偽りのない心 ―ネメシア― 作:とある団長殿
「我々が暮らす
大地を伝う清らかな川……草木が淑やかに生い茂り、人々は歌い、学び、働き、日々の暮らしを営んでいたのです」
教卓にてどこか遠い過去の思い出を振り返るかのように生徒たちに語り掛ける眼鏡の女性の名はヤグルマギク。≪教育≫の花言葉を持つ彼女は
どこか懐かしむように、騎士見習いである生徒たちに語りかけていたヤグルマギクであったが、次の瞬間、その瞳が伏せられ、声のトーンが暗いものへと変わる。
「しかし悠久の理想郷と信じられたこの世界は千年前の悲劇によって修羅の戦地と化しました。この世界の外側にあるとされる≪死にゆく世界≫より現れた悪の支配者が平和に暮らす虫たちを害虫たる好戦的な存在に変えてしまったからです。
好戦的な害虫は人々を襲い、その豊かな営みを侵食していきました……」
しかし、人々は諦めなかったのです、と顔を上げたヤグルマギクは力強く言葉を続ける。
「千年前のこの脅威に立ち向かったのが、この
もっともその勇者が存在していた頃の文献は現在にはほとんど残されておらず、故にその勇者といわれた男の名前も、どのような人物であったかも定かではないのですが――とそこまで言葉を続けたところでヤグルマギクはある一人の生徒の存在に気付いた。
皆が真剣に授業に臨む中、一人窓際最前列の席にて机に突っ伏し、幸せそうな寝息を立てる彼女の姿を。午後のあたたかな日差しの下、その透き通るような白みがかった紫色の髪が柔らかに光る。
またですか――いつも通りのその光景にヤグルマギクは内心やれやれと溜息を吐きつつも、現在進行形で机に水たまりを生み出している彼女の席の元へ向かうと。
「あなたはいつもいつも……ネメシアさんッ!!」
バンッ!! と思い切り机を引っ叩いた。
ネメシアと呼ばれた彼女は尚もすやすやと眠り続けたが……ヤグルマギクが出席簿をその頭上に掲げた途端、ビクッ! とその華奢な背中を痙攣させ、もっそりと起き上った。
「あ~、先生おはよ~」
じゅるりと涎をすすり、目じりを擦りながらマイペースに告げたネメシアの言葉にヤグルマギクのこめかみにピシっ、と筋が浮かぶ。と同時に頭の冷静な部分ではこのように思っていた。
(まただわ……この子、自分に対して迫る危機にいち早く反応してくる)
危機察知能力が高いというべきなのだろうか、このネメシアという名の少女は机を引っ叩く程度のモノでは起きてくれないが、今、主席簿を頭上に掲げ叩こうとした瞬間のように、ネメシア自身に被害が及ぶ場合はいち早く反応してくるのだ。
(これは才能があるというべきなのでしょうか……)
強者に必要なモノとは純粋な戦闘能力はもちろん、一種の臆病さともとれる危機管理能力が重要である。特に部隊を率いるリーダーとしては危機管理能力というものは戦闘能力以上に必要なところがあり――。
そんな思考を凝らすヤグルマギクをよそに先生が何も言ってこないことをいいことにネメシアは再び机に突っ伏した。
「じゃあ、またお休みなさい~」
「……」
ピクピクと目じりをわななかせたヤグルマギクは、一瞬でも才能があるのかもと思った自分が馬鹿だったと思いながらも出席簿を振りかぶり――。
「コラっ、ネメシアさんっ!!!」
バシーン! と心地のよい衝撃音が教室に響き渡るに時間は掛からなかった。
+++
≪偽りのない心≫、≪正直≫。
そのような花言葉を持つ騎士見習い――ネメシアはそんな花言葉どおりの――いい意味でも悪い意味でも表裏のない生徒であった。
たとえば騎士学校においても自分に興味のある授業――主に戦闘術に関する授業には積極的に参加する傾向があるが、自分に興味のない授業――特にこの
本人曰く「害虫と戦うのに歴史なんか学んで何か役に立つの?」とのこと。
そんな中、そんな歴史の授業を無駄と切り捨てるネメシアは言ってしまうならば異端であり、周囲から浮いた存在であった。しかもその言葉が嫌味や悪気があるというわけではなく本心から思っている言葉なのだからなおさらたちが悪い。
授業中に教師の目の前で二度寝という見事なまでな舐めプレイを披露したネメシアは当然のことながら教師であるヤグルマギクより罰を言い渡された。
「ちぇ~。ちょっと授業中に寝ちゃっただけなのに厳しすぎるんだよ、先生は。だからいつまで経っても結婚できないんだよ」
ぶつくさ文句を言いながらもネメシアは与えられた罰である騎士団学校に植えられた花壇の雑草取りを黙々と行っていた。≪独身生活≫の花言葉を持つヤグルマギクからしてみれば今のネメシアの言葉は決して笑えない冗談であるが、当のネメシアはそんなヤグルマギクの花言葉の意味など微塵たりとも考えず、ただそう思ったからありのままに言っただけだった。
「それにしても雑草多いねぇ」
こんもりと盛り上がった雑草の小山を眺めてふう、とため息を一つ。
この騎士団学校は色とりどりの花が植えられた花壇が至る所に存在している。一応、毎日手入れはされているものの、それでも太くたくましい生命力を持つ雑草の勢いは留まることをしらない。
ネメシアはそんな学校の全て花壇の手入れを罰として言い渡されたというわけだが、これだけの花壇の量だ、このままのペースでは今日中には終わらないであろう。
(あーどうしよう。もうこのまま逃げちゃおうかなぁ……)
そして逃げ出した場合のヤグルマギクの剣幕を想像して、面倒だけどここで逃げたらもっと面倒なことになるという判断を下し、渋々再び作業に取り掛かる。
(せめてもう一人、誰か手伝ってくれる人がいれば――お?)
そこに来て、作業を行っているネメシアの傍を一人の生徒が通りかかった。彼女が自分と同じクラスの人物であるということに気付いたネメシアは作業を中断すると教科書に顔をうづめながらひっそりと歩く彼女に声をかける。
「あ、クロユリちゃん! ちょうどいいところに来た!」
「っ!?」
ネメシアに声を掛けられ、クロユリは教科書に顔をうずめたままビクッ! と身体を痙攣させる。
黒い瞳に艶やかな黒髪を後ろで二つのおさげにした少女――クロユリはネメシアとは様々な意味で対極な人物だった。
まずその性格。いい意味でも悪い意味でも目立つネメシアとクラスの中でも隅でひっそりと目立たないクロユリ。容姿も白紫と漆黒と全くの逆である。ちなみに成績に関してみても……全ての科目に対して優秀なクロユリに対して教科によってムラがあるネメシア……真逆である。
「えっと……なに?」
おそるおそると、怯えたようにこちらを見つめてくるクロユリに対し、ネメシアはそんなクロユリの様子に気づいた様子もなく、あっけらかんに口を開く。
「いやー、クロユリちゃん、今暇かなーって。暇だったらもしよかったら手伝ってよ。先生に言いつけられた草むしりの罰、このままだと終わらないんだよー」
「え……その……」
教科書を持ったまま、どうすればいいかわからないかのようにクロユリはしどろもどろに呟く。授業中に寝ていたのだからこの罰は自業自得であるというのは自明の理なのだが、それを言葉に出せないクロユリであった。
そんなクロユリをいいことにネメシアはズイズイと近づいて手を合わせて懇願する。
「ねっ、お願い!」
「う……うん、わかった」
ネメシアの勢いに押されたのか、クロユリはつい頷いていしまう。
「ありがとー! お礼に帰りに『ミツバチ屋』の蜂蜜ケーキ奢るからさ!」
にっこりと笑ってそう言ったネメシアに、クロユリは戸惑ったかのような眼差しをぎこちなく返したのだった。