真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第036話 反菫卓連合軍 汜水関攻略編③

 正直に言えば、星は華雄という武将を舐めていた。自分と比べて一段は劣る。苦戦は免れまいが勝つだけならば問題のない相手と考えていた。

 

 それが思い違いであることを知らされたのは一合武器を交えてからだ。この相手は自分を殺しうると直感してからは気持ちを切り替え全力で相対した。一合目で気づくことができたのは星にとっては幸運なことだった。一合持たずに切り殺される。その可能性も十分にあったのだから。

 

 渾身の力を込めた槍がやはり渾身の力を込めた槍で弾かれる。どれもこれも必殺の一撃だ。それを百合、二百合。既に星の息は上がっていた。それは華雄も同じである。二人とも顔には凄絶な笑みが浮かんでいる。息苦しさの中に確かな恍惚があった。死力の中の死力を尽くしてようやく勝てる……かもしれない相手。そんな相手に巡り合うことができるのは一生に一度あるかないかだろう。

 

 絶妙に実力が拮抗している。

 

 次の瞬間に殺されているのは自分かもしれない。その危機感に命のやり取りをしている最中にも関わらず星は快感を覚えていた。これがずっと続けばどんなにかと思うが、そうはいかないのが戦というものであり、人生というものだ。

 

 名残惜しいと思う気持ちは華雄とて同じであるが、命のやり取りをしている者特有の冴えた直感が、この戦いがもうすぐ終わることを二人に知らせていた。

 

 この戦いに問答は無粋である。示し合わせたように一度距離を取った二人は武器を構えた。喧噪は続いていた。戦はまだ続いている。どちらかが死んでも戦が終わる訳ではない。これからも戦いは続く。むしろこれからの戦いが本番なのだ。

 

 その戦いに、どちらかは参ずることはできない。それはとても無情なことで、正しいことだ。倒す。殺す。そして自分は生きるのだ。そんな本能的なことを超越して、ただ単純に星は目の前の武人に勝ちたいという欲求が勝った。忠節も名誉も、今この瞬間にはどうでも良いことになっていた。

 

 踏み込み、槍を振りぬく。数百合の打ち合いに耐えた槍はかん高い音を立てて半ばから折れた。細かな金属の破片が舞う中、華雄を見る。彼女の槍もまた半ばから折れていた。視線が交錯する。

 

 ただ、華雄はそこで動きを僅かに止め、星はそのまま動いた。それが二人の命運を分ける。

 

 槍を振りぬいた勢いそのままに星は身体を回転させる。半ばから折れた槍を握りしめ、反転。石突で無防備になった華雄の腹を突く。骨が砕ける鈍い感触。華雄が血反吐を吐くがそれでも星の動きは止まらない。

 

 槍から手を放し、星は雄叫びを挙げた。地よ砕けよという強い踏み込みと共に、顎に拳。戦い始めて初めて、華雄の身体が宙を舞った。背中から受け身も取らずに地に落ちる華雄に星は深い溜息を吐いた。自分の呼気の中に、血の匂いがする。重傷ではないが大怪我だ。

 

 もう休みたいと大合唱する体に鞭を打ち、折れた穂先を探して握りしめる。身体を引きずるようにして倒れた華雄の所に行くと、彼女はまた大きく血を吐いた。致命傷ではないが重傷だ。闘志は萎えていないようだが気持ちは既に切れている。しばらくは立ち上がることもできないだろう。

 

 穂先を握る手に力を籠める。これを突き刺せば、自分の勝ちだ。公孫賛の客将の一人として、武人として責務を果たさなくては。極めて無感動に星は穂先を振り上げ――そして、地面に取り落とした。そのまま華雄の傍らに、どかりと腰を下ろす。

 

 この好敵手を殺すのは惜しいと思ってしまうと、戦うという気持ちがぶつんと切れた。無理やり動かしていた身体が悲鳴を上げてついに動かなくなる。高ぶっていた感情が暴走し、意味もなく涙が溢れた。このまま寝入りたい気持ちを強引に抑える。せめて勝者としての義務を最低限は果たさなくては……。

 

 ここで殺されると思っていた華雄は首だけを動かし、急に泣き出した星を見ていた。奇行を始めた今、逆転の機であるのだが、身体の具合では華雄の方が遥かに深刻である。動けぬ身体で無様を晒すくらいならば意識がはっきりしている内にトドメを刺してもらいたいのだが、泣き出した相手は今度は急に笑いだした。

 

 戦中、兵の気が触れるというのは良くある話だ。華雄とて何人もそういう人間を見たことがあるし、処置なしと判断した時には味方でも切り捨てた。気が触れた人間とそうでない人間は見れば解る。眼前の武人は明らかに正気であるのだが、笑い声は止まらない。正気のまま奇行をしているのだ。

 

「……できればここでさっさと殺してほしいのだがな」

「やめた。降れ。そうすれば美味い酒と秘蔵のメンマを振る舞ってやろう」

「今更食い物で命を惜しむものか。勝者の務めだろう。殺せ」

「いやなに。私とここまで打ち合える人間を、殺すに惜しいと思うのは当然のこと。今仕えている御仁はな、優秀ではあるが恐ろしく自己評価の低い御仁で、人にも恵まれておらん」

「美髪公やお前がいるではないか」

「私はともかく、愛紗は腰かけのつもりだろう。これはこれで本気だろうが、既に思い定めた人がいるのだな。私は……いや、私もそのつもりだったのだが、お前と戦っている内に事情が変わってしまった。私と、後もう一人くらいいれば、あの人でも上を目指せるではないかとな」

「それは貴様の事情で私の事情ではないな」

 

 とりつくしまもない返答である。ここに自分と華雄だけであれば星も諦めただろうがそうではないことを星は知っていた。痛む身体に鞭を打ち、天に届けとばかりに大音声をあげる。

 

「勇将、華雄の精兵たちに告ぐ! こちらの華雄殿の命運はこの趙雲の手の中にある! その強さと忠義に免じて道を示す。今再び、華雄殿と共に戦場に立ち、共に酒を酌み交わしたいと思う者は、武器を捨て投降せよ!」

 

 一人の将軍が指揮する部隊として、華雄隊は董卓軍の中で張遼隊に次いで二番目に多い。張遼隊は大規模な騎兵団とそれを補佐する歩兵で構成されているため、ほぼ歩兵で構成される部隊としては董卓軍の中では最多であり最精鋭である。

 

 大将の気質を反映した勇猛果敢な部隊として知られ華雄に忠義を尽くす命知らずの集団だ。この決戦に臨むに当たって命を惜しむ者は一人もおらず、命尽きるまでと死力を尽くした兵たちは大いに公孫賛軍を苦しめていた。

 

 星が華雄を下した時点で華雄隊の生存者は一割を切っていたが、気炎万丈。士気は落ちることなく兵たちは武器を振るい続けている。

 

 そんな兵たちに星の声が届いた。彼らは命を惜しまない。彼らは戦い敗れ死んだとしても後悔などしないし本望として死ぬ。恐れることがあるとすればそれは敵味方から臆病者と謗られること。彼らは己の名誉のために戦っていると言っても過言ではない。

 

 連合軍、引いてはそれを組織した袁紹憎しという思いも当然あるが、偏に、戦いの中で生き、そして死ぬことが彼らにとっては自然なことであり望むことであるのだ。

 

 であるならばここを死地と定めた兵たちの動きを止めることなどあるはずはない。ないのだが……星の声に生き残った兵たちは顔を見合わせるとあっさりと武器を投げ捨て両手を挙げた。命の限り死ぬまで戦うと決めた兵たちが戦うことを放棄したのだ。

 

 これには交戦していた公孫賛軍の兵たちも困惑する。

 

 死を恐れない彼らは、華雄の元で戦うことを誉としていた。これが最後だと思い定めていたから、死ぬことも受け入れたのである。

 

 だがその華雄と一騎打ちをしこれを破った女の言うことにゃ、次があるというのだ。あの隊長とまた一緒に戦うことができるとなればここで死ぬ理由はない。彼らにとって重要なのは『どこで』でも『誰に』でもなく、『誰と』なのだ。勇将華雄と共に戦うことができるのならば場所も相手も問わない。

 

「愛されているな。お前一人の命のために、お前に付き従う者の命まで散らすことはあるまい」

「…………酒、忘れるなよ」

「メンマも忘れてくれるな。むしろこちらの方がオススメだ」

「華雄。字は夕恭。真名は夜という。長い付き合いになるかもな」

「趙雲。字は子龍。真名は星だ。なに、望む所だ我が友よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「助かりました、北郷殿」

「なに。困った時はお互いさまです」

 

 趙雲の声は戦場を駆け巡り、それは一刀たちと交戦していた部隊にも届いた。相手を殺し尽くすまで戦うつもりでいた一刀たちは、唐突に武器を捨てた相手に困惑しながらも、勝った側の義務として彼らを捕虜として受け入れていく。

 

 彼らを武装解除して後方に送ることになる訳だ。故にこれからまだ戦う部隊と捕虜を移送する部隊に人員を分けなければならない。

 

 また中途であっても戦はこれで一区切りだ。損耗の確認とそれに伴う部隊の再編など指揮官としてやることは多い。一刀隊五百の内、継続して戦闘が不可能な死傷者は十五名。この内死者は五名だ。激戦であることを考えれば驚異的な損耗率である。押し込まれていた楽進隊の損耗率が六割に届こうとしていたことを考えれば、一刀隊が如何に上手く立ち回っていたのか理解できるだろう。

 

 少数の部隊の運用に関して一刀はそれなりに非凡なものを持っている上、将としても通じる梨晏とシャンを小隊長として使うという大盤振る舞いだ。今回はそれが極めて良い方面に出た結果であり、一刀への報告を横で聞いていた楽進はその手腕に密かに感動さえしていたのだが、損耗率に関する報告は一刀にとっては楽進が感じたものとは全く別の意味を持っていた。

 

 兵を挙げてから初めての死者である。その五名は皆挙兵の二百人ではなく、孫呉軍に合流するまでに参入した面々だったが、共に訓練をしたし食事も共にした。出身がどこで好物は何か。どういう人生を歩みこれからどうしたいのか。色々な話をした。

 

 もうそういう話ができないのだと思うと胸が張り裂けるような思いだった。挙兵の時からいる兵たちは死者が初めてという事情を知っている。物思いにふける一刀を邪魔しないように部隊の見分なり再編成はシャンが代行して行っていたが、その物思いを遮るように一刀を呼ぶ声が挙がった。

 

 白馬の鎧武者。白馬陣の一名なのだろう。顔に覚えはないがその装いだけで公孫賛からの使いというのが良く解る。一刀が声を挙げると、鎧武者は一刀の前で馬から降りた。

 

「公孫賛将軍より伝令です。これより汜水関に突入。北郷隊は全員、突入部隊に参加するようにとの由」

「甘寧隊からは他には?」

「甘寧将軍が五百。それに北郷隊を加えて全軍とのことです」

 

 元々が三千。この戦いでの損耗を考えると、かなりの割合を突入に割くことになる。前情報が全て正しければ汜水関に残っている戦力は華雄隊がほぼ全てであり、関の中に残っているのはそれ以外の兵……この上なく悪い言い方をすれば、数でも質でも劣る兵である。

 

 問題なく関の中に突入できるのであれば、物の数ではないはずだ。公孫賛隊の歩兵。張飛指揮する中央の部隊だけでも十分片は付くはずであるが、態々声をかけてくれたのは白馬義従なりの配慮なのだろう。

 

「委細承知しました。直ちに部隊を再編し合流します」

 

 よろしく、と短い返事を残して鎧武者は立ち去った。一刀が兵を見回すと再編は済んでいる。残り全員で突入ということであれば、ここの捕虜は全て楽進隊に頼まなければならない。

 

「公孫賛殿の指示により、汜水関に突入の運びとなりました。捕虜の移送をお願いしたいのですが、問題ありませんか?」

「それは構いませんが……汜水関に突入とおっしゃいましたか?」

「そうなります。これからあの大門を開けて制圧しなければ」

「……公孫賛将軍はまだ戦うおつもりなのですか?」

 

 一番槍という貧乏くじを引かされた。数千の援護があったとは言え、守将の()()である華雄とその部隊の生き残りを捕虜としたのだ。義務は十分に果たしたと言えるだろう。このまま打ち切り帰ったとしてもまさか文句を言って来る人間はいないはずだ。

 

 しかし、公孫賛はやると言っている。公孫賛軍に援軍を合わせれば決して少数とは言わないものの、帝国で最も堅牢な関の一つである汜水関を抜くにはどうにも心もとない。攻城のための道具も用意されているようであるが、あくまで陥落させるつもりであるなら延べ人数でこの十倍の人員と時間が必要になる。

 

 にも関わらず、一刀の物言いに汜水関を落とせることを疑っている様子はない。まるでその算段が既についているかのようであるが……いずれにしてもここが楽進にとって考え所だった。

 

 楽進はあくまで曹操軍からの援軍である。この場での指揮官は公孫賛であるが本来の主は曹操だ。無謀、勝算なしと判断できるのであればそれに従う理由はないし、曹操からもそうして良いと言われている。常識定石に従うのであれば、このまま関を攻めるというのは正気の沙汰ではないのだ。

 

 援軍というのが楽進隊だけであれば意見の一つも言いに行っただろうが、困ったことに援軍は楽進隊だけではない。大きな所では曹操軍から楽進隊が、孫堅軍から一刀の属する甘寧隊が、馬超軍からは馬岱隊がそれぞれ参戦している。都合三勢力から三部隊だ。

 

 既にその三部隊の内甘寧隊は関を攻めることに同意しているようである。一刀の態度から察するに関を攻めることまであらかじめ話がついていたようにも思えた。その話がこちらに伝わっていないことは業腹ではあるものの、汜水関陥落の手段が確度の高い話として外に漏れてしまえば、貧乏くじであるはずの一番槍が途端に美味しい話になってしまう。限られた面々で話を進めるのは当然と言えた。

 

 勝つ算段があるという前提で考えてみると、楽進にはここで反対するのは悪手に思えた。公孫賛がやると言い甘寧が追従している以上、仮に馬岱と共に楽進が反対しても意見が覆ることはないだろう。この場で一番()()のはあくまで公孫賛なのだ。馬岱が強く反対するのであればまだしも、これで彼女まで公孫賛に追従していたら反対するだけ赤っ恥だ。 

 

 それに楽進の個人的な所を言えば、戦いが続行されるのであれば追従したい。初戦は公孫賛軍が勝利した訳だが、楽進隊がその勝利に貢献したとは言い難い。三千で出撃した部隊は半分にまで減っている。数字だけを見れば大惨敗なのだ。挽回できるのであれば挽回したいし、何より命令とは言え助けに来てくれた一刀に恩返しがしたい。

 

「お供しても構いませんか?」

「願ってもないことですが……よろしいのですか?」

「どうあれ貴方は私たちを助けてくださいました。貴方の援軍がなければ更にこの半分はこの世にいなかったでしょう。今度は私たちが恩返しをする番です」

「お気遣い感謝致します」

 

 一刀の言葉に笑みを浮かべた楽進はすぐに部隊を再編した。甘寧隊が一刀たちを合わせて千で突入するのであればそれを超えるのは不味かったのだが、生き残りの千五百の中にもう一度激戦に耐えうる状態の兵はほとんどいなかった。

 

 やる気だけはある兵がほとんどだったのが、楽進にとっては救いである。とは言え、楽進の目から見てさえこれは無理だと判断できる兵を連れていく訳にはいかない。ざっと千五百全てを見分し、楽進が連れていけると判断できたのは百五十だった。残りは中央の張飛隊の居残り組に合流して、華雄軍の捕虜の移送に協力する手はずとなっている。

 

「それでは参りましょう」

 

 集合場所は汜水関の大門を正面遠くに見る地点。元々華雄率いる中央の軍が最初に布陣していた場所である。弓を射かけられても届かない、弓手としてはかなり微妙な位置だ。

 

「無事に務めを果たせたようで何よりだ」

 

 甘寧は既に五百を選び終えて到着していた。河賊をやっていた頃からの部下たちであり、甘寧隊の中では精兵中の精兵である。悪党面の集団に衝撃を受けたものの世話になる立場であると、楽進は集団から歩み出て甘寧に頭を下げた。

 

「改めまして。曹操軍、楽進と申します。援兵ありがとうございました」

「孫堅軍、甘寧だ。礼には及ばない。汜水関の中にまで踏み入る覚悟のようだが、どのように動くつもりだ?」

「叶うならば、北郷殿の指揮下に入らせていただきたく……」

 

 ふむ、と甘寧は小さく唸った。楽進の兵は百と五十。一刀を含めた甘寧隊は約千人となる訳だが、一刀隊は好きにやらせるつもりであったため、正確には五百が二つである。あくまで甘寧隊に従うというのであれば隊の代表である自分に従うのが筋である、というのが楽進も解っているから、叶うならばと前置きをしているのだ。

 

 それ自体は別に構わない。他所の人間がいて動きが鈍くなるくらいなら、面倒なことは他人に押し付けた方が楽というものだ。一度とは言え一緒に戦った人間の方が楽進も動きやすいだろう。戦力が増えるに越したことはないし、恩を更に押し売れる良い機会だ。

 

 将としての甘寧に反対する理由はないのだが……一応部下として預かっている一刀が他所で作った縁を引っ張り込んでいるように思えて微妙に面白くない。とはいえ後の飛躍を考えている身であれば縁を繋ぐのは当然のことと言える。孫堅がそれを認めている以上、甘寧がそれに口を挟む権利はない。

 

 理屈でそれは解っているのだが、感情を処理できるかはまた別の話だ。戯れに反対してやろうか。そう思って楽進を見る。経験の浅さが態度からも見て取れる。将になって日が浅いというが、それでこの場を任されたのだから曹操からの期待の高さが伺えた。

 

 あの曹操がそこまで期待をかけているのだから、才も実力も申し分ないのだろう。残念なことに今回は裏目を引いてしまったが、戦働きでそれを挽回してやろうという気概が見て取れた。自暴自棄という風ではない。自分の状態を冷静に分析し、そこに立っている。頭が回るかは解らないが努めて冷静であろうとしている。甘寧個人としては非常に好ましいタイプの将だ。

 

「解った。北郷、上手くやれ」

「了解しました。上手くやります」

 

 何やら思う所はあったようだが、最終的に受け入れてくれたことに一刀と楽進は揃って胸をなでおろした。楽進隊が合流したことによって一刀隊の数は少し増える。

 

 一刀隊の現在の内訳は一刀が百、梨晏が二百、シャンが二百の合計五百である。普段は梨晏とシャンの直轄兵も一刀と同じ百なのだが、普段軍師たちに従っている兵たちも加算され二百になっている。百の人数差は偏に、一刀と二人の指揮能力の差だ。

 

 そこに楽進の率いる百五十人が加わる。自分たちのような連携は期待できないが、梨晏もシャンも楽進の奮闘っぷりは見ていた。単純な戦闘能力であれば、自分たちに勝る。

 

 どうあれ戦力が多いに越したことはない。近づく女のおっぱいは梨晏くらいぺったんこでないと安心できないシャンだったが、義理堅いようであるし一刀の近くにおいておく分には問題ないだろうと判断した。

 

「揃っているようだな」

 

 やってきたのは公孫賛。己の白馬に跨っていたが、付き従う馬岱は徒歩だった。その後ろには徒歩の兵がずらりと並んでいる。装備からして普段は騎兵をしているのが見て取れた。

 

「うちは張飛が千、馬岱が五百だ」

「もう少し出てくると思っていたが」

 

 甘寧の視線が馬岱の方に向いている。馬岱が率いていた兵は甘寧と同じ三千だ。張飛や甘寧に合わせて千でも良いはずだがそれほど兵の損耗が大きかったのだろうか。

 

「ごめんなさい、うちの兵はほとんどが騎馬なので突入に出せるのはこれが限界なんです」

「いや、こちらこそ申し訳ない。配慮に欠けた発言を謝罪する」

「楽進の百五十も加えて……二千六百五十か。これで汜水関を攻めようというのだから勇敢だな私たちは」

「中の兵が我々よりも少ないことを祈りましょう……北郷、発言するのに一々手を挙げるな」

「失礼。割って入って良いものか解らなかったもので……張飛殿、馬岱殿が参戦とおっしゃいましたが公孫賛殿は来られないので?」

「行きたいのは山々だし元々張飛ではなくて私が行く予定だったんだが、事情が変わった。本陣の方を見てくれるとそれが良く解ると思う」

 

 本陣の方が騒々しくなっている。こちらに兵でも出しそうな勢いだ。苦戦を眺めるつもりがまさかの快勝。これから汜水関に突入するというのも伝わっているのだろう。あの様子だと他人に任せた戦に首を突っ込むなどということをしかねない。

 

「そうなった時に話をつけるには、私が外にいた方が都合が良い訳だ。流石公孫賛の仕事だな。最後が実にしまらない」

 

 ははは、と自嘲気味に笑う。

 

「中でのことは一切張飛に任せてある。今更詳細な指揮などは必要ないだろうが、第一目標は関の制圧。投降する兵はなるべく受け入れてほしいが、その辺りは各人の裁量に任せる。各々、仰ぎ見る旗に恥じ入ることのないように」

 

 みっともない真似はするなという公孫賛からの釘刺しに、一同が頷いた。

 

 それきり、打ちあわせをしなければならないようなことはない。後は突入の時を待つだけだ。しばらく待てば大門は開く。それを知っている一刀たちは静かに気息を整え続けた。

 

 そうして、待つこと数分。汜水関の大門がゆっくりと開かれていく。

 

 その隙間から汜水関の中が見え始めた時、簡素な盾を持った一刀たちは一斉に駆けだした。攻城兵器などは放ってである。攻めてくるにしてもじっくりと。大方引き返すものだと思っていた守備兵たちは駆けだした敵兵に泡を食ったが、戦時に戦うのが兵の仕事である。弓に矢をつがえ準備していると、やがて守備兵の一人が異変に気付いた。

 

 大門が開かれようとしている。怒号が飛ぶが、城壁の上にいる兵たちにはどうしようもない。彼らは汜水関を死地と定めた。配置された場所で死ぬまで戦う腹積もりであるので、例えば城壁の上の兵たちはそれ以外に連絡を取る手段を持たない。大門を守るのは下に詰めている兵たちの役割である。城壁の上からそれに続く階段から怒鳴り声が飛ぶが、それに応える兵はなかった。

 

 そうした動揺は意識の間隙を生む。矢の雨が僅かの間やんだことで一刀たちはかなりの距離を稼ぐことができた。敵兵たちは大門が開かれると知って駆けだしていたのだと気づいた兵たちが慌てて矢を降らせて来るが、動揺は矢の照準も鈍らせる。スピードに乗った一刀たちは勢いに乗ったまま大門へと次々に飛び込んでいく。

 

 門とその周辺は一刀の感覚では小山に開いたトンネルという風だった。アーチ状の天井であるトンネルが数十メートル続いている。広い場所ではあるが千人を超える兵がゆっくり屯できるような場所でもない。ここは通過地点なのだ。

 

 甘い匂いとなにやら粘着物の付着した大小様々な石塊。おそらくこれが周泰が一人でもどうにかなると豪語したからくりなのだろうが、呑気にこれを見分している時間はなかった。駆け足を維持したままの一刀たちは、張飛を先頭にトンネルを抜ける。

 

 頭上注意。突入前から言われていたことであるが、トンネルから誰かが抜けてくると見るや、矢が雨のように飛んでくる。簡素な盾はあるが完璧とは言えない。隙間をぬって当たった矢に倒れていく兵たちには構いもせず、張飛隊は一番近い階段へと隊長である張飛を先頭に飛びついた。

 

 どりゃー、と掛け声を挙げて走る張飛に、彼女の兵たちが追従する。その用途から城壁への階段は広くそして多く作られており、百人からの人間が行き来してもまだ余裕がある。

 

 それは守る側からも同じことだった。踊り場にはバリケードが作られており、登ってくる兵たちにこれでもかと矢を浴びせかけている。先頭を駆ける張飛は階段を這うようにして進みバリケードの前で消えた。次の瞬間には、バリケードの陰に隠れていた敵兵たちの首が四つ宙を舞っている。両手の二剣を一閃。文字通り目にも留まらぬ技に付き従う兵たちから歓声も挙がるが、当の張飛は両手の剣を振るいながらも自分の出した結果に愕然としていた。

 

 狭い所で戦うのだからと用意した武器が、恐ろしいまでに軽い。

 

 そもそも形からして違うのだから普段使いの蛇矛と比べて圧倒的に軽いのは解っていたつもりだったが、いざ振るってみるとあまりの軽さに身震いさえする。今しがた刎ねた四つの首も本当はもっと下を狙っていたのだが、動いている間に軌道がズレて首を刎ねる結果になった。

 

 切れ味は油で鈍る。蛇矛はその重さで鈍器としても十分な働きをしてくれたが二本の剣は――あくまで鈴々の感覚ではあるが――非常に軽い。これでは力の限りブッ叩かないと人間を殺すことはできないのだ。刺したり殴り殺したり蹴とばしたりして兵をなぎ倒しながらも、自分にこの武器は向いていないなと眼前の戦いとは微妙にズレたことを考えていた。

 

 張飛隊はその後を粛々とついて行く。先頭を行く張飛が討ち漏らさないのだから後をついていくだけの楽な仕事、という訳でもない。張飛が注意したように階段には屋根がついていない箇所の方が多いため、上からは良い的である。重量物が降ってくることもあれば矢を射かけられることもある。

 

 張飛くらい超人であれば戦闘中であってもそれらを回避することは造作もないが、ここにいるほとんどの兵は厳しい調練を潜り抜けてきたと言っても常人の域を出ない。

 

 頭上に注意しながらも足を止めないことは彼らにとって非常なストレスになった。人間の目は本来上空を見るようにできてはいないのだ。上を見る人間周囲を警戒する人間。役割を分担することで順当に歩みを進めることになったが、普段とは違うことをしながらも歩調を落とすことはできない。張飛一人を先行させてしまったとあれば張飛隊の名折れだ。稀代の武人の手となり足となり働くことは、彼らにとってはこの上ない名誉である。

 

 かの燕人張飛がまさかこの程度で遅れを取ることなどありはしまいが、何かあろうという時にはせ参じることができないのでは意味がない。張飛隊、その中でも選び抜かれた精兵たちは張飛のためならば死ねる精神を持っているのだ。

 

 張飛隊の活躍を横目に見ながら、一刀たちは彼女らが向かったものとは別の階段に急行した。いかに広めに作られているとは言え、張飛隊の人員ですらただ後ろを歩いているような状態だ。この上さらに後ろに続いていては兵が遊んでしまう。

 

 無論のこと、張飛が安全を確保している道を行く方が安全ではあったが、踏破された道を付いて行くだけではいる意味がない。自分たちの仕事は可能な限り早く汜水関を制圧することである。多少の危険は受け入れるより他はないのだ。

 

 階段を強行して登らなければならない。上からは矢なり重量物が落ちてくる。速やかに登らないことには無駄に死傷者が生まれることになる。

 

 どう上るのが最適解か。図らずも張飛がそれを示してくれた。

 

「おんぶに抱っこで申し訳ないけど、梨晏とシャンが先行してもらえないか?」

「反対。二人とも前に出たらお兄ちゃんを守れない」

 

 意見を口にするシャンの表情は固い。言葉には出さないが梨晏もそれに同調していた。基本、一刀の判断を優先する二人であるが、一刀の安全問題については意見を曲げない時が多々ある。

 

 戦場で部隊を運用している時など特に、シャンも梨晏も近くにいない時が結構ある。危ない橋を渡ることも頭目の仕事だと郭嘉などには言われるしシャンたちもそれで納得しているようだが、それは逆にこういう守れる時には傍を離れないということでもあった。

 

 廖化達直属部隊は一刀団の中では精鋭と言っても良い練度を誇っているものの、身辺警護となるとその実力に疑問が残る。今の戦力で万全を期すのであれば梨晏かシャンを割り当てるしかないのだが、本人に武の心得があり、かつ兵の運用にも通じている人間となると梨晏とシャンしか適任がいないのだ。人材が腐ることを郭嘉などは特に懸念しているのである。

 

 しかし、一刀が頭目であるという事実は動かしようがなく、その身辺警護というのもまた重要な問題だった。兵数が現在のままであったとしてもシャンたちの他にもう一人、彼女らに匹敵する能力を持つ人間が現れないと、身辺警護にまで人材を回すことができない。

 

 そしてこの計算は兵数が現在の規模のままという前提だ。これから順調に大きくなっていけばこの人材不足はより深刻な問題をもたらすことになるだろう。廖化たちもそういう訓練を積んではいるものの、実を結ぶにはまだ時間がかかる。この状況は、どちらか一人が一刀の周囲にいないと危ないと実力者である二人が共通の判断をしたということでもあった。

 

 自分を心配してくれるのはありがたいが、ここで問答を続けて遅れる訳にもいかない。早急にシャンたちを納得させる手段がない以上、誰かを先行させるのではなく集団で固まって階段を登るしかない。大遅刻かもな、と苦笑しながら一刀がそれを口にしようとすると、先の一刀を真似するように、黙って話を聞いていた楽進が小さく手を挙げた。

 

「僭越ながら、私に任せていただいてもよろしいでしょうか」

「先行する二人のうち、片方を担ってくれるということですか?」

 

 ならば問題は解決する。他所の人材である楽進に負担をかけるのは心苦しくはあるが、敵の要衝に突入してる最中に、何を今更である。ここまで付き合ってもらったのなら、一つ二つ負担が増えた所で気にはするまい。楽進の提案は一刀にとって願ってもないことであり、期待を込めて問を返したのだが、その言葉に楽進は首を横に振った。

 

「いえ、これなら私一人でもどうにかなるかと。私が道を開きますので北郷殿たちは走ってついてきていただければ」

 

 一刀と、梨晏とシャン。それから廖化たち一刀団の面々の視線が楽進に集中する。先ほど趙雲がやったように、勇将華雄の相手をするのと比べれば、相手としては二つ三つ格が落ちるだろうが、それでも難所であることに変わりはない。

 

 兵の質で外の兵に劣ると言っても、彼らとて死兵であることに変わりはないのだ。後がないと覚悟を固めた兵たちはそれこそ、死にもの狂いで襲い掛かってくる。張飛はさくさく敵を切り殺して登っていたが、あれは張飛であればこそだ。しっかりと楽進の戦いを見た訳ではないが、一刀の見立てでは楽進の腕はシャンと同等程度である。

 

 可能か不可能かで言えばシャンでも可能だろうが、それは本人の安全を全く考慮しない場合だ。長い階段を上まで、それも死兵を相手に上からの攻撃まで気にして登るのであれば、自分と同等の働きができる人間が一人か二人、必要というのがシャンと梨晏の判断である。

 

「願ってもないことですが、お任せしてもよろしいのですか?」

「一本道、固まって動かない敵に退路なし。ならばあれらは敵兵にあらず。ただの的です」

 

 ぼんやりと楽進の身体の周囲に陽炎のようなものが見える。気、というものがこの世界にはあるとシャンや梨晏からは聞いていたが、漫画のように便利に扱うことのできる人間は極めて稀であるという。その稀な人間が眼前の少女なのだろうか。

 

 一刀からの沈黙を肯定と受け取った楽進は、先行して進み始める。時間は少ない。ここは楽進に任せるものとして、一刀たちは隊伍を組みその後に続いた。これで楽進に何かあったら曹操軍との間に大問題が起こる可能性が無きにしも非ずだが、気にしないことにする。

 

 踊り場にバリケードを築き、敵兵たちは待ち構えていた。撤退を援護するために時間を稼ぐのが目的である以上、彼らは前に出てきたりはしない。汜水関を制圧する上で門と城壁は制圧しておかなければならない場所。そこに通じる道は守るべき拠点である。相手が攻めあぐねるならば良し。攻めてくるまで待てば良く、攻めかかってくるのであれば死ぬまで戦えば良い。

 

 本来は十数万の軍を迎え撃つための施設だ。しかも大規模な戦闘を一度もしないままほとんどの兵が撤退してしまったため、装備は腐る程残っている。踊り場に構築されたバリケードは設置場所の広さを考えればかなりの強度を誇っており、持ち込まれた矢も十分だ。

 

 汜水関の兵たちからも、楽進の姿は見えていた。上から矢が降るなら盾を構えてゆっくり登ってくる集団から十歩ほど先行している。両手には簡素な盾。格闘をする時のような構えは崩さず、気息を整えながら登っている。

 

 バリケードの内側。弓を構えた兵たちが一斉に楽進に狙いを定めた。持っているのは簡素な盾が二つ。この距離、この人数であれば殺せる。兵たちのぎらついた視線が楽進を捉えた――その時には、楽進の準備は終わっていた。

 

 気合、一閃。

 

 裂帛の声と共に、楽進が拳を振りぬく。その一瞬の後、彼女の正面にあったものは全て、轟音と共に吹っ飛んだ。漫画のような光景に目が点になる一刀を他所に、ふっ飛ばされた敵兵たちがなす術もなく落下していく。強固に見えたバリケードは跡形もない。まるで最初からそこには何もなかったかのようになっているその場所を見やり、楽進は少しだけ得意げな顔で振り返った。

 

「上までこれを繰り返します。とりあえず、頭上にはご注意ください」

 

 

 

 

 

 

 

 ずどんする楽進の後を頭上に注意しながら走る。スリリングながらも簡単な作業だ。一本道なので討ち漏らしはない。弓の射程は楽進の攻撃よりも長いが、それは弓手が梨晏ほどに腕があった場合の話である。並の一流が確実に当たると確信できる距離まで近づいた時には既に、楽進が準備を終えている。それでもとりあえず矢は撃たれるが、当たらないものは気にする必要もなく、当たるものは盾で防がれてしまう。

 

 中には腕に覚えのある者が楽進に襲い掛かりもしたが、それこそ楽進の思うツボだ。気の乗った拳を鎧の上から打ち込まれた敵兵は、ただの一撃で動かなくなった。近づけば殺され、待っていても殺される。敵兵には楽進が悪魔にでも見えているだろう。味方だとこれほど頼もしい存在もない。

 

 目を引くのは気を撃ちだす技術である。なるほど便利なものだと感心するが、これだけ便利な能力がデメリットなしで使えるとも思えない。何の問題もなく長時間使えるものであれば先の戦いでもずっと使い続けていたはずで、そうであれば楽進隊はああも押し込まれなかったはずだ。

 

「シャン、危なくなったら交代してもらっていいか?」

 

 ん、と小さく頷いたシャンは狭い中で器用に斧を振るうと、上から落ちてきた置物を弾き飛ばした。矢は盾で、重量物はシャンが撃ち落としている。六百人全員分のカバーは流石にできないが、小走りで移動している集団を狙い撃つのは高所に陣取っている兵でも骨が折れるのか、矢も重量物も六割は見当違いの方向に飛んでいる。

 

 それでも矢継ぎ早に繰り出されるそれらは油断のならないものだったが、気合一閃、道の先を行く楽進の背中が一刀たちの気分を軽くさせていた。強い人間はただそこにいるだけで、付き従う者の心を奮い立たせるのだと実感する。

 

 それを見て奮起したのか。持っていた弓の弦を軽く弾いた梨晏が言った。

 

「私も活躍しようかな。団長、ちょっとしゃがんでもらえる?」

 

 言われた通りしゃがんだ一刀の肩に梨晏が跨る。少年のようなと良く揶揄される通り普段の梨晏は半ズボンで過ごしており今もその装いのままだ。戦時である。それに伴い多少重装ではあるものの下はいつも通りで、健康的な足がのぞいている。

 

 少年のようなという解釈は一刀も他の人間と同様であるが、その健康的な褐色の足で顔を挟まれるとあまり平静ではいられない。すべすべで何だか良い匂いがする。扱いはどうであれ、梨晏が美少女であることに変わりはない。

 

 一刀の内心を知ってか知らずが、梨晏は弓を抱えて一度大きく伸びをすると、力を抜いて背を倒した。背中と背中が張り付ている普段にない体勢にその意図を聞こうとするが、体勢の関係で梨晏の顔が見えない。背中ごしに渡されるのは梨晏の担いでいた矢筒である。

 

「まさかその体勢で上を狙うつもりか?」

「走りながら一々上を見ると狙いにくいでしょ? それならまだ上を見続けられるこの方が当たる気がするんだよね」

「その理屈は解らないでもないけどさ……」

 

 天才の考えることは良く解らないが、本人が当たると言うのであれば当たるのだろう。弓を持たせてからこっち、梨晏の矢が外れたことは一度もない。視界が通りさえすれば必中するのは過去の実績が証明している。これで今なお成長中と言うのだから、神というの不公平である。

 

 矢を射かけるにしても物を落とすにしても、一度縁から顔をのぞかせないといけない。距離が近いならばまだしも、上からではまだ一刀たちの所には距離があり、登る立場から見れば広い階段も上から物を落とす立場になるとそうではない。

 

 ちらと、弓を持った兵が縁から顔をのぞかせた、その瞬間、弓を引いて待っていた梨晏は矢を放った。狙いはたがわず、僅かにのぞかせた顔に吸い込まれる。一矢一殺。直撃を確信した梨晏はふとももで一刀の顔を軽く絞める。矢を寄越せという合図だと気づいた一刀は、矢筒から一本取り出し後ろ手に渡した。

 

 上では大騒ぎのようで矢も物も落ちるのが止まる。踊り場に残っている兵も上にいる兵も、ここで死ぬことを受け入れた兵のはずである。今更死ぬことを恐れたりはしないはずなのだが、そういう精神状態でさえ気持ちを割り切れないことがあるのが人間というものだ。

 

 上はまだ安全圏と考えていたのだろう。そこで仲間が下からの狙撃で射殺されたとなれば平静ではいられず、その間隙は一刀たちにとって助けとなった。その間に一刀たちは存分に足を進めた。

 

「シャン。俺も気を使えるようになるかな?」

「お兄ちゃんは今でも十分優しい」

「私抜きでいちゃいちゃするつもりー?」

 

 逆さ吊りで弦を引き絞ったままふとももで絞めて梨晏が抗議してくる。一瞬気道が閉まって眩暈がしたが、その直ぐ後、矢を放って城壁上の兵を一人射殺した。今度は軽く二度絞めてきた。矢筒から矢を二本取り出して背中の梨晏に渡す。

 

「で、あれだ。俺も楽進殿みたいにどーん! ってやりたいんだけど」

「前にも言ったけど強い人というのはほとんど例外なく気を使ってる。チャクラ? 人間の体にはいくつか気の門があって強い人はこれが開いてるのが多い。飛将軍呂布は、これが全部完全に開いてるとか」

「チャクラがない人は使えないってことか?」

「チャクラは全員にある……らしい。これが開いてるかどうか。開ける方法が良く解ってない、けど強い人は大抵生まれつき開いてる数が普通の人よりも多い」

「要するに才能ってことか」

「そういうこと。シャンの目から見てお兄ちゃんは普通。凄く普通」

 

 使えるようになる見込みはなさそうである。残念ではあるが当然かもなと納得もできた。過去の武将が女の子になっている世界にやってきたのだ。北郷一刀に起こる不思議はそれで打ち止めだろう。

 

「で、これが肝心なんだけどさ。楽進はどーんってやれるけど、あれはシャンとかもできるのか?」

「あれはあれでまた別の才能が必要。梨晏が最近弓に気を込めて撃つ練習してるけどあれのもっとすごい奴。気を練って力を高めるくらいなら結構簡単だけど、それを塊にして身体の外に出したり撃ちだしたりするのはシャンには無理」

 

 強化系が多い世界なんだな、と一刀は高校生男子として至極当然の分析をした。元の世界――と、十数年過ごした世界を表現することにももう慣れてしまった――の知識をこちらで活かすことは一刀自身の知識不足もあってあまり上手く行っていないが、土台マンガのような世界であれば、漫画のような技術が成立していてもおかしくはない。

 

 例の技術と楽進が行っているものが全く同じということはありえないだろうが、共通するアプローチが一つでもあればめっけものだ。

 

「開いてるチャクラを増やしたり、気を柔軟に扱う方法を教えてくれる人ってのはいないのか?」

「少なくともシャンは聞いたことないし、楽進みたいにできる人を楽進以外に知らない」

「あれを皆できるようになったら凄いよな」

「戦のやり方が根本から変わるね」

 

 万の兵が一塊になりぶつかるという展開はなくなりそうである。末端に至るまでがビームを撃つのであれば今まさに楽進がやっているように固まっている敵は良い的だ。集団になることで新たな運用方法が生まれるかもしれないが……その辺りは今度暇な時にでも考えてみよう。

 

 シャンの分析を聞く限り自分がやれる見込みはなさそうであるが、楽進に詳しく話を聞いてみるのも良いかもしれない。十代少年の一人としては、この技術が門外不出でないことを祈るばかりだ。

 

 そしてその祈りが通じたのか。楽進は特に難題に直面したりせず、敵兵をバリケードごと粉砕する攻撃を繰り返し、何と一刀隊は先に登り始めた張飛隊よりも先に、城壁の上まで到達した。敵兵の排除だけを見れば剣を装備した張飛の方が格段に早かったのだが、後続の兵を入れるにはバリケードを撤去するより他はなかったのである。

 

 ここが死地と定めた汜水関の兵たちはバリケードをこれでもかと強固に作っていたため、張飛隊の精強な兵たちでも排除には時間がかかっていたのだ。その点、楽進の攻撃はそのバリケードごと敵兵をふっ飛ばしたため、その排除の時間が大幅に短縮された形である。

 

 内部の制圧は馬岱の部隊が、反対側の門から出た敵兵たちは甘寧隊と周泰が追跡を行っている。後はここを制圧すれば当面の仕事は完了だ。

 

 一刀はちらと楽進を見た。

 

 気がどうこうではなく間違いなく物理的に楽進の向こう側の景色が揺らいでいる。頭から水を被ったように汗をかいており、彼女が一歩踏み出すごとに水たまりを歩くような音が聞こえる。肩で息をしてはいるが目だけはギラついており、戦闘に関しては凡人の域を出ないと自負している一刀をしても、極めて平常から離れた精神状態であることが見て取れた。

 

 何はともあれ、城壁の上まで息が続いたのは見事なことであるものの、今ここに来てこれ以上彼女を戦わせて良いものか、決断を迫られる一刀である。

 

「その、問題ありませんか? 楽進殿」

「全く。今までの人生の中で今が一番調子が良いくらいです」

 

 こいつは危ないと感じた一刀は助けを求めるようにシャンを見た。シャンも内心では同じ判断をしていたが、一刀の視線を受けて彼女は首を横に振った。やめさせるならもっと早くにするべきだった。調子が良いという楽進の発言は全くの事実であるが、それは今の今まで動き続けていたからだ。

 

 動きを止めるとぱたりと動けなくなるだろう。動きが止まった楽進は絶対にすぐには復帰できない。戦闘が一区切りついた後ならばそれでも良いが、これからまさに佳境という所で大事な戦力がお荷物になるのは一刀の安全の面でも看過できない。

 

 

 続行やむなしと判断した一刀は、なるべく早く戦闘を終結させる意思を強くした。

 

 遠巻きに一刀たちを汜水関の兵たちが囲んでいる。華雄隊以外の兵は、主に傷病兵だったのだろう。戦闘前にも関わらず兵たちは身体のどこかに怪我をしているか、そも死人のような顔色をしていた。

 

 彼らがこの場に残ると決意した背景を考えると一刀の胸もちくりと痛んだが、だからと言って振り上げた拳を下ろすことは一刀にはできない。

 

「外の華雄隊は降伏した。貴方たちはどうする?」

 

 返答は手槍による反撃だった。シャンが斧の一振りでそれを叩き落とす。くるくると、宙に舞った槍に誰も視線を向けない。一刀は静かに手を振り上げ、

 

 からん、と石の床にそれが落ちると同時に振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 


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