真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第042話 反菫卓連合軍 虎牢関攻略編⑥

 

 

 

 

 

 

『これでトドメだ。覚悟せよ将軍甘寧』

『うぬ、これまでかー』

『待てい!』

『何奴!』

『我が名は北郷一刀! 呂布め、我が剣を受けてみよ!」

『ぐはぁ。おのれ、市井にまだお前のような武人がいたとは……北郷一刀、お前の名を覚えておくぞ!』

 

 ははははは。段々と声を小さくしていくことで遠ざかっていく呂布を表現するシャンに、一刀は自分の言ったことを心の底から後悔した。

 

 待てと言われて律儀に待ち、誰何の声まで上げる呂布。態々名乗ってからかっこよくポーズを取り、一人で切りかかる北郷一刀。あっさり一撃を食らった挙句笑いながら戦線を離脱する呂布と違和感を挙げればキリがないが、事実と本人の意思を置き去りにして脚色されたそれが兵たちの間では大流行しているという。

 

 自分では怖くて聞けないので、聞いた話をやってくれとシャンと梨晏にお願いし演じてもらったそれは、一刀の予想よりも遥かに酷いものだった。

 

「呂布を一撃かー。強いなその北郷一刀って人は。顔が見てみたい」

「私好みの良い顔してるよ。紹介しようか?」

「また今度お願いするよ」

「気が向いたら言ってね? それにしても、孫呉の人たちはげらげら笑いながら聞いてるけど団長のこと知らない人は普通に信じちゃうよね」

「こうして歴史は歪められて行くんだってことを実感してるよ」

 

 そんなバカなことがあるはずがないだろうと方々に事実を伝えてはみたのだが、ほとんどの人間にはそれじゃあつまらない面白くないと大変不評だった。講談映えする内容に脚色され流布されているのはそのためで、何より出立する前の孫堅が手を叩いて喜び、ガンガン広めて良いと宣言したことが虎牢関での流行に拍車をかけていた。

 

 今でこそ虎牢関での流行に留まっているが呂布敗走の話は外にも広まっている。洛陽の大通りでこれらの講談が面白おかしく披露される日も近いだろうと言う話を聞く度に冷や汗が止まらなくなる一刀だった。

 

 全くどうしてこうなった。執務机に頬杖を突きながら、一刀は壁に立てかけられた方天画戟を眺めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呂布を撃退した日から、既に三週間が経過している。

 

 呂布を撃退し虎牢関の董卓軍に大打撃を与えたと判断した連合軍は、翌日から総攻撃を昼夜兼行で行うことに決めた。後に流行した講談の内容が事実かどうかは別にして、難敵であった呂布が重傷を負ったのは事実。死亡の確認こそ取れないが、戦線復帰されれば盤面をひっくり返される恐れがある。

 

 虎牢関を落とすならばその前にしなければならない。危機感を共有した上層部はゴネる袁紹を押し切る形でぶっ通しで戦闘を行うことを決め、軍師たちの調整により軍団のローテーションが決められた。

 

 時間から移動から合図の方法からとにかく綿密に決められたそれは、状況を正確に把握した本陣から適宜指示を出さなければならないという有能な軍師ありきの戦法だったが、現在の連合軍は軍師オールスターとも言える状況であり、考える頭には事欠かなかった。

 

 加えて士気の高い兵が多ければ言うことはない。犠牲を覚悟で攻め立てた結果、堅牢で鳴らす虎牢関もついには折れ、最初に攻撃を仕掛けてから二週間ほどで陥落の憂き目となった。

 

 各々の兵数や虎牢関の堅牢さを考えれば大層なスピード攻略であるが、それだけに連合軍全体の被害も凄まじく、特に兵の練度で劣る袁紹軍、袁術軍は兵の損耗がついに半数を超えた。

 

 平素の戦であればここらで痛み分けと講和の話でも浮かぶ段階である。董卓軍の方からその打診があれば受け入れるのも吝かではないという雰囲気であったものの、虎牢関を抜かれて後もあちらが継戦の意思を崩さないことから、連合軍側でも継戦を決定。虎牢関を前線基地の一つとし、早急に兵をまとめた諸将は虎牢関を出発。洛陽をその目に捉える平原にまで兵を進め、そこで最終決戦と相成った。

 

 その決戦に、一刀団は参加を認められなかった。

 

 虎牢関の初戦で甘寧隊は数を半分に減らしており、また上役である甘寧も重傷。本人は戦闘に支障はないと言っているが大事を取った形だ。いずれにせよ、虎牢関の駐留組に人員は出さねばならなかったのでちょうど良いと白羽の矢が立った形だ。

 

 甘寧隊の中には戦働きができないと不満を漏らす兵も当然あったが、虎牢関が重要拠点であることに変わりはない。そこを守る兵にもある程度の質が求められ、それを率いる人間にもある程度の格が求められる。先を急ぐ諸将が迅速な協議を行った結果、虎牢関の主将は公孫賛となり元々の関羽団を除いた公孫賛軍全軍に各軍がいくつかの部隊を預ける形となった。

 

 既に虎牢関守備隊としての再編も済まされているが、基本的に職務は元々の隊ごとに行われるため、今の所問題などは起きていない。前線基地と言えども、最終決戦が今まさに行われている現状、虎牢関を再制圧しようという余裕が董卓軍にもなく、兵たちの間にも弛緩した空気が広がっていた。

 

 講談が流行っているのも、そう言った雰囲気が下地になっているせいもある。非番の日も決められているが遊びに行けるような場所もなく、甘寧隊の面々は他所の非番の連中も集めてドッジボールの普及に躍起になっていた。講談じゃなくてドッジボールが流行れば良かったのに……と思わずにはいられない。

 

 ともあれ一時とは言え、一刀の周囲には平穏が戻ってきた。最終決戦が行われていると言っても、それは一日二日移動した先でのこと。虎牢関からも斥候は放っており、伝令担当は忙しく走り回っているが、状況が急変したという知らせはまだ来ていない。

 

 何にしてもあちらの結果待ちなのである。状況次第では援兵ということもあるが、どうやら状況は連合軍有利に推移しているようで、今の所援兵を求められる兆候もない。このまま行けば董卓軍を打ち破り、洛陽に入れるかもしれない。

 

 流石にそれは出来過ぎだと思わないでもないが、連合軍は既に難攻不落の関を二つも突破し洛陽が見える位置にまで軍を進めている。その見通しも今や現実味を帯びてきているのだ。

 

「つまり今は、戦後の綱引きをしている状態な訳ですね」

 

 虎牢関、一刀に割り当てられた執務室。兵の急激な損耗により一刀は正式な副長に昇進。甘寧隊において甘寧に次ぐ立場となった訳だが、戦地でなく後方では主な仕事は各所の調整や事務仕事ばかり。甘寧隊は孫呉軍の中でも学のない人間が多いため、必然的に一刀の仕事の比重は高まっていた。出世をしたはずなのにこれをやってくれあれをやってきてくれと行軍している時よりも忙しいような気さえする。

 

 加えて今は一刀団の軍師三人も全員、孫呉軍の本隊について出払っている。頼れる人間が少ないせいで孫呉に合流してからこっち、今が一番忙しいとさえ言えたが、一刀自身は充実していた。何しろ剣を持って戦わずに済むのだ。今まさに殺し合いが起きているのだとしても、人を殺さずに済むのならばその方が良い。

 

「まずは目の前の戦いに集中せよという段階ではありますが、既にあちらの陣中ではそういった駆け引きが始まっているようです」

「それに比べればこちらは気楽なものですね。調練と警邏の日々というのは随分と久しぶりなように思います」

 

 一刀の部屋を訪ねてきたのは楽進である。曹操軍が虎牢関の駐留部隊として置いて行ったのが彼女で、元の楽進隊と一緒に道中で募兵に応じた予備兵も預かっている。言葉の通り今はその調練と虎牢関周辺の警邏を担当している。三週間前まで死闘を繰り広げていたことを考えれば、今は酷く穏やかな時間と言えるだろう。

 

 一隊を預かる将軍と、その将軍に次ぐ副長。所属している軍とは異なるとは言え、世間的には一刀と楽進を比べた場合、楽進の方が立場が上になる。楽進本来の性分もあるのだろうが、多少の礼儀も必要とは言えここまでかしこまる必要は本来ならない。

 

 そのことをやんわり指摘しているつもりなのだが、楽進の方に改める気配はない。お茶を飲みながら穏やかに微笑む楽進を見て、一刀は関係の改善が必要だと考えた。

 

「楽進殿に改めてお願いがあるのですが」

「なんなりと」

「私と友人になってもらえませんか? 貴女とは対等な関係で話をしたいのです」

 

 その言葉に楽進の顔に浮かんだのは困惑である。見た目通り真面目な少女だ。正面から申し出ればこうなることは解っていたが、正面から申し出る限り彼女は断らないだろうことも何となく解っていた。

 

 義理だの恩だのを重んじるのは楽進の長所だと一刀は思っているが、個人的にだけであるならばまだしも、勢力を跨いでいる場合は思わぬことが軋轢を生むことにもなる。現状の立場においてはどうひいき目に見ても楽進の方が上。ここは貸しのある立場を笠に着ても強引に事を進めるのが正しいと思った。

 

 本来であれば自分だけが敬語を維持するべきなのだろうが、それだと楽進は梃子でも動かないと察する。対等に砕けた感じで。それが一刀の男としての妥協点である。褐色美少女の困り顔を眺めながら待つことしばし、

 

「北郷殿の……いや、北郷の言を受け入れる」

「ありがとう。俺のことは一刀とでも呼んでくれ」

「では私は真名を預ける。これからは凪と呼んでくれると嬉しい」

「良いの?」

「良いに決まっているだろう。お前がいなければ今の私はないのだからな」

「大げさな……」

 

 とは言いつつも甘寧が増援を早期に決めなければ総崩れになっていた可能性は否定できない。楽進改め凪の言い分も解らないではなかった。

 

 曹操に汜水関での戦闘に関する手紙を出したのは、その点についての凪の処分を少しでも軽くするためもあった。勝負は水物である。凪の兵は良く鍛えられていたし、彼女に良く従っていた。負けてしまったのは相手が悪かったためで、ここで凪を処分するのは損失である。

 

 自分で考えつくようなことを曹操が気づかないとは思えない。仮に自分の手紙がなかったとしても凪に対する処分は大して変わらなかっただろうが、手紙を出したという事実は消えることはない。一刀が思っている以上に、凪の彼に対する評価は大きいのだった。

 

「曹操殿ならそんなことはないだろうけど、もしいづらくなるようなことがあったら俺の所に来ると良いよ。凪ならいつでも歓迎するから」

「そんな機会が訪れないように、お前も祈っていてくれ」

 

 温いお茶を飲みながら他愛もない話をしていると、扉がノックされる。今は執務の合間、休憩中のようなものだ。梨晏もシャンも出払っているので対応は一刀一人で行っている。凪が視線で外そうか? と問うてくるが一刀はそのままと返した。

 

 ノックの感じからして急ぎで内密ということはあるまい。凪がいて困るということもないだろうと判断した一刀は、

 

「どうぞ」

「失礼する」

 

 入ってきた人間の姿を見て、二人は迷わずに立ち上がった。部下がするような態度の二人を見て、入ってきた人物は困ったように笑う。

 

「楽にしてくれ。ここにはなんだ。世間話に来たようなもんだ。楽進もいるとは思わなかったが」

 

 現れたのは現在の虎牢関の代表。白馬義従公孫賛である。一刀と凪の立場がほぼ同格であったとしても、彼女は間違いなく上役だ。粗相があってはならないと緊張が走るが、公孫賛の態度は気安い。

 

 一刀の勧めに、適当な椅子を引っ張ってきた公孫賛は腰を下ろす。ごきごき首を鳴らしながらの振る舞いには、形式ばった雰囲気はない。本当に世間話に来たのだろうかのような雰囲気であるが、一刀でもこれを額面通りに受け取ったりはしない。

 

 既に戦後の綱引きは始まっている。前線から離れた場所であるからこそ、情報交換は欠かせない。中でも公孫賛は立地的に最初に袁紹に狙われる立場にある。窮地に陥った時助けになるものは何で、誰なのか。今のうちに見極めておく必要があるのだ。

 

 帰っても良いかと視線で問うてくる凪に、頼むからここにいてくれと返す。一人で対応するにはちょっとばかりガッツが足りなかった。

 

「お前が呂布を打倒したって本当か? うちの陣営でも毎日話題になってるし、もう三種類は講談を聞いたぞ。残念ながら完成度はどれもイマイチだったが、お前の口上の時に講談師が無駄に格好つけるのはどういう訳だ?」

「『我が剣を受けてみよー』」

 

 棒読みでシャンたちから聞いた口上を真似してみると、二人から爆笑が返ってくる。調子に乗った一刀は銀木犀を抜いてポーズを取り、向きを変えてまた別のポーズを取った。それがツボに入ったのか特に公孫賛の反応が良い。ひぃひぃ呻きながら涙を拭うのを見るとやった甲斐もあったというものである。

 

 しばらくこれで話の掴みは問題ないなと前向きに判断した一刀は、公孫賛の名誉のためにもこれ以上は自分の真似をしないと決めて、彼女にもお茶を勧める。現代と異なり熱くも冷たくもない温いお茶だが、何もないよりはマシであると勧めてから、虎牢関の代表である公孫賛に勧めるようなものでもないのではと思い至ったが、本人は全く気にするでもなく椀に口をつけた。

 

「信じている方はそういないと思いますが、幸運の産物ですよ。俺は思春の――甘寧将軍の前に飛び出しただけで、たまたまそこの方天画戟が剣に当たっただけで。呂布を撃退したのは俺の仲間と、それまでに攻撃していた甘寧隊の力です」

 

 思春、と真名を呼んだことに、公孫賛が片眉を上げる。汜水関で顔を合わせた時には普通に名を呼びあっていた。つまりはそれ以降に真名を許したということ。

 

 呂布に助けられた対価として考えるのが自然であるが、命一つの借り――それもあの飛将軍呂布の前に身を投げ出し、命を救ってくれたことの対価とするなら公孫賛の感性からすると全く割に合っていない。

 

 甘寧のような人間ならばそれこそ、自分の身を一晩二晩預けるくらいのことはしていそうな気さえする。というよりも、懸想をしている愛紗のために、そういうことがあったのかどうかを探るための質問でもあったのだが、一刀の感じからしてまだまだ深い仲にはなってはいなそうだ。

 

 愛紗にすれば朗報だろう。とは言え、自分よりも後に出会った女が運命的な体験をした末に真名を預けたとなれば、それはそれで青い顔をしそうであるが。全くあんなきらきらした見た目をしているのにどうしてあそこまで未通女いのか。

 

 友人としてじれったくもあるが、変に突いて恨まれても仕方がない。愛紗には解ったことをありのままに伝えることにして、公孫賛は話題を変える。

 

「方天画戟。お前の元にたどり着いたようで良かったよ」

「扱いについては一時紛糾したと聞きました」

 

 あの戦いで呂布本人の手を離れ、その敗走を知らせるために周泰の手に渡った方天画戟であるが、その日の戦いが終わった後、それをどう扱うかで意見が少々分かれたそうである。

 

 前線の目立つ所に置いておいて敵の戦意を挫くために使おうやら、腕の達者な人間――候補に挙がっていたのは関羽だそうだ――に持たせて使わせるやら。誰の意見も腐らせておくのはもったいないというところから来ていたが、最終的には孫堅の『北郷たちがやったんだから北郷たちのもんだ』という意見が採用され、一刀の元に運ばれてきた。

 

 撃退したのは確かに自分たちだが、それが成功したのは思春たちの奮闘の方が大きい。方天画戟を得るにしても、それは思春が得るべきだと主張したものの、

 

『お前たちだって私の隊に属する者たちであり、事実として呂布を敗走せしめたのはお前たちだ』

 

 という主張に負け受け取ることに――正確には押し付けられることになった。受け取ってみて思春たちの真意が理解できた一刀である。

 

 武器としては確かに業物であるが、これを振り回せるような人間はそういない。少なくとも甘寧隊の中では極々少数だ。それも振り回せるというだけで呂布のように使いこなすには鍛錬のために時間を割かなければならないだろう。

 

 使わないのであれば管理をするより他はないが、大事な品だ。管理にも気を使わなければならないとなれば、面倒なことは押し付けてしまうに限る。

 

 お前たちが第一功であるということを対外的に示すため、という理由が一番大きいのだろうが、押し付けることができて良かったと少なからず思っているだろうことも、一刀には確信が持てた。

 

 おかげで執務室の隅には常に、自分を殺しかけた武器が転がる環境となってしまった。正直あまり良い気分ではないので誰かに押し付けたいのだが、甘寧隊の中では誰も手を挙げてくれない。

 

 それなら当初の一つの案の通り、誰かに武器として使ってもらうのはどうだろう。ちょうどシャンが斧を粉々にされたばかりなので、ちょうど良いと振り回してもらったのだが、シャンの反応は芳しくなかった。

 

 使っていた斧は元々洛陽の鍛冶屋に発注したもので、破損した時のための予備がまだ複数残っているとのことである。武器の予備として持つのは構わないが、元来それほど器用な性質ではないため、斧を使った時の勘が鈍ると困るというのがシャンの主張だ。

 

 ちなみに一刀本人では持ち上げて構えることもできない。構えようとしてひっくり返り、周囲の笑いを誘ったのも記憶に新しい。

 

「正直扱いに困るんですよね、これ」

「だろうな。まぁしばらくはそうやって飾っておくのが良いだろう。その内使える人間が現れるかもしれんし、お前が褒美を出すような立場になったら、体よく押し付けても良いしな」

「俺も野心がないではありませんが、あまりそういう立場になるというのが想像できません」

「今回のことで大きく前に進んだと思うぞ。孫呉を出て独立する予定だそうだが、それでも上手くは行くだろう」

「は?」

 

 公孫賛の言葉に、凪が声が挙げる。その顔は信じられないと雄弁に語っていた。

 

「……お前、独立するつもりなのか?」

「そういう約束で合流した。働き分の報酬を貰ったら孫呉からは離れる予定だよ。いつになるか解らないけど」

「孫呉に残れば孫堅の娘の誰かを宛がわれて上層部の仲間入りは固いぞ。貧乏性の私からすれば非常にもったいないと思うが」

 

 凪からすればそれが当然の流れに思えた。男性が当主の家の方が多いが、力ある家は女性が当主であることが多い。孫堅の家もその例に漏れずその子は皆女性だ。野心ある男性は大抵がその婿に収まることを目指す。その点、一刀は今の時の人。腰掛とは言え孫呉で働いていたのだから切っ掛けとしては申し分ない。

 

 加えて仲間も揃ってついてくるのだから、娘を宛がって引っ張り込むというのは権力者としては普通の対応だ。後継者とされる孫策の婿にでも収まれば上等。次子、末子と番いになるのでも出世の足掛かりとしては上等だ。だが、

 

「それじゃあ頭を張れません」

 

 一刀の返答はにべもない。孫堅は言うに及ばず孫策も遠目に見たことがあるだけであるが器量よしだ。その妹二人も不細工ということはないだろう。凪が一刀の立場であったら悩むくらいはすると思うのだがその様子もない。

 

 一刀の言い分も解らないではないが、これが視点の違いというなのだろうと凪は納得することにした。

 

「だが名誉はあるし良い暮らしもできる。ついてきてくれた人間を食わせることもできるだろう。そこからどこまでのし上がれるかはお前次第だが、娘をあてがわれる前提なら跡目争いにも食い込めるかもしれん」

「そこで炎が燃え上がるのでは割に合いません。離れる予定とは言え世話になった方々です。恩を仇で返すような真似はしたくない」

「上を目指すのであれば、権力争いというのは避けられないぞ。相手が誰になるかの違いだけだ。それは孫堅かもしれないし、曹操かもしれないし、もしかしたら私かもしれない」

 

 公孫賛がじっと、真剣な顔で見つめてくる。手を組むことはできないか。言外の提案であり探りでもあった。

 

 手を組む相手としては信頼できるように思う。関羽たちが世話になっている以上、人格面についてはある程度保証されているようなもの。その武力には一刀自身汜水関でも虎牢関でも助けられた。仕える人間としても共に戦う人間としても悪い人物ではない。ないのだが、

 

 即答しない一刀に、公孫賛は苦笑を浮かべた。こと同盟を結ぶ相手として見た場合、自分が良くない相手だということを理解していたからだ。

 

「できれば、お前とは戦いたくないものだな」

「それは俺も同意見です。いつか轡を並べて戦いたいものですね」

 

 話がまとまったことに、凪はそっと安堵の溜息を漏らした。降って湧いた沈黙に耐えかねた凪は、慌てて会話を繋ぐ。

 

「そう言えばお前の旗を見た記憶がないな。甘寧隊の副長ともなれば旗の二つ三つは持っていても良いと思うのだが。合流する前も五百を率いていたと聞くが、持っていないのか?」

「必要がなかったからなぁ……」

 

 旗はその隊がどこにいるのかをその隊員たちに、あるいはその隊を指揮する人間たちに視覚的に解りやすくするための物で、どこの勢力でも導入されている。その隊が誰の指揮下であるかを表すために、実際に現場で指揮する人間の姓が割り当てられる。北郷一刀が指揮する隊であれば『北郷』の旗になる訳だ。

 

 当然孫呉軍にもそれは導入されており、甘寧隊にも色とりどりの旗が翻っているのだがそこに北郷の旗はない。

 

 関羽団と共に仕事をするまでは単独で仕事をするばかり。主な仕事は商隊の護衛と賊の殲滅で、旗を使うような状況にはなかったのだ。元より誂えていなかったために、合流してからの用意が間に合わず、とは言え旗がないと不便と物言いがついたため、北郷隊を表す物として深緑の無地の旗が割り当てられた。

 

 孫呉の本陣に余っていた布を急遽旗としたものだが、一刀はこれに実家の家紋を付け足して使用している。一刀団の面々は『深緑地、丸に十文字』というのが自分たちの旗と認識しており、指示を出す側の甘寧やその関係者もそれが一刀の旗というのは認識しているが、他の勢力となるとそうはいかないらしい。

 

 今は後方待機であるため、洗濯洗浄も済んだ旗が部屋に立てかけられている。それがそうだと説明すると、凪は驚いた表情を浮かべた。

 

「文様のみの旗というのは珍しいな」

「文字が読めない団員にも伝わるって言うのは我ながら良い案だと思うよ。時間ができたらこれを正式に俺の旗にしようと思う」

「別に『北郷』の旗は必要だろうが、それを主とするのは良いと思うぞ」

「正式に誂えたら見せに行きますよ」

「楽しみだ。それまでは私も死ねないな」

「一刀!」

 

 公孫賛の笑い声を遮るように、執務室に思春が飛び込んでくる。足音などもなくいきなりに感じた面々は、彼女の声に思わず背筋を伸ばした。一刀しかいないと思っていた思春は、来客が二人もいたことに目を丸くする。

 

 真っ先に動き出したのは公孫賛だ。思春の様子からただ事ではないと察した彼女は、視線で凪を促すと立ち上がった。

 

「込み入った話のようだから私たちは退散しよう。お茶ごちそうさま」

「いえ、公孫賛殿もお聞きいただきたい。いずれお耳にも入りましょうが、大事ですので」

 

 あー、と公孫賛は憂鬱そうに溜息を漏らした。いくつかあった予想の内、悪いものがやってきたことを察したからだ。公孫賛が着席するのを待つと、執務室の中央に移動した思春は、小さく咳払いをし姿勢を正す。

 

 

「第一。洛陽郊外における董卓軍との戦闘は連合軍が勝利。董卓軍は潰走。万を超える捕虜を取ったとのこと」

 

 これは良い方の予想が当たった形になる。被害を想像すると気分が滅入るが、万を超える捕虜を取れたのだからその体裁を整えられるくらいには連合軍は機能しているということだ。文句なく、とは言えないが良い知らせの範疇ではある。

 

 つまりはこの後に、それを覆す程の悪い知らせがあるということだ。

 

「第二。戦後の処理と再編成もそこそこに連合軍の代表――具体的には袁紹とその供回りですが、これが洛陽に入りました」

 

 これも別におかしなことではない。既に結成時と兵力の関係は変わりつつあるが、名目上は今でも袁紹が盟主であり、戦果というのは基本的には軍団の代表に帰属するものだ。一番の洛陽に入るという名誉も当然、盟主である袁紹の物である。内心はどうあっても、形式を守ってやるくらいの配慮は諸将にもあるはずだ。

 

「第三。先の連中が洛陽の市民と乱闘騒ぎを起こし、小火が発生。これが燃え広がり洛陽正門周辺に広がりました。幸い現在は消し止められているものの、禁軍が出動する騒ぎとなり、連合軍は洛陽より叩きだされました」

 

 雲行きが怪しくどころか、一瞬で豪雨雷鳴が降り注ぐ有様となった。唖然とする凪と、頭を抱える公孫賛の姿が見える。特に公孫賛の姿が痛々しい。

 

「現在は使節団を編成し、帝室と交渉に当たっている最中とのこと。こちらの上層部からの話では、帝室はまず袁紹の盟主罷免と袁紹軍の連合軍追放を要求しているとのことです。当然袁紹は抗議したそうですが覆る様子もなく、袁紹軍は既に撤退の準備を始めているそうです」

 

 洛陽郊外の戦闘がどう推移したのか知らないが、連合軍が結成された時点でならばいざ知らず、今の状況で連合軍の残り全てを相手にすることは、袁紹軍には不可能だ。帝室の要求がまず袁紹軍の追放であるなら、連合軍の諸将も袁紹に味方をする道理もない。

 

 遠路遥々やってきて甚大な被害を出したのに、帝室に相手をされなかったらこれまでの経費が丸損だ。洛陽が燃えたことは業腹であっても、負債を全て袁紹がひっかぶってくれるのであれば、諸将としては悪くない展開である。

 

 やるというなら相手になるぞと、残り全員に開き直られたら袁紹にはもう打つ手がないのだ。袁紹にとっては最悪なことに、ほとんどの人間にとっては袁紹という人間はここで死んでもらった方が都合が良いのである。

 

 戦って殺した方が話が早いにも関わらず今なお袁紹が生かされているのは、つい最近まで担いでいた人間を殺すのは外聞が悪いという一点に他ならない。やっぱり殺そうとなったら今度こそ袁紹軍に打つ手はない。内心でどう思っていたとしても、早期の撤退は袁紹にとって必須事項なのだ。

 

 そしてこの袁紹軍の早期撤退によって、著しく状況が変わる者が出てきた。

 

 公孫賛は低い唸り声を挙げると立ち上がり、その場で地団駄を踏み続けた。クソっ、クソっ!! という声には凄まじいまでの情念が籠っているように聞こえる。

 

 だがそれも一時のことだ。幾分冷静さを取り戻した公孫賛は、大きく溜息を吐いた。

 

「席次を考えるとお前になるな甘寧。関羽とそれに従う一団を除いた公孫賛軍全軍は、これより虎牢関より引き上げ幽州に戻る。引き継ぎする時間もないから、申し訳ないが上手くやってくれ」

「お気遣いなく。ご武運を」

「お前もな。北郷、楽進もまたな!」

 

 慌ただしく執務室を去った公孫賛は、大声を張り上げながら移動する。これからしばらくもすれば、虎牢関はまた慌ただしくなるのだろう。一番頭数の多い公孫賛軍が抜けると人員的にも聊か厳しいのであるが、彼女の事情を考えると止めることもできない。

 

 戦闘さえなければどうにかなる状況であるが、状況は既に動き始めている。董卓軍の残党がどこにいるか正確な報告が上がってこない以上、公孫賛撤退の前に虎牢関が襲撃される可能性だってないではない。

 

「凪。一度戻ってそっちの幹部に事情を伝えてきてくれ。公孫賛軍を除いた面々で編成のやり直しだ。思春、俺は馬超軍の方に行けば?」

「あちらには途中で見つけた太史慈を走らせた。会議には私が出る。お前は隊の連中に遺漏なく指示を出せ。楽進は用事が済み次第『会議室』に集合だ。急げ」

 

 思春からの指示を復唱し、凪が駆けだしていく。久しく穏やかな時間が流れていた虎牢関は今が戦時であることを思い出した。これでまた忙しくなるだろう。人を殺さない忙しさではなく、殺す忙しさだ。

 

 憂鬱から溜息を漏らし思春を見ると、その視線はとすぐに逸らされた。

 

 甘寧隊に復帰してからこっち、あまり思春と会話していない気がする。命一つの借りと、年齢が近いこともあり、真名を許され口調もシャンたちと同じようにせよと改めたが、距離が近づいたのはそこで終わりだ。

 

 単純に距離感だけを見れば、虎牢関に来る前よりも遠くなったように思う。そういうものだと言われてしまうと返す言葉もないのだが、一刀にはそれが寂しく思えた。

 

 一度戦争が終われば、落ち着いて時間も取れるだろう。洛陽で落ち着いて会話でも、と思っていたのだが、状況がそれを許してくれないかもしれない。

 

「戦争が終わったと思ったらまた戦争か……中々平和にはならないもんだね」

「むしろこれからが本番だろう。お前も、その、なんだ。用心しろ」

 

 それではな。と足早に思春は去ってしまった。会話をしても続かない。態度も何か挙動不審だ。つかの間の平時が終わり、また慌ただしい時間が戻ってきてしまったが、世間の事情とは関係なく、個人を惑わす事情というのは舞い込んでくるものである。

 

 こちらに来てから特に思うようになった。人の生き死に、金の流れ、政治やら経済やらそれを回すための人間やら。考えることは山ほどあり、ただの高校生だった時よりは知っていることも増えたし、知恵もついたと思う。

 

 それでも、あちらにいた時から常々思っていたことは全く解決の兆しを見せていない。

 

「…………女って解らない」

 

 幹部は全て女性。それでもまだ理解できないのだから、きっとこの悩みは一生物なのだろう。

 

 

 

 


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