真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第027話 反菫卓連合軍 合流編①

 

 

「今までお世話になりました、北郷殿」

「こちらこそ。一緒に仕事ができて光栄でした」

 

 男性から差し出された手を一刀は笑顔で握り返した。自分の親よりも大分年上であるこの男性は、周辺一帯の商人の顔役であり、一刀団への依頼をまとめて発注する役割を持った人間だった。

 

 何しろこの年齢差である。当初は関羽団のおまけと考えられていた節もあり、ただ握手をするのも難儀したものだったが、この半年で積み上げた物は一刀と男性との間に確かな信頼関係を生み出した。最初は郭嘉を伴っていた訪いも、今では一刀一人でどうにかこなせている。

 

 彼のおかげで一刀たちも大分儲けさせてもらい、名前も売ることができた。兵は期待していた程は集まらなかったが、安心安全に仕事ができたことに一刀は深い感謝を憶えていた。

 

 それだけに、この地を離れることが聊か心苦しい。一刀団の穴を埋めるために商人たちも自前の戦力を整えつつあるが、それはまだ完了していなかった。治安維持の面で一刀団全てがこの地から消えるのは、好ましいこととは言えないだろうが、この地を離れるというのは予め伝えておいたことであり、これ以上遅らせると『間に合わない』というのは、男性を始め他の商人たちも理解していた。どちらも断腸の思いではあるのだ。

 

「ところで北郷殿は、どの旗に身を寄せるのかお決めになりましたかな?」

「孫の旗、ということになるでしょうね」

「それが宜しいかと存じます。大将の孫堅殿は気風の良い方と聞いております。信賞必罰は徹底しているとも聞きますし、立身出世を目指すのであれば申し分のない方かと」

 

 ふむ、と一刀は小さく息を吐いた。事前に水鏡女学院の情報網を使って調べてもらったが、草が持ってきた人物評価も彼と大して変わりなかった。耳の早い商人も同じ意見なのだから、孫堅というのはそれなりに信用の置ける人物なのだろう。

 

 誰に聞いても『気性が荒い』という答えが返ってくるのが問題と言えば問題だったが、それはどこも似たようなものであると一刀も諦めている。現代の日本よりも遥かに、人間の命が軽い世界なのだ。

 

「まずは目の前の戦を乗り切らねばなりません。厳しい戦いになるでしょうが、これを乗り越えることができれば私の道も大きく開けることでしょう」

「立身出世の暁には、是非ともこの簡雍をお忘れなく」

 

 人好きのする笑みを浮かべながらも、男性は自分を売り込むことも忘れなかった。抜け目のない男だが、憎み切れない愛敬がある。顔役になる訳だなと、一刀は素直に感心していた。

 

「妓楼にお連れできなかったのが心残りですな。あの二輪車は是非とも北郷殿に味わっていただきたかったのですが……」

「全くもって名残惜しい……と、俺が言っていたことは内密にお願いします」

「解っておりますよ。男同士の秘密という奴ですな」

 

 助かります、と答えると彼は大きな声を上げて笑った。大商人である彼は所帯を持ち、愛人も数人囲っていて妓楼にも足繁く通っている。女遊びの派手な男だが、それで身持ちを崩したりはしていなかった。分相応に遊んでいるというのが彼自身の言葉だが、この世界の常識的に考えてそれが普通であるのかどうか一刀にはよく解らない。

 

 順当に出世を重ねていけば、一刀もいつかは彼と同じくらいの権力なり財力なりを持つ時が来るはずであるが、

彼のように女遊びをしている自分というのを、一刀は想像できないでいた。

 

 北郷一刀も一応年頃の男性であるから、酒池肉林を夢見たりもする。幹部が皆女性ばかりであることから、新しく入ってきた団員などは全員、一刀の愛人だと思っている節がある。そうであったらどんなにか……と思ったのは一度や二度ではない。一向にそういう未来が訪れる気配がないことに、一刀は一抹の寂しさも覚えていた。

 

 高い自制心を持っていると言えば聞こえは良いのだろうが、男としての技量不足であると指摘することもできる。簡雍などに言わせればそういうことは経験で、場数を踏まないとどうにもならないものだとのことだが、一刀はその経験を積めずにいた。

 

 ままならないものである。権力者というのが皆自分と同じように禁欲的であれば、もっと世の中は良くなっているような気がするが、世間というのは一刀が想像している以上に自制がなく、無軌道だった。ともすれば自分は世間の基準よりも遥かに禁欲的な生活をしているのではないか。遅まきながら、ようやく一刀はそのことに気付いた。

 

 とは言え、気付いたところでどうしようもない。しなければならないことは山ほどある。今すぐ自由にできる大金が舞い込んだとしても、それを使う時間がないのだ。周囲に美少女ばかりというのに嘆かわしい話である。

 

「先生方にも何か深いお考えがあってのことでしょう。いつか道も開けます」

「そうあることを祈ってます。男として」

 

 しみじみとしたその言葉が、簡雍との実質的な別れの挨拶となった。

 

 そして、出立の日。多くの人に見送られて一刀団は拠点としていた街を出発した。団員の総数は五百を超えている。結成した時から比べれば倍以上、関羽と共に戦った時から二百程増えた計算だ。欲を言えばもう少し欲しいところではあったのだが、世の英傑たちのように出自の派手さや過去の実績がないところから始めたらこんなものだろうと、無理やり割り切ることにした。

 

 その分、兵の質は規模の割には上等なものとなっている。従軍経験者は少ないが、中核を担う初期のメンバーは盗賊生活をしぶとく生き残った連中だ。正面からぶち当たることは苦手としているものの、自分たちがそうしてきたこともあり絡め手には滅法強く、軍師の提案する作戦も異論を挟まずに良く従っている。

 

 年若い少女があれこれ指示を出すことを面白くないと思う人間もいるようだが、最初からいる人間が黙って従っているために、後から入ってきた人間もそれに追従する形である。命令系統について特に問題が起きていないのは、初期メンバーの働きが大きかった。

 

 そんな風に貢献している初期メンバーであるが、後から入ってきた連中と待遇の面での差はほとんど存在しない。

 

 一刀団の『給料』は同業他社に比べて圧倒的に高い。団の収入に関わらず、一定の金額が給与として全団員に支払われ、役職に応じた手当がそれに加算される。ヒラ兵士ならその金額のみで、現代で言う所の下士官や幹部クラスにはそれに応じた手当がつくというシステムだ。

 

 ここまでであれば、団長である一刀が一番手取りが多く次いで幹部、その次に士官下士官と続くのだが、一刀団はここにさらに危険手当だの出動手当だのという諸々の手当が加算され、盗賊のお宝を売っぱらった時などは経費を抜いた後、それを人数で頭割りしたものが臨時ボーナスとして団員に振舞われる。

 

 このため例えば、幹部である郭嘉よりも実働部隊として働き危険な仕事を行い部下の面倒も見ている廖化の方が収入が高いこともある。その事実に何より驚いたのは当の廖化だった。賊暮らしの長い面々にとって、幹部連中の取り分が多いというのは、水は低きに流れるというくらいに当たり前のことだった。

 

 これらの支払は全て団の帳簿に記載されており希望すれば給与明細まで発行されるのだが、毎日の訓練の後に必ず読み書き計算の勉強をし、識字率が地味に高い一刀団でも給与の度に明細を要求する人間はかなりの少数派だ。発行は基本的に今後の計算の教材として用いられる仮入団明けの最初の一回に留まっている。

 

 ほとんどの団員は細かな手当を全て把握していないが、より危険なことをしたり、より働いたりすればその分給料が上乗せされる、というざっくりとした解釈で日々労働及び、調練に励んでいた。

 

 そんな給与体制は一刀団が活躍するにつれて広まり、希望者は殺到した。腕に覚えのある者から食い詰め者、老若様々な人間が一刀団の門を叩いた。その全てを受け入れていたら一刀団の規模は今の倍以上に膨れ上がっていただろうが、一刀たち幹部は入団希望者に厳しめの審査を課すことにした。

 

 それでもよほど問題のある人間でない限り、門前払いにはしなかった。やってきた人間はまず仮採用とし、団でやっているものよりも少し甘めの、それでも世間的には十分厳しい調練を受けさせた。体力的についていけないようであればそれで仮入団で終了。最後までついていけてもその間の審査で問題があるようであれば不合格。最低限の体力と根性、それから郭嘉たちの審査を突破して初めて、一刀団への入団が叶うのである。

 

 ちなみに仮入団で脱落した人間にも、その間の給料はきちんと支払ったし、十分な食事も取らせていた。結果不採用ということになっても、彼らは地元に戻って良い評判を勝手に広めてくれる。変則的な広報だと思えば出費も惜しくはない。

 

 そうして名声を広めたことが、別れを惜しむ人間の多さに繋がった。自分たちのやってきたことが間違っていなかったことの証明でもある、彼らの声の大きさに後ろ髪をひかれながらも、一刀たちは馬を進めて、一路孫呉軍の後を追い始めた。

 

 孫呉軍は拠点である揚州から袁術軍に遅れて出発。徴兵を行いながら北上中である。連合軍に到着するよりも先に追いつかなければならないため、一刀団の出立は孫呉軍の日程に合わせて組まれていた。遠方の情報を仕入れることに当初は難儀していたものだが、水鏡女学院の情報網の一端に組み込まれたことで、その一部を使えるようになった。

 

 定期的に現れる連絡員にこの情報が欲しいと言えば、よほど深い情報でない限りは回してくれる。一刀たち自身が有力な情報を持っている訳ではないために、調査の依頼は後回しにされがちだが、間借りさせてもらっている身で文句も言えない。この規模の集団で元手もかけずに情報を集められるのだから、扱いとしては破格と言っても良いだろう。

 

 それら情報を加味した上で、身を寄せるに当たり孫呉軍を選んだのは消去法だった。兵数の関係で将として扱われることのない一刀たちは、連合軍における後ろ盾を欲していた。寄らば大樹の陰ということで候補は最初から数人に絞られていたが、最後まで候補に残ったのが、曹操と孫堅である。

 

 その後を考えた場合、より独立を後押ししてくれそうな人間ということで孫堅となった。曹操は人材マニアとして知られており、自軍に引き入れるためには中々強引な手を取ることがあるという噂だ。調査の結果事実無根であると解っているものの、軍師一人を引き入れるのに屋敷に火を放ったという噂が真実味を帯びて語られているのを聞くに、曹操の人間性が伺える。

 

 もっとも、孫堅に何も問題がないかと言われればそうでもない。

 

 曹操や袁紹など、現在活躍している諸侯よりも一つ二つ上の世代であり、同時期に活躍した武将としては、馬騰や陶謙などが知られている。その二人は病に臥せり現役を退いているが、孫堅はまだまだ現役であり、気性の荒い孫呉軍を纏めている。

 

 既に娘が三人おり、一番上の娘である孫策が孫堅の副官として収まっている。その親友である周瑜は希代の軍師として知られており、後進の育成にも余念がない。軍団の総合力は、帝国の中でも最上級とも言える孫呉軍であるが、誰が見ても解るくらいの大きな問題を一つだけ抱えていた。

 

 袁術に頭を押さえられているのだ。一番下の娘である孫尚香が人質のような扱いをされている。兵の数も質も制限されている。いつか反旗を翻そうと思っているのは誰の目にも明らかだが、それを袁術軍の張勲が上手く調整している。袁術軍は規模こそ大きいが、兵士の質はそれ程でもない。それでも兵数で勝る袁紹軍に袁術軍が伍することができるのは、一重に孫堅を飼い殺していることによるものだ。

 

 自前の戦力を持ちにくいからこそ、これから大きな戦があるという今の時期になっても孫呉軍は広く兵を募集しているのだ。新兵だろうと戦力には違いないのだが、頭を押さえ過ぎると戦力として機能しなくなる。孫堅が死ねば袁術軍とて沈むしかないのだ。張勲としてはこれが最大限の譲歩なのだろう。

 

 その受け入れた新兵を調練しながら、孫呉軍は進んでいる。調練を受け持っているのは主に孫堅で、新兵にするのとは思えない厳しい調練を課しており、何人も死者が出ている。それでも兵の受け入れが続いていて、希望者が後を断たないのは、身分に関係なく人間を受け入れて、更に金払いが良いからだ。

 

 他の集団は孫呉軍のように今さら新兵を受け入れたりはしていない。腕に覚えのある人間、身を立てようとする人間にとって、これが一つの区切りだ。一刀たちからすればライバルとなる訳だが、流石に集団として活動し、調練まで積んでいた一刀たちは、事実として新兵の中では群を抜いている。

 

 懸念は余分な戦力を押し付けられないかであるが、その辺りは会って交渉するより他はない。他よりも使える自信はあるが、使うかどうか、またどう使うかを決めるのは雇用主である孫堅であり、孫策である。まずは彼女らから有利な条件を引きだすことだった。

 

「可能な限り我々の誰かが付きますので、そこまで心配しなくても大丈夫ですよ」

 

 自分一人では丸め込まれてしまうだろうが、心強い仲間もいる。情報も可能な限り集めておいた。無手で挑む訳ではないのだ。難物であっても、同じ人間であれば妥協点を見出すことはできる。孫堅とて頭を押さえられている身だ。付け入る隙はきっとあるだろう。

 

そう思わないとやっていられなかった。大戦が近づいている。それは飛躍の時とも言えるが、同時にそれ以上の破滅の危機も孕んでいる。人間、斬られれば死ぬのだ。栄達したいと思っている人間など掃いて捨てる程いる。その中で自分が抜きんでることができるかが、これから先の働きにかかっているのだ。

 

 できるだけの準備はした。頼りになる仲間もいる。しかし結局は、自分の力と天運である。ある日突然、こんな世界に導かれるような人間に幸運があるとはどうしても思えない一刀だったが、自分が沈めば仲間も沈むと思うとへこんでばかりもいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よろこべ雪蓮。どうやら大当たりが来たようだぞ」

 

 冥琳が情報を持ってきたのは、日が暮れる直前のことだった。親友の喜色を含んだ声音に、雪蓮は顔に書いてあった『退屈』という文字を消して椅子から飛び上がった。

 

 新兵は集まりこそ悪くなかったが、小粒ばかりだったのだ。名前が売れていたり実力がある人間は今更寄る辺を探したりはしない。今更徴募しているこちらにも問題はあったが、それにしてもと思うのだった。物見遊山の人間が皆無でやる気だけはある者が集まっていることだけが救いである。

 

「どんな連中?」

「数は五百。整然と行進をしてきたそうだから調練は行き届いているようだな。腕の立つ人間が二人いる。最初に受付をした千人隊長は、自分では数合と持たずに殺されるだろうと言っていた」

「それは期待できるわね……」

 

 千人隊長を務められるだけあって、受付の人間は相当に腕の立つ男である。それが手も足も出ないと言っているのだから、将軍級……孫呉で言えば思春や明命に伍する腕前ということだ。腕の立つ人間はどこも欲している。それだけでも十分に当たりであるが、冥琳の様子はそれだけではないことを物語っていた。

 

「それで? そこまでならただの当たりで大当たりではないでしょ? 他にも何か良いことがあるのよね?」

「五百人の集団に、軍師が三人もいるとのことだ。しかもその内一人は水鏡女学院の上着を着て、帽子を被っているらしい」

「……学生ってこと?」

「違う。学院の外で学院の上着を着れるのは卒業生だけだ。その中でも優秀な人間には学位と一緒に帽子を授与する慣例があると聞いている」

 

 ふむ、と雪蓮は小さく息を吐いた。氏素性に全く興味がない雪蓮でも水鏡女学院のことは知っていて、自分の部下にも数人いることは把握していたが、彼女らは皆帽子を被ってはいなかったと記憶している。冥琳の言っていた慣例が事実なのであれば、帽子を被った卒業生というだけで彼女らよりも優秀ということになる。

 

 無論のこと、たかが着物で帽子である。いくらでも詐称が可能なことではあるが、帝国中に知られている女学院なだけあってあちらこちらに卒業生関係者がおり、彼女らは一つの学閥を形成している。

 

 在籍したことがあるくらいの嘘であればまだ良いが、優秀な成績で卒業したなどと嘘をつけばたちまち彼女らの知るところとなり、政財界には居場所がなくなってしまうだろう。彼女らはその名前で商売をしているようなものだ。それを貶めるような人間を許すはずがない。いくら乱世と言っても、そこまで命知らずな人間はいまい。

 

「冥琳も会う?」

「そうさせてもらおう。軍師の試験は私が受け持っても良いか?」

「なら私は武力の方ね。やー、楽しみだわー」

 

 兵の調練などは母である孫堅が率先して引き受けてしまうため、身体がなまってしょうがないのだ。将軍クラスの腕前であれば、試験であっても楽しめるだろう。

 

 喜び勇んで速足で行くと、待っていたのは五百の集団。その先頭にいたのは予想外にも男性だった。

 

 こういう集団の先頭にいるだけあってひ弱には見えないが、兵士に見えるかと言われると否である。細身であっても筋肉質ではなく、物腰にも洗練された気配があった。戦場よりも街にいる方が似合いそうな、商家の次男か三男といった風の優男だ。

 

 大抵の物事には動じない雪蓮もこれには聊か目を丸くする。てっきり話に上った軍師か、武人が大将だと思っていたのだ。

 

 その男を先頭に、女性が五人付き従っている。両側に武器を持った少女が二人。この二人が話に上った武人なのだろう。一見しただけで千人隊長程度では話にならないくらいの腕前だと解る。軍師三人はその後ろに並んでいた。眼鏡をかけた眼光鋭い女性だけが頭二つは背が高く、残りの二人は女性としても相当に小柄だった。件の水鏡女学院の卒業生は小柄な二人の片割れで、雪蓮が視線を向けると帽子のへりで目を隠してしまう。

 

 こんな気弱で大丈夫なのかと不安になるが、世に名だたる知識人が学位を授けたというのであれば、その実力は本物だろう。それが男性に付き従い、五百人の小集団に属していることは解せないものの、それはこれから聞けば済むことだ。

 

「孫策殿とお見受けします。私は北郷一刀。姓が北郷で名前が一刀。字と真名はありません。この度はお会いいただきありがとうございます」

「貴方が代表ってことで良いのかしら?」

「はい。皆は団長など呼びますが、お好きなようにお呼びください」

「それじゃあ、一刀って呼ぶわ。改めて、私は孫策。字は伯符よ。そっちが軍師の周瑜。早速だけど腕を見せてもらって良いかしら? 私はそっちの二人を、軍師の三人は周瑜に見てもらえる?」

 

 全員まとめて孫策が見ても良かったのだが、もう日が暮れるために離れていた母が戻ってくる。これが大当たりだと知れば彼女本人が口を出してくる可能性があった。あちらの方が目が確かということに異論はないもののこんな面白そうなことを実の母とは言え他人に取られることには我慢がならない。

 

 戻ってくる前にある程度は決めておきたかった。孫策の勘は既に採用するべしと言っている。後はどの程度の所で採用するかという話である。

 

「ところで、一刀は何ができるの?」

「たまたま縁があって代表をしているので、剣を持ち部隊を率いて戦うことはできます。同数であれば良い戦いをすると自負していますが、そちらの五人はそんなものではありませんのでご安心ください。俺にはもったいないくらいの、自慢の仲間です」

 

 一刀の言葉に、無言のまま武力担当の二人が笑みをかみ殺している。褒められたことが嬉しくて仕方がないといった風の二人を見て、心中で孫策は納得した。剣の腕も軍略も半端であって、それでも集団の頭が務まる訳である。この男は人柄というか人格というか、この男そのものが武器なのだ。おそらく本人は理解していないだろうが、軍師はこれを理解した上で、集団を運用しているのだろう。これは間違いなく、上に置いて初めて輝く類の人間だ。

 

「本当は貴方も試験とかしようと思ってたんだけど、気が変わったわ。貴方一人だけ、母に見てもらってくれる?」

「仰せのままに」

「……随分素直ね。出したい条件があったんじゃないの?」

「条件を出すにも実力を示す必要がありますからね。まずはそれからということです」

「自信あるんだ?」

「どうでしょうね。あの五人や我々全体ということであれば自信を持って売りこめるんですが、私個人となるとよく解りません」

「ふーん。まぁでも、そんなに悪くないと思うわよ。母が試験ということでも、採用にはなるんじゃないかしら」

「ただの採用だと困るんですがねぇ……」

 

 ははは、と一刀は苦笑を浮かべた。雇用主候補の前で大した面の皮の厚さであるが、こんな時期に売りこみをかけてくるような人間ならば当然かと納得する。少し話しただけであるが、雪蓮の感性は一刀のことを悪くないと評していた。少なくとも、軍師三人武人二人も込みであるのなら、並の条件ならば全て受け入れても十分元が取れるはずであるが、この男が欲しているのは並の条件ではないのだろう。

 

「お姉さん? いつまで団長と話してるの? 早く試験やらない?」

「ごめんごめん。あ、名前聞いても良い? 私は孫策。字は伯符よ」

「太史慈。字は子義だよ」

「徐晃。字は公明」

「いつから兵なんてやってるの?」

「団長が村に来てからだから……一年半くらい?」

「私も同じくらい」

「それじゃあ二人とも農村の出身かしら?」

「私は違う。その村に着く前は旅をしてたし……」

「ふんふん」

「その前は都で役人をしてた」

「それは意外。冥琳! 徐晃って都の役人聞いたことある?」

「あるが後にしてくれ。今忙しい」

 

 ちらと孫策が視線を向けると、冥琳が軍師三人と共に卓を囲んでいた。彼女の正面に座っているのは小さい少女が一人。水鏡女学院の上着を着て、とんがり帽子を被ったあの少女と軍棋の真っ最中だった。 

 

 二人の手は目まぐるしく動いている。一手最大二秒の早指し勝負をしているのだ。雪蓮が母親のことを考えて早目の決着を望んでいることを察していたのもあるが、冥琳として抑圧された状況での対応力を見てみたかったのだ。

 

 自分の力量にも自信があった。冥琳の軍棋の腕は孫呉の中では並ぶ者がなく、文官次席の穏でも駒を一つか二つ落とさないと相手にならない程である。そんな冥琳が、駒を一つも落とすことなく勝負に臨んでいる、掛け値なしの全力勝負な上に突然挑まれた早指しにも関わらず、帽子の少女は涼しい顔で食いついていた。

 

 親友の久しく見ていなかった真剣な顔に、雪蓮は名勝負の気配を察する。親友が負ける所など考えてもいなかったが、これはもしかしたらもしかするかもしれない。ならばどういう結果になるとしても、そこまで時間はかけられなかった。

 

 雪蓮は年若い武人二人を前に、剣の鞘を払った。母の持つ南海覇王ほどではないが、呉国の中でも指折りの名剣である。ゆらゆらと、斬る相手を探すように揺れる剣を見せつけるようにしながら、雪蓮は殺気を全開にする。

 

 実の妹二人をして、まるで人殺しの表情だと言わしめる凄みのある表情を見ても、少女二人は顔色一つ変えなかった。淡々と自分の武器を構え、雪蓮に相対する。太史慈の方が剣で、徐晃の方が斧だ。特に徐晃の斧はその大きさが目立つ。気の扱いに優れ、膂力に自信があるのだろう。単純な力比べでは勝てないだろうが、さて技術はどうだろうか。

 

 当たり所が悪ければ当然死ぬような立ち合いであるが、雪蓮に恐れは全くなかった。母孫堅の血を正しく受け継いだ彼女は、戦に恐怖ではなく快感を覚えるのである。目の前には多少手荒に扱っても壊れないだろう、まだ身内ではない人間が二人もいる。久しく動けず鈍った身体を、元に戻すにはちょうど良いだろう。

 

「さぁ、二人一緒にどこからでもかかってきなさい。私を唸らせることができたら、貴女たちの要求の半分を受け入れるわ」

「半分だけ?」

「貴女たちならどんなに頑張っても半分だけよ。残りの半分は北郷が私の母様から認められるしかないわ」

「なら大丈夫だね。私たちが勝っちゃっても恨まないでよお姉さん」

「そっちこそ。加減はするけど、半殺しと全殺しの間くらいになっても恨まないでよ!」

 

 

 

 

 

 

 


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