真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第039話 反菫卓連合軍 虎牢関攻略編③

 

 

 

 

 戦略やら戦術といった戦場の後先、あるいは最中に用いられる全ての技術というのは、最終的な利益を最大化するために存在する。勝利や敗北さえその過程に過ぎず、それを用いる人間が何処を当座の目標とするかで、同じ局面であっても取るべき手段が変わるものだ。

 

 この技術の習得と運用のためにおよそ軍師と呼ばれる人間たちは膨大な時間を費やす訳なのであるが、時に集団、あるいは個人としての利益を最大化するよりも優先すべきモノが発生することがある。

 

 それは上にいる者ほど無視できなくなるもので、局面によっては利益を度外視してでも守らなければならないモノ――面子だ。

 

 幾集団からの援助を受けたとは言え、公孫賛軍がほぼ単独で汜水関の攻略を、それも攻撃を仕掛けてから一日で陥落せしめたことで世の名声は現状、公孫賛とその一党に集中する形となってしまった。

 

 盟主を名乗る以上、袁紹はこれを無視することはできない。軍団としての戦果は全てその盟主に帰属するのが通例であるが、それはある程度想定の通りに物事が進み、配分するべき戦果があって初めて成立する。

 

 楽観主義の袁紹でさえ連合軍が途中で瓦解する可能性には当然思い至っていた。戦果なしとなった場合、途中で如何に活躍したかでしか世に誇る物がなくなってしまう――とだけ考えてしまう辺り、軍師役の顔良からすると始末に負えない。

 

 膨大な予算と人員を割いての連合であり、その連合は袁紹が発起人として結成された。戦果なしとなっても責任というものは発生する。世間も参加した諸侯たちも、ここぞとばかりに袁紹を攻撃することになるだろう。それを機に反袁紹連合なるものが結成されることだってあるかもしれない。

 

 董卓を倒すためにまとまったのだ。袁紹を倒すために纏まれない道理はない。顔良としては十分その未来は危惧すべきものとして考えてはいたが、常に袁紹軍の無理難題を片づけている彼女の頭脳を以てしても、虎牢関の単独攻めは『やるしかない』という結論にならざるを得なかった。

 

 理路整然と道を説いたとしても主袁紹が聞き入れてくれるはずもなし。彼女は当座の戦果を挙げることに固執している。その気持ちも解らなくもない。いくら盟主とされたとしてもどこかで身を切らなければ示しがつかないし、袁紹軍以外の勢力は汜水関で公孫賛軍に貸しを作る形で兵を出している。

 

 諸侯の中でまだ兵を出していないのは南北の袁家のみであり、この内南の袁家は孫堅軍の事実上の雇い主である。あれもうちの軍ですよーと公然と張勲に言い張られては覆すのは難しいし事実そうなってからでは遅いのだ。

 

 公孫賛を始め既に兵を出した諸侯がとりなしてくれるのであればまだしもだが、袁紹軍が兵を出さないで済むようなことに助け船を出してくれるはずもない。

 

 二つの関の攻略においては余力を残し、関を抜いた後で大軍の理を活かして美味しい所だけをかすめ取るのが顔良としての最上であったのだが、汜水関の大勝利によってその全ての予定が狂ってしまった。

 

 兵糧も潤沢兵も無傷。加えて領地の位置的に将来の、それも『最初の』敵となる公孫賛が大金星を挙げたのであれば兵を出さない理由はない。

 

 こうなっては兵の大損害は避けることができないだろう。諸侯にはそれを期待されている向きもあるのは主の人望のなさだけが原因ではないと思いたい所である。

 

 自慢ではないが袁紹軍は弱兵だ。精兵と呼べるのは二枚看板とされる文醜顔良麾下のみでそれ以外は問題外である。装備だけは立派なため数と力押しで何とかできる面もあるが、それは相手の方が数が少なく、数の利を活かせる平地で戦った場合の話だ。

 

 帝国の首都洛陽の東を預かる虎牢関は帝国内でも一二を争う堅牢さを誇る。これを攻め難しとする理由は色々あるが、ともかく袁紹軍には精兵の守る難所を攻めるだけの能力はない。

 

 これを攻めよというのは兵を捨てに行けと言っているに等しい。軍師役としては全力で止めねばならない所であるのだが、悲しいことにやらないという選択肢は初めからない。

 

 どれだけ被害を抑えることができるか。良く回る頭を必死に回して考えに考えた策を巡らせた兵が虎牢関の前に展開したのは、公孫賛が汜水関を攻略してからおよそ二週間の後のことだった。

 

 移動の間も連日会議は開かれたが結局、袁紹軍単独での戦闘を避けることはできなかった。白蓮さんの時は助けてくれたのにと主はぶちぶち文句を零していたが、現状一つの戦力として最も兵力を抱えているのだから、それより少ない兵しか持っていない連中が兵を貸してくれるはずもない。

 

 公孫賛が主袁紹よりも好かれているというのは当然あるのだろうが、諸将も善意で兵を出した訳ではない。同じ金額を貸し付けるなら、貧乏人に貸した方が貸しは大きいに決まっているし袁紹に兵を貸しても旨味がないのは事実である。

 

 かくして、装備だけは立派な十余万の兵の前に展開した虎牢関の兵は、あろうことか騎兵のみの約一万。

 

 しかも遠目に見て虎牢関の大扉は開け放たれているのが解る。お前たちには絶対に突破されないという自負が見て取れた。舐められているというのは袁紹軍の兵たちにも解る。目に物見せてくれると気炎を吐く兵たちを他所に、騎馬隊の旗が紺碧の張旗だと伝令から聞いた顔良は憂鬱過ぎて眩暈を覚えていた。

 

 口撃の応酬などもあるはずもなく。恨み骨髄といった張遼の大音声によって戦闘は始まった。

 

「張遼が来るで! 張遼が来たで! 覚悟しやれやクソ虫ども。老いも若きも皆殺しやぞ!!」

 

 猛然と突っ込んでくる騎馬の大軍を前に歩兵のできることは基本的には二つである。五人十人と組んで騎馬に向けて盾を並べるか、戟を並べて迎え撃つかだ。

 

 大盾を使って騎馬を迎え討つ戦術というのは古来より存在しているものであるが、そのためには当然大盾を担いで戦場を歩き、集団を断ち割られることを防ぐためにその部隊を外周に配置していないとならない。

 

 当然盾というのは重くて嵩張るものであり、他の武器に比べても潰しが利かない上に何より他の武器に比べてコストが掛かる。兵士を一山いくらと見るのであればまだ戟を並べる方が集団の運用も素早くでき何より低コストで済むということで、大体の軍では戟を並べる方が採択されているし、腰を据えて戦うのであれば拒馬や馬防柵などの障害物を使用するのであるが、袁紹軍は違った。

 

 その方が見栄えがするというただそれだけの理由で、きらびやかな盾を持った盾兵なる兵科が存在している。突撃してくる騎馬を受け止め、それを弾き飛ばすのが彼らの仕事だ。

 

 実際、冀州で野党と戦う際にはそれなりの成果を発揮したもので、強固な鎧に身を固めた屈強な兵たちは、弱兵と侮られがちな袁紹軍の中では一際異彩を放つものだった。

 

 敵が神速の張遼隊であろうと何も問題はない。我らは不動であるという絶対の意思でもって盾を並べ、受けて立つとばかりに袁紹軍本体から僅かに離れ、よりによって張遼隊の真正面に展開した盾兵たちは――まるで存在しないとでも言わんばかりに一瞬で蹴散らされた。

 

 まさか、というのは袁紹軍のほとんどの兵の感想であるが、一方で張遼隊も『まさか』と同じことを考えていた。

 

 弱兵と聞いてはいたがここまで弱いとは……

 

 帝国最強を自負するだけあって張遼隊の調練は過酷を極める。その中には盾兵などの騎馬対策をした歩兵を想定した訓練も存在し、如何に一方的にそれを突破するのか、長である張遼を中心に日々戦術の研究が行われている。

 

 盾や戟をもって騎馬を受け止める役は張遼隊の隊員たちが務めることもあり、彼らは身をもって騎馬隊を受け止めるということがどういうことなのかを理解していく。

 

 その本職でない彼らの目から見て、袁紹軍の本職である所の盾兵たちはまるでなっちゃいなかった。立派なのは装備だけで腰の落とし方もなっていない。普段どういう調練をしているのか。鼻や腕の骨折など日常茶飯事である張遼隊の面々は逆に気になった程なのだが、どの道皆殺しにするのだからとそれはすぐに忘れ去られた。

 

 張遼隊が、袁紹軍を断ち割っていく。袁紹軍にはまだ盾兵も戟を持った兵も存在していたがそれらがまるで存在しないかのように騎兵たちは進んでいく。一万の騎兵はまず千ほどの集団に解れ、それが更に必要に応じ百程度の集団に分かれていく。

 

 十余万の兵団を包囲するでもなくただ縦横無尽に動き回り兵団を外から削りとり、浮いた兵団を近くにいた騎兵が片づける。張遼隊にとっては戦闘というよりも作業だった。

 

 数では勝っているのである。張遼隊を無視して関に向かうという選択肢も袁紹軍にはあったはずだが、これでは関を狙う隙などあるはずもなかった。

 

 騎兵の動きに隙間は勿論あるが、袁紹軍から虎牢関は見えると言ってもまだ距離があり、当然のことではあるが人間よりも馬の方が足は速い。到達する前に殺されるというのは屈強な盾兵たちが一瞬で吹き飛ばされたことからも明らかである。弱兵と名高い袁紹軍にスケベ心を出す兵などいるはずもなかった。

 

 一方的な蹂躙劇が十分も続くと袁紹軍は及び腰になり、それから五分もするとじわじわと後退を始める。潰走まで後一歩。まるで手ごたえのない集団を前に、張遼は戦闘の中心から離れた場所で機を伺っていた。

 

 十余万の大軍団を突っ切っての痛恨の一撃。一気に大将首の袁紹を取ることを狙っていたのである。陳宮からは戦力を削るだけで十分と言われていたが、殺れる時に殺るのが張遼の主義だ。

 

 これだけの混乱の中なら行って帰ってくるだけの自信が張遼にはあった。自分たちならできる――何より、あれだけのことをしてくれた連中に、さっさと一泡吹かせねば気が済まない。

 

 私情が絡んでいないと言えば嘘になるが、それは董卓軍の兵たち全員の思いでもあった。汜水関に残った華雄隊は自分たちを逃がすため、一騎打ちにて華雄を下した趙雲の言葉があるまで死に物狂いで戦ったという。

 

 仲間を残して逃げた。特に、撤退する兵の殿を務めた張遼隊にその思いは強くあった。連合軍を迎え撃つ一番槍にも志願したのも、その恥辱を雪ぐためである。狙いの通りに袁紹軍が出張り、聞いていた通りに弱兵である。

 

 待てばその機会は訪れるという確信の下に、馬を走らせながら張遼はその時を待ち続け、そしてついに、その機は訪れた。

 

 逃げる兵というのは最短距離を行こうとするが、切羽詰まった人間というのは本能的に密集することを嫌うものだ。その本能が良くない方、良くない方に作用し続けた結果、潰走する兵というのは次第に広がっていく。その広がりが、一つの線になる。それはか細いものだったが張遼の目には確かな道に見えた。

 

 自分たちならば行ける。翻る『袁』の旗が遠目にも見えた。手綱を握り、槍を持つ手に力が籠る。後は号令をかけるだけ。率いる兵たちの高い士気を背中に感じながら、張遼は大きく息を吸い――

 

「――やめや」

「……行かんのですか?」

 

 聞き返すのは張遼隊、張遼本人が直接指揮する千人隊の副長である。まだまだ小娘である張遼の倍は生きているだろういかつい男であり槍も馬もまぁまぁ上手く扱う。一番はウチやけどな! というのは譲れない所であるのだが、その気心の知れた男が不満も隠さずにそう問うてきている。

 

 質問の形式をとっているとは言え、副長の発言は決定に異を唱えているに等しい。行かないのか? と聞いているのではなく、行こうぜと言っているのだ。その気持ちは張遼にも良く解る。何しろこの作戦は昨晩の内に彼らには通達してあり、もう成功したくらいのつもりでバカ騒ぎした後だ。

 

 自分が彼の立場だったら拳の一つも飛ばしていただろう。いら立ちを抑えて丁寧に聞いてきているだけ上司の教育の程が伺えた。

 

(まぁその上司はウチなんやけども)

 

 ぐるりと張遼は自分の隊の連中を見回した。行かないというのが全員に伝わったのか。ほぼ全員から不満の意思が返ってきている。神速の張遼隊として帝国に名高い騎馬隊だ。彼らの実力は当代でも最高峰の物であり、彼ら自身もそう認識している。

 

 その彼らを焚きつけて袁紹の首を取ろうと言ったのが昨日のこと。それを言った本人が反故にしているのだから不満も出るはずである。こういったやり取りをしながらも、部隊は高速で動いており、袁紹軍の兵を殺し続けている。彼女らにとって雑兵を殺すというのは片手間でもできることなのだ。

 

「さっきいかにもな『穴』が空いたやろ?」

「そですね。待ちに待った時が来たんかと儂も大興奮でしたわ。大将のおかげでげんなりですけども」

「そない言うなや。で、その『穴』やねんけどな? ウチ、あれ罠や思うねん」

「あれがですか?」

 

 副長の声音も半信半疑という風である。というのも袁紹軍は現在半潰走状態でまともに統率も取れていないように見える。中にはその場にとどまって戦おうという隊もあるが、そんなものは張遼隊の餌食だ。まさに狩り放題。この上袁紹を狙う『穴』まで見えたのだから狙わぬはずはない。副長以下全ての隊員たちは突撃するつもりで気を引き締めていたのに、我らが隊長はあれが罠であるという。

 

「信じられんか?」

「大将が言うなら信じますがね。儂らに見えんもんが見えるから、あんたは儂らの大将なんや」

 

 万を超える騎馬隊の代表である張遼は当然、そこに所属する全員よりも高い戦闘力を持っているが、彼女自身はどの隊員よりも若く隊の中では最年少である。隊員の中には親と子どころか祖父と孫娘ほどに年の離れた隊員もいるほどだ。

 

 彼らも帝国で最強と名高い騎馬隊に配属される程の猛者だ。馬の扱いや腕っぷしには自信のある非常に癖のある人間の集まりであるが、彼らは全員張遼を自分たちの上に立つに相応しいと認めていた。

 

 気持ちの良い性格をしているというのもあったが、一番の理由はその強さである。馬に乗れば敵はなく、地に足を付けて戦ってもあの華雄を打ち破る、董卓軍でも呂布に次ぐとされるその武は曲者揃いの面々の尊敬を集めるには十分だった。

 

 その張遼がダメだと言うのだから、本当にダメなのだろう。凡人にできないことをできるからこそ、張遼というのは張遼なのだ。

 

 だが、それと気持ちはまた別の問題である。憎い相手に大暴れできると思っていたのに肩透かしを食らったことによるモヤモヤは、副長を始め他の全隊員たちの心中で燻っていた。態度にも声音でもそれを隠そうとしない。普通の部隊であれば拳の一つも飛んでこようが、張遼は命令を聞き、一定の実力を保てるのであれば大抵のことには目を瞑る性格だった。 

 

「しかし、周りあんなで儂らを嵌め殺すなんて人間にできんのですか?」

「普通の人間にはできひんやろな。ま、あっちにも上手な奴がいたっちゅーことやな」

 

 平素から全体でそれができるのであれば袁紹軍が弱兵などと言われるはずもない。力を発揮することのできない理由があちらにはあるのだろう。知ったことではないし敵対する張遼としては願ったり叶ったりではあるが、同じ兵を指揮する立場としては少しだけ同情しないでもない。

 

 一瞬だけ目を閉じ、その名前も顔も知らない誰かのために天に祈ると張遼は目を見開いた。

 

「さて、気持ち切り替えて行こか。殺せる奴はじゃんじゃんぶっ殺していくで!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、やっぱダメだったかぁ」

 

 張遼がまさに飛び込もうとし直前で止めてしまった袁紹軍に出来た大きな隙。そこでまさに迎え撃つべく待ち構えていた文醜は、目論見が外れてしまったことで大きなため息を吐いた。

 

 と言っても、作戦を考えた顔良ですら『運が良ければ』と前置きするくらいに可能性の薄い勝負ではあった。どうせ負けるのだからと乱戦の中、良い目を引いた時に対応できる仕掛けがこれだったのだが、流石に神速の張遼。戦場での勘は悪くないらしい。

 

「飛び込んできたら、我々は勝てたのでしょうか」

「アタイは少なくとも刺し違えないと駄目かなぁ……」

 

 袁紹軍では最も強いという自覚のある文醜であるが、それで天下無双と思うほど己惚れてもいない。張遼のことは遠目に見えただけであるが、一目で自分よりも強いと解ってしまった。無策の一対一では百度やっても百回負けるだろうくらいに実力は離れている。

 

 文醜が連れて来たのは最精鋭の千人。これは張遼直下の騎馬隊とほぼ同数であるが、包囲したという優位があるとは言えこちらは歩兵であちらは騎馬だ。足の速さは歴然としており、強引に突破されてしまうと追う手段が皆無である。

 

 加えて包囲したと言っても囲っているのは逃げ惑う兵だ。ここで包囲し迎え撃つというのは全体としての作戦ではなく文醜と顔良が独断で実行したものに過ぎない。軍全体で出来ればと考えないでもないが、それができるのであればそもそも袁紹軍は弱兵などと呼ばれてはいない。

 

 顔良と文醜が中心となって手を尽くしてはいるものの、軍としての練度を維持するのは直下の兵が精一杯だった。兵の数こそ多いが袁紹軍というのは袁術軍と違って一枚岩ではない。袁紹一人が突出した武力を持つことを良しとしない連中が一族には多くいるのだ。

 

 今回の作戦もわざわざ『文』の旗から離れての行動である。逃げる兵の中で踏ん張り、動きをある程度予測操作するのは雑兵と付き合うことに慣れている文醜が顔良の作戦を基に行動しても骨の折れる作業だったが、それも徒労に終わってしまった。

 

 張遼が取れれば大金星。取れなかったとしても少なくない打撃を与えることはできたはずである。一度叩いて置けば多少は動きも鈍るに違いなく、袁紹軍にも張遼隊に一矢報いたという実績は残る。これを楯に後は軍を後方に下げるというのが顔良の狙いの一つだったのだが、その作戦は今完全に失敗した。

 

 突撃すれば罠があると察したのであればもう不用意に突っ込んでは来ないだろう。別段冒険をしなかったとしても、周囲をぐるぐる回るだけであちらは狩り放題なのだ。無理に危険を冒す必要などない。

 

「……仕方ねー。周辺の兵の撤退を援護に切りかえる。骨のありそうなの何百人捕まえてこい。こき使ってやる」

「いますかね、そんな連中」

「…………そういう悲しいこと言うなよお前」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて予想の通りに袁紹軍が大敗した訳だが、それによって我々の仕事が増えた」

 

 大方の予想の通りに負けて戻って来た袁紹軍を張遼隊は追いに追い回していたが、連合軍陣地から白馬陣が出てくると虎牢関へと引き返していった。公孫賛が陣の外まで出てきたのは『たまたま』とされているが、袁紹は公孫賛の元からの功績に加えて個人的な借りまで作る羽目になった。

 

 加えて袁紹軍単体の被害も甚大である。公称十五万――孫呉軍を加えて袁術軍の実数が自分たちよりも多かったために嘘を吐いた。実数は十二万と他の陣営には看破されている――の袁紹軍は死傷者が四万を超えた。内死者が一万五千。残りが負傷者となる訳であるが、継続して戦闘に参加できないくらいの重傷を負った人間を死者に合わせると離脱者は二万を遥かに超えた。

 

 文句なしの大敗であり、加えて残った兵にも負傷者が残る。万全の体制であったとしても弱兵であるのに、更には味方の中に足を引っ張る兵までいるのだから戦力としての期待などできるはずもない。

 

 一緒に戦う立場としても迷惑なのだからこれで義理は果たしたと後方に引っ込もうとする袁紹の主張は諸将からすれば渡りに船ではあったのだが、いくら名目上の盟主だろうと自分だけ安全な場所に引っ込もうなんて主張を他の代表が通すはずもない。

 

 最終的には複数の陣営で協力し日の出ている間のみ攻撃するということで会議はまとまったのである。

 

「昼夜兼行で攻めるのではないのですか?」

「袁術が反対したそうだ。今や最大兵数を誇るのは奴らだからな。それに袁紹が追随して話がまとまった。奴らはもう二三度痛い目を見ないと状況のまずさが理解できんのだろう」

 

 答える甘寧の顔は苦り切っていた。守勢の董卓軍と異なり連合は遠征軍。それも虎牢関の初戦は大敗から幕を開けた。公孫賛の作った大勝の雰囲気も霧散してしまっており、連携して攻めるにしても雰囲気が良くない。

 

「それに陣営ごとに交代で休むと言っても限度があるからな。人員も糧食も充実している連中の方が短期決戦でも望む所だろうよ」

「かと言って長期戦を展開しても有利になるとは思えませんが……」

 

 既に大所帯の一つが大敗し、連合のパワーバランスも変わりつつある。一致団結している風な董卓軍と比べて連合軍は烏合の衆だ。兵数でこそ今のところ勝っているが、これも虎牢関を相手に長期戦を展開するとどこまで有利を保てるかも解らない。

 

 烏合の衆であってもまだ形の上で結束できている内に総攻撃をかけるべきでは、と考える一刀の口に食べかけのぐるぐる飴が突っ込まれる。一刀の膝の上で話を聞いていた程立である。

 

「そうなったらなったで落としどころを探すだけの話ですよお兄さん。勝つために手を尽くさないのは論外ですが、一つの手段に拘り続けるのもいけません。勝利への道は一つではないのです」

「汜水関のような起死回生の作戦がない以上誰が貧乏くじを引くかになっている。戦うことを恐れない兵でも後に誰も続かないのであれば死に損だからな。全員の尻に火が点くまでどっちつかずの状況は続くのだろう」

 

 命を賭けるのを躊躇いはしないが、だからこそそこには意味がなければならない。豪傑でも英雄でも無駄に死にたいという人間は存在しないのだ。自分が自分がと言っていたと思えばお前らもやれと言い出すのだから、会議というのは面倒くさいものである。

 

「俺達が酷い目に遭う前に話がまとまってほしいもんですけどね」

「同感だ」

 

 その甘寧の祈りが天に通じたのかそれから話は早急に纏まった。袁紹軍の敗北を受けてこっち、次に攻めかかるのは中央に曹操軍、左翼に孫堅軍、右翼に公孫賛軍という布陣で決定した。

 

 どう攻めるかはお好きになさいということで各々の代表が顔を突き合わせての会議となる。曹操軍は曹操本人と荀彧。孫堅軍は孫堅本人と周瑜。公孫賛軍は公孫賛本人と諸葛亮という会議と同じ面子である。

 

「先と同じ布陣であればいくら張遼隊と言っても楽勝なように思えるが……」

「そう簡単には行かないようね。麗羽を叩き潰したアレは虎牢関の兵団が張遼に華を持たせただけのようで、今は九万から十万の兵が展開しているそうよ」

「ということは張遼は遊軍みたいな扱いか。これに呂布まで加わるんだろう? やる前から気が滅入るな」

「白馬義従よ。お前、張遼と戦って勝てるか?」

「勝つさ。でもそれは私たちだけ、あいつらだけって展開でのことだ。広い戦場他にも敵味方。それじゃあ如何にも厳しい。それに虎牢関はあいつらの地元みたいなもんだろう。私たちに有利な要素が何一つない」

「強気なんだか弱気なんだか解らない物言いね……」

「とは言え、あくまで騎馬で相手を引き受けるって言うなら、この面子じゃあ私がやるしかないだろう。やれと言われるならやるよ」

 

 言外にそう言うなと主張しているようなものだが、やれと言われればやるというのも本当なのだろう。弱兵相手とは言え自身の約十倍の兵を蹂躙してみせた帝国最強格の騎馬隊を前に大した自信である。

 

 そういう連中を相手にするのは炎蓮としても心が躍るものであるが、孫呉の兵は土地柄大規模な騎馬隊というのが中央や北部程には多くなく、故にそれを相手に戦った経験も少ない。

 

 無論のこと戦えば勝つつもりでいるが、精神論だけで勝てるのならば苦労はしない。より有利に戦うことができる連中がいるのであればそいつに任せるくらいの柔軟性が炎蓮にはあった。お前はどう思う、と炎蓮は曹操に視線を送る。

 

「遊軍として独立させて公孫賛軍を運用するのは危険なように思えるわね。董卓軍における張遼隊も、割合としては連合軍の公孫賛、馬超軍の騎馬隊を足したのと変わらないように思えるし、あの蹂躙も騎馬隊だけで出てきていればこそ。歩兵を前に押し出してくるのであれば、過日程の思い切りの良い運用はできないでしょう。公孫賛も兵の指揮に専念して良いはずよ」

 

 それでも騎馬で出ることに変わりはあるまいが。遊軍で公孫賛が出るのであれば、歩兵中心の部隊は別の人間に任せることになる。趙雲が怪我をして離脱している以上、関羽か張飛に任せることになる。

 

 これに代えてあくまで公孫賛が自軍を指揮するのであれば、単純に将の数が増える分だけ厚みのある運用ができるようになるだろう。外に出るのか内で共に戦うのか。将二人の視線を公孫賛は感じていた。判断は任せる、というその視線の色に公孫賛は深々と溜息を吐く。

 

「私は兵を指揮するよ。遊軍は別の人間に任せる」

「先の戦いで大活躍だった関羽がその遊軍を指揮するのかしら」

「白馬陣の副長を割く。兵の指揮は私と張飛だ。星――趙雲の具合が思ってた以上に良くなくてな。その分の再編成を今関羽が中心になってやってるんだ。捕虜の監視もあるし、実の所そこまでうちも余裕がある訳じゃないんだが……最初に大活躍したからって楽できないもんだな。全くもって忌々しい」

「難しい状況に変わりはないものね」

 

 曹操の軽い笑いと共にやり取りは終わった。後は事務的なやり取りを二三交わすと、秘密の会議はお開きになる。細かい段取りは下の立場の者で詰め――

 

 そうして、実際に干戈を交える当日。袁紹軍が大敗をしてから一週間の後、連合軍は虎牢関の前に見る平原に展開していた。

 

 董卓軍がおよそ十万。対する連合軍は曹操軍四万、公孫賛軍二万五千、孫堅軍三万。他の陣営からの補兵はなし。数の上では僅かに劣る連合軍だったが、袁紹軍の大敗という胸の空くようなこともあり、士気は高かった。

 

 だが、兵団の前の方にいる連中はそうでない兵と聊か事情が違っていた。視線を遮る兵がいない以上、前の方にいる兵たちには敵の状態が良く見えた。

 

 遠目にも解るようにと、董卓軍を率いる将たちの旗が翻っている。紺碧の『張』旗は過日袁紹軍を蹂躙した張遼の物。袁紹軍にしてみれば恐怖の対象だろうが、連合軍の将兵たちの気持ちを揺さぶっていたのは別の旗だった。

 

 紺碧の『張』旗の間近に翻る、深紅の旗――その文字は『呂』。深紅の『呂』旗。国士無双にして帝国最強の武人。呂奉先が出陣していたのである。

 

 

 

 

 

 


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