一刀は努めて表情を消さなければならなかった。どうやら郭嘉は、彼が彼女だとは気付いていない様子である。

「優秀な人間には違いないでしょう。集団の規模が大きくなれば、いずれ草の者を使う必要も出てきます。信頼のおける人間には、今から唾を付けておくのも悪いことではありませんよ」
「草の者ねぇ……」

 随分時代がかった集団が出てきたものだが、現代と比較にならないくらいに通信技術が遅れているこの世界においては、情報の精度は文字通り生死を分けるものである。郭嘉もことあるごとに重要性を説いてはいるのだが、中々前には進んでいない。

 一刀団の中でも、向いていそうな人間を情報収集専門に当てようと画策しているのだが、色々な技術を持った人間が集まる一刀団にも、殺しや潜入工作が本職同等という人間はいなかった。専門の人間を作るにしても、完全に手探りの状態で始めることになる。

 最低、一人は専門技術を修めた人間が必要になるが、それは信頼のおける人間でなければならない。ただ戦えれば良い人間と違って、募集要項そのものが厳しいのだった。

「草の者のことはとりあえず置いておきましょう。まずは事後処理が先決です。関羽殿、張飛殿からは伝令が戻ってきました。視界に入った人間は全て討ち果たすか捕虜にしたということで、これから合流するとのことです」
「後は程立と元直の所か。伝令が来るまで待つか?」
「検分を急ぎましょう。中にまだ賊がいるかもしれませんから」

 ほどなくして、関羽、張飛とも合流し廃砦に向かう。廃砦はまだ燃えていたが、火の勢いは既に衰えていた。消火作業を急ぎつつ、周囲の警戒には一応張飛本人とその部隊を使うことにした。手ごたえがなさ過ぎて暴れ足りないらしい。

 行くのだ―! と馬で走り去る張飛を見送り、概ね消火の済んだ廃砦の中に足を踏み入れる。炎の燻る中に転がっていたのは無数の死体だった。焼け焦げた死体を見ながら外に出てきた人間が思っていた以上に少なかった原因はこれだったのだと理解する。逃げることよりもまず宝を優先した人間は全て、『彼女』にやられてしまったのだろう。争った形跡がほとんど見られないのを見るに、やはり一方的な戦いだったのだ。

 死体をいくつかひっくり返した関羽が検分を始めていた。流石にこの時代の人間か、焼死体にも嫌な顔一つしない。

「……どうやら殺された後に炎に巻かれたようですね。どの死体も喉を一掻きで殺されています。この人数となると中々の手練れですが、同士討ちとは思えません」
「俺たち以外に侵入者がいたってことでしょうか」

 勿論、その人物には心当たりがあったが、それを口にはしなかった。郭嘉以下、一刀団の人間は全員黙っている。示しを合わせた訳ではないが、さっきのことは秘密にするというのが一刀団の認識だった。

「そう考えるのが自然でしょう。私たちに歩調を合わせているということは同じ依頼主か、あるいはその対抗馬の横槍か。色々と考えられることはありますが、今は置いておきましょう。ここに死体しかないというのであれば、回収できるものを回収し、撤収することを提案しますが、いかがでしょうか」
「全面的に同意します。俺もそろそろ、街で美味い物でも食いたいです」

 この世界にも随分慣れたものだが、元々一刀は現代育ちである。風呂は毎日入るものだったし、生活は規則的。食事も基本的に三食取っていて、しかも特別肉体労働などしたこともなかった。集団での行動は楽しいし勉強にもなるが、それが長い期間になるとやはり街暮らしが恋しくなってくる。

 これには早く慣れないとなと思いながらも、清潔な環境での生活への渇望は中々収まらないのだった。

 それから捕虜を引きずり回し宝の回収に着手する。『彼女』が持ち出したのか捕虜の話よりも目減りしていたが、それは捕虜の勘違いということで強引に押し通し、撤収の準備を始める。周辺の警戒を終えた全ての部隊が合流し、廃砦の周辺には一刀団と関羽団、全ての兵力が集まっている。

「一区切りついたということで、前々から聞きたかったことがあるのですがよろしいですか?」

 撤収の陣頭指揮を程立に任せ回収した品物の簡単な目録作りをしていた所、同じ作業に従事していた関羽が何でもないことのように言った。

「構いませんよ。答えられることでしたら何でもお答えします」
「そうですか。それでは――」









「諸葛亮殿と鳳統殿は、どうして名前を入れ替えているのですか?」