真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第034話 反菫卓連合軍 汜水関攻略編①

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二十歩先に誂えた的の中央。そのド真ん中に刺さった矢にまたも矢が刺さる。今の腕前を見せろと言われた梨晏がこともなげにやって見せた芸当に、周囲の人間は言葉を失った。

 

 集団戦闘において弓手に求められることは一本でも多く矢を撃つことである。そこに正確性は(あるに越したことはないが)あまり求められない。それは兵の数で補うことができるし最終的には歩兵なり騎兵なりが突っ込んで戦うのだからと、弓を一番に鍛錬を積む人間はこの戦乱の世にあっても多くない。

 

 弓で名を上げる人間は大抵他にも得意なものは沢山あるが、特に秀でて弓が得意という人間になる。その逆は掃いて捨てる程いると考えると、如何に弓の名手が少ないかというのが解るだろう。

 

 一刀団における弓の名手である梨晏は、同じく孫呉軍で最も弓が得意とされる黄蓋に教えを請いに来た訳だ。団の中で最も孫呉軍と打ち解けている彼女は特に波長が合うのか雪蓮と仲が良く、今では共に真名を許し合う仲となっていた。黄蓋の所に来たのもその紹介だ。

 

 くれぐれもよろしく、としつこく念を押してきた若殿のことを思い出す。少し年の離れた親友同士というには聊か度の過ぎた振舞いに、雪蓮が相当本気でこの少女を引き抜くつもりなのだと察していたがそれはさておき。

 

 弓の名手ともてはやされるが、その名手としての黄蓋の周囲に人間は少ない。血の気が多く喧嘩っ早いのが特徴の孫呉の兵は特に近づいて斬ることばかりを好むため後進を育てる機会に中々恵まれなかった。そこに現れたのが梨晏である。黄蓋はこの年の離れた弟子のことを甚く気に入り、時間を見つけては指導していた。

 

 三回続けて継矢をした梨晏の腕前に黄蓋は冷静だった。彼女らにとって矢というのは狙って撃てば当たるものだ。当たること自体は確認のようなもの。梨晏の腕に不満はない。ならばそろそろ次の段階に進んでも良い頃合だろう。

 

 得意満面の梨晏を呼び寄せると、黄蓋は岩の前に立った。自前の強弓に一本矢を番えると精神を集中させる。一念。一矢。十分に弦を絞り放たれた矢は、次の瞬間には深々と岩に突き刺さっていた。弓はともかく矢は梨晏が練習用に使っていた普通の物だ。間違っても堅い岩に普通に刺さるようなものではない。一体どういう理屈なのか。驚きをもって黄蓋を見やると、彼女は少しだけ得意そうに笑って見せた。

 

「年の功という奴じゃな。所謂『気』というものじゃ。儂やお前のような女の身で突出した力を持つものは生まれつき体内の気が多いと言われておる。それを活性化させて怪力を出したり中には光として外に出す輩もおるというが……儂がやったのは矢にそれを込めるということじゃな」

「意味解らない」

「案ずるな。儂も良く解らん。気とはこういうものじゃと説明できるものでもないしのう。まずは自分の中の気を自覚できるようにならんことには話にならん。そしてこれには向き不向きがある。お前が向いているかどうかはやってみなければ解らん」

「強い人は皆これができるの?」

「いや? 少なくとも大殿や策殿はできんよ。できるがやらんだけかもしれんが……いずれにせよ剣をぶん回すだけならそれこそ気合だけで何とかなるものじゃからな。これを自覚せねばならんのは、外に飛ばす必要のある者だけじゃ。主に弓手じゃ」

 

 そもそも外に出せるだけの気を持っている人間は少なく、またほとんどの人間は外に出す必要に迫られない。黄蓋の言った通り、気を練って外に放出するくらいなら腕力や技量に物を言わせて直接武器をたたき込んだ方が遥かに早い。

 

 黄蓋のやったように矢にまとわせるだけでも相当なセンスが必要であり、気を直接飛ばし、それを実用的に扱える人間はそれこそ、百万に一人もいれば良い方だ。

 

 だからこそ、気を乗せて矢を放ち必殺の一撃を遠くまで飛ばせる弓手はどこの軍団でも重宝される。単純に数が少ないのだ。孫呉軍でも黄蓋に準ずるレベルの使い手でも、梨晏がやってくるまでいなかった程だ。

 

「ひょっとして黄蓋さんが帝国一の使い手?」

「上から数えた方が早かろうが、一番ではないな。同等の使い手も大勢いよう」

「世の中広いね」

 

 団の中に限らず、黄蓋に出会うまで自分よりも弓が上手い人間に出会ったことがなかった梨晏にとって、黄蓋の言葉は新鮮だった。

 

「この地にいるものなら、曹操軍の夏侯淵。まだまだ若いが中々の使い手と聞く。参集していない中では厳顔か。なにやら珍妙な武器を使うというが、これも天下に名高い弓手よ。敵方も含めるならば呂布だな。あれは剛力無双の武人として知られているが、優れた弓手でもある。二百歩先の兵を一矢で三人殺したというが、一度射を見てみたいものだな」

 

「だが天下一を一人挙げるというのであれば、楼黄忠を置いて他におるまい。国境防衛の立役者。地平に現れた騎兵を、雷を放って薙ぎ払ったと言われている」

「それは弓手じゃなくて妖術師とかそういうのじゃないの?」

「雷はたとえ話だろうが、国境に楼を築き、そこから単身押し寄せる異民族の兵を射殺し続けたというのは事実じゃ。異民族はその武勇を恐れ、国境に楼が築かれているのを見ると、何もせずに引き返すようになったとか。じゃから『楼』の黄忠。略して楼黄忠という訳じゃな」

「その人来てないの?」

「その楼の一件から異民族との講和の取りまとめで忙しいらしい。奴が生きている間は帝国に侵略の足を踏み入れぬと約束させ、商いまで始めるとか。いずれ牧として取り立てられるだろうよ」

 

 黄蓋の言葉を聞きながら、梨晏は弦を引き絞った。ぼんやりと気というものを意識して集中し、矢を放つ。岩を穿つと強烈な意思を込めて放った矢は、しかし表面に弾かれて地面にぽとりと落ちた。少しの傷はついているが、黄蓋がやったように刺さらない。落胆する梨晏を見て、黄蓋は声を上げて笑う。

 

「まだまだ年寄りに花を持たせろということだな。精進せよ、小娘よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 集結地の中央にしつらえられた空き地は、会議場として使われ軍議もそこで行われる。これが最初の会議だ。孫呉軍からは代表である孫堅と、軍師として周瑜が付き従っている。一つの陣営から参加できるのは二人のみ。代表と参謀。これが基本の形だ。

 

 一軍の代表ということで孫堅は議場に足を踏み入れたが、立場は袁術の客将である。意見は出すが袁術と意向が対立する場合、そちらに従うということになる。出席のうまみの少ない会議に見えるが、決を採る場に席があるというのはそれだけで価値がある。孫堅が袁術の意向を無視できないように、袁術もまた孫堅の意向を無視できないのだ。

 

 参加しているのは袁紹とその参謀の顔良。こちらは上座に堂々と座っている。豪奢な金色の髪を巻いたいかにも金を持っていそうな女と、黒髪を肩で切りそろえた大人しそうな雰囲気の顔良が対照的である。

 

 その正面、つまり下座に座らされているのが袁術であり、その背後に立つのが張勲である。かの袁術を下に置くとは度し難い振舞いであるが、それに文句を言う人間はいなかった。下に置かれていることそのものに袁術も不満があったようだが、ここは参謀の張勲がなだめて今では忘却の彼方だ。

 

 自己顕示欲が持続する袁紹と異なり、彼女のそれは一過性のものだ。それが故に、軍団は張勲によって制御されている。兵の質も孫堅の目から見れば惨憺たるものだが、袁紹と比べるとかなりマシに見える。頭数を揃えることさえでき、かつ孫堅に全幅の信頼を置けるのであれば、袁紹を喰らうというのも不可能ではないが、張勲からその実行をにおわされたことがない。

 

 叛意は向こうも理解している。

 

 黙って腕を組みじっとしている孫堅の袁術を挟んで反対側には、馬騰の名代として参加した馬超が座っていた。孫堅にとっては懐かしい顔だ。と言っても孫堅が馬超と顔を合わせるのはこれが初めてだった。顔なじみなのは彼女の母である馬騰――真名は紅である。戦場で幾度となく顔を合わせ、時には肩を並べて戦い、時には本気の殺し合いをした。

 

 面差しは紅に良く似ていた。特に意思の強さを感じさせる太目の眉と瞳は、紅の生き写しである。ただ孫堅をして生き汚さでは他に類を見ないとされる紅程の生命力は感じられない。勝気で奔放に見えるがアレに比べてば深窓のお嬢様と言っても差し支えない。孫堅の評価はまぁまぁだ。

 

 参謀として後ろに立つのはこれまた似た眉をしている少女だ。これが一刀の報告にあった馬岱だろう。

 

 孫堅とこの馬超が、要するに袁紹とはそれほど縁がない二組ということだ。袁紹が周囲に配置したのは彼女と知己の二人の将である。

 

 孫堅から見て左側にいるのが、曹操だ。袁紹の昔馴染みであるという大宦官の孫だ。孫堅の領地までも傑物であるという噂が届いている。幕下の兵たちも精強であり黒揃えの親衛隊は女のみで構成されているという。連れているのは猫耳を模した頭巾の目つきの悪い女。王佐の才とあだ名される荀彧である。

 

 少し前、一刀の世話をしてやった名家の女とかで、彼の仲間たちからは中々の恨みの籠った声で、彼が熱をあげているという苦言が散見されている。話を聞くに一月の間こき下され続けるという関係だったそうだが、一刀本人は満更でもないのだとか。そりゃあ女としては面白くなかろうな、と荀彧を見ながら思う。

 

 孫堅の目から見ても見てくれは悪くないが、所謂絵物語に出てくるような男が入れ込む女然とはしていない。これならまだ一番下の娘の方が男受けは良かろう。伝え聞く話を総合すると猫耳頭巾は大の男嫌いであり、一刀からまた聞いた話も彼なりに柔らかにしている傾向があった。

 

 重ね重ね、そんな女のどこが良いのかと思うが、女の好みなど人それぞれである。自分を罵倒してくる乳の薄い女が好みの男も世の中にはいるのだろう。

 

 そして、その曹操たちの反対側にいるのが公孫賛だ。北方の雄。白馬儀従ともあだ名される女であり、こちらも袁紹の昔馴染みであるという。幕僚がイマイチな連中ばかりというのがたまに傷であったのだが、現在は美髪公と名高い関羽の一行を客将として迎え入れている。

 

 構図としては親袁紹とそれ以外という有様である。諸侯というからには他にもいるが、方針を決める会議に参加を許されているのはここにいる六名の将と六名の従者の計十二人。議題を挙げることができるのも、それに意見が許されているのも、ここにいる人間だけだ。

 

 三十万を超える大軍の全てが、この十二人で決定されるのだ。まったく忌々しい話である。

 

「さて、まずは盟主を決めたいのですけれど?」

 

 会議の口火を切ったのは袁紹である。決めたいと言ってはいるが、彼女本人、ここに居並んだ人間たちがどういう答えを出すのか理解しており既にそれを受け入れている。兵数、資金力を考えれば袁紹の勢力が筆頭なのは袁紹本人を含めて誰もが理解している。

 

 それでも本人が声を上げたのは、あくまで他薦で就任したいという意図が見えていた。器の小さいことだと思うが、形の上でも命令系統、責任の所在をはっきりさせておかなければ軍というのは前に進むこともできない。愚物を仰ぎ見るのは虫唾が走るものの、裏を返せば何かあった時には彼女が責任を持つということでもある。

 

 問題はそうなった時、責任を取らせるように周りが動くことができるかどうかであるが……こちらも目的こそ一緒だが考えていることも一緒。本当の意味で一枚岩ではない。自分たちさえ生き残っていれば他の全員が皆殺しになった所で気にしないというか、それがある意味理想の形である。

 

 とは言え足の引っ張り合いをし続けて勝てる相手ではない。匙加減を誤ると自分たちを含めて皆殺しにされかねないとなれば本気にならざるを得ない。だがそうすると自分の所だけ兵を損耗するという悪循環だ。どういう風にするのが最も効率が良いのか。頼みの軍師たちも明確な答えを出すことができないでいた。

 

 戦場についた段階でああだこうだ言っている時点で遅いのだ。背の小さい金髪の軍師は言うが孫堅も心の底からそう思う。

 

 微妙な沈黙に耐えかねた袁紹が更に続きを促そうとした結果、呆れた顔の曹操が推薦する形で袁紹が盟主になることが決まる。さて、とその次に決められるのが。誰が一番槍を務めるかということだ。

 

 一番槍となれば武人の誉れ。小さい戦場であればここは私がと逸る人間が見られる場ではあるのだが、司会役を引き受けた袁紹の大参謀、顔良の言葉に、手を挙げる人間は一人もいなかった。

 

 無理もない。帝国でも二番目に堅牢な関に立てこもっている、帝国でも有数の名将に率いられた十万を超える官軍を相手に一当たりしてこいと言われたら誰だって難色を示し、それを言われたのだとしたら言った人間には死んでこいと思われていると解釈する。

 

 誰もやりたくはない仕事だが、誰かがやらないといけない。ならば立場の弱い人間ということだが、ここでも消去法で話が進む。

 

 まず袁紹、袁術の二組はやるまい。一番槍の名誉は決して小さなものではないが、率いる二人は武人でないためそこまでの拘りは見せない。むしろ敵の戦力を探るために積極的に他人を出そうとするだろう。

 

 次に可能性が薄いのが馬超の軍だ。地元が董卓の近く帝室よりである彼女らは、あちら側にいてもおかしくない勢力である。雑に扱ってじゃああっちに行くよ、となられても困る。彼女らの主力は騎馬隊である。関を攻めるのにはそこまで重要ではない兵種であるものの、ことここに来て一万以上の戦力が減るのは何としても避けたい所だ。

 

 さらにその次が孫堅の軍だ。決して袁術との関係は良好とはいいがたいが、対外的には袁術の子飼いである。いざことに当たることになった時、袁術軍全体で主力となるのは孫堅軍であるため、ここでの損耗は避けておきたいところだろう。

 

 無論、どうしてもとなったら張勲も重い腰をあげるだろうが、それは他の手を尽くしてからになる。

 

 ここに集まった勢力の中で、自薦以外で白羽の矢が立つとしたら残る二つの勢力だ。どちらも袁紹と仲良しであるが、袁術と孫堅ほどではないものの、そこまで良好な関係という訳ではない。特に公孫賛は袁紹と領地が接しており、乱世となれば真っ先に戦いの幕が落とされると見られている地域である。

 

 袁紹個人に公孫賛に対する隔意は無くとも、後々のことを考えればまっさきに戦力を落としておきたい所だろう。曹操は順当にいけば公孫賛の次に当たる軍団である。袁紹にとってはどちらも戦力を削いでおくにこしたことはないのだ。

 

 そして曹操と公孫賛を比較した場合、矢面に立つことになるのは公孫賛だろう。公孫賛とて決して無能な訳ではない。人物評の辛い孫堅の目から見ても優秀な、特に騎馬戦力の薄い孫呉軍においては喉から手が出る程欲しい人材であるが、相手は当代でも随一と言われる傑物の曹操である。こと弁舌の勝負となれば彼女の勝ち目は薄い。

 

 なれば、この戦に当たって勝ち目を持つ公孫賛にとっては望む所な展開である。

 

「私が行こう」

 

 口火を切ったのは公孫賛本人だった。全員の視線が集まると、彼女は苦虫をかみつぶしたような顔をしていった。

 

「正確には私と関羽の軍だけどな。私の軍は騎馬が主体だが……最初の一当たりってことなら文句ないだろ?」

「そうですわね。文句なんてあるはずもありませんわ」

 

 全員に向けられた公孫賛の問いに、袁紹は一人で答える。曹操が一瞬、何か言いたそうな顔をしたが結局口を閉ざしてしまった。視線を落とし黙考しているのを見るに、公孫賛の発言と態度から何かを感じ取ったのかもしれない。敏い女だと感じつつも、孫堅は自分の仕事をすることにした。

 

「一番槍の道行き、そいつらだけじゃ寂しかろう。各々千程度、兵を貸してやるべきだと思うんだが」

 

 他人の兵をまで勘定にはいれていない。作戦は公孫賛たちだけでも達成は可能なはずだ。それでも彼女らが他人に声をかけたのは先々を見越して貸しを作るためである。勲功一等を譲るのならばそれ以下をくれてやる。要はそういうことだ。可能か不可能かは別にして、大軍を貸すことはできない。

 

 千程度と言ったが、決して少ない数字ではない。実力が下の人間を下から千人であればまだしも、他人に貸すのだから雑兵では話にならない。それなりの精鋭を貸す羽目になる。数字以上に痛い出費だが、ここで貸しを渋ることは、自分が水を向けられることにもなりかねない。特に公孫賛の次に立場が弱い曹操と孫堅はある程度、ここで気風の良い所を見せておかなければ、じゃあお前がやれということにもなりかねないのだ。孫堅の言葉は主に曹操に向けられた物である。

 

 じっと曹操の瞳が向けられる。何を知っている? と鋭い視線が問うていた。勝つ算段があるらしい。公孫賛にそれがあるとは流石の曹操も思わないだろう。かく言う孫堅も具体的な内容は知らないのだが、軍師たちが口を揃えて乗るべきだというので乗ることにしたのだ。

 

 勝てれば勝ち馬に乗ったということで問題なし。負けるとしても適当な所で切り上げておけと命令してある。勲功第一をかすめ取れるとすれば公孫賛が勝ち筋を残した上でくたばることだが……勝てる算段を踏んで他人にまで声をかけて失敗するのだ。

 

 その時は敗色が濃厚。仕切り直した方が良さそうだ。

 

 元よりこの算段自体降って湧いた物だ。得る物があればそれでよしと軽い気持ちで考えてさえいる。

 

 孫堅の意思が固いと見た曹操の判断は早かった。

 

「助太刀は出したい人間だけ、出すのは同じ数ということでどうかしら」

「俺は構わんよ。千でどうだ?」

「そんなところでしょうね。他に出す者は?」

「あたいの所も出すよ」

 

 公孫賛以外の五組の内、三組が名乗りを上げる。案の定、袁家の二人は手を出す気配もない。元より今回で勝てると思っていないのだ。袁紹も袁術も話を聞き流している有様であるが、二人の参謀は違った。顔良も張勲も、不審な物を感じ取っているようである。

 

 敏い女だ。しかし、戴く主を間違えた。愚物を推戴している二人は、自分の思い通りに動くのに時間がかかるし、それも確実ではない。どれだけ言葉を尽くしたとしても、主が首を縦に振らなければ実行に移すことはできない。二人はこの世で最も、各々の主を上手く操れる人間だろうが、それでも世間の評価が芳しくない辺りに、限界が伺える。何かを感じ取ったとしても、少なくともこの一戦だけはこの二人は手を出すことができない。

 

 まさに一発勝負だ。ぞくぞくする。

 

「そんじゃあ、後の話は一当たりしてからってことで構わんか? 千とは言え、色々やらにゃならんことがあるんでな」

 

 孫堅の一言でその場は散会となった。盟主が袁紹に決まったこと。一番槍は公孫賛が務めること。他の三組が千人程度の援軍を出すということ。決まったことはそれだけだ。仕事は終わったとばかりにさっさと幕舎を後にする袁紹を、周瑜が冷ややかな目で眺めている。

 

 他にもっと決めたり知らせたりすることがあるだろうと思うのだが、それをやってはくれないらしい。自分で情報を集めるか、伺いを立てにいく必要がある。考えるのが仕事の人間にはそれこそ、やることは山積みだ。

 

「……あまり勝手なことをされると困るんですけどねー」

「だったら口も手もだしゃ良かったろう?」

「お嬢様がおねむだったみたいですから」

 

 こいつなりの冗談かと思って顔を見れば、視線は既に孫堅の方を向いていなかった。言葉の通り、首を前後に振っている袁術がいる。判断基準のほぼ全てが主の意向を優先しているのは、孫堅にとって幸運なことだったろう。彼女が知る限り、最も頭が回るのは愛すべき筆頭軍師の周瑜ではなくこの女だ。今も何を考えているのか解らない顔に、薄い笑みを浮かべている。

 

「どうやら勝つ見込みがあるようで」

「どういう算段か知らんけどな」

「まぁ、勲功第一を渡されないようなので助かりました。言うまでもないことですけど、あまり兵を減らさないでくださいね?」

「死人なしとはいくまいがな。善処はする」

「よろしくお願いしますねー」

 

 ひらひらと軽く手を振りながら、張勲は袁術の手を引いて離れていった。事情をある程度察していてなお口を出してこないのならば好都合だ。

 

「私は先に戻ります」

「ああ、思春にはよく言っておけ」

 

 実際に戦うのは思春たちであり、細かな指示を出すまでもない。そういう面倒くさいことは周瑜がやってくれる。攻め込むのは早くても明日以降。兵の調練はある程度続けねばならないだろうが、今時分急ぎでやらねばならないことは思いつかない。

 

 酒でも飲んで一眠りするか。軍団の指揮も雪蓮がいれば回るだろう。何も自分が起きている必要はない。仕事をサボることに決めた孫堅は、何を飲むか考えつつ歩き出す。見知った顔がやってきた。

 

 気の強そうな面構えに、特徴的な凛々しい眉。馬の尻尾のような髪もそのままだ。自分の過去から飛び出してきたようなその娘の装いに、先ほど見たばかりだというのに孫堅の呼吸が止まる。

 

 その少女は孫堅の前に立つと、深々と礼をした。あの女ならば死んでもやらなかった仕草に、孫堅はようやくそれが別人であると認識した。確かに良く似てはいるが、近くで見ると瓜二つというほどではない。

 

「初めてお目にかかります。馬騰の娘、馬超です」

「言われんでも分かるよ。面が良く似てる。若い頃の紅にそっくりだ。まぁ、奴の方が百倍は悪人面をしてたが……」

 

 声を上げて笑う孫堅に、馬超はだんまりだ。母の人相がまさに孫堅の言った通りであることは自覚しているが、それをからかったものがどういう目に遭ったのか身をもって知っているからだ。

 

「紅はまだ生きてるか?」

「峠は越えました。いずれ回復するだろうと医者は言っています」

「そりゃ良かった。あんだけのじゃじゃ馬だ。寝台で死ぬなんて本望じゃあるまい」

「母とは、長いと聞いています」

「俺たちがお前さんより若い頃からの付き合いだ。共に戦い、共に酒を飲み、殺し合いもした」

 

 自分たち以外にも多くの将がいたが、今も現役として世に認識されているのは孫堅だけだ。他は皆死んだか第一線を退いている。

 

 その中でも病を得た馬騰と陶謙は辛うじて踏みとどまっていると言っても良かったが、どちらも身体を悪くしており、往年の力は発揮できないでいる。

 

 特に孫堅は馬騰――紅とは縁があった。全盛期の紅を知っている身からすると、病を得て死にかけたというのはあまりに信じがたいことだった。死などとは最も縁遠いと思っていた人間なのに、不思議なものである。

 

 紅との出会ったその日のことは、最初と途中が記憶にない。細かな経緯は忘却の彼方にある。

 

 紅が野蛮人と罵ってきた。田舎者と切り返した。返事は神速の槍だった。気付いた時には孫堅の肩を貫いていたが、怒りで痛みも感じなかった孫堅は槍ごと紅を投げ飛ばし、馬乗りになって何度も拳を叩きつけた。

 

 普通ならばそのまま勝負は決まっていただろうが、紅もさるもの。背骨を折りかねない膝蹴りを背に叩き込み、起き上がり序でに孫堅を蹴り飛ばす。この時点で、お互いが頭から血を被った様に真っ赤になっていたが、手も足も止まらない。

 

 もはや言葉の体すらなしていない罵詈雑言を吐きながらお互いを攻撃し続け――孫堅が正気を取り戻したのは寝台の上だった。全身無事な所が一か所もない酷い有様だったが、意識を取り戻して最初に気にしたのは喧嘩の相手がくたばったかどうかだった。生きているという返事を部下から聞いた時、孫堅は生まれて初めて悔しいという言葉の意味を理解したものだが……後から聞いた話だが、紅の方も似たような反応をしていたらしい。

 

 似たもの同士であると認識した二人は、それから意気投合し、思い出したように本気で殺し合いをしながら現在の関係に至っている。紅の方が病を得てから顔を見ていないが、気の強い奴のことだ。病でやせ細った身など見られたくはないだろうと足を運ばずにいる。

 

「ま、快方に向かっているなら是非もない。精々養生して、俺に殺されるまで生きていろと奴に伝えてくれ」

「言うと思ったよクソ女。死ぬのはてめえだと言付かっています」

「紅らしいな」

 

 からからと笑う孫堅に一礼すると馬超は去っていった。馬超も兵を出すと言ってしまった。千人というのは万を指揮する人間にとって決して多くはないが、雑兵を出す訳にはいかないのはどこも同じである。それなりに立場のある人間が率いたそれなりの精兵となれば調整が必要だ。孫呉とは逆に騎兵が主力の彼女らなのだから、兵の選出には苦労するだろう。

 

 去っていく馬超の背中が旧友に重なって見えた。何も考えずに友と戦っていた昔が思い出される。楽しかった。そんな日々が続くと馬鹿みたいに考えていた。だがかつて自分がいた場所には娘たちがいる。まだまだ負けるつもりはないが、主役は自分たちではなくなったことが、肌に感じられるようになってきた。

 

 お互い年を取る訳だな。かつて殺し合いをした友に似たその娘の背中を遠目に見ながら、この戦いが終わったら文の一つも出そうと孫堅は心に決めた。

 

 

 

 

 




春蘭がオーラを飛ばすイベントを見るに、こんななんだろうなという解釈でした。
ストーリーにはさっぱり関わりません。凪はきっと強化よりの放出系。

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