真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第045話 反菫卓連合軍 洛陽戦後処理編④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神妙な面持ちで待つ梨晏に、一刀は満面の笑みを浮かべて答えた。

 

「いいよ。行っておいで」

「軽くない!?」

 

 非難の言葉をあげた梨晏も一刀と同じように笑みを浮かべている。梨晏にとっても一刀の言葉は想像の通りだったからだ。一刀が膝をぽんぽん叩くと梨晏は嬉々として膝の上に腰掛ける。二人だけで何か話をする時のそれが定位置だった。

 

「孫策殿はなんだって?」

「孫呉の次の大戦が終わるまで。もしくは二年が経つまでの間私と一緒に戦ってほしいって」

「それだとただ借りて終了だぞ?」

「その間に心変わりさせることができなかったらもう私のこと勧誘しないって」

「自信があるように見えてその実自信ないのが透けて見えるのが切ないな」

 

 孫策も孫堅の娘であるだけあって大層な自信家である。やれる自信があるならばたとえこれから口説いて引きこもうという相手でも態度に出るだろうが、梨晏の言葉からは彼女らしい自信が全くと言って良いほど窺えない。脈がほとんどないということは孫策にも理解できているのだろう。

 

 孫堅辺りにはみっともないとからかわれているだろうが、それでも条件をつけてまで梨晏に声をかけたのは脈がなさそうだからと梨晏のことを諦めることができなかったからだ。大軍の後継者が一人の少女に矜持を捨ててまで頭を下げているのである。普通の武芸者であればそれこそ心の一つや二つ動こうというものだが、梨晏の態度は一刀と同様に軽かった。

 

「で、梨晏は協力はしたいんだよな?」

「雪蓮は凄く大事な友達だしね。困ってるのも私を欲しいっていうのも切実だし協力はしてあげたいかな」

「したいことが決まってるのに、あえて人に聞くというのも不毛なことだと思わないかね」

「女は殿方に言葉にしてほしいものなのだよ団長」

「そうか。俺が決めても良いなら絶対に行かせないけど、俺は同時に梨晏にはやりたいことをしてもらいたい。梨晏が孫策殿を助けたいというのなら俺はそれを支持するよ。気を付けて行っておいで」

「ありがと。でも、私デキる女だから引き留められたりするかも――」

「その時は俺が連れ戻しに行くからそんな心配はしなくていいよ」

「…………孫呉と関係が悪化するからって皆が止めるかもしれないよ?」

「俺一人でも必ず迎えに行く」

「そっかぁ……」

 

 耳に届いた言葉を噛みしめるように、梨晏は呟く。にやけ面を止めることができない。言葉にならない言葉を呻き一刀の肩に顔を押し付ける。そこでも漏れるのは意味のない、しかし熱のあるうめき声。意味がとれなくても、嬉しいという感情は一刀にも見て取れる。

 

 ふらふらと彷徨った梨晏の手が、一刀の手を探し当てた。ぎゅっと、指を絡めるようにして握られた手は戦いの後のように熱かった。

 

「それでも足止め食らって困るってことはあるだろうから、俺の方でも手を打っておくよ」

「心配しなくても、ちゃんと私は帰ってくるからね」

「信じていても心配にはなるものなんだな……」

「ね、今日一緒に寝ても良い?」

「それはまた今度、梨晏が戻ってきた時にでも――」

「聞いたからね! 絶対だよ! 忘れたら怒るからね!」

 

 顔を真っ赤にした梨晏の剣幕に、一刀は最初からこれが狙いだったのかと理解する。今までの儚げな雰囲気は何だったのか。言質を取ったとばかりに派手なガッツポーズまで決めて喜んでいる梨晏に、一刀は一応の抵抗を見せる。

 

「ただ添い寝をするくらいとか」

「私は子供作ろうってお誘いのつもりで言ったんだからそういうのはナシ!」

 

 お子様が何をマセたことを……と思ってみても今の梨晏でさえ現代の基準で言えば中学生ほどである。この世界では早ければお嫁さんに行っていてもおかしくはないし、孫策の切った二年後の基準で言えば子供がいたっておかしくはない。それより年上の北郷一刀という男はやはりこの世界の基準で言えば同様だ。立場を考えてもそろそろ嫁の一人や二人いてもおかしくはない年齢である。

 

 真っ赤になっている梨晏を見る。思えば今つるんでいる面々の中では一番付き合いが長い。梨晏の故郷の村で何事もなく自警団の団長をやっていたら順当にそのまま結婚していたのだろう。一番年が近かったのが梨晏だったし、周囲も少なからずそのつもりでいたことは肌で感じでもいた。それが今では村の外に出て歴史の大舞台に関わるようになったのだから世の中解らないものだと思う。

 

「まぁあれだ。楽しみに待ってるよ」

「雪蓮みたいに良い女になって帰ってくるから期待しててね!」

「無理に変わらなくても良いよ。梨晏は梨晏のままでも十分良い女だから」

「…………俺良いこと言ったみたいな顔してるけどさー。それなら何で今まで手を出して来なかった訳? 団長だって雪蓮とか冥琳みたいにおっぱいあった方が嬉しいんでしょ?」

「否定はしない」

「団長のバカ! スケベ!」

 

 ばしばしと雑に拳を叩き込んで脱兎のごとく梨晏は逃げていく。騒々しい夜だったが梨晏らしいと言えば梨晏らしい。問題があるとすれば彼女が戻ってきた時には本格的に手を出さねばならないことだ。

 

 本音を言えば楽しみではある。梨晏は掛け値なしの美少女だ。孫策のようになって帰ってくると本人は言っているが、今がちんちくりんなことを考えるとそこまで期待もできない。容姿を理由に手を出さなかった訳ではないものの、あれだけ大見得を切ったのだ。今と大凡姿が変わらないまま戻ってきた時はどうやって慰めるのか先に考えておいた方が良いだろう。

 

「子供ねぇ……」

 

 夫になり父親になる。大抵の男が通る道らしいがやはり実感が湧かない。それも時間が解決してくれるのだろうか。今日何をやったかを振り返り明日は何をやるのか。こちらに来てからは床に就く前にしつこいくらいに今を考えていた一刀は、久しぶりに少し先のことを考えながら眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天意は前日の夜までに決められて清書され、日の出と共に告示される。その日の早朝に呼びされるかどうか決まるのだから乱暴にも程があろうが、あくまで告示されるのがその日というだけで呼び出しなど各人の予定に影響がありそうな事柄は、その当事者には事前に知らせが来るようになっている。

 

 正式な発表が今日というのは解っていたので呼び出される前提で主だった面々は予定を組んでいた。軍団を指揮するものは傘下の恩賞もまとめて受け取り、代表がそれを分配するというのが通常の段取りである。細かな差配は代表の裁量に依るというころだ。

 

 軍団一つにつき代表が一人。翻って言えば、そこに呼ばれたということは規模の大小はあれど独立した一つの勢力であると帝室が認識しているということだ。

 

 そしてこの日呼び出されたのは曹操、公孫賛、孫堅、袁術、関羽、馬超、そして北郷一刀の七人である。ゲーム三国志でオリジナル武将を本名で作成している時にふと正気に返ってしまったような言いようのない羞恥心に身を捩るも、男一人が悶えた所で気持ち悪いだけで時間は待ってはくれない。

 

 味の全くしない朝食をかきこみ、皇帝陛下に拝謁した際の一張羅にまた袖を通す。めかし込んで朝議に現れた一刀に、初めてその恰好を見る面々が目を丸くする。

 

「団長……なんかいつもよりかっこいい!」

「ありがとう梨晏。見ての通り俺はこれから宮廷まで行ってくる。通達そのものはすぐに終わると思うから、朝議はそれからってことでよろしく頼む」

「吉報をお待ちしていますよ」

 

 難しい顔をしていることが多い郭嘉も、今日は何だか機嫌が良さそうに見える。郭嘉だけではない。軍団を率いるようになってから皆には苦労をかけっぱなしだった。汜水関に虎牢関と大きな苦難も乗り越えてきたのだ。今日はそれがまとめて報われる日なのだと思うと、一刀の身が引き締まる思いだった。

 

「お兄ちゃん、今日は誰と行くの?」

「孫堅殿が迎えに来てくれることに……と思ったら、来たみたいだなちょうど良い」

 

 足音を立てずに歩く人間の多い中、孫堅は履物を鳴らして歩くことを好むため無言でいても近くに来ると良く解る。この音で機嫌の良し悪しを推し量るのが側近の必須技能と黄蓋などは言っていたのであるが、さて。

 

 足音は高く短く規則正しい。聊か足早で力強くはあるが、地を踏みぬくような勢いは感じない。機嫌も体調も良いのだと察する。深酒しての酔いが残っているということもなさそうだ。最高じゃないかという内心を出さないように気を付けながら、一刀は姿勢を正して孫堅を待つ。

 

「おはよう。昨日はよく眠れたか、北郷!」

 

 相変わらずの炎のような笑みを浮かべた孫堅はいつもと違う恰好をしていた。普段見えているものが見えないと気になるもので、いつもは半分くらい露出している胸部が完全に隠れている。

 

 超越者という感じの女性の多いこの世界の風習にはいまだに馴染めないものがあるが、露出の高い服装を『普通』と思う感性もフォーマルな場では通じないらしい。おしゃれの範疇ではあるが正装とは違うということだろうか。どちらにせよ男性である一刀にはいまいち理解できない領分である。

 

 孫堅の礼服も全体で見ると露出しているのは手と首から上しかない。裾も足首くらいまであるがスリットだけは健在のようで孫堅が歩く度に肉付きの良い脚部が見え隠れしていた。

 

 色調としては装飾品まで含めて暗い赤で纏められている。赤が孫呉のカラーであることは事情を知らない一刀にも疑う余地はないが、それは礼服の場合でも同じであるらしい。一刀の超特急で仕立てられた礼服よりも、明らかな歴史を感じさせる品だ。

 

「改めて。中々の男っぷりだな」

「お褒めいただきありがとうございます」

「早々にお前を手籠めにして俺に縛り付けなかったことを後悔しないでもない。逃した魚は大きいかもなと後悔するのは俺の人生で初めてかもしれん」

 

 はははとわざとらしく孫堅は笑い声をあげるが、目が微妙に笑っていないことに一刀は元より他の面々は気づいていた。孫堅という女傑が後悔をそのままにしておく性質ではないのは全員の知る所である。

 

 孫堅のことは決して嫌いではないというか、親子ほど年齢が離れていることを考慮に入れても女性として人間として大分好ましい部類に入るが、欲望に任せて突っ走っても良い相手では決してないと言える。現段階で男女の関係になるには孫堅の言う通りに孫堅の側が強引に行く必要があるだろう。

 

 そして孫堅が強引に来たら防ぎようがなかったと一刀は確信が持てる。彼女がその気にならななったことを神様に感謝する瞬間である。

 

「それから太史慈。うちのバカ娘が悪いな。二年も付き合ってやれば奴も満足するだろうから、しばらくよろしく頼むぞ」

「よろしくね孫堅様」

 

 自分の貞操に思いをはせていると、当事者二人がさらっと大事なことを暴露しかけている。団の今後に関わる大事なことだ。こんな簡単にバラされて良いものかとそっと周囲を伺ってみるが一刀以外の全員は澄ました顔だった。これには一刀の方が拍子抜けである。

 

「予想外、という顔をしていますが」

「全くもってその通り。なんだかんだで察しはついてたんだね俺以外」

「孫策殿の性格を考えて梨晏に中々の執着を見せていた以上、何か手は打ってくるのではと思っていました。引き抜きが現実的ではなく逆に我々の独立が現実味を帯びてきた以上、条件付きの貸し出しは妥当な線ですからね。それでも梨晏が話を受けるかは判断のつかない所でしたが、受けることに決まったようですね」

「うん。雪蓮のことも助けたいしね」

「一刀殿が良いというのなら私からは何も言うことはありません。一回りも二回りも成長して戻ってくることを楽しみにしていますよ」

「うん! シャンも、団長のことよろしくね」

「まかされた」

 

 快く送り出してくれる仲間に梨晏は笑顔を返す。湿っぽい雰囲気もない。皆梨晏が戻ってくることを確信している風である。

 

「話がまとまった所で行くか。女ども、お前たちの男を借りていくぞ」

「是非とも無事にお返しくださいっ」

「それは北郷次第だな」

 

 からからと笑う孫堅について歩き、外に出る。待機していた孫呉の馬車に乗り、共に宮廷まで向かう。現代人の感覚ではまだ早朝。登校する学生だって道を歩いていない時間であるが、この時代は街の人々が動き出す時間がとても早い。日が昇る頃には皆起き出すので、街もそれに合わせて動くのだ。商店もこの時間だって開いているから街にも昼に比べれば少ないものの、喧噪があった。そんな街の中を孫呉の馬車はすいすいと進んで行く。

 

「改めまして。うちの梨晏をどうぞよろしくお願いします」

「俺としては自分の娘が勝ち目の薄い戦いに固執しているのを見るのは複雑なんだが……まぁ若い内はそんなもんなんだろうな。振り返ってみれば俺は雪蓮よりもずっと向こう見ずだったように思う」

「それでも今まで生き残ってこられたではありませんか」

「己の力のみでとは言い難い所はあるな。『江東の狂虎』などと呼ばれちゃいるが、それも結局は群れの力よ。その群れの長から見て、北郷一刀。お前の群れは小さいが強力だ。飛躍の時まで潰されないことを願う」

「用心しますよ。幸い俺の群れは、俺以外が優秀ですからね」

「群れが死なない大前提だなそれは」

 

 剣呑な孫堅の雰囲気は霧散し、後は世間話の雰囲気である。馬車は帝都洛陽の大路を行き、宮廷の前へとたどり着いた。御者に導かれ先に降りた一刀は、男の義務として孫堅に手を差し伸べる。差し出された手を不思議そうに見つめた孫堅は、ほどなく獰猛な笑みを浮かべて握り返した。

 

 当日の予定であるが、正装での呼び出しこそされたが大がかりなものではない。一刀の拝謁とは異なり今回皇帝陛下はおなりになられず、代理の者から辞令と一部の宝物とそれ以外の目録を下賜されそれで終了だ。無駄な時間を過ごす食事会などもなく、目録と物品の交換は宮廷の外で当日行われる。交換まで含めても長くて二時間程度の催しだ。

 

 そのためにまた正装に袖を通す羽目になった一刀などは、全部書面と配達で済ませれば良いのにと心の底から思っていたが、何事にも形式というのは必要であるらしい。尤も渡されたのは代表に全て帰属するものではなく、あくまで軍団全体に与えられるものを代表が受け取りにきたに過ぎない。

 

 軍団の大きさによってはここから更に功績に応じて細かく配分するという頭の痛い作業が待っているのだが、五百人程度の集団である一刀は気楽なものだった。

 

 待合室には一刀と孫堅が最後の入室だった。先にいた三人が一刀たちの到着を見て、椅子から立ち上がる。その中の一人、馬超の姿を見た孫堅は彼女にずかずかと近づき顔をじっと近づけた。大物からの思わぬ行為に馬超は明らかに引いているが、ここで後退るのも無作法と思いされるがままにじっとしている。

 

 やがて満足した孫堅は顔を離した。どこか昔を懐かしむような笑みを浮かべている。

 

「悪かったな。前にも言ったがやはりお前は紅に似てるな。もう少し眉が濃くて目つきが悪かったら危ない所だった。ここがどこかも忘れて拳が飛んでいたかもしれん」

「良かったわね馬超。母君よりも穏やかな顔をしていて」

 

 からからと笑いあう三人は自前の礼服も中々様になっている。こういう場に慣れているのだろう。荒事専門という風である馬超も、着こなしは堂々としていた。流石は武家の跡継ぎであると思うと共に、自分の場違い感が余計に強くなってくる。

 

 それではと場違い仲間を探して一刀の視線は彷徨うが、呼び出されたのは六人で……いや、自分を含めて五人しかいない。

 

「袁術殿はどうされました?」

「急な体調不良により欠席とのことです。私たちより先に代理の人間が来て辞令と目録は受け取って帰ったとか」

「自由な方ですね……」

 

 親戚が帝室の不興を買ったばかりだというのにそれで大丈夫なのだろうか。一刀の立場で心配するのもおこがましいことであるが、梨晏から孫呉が今後どうする予定なのかを聞いてしまった手前、その行く末が気にならないでもない。

 

 袁術なり張勲なりに接点があれば別であるが、顔を見たことがあるという程度で一刀個人はまるで接点がない。勢力としては良好な関係を保っている孫呉といずれすぐに敵対関係になることを考えれば袁術の立場の悪化は望む所であるものの、どうにも他人の不幸を祈るというのはしっくり来ない。

 

 人を呪わば穴二つである。他人の凋落を望むくらいならば、自分の栄達のために努力した方が何倍も健全だなと思い直して、たった今話を振った美少女に意識を戻した。

 

 礼服は目立たない暗い色というのはどの勢力でも共通であるらしい。一刀のものがほぼ黒で統一されているのに対し、孫堅が暗い赤、曹操が暗い青、馬超が暗い緑な中、関羽の礼服は馬超の物に近い暗い緑色をしている。

 

 あちらの三人が自前のものを持ってきたと解るのに対し、関羽の物は一刀と同様最近仕立てたと解る代物だった。肌の露出は極力控えるというのも共通なのか上は胸元が全く見えない首までの装いで長袖。下は足首くらいまでが隠れているが、それでも深めのスリットは入っており平素は短めのスカートと一緒に見える白い足がちらちらと覗いている。

 

 美髪公などとあだ名される程の黒髪は丁寧に梳かれて結われており、くるりと回れば真っ白なうなじも見えている。誰がどう見ても完璧な美少女だ。女性と相対した時の常套句として、何か褒めねばと思った一刀だが、関羽を前に言葉に詰まってしまう。今の美少女っぷりを形容する言葉が上手く出てこなかったためだ。

 

 だが恋する乙女に一刀の間は違う意味に思えた。自分の姿を見て会話が止まってしまったのだから、何か自分に問題があるのではと考えてしまったのだ。似合っていないのだろうか。趣味から外れているのだろうか。戦場においては勇猛でも、色恋の場ではド素人である。目に見えて狼狽する関羽に、一刀の方が彼女の内面を察し、慌てて言葉を繕った。

 

「失礼しました。あまりにお美しく見えたので言葉が浮かびませんでした」

「そうですか。それなら……良かった」

 

 花咲くように静かに微笑む関羽に、一刀は胸を撫でおろした。一難去れば後は何てことはない。世間話に花を咲かせる一刀たちを見て、曹操は孫堅を手招きした。

 

「関羽は北郷に執心のようだけど、貴女としてはどうなの?」

「遠からず出世する見込みと考えれば娘の一人や二人くれてやっても惜しくはない、といった所だな。現時点でも俺が囲う分には何も問題はない」

「江東の狂虎が大きく出たわね」

「賭けるべき時にはデカく賭けて、賭場ごと奪い取るのが賢い勝ち方ってもんだ。孫家のことを考えれば俺かさもなくば上の娘が使いたいもんだが、場合に依っちゃ俺たちが奴に仕える羽目になるかもしれんしな。そこは天の差配と器の勝負だ。もっとも、俺だって『江東の狂虎』と呼ばれた女だ。簡単に負けるつもりはないがね」

「うちはどうしようかしら。北郷相手というのは、ちょっと間が悪いのよね」

 

 陣営の今後を占う話であるが、軽い世間話のように曹操は続ける。家督を継いだのがごく最近ということもあって、曹操の軍団は平均年齢がとても若い。婚姻による縁組というのはこういう時代縁をつなぐ常套手段であるが、曹操は子はおろかまだ配偶者もいないし、他の幹部も同様である。

 

 そうなると幹部本人が嫁ぐか相手を迎え入れるということになるが、相手の男が野心的となると話が難しくなってくる。現時点での力関係を考えれば、曹操の方から輿入れを提案すれば相手が断るということはなかろう。手ごろな相手を嫁がせるということだけを考えるなら、今の北郷たちはそれほど難しい相手ではないのだ。

 

 しかしこれはと思える弾が曹操の側にないのである。曹操と縁戚関係にあって、関係強化のために嫁がせるに相応しい近い血筋となると思い浮かぶのは三人であるが、北郷という男は今がお買い得と解っていても、その三人を外に出すのを惜しいと考えてしまうのだ。

 

「あれだけの駒が今浮いているというのがありえないのよね。孫堅、貴女どうしてアレを押し倒さなかったのかしら。そういうのは得意技だと聞いているけれど?」

「まだまだ年老いたというつもりはないんだが、真ん中の娘と同い年と考えるとどうもな……女に囲まれてる男に手を出すってのもここまで食指が動かんかった理由じゃないかと考えちゃいるが。馬家はどうだ? 今の奴はお買い得だぞ」

「孫堅殿がそこまで仰る相手ならあたいの婿にとおふくろなら考えるでしょうが、引き込むことが難しいのであれば一人か二人出すのは難しくないかと。順当に行くならあたいの上の妹が行くことになるかと思います」

 

 順当にと言葉を濁したことには理由がある。伝令を頼んで北郷を乗せて洛陽まで戻ってきて以来、従妹の馬岱がお兄様お兄様と言ってきかないのだ。どうやら相当気に入ったらしく、時間を見つけたら誘いに行こうかとあれこれ画策しているらしい。

 

 知らない仲ではないのだから嫁に出すのであれば彼女でも良いのだが、当主である馬騰に対して血が近いと考えると、嫁に出す場合の彼女の席次は良い所三番手である。好いたという人間がいるのならそいつが行けば良いというのが馬超本人の考えであるが、この時世にそういう訳にもいかないのも解っている。

 

 良い男を見つけた。その男に孫堅が中々目をかけている。故郷に戻ったら病床の母にはそう報告しなければならないだろう。母の気性を考えれば放っておくということは考え難い。具体的に何をするのかは北郷の動向次第であるが、

 

「あの男がどこかの土地を任されるのであれば、近い所が良いわね」

「連携しやすいし何より取り込みやすいしな」

「そうなるとウチが一番不利ですね……」

 

 距離的な問題はどうしてもある。洛陽周辺で戦うことになったから馬家軍の兵はこの程度で落ち着いているが、もっと西の方で戦うのであれば倍の数は動員することができた。距離が近いせいで帝国東部は既に群雄割拠の時代が見えているが、西部はほぼ董家と馬家に収束して久しい。戦と言えば異民族と戦うくらいで帝国内における権力闘争は一応の陰りを見せている。

 

 此度の戦で董卓が負けたことで動きはあろうが地元での勢力が盤石なことは揺るぎない。帝室を助けるという名目で檄文が飛んだため兵を出したが、力によってこの地を統一ということであれば董家と共に立っても良い……というか、普段の距離の近しさから考えればその方が馬家としては都合が良いのだ。

 

 何にしても董卓が地元に戻り一度落ち着いてからということになろうが、同様に中央の指示で治める土地が決まるとなると、少なくとも帝国内で落ち着いた西部にということは考えにくい。差配するのがあくまで皇帝と考えると少なくとも東部、そして今回共に戦った袁紹、曹操、孫堅、袁術、公孫賛の近くには配置しないだろうから、

 

「洛陽周辺で帝室の目の届く所で適当な所が第一。後は楼黄忠の奮戦で落ち着いた并州などが本線でしょうかね」

「北郷についてはそんなところだろうな。後はあそこで女の顔をしてる美髪公だが……」

 

 元々地盤のある人間はそれを補強する形で良い。その方が配る方も楽であるしもらう方も楽である。いくら良い土地であっても現在の地盤から遠ければ管理もしにくい。

 

 その点、地盤のない一刀と関羽は補強すべきものがない。一刀の功績は集団の規模にしては働いたという所から始まり、諸々の勢力との関係から適当な土地が与えられるだろうということで落ち着いているが、功績という面で考えると関羽のものは一刀と比較にならない。

 

 汜水関陥落の第一功はそれを主導した公孫賛に帰属しているが彼女は袁紹に対処するために既に洛陽を離れている。彼女にも褒章は与えられることになっているが、態々伝令までよこして自分の分は関羽に付け替えておいてくれと話をつけている。となれば当然、関羽に対する褒章は孫堅や曹操の物よりも大きいものでなければならず、そしてそれは誰が見ても明らかなものでなくてはならない。

 

「どうした曹操。お前悪い顔をしているぞ」

「そうかしら孫堅。それ貴女も同じではなくて?」

 

 帝室が掴んでいるであろう情報と帝国東部の状況から、関羽にどういう土地が与えられるのか何となく察しがついている曹操と孫堅は視線を交わし、お互いが同じ意見であることを確信するとますます笑みを深めた。

 

「初手はお前に譲ることになりそうだな」

「そうね。待ちに待った機会だもの。美味しくいただくことにするわ」

「俺の喰う分も残ってると嬉しいんだがね……」

「それは天の匙加減次第でしょう。どう転ぶにしても一筋縄ではいかないでしょうし。全く、今から楽しみで仕方ないわ」

「できればあたいにも解るように話をしてほしいんですが」

「まぁ少なくとも、北郷の奴を美髪公にかっさらわれるということは当面なさそうだってことだな。俺たちは俺たちで、それなりに急いで奴を取り込むことを考えようじゃねえか」

 

 そんな風に外野の話がまとまっているとは知らずに、一刀は一刀で関羽との話を進めていた。

 

「ところで関羽殿。以前のお茶の約束なのですが」

「いつでもどうぞ!」

「よろしければ明日の午後でどうですか? 今後のことなど含めて一度二人でゆっくり話してみたいのですが」

 

 仕事がらみかと愛紗の中の乙女がしょんぼり肩を落とすが『皆で』ではなく『二人で』と言われていることに気づいてそれもすぐに持ち直した。関係は大きく前進したと言って良いだろう。約束実現にメドが立ったことに、かつてないほどに気持ちが前向きになっていることを感じていた。

 

「喜んで。明日を楽しみにしています」

「良かった。それでは午後……そうですね、三時に洛陽内の陣にお迎えに上がりますので、それまでにご用意いただければと」

「はい!」

 

 話が綺麗にまとまるのを待っていたかのように、皇帝の使者が控室に入ってくる。これから別室に移動の後、そこで辞令の交付と目録の授与である。偉い人来ないんだったらここでやってさっさと帰ろうぜという現代人的な感性を顔に出さないようにしながら、努めてきりりとした顔を維持してぞろぞろと歩く。

 

 ちなみに歩く順番にも決まりがあるらしく、官位の高い者から順番に並ばされる。曹操が先頭で孫堅、馬超、関羽、そして一刀が最後だ。袁術が出席していれば彼女が先頭であったらしいが美幼女らしいと噂の彼女に先導されていたら噴き出していた可能性もあるので、そこは良かったと思う。

 

 ほどなく皇帝陛下と拝謁した場所とは違う場所に案内された一同が順に跪くと、皇帝の代理である人間――拝謁した時にもいたデキる女という感じの眼鏡の女性だ――から辞令と目録が発表される。

 

「まずは北郷一刀」

「はい」

「皇帝陛下の配慮もあり貴殿にはどこか土地を与えることになっているのだが、まだ選定が済んでいない。旗下の者たちと共に二週間洛陽にて待機のこと。此度は目録のみの授与となる」

「ありがたき幸せ」

 

 聞いていた順番と異なりいきなり最初に呼ばれたことに戸惑いはしたが、練習の通りに目録のみを受け取り、元の位置に戻る。眼鏡の女性は、今度は順番通りにやるのか曹操の前に立った。

 

 曹操。現在の支配地域である二州の権利を追認し、正式に牧と認める。下賜する物品については以下の通り。

 

 孫堅。現在の支配地域の権利を追認拡充し、揚州の牧として任ずる。下賜する物品については以下の通り。

 

 曹操と孫堅にとっては予想の範囲内の報酬である。金品などはおまけのようなものだ。彼女らにとって地元がどれだけ盤石であるかは生命線である。名目上の支配者は別にいても、実務は実質的に行っていたのでやることそのものは変わらないのだが、帝室の承認を得られたことは大きい。

 

 これで大手を振って色々なことができる。顔を伏せたまま今後の予定を組み替える二人に、眼鏡の女性は帝室の立場を伝えた。

 

「また袁紹の起こした大火からの復興作業について、貴殿らの助力に陛下はとても感謝しておられる。既に大半の作業は終了したとのことであるから、引継ぎが完了し次第任地に向けて出立のこと。一週間をめどにやってもらいたい」

 

 意訳すれば一週間で出ていけとも取れる。大火による復興作業にかかった予算は今残っている連合軍の持ち出しであるがそもそもの原因は袁紹軍にある。追放したからと言って連合軍の首魁として祭り上げていた事実は変わらない。洛陽の民からすれば物を壊した人間がそれを修繕するのは当然のことだろう。

 

 皇帝の住まう場所であると理解していてなおそんな蛮行に及んだのだから、帝室としては怒り心頭であっても不思議ではない。にも拘わらず権力の移行をスムーズに行い恩賞も出してくれたのだ。関係は良好とはいえないまでも険悪という訳ではないはずだ。

 

 その分袁紹が憎悪を一身に集めていることになるが、今や連合軍も解散。ましてその袁紹とこれから刃を交える可能性もあるのだから、その凋落を喜びこそすれ同情などするはずもない。

 

 粛々と言葉を受け入れる曹操と孫堅に小さく頷くと、代理は次に関羽に向き直った。

 

「関羽殿については帝室より兵を千貸し与える。その上で徐州へと赴き、当該地域の内乱を武をもって平定せよ。その後、貴殿を徐州牧へと任ずる」

「……主命、謹んで拝命いたします」

 

 返答に僅かな間があったのは、関羽にとっては予想外のことであったからだ。公孫賛の分の功績を付け替えられるという話は聞いていたが、関羽本人の認識としては自分は公孫賛軍の客将である。いくら付け替えが発生するとは言え、客将にそこまでの褒章はなかろうと高を括っていたところ、これである。

 

 身を立て名を上げるというこの時代の武人らしい向上心はあっても、領地をもらって政を行うなどというビジョンは全くと言っても良い程なかった。適当な所で主を見つけて、その男性に尽くすというのは関羽の人生設計でもあったのだ。

 

 それがもろくも崩れ去った瞬間である。与えられた以上はそれを全うしなければならない。今後の予定を頭の中で組み替えている、そんな矢先のこと、

 

「こちらの兵の準備は既にできている。可及的速やかに出立をお願いしたいが、出立はいつになるか」

「明日には――」

 

 自分たちの練度ならばそれくらいは可能である。受け持ちの復興作業はほぼ終了しているから地元の人間への引継ぎも、事情を話せば今日中には終わるだろう。それと並行して出立準備を進めて身体を休め、明日の早朝には洛陽を出立できる。

 

 関羽の武将としての資質は非凡なものであり、部隊の行軍速度の予測は非常に正確なものだった。どの程度早くできる? という問いへの返答は事務的に、他意などなく、自分の部隊ならそれくらいはできるという武将としての自信を持ってのものだったのだが、それ故に部隊としての時間的余裕は一切削られており、当然関羽も代表とは言え一員であるのだから、その対象に含まれる。

 

「よろしい。では明朝出立と陛下にお伝えする」

 

 一日程度余裕を持った所で許されたかもしれないと関羽が考えたのはそんな言葉をかけられた後だった。

 

(男運のねえ女だな……)

 

 顔を伏せ、真っ青になっている関羽を横目に見て、孫堅は僅かに口の端を上げた。

 

 

 

 


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