州都への旅路は穏やかに進んだ。一刀たちが馬に乗り、恋と兵たちが徒歩で後に続く。立場的には恋も馬に乗っても良いのであるが、幹部陣の護衛も兼ねる彼女は動きやすさを優先して徒歩である。
軍師たちが馬上で何やら難しい話をしているのを聞き流しながらぼんやりと馬に揺られて道を行く。尻の痛みもなくなった今は、ただ馬に乗って道を行くのが存外に楽しい。このまま何事もなく穏やかに道を行きたいものだと思うが、どうしてもそうならないのが戦乱の世というものである。穏やかにと思っていても、騒乱の種は向こうからやってくるのだ。
異変が起こったのは街道が深い森の脇に差し掛かった時のことである。一刀の横を歩いていた恋がぽつりと呟いた。
「かずと」
「なんだ?」
「がんばって」
戦時は鬼神のごとき強さを発揮する恋は、それ以外の時基本的に言葉が足らないし行動も唐突に始まる。将と言っても戦場に立つだけが仕事ではない。戦時と平時であれば平時の方が多いのだ。あの性格でよく将が務まったものだと思ったが、苦手なことは他人に丸投げすることで乗り切っていたらしい。
会議はねねを連れて行けば彼女が常に喋ってくれた。会議での恋の仕事は『恋殿もそう思っているのです!』とねねに力強く話を振られた時に頷くことだけだ。騎馬隊の指揮も実際には大雑把なもので、赤騎兵の仕事は基本恋の後ろについていくだけ。それでも他に類を見ない程の激務であったが、彼らは馬を良い感じに走らせることができれば命だって懸ける変態の集まりであったので十分に成立していたし希望者も後を絶たなかった。
どう行動するというのも恋は本能的に決めていたし、細かな指示がどうしても必要な時は副長の澪が決めてくれていた。
飛将軍呂布という全体像は周囲の勤労によって支えられていたのである。それも帝国最強の武力あってのものであるが、それだけあれば大抵の事柄にはお釣りが来る。
それ故に万事について言葉が少ないというのは董卓軍でもそれが恋の味であると放っておかれていたのであるが、今彼女が所属しているのは一刀団だ。
そして時流と団の規模の関係から一刀団は今平時の最中である。更に困ったことに最強無敵の美少女である恋の『緊急である』という線引きはそれ以外の人間にとっては遥かな高みにあった。
恋が唐突に何かを言い出した時の最適な行動はとにかく『身構える』ことだったのだろうが、恋と付き合い始めて経験の浅い一刀はその判断を誤った。視界の隅でねねが進行方向に向けて身構えているのに気づくこともなく、恋に真意を聞こうと一刀は視線を切り――
その瞬間、何かが空に向けて大きく飛び上がった。
音と自分に影が差したことで事態に気づいた一刀が空を見上げると、少女が一人。薄紫の貫頭衣に皮のズボン。両腰に小剣と革鎧という出で立ちは兵士という風だったが、短めのツーサイドアップがばっちりハマる幼い顔立ちは現代人の感性で言えばおしゃれな小学生だ。
現代で美少女小学生がこの恰好をしていれば随分本格的なコスプレと感じたろうがここは異世界である。見た目と腕力が一致しないケースが特に女性に多く起こることは一刀も身体で理解したことであるが、同時に身体の成熟度は実年齢に比例するという原理原則は現代と同様であると認識していた。
その例外である美少女が空を飛んでいた。顔立ちは小学生なのにその下にある胸が暴力的でさえあった。革鎧で押さえつけられているはずなのに目を引く大きさなのだ。大きさだけで言えば孫堅などの方が間違いなく大きいのだが、身長を加味した時の大きさ感と幼い顔立ちのミスマッチさが一刀の脳裏に『ロリ巨乳』という単語を連想させた。
『こんなん太ったおばさんやんか!! ロリも巨乳もどこ行ったワレ!?』
何やら掴まされて教室で憤り女子に白い目で見られていた及川のことを思い出す。異世界には本物のロリ巨乳がいたぞ。動き出しが遅れた上に巨乳に目を奪われ遠き地の同級生に思いを馳せていた一刀はぶつかりそうになったら避けるという当たり前の行動さえ頭から抜け落ちていた。
一刀が巨乳に目と心を奪われていた一方で空中の少女は自分の身体が最高点に到達し落下を始めた所でようやく正面に視線を向け、そこに一刀がいることに気づいた。可憐な顔が驚きに染まる。いないと思って飛んだ先に人がいた以上直撃コースだったが、正面にいる優男は何やら自分を見つめて動く気配がない。
(気づいたならどいてよ!)
心中で毒づくも勿論その声は届かない。敬愛する母の血を色濃く受け継いだ自分が恵まれた容姿をしていることは自覚している。男性の視線を集めることは生理的な嫌悪と同時に密かな優越感を少女に覚えさせてもいたのだが、命がかかった状況でもそれとなると男なんて……と思わざるを得ない。
しかしそんなスケベ野郎でも怪我をさせることは本意ではなかった。肩肘膝それに頭。固い部分から当たりに行く訳にはいかない。相変わらずぼーっとしている男を他所に可能な限り衝突に備えた少女は、正面から抱き着くようにして一刀と衝突した。
あくまで抱き着くようにしてであって抱き着いたではない。少女の努力は誰の目にも明らかだったが、起きたことを率直に表現するのであれば、ロマンス香るボーイミーツガールではなく重めの衝突事故である。
一刀の身体が動いたのは衝突したその直後だった。身体ごと吹っ飛んだ一刀はロリ巨乳に目を奪われていたのが嘘のように怪我をさせまいと少女の頭を抱え込み、地面に落ちる時には自分の身体を下にして落ち少女と共にごろごろ転がった。
木にぶつかって止まった一刀たちに恋から解放された雛里たちが慌てて駆け寄る。対して身構えていたねねの足はゆっくりだ。恋の周辺では人が横に吹っ飛ぶなど良くあること。城壁よりも高く吹っ飛ばされたり縦に回転しながら飛んだりしていないだけ安全である。人間はそう簡単には死なないようにできているのだ。
「息災ですかちんこ県令」
「親方。空から女の子が……」
「ねねは貴様みたいな弟子を持った覚えはねーのですよ」
それもそうだと一刀は少女と共に立ち上がる。異性との不意の接触にどきどきしていた少女ははたと自分の状況を思い出して声を挙げた。
「ごめんなさい、追手が!」
「それはこっちで何とかする」
悪意の第三者の気配を察知していた恋の手が閃く。電光石火の勢いで飛んだ石が森の奥に吸い込まれると暫くして、この世の全てを呪うかのような男の声にならない声が響いた。
「追手は二人。一人は頭を吹き飛ばして、もう一人は膝を砕いた」
「流石恋殿なのです! さあ行くのですろくでなしども! 有益な情報を引き出したら皆で飲み放題のおかわり自由!」
「行ってまいります!」
熱意に満ち溢れた廖化が四人連れて森の中に踏み入っていく。恋の態度から他の敵はないと判断した彼らの足取りは軽い。人を締め上げて情報を引き出すなど慣れたもの。それも成果が出れば美味しい思いができるとなれば気合も入るというものだ。
危機があっさり去ってしまったことに呆然としている少女を他所に、一刀は少女と共に立ち上がる。
「お怪我は? 気が行き届かず申し訳ありません」
「いえこちらこそ。もっと気を張って動くべきでした」
「改めて。俺は北郷一刀。姓が北郷で名が一刀です。字と真名はありません。近く州牧に就任される黄忠殿の就任式にお邪魔するため、州都に向かっている所です」
「貴方が!」
「私をご存じで?」
「先生方から伺っております。私は黄叙。字は環考。此度皇帝陛下より并州牧を拝命いたしました黄忠の娘です」
「弓聖黄忠殿の武勇伝は聞き及んでおります。ご息女がおられることもです。ですが黄忠殿のご評判からもう少し年上を想像しておりました。率直に申し上げて黄忠殿のご息女が可愛らしい方であったことに少々驚いております」
「お上手ですこと! 母は十五の時に私を産んで今年で二十七になります。年齢よりも年上に見られることを気にしていますので、そのお言葉は是非母に」
笑みを浮かべながら交流を深める一刀たちを他所に雛里と朱里は黄叙の姿を呆然と眺めていた。今の話が事実であるなら彼女は今年で十二歳。自分たちは元より梨晏よりも年下である。それなのに黄叙の視線は自分たちよりも大分上にあり、胸部に至っては比較にならないくらいに発達していた。
弓聖と名高い黄忠殿も匂い立つような色香を纏った美女であると聞き及んでいる。その血を引く娘なのだから大層美女であるのだろうとは思っていたのだが、一刀同様黄忠のパーソナルデータにまで注意を払っていなかった雛里たちは黄叙がロリ巨乳であることに、一刀以上の衝撃を受けていた。自分たちの胸元を見下ろすと、地面まですっと視線が通るのが寂しい。
「で、どうしてその娘殿がこんなところにいるのです?」
そろそろ話を引き戻そうとねねが声をあげた。雛里たちよりも年上で同様にぺったんこであるがその態度は堂々としている。彼女とて小さい胸にコンプレックスがないではないが、見せたり触らせたりする相手がいないのであれば今気にしても仕方がないと割り切っているのだ。
「現州牧に襲撃を受けました。母は連れ去られ私以外の家臣は皆郡都に戻っています」
神妙な面持ちの黄叙の言葉にしかし一刀は首を傾げた。襲撃を受けた。被害ゼロ。黄叙は一人こうして追手を受けながらも助けを求めることに成功している。これらは当然良いことではあるのだが、聊かこちらに都合の良いことばかりが起きているように思う。ねねを見れば彼女も似たような表情をしていた。
「私は孫乾先生の指示によりこうして北郷様を頼って参りました」
「随分大事ですが……孫乾先生と仰いました? 徐庶ではなくて?」
「徐庶先生も私の先生ではありますが、此度指示をされたのは孫乾先生です。北郷様が荊州で働かれていた折共に仕事をされたと聞いていますが」
お忘れで? と黄叙の視線を受けて一刀は黙考する。会った人間全ての名前を憶えている訳では当然ないが、孫乾という名前に全くぴんとこない。元直と一緒に仕事をするような人間であれば忘れないとは思うのだが、やはりさっぱりだ。
「……先生も会えば思い出すだろうと言っておりました」
「お気遣いありがとうございます。さて黄忠殿の危機とあっては救出に全力を尽くしますが先生方からは他に何かお聞きではありませんで?」
「北郷様に話を持っていけばこちらの意を汲んでくれるだろうということでした」
襲撃の話を聞いた時点で持っていたぼんやりとした違和感が確信に変わった。見れば雛里と朱里が小さな身体を縮こまらせて恐縮している。そんな二人を見てねねがふっとため息を吐いた。
「お前たちの先輩は人使いが荒いですね」
『うちの先輩がすいません……』
「……どういうことでしょうか?」
「先生二人と母君に担がれてますよ」
ねねの言葉に黄叙は顔に疑問の色を深くする。理解が追い付いていないようであるが、皇帝に正式に任命された新しい州牧を入れ替わる今の州牧が襲撃したとなれば大事件も大事件である。当然その襲撃には兆候があり準備もしていたはずで、あの元直がそれを全く察知できなかったとは考えにくい。
そして襲撃が予期できるのであればこれを利用しようと考えるはずだ。生きていても邪魔にしかならないのであれば大義名分を作って排除する。黄忠自ら虜囚となれば囮としては申し分ない。州牧は自分の行いが上手く行っていると疑いもしないだろう。
「今の州牧は黄忠殿に執心なのでは?」
「ことあるごとに母に言い寄っていました。全て袖にしていましたが虜囚となったら母の身が」
「この身に触れれば自害するとでも言えばしばらくは時間を稼げることでしょう。心変わりを期待するのであれば人質ですが、お供が全て郡都まで逃げおおせたのであれば人質足りえるのは貴女しかいません。今ごろ州牧の手の者が血眼になって貴女を探しているはずです」
当事者を全て殺害あるいは確保して襲撃自体をなかったことにできなかったのであれば、もはや戦は避けられない。女性としての黄忠に執心していたにしても、随分と馬鹿なことをしたものだと一刀でも思う。
確か今の州牧は北袁の縁者であるが、北袁は現在公孫賛軍と交戦中で冀州の兵力を并州まで回す余力はない。幽州との州境まで進軍していない兵力は冀州都から動いていないと聞く。司隷でもおおよそ一万ほどの兵を動員できるとは聞くがそれもかき集めればの話だ。
皇帝の差配による人事に真っ向から歯向かったとなれば帝室との関係悪化は避けられない。
孤立無援で勝ち続けなければ後がない北袁は今喉から手が出る程味方が欲しい時期だ。并州は位置的に青洲黄巾や曹操への備えにもなるから北袁もできれば助けたいだろうが、この群雄割拠の時代に他勢力につけ入る隙は与えたくはないはずである。
帝室の支配力が弱まったからこそ先の大戦が起こったのであるが、大規模な戦を起こすには建前が必要であり、その建前の根拠を提供するのが帝室である。建前としての機能がまだ喪失していない以上司隷の戦力は動かせない。司隷の戦力を動かすとしたら本当に最後で最後の手段である。まさに孫呉と交戦中の南袁の援軍は言わずもがなだ。
并州内部の戦力だけで決着というのであれば勝機は十分にある。州境沿いの東部の勢力は自分たちが。国境沿いの西部の勢力は黄忠が抑えている。州牧が動員できるのはそれ以外の地域の兵ということになるが把握している限りでは今の州牧は大層人気がないそうで、いざ戦となれば中央部からも寝返りが出ると見込まれている。
数の上で不利になるということはおそらくなくそもそも道理は黄忠の方にある。一刀でさえまず勝てるだろうという算段するような状況であるが、賢い人たちは考えることが違った。戦えば勝てるならば戦う必要さえないのだ。どうやっても人的損耗は生まれるのだから、それならば戦う前に決着を付けようということだ。
「貴女の目的地は知らんでしょうが東部に向かったことを把握しているのであれば信頼のおける勢力をこちらに向けてくるでしょう。加えて、西部に逃げた黄忠殿の勢力が反旗を翻す可能性を考慮すれば、西部に向けて兵を向ける準備は整えているはず」
黄忠確保の成否に関わらず西部との関係破綻は確定的になる。戦を回避しようという方針であるとしても、万が一のことを考えれば先手を取れる可能性を考慮して動員の準備だけは進めているはずだ。
問題はこれが西部に攻め入る可能性があるということである。東部と西部に不安が残る状況でまさかそこまではしないだろうが、それだけ考える頭があるのであればそもそも黄忠を襲撃などしない。最低でも州牧本人は事態を収拾できるつもりでコトを起こしたのであればこちらも急がなければならない。中央の兵が西部に向けて動き出してしまったら損耗なしで終わる計画が水の泡だ。
「どう動いても合わせてくれそうという気はするが突飛なことはしたくない。ここは彼女の後輩たちの知恵を借りることにする。どうしたら良いと思う?」
「県庁まで使いを。東部に向けられる人員は少数でしょうけれど、これを捕獲できれば後々の助けになります。加えて小規模の戦闘が起こる可能性を考慮して、準戦時体制を敷いてください。捕獲は静里ちゃん、体制の指揮は稟さんで間違いないと思います」
「私たちはこのまま州都へ直行しましょう。ここまでやったのなら灯里先輩が何から何まで段取りを整えているかと思いますが、万が一のことを考えてこちらでも事を起こす準備をしておきたいです」
「採用する。廖化。二人選んで県庁と郡庁に伝令。郡庁には準戦時体制の指示とこっちの人員の受け入れ要請を頼む。今から手紙を書くから――」
さ、とねねから木簡が二通差し出される。話を聞きながら結論を読んで手を動かしていたらしい。デキる仲間を持つと幸せだなと苦笑を浮かべた一刀は木簡を廖化に渡した。木簡を持ち伝令に走る団員を見送ってから一刀は残った仲間たちを見渡した。
「俺たちは変わらず州都に向かう。元直なり孫乾先生なりの接触があるかと思うが州牧勢力も警戒態勢を敷いているだろう。目立たないよう商人の一行という設定で行くぞ」
「ではちんこ。例のアレをやると良いのですよ」
「アレか……外に披露するのは初めてだけど大丈夫かな」
「ねねはめったに他人を褒めることはしませんが、お前のアレは素晴らしいものだと太鼓判を押してやるのです。自信を持ってやるですよ。ねねたちの浮沈は貴様にかかっていますからね!」
大げさなと思わないでもないが、良い動きをしたという事実は後の立ち位置に大きく関わるのだと口を酸っぱくして言われている。得点というのは稼げる時に稼げるだけ稼いでおくものなのだ。夜に身もだえするような恥ずかしい思いをして得た名声がまさに今自分たちの助けになっていることを思い出す。
「解った。それじゃあ、全力でやるよ。成果を楽しみにしていてくれ」
「并桜商会の者か」
「そうアル。こんな時勢だから西に東に大忙しヨ。うちの大将は人使い荒いネ!」
胡散臭そうな目を向ける兵士に、これまた
州都を囲む城壁の門、その一つである。何やら物々しいことになったようで人の出入りは厳しく、特に胸のデカい十二、三の小娘を見たら絶対に拘束せよと通達があったばかりだ。その兵士だけでなく彼の同僚もロクでもないことになったとため息を吐いたものだが、仕事は仕事だ。自分たちの命にも関わるかもしれないのだから手は抜けないと朝からいつもより厳しく出入りを調べているのだが、やってきた一行は一言で言うならば怪しい集団だった。
笑みを浮かべた身なりの良い優男。肌はそれなりに焼けているが荒事に向いている風ではない。そんな男が連れているのは厳つい護衛ではなく女ばかりだ。男の雰囲気が雰囲気だけに女衒の可能性を疑ったが、連れられた少女らの雰囲気は人買いに攫われたという風ではなかった。こちらも身なりは良く賢そうで高貴なとまではいかないまでも育ちの良さが感じられる。
それ以外には女が一人と小僧は一人。赤毛で褐色のぼーっとした女は、これが護衛なのだろうと察せられた。物々しい雰囲気はないものの、立ち姿からさえ尋常ではない体幹の良さが見える。一人で全員を守るとなれば相当に腕が立つのだろう。触らぬ神に祟りなしだ。この女には突っかからないことに決めて、兵士は最後の小僧に視線を移した。
十二、三といったところか。線は細いが立ち姿はしっかりしている。胡散臭い男の子分兼護衛の見習いといった所だろう。絶対拘束の条件にはこいつが一番近いが見た限りは男だ。女が男装している風にも見えなくもないが、そこまで確認してやる義理は兵士にはなかった。懸念が現実であればまだしもだが本当に男だった場合目も当てられない。
大体見つけたい人間がいるならば自分で探せば良いのだ。人に面倒な仕事を任せておいて完璧な仕事を要求するなどムシが良すぎるというものである。
翻って眼前の集団は総じて年若いが、その時分から働き奉公するというのも珍しい話ではない。女が多いと目に着く所はあるが許容範囲だろう。
「良いぞ。通れ」
「迅速な対応感謝しまス」
差し出された手を兵士は何の気なしに握り返す。手に固い感触があることに気づいた兵士が視線を下げると、男はにやりと実に怪しい笑みを浮かべて言った。
「私どものほんのキモチ。美味しいお酒でも飲んでくだサイ」
ひらひらと手を振って去る男にぞろぞろと供の者たちが続く。そんな背中を呆然と見送ってから手を開くと、そこには銀の粒が二つほどあった。同僚全員を連れて一晩豪遊できるほどの額である。その銀を懐にしまった男は先ほど通り過ぎて行った連中のことを何の問題もないむしろ素晴らしい連中だと思うことにした。
「褒めてやるのですよちんこ県令。前にも増してうさん臭さに磨きがかかってるですね」
「嬉しいアルヨ」
どうやら心の底から褒めているらしいねねに一刀はうんざりした調子で言葉を返した。
一刀にとってこの国は異世界であるが当然ここでは日本語で会話をしていない。使っている文字が異なるのだから当然違う言語を話しているはずなのだが、どういう訳か言葉を使った意思疎通は最初から可能だった。
不思議な翻訳機能が働いていることに気づいてからはこつこつと検証を進めている。意味を知らないカタカナ英語の歌はそのままカタカナ英語で伝わったのを見るに言葉を厳密に翻訳している訳ではなく、言葉に沿った意思をふんわりと相手に伝えているようである。
話す言葉と全く違うことを伝えようとしたらどうなるのか検証したい所であるがそこまで器用なことは出来ずに現在に至っている。他には下手くそな方言やら時代がかった言い回しをしたらどうなるのかと試してみたのだが、これが思いも寄らない方向に話が進んだ。
その一つが今回の胡散臭い商人ロールである。これでもかというくらいに雑な中国人の真似をしながら話すと、この世界の住民にはとてつもなく胡散臭く聞こえるようでそれが今回の役作りに一役も二役もかってくれた。
「胡散臭いからって疑われたりしないかな」
「それが商人のふりをしていれば問題ありません。商人は大体胡散臭いものですからね」
それは商人に対する偏見のような気もするがねねは大店の主である。彼女がそう言うのならそうなのだろうと反論を諦めた一刀は横目に隣を歩く黄叙を見た。
皆それなりの変装をしているが一番変わったのが黄叙だ。ロリ巨乳の美少女が少年に見えている。サラシをこれでもかというくらいにキツく巻いて平たくなった胸を張って歩く姿は、胡散臭さを売りにしている一刀とは対称的に実に朗らかである。どうせならこういう変装に適性があってほしかったと内心で嘆きながら、一刀は言葉を続けた。
「変装に心得があるとは恐れ入りました」
「閣下には敵いません。孫乾先生からもまだまだ合格を戴ける気配もない有様で」
「十分少年に見えると思いますがね」
「実は私もこれで良いんじゃないかなと思っているんですが、どうも先生はお気に召さないようで。よく言われます。『貴女のそれは――』」
「変装ではなく仮装。やっぱりまだまだ甘いなお前さん」
後ろから急に声をかけられた黄叙は挙げそうになった悲鳴を既の所で堪えた。そのまま一刀の背に隠れるようにして声の主から距離を取る。
黄叙の視線の先にいたのは薄汚れた格好をした少年である。癖のある薄紫色の髪を肩口で一つ結んだ中々の美少年であるが、へらへらとした軽薄な笑みが地の良さを台無しにしていた。
平素であれば好んで近寄ろうとはしないタイプだ。如何にも遊んでますという空気に雛里たちがゆっくりと一刀の背中に移動する。対してねねと恋は成り行きを見守ろうとどっしりと構えている。この辺りに経験の差が出るなと思いながら、一刀は知り人の登場に相好を崩していた。前に会った時とは見た目の印象ががらりと違うがこの雰囲気と声音はよく覚えていた。
「俺を覚えてるかい? 兄さん」
「もちろん。荊州で関羽殿たちと砦を攻めた夜にお会いして以来ですね。また会えて嬉しいです」
「俺もこの日を心待ちにしてた。大手を振って再会と行きたかったんだが……不出来な弟子が迷惑かけてるようで申し訳ない」
「いやいや。黄叙殿にはとても助けられてますよ」
「だと良いんだがね……」
へらへらしていた表情が引き締まると、整った顔立ちがぞっとする程に日の光に映える。どう見ても怒っていますという少年の雰囲気に、黄叙は目の前の人物が誰なのかを遅まきながらに理解した。
「み、美花先生……」
「璃々。変装が、どういうものか、これで少しは、理解できたでしょう」
声音を女性の物に変えた少年――の姿をした女性が右手で黄叙の口をタコにする。ぎりぎり力の籠る右手に黄叙は必死の抵抗を試みるが女性の右手は揺るぎもしなかった。力関係の解る一幕に一刀も苦笑を浮かべる。
「とりあえず、その辺で許して差し上げてください」
「兄さんの手前だ。今のところはこれで許してやるが、落ち着いたら一通り修行はやり直しだから覚えときな」
「はい。調子に乗って申し訳ありませんでした」
青年の声音に戻った女性――孫乾に小さく頭を下げると黄叙は神妙な面持ちで口を閉ざしてしまった。快活で良く喋る印象の少女なのだが、流石に先生に怒られた後は大人しくしているようである。
話がまとまったと判断したねねが一歩進み出る。小柄な軍師の登場にも孫乾は意外な顔一つしない。相手が自分を対等以上の人間と見ていることに気を良くしたねねは薄い胸を張った。
「察するに我らの待ち人ということみてーですが、立ち話も何です。良ければ一席設けるのでそこで悪だくみでもどうですか?」