真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第003話 荀家逗留編②

 

 

 

 

 

 

 

 食事をして寝るだけという生活に一日で耐えられなくなったという体で、一刀はこの世界の情報収集を始めた。宋正に荀家の書架に案内してもらい、一つ目の木簡を開いたところで最初の躓きである。

 

 やはり文が全くと言って良いほど読めない。大体の漢字には見覚えがあるからぼんやりとした意味こそ解るものの、正確に訳してみろと言われたら困る有様である。この年になってこの文が読めませんと他人に言うのは想像していた以上に恥ずかしかったが、背に腹は変えられない。宋正に文章の翻訳をお願いすると、彼女は目をまん丸にして驚いた後、優しい笑みを浮かべて言った。

 

「でしたら、ご一緒に読み書きの勉強などいかがですか?」

「ありがたいお話ですが、そこまでしていただく訳には……」

「私は正式に北郷様付きになりましたから。北郷様から何かご指示がないと、正直暇なんです。私を助けると思って、お願いできませんか?」

 

 教えてもらう相手から頼まれてしまっては断るものも断れない。元より願ってもないことなのだ。宋正の申し出に対する、一刀の答えは決まっていた。

 

「申し出に感謝します。お願いできますか?」

「喜んで。ところで、もう少し砕けてくださって構いませんよ。北郷様はお客様ですし、私の方が年下でしょうから」

「年下かなとは思ってましたけど、本当にそうなんですか?」

「そうだと思いますよ。私は今年で十四になります」

 

 思わず、一刀は宋正を凝視してしまった。年下とは思っていたが、いざ本人から年齢を言われてみるとどうにも信じがたい。確かに自分よりも3つも年下だと言われても、納得できる容姿をしている。侍女らしくきっちりと服を着こなしてはいるが綺麗というよりは可愛らしい面差しだ。一刀の世界の中学生よりもとても大人びて見えるのは、環境の違いに寄るものだろう。

 

「では、どうぞ?」

「解ったよ。これからもよろしく、宋正」

「私のことは功淑とお呼びください。真名で呼ばない、親しくさせていただいている方々は私をそう呼ばれます」

「了解。ところで真名って何だ?」

「――教え甲斐のある生徒を持てて、私も嬉しいです」

 

 功淑本人が言った通り、彼女は本当に専属になっていたようで、それからは一刀と終日行動を共にするようになった。文字の読み書きからこの国の歴史、風俗から社会情勢まで、功淑は一刀が求めた全てを教えてくれた。文章を読めるようになるにはどれだけ時間がかかるのだろうと不安に思っていたが、文字そのものは馴染みがあること、何故だか会話は既にできることもあり、本人も驚く程の速度で知識を吸収していく。

 

 このちぐはぐさに功淑は戸惑った。当然知っているべきことを知らないと思えば、本腰を入れてかかるべきと思っていた文字の指導は、驚くほど早く進んでいる。

 

 これならば、二週間もあれば読み書きはできるようになるだろう。二、三日指導を受けて、そう太鼓判を押してもらったところで、一刀も更に欲が出てきた。

 

 荀家には、私設の警備隊がある。通常は屋敷の警護をし、家人が遠出する時などはその護衛も務める。有力者の間でこういう部隊を持っているのは、珍しいことではないらしい。

 

 必要になったその都度金で雇うのは信用できないからと、常に雇用しているという。

 

 警備の総数は約百五十。およそ10日に一度休日があり、それ以外は全て出勤。実働のおよそ半分が屋敷の警備に当たり、残りは中庭などで訓練をしている。家人の指示で使い走りをすることもあるが、警備をしていない時は大抵が訓練である。

 

 一刀が勉強をしている時、中庭で訓練をしているのが見えた。勉強に飽きたという訳ではないが、そろそろ身体を動かしたくなってきた一刀は、その旨を功淑に伝えた。

 

「問題ないと思います。奥様と向こうの隊長には、私の方から話をしておきます」

「助かるよ。ありがとう」

「どういたしまして。ところで、北郷様は何か武術の心得がおありなのですか?」

「じいさんに剣を少し――何もしてないよりはマシって程度かな。人と戦ったのは、この前が初めてだよ」

 

 剣道というジャンルに絞れば、二段である一刀の腕は高校生にしてはそれなりのものである。世間を見ればもっと強い奴はいくらでもいたが、それはそれだ。

 

 しかし、実際に真剣を持って戦うとなれば、話は大きく違ってくる。死なない前提の剣道と、死と隣り合わせの実戦では、気の持ちようからして、大きく違う。すぐに元の世界に帰る見通しが立っていない以上、身を守る手段というのはあって困ることはない。

 

 できることなら一から剣の指導を受けたいと思っていたところだ。警備の訓練に混ざれるならば、これ以上のことはない。

 

「それにしても、警備に話をつけられるなんて凄いな。功淑はもしかして、えらい立場だったりするのかな」

「入ったばかりなので、書生の中では立場は低いですね。北郷様の専属になったのも、年が近いからではないかと。警備に話をつけられるのは、単純に年の離れた兄が警備隊長ですから、話をし易いというだけの話ですね」

 

 大したことではない、という功淑の態度に過度の謙遜が見えた気がした。これという根拠はないが、本人の言葉以上に、彼女は偉い気がする。

 

 書生というのが役職の一つを指し、家長である荀昆の弟子であることは知っていたが、具体的にこの家がどんな仕事をしているのか、実のところあまり良く解っていない。下の方の立場であっても、普段は仕事をしていたはずだ。それを良く解らない人間の世話を任されたのだから、腐っても不思議ではない。

 

 内心でどう思っているのか知れないが、少なくとも功淑はそれなりに楽しそうに講義をしてくれているのが、一刀にとって救いだった。これ程熱意を持って勉強をしたことなど、過去にはない。思えば、勉強のために時間を費やすことのできる環境が用意されていたことが、どれだけ恵まれたことだったのか、この世界にやってきて初めて知ることができた。

 

 元の世界に戻ることがあれば、今までよりもずっと真面目に学校に通えるだろう。こんな美少女の先生はいないだろうことが、少し残念ではある。

 

「うちの家の人間に、色目を使わないでもらえるかしら」

 

 そんな邪な考えが、視線か態度に出ていたのか。これでもかというくらいにトゲのある声に、一刀は思わず背筋を伸ばした。見れば、不機嫌そうな顔をした荀彧がいる。不機嫌でない時がないくらい不機嫌な少女は、足音も高く部屋を横切ると、卓に広げられていた書物を見た。

 

「書庫で勉強をしてるって聞いたから来てみれば、随分と初歩的なことをやってるのね」

「文の勉強を兼ねてるというかさ。恥ずかしい話、言葉は話せるけど書けないんだよ、俺」

「一体どんな育ちをしたらそうなるのかしら――別に気になってないからね? 単に、あんたを罵ってみただけなんだから」

「明日から剣も学ばれるようですよ?」

「そうなの? まぁ、どっちかと言えば、そっちの方が向いてるんじゃない?」

 

 荀彧の声に、一刀は感嘆の溜息を漏らした。相手を慮ったものを『気持ちの籠った言葉』とするなら、今の荀彧の言葉はまさに真逆である。これほどまでにお前に興味を持っていませんよ、という感情を持たせようと放たれた言葉を、一刀はいまだかつて聞いてことがなかった。

 

 それ故に、もの凄く空々しい。荀彧に比べ、圧倒的に頭の回転で劣る一刀でも、荀彧に別の意図があることを理解できてしまった。話が途切れても帰る気配がないし、様子を見に来たというだけにしては腰が重いのだ。少しの沈黙が流れる。それだけで、荀彧のイライラが増したように一刀は感じた。

 

 こつん、と一刀のつま先が小突かれる。宋正だ。視線を向けると、宋正は一瞬だけ荀彧の方を視線で示した。その仕草の意味を察するに――

 

「良ければ、荀彧も俺の勉強を見てくれないか?」

「はぁ!? なんで私が!!」

 

 いきなり怒鳴られてしまった。それから荀彧はいかに北郷一刀がダメな精液男なのかを、豊富な語彙を尽くして罵倒し始める。十分ほども続いていただろうか。流石に息が続かなくなっていた荀彧は、荒い息を吐きながら近くの椅子に腰をかけた。

 

「良いわ、教えてあげる。借りの清算も、早めにしておきたいしね。ただし、私のやり方は功淑ほど甘くないから覚悟しておくことね」

 

 その言葉と興奮した様子の荀彧の顔を見て、最高に頭が良くて呼吸するように他人を見下しても、男というただそれだけで罵詈雑言を飛ばすような性格でも、他人のために骨を折って、そのために行動することのできるそれなりに良い奴なのだと理解した。あくまでそれなりだが。

 

 要するに感情表現が屈折しているだけなのだ。大抵の人間は浴びせられる罵詈雑言で心が折れてしまうのだろうが、それさえ突破できれば中々面白い奴ではあった。急ににこにこしだした一刀にとりあえず罵詈雑言を浴びせた荀彧は、すぐさまカリキュラムを作り直し、実行に移す。

 

 一言で言うならスパルタである荀彧の講義はそれはそれは凄まじいもので、二週間はかかるという功淑の見通しを遥かにぶっちぎり、それから三日で読み書きを可能なものとした。

 

 それができるようになると、後はひたすら勉強である。荀彧の言う所によれば、北郷一刀に才能はなく、精々下級の官吏にでもなって、慎ましく一生を終えるのがお似合いだと言う。

 

 だが、現状ではそれもままならないということから、役人になるための基礎知識から徹底的に教え込まれた。理解できないと言うと、容赦のない罵詈雑言が飛んでくる。最初こそ、その手加減のない物言いに一刀でもイラっときたものだが、勉強にある程度こなれてきて、相対的に罵詈雑言が少なくなってくると、それだけ物足りなくなってしまう。

 

 自分はもしかして、精神的なドMなのかと、こんな世界に来て気づくというのも奇妙な話である。

 

「実際、お嬢様は北郷様のことを良く思っていると思います」

「そうかな――」

 

 つかの間の休憩時間である。荀彧が荀昆に呼び出されて席を外している間に、功淑が耳打ちする。実感ができない一刀は功淑に疑問の声を挙げたが、彼女は当然です、とばかりに力強く頷いた。

 

「まず、お嬢様は極力男性とは会話をしようとしません。するとしても、とても短く済ませます。まして、大恩あるとは言え、自分から男性の教師役を言い出すなんて、これはもう何かあるとしか思えません」

「その何かが殺意とかでないことを祈るよ……」

 

 ツンデレというものがあると聞いたことはあるが、デレがないツンデレというのも存在するのだろうか。少なくとも優しい言葉をかけてもらった記憶は、一刀にはない。仲良くなればそういう時も、もしかしたらあるのかもししれないが、年頃の少女らしく頬を染めて、男を前に恥じらう荀彧など想像することもできない。

 

 きっと、仲良くなっても彼女はずっとツンのままなのだろう。そんな気がするし、そうであってほしいとも思う。

 

「戻ったわ。さぁ、また死にもの狂いで学んでもらうから、覚悟なさい」

「聞くにしても今さらだとは思うけど……俺に教えてくれるのはありがたいけど、良いのか? 今荀彧って無職なんだろ? 就職活動の邪魔にならないか?」

「惰眠を貪ってるだけのアンタと一緒にしないでもらえる? もう曹操様のところへ文を出したわ。今はその返事待ちよ」

「そうか。受かると良いな」

「私が落ちる訳ないでしょ!?」

 

 こいつめんどくさいなぁ、とは思いつつも、一刀の顔には笑みが浮かんでいた。口を開けば罵詈雑言が出てくるのでも、こういうやり取りはとても楽しい。落ちる訳ないと荀彧は言うが、功淑の話では最近の荀彧は常にイライラそわそわしているという。自信があっても気にはなるのだろう。

 

 荀彧にとって自分が特別優秀であるというのは事実であるが、それに必ずしも結果が伴う訳ではないことは当の荀彧が一番理解している。不確定要素というのは限りなく無に近づけることはできても、完全に排除することはできない。もしかしたら、という疑念は例え、荀彧くらい優秀な人間であっても消せないのだ。

 

「そうか。俺も信じてるよ。荀彧が受かるの」

「そのムカつく笑いを今すぐ引っ込めなさいよ! 一体何がおかしいの!?」

 

 頭から湯気でも出しそうな顔色で掴みかかってくる荀彧から、一刀は笑いながら逃げ出していく。部屋の中で始まった追いかけっこを、功淑はにこにこと眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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