真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第037話 反菫卓連合軍 虎牢関攻略編①

 

 

 甘寧たちが追っていた汜水関の駐留軍、その殿は先行する仲間のためにかなりの時間を汜水関で粘った。最悪の場合は残って華雄の部隊と共に戦う腹積もりだったのだ。幸か不幸かそうはならなかった訳だが、その部隊は結局甘寧たちの追走を振り切り、先行していた本隊に合流した。

 

 汜水関から逃げる部隊とは言えそうなると大部隊である。甘寧隊は連合軍の中でも精鋭と言って良い練度を誇っていたが、殿を張遼の騎馬隊が務める数万の軍団を相手にするには力不足は否めない。

 

 元より戦うのが任務でなかった甘寧たちは目的をはっきりと偵察と割り切り、部隊の規模やら練度やらを調査し、早々に汜水関へと帰還した。その引き際の早さにせめて一当たりしておこうと考えていた張遼は当てが外れて怒り狂ったが、それはまた別の話。

 

 その後、戻って来た甘寧の部隊も含めて汜水関に突入した部隊で制圧作業が行われた。

 

 占領した以上汜水関は連合軍の管理となった訳だが、即座に施設として安全に使用できる訳ではない。何しろ直前まで敵軍が使用していた施設なのだ。こちら側に奪われた時用の罠や外部から出入り可能な隠し通路などあってはことであると、そういう仕事が得意な甘寧隊を中心に念入りな作業が行われ、最低限の安全が確保された場所から順次解放されている。

 

 なおほとんどの兵は汜水関の外――元々連合軍がやってきた側と、敵軍が逃げて行った側の両方に布陣している。洛陽側に移動したのは極少数であり、有事の際に広く場所を使いたかった騎馬中心の馬超軍に、曹操軍の一部がこれについて行った形である。

 

 汜水関の制圧作業を行っているのは各陣営の『そういう仕事』が得意な面々だ。何しろ広い施設である。一日二日では作業は終了すまいな、と甘寧はうんざりした表情を浮かべていた。

 

「どういうことですの白蓮さん!!」

「どうもこうもないよ麗羽。出陣した。敵と戦った。そして勝った。それだけのことさ」

 

 そして汜水関の開放された部分の中で最も大きな部屋で、連合軍の首脳会議は行われていた。先の大声は袁紹の第一声である。まったくの予想通りの物言いに、白蓮は苦笑を浮かべていた。

 

 決して情がない訳ではない。間違いなく麗羽は白蓮のことを友人と思っていたが、麗羽が白蓮に期待していたのは適度に痛い目を見て玉砕することで、第一陣でそのまま汜水関を陥落させることではなかった。

 

 自分たちが活躍できるという確信があった訳ではもちろんないが、機会さえなくなってしまうのならその目は完全に潰え、手柄は戦った人間だけで独占されてしまう。

 

 要するに白蓮の一人勝ちだ。それが麗羽には我慢がならなかった。

 

「これだけの寡兵で制圧できるなんて……まさか汜水関の事情を知っていたのではありませんこと?」

「知ってはいたな。勿論全部ではないが」

「どの時点でどの程度と聞いても構わないかしら」

 

 会話に入ってきたのは曹操である。麗羽を挟んで向こう側にいる小柄な少女の視線を受けて、白蓮は僅かに緊張の色を浮かべた。自分の頭のキレがイマイチであることを自覚している白蓮にとって、およそ考えうる限り全てのものを持っている曹操は、苦手な人物だった。

 

 以前であれば過剰に緊張をしてボロでも出していたのだろうが、今は優秀な軍師たちがいる。何を聞かれた時にどう答えるのか。それを相談できる相手がいるだけでこういう会合の時の白蓮の立ち振る舞いは自信に満ち溢れたものへと変わっていた。

 

 実際、白蓮の能力は彼女が自分で思っている程低くはない。曹操など同世代の傑物と比べれば見劣りするものの、他軍の軍師たちが認める通りに彼女は普通に超一流である。あえて何か足りない物を挙げるとすれば本人の自分に対する自信と、彼女を支える軍師であったのだが、軍師がやってきたことにより、長年足りなかった前者も補強されていた。今の白馬義従に欠落しているものなど何もない。

 

「以前から汜水関を落とすための調略を仕掛けられていた。これは連合軍が結成されるよりもかなり前の話だ。詳細は知らない。企画をしたのは私じゃないしたまたまこれを引き継ぐことになっただけだからな。ともかく、今時分では『調略が仕掛けられていた』ということだけ理解してくれ」

 

「知っての通り、この調略は汜水関の戦力を時期を合わせてそぎ落とすためのもの。内部での活動もそうだが要は補給を完全に近い状態で断つことだった。関羽がいなかったら成功しなかっただろうな」

 

 仕込みはそこに至るまでで終了。後は自分で何とかしてくれという企画を聞いた時には何だそれはと思ったものだが、本来はそれだけでも大盤振る舞いなのだということは愛紗も含めて作戦を検討し始めた時に理解できた。

 

 激務で兵の損耗もあり危ない橋も渡るが、全体的に見れば被害を少なくできる上に手柄を得ることができる。これを使えるのは一度だけ。そして最初に行う人間のみだ。その役割が自分に回ってきたのはたまたまなのだろうが、白蓮はこれをある種の天命(びんぼうくじ)と考えた。

 

「内部の事情を知る手段が全くなかった。これならいけると判断できたのは当日朝になってからだよ。私たちがここに陣を張ってから当日の朝まで、どこの陣営の草も汜水関に近づくこともできなかっただろう?」

 

 全ての陣営が誰に了解も得ず、独自に草を使っているというのは暗黙の了解である。情報の共有は望ましいことではあるが、明文化された義務ではない。無論のこと、望ましいことをしなかったのであるから、後から他の面々にとって都合の悪いことが明らかになれば糾弾される材料にはなる。情報を隠すことにもリスクはあるのだ。

 

 そして同時にメリットもある。今回の白蓮はそれを実践した形だが、今回の汜水関の攻略に限って言えば抜け駆けによるある種の有利不利は発生しなかった。全ての陣営全ての草が誰も汜水関までたどり着くことができなかったからである。

 

「何が何でも、中の情報を知らせる訳にはいかなかったんだろう。総攻撃されたらその時点であっちは終了だった訳だからな。そんな訳で成功率が高いつもりの調略ではあったが、内部の状況が全くと言って良いほど掴めなかった以上、他には声がかけにくかったのさ。行けそうだぜ? やっぱり駄目でしたじゃ声の掛け損だしな。結果として先走って手柄を独占する形になった訳だが……それくらいは良い目を見ても良いだろう? 投資に見合った成果だと自負してるがね」

 

 事情はどうあれ白蓮は誰もやりたがらなかった一番槍を引き受けたのだ。調略を共有した所で成功の確証を示せない以上、会議が長引くだけで公孫賛軍が一番槍を引き受けるという結果は変わらなかった可能性が高い。

 

 実際、華雄隊を除いた汜水関の兵は撤退を開始していた。普通に考えればこの兵が減ることはあっても増えることはないはずだが、それは汜水関に状況を限定した場合の話だ。にらみ合いが一週間以上続くようなことがあれば、無事な兵が別の所からやってくる可能性があるし、連合軍側に何か不利な状況がやってくる可能性も否定はできない。

 

 寡兵とは言え万全の状態で、堅牢な関を背にしているとは言え寡兵に相対できる機会はこの日の朝が最後だったかもしれないのだ。内心はどうあれ、連合軍は全体としての勝利のために戦っている。あの状況ではこれが最善だったと主張される以上、そうではなかったと力強く反論できないのであれば、公孫賛の責を問うことは難しい。

 

 敗北したのならばまだしも、彼女は決して少なくない犠牲を出したとは言え汜水関を占領し、あまつさえ敵将の一人である華雄をその部隊の生き残りと共に捕虜としたのだ。大勝利と言っても過言ではない。難癖をつけて責を問うたとしても、その功績を考えればお釣りがくる。

 

「公孫賛。貴女はまだやる気はあるのかしら?」

「やれと言われたらやる」

 

 どちらにしてもお前次第だと手番を回された曹操は溜息を吐いた。戦力があるに越したことはないが、先々のことを考えれば邪魔な存在であったとしても第一功を挙げた軍を下に扱うことはできないし、かと言って手柄の上積みをされる可能性を重ねる訳にもいかない。

 

 董卓軍はまだまだ元気であるが、少なくとも次の一戦については、公孫賛軍は一回休みにせざるを得ないだろう。少ない被害で最大の戦果を挙げ、次戦に対して保険まで掛けた。共に戦う仲間からすれば全く、酷い仕込みである。これで次の戦で連合軍が瓦解するようなことがあれば、美味しい所は公孫賛の独り占めだ。

 

「貴女だけに無双されては私たちの立つ瀬がないわ。虎牢関ではどうか後ろの順番に回ってほしいのだけれどどうかしら」

「構わないよ」

 

 それが望みでもあるしな、と白蓮は心中で付け加える。まだ戦えるというのは事実だが、既に大きな功績を立てた以上、不利益を被る可能性に無理に突っ込む必要はない。虎牢関で失敗し他全員が沈むようなことがあれば公孫賛軍の一人勝ちであるし、順調にコトが運んだとしても汜水関の第一功は無視できるものではない。

 

 慎重な性格である白蓮としては、この辺りでもう十分なのだ。帰れるのなら帰りたいというのが本音である。

 

 一方、既に手柄を立てた白蓮とは異なり、他の面々はこれから手柄を立てねばならない。策があったとは言え、汜水関の一番槍は白蓮が引き受けてくれた訳だが、次の虎牢関でも同じ問題が発生する。

 

「……一応確認なのですけれど、白蓮さん。虎牢関には策はないのですわよね?」

「ないなぁ、悪いけど」

 

 汜水関の策を授けられた時、同じ質問を静里にしたのだから間違いはない。他に誰か仕込みをしていたのでもなければ、今度こそ真っ向勝負をすることになる。流石に策があると思っていた訳ではないのだろうが、白蓮の否という発言に袁紹はあからさまに落胆した。

 

「さて、それでは次のことを考えましょうか。どうやって虎牢関を攻める?」

 

 曹操の発言に議場の空気は張り詰める。張り詰めるのだが――それだけで誰も言葉を続けなかった。帝国内でも有数の堅牢な関を相手に、十万を超える士気の高い兵。加えて呂布や張遼などの雄将が控え、連合軍がやってくるのを今か今かと待っている。

 

 どう攻める? そんなの自分が聞きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぎはらえー」

 

 ポーズを決めて羽毛扇を微妙にのろのろと振り抜く朱里の姿に、魂の籠った歓声が響く。発することのでできる言葉が『先輩』と『マジ』と『かわいい』とその組み合わせしかなくなってしまった法正が涙を流しながら手を叩いている。横で見ている一刀もその勢いにはドン引きしていた。確かに男が歓声を上げるべき可愛さではあるが、それにしても法正の態度は常軌を逸していた。

 

 さぞかし朱里の方もドン引きしているかと思えば気にした様子はまるでない。こういう人間だと知った上で付き合っているのだとしたらこういう態度を取られるのも今更なのだろう。ここまで騒々しい人間が近くにいる学園生活というのもスリリングで面白そうではあるが、当代最高の頭脳を持った少女ばかりが集まる女子高でとなると、そのイメージから来るインテリっぷりと法正のイメージはかけ離れていた。

 

 切れ長のともすれば鋭すぎる目に不釣り合いな大きなフチなしのメガネ。髪は長く艶やかであるが編み込んだりはせずに首の後ろで二つに縛っているだけである。朱里や雛里と異なり制服の上着だけを着用し、頭には水鏡女学院を優秀な成績で卒業した証である帽子があった。朱里のベレー帽、雛里の魔女っ子帽子のような女の子しているものではなく、元直のような映画のマフィアが使うようなソフト帽である。

 

 ちなみに胸は孫呉の幹部たちほどではないが大きい。元直と同程度か少し小さいというくらいだろう。世間的には十分巨乳と呼べるレベルであると思うのだが、流石にこれでは世の男性を引き付けるのは難しかろうなと、一刀はちらと横目で彼女を見た。

 

 鋭い容姿にソフト帽はとても似合っている。宝塚の男役のような雰囲気であった元直と異なり、こちらはキツめの容姿と言っても幾分女性的な風貌だ。単純に人相の悪い美少女というのが一刀の素直な感想なのだが、その悪い人相も今はかわいくポーズを決める朱里を前に緩み切っていた。

 

 人間ここまで落差があるものかと感心する一刀を他所に、聴衆のリクエストを全て片づけた朱里は小さく礼をすると、もらったばかりの羽毛扇を腰帯に差し込んだ。

 

「贈り物ありがとうございます」

「諸葛孔明ならこれだろうと思ってさ。雛里にも贈った所だったし、一緒にと」

 

 一刀の背中側にいる雛里が、朱里にだけ見えるように腰帯から自分が贈られた短杖を見せびらかす。『私の方が先!』というのをこっそりとしかし力強く主張する親友にいらっと来たが、それを顔に出さないのが大人だと頬を引きつらせながら色々と我慢する。

 

 そんな美少女二人の水面下でのやり取りを想像もしていない一刀は、新しくできた友人との会話を楽しんでいた。

 

 今回の来訪は一刀団としては思いがけない大所帯となってしまったが、これは一刀や幹部が本来意図するところではなかった。連合軍とは言え所詮はライバルの集まりだ。他陣営の人間が自陣に踏み入ることはそれがどういう種類の人間であれあまり歓迎すべきことではなく、それは行く側も迎える側も同じことなのだが、此度の戦とは関係のない個人的な事情が絡むと他人は口を挟みにくくなるものだ。

 

 今回のことを主導したのは趙雲である。合流してまだ日の浅い人間であるが、長いこと公孫賛に準ずる人間を用意できなかった兵たちにとって、緊急時に公孫賛の代わりのできる趙雲はまさに待ち望んでいた存在だったのである。

 

 その趙雲が――敵将との一騎打ちで勝利し重傷を負った趙雲が『吊り目の眼鏡と金髪のお人形さんとお腹を出した美少女が見舞いに来たら通してくれ』と言い出したのである。元々いくら感謝してもし足りない存在だったのに、ここで更に武者働きをしてくれたのだ。何でも叶えてやりたいと思うのが、兵というものである。

 

 果たして、趙雲が一騎打ちで勝利したものの深手を負ったという話を聞き、シャンの発案で見舞いに行こうとなった一行はどうせならば皆で行こうということになり、弓の修行をするという梨晏を除いて全員で公孫賛陣営を訪ねたのだった。

 

 甘寧直下の兵たちは目下汜水関の捜索中であるが、捜索班は各陣営のそれ専門の連中で構成されている。部隊の再編制さえ済んでしまえば、残りの兵ははっきり言って暇なのだ。

 

 郭嘉たち三人は趙雲の幕舎へと移動しており旧交を温めている。貴殿もどうですかと誘われはしたのだが、男が美少女たちの会話に水を差すのも忍びないと一刀は雛里を連れて別の所で時間を潰すことにした。幸い公孫賛陣営には一刀も知人がいる。雛里と一緒に陣営の中を適当に彷徨っていると、それを察知してくれたらしい朱里の方から足を運んでくれたのだった。

 

 そこで一刀はどうせならと以前買った贈り物を朱里に渡すことにした。言葉の通り雛里に渡す時に一緒に買ったものであり、次に会った時に渡そうと持ち歩いていたものである。前回渡すこともできたのだが、前回は仕事の用向きも強かったので渡せず仕舞いだったのだ。

 

 今回も百パーセント仕事ではないとは言えないものの、建前上は知人の見舞いに一緒についてきただけのただの人である。私事を混ぜ込むのも別に悪いことではないだろうと決行したのだが、そこに予想外に食いついてきた人物がいた。

 

「いやー、いいもの見せてもらった。お前趣味が良いな、一刀」

 

 目じりにたまった涙を拭きながら、肩をバシバシと叩いてくる。既に自己紹介を終えて真名まで許されるなどその妙に近しい距離を一刀は別に嫌いではなかったのだが、一刀の陰で雛里は聊かむっとした表情を浮かべていた。

 

 法正こと静里は年齢こそ雛里や朱里よりも上であるが、水鏡女学院の入学時期で比較した場合二人の後輩に当る。

 

 水鏡女学院は入学基準に達すればいつでも入学でき、卒業基準を満たした時点で卒業させられる。朱里と雛里が卒業基準を満たしたのはほぼ同時期であったため卒業したのも同日だったが、一人で卒業を迎えるのも学院では珍しいことではない。

 

 そのため厳密な『卒業時の席次』というものは存在せず、それを比較したい場合は卒業時期から見て直近の在学生全員で処理される年間総合成績で判断される。それを鑑みれば雛里だけが次席であり他の三人は主席であるのだが、この席次で優劣を判断する関係者は実のところあまり多くない。

 

 どの学生にも基本的に同じカリキュラムが割り当てられるため、入学から卒業までにかかった時間で優劣は判断される。平均在学年数は五年。自分で退学の意思を示すか在学年数が十年を超えると放校処分となり、放校となった生徒の再入学は認められない。

 

 朱里と雛里はそれまで二年半だった卒業最短記録を、一年と十か月と大幅に更新した史上最高の卒業生であり、ほぼ三年で卒業した灯里や静里を大きく引き離している。

 

 普段、殊更成績やら何やらを持ち出したりはしない雛里であるが、自分が仕える人間に対して後輩が馴れ馴れしくしているのを見ると、そういう黒く良くない言い分が心中で持ち上がっていく。

 

 一言言ってやろうかと思った。実際、寸前まで声に出かかっていたのだが、先輩としての矜持が、一刀の仲間の一人であるという認識が『それはあまりに狭量である』と思い留まらせた。

 

 静里は一種の例外を除いて誰に対してもこういう態度だ。それを知り一刀にもそう振舞うと予見していたのにも関わらず、いざそういう態度に出てから声を上げるのはあまりにも筋が通らない。一刀が不快に思っているのであればまだしもだが、雛里の目から見て静里に肩を組まれて歓談している一刀はとても楽しそうだった。

 

 これには自分たちにも原因があると雛里は思った。一刀との関係は皆仲良しであるという自負があるものの、挙兵時からいる兵たちは皆一刀よりも一回りから二回りは年上であるし、後から合流した兵は一刀のことを大分上に見ている。年齢は近くても精神的な距離は遠い。

 

 精神的な距離で言えば幹部は皆近いと言えるものの、主従の関係は守っている。限りなく薄いけれど透明な壁があるとでも言えば良いのか。親愛を超える情を持っているがやはり一刀は主であるという気持ちが先に立つ。仕えるべき人間に相対する以上、態度にもどこかそういうものが出てしまうのだが静里にはまるでそういうものがない。

 

 近い距離感。遠慮のない物言い。静里の方が少し年上のはずだが、年齢も近いとなれば一刀が親近感を覚えるのも頷ける。

 

 自分にできないことをしてくれるのだから、一刀にとっても必要な存在であるのだが、自分に見せない種類の笑顔を見せる一刀に、雛里はどうしようもない歯痒さを覚えるのだった。

 

「――論功行賞、そっちはどうだった?」

「突入部隊の全員の報奨金が出ることになったよ。隊の皆も喜んでる」

「まぁ、乗っかった形だとそんなもんか」

「そっちはどうだ? 汜水関陥落の第一功だ。デカい領地の一つや二つもらえるんじゃないか?」

 

 一刀の口調には冗談の色が強い。金銭で何とかなる範囲であればまだしも、それ以上となると空手形にならざるを得ないからだ。董卓とその一派を全て表舞台から叩き出すことができればそれこそ、彼女らが保有していた地位を実質的に好き放題できる訳であるが、それをどの程度まで行えるかの見通しは残念なことに立っていない。静里の顔にも苦笑が浮かんでいた。

 

「そうだったら楽だったんだがね。我らが白馬義従殿は初戦を見事勝利で飾れた訳だが、他の連中が残りを皆殺しできるとも思えん。また貧乏くじを引かされる可能性は十分に、というよりすぐに人手が足りなくなるだろうよ」

「虎牢関は厳しいかな」

「厳しいな。万全の状態ではないとは言え汜水関の八割の兵が虎牢関に移動した。今頃再編に大忙しだろうが、今度はこちらの策も通じまい。しかも無事な連中は意気軒高。袁紹の弱兵などものの数にもしないだろう」

「虎牢関を抜けられなければそれでおしまいか」

「まぁそうなったらなったでやりようはあるがね。むしろ適当な所で大敗してくれた方が都合が良いって連中もいるだろう?」

 

 一刀も苦笑で応じる。郭嘉などの討論でも出てきたことだった。董卓一強を肯定できる勢力にとって、董卓の次に邪魔になるのは袁紹と袁術だ。できれば董卓とまとめてくたばってほしいなどと孫堅などは考えているのだろうが、事はそう簡単には運ばないだろう。

 

 それにまとめてくたばってほしいと思っているのは董卓軍も同じである。頭数の関係などから早い段階で投降すれば受け入れてはくれるだろうが、冷や飯を食わされるのは目に見えている。合流するなら最初から連合軍などに加わるべきではなかったのだ。

 

 都合良く勝ち続けるにしても、最終的な所まで押し込み切れずに続行不能という事態もないではない。董卓討つべしと拳を振り上げた以上倶に天を戴くことなどあってはならないことではあるが、世の中には『落としどころ』というものがある。

 

 どちらの勢力も真っ当な状態で相手勢力を殲滅できる力を失った場合、そのまま戦を続行したら双方共に壊滅するより他はない。

 

 ここで死なば諸共と考えるのは少数だ。現実にはそうなる前にどういう形であれ講和に入る。これは『これからは喧嘩をせず仲良くしましょう』という意味で手を取り合うのではなく、機が熟したら仕切り直すという意思確認に他ならないが、一時とは言え戦は中断せざるを得ない。

 

 これを引き分けとは誰も見ないだろう。現状の格付けは董卓軍が随一でありここで痛み分けると後は各個撃破されるのみだ。単独では勝てないから連合を組んだのにそれでも負けたとなれば個々の勢力に勝つ目はなく、家としてはまた次の機会にと雌伏の時を選ぶというのは自然な流れである。

 

 勝てないとなれば後は勝ち馬に追従するしかない。家の存続を取り董卓軍に組するのもやむなしという勢力が一つ二つあれば、再び連合するようなことになっても敗北はより確実になる。

 

 こうなっては特に今の連合軍の盟主である北袁家には未来がなくなり、次いでその親類である南袁家も立場が危うくなる。先々のことまで考えるならば特に北袁家は何としても董卓の首を取らなければならず、そのためには多大な犠牲を払うことも厭うまい。

 

 そうなった時、捨て石にされないための汜水関での大活躍である。ここで大手柄を立てた勢力は合法的に次の戦で一回休みだ。そこはかとない陰謀の匂いを感じ取ったとしても次は自分と考えている連中を止めることは難しく、それが盟主を自認する袁紹であれば猶更だ。

 

 現実的な話として袁紹軍が大打撃を被ることは避けられないだろう。お供を連れて行く可能性もないではないが、競合相手の袁術がこれに連帯するはずもなく、仲良しの一角である曹操は好んで泥船に乗りはすまい。

 

 残りは三勢力であるが、公孫賛軍は大手柄を立てた当事者であり、残りの二勢力もこれに助け船を既に出している。

 

 捨て石にするならこれ以外にはないという袁紹から見ればそういう連中であるが、勝ちを積んだ人間を雑に扱うことは、特に寄り合い所帯であるとできることではない。最終的な功績が盟主に帰結するというのは納得しても、積んだ実績を無視されるというのであれば盟主を仰ぐ意味がなく、連合は早晩瓦解してしまうからだ。

 

「既に一度勝った身であり野心がそれほどない人間としては、虎牢関でどう転んでもそこまで問題ではないってことだな。目先の勝利にこだわって、先々の有利を手放すような愚物になるなと先生は口を酸っぱくして言ってたもんだが――」

「何にしても勝つに越したことはないってことだな。一度お会いしたいね、皆の先生に」

「正直オススメはしないがね……」

 

 静里ははっきりとげんなりした表情を浮かべる。それが正直な気持ちではあるのだろう。偉大な人だと尊敬しているのも嘘ではないのだろうが、積極的に関わろうという気はあまりないようである。この辺り、元直の言葉から受けた印象と大分齟齬があった。人間合う合わないがあるのは当然のことであるが、当代、すごぶる優秀な人間二人からこういう評価を受ける人に、一刀はがぜん興味がわいていた。

 

「機会があることを祈ることにするよ。ところで、関羽殿はどうしてるんだ? もう合流してるとは聞いたんだけど」

 

 お見舞いに付き合うのもあったが、知人である関羽にお祝いの目的もあった。一番の武者働きをしたのは関羽と公孫賛軍内では大評判であり、彼女でなければできないような難しい仕事を成し遂げたことが今回の汜水関攻略に一役も二役も買っていたという。

 

 流石関羽というのが正直な所だ。かつて一緒に戦った者として褒めちぎらずにはいられないと駆けつけてみれば、姿がとんと見えない。一刀団襲来の話は伝わっているはずであるから、てっきり朱里たちと一緒に顔を見せてくれてもよさそうなものであるが。趙雲の方にいるのかと思ったのだが、そうではないらしい。

 

 一刀の言葉を受けた静里はにやにやと笑っている。対して朱里は面白くなさそうだ。

 

「まだ来てないってことは、もうしばらくかかるんだろう。楽しみに待ってな。来ないかもしれんが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際、関羽がやったのは難しい仕事だった。

 

 汜水関を孤立させるために、ここに向かう全ての輜重隊を捕捉。この積荷を全て奪取、もしくは破壊せよ。

 

 難しい顔をした白蓮に呼び出されてこれを告げられた時、愛紗が考えたのは如何にこの善良な友人を傷つけずに『お前には冗句の才能は皆無だ』ということを伝えるかだった。

 

 しかしその懊悩が続き、どうやらそれが本気らしいことを悟った愛紗は今度は白蓮の正気を疑った。

 

 不可能ではないだろうが不可能に近い。いや、輜重隊の移動経路を把握できかつ精兵を揃えて犠牲を厭わないのであれば補給線を潰すことは不可能ではないかもしれないが、輜重隊が襲われることくらいは董卓軍も想定しているはずで、仮にそうなったとしても無補給で数か月耐えられるくらいの備蓄が汜水関には存在しているはずだ。

 

 補給が必要なのは連合軍も同じであるが、一応この一帯が本拠地であるあちらに対してこちらは遠征軍でありしかも一枚岩ではない。董卓軍とて決して一枚岩ではないだろうが軍の集合体としての側面は連合軍の方が遥かに強いと言えるだろう。

 

 食糧などの補給の問題に加え、内応される可能性を否定できない環境というのは、軍として長続きできるものではない。連合軍にとって持久戦というのはそれだけ、疑心暗鬼を育み、自然崩壊を導くものに他ならない。持久戦はあちらにとっては鉄板の戦略なのだ。

 

 補給を潰すという作戦を活かすためには最低限、持久戦を想定して準備万端待ち構えている汜水関を早急に補給が必要な状況に追い込まなければならない。より欲をかくのであれば不足するのは人よりも物の方が好ましい。具体的には食料だ。

 

 だがそれには当てがあるのだという。朱里たちの先生である水鏡先生が更にその先生の代から温めていたという洛陽攻略のための必殺の策だ。

 

 あぁ、と愛紗は溜息を吐いた。妙案があると言っていたのがこれなのだろう。

 

 自分ではなく先に白蓮に話を通したことに疑問を覚えないではないが、作戦実行の決定権を持つのが白蓮である以上、彼女が否やと言えば否である。

 

 そして白蓮がやると決めた以上、その要である補給線を潰す役が自分にしかできないことを愛紗はよく解っていた。単純に武力、指揮力ということであれば、星や鈴々でも不足はなかろうが、その三人の中で誰が一番上手く馬に乗れるかと考えれば、やはり自分しかいない。

 

 どういう理由であれここで自分が頷かなければこの作戦は実行されない。史上最大の作戦とも言うべきこの作戦が日の目を見るか見ないかは自分の判断に委ねられた訳だが、

 

「承りました。任せてください」

 

 二つ返事で引き受けた愛紗はその日の内に自分の隊と白蓮の隊から精鋭200を選びだし、秘密裏に旅立った。難しい作戦である。生きて帰れる保証はないと精鋭たちにも説いたが、彼らはいつものことだと笑って返した。

 

 受け持つ土地は広大である。輜重隊の進路こそ正確な情報が掴めていたが、そこに移動し戦うだけでも一苦労だ。最初の方こそ輜重隊はただの輜重隊だったが、精兵に狙われていることを知ると腕の良い護衛を付けるようになってきた。

 

 そうなってからが本当の勝負である。汜水関での決着がつくまで、愛紗の隊はこれを継続しなくてはならない。護衛に勝つ必要はないが、時間をかける訳にもいかず、またいつまで継続するのか分からない以上、兵の損耗は避けなければならない所だった。

 

 夜襲に次ぐ夜襲。奇襲に次ぐ奇襲。夜を徹して馬を駆けさせたことも一度や二度ではない。愛紗を含め、白蓮から預かった騎兵二百は全て精兵中の精兵だったが、終わる頃には五十を切っていた。輜重隊全てが精兵であった時は流石の愛紗も死を覚悟したものだが、結局はその全ての任務をやりきりこうして無事に戻ることができた。

 

 汜水関での勝報を聞いた瞬間、生き残った兵の半分が崩れ落ちるように眠りに落ちた光景を愛紗は生涯忘れることはないだろう。関羽もそのまま泥のように眠りたかったが、現場指揮官が報告も何もせずに眠る訳にはいかなかった。

 

 痛む身体を引きずるようにして公孫賛軍に合流。こちらもこちらで忙しかったらしい白蓮に符丁で書かれた作戦行動中の報告書とできうる限りの詳細な報告を終えて自分の幕舎に戻ると糸が切れた人形のように眠りに落ちた。

 

 寝ていたのは丸半日であったという。その間にも公孫賛は忙しかったようだが、汜水関の検分も終わらぬ内に陣払いをして移動もできない。汜水関が落ち着くまで連合軍陣地はこのままだろう。部隊の再編、他の軍との調整。やらなければならないことは沢山あるが、ここ数日の作戦行動に比べれば天国だ。

 

 これでしばらくはきちんとした時間にきちんとした睡眠を取れるだろう。お茶を飲みながら部隊再編の調整をしていた所に、伝令がやってきたのはその時だった。

 

「以前、孫呉軍の先ぶれでやってきた優男がまた来たみたいですよ。趙雲殿が伝えて来いとのことだったのでお伝えに来ました」

 

 それではー、とどこか気の抜けた様子の伝令を見送った愛紗は先ほどまでの落ち着きを自分でどこかにふっ飛ばした。何をすることもなく落ち着きなく幕舎の中を右に左にうろうろした後、これでもかと念を入れて身繕いをし、ようやく最初に思いついたのが義妹の鈴々を呼ぶことだった。

 

 姉から大至急という伝令を受け取った鈴々は義妹としての使命感から飛んできたのだが、その名目が北郷一刀の前にどういう顔をして出たらよいか解らないから何とかしてくれ、というものだったと知ると深々と溜息を吐いた。

 

「勝手にすれば良いのだ」

「そんな非人情なことを言うな!」

「大体鈴々が愛紗にお洒落な助言とかできるはずないのだ」

「そうは言ってもだな……」

 

 藁にもすがりたい気持ちで一杯なことは、愛紗の顔を見れば解る。戦場では誰よりも先に立って勇ましく戦うのに、この義姉の頼りなさそうな姿は何だろう。

 

 自分が愛紗の立場だったらとっくに一刀のことなど押し倒してるのだ、と見た目の割に恋愛観は攻撃的な鈴々は義姉の将来を密かに心配していた。

 

 これだけ容姿に恵まれているのにここまで後ろ向きでいられるのはある種の才能かもしれない。美人であるという評判は引きも切らず、愛紗の耳にも入っていないはずはないのだが、ブレない精神性が完全に悪い方向で発露した結果、こういう時の愛紗は果てしなく後ろ向きなのだ。

 

 自分が何を言っても本当の意味では安心してはくれないと鈴々は早くも察していた。義姉の全てを理解している訳ではないものの、付き合いが長いだけあってその面倒臭さは誰よりも知っている。これは懸想している本人に言われでもしないと、自信の一つも持ってはくれないだろう。

 

 この義姉に今必要なのは、千の言葉で慰めるよりも、背中を一つ蹴とばすことだ。一刀が既にやってきているのは鈴々の耳にも入っている。今は朱里と静里が相手をしているらしいが、義姉が奮起するのを待っていたら次の朝日が昇ってしまう。

 

「お化粧もばっちり決まってるし髪もきらきらしてるし、今の愛紗は帝国一の美少女だから自信を持つのだ!」

「そこまで持ち上げなくても良いのだが……」

 

 とまた面倒くさいことを言い始める義姉の背中を、鈴々はぐいぐい押し出した。もう問答は不要である。強引な義妹の行動に愛紗も一応抵抗はするがそれは形だけのものだった。背中を押してもらえることを期待していたのだろう。

 

 鈴々との押し問答が聞こえると朱里はやっと来たかと心中で溜息を漏らした。本当はすぐにでも飛び出してきたかっただろうにここまで時間がかかったのは、無駄に後ろ向きになっていたからだろう。戦の時はあんなに頼もしいのに……と愛紗の方に視線を向けた朱里は、その姿に思わず笑みを浮かべた。

 

 どこがというほど尖ってはいない。ただ普段から愛紗を見慣れている人間だと、目に見える全てに普段よりも遥かに気を使っているのだというのが良く解る。髪はいつもより整っているし、装飾も少しだけ増えていて薄くお化粧もしている。服の裾が少しだけ短いのが、愛紗にとっては大冒険だったのだろう。しきりに足元を気にしている様は、ともすれば殿方を狙い打ちにする意図があるのではと勘繰らざるを得ない所だったが、『あの』愛紗がこの方面でそんな腹芸ができる人間でないことは、この数か月の付き合いで朱里も理解していた。

 

 こういう方面に関しては大概自分も奥手であると自負しているものの、愛紗に比べればまだマシだと思える。年齢は大分愛紗の方が上であるが、頑張る妹を見守る姉の心地で、朱里は雛里と静里に目配せをした。

 

 灯里を含めたこの四人の間では、視線で大体の意図が伝わる。どうにかして水鏡先生に一泡吹かせてやろうと何度も結託し、その度に返り討ちにあって酷い目にあった記憶が蘇るが、無視した。

 

「じゃあ、私たちは席を外すよ。お二人でごゆっくり」

 

 にやにやと品のない笑みを浮かべた静里は先輩二人を促し、来たばかりの張飛も連れて行った。去り際に張飛が小さく頭を下げる。義姉のことをよろしくという心の声が聞こえてくるようだった。

 

 年端もいかない少女によろしくされる程に、関羽はがちがちに緊張していた。思えば賊徒の盗伐をしていた時もこんなだったように思う。苦手なことなど誰にでもあるものだ。むしろかの関羽のそういうところを見れた一刀は機嫌を良くしていた。

 

 どこでも自由に動けるというのであれば、その辺を散策でもしたのだろうが、ここは一刀にとって他所の陣営である。重要人物の一人である関羽が一緒にいたとしても、部外者がうろうろするのは歓迎されることではない。

 

 連れだってどこぞに消える水鏡女学院の卒業生たちの背中を見送った一刀は、スカートの丈をしきりに気にしながら――前に会った時よりも短い気がしないでもない――所在なさげにしている関羽に、微笑みかけた。

 

「隣、いかがですか? 何もなくて恐縮ですが」

「失礼します!!」

 

 それから関羽の話に一刀は熱心に耳を傾けた。興奮しすぎて早口になった関羽は度々言葉をつっかえるような所があったが、それをからかうようなそぶりは全く見せずさりげなくお茶を勧めてきたりもする。普段から他人の話を聞きなれているのだろう。関羽団の兵たちは委細漏らさず話を聞こうとするが、そういう力んだ様子はなく、一刀の振る舞いは不自然ではない程度に自然体である。

 

 興奮こそ冷めやらないが幾分愛紗が冷静になったのは、勧められたお茶を三杯は飲み干した後のことだった。空になった椀を見て唐突に自分の話しかしていないことに気づいた愛紗は、慌てて一刀へと水を向ける。

 

「北郷殿も、ご活躍されたとか!」

「貴女に比べれば微々たるものですよ。今回もまた仲間に大いに助けられました」

 

 別動隊を指揮して輜重隊を潰し続けた。関羽本人から作戦内容を聞かされた一刀は、素直にそう思った。土台あの『関羽』であるのだから器も違うというものだ。同年代の少女が活躍しているのに自分は……と思わないでもないが、

 

 だがそれに腐っていては前に進めるものも進めない。他人は他人。自分は自分である。持てる限りのものを尽くして、できる限りのことをする。何かに真剣になるというのはそういうことだ。入り込む隙間がある所には、変化する余地がある。それが良い方向になのか、悪い方向になのか。それを決めるのが意思であり、その手段が学問なのですよ、というのが郭嘉の弁である。

 

 人間何故勉強するのかという現代人としての問いに、神算の士はそう答えた。やりたいことをやりたいようにやるために学ぶのだと。知識とは全て、実践し結果を出すための行動をするために存在するのである。

 

 凛々しい横顔に惚れ直していた愛紗は我が世の春を謳歌していた。このままいつまでも時間が続けば良いと半ば本気で思い始めていた頃、そんな幸せな時間を引き裂く声が響いた。

 

「北郷!!」

 

 懐かしいその声に、一刀は思わず息を漏らした。

 

 声のした方を見ると、果たして思った通りの女性がいた。

 

 猫耳頭巾の下には癖のある収まりの悪い髪。目つきが無駄に険しいのは相変わらずで、その鋭い目はあの頃と同じように自分のことを睨みつけていた。改めて何かをした訳ではない。彼女にとってはこれが普通で、一刀にとってもそれは同じだった。

 

 まだ二年も経っていないはずだが、変わらない彼女の様子に安堵する自分がいる。

 

 声音にはともすれば悪意すら感じる強いものだったにも関わらず、その声を聞いた一刀は自然と笑みを浮かべていた。それほど離れていた訳ではないのに、それほど一緒にいた訳でもないのに、久しぶりに見たその顔に、何だか安心した。

 

 逆に関羽は自分の感覚が戦の時のように研ぎ澄まされていくのを感じていた。

 

 合同討伐の際、一刀団の軍師たちが苦々しい顔で言っていたのをよく覚えている。彼女らが一刀から聞き及んだらしい身体的な特徴も、眼前の少女と一致していた。愛紗たちの同年代では有名人の一人である。『王佐の才』と名高い、当代最高の軍師の一人。

 

 荀彧。字は文若。北郷一刀にキツく当たっているにも関わらず、彼に懸想されているらしい度し難い人物――平易な言葉を使うのであれば、愛紗にとっての敵である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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