真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第028話 反菫卓連合軍 合流編②

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 轟音をあげる斧を、紙一重で避ける。受ければ即死のその攻撃を雪蓮は余裕を持って避けた。攻撃の隙間を縫うように剣で打ちかかってくるのは褐色肌の少女だ。突いて、薙いで、また突く。攻撃はどれも鋭い。十代の真ん中にも届かない年齢でここまでできるのだから、これはもはや才能だろう。自分に挑むような胆力があるし、攻め時というものも分かっている。資質としては申し分ない。

 

 もう一人、斧少女は都で働いていただけあって見た目と武器の割に落ち着いた立ち回りをしている。膂力だけならば、孫呉全ての兵の中でも随一だろう。それだけでも勧誘するに値するが、褐色肌の少女との連携には目を見張るものがあった。自分以上の実力を持つ人間がいたとして、それを確実に殺すにはどうしたら良いのか。それを突き詰めた末の結論が、この連携だったのだろう。

 

 事実、一歩間違えたら殺されていた局面が、この数分の間に十回以上あった。それを引いてやるほど柔ではないが、これが例えば相手にしたのが思春や明命であれば、二、三回は殺されていたはずだ。連携しているという前提だが、武の腕前は自分以下、思春以上ということになる。各々単体であれば思春よりも二つか三つは格が落ちるがそれでも武を基準に考えるのであれば、千人長くらいはこの場で与えても良いくらいだ。

 

 指揮力が未知数ではあるものの、それは追々何とかすれば良い。先々のことまで考えればこの二人を纏めて勧誘できるのは非常にお買い得であると言える。問題は末永く孫呉に仕えたいと思っている訳ではなさそうなところであるが、それならばこの戦に限った雇用でも良い。

 

 武力があるのは誰の目にも明らかである。この戦で使うことに文句を言う奴はいないだろう。時間が経てば気が変わることもあるだろうし、そも、北郷一刀がいつまでも生き残っているとは限らない。いずれにせよ実力のある人間に恩を売っておくのは悪いことではないのだ。問題は母が全く違う考えをしそうなところであるが、それも追々考えることにする。

 

「シャンどうしよう! 殺す気でやってるのにカスりもしないよ!」

「これは困った……」

 

 あまり困った様子でない斧少女と、焦った様子の褐色少女。気持ちの差が歴然である。これが試験であるとは言ったが、こうしないと合格できないと言った覚えはない。良い所を見せられれば合格とするなら、少女二人は十分に合格である。どうにも褐色少女は負けん気が強く、こうあるべきという意識が高いように思えた。

 

 二人の熱意の差は、その辺りに起因するのだろう。気性で見るならば、褐色少女は多分に孫呉向きである。

 

「合格よ。終了」

「…………ほんと? 武器を置いたら襲い掛かってきたりしない?」

「ほんとだって。ほら」

 

 先に雪蓮が武器を納めて、ようやく褐色少女は剣を引いた。やれやれと言った様子で、斧少女がそれに続く。お疲れー、と全く心配していなかった様子の一刀が歩み寄ってくると、少女二人は武器も放って彼に飛びついて行く。ぐりぐりと押し付けられる二人の頭を撫でてやる一刀に、雪蓮も苦笑を浮かべながら寄っていく。

 

「試験を二つに分けてそれをさらに二つに分けた訳だから、四分の一? とりあえず、それだけの貴方の要求は受け入れるわ」

「細かく分けられても、どの程度まで行けるのか判断しかねますね……」

 

 自分の要求のどれを通せば四分の一になるのか、一刀には判断がしかねた。これならばアリかナシかで言ってくれた方がよほど楽である。等分する基準が向こうにあるならば、都合の良い切り取り方をされてむしり取られることも十分に考えられる。対等の立場であれば力を盾に筋の通った履行を迫ることもできるかもしれないが、兵の平均的な質ならばまだしも、戦力差は歴然である。この場で四分の一を得たと考えるよりは、四分の三を切り取られたと考える方が、実際には近いだろう。

 

 これは見ようによっては明らかな後退である。切り取りを受け入れるのであれば、孫堅が来る前に最低でも条件を半分にまでしなければならないが、これは梨晏たちの戦いを見るよりも一刀は安心していた。

 

「冥琳と軍棋やるんでしょ? 良い勝負になってると良いわね」

「周瑜殿はどのくらいお強いのですか?」

「負けてる所は見たことないかな。少なくともうちでは一番強いわよ。まぁ勝てなかったとしても、邪険にしたりはしないから安心して?」

 

 にこにこと、自分のことのように周瑜のことを語る孫策にはそれだけ親友を信頼していることが見受けられた。孫呉最強の軍棋の打ち手というのは嘘ではあるまい。それはつまり、この国でも有数の打ち手であるということだが、それは雛里も同じことだ。

 

 学院時代の成績は大体のことにおいて、朱里の方が上だったらしい。それが主席と次席という席次の差につながった訳だが、雛里が明確に朱里よりも上回っていたのが、戦術関係の講義でありその科目の一環でもあった軍棋である。何事においても自信なさげな雛里が、小さな胸を張って得意ですと言うのだから、その自信の程が伺える。郭嘉も程立も雛里に何度も挑んだようだが、恐ろしいことに一度も勝てていないらしい。

 

 軍棋を挑まれるようであれば、どうにかして雛里をぶつけるというのが、軍師たちの規定事項だった。問題はどうやって雛里を自然にぶつけるかであるが、それは雛里の見た目が解決してくれた。水鏡女学院を優秀な成績で卒業したといっても、郭嘉と程立と比べると年齢は大分下である。

 

 年齢と実力は完全に比例するものではないが、同等の評判をもって年齢の離れた人間が並んでいれば、年が上の人間の方が優れていると考えてしまうのは自然なことだ。見た目からしてデキる人間に見える郭嘉と、何やら得体の知れない程立と並んでいると、おどおどしている雛里は余計に頼りなさそうに見える。

 

 その組み合わせの妙もあってか、郭嘉たちが何をするまでもなく周瑜の方から軍棋を提案し、相手も雛里になった。一刀としてはその時点で勝ったも同然のつもりでいたのだが、やはり結果を確認するまでは落ち着かないものである。梨晏とシャンと合流し、にこにこ顔の孫策と周瑜たちの元へ行くと、そこで待っていたのは手を動かさず、じっと盤面を見下ろす周瑜と雛里の姿だった。

 

 彼女らは一手の持ち時間二秒の戦いをしていたはずで、手が動いていないということはつまりその戦いには一区切りがついたということだった。盤面を挟んで向かい合う都合上盤面を見ればどういう形で決着が着いたのかルールを知っていれば一目で解る。親友の表情に不穏な物を感じ取った孫策は盤面に駆けより、愕然とした。

 

「冥琳、まさか負けたの!?」

「あぁ、素晴らしい腕だ。早指し勝負にしたのが惜しいよ。時間をかけた勝負にすれば、私は一生楽しみに困らなかったろうに……」

 

 負けたはずなのに、周瑜の表情は清々しいものだった。傑出した腕を持っているということは相手がいないということでもある。軍棋を指している途中、立場や仕事のことなど忘れて、夢中になっていた。完全に自分のためだけに何かをしたのは、周瑜にとっては久しぶりのことで、それが本気になって打ちこめたことなのだから言うことはない。

 

「どういう形であれ、これだけの人間が来てくれることを拒む理由はない。私からも炎蓮様には強く推挙しよう。これだけの人間が三人もいるのだ。穏にも良い刺激になることだろうしな」

 

 勿論、私もだがと言って、周瑜は床几から立ち上がった。孫策と一刀、それから一刀に引っ付いている二人を見て、周瑜は親友がどういう決断をしたのかを敏感に察した。

 

「ということは、半分の要求を飲むということだな。と言っても、残りの半分の方が遥かに厄介な訳だが……」

「孫堅様というのは、どのような方なのですか?」

 

 一刀の問に、孫策と周瑜が作った表情は渋面だった。どういう表現をするのが最も当たり障りがないのか考えに考え、実の娘である孫策が出した答えが、

 

「まぁ、その…………アレな人よ」

 

 当たり障りのない答えを探してこの答えな辺りで、実の娘でさえ表現に困るような人間なのだということは察せられた。気性の荒い人間だというのは方々で聞いていた話ではあるが、孫策の反応を見るに想像よりも更に苛烈な人間なのではという考えが一刀の中で持ちあがる。

 

 幸い、こちらに来てから出会った人間は基本的に話の通じる人間ばかりだった。呼吸するように罵詈雑言をぶつけてくる荀彧に最初に出会ったのが大きいのだろう。彼女に比べれば大抵の人間は、一刀にとってはとても『優しい』人であり、心構えさえしていれば大抵の人間を受け入れることができた。

 

 今回もそれで大丈夫、と自分に言い聞かせる。これだけ大きな集団の代表をしているのだ。まさか話も通じないということはあるまいし、気性が荒いと評判だがその分良い話も多く聞いた。気性が荒いという要素だけを見れば確かにマイナスだが、全体としてみれば孫堅という人間の評判は悪いものではなかった。

 

 それに悪い話というのは多かれ少なかれ存在するものである。近い所では曹操などもそうなのだから、この時代の英傑にはつきものなのだろうと改めて思うことにした。

 

「とりあえず、整列して待っててもらえる? そろそろ新兵の調練を終えて戻ってくるはずだから」

「了解しました。整列!」

 

 一刀の掛け声で、一刀団の面々は駆け足で整列する。団員の装備は様々で統一性はないが、一刀の号令による彼らの動きには無駄がなかった。整列し、微動だにしない彼らの姿を見て、孫策は内心で舌を巻いた。自分たちは一端の兵であるという自負が彼ら全員から見て取れた。今の環境に、これから進むだろう道に、不満や不安というものがないのだ。良く訓練されている。流石に孫呉の正規兵と比べると遅れを取るだろうが、これなら今調練している新兵など問題にならないだろう。

 

 良い拾い物をした、というのが孫策の正直な感想である。後は母がどういう判断を下すかだ。整列し微動だにしない一刀たちに付き合い、母を待つことしばし、遠くに力強い罵声を捉えて孫策は母が戻ってきたことを察した。

 

 その罵声は近づいてくる程に、身体の芯に響いてくる。その内容と力強さに整列していた一刀団の兵たちにも不安が浮かんだ。この声の主は一体どういう人間なのだろうと大の男が不安になっている。無理もない。人となりを知っていても身構えてしまうのだ。会ったこともない人間が声を聴いただけで不安になるというのも、理解できる。

 

 実の母であり、軍団の長だ。戻ってきたとなれば迎えに出るのが筋であるが、孫策は敢えて母がこちらに来るのを待つことにした。新兵のダメさ加減を聞くのが、ここ数日の孫策の仕事である。周瑜と共に背筋を伸ばし孫堅の到着を待つ。

 

 やがて、一刀たちの前に現れたのはまさに存在感の塊のような女だった。孫策の血縁と一目でわかる容姿であるが、その存在感は段違いだ。孫策も十分一刀の基準では強烈な個性を持っているのだが、眼前の孫堅はその比ではない。その姿を見ただけで思わずひれ伏してしまいそうな存在感に、一刀団の兵たちにも動揺が走った。

 

 これがいつもの雰囲気であれば、誰もが口々に『ヤバい』とでも口にしていたのだろうが、整列と号令をかけられた以上、彼らは別の命令があるまで整列したまま口を開かない。不安な表情はそのままに、彼らの視線は先頭にいる一刀の背中に注がれていた。

 

 団の中で最も年若い部類であり団の代表でもある彼はこれから、あの怪物と相対するのだ。まさか殺されはしまいなと不安に思う仲間の視線を受ける一刀は逸る気持ちを抑えながら、孫策に紹介されるのを待った。孫堅は整列している一刀たちを見て、彼らがどういう理由でそこに整列しているのかを察したが、一度彼らを無視し娘の前に立った。

 

 孫策と周瑜は拳礼をし型通りの労いの言葉を伝えると、早速と言った様子で一刀たちを紹介した。と言っても、孫策が知っていることなど高が知れている。やってきてからこれまでのことを話し終わるまで、五分とかからなかった。

 

「五百か……」

「あっちのおちびさん二人は強いわよ? うちだと思春くらいをぶつけないと、安心して勝負もできないと思う」

「そりゃあ将来有望だな。軍師らしき連中もいるようだが」

「私が軍棋で負けました。一人は水鏡女学院の卒業生で、残りの二人も音に聞く人物です」

「それも有望だな。で、先頭に立ってる優男は一体何ができるんだ?」

 

 孫堅のその問いに、孫策は何も答えることができなかった。それこそ孫策が知りたいことだったからだ。すぐに返答があると思っていた孫堅は、言いよどんだ娘に軽く眉根を寄せる。聊か込み入った事情がある。察した孫堅は自ら一刀の前に立った。頭の先から足の先までじろりと眺める。それをして何か得られるものがあるかと思ったが、何もない。歴戦の武人である孫堅から見ても、眼前の優男はただの優男だった。

 

「そこそこ鍛えてはいるようだが、それだけだな。別の仕事を探した方が大成すると思うんだが、俺の前にまだ立ってるのを見るに、俺にしか叶えられないような願望がお前にはあるんだろう」

「はい。孫堅殿に折り入ってお願いしたいことがあります」

 

 泥酔した乱暴者でも正気を取り戻して逃げ出すくらいの殺気を振り撒いたつもりだった孫堅は、眼前の優男が全く怯まずに言い返してきたことに彼の評価を少しだけ改めた。思っていたよりは気骨がある。舐めた物言いをしてもとりあえずは殺さないでやろうと心に決めた孫堅は鷹揚に頷き、

 

「言ってみろ」

「はい。まずは後ろの五百を私に指揮させていただきたく」

「当然だな。お前の命令に従うならお前が指揮する方が手間がなくて良い。その分、お前にはよく命令を聞いてもらうが、それは構わんな?」

「勿論です」

 

 最初の提案は大したことがないものだった。孫堅にとって必要なのは自分の指示に従う戦力である。その際、末端までどういう方法で指示が伝わるかは大した問題ではなかった。

 

 欲を言えば自分の部下だけで固めたい所であるが、そういう訳にはいかないからこそこの時分になって徴兵しているのである。細かいことにまで注文を付けられるような状況にはない。武器の持ち方から教えなければいけないような連中もいるのだ。既に調練が行き届いているのであれば、それ以上言うことはない。

 

「それから俺の仲間には軍師が三人います。彼女らをこの戦の最中、御側に置いてはいただけませんか?」

「冥琳が知恵者と認めたなら是非もない。剣を持っても強いというなら別だが、そうでないなら本陣で預かろう」

「感謝いたします」

 

 次の提案もそう問題のないものだった。武器を持って戦うことのできない人間を戦場に放り込む理由もない。ましてこれから孫堅たちが行おうとしているのは帝国でも有数の難所である関を二つ抜こうという戦である。そこにただの軍師が入り込む余地はない。孫呉の筆頭軍師である周瑜はあれで鞭を良く使いこなすし、次席軍師である陸遜も鈍くさい見た目に反して三節棍を使う。

 

 最低限彼女らくらいの腕がなければ危なっかしくて出番などない。今回に至っては万全を期して彼女らさえ陣に置いていく判断をしたのだ。遠目に見ても優男の言う軍師たちが武に長けているとも思えない。彼の提案は当然と言えた。

 

「そして、戦も始まる前から恐縮ですが働きに応じた報酬を頂きたく存じます」

「信賞必罰は世の倣いだ。特に俺のとこじゃそいつは徹底してる。手柄を奪い取ったりはせんよ。安心して首をあげてこい」

「ありがとうございます」

 

 それを今言い出すのかと僅かにいら立ちを覚えたが、それは本来最初に説明すべきことだ。好き好んで命を賭ける人間などいない。特にこの時期、自ら兵にならんという人間は皆、立身出世を夢見ている。それを横から奪いとるようなみみっちい真似は孫堅の好む所ではなかったし、そういう真似をした人間は殺すと予め念を押してもいる。

 

 孫呉軍では気にするようなことでもない、当たり前のことだ。それを聞いた優男は安堵のため息を漏らし――そして表情を引き締めた。

 

「この戦が終わったら、お暇をいただきたく存じます」

 

 ざわり、と一刀団以外の人間に動揺が広がった。主への不遜な物言いがどうとかそういうものではない。単純に自分の主の前に立つ、命知らずな人間の首が今この瞬間に飛ぶことを予期したからだ。事実孫堅は反射的に南海覇王の柄に手を伸ばしていた。鞘から僅かに刃も見えたが、一刀にとっては幸運なことにそれが抜かれることはなかった。

 

 命知らずの命がつながったことを理解した面々は、一様に安堵のため息を漏らす。孫堅に仕える彼らは皆、主の気の短さを知っていた。一刀のそれは機嫌が悪い時ならば首が飛んでもおかしくない物言いであり、機嫌が良い時でも半殺しにされるくらいの振舞いだった。

 

 そのどちらにもなっていない一刀に孫呉軍の兵たちの視線も遅まきながら集中した。怒りをこらえた様子――それだけでも驚天動地ではあるのだが――の孫堅は身体に溜った熱を追い出すように深い息を吐いた。それでも飢えた獣のような雰囲気は消えない。

 

 元々武に頼って生きるような人間ではない一刀はそのプレッシャーだけで気を失いそうになっていたが、気合でどうにか堪えていた。ここで気を失うようでは全てがご破算になる。自分の肩にはついてきてくれた人間の未来が乗っているのだと思うと、無様を晒す訳にはいかなかった。

 

「俺に仕えに来た訳じゃないということか? ならば何故俺の所にきた」

「世に雄飛し、名を知らしめるためです。恥ずかしながら、我々だけでは飛び立つことも儘なりません。名を売る機会は今より他になく、そのためには貴女様の元が一番であると考えました」

「俺の元にいても雄飛はできるだろう。それでは駄目なのか?」

「大丈夫たる者、生を受けたからには七尺の剣を帯び、天への(・・・)階を登るべし。俺の郷里の諺です。できるだけ高い所まで登ってみたいのです。貴女は太陽のような方。私などとは比べるべくもない輝きをもっておられます。その光は遍く人々を照らすでしょう。しかし、それを仰ぎ見ているだけでは私が至れるのはそこまでです」

「つまり何か、俺を足かけにしようと、そういうことか?」

「有体に言ってしまえば、そういうことになります」

 

 あ、と呟いたのは誰だったか。次の瞬間には、南海覇王は抜かれていた。その刀身は一刀の首に添えられている。日に焼けた一刀の首に、赤い血の筋が流れた。それでも一刀は、孫堅から目を逸らさない。自分の流儀を二度も曲げて命を助けてしまった孫堅は、憮然とした表情を浮かべている。彼女の機嫌は最悪と言っても良いものだったが、本能がその行動を押しとどめていた。

 

 自分でも良く理解できない何かが、この男を生かし活かすべきだと全力で主張しているのを感じる。自分の不機嫌を理性で押しとどめながら、孫堅は子供が聞けば泣き出すような声音と表情で、言葉を続ける。

 

「いずれ俺から離れると戦も始まる前から言っている人間を使って見せろということか。お前、俺に喧嘩売りにきたのか?」

「そう取られても仕方のないことだとは自覚しております。ですが私には、貴女様の器の大きさに縋るより他にありません。絶対に後悔はさせません。どうかお考えいただけませんか?」

 

 言いたいことは全て言った。後は相手がどう出るかである。一刀にとって長い長い沈黙の後、孫堅は小さく息を吐き、南海覇王を鞘に納めた。孫呉軍を含めて、全員の身体が弛緩する。とりあえず今この場で人が死ぬことはなくなったことを全員が心の底から安堵したのだ。

 

「良いだろう。俺を前にそこまで大見得を切った度胸に免じて考えてやる。だが……まずはお前自身の力を示せ。お前とお前の兵五十で、俺がさっきまで鍛えていた二百を打ち破って見せろ。話はそれからだ」

「承りました」

 

 相変わらず人殺しの顔で一方的に言うと孫堅は踵を返した。通り道にあった荷物の山が、孫堅の蹴りを受けてがらがらと崩れる。機嫌が最悪なのは誰が見ても明らかだ。気が変わって殺されない内に、一刀は話を進めることにした。郭嘉たち軍師に接触しないようにしながら、自分直属の兵を急いで取りまとめ始める。

 

「……聞いておりましたよ。中々堂に入った振舞いでしたな」

「ちょっと早口だったかな?」

「いや、大丈夫でしょう。郭先生の想定問答を何通りも練習した甲斐もありやしたね」

「まったくだ」

 

 一刀は大きく息を吐くと、やり取りを聞いていて事情を把握していた自分の直属の部下から、五十人を選び出した。俺も俺もという雰囲気ではあったが、心を鬼にして一番軍歴の長い五十人を選出する。その中には梨晏もシャンも入っていなかったが、二人とも文句は言わなかった。郭嘉の想定でこうなると予想された時点で、力を示すには二人が入っていない方が良いと言い含められていたからである。

 

 頑張って! と二人に励まされた一刀は、五十人の仲間を連れてぞろぞろと移動する。既に陣を張り気を抜いていた兵たちも、降って湧いた騒動に活気を持ち始めた。血の気の多い連中だとは聞いていたが、想像以上である。

 

「しかし、孫呉というのは巨乳でないと出世できないんでしょうかね。大将と言い側近らしき女と言い、見事というより他にありません。あの乳を毎日拝めるんなら、団長への恩も忘れてあっちに走っても良いくらいです」

「責める気にはならないな……俺も正直大分心が揺れた」

 

 一刀の言葉に、仲間たちから笑い声が上がった。

 

 孫策も周瑜もそれはそれは見事なものだったが、やってきた孫堅はその上を行っていた。側近らしい褐色の肌をした女性も同様である。孫堅の正面に立ち彼女と話をした一刀はその胸部の圧力に息苦しささえ感じた程だった。あれを理由にという廖化の物言いは流石に冗談だと思いたいが、真っ新の状態であれを理由に入団を決めるというのは、男として解る気がした。

 

 女性陣には口が裂けても言えないことだが、ここには男しかいない。これから大一番なのだ。話題は下世話過ぎるくらいでちょうど良い。

 

 移動を指示された先は陣の外。二百メートル程の距離を離されて、相手らしき連中の姿が見えた。孫堅の言葉を信じるのであれば新兵のはずである。郭嘉の想定の一つにはあれが精鋭と入れ替わっているという局面もあった。正直、そんなサプライズを持ち出されたらもうどうしようもないのだが、果たして自分たちにはまだ運があるのか。

 

 開始の合図を待つまでの間に、一刀は五十人の仲間を振り返った。全員が最初に『挙兵』した時にいた面々であり、つまりは元盗賊である。出会った時の彼らは一様に汚い恰好をしていたものだが、今は兵であると紹介されればそれを信じられる程度にはそれらしい。

 

「さて、頼りになる軍師殿たちの想定通りに事が運んで、後は勝つだけだ。敵は二百と多いが正直梨晏一人を相手にする方がまだ難しい。つまり、勝てる勝負だ。祝杯を挙げる心の準備は良いな?」

 

 全員が、拳を突き上げ雄叫びを挙げる。その声に、離れた対戦相手が怯むのが感じられた。勝負は既に始まっている。調練が終わって疲れているだろうが、そんな事情はこちらには関係がない。悪いが自分たちの踏み台になってもらう。

 

 孫堅から開始の合図が出た。号令一下、一刀たちは一斉に駆け出した。並足で動き始めた連中が、こちらの速度を見て慌てるのが手に取るように解った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




50対200の戦いが終わってこのくらいの分量になる予定でしたが、始まる前にこれくらいになってました。次回こそ戦い編です。

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