夏来) 「んぅ……」
瞼の隙間から差し込む眩しい光に、夏来はゆっくりと目を開けた。
ボヤけていた視界が開けると共に、目の前の状況を理解し始める。
白い天井に白い壁、手前には固く質素な布地が被されてあるだけのようだ。
というのも、まだ体があまり動かないので感覚だけの意識であったからだ。
重い体を無理に起こすと同時に、風のささやきと落ち葉の空言が耳に響きわたる。
何か、とても長い夢を見ていたような気がする………
少し開いた窓の外を見れば、今が秋の季節だと理解出来た。
そうしてやっと、その反対側に誰かがいるのを感覚で察知した。
目をやると、そこにはありえないと言うか、予想を上回る人物がうたた寝をしながら座っていた。
長く清い黒髪をしなやかに垂らすその姿に、何故か懐かしさを覚える。
夏来) 「ちーちゃん……?」
思わず漏れ出した声、それに反応するかの様に閉じていた目を開けた少女 【幻花 千代】は、
目を丸くして驚きの表情を見せる。
幻花) 「...な、夏来...…夏来!?」
夏来) 「え……え?」
幻花) 「だ、大丈夫!? 貴方、だってもう起きないって........」
目頭が熱くなるのを必死に抑えているのか、幻花は唇を噛み締めていた。
その努力もたいして効果はなく、今にも泣き崩れそうな表情をしながらこちらを見続けていた。
夏来) 「……ち、ちーちゃん?」
ダメだ……まだ頭がボーッとする。
口を開く意識はあるが、いかんせん話している気がしない。
幻花が泣きそうになる理由を探しても出てくるはずもなく、混乱した頭をよぎるのは謝罪だけだった。
夏来) 「ごめん、ちーちゃん…….思い出せない、僕が何かしたかな……?」
怒ったかと思うと泣きそうになったり、非常に今日の幻花は感情的だなと楽観視していたが、どうやら本気らしい。
実際に病室にいるらしく、左腕には点滴を打たれていた。
下半身にも点滴がついていたのを確認すれば、ここに昏睡していた時間が長いと確信せざるを得ない。
余りにも情報量が多く、少し現実味が無かったが無視することもできないのが現状だ。
機能が回復してきた頭を回転させ、理解を深めた。
夏来) 「……ごめん、ちーちゃん……」
もう涙は止まっているらしいが、幻花の顔は下を向いていた。
必死に何かを隠すように……
幻花) 「私……怒ってるよ」
夏来が口を挟む暇もなく、幻花がただただ冷静に、静かに口を開いた。
幻花) 「急に事故に遭ったっていうから、それから毎日見舞いに行ってたのに、全然起きないし……」
もごもごとした口取りで話す理由は、涙が込み上げてくるからだろう。
辛く、悲しみの篭った言葉の一語一語は、どんな罵倒よりも強く夏来の胸を貫いた。
その言葉で、改めて自分がここに居る理由が分かった夏来は、幻花の優しさに弱々しい声が漏れた。
幻花) 「お医者さんからも、意識はハッキリとしているが何故か起きないって言われて……」
かすれそうな声を必死に探り、思いを伝えることは決して簡単なことではない。
相手を思うからこそ声がかすれるのだ。
幻花) 「もう..….本当に会えないかと思ったんだよ?」
今度は涙目を隠さず、思いを夏来にさらけ出した。
不意に来る幻花の美しさに圧倒されながらも、条件反射で口が動く。
夏来) 「心配かけて ごめんね……」
が、今の夏来にはかける言葉がなかった。
先程から謝罪を述べるだけである。
幻花) 「やだ……許さない」
涙目のまま頬を膨らませ、客人用の丸椅子に体育座りで顔を隠しながら、幻花はいじけてしまった。
夏来) 「うぅ……」
幻花) 「じゃあ名前で呼んだら許す」
頭を抱えて悩む夏来から目を放し、幻花がそっぽを向きながらそんなことを語り出す。
夏来) 「ぇ……?」
幻花「ちーちゃんは、もう恥ずかしい……だがら……」
こちらに目を向き直したかと思えば、涙で潤った瞳が強く訴えかけてくる。
夏来) 「………ち、」
つっかえる口元を必死に動かし、息づかいが荒くなる。
感情が口を抑制する───
夏来) 「千代……ちゃん?」
幻花) 「ちゃんはいらない」
恥ずかしさを克服し、もう一度 口を直した。
そこには前までの夏来はいなく、かっこよくはなくても少し大人びた少年がいるだけであった。
夏来) 「ち……千代…………ごめん」
幻花) 「──はぁ……色々言いたいことあったけど、もう全部忘れた 特別にちゃんでも許すっ!」
ため息の反動から帰ってきたその笑顔は、彼女の今までの最大の笑みであろう。
その安堵の表情から、夏来もつられて頬が緩んだ。
幻花) 「先ずはお帰り、夏来」
夏来) 「うん……ただいま」
秋の病室に似合う甘酸っぱい出来事は、やはりずっと現実であった────
長いリハビリの時間が終わると、公欠になっていた学校が始まる。
もうすっかり忘れてしまった感覚を取り戻そうと努力するのだが、あいにく寝ていた時間が長すぎて、いわば休みボケ気分になっていた。
新年を迎え、3学期へと入った今でもまだ寒さは衰えを知らない。
吹き付ける風は肌を刺す様に冷たく、厚着でないと寒さに耐えきれない程であった。
夏来) 「はぁぁ……」
大きな溜息をつき、机に顔を伏せる夏来。
そんな姿を見てクスクスと笑う声が前の席から聞こえてきて、夏来はゆっくりと顔を上げた。
そこに居たのは夏来の親友である【炎条寺 友貴】だった。
炎条寺) 「オイオイ 一体どうしたんだよ? そんなナマケモノみてぇな顔しやがって」
夏来) 「あぁそうだよ……僕は怠け者さ……」
炎条寺) 「しっかし可哀想だよな、ナマケモノなんて名前付けられてよ もっとマシなやつなかったんかな」
夏来) 「僕が怠け者って言うのは否定しないんだ……というか動物の方だったんだ」
顎に手を当てて深く考え込んでいる炎条寺に、夏来の掠れた声は届かない。
眉間にしわを寄せ、唸り声を上げる炎条寺を横目に、夏来は窓から見える景色を眺める。
溜息をついたのは疲れからと言うのもあるが、それ以上に【何か大事な事を忘れている】気がして堪らなかったからだ。
思い出そうとしても、出てくるのは靄の掛かった時間だけ。
その中には今まで経験したことのない様な色鮮やかな思い出が眠っている……そんな感じがしたのだ。
「───夏来」
しかし、どうすれば思い出せるか……その方法が分からない。
これは一種の記憶喪失なのだろうか?
「おい──夏来」
記憶喪失だとしたら、この時間は僕の人生の中のどの部分に存在しているのか?
それさえ分かれば、なんとか思い出せそうなのだが………
炎条寺) 「おい、夏来!」
夏来) 「ふぇゃ!?」
不意に肩を強く揺すられて、夏来は身体ごと椅子を勢い良く後ろへと引いた。
同時に、その口から発した事の無いような声が漏れ出す。
炎条寺) 「そろっと先生来るぞ」
夏来) 「ぇ……あ、あぁ…」
炎条寺の言葉に、ゆっくりと身体を前に向き直す夏来。
それとほぼ同時に、ガラガラという音を立てて教室のドアが開く。
長身で強面の我らがクラスの担任と、キョロキョロと教室内を見渡す薄桃色のくせっ毛の目立つボブの女の子が入って来る。
普段の光景とは違う状況に、生徒達が騒ぎ出す。
『お前ら静かにしないか! 単位下げるぞッ!!』
と先生は怒鳴りながら教卓の上に出席簿を叩きつける。
シーンと静まり返った教室を見て、先生が黒板に名前を書き始める。
漢字2文字、平仮名3文字を書き上げ、クルッと回転して再び話し出す。
『突然だが、お前らに新しいクラスメイトを紹介する! 自己紹介を』
そう言われて元気よく返事をした少女は、腕組みをして両足を広げると、目を見開きながら大きく口を開く。
仙座) 「私の名前は仙座 ゆりか! 得意な事は俳句や花かるた! あと好きな食べ物は苺♪ みんな、よろっふー!」
教室内に響き渡る程の声で挨拶を終わらせた【仙座 ゆりか】
直後、その声よりも大きなクラス中の生徒からの声援やら口笛が飛び交った。
『仙座さんは親御さんの都合により、福岡から来たんだ、みんな仲良くしてやれよ』
炎条寺) 「おい夏来、聞いたか? 福岡だってよ めっちゃ遠いな」
夏来) 「ぁぁ……うん……そうだね」
別に驚く程でも無い。
アニメや小説では転校生なんて珍しく無いんだし、それが現実になっただけの事なんだから。
そんな事を考えながら夏来は、筆箱から取り出したペンを右手に持ち、机の上に広げてあるノートにスラスラと絵を描いていく。
『じゃあ席なんだが───おい皇』
夏来) 「ぇ……は、はい」
先生に呼ばれ、ペンを動かす手を止めて前を向く夏来。
『お前の隣が空いて居たな、隣の教室に使われてない机と椅子があるから持ってこい』
夏来) 「えぇ……」
これはまずい事になった。
よりによって隣なんて……それに机と椅子を持ってこい?
僕が力ない事分かってるでしょ先生!!
炎条寺) 「あ、いや俺行って来ますよ コイツじゃ時間かかるんで」
まるで心を読んだかの様に、席を立った炎条寺がそう切り出す。
『そうか、なら頼む』
炎条寺) 「はい」
そのまま席を離れた炎条寺は小走りで隣の教室へ行き、机と椅子を重ねて持ってくる。
コトッと小さな音を立てて置かれた机。
椅子を下ろし終わり、自分の席に戻ると身体ごと夏来へと向ける。
『仙座さん、あそこへ』
トコトコと姿勢良く歩く仙座。
炎条寺の横を通り、夏来の隣の席へ座る。
炎条寺) 「俺、炎条寺 友貴ってんだ、こっちは皇 夏来」
仙座) 「えへへ〜よろしくね♪」
夏来) 「よ……よろしく……」
いきなり挨拶をされ、おどおどしながら挨拶を返す夏来に対し、炎条寺は自分から話しかけるという形をとる。
それは夏来にとってとても凄いことであった。
ただでさえ内気なのに、それでいて挨拶をしようもんなら口が裂けてしまいそうだ。
口裂け女じゃなく、口裂け男になってしまう。
え……?
ちょっと何言ってんのか分かんない?
僕自身も、何言ってるかわかんないよ。
『ではこれでホームルームを終わる 各自1時間目の準備を始めろ』
そう言われて動き始める生徒達。
それに紛れて先生は教室を後にする。
夏来) 「はぁ……なんだかなぁ〜」
仙座) 「ふふふ〜ん♪」
その日の昼休み、一人で寂しそうにしている仙座に、クラスのみんなが駆け寄り質問責めが始まった。
前の学校はどうだったか? 彼氏はいるの?そんな話題が飛び交う中、嬉しそうに受け答えをしている仙座。
みんなと話しているところを見ると、本当に明るくて元気な子だというのが分かる。
炎条寺) 「おい夏来 お前も話に入れよ〜」
仙座を囲む輪の中から、炎条寺が顔を出しながら手招きして夏来を誘う。
夏来) 「ごめん、ちょっと用事があるから……」
そう嘘をつき、夏来は急ぎ足で教室を後にする。
行き先は屋上。
炎条寺が学校を休んだ時や、1人になりたい時などは何時もここに来ている。
屋上へと続く階段を上がり扉を開けた。
隙間から入り込む眩しいほどの光に襲われる夏来。
視界がクリアになると、街を一望できる自分だけの世界に入っていた。
フェンスに両手を掛け、遠くの景色を眺めていると、ふと自分以外に人が居たことに気づいた。
《君はこの世界は嫌い?》
空を見上げ、両手を広げながら風を感じている少年と思わしき人物が、不意に夏来に問いかける。
フードを深々と被っているせいで顔はハッキリと見えないが、この学校の生徒ではない事が服装と発せられる声からして察する事ができた。
その声は何処と無く自分の声に似ていた……
夏来) 「…………」
見知らぬ人物からの質問に、無言で立ち尽くす夏来。
《だけど、逃げてばかりじゃ何にも変わらない 立ち向かう事が大切な時もあるんだよ?》
両手を下ろした少年が、今度はきちんと夏来の方に身体を向けて話す。
その時、夏来の記憶の中で何かが動き始めた気がした。
靄のかかった時間が、段々と晴れていくのが感覚的に伝わってくる。
夏来) 「あの……どこかでお会いしましたっけ……?」
何故こんな事を言ったのか、自分でもよく分からない。
けれど……なんだろう………
何故か凄く懐かしい感じがする……
《さぁ……会ったかもしれないけど、会わなかったかもしれないね》
夏来) 「あ……あれ……」
少年を見つめる自分の視界が、ユラユラと揺れて霞んでいく。
瞬間、手の甲にポトリと落ちる雫に、夏来は自身が泣いている事を知った。
咄嗟に手で涙を拭うが、それでも止めどなく溢れ出てくる涙。
その意味を夏来は理解できないでいた。
夏来) 「……ぁ……貴方は……っ……」
《………さぁ……なんだろうね 僕から言えることといえば───》
仙座) 「なーつきっ!」
夏来) 「わひゃっ!?」
会話の途中、不意に肩を掴まれる夏来。
その反動で身体をビクッと震わせた夏来は、背後に立つ仙座を見てホッと息を吐く。
夏来) 「仙座さん……驚かさないでくださいよ……」
仙座) 「えへへ♪ 夏来君が1人でどっかに行っちゃうから、バレないように後をついてきたの〜」
夏来) 「あっ……そうだったんですか…」
泣き顔を見られた、そんな事を考えた夏来の頰が赤くなっていく。
人前で涙を見せた事なんて無かったものだから、余計に恥ずかしさを覚える夏来。
耐えきれず顔を手で覆い隠そうとした時、右手に何かが握られているのを感触で気づく。
ゆっくりと手を開くと、何やら小さいお守りのようなものがあった。
仙座) 「何これー?」
仙座が夏来の手からソレを持ち上げ、良く観察し始める。
いつのまに握って居たのか……屋上に来る前までは無かったはず……。
となると、あの少年と話し始めた後───
夏来) 「あっ、すいません……あの、これって───」
振り返り、再び少年の方へと向き直す夏来。
その姿を不思議そうに見つめる仙座は、夏来の横へと回り入る。
夏来) 「あれ……」
しかし、振り向いた夏来の視界に あの少年の姿はなかった。
仙座) 「ねぇ、そう言えば言い忘れてたけど───」
夏来) 「仙座さん、さっきまで居た───」
仙座) 「誰と話してたの? 長い独り言だったけど」
あの人は?と言い切るよりも早く、仙座からの疑問の声が分け入る。
その問いの正しい回答を、夏来は持ち合わせてはいない。
夏来) 「だ…誰とって──」
つい先程まで話していた少年が、仙座には見えていなかったのか?
いいや絶対違う。
僕は霊感なんて持ってないし、何か特別な力も無い。
こんな極普通の人間に見えて、この少女に見えないなんてことは無いはずだ。
夏来) 「か……からかわないでよ、さっきまで居たじゃん」
仙座) 「ううん、本当だよ! 誰もいナッシングなんだから!」
両手を胸の前で交差させ、違うと言い張る仙座。
これでも彼女自身、至って真面目に答えているのだろう。
夏来を見つめる仙座の目がそう強く訴えかけていた。
仙座) 「私が来た時、夏来君フラフラしてたし……疲れてるんじゃない?」
夏来) 「そう……かな」
仙座) 「そうだよ! ってそれよりこのお守り、黒地に赤ってカッコイイね〜 どこで買ったの?」
夏来) 「ぁ…いや……分かんない いつの間にか握ってて──」
右手に持つお守りと思わしき物に付いている紐に指を通し、バッと夏来の目の前に突き出す。
ユラユラと揺れるそれは、黒い生地に赤い糸で【守永光】と縫いられていた。
「しゅえいこう」と読むのか?
永遠に守る光と言う意味だとは思うが……光とは何を指すのだろう。
そんな事を考えていると、ふと右下に小さく何か文字の様な物が書かれているのに気付く。
仙座からお守りを預かり、よく見てみると其処には【闇籠神社】と記されていた。
夏来) 「闇籠神社…?」
仙座) 「ちょっと調べてみよっか、えーと……クークルマップっと」
制服のポケットからスマホを取り出し、某地図サイトを開く。
文字を打ち込み、検索をかけると、その場所が画面に表示される。
仙座) 「うーん……なんか長野県の悟河村ってとこにあるみたいだね」
スマホの画面を夏来に向けながら話す仙座。
どうやらその場所は山奥にあるらしく、自然に囲まれた所である事が分かった。
夏来) 「そこって……」
上空からの写真、そこに映る場所と地名を夏来は知っている。
【悟河村】
それは夏来の叔父と叔母が住んでいる村の名前だ。
夏休みなどの時間を使って、よく幻花と炎条寺を連れて泊まりに行っていた。
だが、そんな名前の神社は無かった筈……
夏来) 「仙座さん、ちょっと貸してもらっていいかな」
仙座) 「え? あぁうん」
正確な場所を確認すべく、仙座からスマホを受け取り操作する夏来。
親指と人差し指を内側へと滑らせ、画面に表示される範囲を広げる。
村全体が映る所まで広げた夏来は、村の入り口から神社までの道のりを目で追う。
その目線の行く先にあったものは、大きな山だった。
夏来) 「もしかして……」
何かに気付く夏来。
今度は指を内側から外側へと押し出して拡大すると、ある一軒の家を映し出した。
夏来) 「やっぱり……」
仙座) 「何がやっぱりなの?」
夏来) 「その神社、おじさん家の裏山にあるみたい」
そして思い出し、察した。
昨年の夏、あの村で夏祭りが行われた時だ。
夏祭りが開かれる会場は、その山を少し登った所にある拓けた平地。
そこを埋め尽くすほどの屋台に混じり、見慣れない軽トラと、何もない森の中を指差しながら楽しそうに話す親子と思わしき2人の姿。
軽トラの荷台には木材やら工具等が大量に積んであり、何かを建てようとしていたのだろう。
そしてこの闇籠神社の存在。
これは偶然かもしれないが、確認してみる価値はありそうだ。
夏来) 「仙座さん、今度の───」
と夏来が何かを言いかけた時、三階へと降りる階段の扉がギィィと音を立てて開かれる。
炎条寺) 「あ、お前ら こんなとこにいたのか 早く教室行こうぜ? 置いてくぞー」
ニョキッと顔だけを出して辺りを見渡し、2人を発見するやいなや、手招きをしながら再び元来た道を引き返す炎条寺。
教室に戻ってからまた話すといい、右手に持っている仙座から借りたスマホを返し、2人は足早に屋上を後にした。
仙座) 「あ〜ぁ…購買にパン買いに行く予定だったのに……お腹空いたぁぅ…」
椅子に浅く腰をかけ、足を伸ばしながら呟く仙座。
その発言に申し訳なさそうに身体を縮ませる夏来と、「お前自身が招いた事なんだし、自業自得だろ」と笑い飛ばす炎条寺。
仙座) 「あっ……で、何か言いそびれてたみたいだったけど?」
先程の夏来の発言を聞き直すべく、身体を起こし顔を向き直す。
夏来) 「あ、え…えっと……その…夏休みにさっき言ってた悟河村に行くんだけど、せ…仙座さんもどうかなって…」
仙座) 「おっ いいねぇ!闇籠神社ってのも気になるし、それに夏休みは暇だからちょうど良いや!」
あってまだ数時間な上に、そんなに親しいわけでもなかったので、てっきり断られるかと思われたが、意外にも乗り気の様だ。
目をキラキラと輝かせながら夏来を見つめる仙座。
その様子に前席の炎条寺は頭を抱えて口を開く。
炎条寺) 「ちょちょ待てっ! え、お前も来んのか? ってかどうしてそんな話になってんだよ……」
状況を理解出来ない炎条寺。
その口から出た言葉には焦りと困惑が混じっていた。
何故こんな話に発展したのか?
その経路を説明するべく、夏来はポケットから例のお守りを取り出して机の上に置き、話し始めた。
仙座には見えなかったあの存在、いつのまにか握っていたお守り、そして闇籠神社のこと。
それらを簡潔にまとめて説明した。
炎条寺) 「なるほどな、それなら仕方ねぇ 歓迎するぜ」
夏来) 「ごめんね……ぁ…それと……僕と炎条寺君のほかに、もう1人誘うんだけど……大丈夫かな…」
炎条寺) 「そうそう!あの暴力女…俺あいつに何度ボコられたか……」
仙座) 「あっうん、いいよ!」
炎条寺) 「おまっ…いいのかよ ここまで言っておいて即答と───」
それまで苦笑いを通してきた炎条寺の顔が、ある一点を見つめて引きつる。
その目線の先は夏来と仙座の背後。
只ならぬ気配を感じ、ゆっくりと冷や汗をかきながら振り向く2人より早く、肩に振り下ろされた大きな手からの殺気が伝わってくる。
夏来) 「ひっ…」
仙座) 「みゃっ」
『昼休みは終わりだ……授業を始める 数学の教科書を出せッ!』
小さく口を開け、この世の者とは思えない程の低い声を発する授業担任。
恐怖に身体が硬直したままの3人は、震える声で返事をした─────
月日が流れるのは楽しい時を過ごす様にあっという間で、肌を刺す冬の寒さは去り、春の陽気がこの世界を包み込んでいた。
もうすっかりとクラスに馴染めた仙座は、今やクラスの中心人物となっていた。
誰とでも明るく楽しそうに接する姿は、男女問わず全ての者からの好感度が高かった。
その一方、隣に座って本を読み、外部との接触を断ち切っている少年がいた。
目の下にクマを作り、負のオーラを漂わせている少年には、当然の事ながら声をかける者や相手にする者など現れない。
唯一話せる炎条寺も、先程昼食をとり終わり、数人でバスケをしに体育館へ向かったばかりだ。
『オイ、ちょっとツラ貸せよ』
不意に来る、夏来にとって最も聞きたくないであろう声が前方から聞こえた。
その声に反応して目を見開き、奥歯をガタガタと鳴らしながらゆっくりと顔を上げる。
───そこには、夏来を裏で虐めている【紅原 海斗】が立っていた。
紅原に半ば無理矢理に連れてこられたのは人目のつかない校舎裏。
そこへ着くと同時に、物陰から出てきた別のクラスの者と思わしき2人組に逃げ道を塞がれる。
紅原) 「お前さぁ……最近俺たちが手ぇ出してねぇからって、あんま調子こいてんじゃねーよ」
夏来) 「べ……別に…ち…調子になんて……の…のの…」
紅原) 「乗ってないってか?バカかテメェは? お前じゃなくて俺から見てってことだっつーの
察し悪りぃな……本当にウゼェわぁ……ちょっと抑えてろ」
紅原に指図され、両脇に立つ2人が夏来の腕を拘束する。
思わぬ事態に、必死に振りほどこうとする夏来だったが、貧弱ゆえに抵抗する力は無意味に終わった。
紅原) 「最近イライラしてたから丁度いいぜェ! おらよっとォ!」
ピョンピョンと跳ねながら拳を構える紅原。
次の瞬間、右手から繰り出される一撃が夏来の頬に命中する。
それを区切りに絶えず強力なパンチが顔面へ、腹部へと叩き込まれ続ける。
逃げる気力も、抵抗する力も無くなった夏来。
左手で髪を掴み上げられ、口から血が垂れ流れる。
紅原) 「毎回思うが…お前マジで弱すぎ───けどサンドバッグには丁度良いわァ!! ヒャハハハ!!」
右手を大きく後ろへと引き、再度頬に叩き込む。
その瞬間に両腕の拘束が解け、そのまま夏来は剥き出しの地面へ倒れこんだ。
それと同時に、夏来の頭を紅原が靴で踏みつけ、他の2人が無防備の腹部と背中に蹴りを入れる。
夏来) 「ぅっ……ぎ……ぁ…」
紅原) 「ククッ……よォし、後は俺がやる 下がってろ」
紅原の令に軽く返事をし、2人は少し離れた場所で腕組みをしながら、ニタニタと笑みを浮かべて様子を見ている。
その時───
「どけ」
不意に背後から放たれる男の声に、2人が振り返る────
否、それよりも早く肩を強く押され尻餅をつく。
『テ、テメェェエ!!!』
『野郎ぉぉお!!』
怒りに駆られた2人が、歩みを進める男に飛びかかる。
しかし、それを華麗に躱した男はバランスを崩した2人を足払いで転倒させる。
顔面を強打した2人は短い悲鳴をあげて地面を転がった。
紅原) 「あ?」
その声に気づいた紅原が夏来を蹴る脚を止め、こちらに向かって来る男を凝視する。
「そいつから……夏来から離れろ……」
怒りの篭った声を出す男。
直後、合図なしに駆け出した男の拳が、目にも留まらぬ速さで迫り来る。
突然の事に反応出来ない紅原は、その直撃を許してしまう。
弧を描いで殴り飛ばされる紅原が壁に叩きつけられ、少量の鼻血が流れる。
紅原) 「なっ……何しやがるっ!!」
夏来) 「炎条寺……君……」
2人の目線が行く先に立つ者───その男の名は【炎条寺 友貴】
何を隠そう彼は──
仲間が傷付くのを許さない【元ヤンの戦闘鬼】だ。
紅原) 「俺が……この俺が……血を……ふ…ふざけやがってェェエ!!!」
ポタポタと滴り落ちる血を見て怒り狂った紅原が、その怒りに身を任せて攻撃を仕掛ける。
しかし、顔面目掛けて突き出した拳は左腕で弾き返され、さらには体勢を低くした炎条寺の強烈な一撃が腹部へとめり込んだ。
紅原) 「ガァッ……グ……ァ!」
ヨロヨロと後退り、腹を抑えて右膝をつく紅原。
炎条寺) 「紅原……お前が夏来にしたのはこんなもんじゃ済まねぇぞ……本当なら血反吐吐く位まで痛めつけてやりたい所だが、これ以上やると俺も学校から何言われるか分かんねぇからな……」
紅原) 「グッ……」
炎条寺) 「これに懲りたら、もう2度とすんじゃねぇ……夏来のバックには俺がいる事を忘れんな」
そう言い捨てるように紅原から視線を逸らし、横たわる夏来へ歩を進める。
その発言を聞き、これまで味わったことのない【憎悪】が紅原の心を支配した。
眉間にしわを寄せ、拳を強く握り締める。
こちらに背中を向けた炎条寺を睨みつけ、懐にしまっていた小型のナイフを取り出した。
夏来) 「ッ───!?」
驚きと恐怖の入り混じる夏来の表情を見て、状況を察した炎条寺が瞬時に身体を横へと滑らせた。
紅原) 「はぁ……はぁ……ク、クソ野郎ォオ!!」
先ほどまでいた場所に、紅原がナイフを片手に突っ込んで来た。
目を充血させ、歯をむき出しにし、荒い息遣いを繰り返している。
炎条寺) 「こりねぇな……」
紅原) 「ウラァァァアア!!」
甲高い雄叫びを上げ、ナイフを突き出しながら炎条寺に襲いかかる紅原。
ナイフ技を使うわけでもなく、ましてや目立った身体技もない。
故にその存在は、炎条寺にとって何の障壁にもならないものだった。
バックステップを踏み、校舎の壁まで近づく炎条寺。
紅原) 「わざわざ逃げ場なくして……バカかテメェはァァア!?」
炎条寺) 「バカは────お前の方だ」
2人の距離が2メートルまで縮まった時、炎条寺が地面を蹴り上げて飛び上がり、壁を伝って紅原に空中からの回し蹴りを食らわす。
紅原) 「ぁ…が……ッ!」
見事に命中した炎条寺の攻撃に、一歩二歩と覚束ない足取りで後退する紅原。
その手に持っているナイフを、倒れる瞬間に炎条寺目掛けて投げ飛ばした。
右頰スレスレをナイフが通り過ぎ、壁に当たって音を立てながら落ちる。
紅原) 「く……そ…が……」
唇を噛み締め、地面に肩から崩れ落ちた紅原。
そこへ倒れていた2人が近づき、紅原の肩に手を回して起き上がらせる。
力無く俯きながら何かをブツブツと呟く紅原を連れて、3人はその場から消え去るように逃げていった。
炎条寺) 「───うっわ めっちゃ怖かったぁあ!! おい見たかよ夏来……あいつのあの顔 まるで鬼じゃねぇかよぉぉ……」
夏来) 「……………」
炎条寺) 「本当に死ぬかと思ったわぁ……人生終了!Die & Dead!」
夏来) 「……………」
炎条寺) 「まぁ……けどよ、夏来が助けを求めてくれんなら、俺はいつだって駆けつけるからな 照れ隠しぃ…なんちゃって」
夏来) 「……………」
こちらに背を向けながら横たわる夏来。
一言も返事がない事を不思議に思った炎条寺が、夏来の身体を揺すった。
炎条寺) 「ぇ……」
思わず声が漏れた炎条寺。
その目に映る夏来の姿は、彼に不安感を与えた。
必死に呼び掛ける炎条寺の声に、一切の反応も見せない夏来。
炎条寺) 「ぉぃ……おい…おいおい嘘だろ!?」
声が裏返り、冷や汗が流れる。
咄嗟に夏来の胸に耳を当て、心臓の動作を確認する。
ドクン…ドクン…と一定のリズムを刻む鼓動の音が聞こえ、ホッと胸を撫で下ろす炎条寺。
しかし、このまま放っておく訳にはいかず、夏来の身体をどうにか動かし、背中に担いで保健室へと急いだ。
夏来) 「んぐ……ぁ……はっ」
不意に頬を指で押される感触に、夏来が意識を取り戻す。
フカフカのベッドの感触と、薬の匂いが微かに漂う事から、今自分が保健室にいるのだと分かった。
ゆっくりと目を開けた夏来の視界に映り込んだのは、氷を包んだ真っ白な厚い布の様だ。
モゴモゴと口を動かす夏来。
それに気付いた数人の男女の声が耳に入ってくる。
炎条寺) 「おぉ! 気が付いたか!」
夏来の顔に覆い被さっている布を退かし、炎条寺が大声を上げる。
急に視界が明るくなった事と、大音量の声が耳に入って来た事により、夏来を激しい頭痛が襲う。
幻花) 「友貴、怪我人なんだから余計なことしないの 先生に言われたでしょ」
瞼を強く閉じながら唸る夏来の姿を見て、椅子に座る幻花が炎条寺に注意する。
枕元に落ちた布を再び顔に目を隠さない様にして被せ、立ち上がった幻花は腰に手を当てて夏来を見下ろす。
夏来) 「ちー………あ、いゃ…千代ちゃんが何でここに………?」
炎条寺) 「こいつ、夏来がボコられたって聞いて、放課後になったらあっちからすぐ飛んできやがったんだ」
仙座) 「ひゅーひゅー 良いね良いねぇ〜?」
幻花) 「なっ…ち、違うしっ! 家がこっち方面だからついでに来ただけだしっ!! ゆりかも、 別にそんなんじゃないから!」
顔を赤らめながら はにかんでいる様子は、清浄無垢の少女がその衣物を一枚一枚剥がされていく様な優しさだった。
全身が燃え滾る心地がして、わあっ!と叫んでしまいそうな気配を必死で抑える幻花。
仙座) 「そんなこと言っちゃって〜本当は夏来君のこと────」
幻花) 「あぁぁぁ!!?」
仙座) 「ちょ、いっ…いたっ いにゃいよっ! あゔぅぁ〜」
だが仙座からの効果抜群な痛すぎる質問に、抑えた感情が一気に爆発する。
仙座の頬を横に引っ張り、上下奥手前にぐるんぐるんと回す。
夏来) 「ぁ……あ、ねぇ炎条寺君……」
炎条寺) 「ぁ───え、あ…なんだ?」
荒々しい2人のやりとりに呆気に取られていた炎条寺が、夏来の呼び声に我に返る。
モゴモゴと喋りづらそうにしている夏来を見て、幻花がこちらに注目していないのを良い様に、布を少し退かして口元を出してあげる。
夏来) 「ありがとう……そのさ、あの2人……いつからあんなに仲が……」
炎条寺) 「ぁ──俺とゆりかがここに見舞いに来て、それから30……いや、20か? まぁそんくらい経ってから千代が来て、そこで会ってから気があったのか、それで────」
夏来) 「あぁ、うん、もう分かったよ ありがとう」
両手でそれまでの流れを表しながら、長々と話す炎条寺。
今止めないといつまで話すか分からない状況で、夏来のこの判断は的確なものだった。
──うん、そう思いたい。
炎条寺) 「え? あ、そっ」
夏来) 「うん……というか、今って放課後なんだ」
先程までの炎条寺達の会話にもあった、放課後という言葉。
どうやら昼休みに気を失ってから随分と眠っていた様だ。
上半身を起こし、右側に立て掛けられた鏡で自分の顔を見つめる。
紅原に殴られた頬は、薄っすらと紫色をしていた。
その状態から、受けた痣の症状はまだ軽いことが分かった。
炎条寺) 「お、おい! 大丈夫かよ まだ身体……」
幻花) 「ちょっと夏来っ! 安静にしてなきゃダメだってば!」
うっかり高い声を出してしまった炎条寺。
その声を聞いて振り返った幻花は、鏡を見て顔に手を当てている夏来の姿を目撃する。
炎条寺) 「おい待て千代、なにを──アベシッ!!」
何かをしでかすであろう雰囲気を醸し出しながら近付く幻花を止めるべく、炎条寺が行く手に立ち塞がる。
しかし簡単に片手で押し退けられて、炎条寺は壁に顔面からぶつかり短い悲鳴をあげる。
そして夏来は、幻花に肩を掴まれたままベッドに背中を打つ。
夏来) 「ぁ…ちょ……ぉ……!」
視線の先には幻花の瞳。
見つめ合う2人から遠ざかる炎条寺と仙座は、その場から立ち去るべく ドアに手を伸ばす。
しかし、その手が届く直前に横へと勢い良く開かれたドア。
何事かと見上げる2人の目の前には、大きな影が存在していた。
夕陽の赤い陽射しを背に、腕組みをしながら仁王立ちをする者の名は───
『なんだ、まだ帰ってなかったのか!! 保健室はくつろげる空間だろう!』
異常に機嫌が良い、我が高校のオアシスの先住民【nursing teacher】又の名を───
ゆかこ) 「オラァ! 保健室の先生 ゆかこ様の御通りダァ 道を開けろぉ! 汚物は消毒だ〜!!」
いつかの世紀末に居そうな、オラオラ系養護教諭さんである。
炎条寺) 「ゆかこ先生が消毒とか言うとガチめの消毒しようとするから嫌いだぁ!」
仙座) 「ちゃんと治してくれるか心配になってきたよ……」
そして彼女は、生徒からの不信感が学校内で一番高い人間でもある。
だが、それよりも酷い事がもう一つあるのだ。
それは───
ゆかこ) 「おっ! なんだなんだぁ〜? 2人でベッドで見つめ合うなんてぇ〜 ラブラブだねぇ〜! 付き合ってんの? お似合いじゃ〜ん♪」
恋愛系の生徒間の問題をある意味好み、その生徒の【弱み】を握る異常者であったのだ。
夏来・幻花) 「ち、違うからっ!!」
炎条寺・仙座) 「ヤバッ! 見つかったぁあ!?」
ゆかこ) 「ハッハッハッ! 2年B組 皇 夏来君の弱みゲッチュ! これからは私に逆らえないねぇ〜! はい、今後もよろしくぅ!」
一向に衰えないテンションで、部屋中にその高笑いを反響させる ゆかこ先生。
こんな最低最悪な性格に呆れ果てる夏来と炎条寺に対し、「こういう人には気をつけないと」と戒心する幻花と仙座。
ゆかこ) 「ハァ───ッハッハッハッハッハ!!!」
一方のゆかこ先生はというと、そんな事など御構い無しに絶えず笑いこけて居た。
炎条寺) 「ちっ……ほんとうるせぇな この脳筋サイレンゴリラ….…」
ゆかこ) 「よぉーし、もうここ閉めるから後は家で安静にしな! 腹部には包帯巻いてあるからキツイかもしれないけど、まぁ頑張りな! さぁ帰った帰った!」
夏来の痣の治り具合を確認して、ゆかこ先生は4人を強制的に部屋から追い出した。
幻花) 「身体、大丈夫? 歩ける?」
夏来に寄り添い、不安げな表情を浮かべる幻花。
正直、あの時よりは全身の痛みは治まって来たが、それでも無理に動かそうとすると激痛が走る。
しかし……こんなにも自分を大切に思ってくれている人に、これ以上迷惑をかける訳にはいかない。
そんな思いが心に満ちた時、夏来は右足を前へ出し歩き出していた。
夏来) 「大丈夫だよ! さ、早く帰ろっ」
退院してからと言うもの、相変わらずのその暗い性格を露わにしていた夏来。
ただでさえ笑顔なんて見せたことなんてなかったはずなのに、その時ばかりは不思議と笑みが溢れていた。
幻花) 「──そうね」
仙座) 「然り(便乗)」
炎条寺) 「あんまり無理すんなよ」
それぞれの返答を聞き、再度前を向いて歩を進める。
その後ろ姿に、何処と無く懐かしい気持ちを抱いた3人。
直後、脳内に存在する様々な記憶の中に、靄の掛かった思い出が現れた。
幻花) 「………」
この靄の先にある「モノ」を私達は知っている気がする。
炎条寺) 「なんだ……これ」
それは幻想の世界……ある一人の少年が見た、夢の────
夏来) 「おーい 皆んな〜!」
長く続く廊下の奥で、手を振りながら3人を呼ぶ夏来。
その声に弾かれた炎条寺と幻花が、駆け足で夏来の元へと急ぐ。
そして、その場に1人取り残された仙座は、クスクスと笑いながらゆっくりと歩き出す。
仙座) 「──ふふ……考えたねぇ、あっちの私」
小さな声で意味深な独り言を呟く仙座。
その言葉は誰にも聞かれることなく、夕焼けの闇に消えていった────
あれから約4ヶ月の月日が流れた。
前よりも心から笑うことが増え、学校が初めて楽しいと感じていた夏来。
そう言えるのには【紅原が居なくなった】という事実が絡んでいた。
あの事件の詳細を炎条寺から聞いた学校側が、紅原と共犯2人に対し自主退学を突きつけたのだ。
歯を噛み締め、渋々その要求を飲んだと聞いた時は、やっと恐怖から逃れられたとの喜びから嬉し泣きをしていたのだと炎条寺から聞かされた。
夏来) 「寝坊しちゃったぁぁあ!!」
世界が緑に包まれ 蒸し暑い日々が続く中、夏休みに入った夏来達は、長野の夏来の叔父と叔母の家へと向かう為、駅に集合していた。
炎条寺) 「おっせぇぞ夏来! お守りと水着、ちゃんと持ってきたよな?」
夏来) 「ごめんごめん! 勿論持ってきたよ」
額に汗をかきながら、ハァハァと荒い呼吸を繰り返す夏来。
その姿を見て苦笑いをする炎条寺が、背後からの大声に肩を跳ね上げた。
振り返ると、向かいのホームに数人のサラリーマンに紛れて、大きく手を振る仙座と小説を読んでいる幻花の姿があった。
跨線橋を渡り、2番線へと着くと同時に、緩やかなスピードで電車が入ってくる。
炎条寺) 「あっぶねぇ……もう少しで乗り遅れるところだったぜ……」
夏来) 「良かったぁ…」
安堵の息を漏らす炎条寺と夏来。
ぞろぞろと下車する人々を待ち、いざ乗車。
電車内に足を踏み入れると同時に、クーラーの涼しい風が夏来達の肌に触れた。
幸い、昼頃の東京から長野方面行きはあんまり混まないようで、見渡す限り空席がいくつもある。
通路を挟んで左側のボックスシートに腰掛け、出発した電車内から過ぎ行く東京の景色を眺める。
それぞれがスマホの電源を切り、高校の話を持ち出した炎条寺のおかげで、自然と会話は弾んでいった───
それからは電車をいくつか乗り継ぎながら、数時間かけてようやく長野のある市に着いた。
無人の改札を通って駅を出た夏来達は、近場のバス停へと急ぎ時刻表を確認する。
幻花) 「20:00のやつに乗るしかないわ それ逃したら次22:00よ」
幻花がスマホの画面に表示される時間を3人に見せながら、ゆっくりと息を吐くように言う。
現在の時刻は19:40分。
辺りはすっかり暗くなっており、民家の灯りが点々とあるだけで、時間を潰せそうな所が無い。
この状況下で待たされる気になると、本当に辛いものである。
側のベンチに座り込み、深いため息をつきながら天を仰ぐ夏来。
夏来) 「やっぱり星が綺麗だよね、ここ」
ボソッと呟くその声を聞き、3人が空を見上げる。
仙座) 「おぉ〜本当だぁ すっごく綺麗……」
幻花) 「東京は明るすぎて見えないもの 当然と言えば当然よ」
無数に光り輝く星空のカーテン。
東京では全くと言っていいほど目にすることが出来ない光景と、人口音の無い真の静けさに、不思議な気持ちを抱く4人。
炎条寺) 「おっしゃ、時間つぶしに星座でも調べるか!」
幻花) 「ふふん♪ その必要はないわ!」
スマホを取り出した炎条寺の手を鷲掴み、強引に引っ込ませる幻花。
夜空に向かって手を突き出し、特徴的な星座の説明を淡々と夏来達に話す。
幻花) 「まずはアレよね! 夏の大三角形! ほらあそこ! あの高いとこにある3つの星【ベガ】、【アルタイル】、【デネブ】の三輝星がつくる三角形を夏の大三角形って言うのは分かるでしょ!? それでその中の【アルタイル】っていう星座の名前は、アラビア名ナスル・アルターイル 別名【飛ぶ鷲】に由来するの! それとね───」
半ば放心状態で、その止まることを知らない幻花の星座知識を聞く炎条寺と夏来。
だが1人、仙座だけは勉強になると言わんばかりに幻花の話に魅入っており、さらには質問まで投げ掛けていた。
完全に空気と化した炎条寺と夏来。
と、その時、前方から木々に紛れて淡い光が近付いてくるのが見えた。
星座の話に夢中な2人と、ぐったりとしている夏来に呼びかけ、こちらに近づく物体を見つめる。
両脇に建ち並ぶ住宅から漏れる光に照らされ、それは姿を露わにした。
炎条寺) 「来たぁ───! バスゥゥウ!!」
仙座) 「あれ? もうそんなに時間経ったの?」
幻花) 「早いもんね、楽しい時間ってのは」
〈ピロピロピロン〉と音を立てながら、ゆっくりと夏来達の前に止まるバス。
乗り込んで整理券を取り、それぞれが席に着くと同時にバスが発車する。
煌々と照らす車内の電気に、目を細めながら辺りを見渡す炎条寺。
どうやらこのバスには夏来達以外に誰も乗っていないようだ。
炎条寺) 「一度でいいから、この道を朝か昼頃に通ってみてぇな」
先程の駅前から遠ざかること数分、左右に田んぼが広がる一本道に入った時、炎条寺が外の暗闇を見ながらボソッと呟く。
幻花) 「帰りに必ず通ってるじゃない」
炎条寺) 「いや、この山方面へと向かう光景を見たいんだよ」
幻花) 「……変な拘りを持つよね友貴って」
仙座) 「ほんとほんと」
夏来) 「そ、そうだね」
思案に暮れる炎条寺に聞こえないように、バスの走行音を利用しながらヒソヒソと話す3人。
川に架かる橋を渡り、野を超え山を越え、何度かバス停に止まりながら約一時間半。
途中、乗車して来た人々も既に降り終わり、再度バス内は夏来達の声に包まれていた。
『次は──悟河村──悟河村です』
運転手の声に、降車ボタンを押して荷物をまとめる。
悟河村と聞いて、初めて行く地に興奮気味な仙座。
数分後、徐々に速度を落とすバスの左手の窓から見える景色に、駅前で見た様な民家の灯りが映り込んで来た。
村の手前にあるバス停で料金を支払って降り立ち、バスを見送った夏来達は叔父と叔母の家へと向かう。
幻花) 「いつ見ても、この村は活気あるわね こんな時間でもやってる店が結構あるのは凄いと思うわ」
炎条寺) 「マジそれ! 村って呼べんのか? 村以上町未満って感じ?」
仙座) 「ラーメン屋もあるし、居酒屋も、コンビニも、喫茶店も、カラオケもあるっ!! 何ここ凄ッ!?」
夏来) 「叔父さんから聞いたんだけど、都会から田舎に移り住みたいって話が沢山あったみたいで、この村の人口が結構増えたらしいよ」
炎条寺) 「あぁ……だから前来た時に無かった喫茶店とカラオケがあるのか」
目に映る【村】とは言い難い光景。
その東京で見慣れた商店の横を通り過ぎ、ひしめき合うように建ち並ぶ住宅地へと入ると、前方にある一軒の大きな家が見えてくる。
先頭を歩く夏来は その家の前で止まり、チャイムを鳴らす。
せかせかと歩く人影がこちらに向かって来たかと思うと、ガラッと勢いよく引き戸が開かれた。
叔父) 「おぉ! 来たか来たかぁ! 無事で良かった……もう心配で心配で」
叔母) 「あんた!玄関口で見っともない……子供達が引いてるじゃない! ごめんなさいね、さ 上がって上がって」
奥の部屋から姿を現した叔母が、夏来達の目の前で膝をついて半泣きしている叔父の服を掴み、グイッと後ろへ引く。
鬼の様な顔付きから一変し、聖母の様な表情へと変わった叔母は、そのまま叔父を引きずりながら夏来達を近場の部屋へと通した─────
叔父) 「へぇ〜 仙座 ゆりかちゃんて言うんだ よろしくねぇ」
仙座) 「よろっふ〜♪」
木で出来たテーブルを囲む様に、畳の上で楽な体勢を取りながら会話を弾ませている。
その間に、叔母は夏来達の荷物を客室へと運び、「手伝いますよ」と言った幻花と共に遅い夕食の支度を始めた。
目の前でグゥーと腹を鳴らした叔父を見ると、どうやら夏来達が来るまで夕食を預けていた様だ。
叔父) 「はは…は……お腹空いたねぇ ねーまだ──!?」
叔母) 「うっさいわね! それ以上喋ったら今から作る料理に そこらへんの道草を大量にぶち込んで消化不良起こしてやるからね!!」
叔父) 「は…はい…すみません…」
一瞬にして先程までの叔父の笑顔が崩れ去り、怯えた表情へと変わった。
それを目の当たりにした夏来達は、この家に居る限り、叔母には逆らってはいけないのだと感じた。
それから数十分は待っただろうか? 台所の方から良い匂いが漂って来た。
夏来) 「あっ、これって」
炎条寺) 「あぁ…奴だ 今度こそ負けねぇからなぁ……」
叔母) 「はいはい〜まずはご飯ね、それとお味噌汁」
叔母がウェイターの如く、両手を使って片方に4人分のご飯が乗ったおぼん、もう片方にはお味噌汁の乗ったおぼんを運んで来る。
叔父、夏来、炎条寺、仙座へ配り終わり 引っ込む叔母に変わり、すれ違いで幻花が入って来る。
叔父) 「ふっ……いつの世も争いは起こるもの……」
炎条寺) 「その理由はただ一つ────」
その手に持つ大皿の料理を目にし、叔父と炎条寺の目つきが変わる。
まるで、飢えた猛獣が獲物を狩る時に見せる様な………
幻花) 「はいどうぞ、山賊焼きですよ」
それぞれに割り箸を渡し、メインメニューをドンとテーブルの真ん中に置く。
瞬間、目にも留まらぬ速さで割り箸を割った叔父と炎条寺が山賊焼きに箸を伸ばす。
叔父・炎条寺) 「そこに肉があるからだァァァア!!!」
仙座) 「ぁ……ぇ……」
食べる!食べる!
口に頬張り、続いてご飯を掻き込む!
喉につっかえたのならば味噌汁で胃まで強制的に流し込めぇぇえ!!!
汚い?そんなの知った事か!!
人類は他を食して生きている!
食べねば生きられない!
そんな中で綺麗汚いなんぞ不要!!
誰が決めた!?
誰が綺麗に食べないといけないといった!?
そんな事を言う奴は地べたに這いつくばりながらク○でも食ってろォォオ!!!
炎条寺) 「肉ッ!! 即ち神秘の美! 身体を作り出す源ォ! 魚心あれば肉心ォ! 旅は道連れ肉情けェェイ!!!」
叔父) 「酒肉竹林ッ! 焼肉定食ッ! 鶏肉胸肉ッ!! 肉巻豆腐ゥ!! ポォゥルトゥリィィィィイ!!!」
叔父・炎条寺) 「ファイヤァァァァァァアアア!!!」
夏来) 「うっ……あっ…熱いっ!」
空中で箸を交える叔父と炎条寺。
カシッビシッと音を立てながらぶつかり合う様は、まさに剣と剣の闘いを見ている様だった。
幻花) 「はぁ……いただきます」
その傍で静かに正座をしながら、自分のご飯とお味噌汁を持ってきた幻花が手を合わせて食べ始める。
それを見て夏来と仙座も、2人を避けながら山賊焼きを一つずつ取ってご飯と一緒に食べる。
仙座) 「どうしてこんなに熱くなれるのかねぇ〜私には理解できないねっ!」
叔母) 「はい、馬刺しもあるわよ〜」
と、そこへ新たな料理を叔母が運んで来る。
馬刺しと聞いた瞬間、それまで2人の争いを笑い物にしていた仙座が血走った目を見せた。
仙座) 「馬刺しッ! 美味しッ! コク深しッ! 我が腹中に一片の肉無しッ!! ホース博士、お許しくださいッ!!」
そして馬刺しをこれでもかと口に頬張りながら、2人の争いに自ら突っ込んでいく仙座であった。
叔父・炎条寺・仙座) 「ハァァァァァアア!!!」
夏来) 「ぅ…お腹いっぱい……ご馳走様です…」
幻花) 「ご馳走様でした、とても美味しかったです」
叔母) 「あら そう? ふふ♪ なんだか嬉しいわ」
ご飯とお味噌汁を平らげ、手を合わせてお茶碗を片付けに行く夏来と幻花。
台所で横に並びながら洗い物をしていると、不意に幻花がクスクスと笑い出した。
夏来) 「え、ど、どうしたの?」
幻花) 「いっ…いやね…ふふ……見た? あの3人のお茶碗の中のご飯……ふふ」
夏来) 「いやぁ…見てなかったけど……な、何かあったの?」
幻花) 「ご飯がカッピカピだったの! くふふ……あはは!」
案外、幻花は笑いの沸点が低いんだなぁと感じた夏来。
しかし、笑いの沸点が低いのは社会に出た時、意外と役に立つんだと聞いたことがあったのを思い出し、少し羨ましい気持ちも抱いていた。
叔母) 「ほらほら〜手止まってるよ! イチャつくのは後々!」
夏来・幻花) 「べ、別にイチャついてなんかぁ!」
トンッと2人の肩に手を掛ける叔母。
その直後に言い放った言葉をかき消すかの様に、大声で見事にハモった2人。
その姿に叔父との学生時代の日々を思い出す叔母。
───余談だが、この夫婦は学生時代を共に過ごし、行く学校も全て同じな言わば幼馴染らしい。
叔母) 「ま、それはそうとお風呂沸かして置いたから好きな時に入りな? んじゃおっ先〜♪」
そう言い残すと、軽いステップを踏みながら叔母は自室に寄って着替えを持ち、お風呂場へと向かった。
洗い物もひと段落し、他にやる事が無くなった夏来は、話があると幻花に誘われ、未だに争いを繰り広げている3人の横を通り過ぎて、客室へと続く長い縁側へと腰を下ろす。
月明かりに照らされながらの2人きりという状況に、夏来が手を絡ませながらモジモジとしていると、幻花が悲しそうな声で話し始めた。
幻花) 「ねぇ夏来……? その……変なこと言っちゃうけどさ、私たちって何時もこの4人だったっけ?」
夏来) 「え? どう言うこと……?」
幻花) 「なんか足りないのよ……上手くは言えないんだけど……誰かを忘れている気がするの とっても大事な……私たちにとってかけがえのない存在を」
夏来) 「かけがえの……ない……ァッグ!?」
その幻花の話を聞いた途端、激しい頭痛が夏来を襲った。
これまで味わったことの無いような痛みの中で、身体の力が抜けて行くのを感じる。
幻花) 「な、夏来? ちょっと大丈夫!?」
幻花が異変に気付き、夏来の体を揺さぶる。
グラグラと揺れ動く身体が、大きく後ろへと引っ張られる感覚に襲われる。
意識が朦朧としている中で、夏来は何とか踏みとどまろうと力を入れた。
しかしその努力は無駄に終わり、次に夏来を襲ったのは何処までも深く、ぽっかりと穴が空いた白色の想い出だった。
そこに落ちて行く夏来。
見上げる彼方からは、今にでも消えかかりそうな幻花の弱々しい声。
そんな中、背後から夏来の名前を呼ぶ声が聞こえて来る。
──誰?
「ボクは夢を司る……まぁ神みたいな存在さ」
──夢──神様?
「今から君を、ちょっとだけ目覚めの空間へと導いてあげる このままじゃ、何の為にボクが存在したのか分からないからね」
──ま、待って! 千代ちゃんは! 皆んなは!? 僕はどうなるの!?
「大丈夫、終わったら元の世界に帰してあげるよ」
───も、元の世界? 終わったらって、な、なにを───
その答えを聞くことが出来ないまま、夏来の意識はプツンと音を立てて切れた───
夏来) 「───なにをするんだ! あ、あれ………?」
それから次に目を覚ましたのは、意識が切れた数秒後だったような気がする。
反射的に飛び起きたせいで前方に倒れそうになる夏来の身体を、誰かがそっと支えた。
夏来) 「は…はぁ…あ、危なかったぁ……ありがとう千代ちゃん……」
冷たい手が夏来の手首から離れ、振り向きざまに助けてくれたであろう幻花に感謝の言葉を言う。
が、振り向いて顔を上げた夏来の目に飛び込んできたのは、隣に座って居た筈の幻花では無かった。
***) 『何を言っとるんじゃ夏来殿? 幻花殿はすでに寝ておろうに それに……【ちーちゃん】では無かったのかい?』
そして幻花の代わりに声を発したその者は、首を傾げながら不思議そうに夏来を見つめる。
夏来) 「だ、誰ですか……あなた……」
***) 『誰かて? 一体どうしたんじゃ夏来殿 我はニッ────』
見ず知らずの男が目の前にドンと佇み、夏来を睨みつけるような鷹の目を向けていた。
ビクビクと体を震わせながら後退りし、恐る恐る名前を問う。
その質問の答えを一切の躊躇なく答えるかと思われた矢先、突然言葉を詰まらせ、夏来の目を見て納得したかの様にその男は頷いた。
***) 『なるほど、その様子では無事に元の世界に帰れた様じゃの』
夏来) 「な、何を言ってるんですか……」
***) 『いや、こちらの話じゃ ぁぁ…誠に、嬉しい限りじゃ!』
先程から意味不明な言動を繰り返す男と、夢の神だと言い張る謎の声。
この気味の悪い2つの存在に、夏来は今いる場所が自分の居るべきところではないことを察した。
夏来) 「───ここは一体何処なんですか?」
異世界……とは言い難いこの謎の空間。
足元はふわふわとしていて、まるで時折見る夢の中のようだ。
だが、それにしてはハッキリと伝わる手の冷たさや、肌を撫でる暖かい風が妙にリアルである。
しかし、これが現実ではない事は確かだ。
どんちゃん騒ぎをしていた、あの3人が一瞬にして寝るなんて考えられないし、幻花も苦しむ夏来を見捨てるなんて出来やしない。
***) 『そうじゃな……幻叶世界(げんきょうせかい)とでも言っておこうかの お主らは【夢の世界】と言っておったが』
夏来) 「幻叶世界……夢の世界……?」
夏来はその言葉に違和感を覚えた。
何処か懐かしく、切ない、そんな様々な感情が溢れ出してくる。
と同時に、脳内の奥底にある【靄のかかった記憶】に、何やらユラユラと揺れ動く影が見え隠れした。
夏来) 「で……なんで僕が……えっと…その……幻叶世界に……」
しかし、未だに状況を良く把握出来ないでいる夏来。
その様子を見て、頭を悩ませながら低く唸る男は、顎に手を当てて再び話し始める。
***) 『ん───こう言えば伝わるかの……この時間軸の中に存在する【皇 夏来】の身体に、お主の精神が干渉している状態である、と』
空中に指で絵を描く様に説明してくれた男。
話によると、自分の精神が平行世界に存在するもう1人の自分の身体に乗り移っている……らしい。
到底そんなことは信じられないと言い張る夏来。
なかなか理解してもらえず、どうしたものかと考える男が、何かに反応してバッと勢い良く顔を上げた。
その男の視線の先を追った夏来は、広い庭の中央にドンと立派に立つ【ある一本の樹木】を見て腰を抜かした。
夏来) 「う、うわぁぁあ!? な、何アレ!?」
樹木全体に覆い被さる様に現れた、白く輝く謎の靄。
それを直視し ガタガタと震えながら、振り向きざまに男へ向けて叫び散らす。
恐怖に怯える夏来とは違い、落ち着いた表情のまま正座をし、深くお辞儀をする男の姿に驚愕した夏来が、再び靄の方へと振り返った。
その時だった────
「あーそんなことしなくていいよ! ボクたちの仲じゃないか〜」
突然聞こえる、側に居る男以外の声。
それはこの世界に来る直前に、白色の穴の中で聞いた声だった。
***) 「では……お情けに甘え」
「そうそう、堅っ苦しいことなんていらな──あ……やぁ皇 夏来君! どう? この人と会ってみての感想ってのは───ま、でも記憶消えちゃってるんだよねぇ! 残念残念〜」
夏来) 「え……ぁ…は……?」
どうやら この楽しげな甲高い声を出しているのは、目の前に見える靄からのようだ。
そんな謎の物体が人間の言葉を話すと言う状況に、これ以上ないほど身体が硬直して声が出せなくなる夏来。
「おっと、こんな姿じゃ君には少々 刺激やら何やらと強すぎたかな? ──じゃあ、これはどうかな?」
そんな状態の夏来を落ち着かせるべく、その靄は次の瞬間、地面にボトリと落ちたかと思うと、足の指先から人間の形を創り出していく。
全身を白一色で統一された仮の姿。
そして顔が露わになると同時に、その身体から光が弾け飛び、普通の人間と対して変わらない外見へと変貌を遂げた。
「ん〜……やっぱり人間体はキツイね〜 身体が重すぎるっての」
悪態をつき、癖っ毛の目立つ髪をかき上げながら2人に近付く【靄だったモノ】。
その容姿から分かる事としては、小柄で幼い中学生くらいの美少年であることのみ。
***) 「夏来殿、紹介しておこう……この方は先程話した″世界,, ───分かりやすく言わば【幻叶世界】様そのものであられる」
夏来) 「え……げ、幻叶世界って……」
幻叶) 「よろ〜! 幻叶って呼んでね! 擬人化参上ッ!」
内股で身体を少し斜めに傾け、ニコニコと笑いながら両手でピースの形を作る幻叶と名乗る少年。
その名を聞いた夏来は、周りをキョロキョロと見渡したり、空を見上げたりと落ち着きがない。
幻叶) 「む──」
自分に夏来の目が向いていないことに不満を感じた幻叶が、頰をぷくーと膨らませて不機嫌そうな感じを漂わす。
そんな姿を見て、慌てた様子で夏来の身体を掴み幻叶の方へと向かせる男。
幻叶) 「……今はボクに集中してよ……っぐ……ぅ…」
鼻を赤くし、目をウルウルとさせながら震えた声で言う幻叶。
先程の話を信じるとすれば、この世界自身と呼べる幻叶の機嫌を損ねたり、泣かせたりすれば大変な事になるだろう。
いや、信じるとすればではなく、信じるしかない……目の前であんなのを見てしまったら尚更のこと……
夏来) 「ぁあ! ご、ごめんなさい! ちゃんと聞きます! 聞きますから!」
冷や汗を流しながら叫び、2人がかりでやっとの思いで落ち着かせることに成功し、ホッと胸を撫で下ろす夏来。
涙を袖で拭い、パァと表情を明るくした幻叶が今度は落ち着いて話し出した。
幻叶) 「ごめんね、ボク いっつもあんな感じで……テヘヘ……」
***) 「ゴホン……幻叶様、何か用がおありのようであられたが……」
わざと大きめな咳をし、2人の視線を自分の方へと向けた男は、真剣な眼差しで幻叶の目を見て言った。
それに応えるように幻叶も、それまでのユルさをしまい込み、冷静になって話し始めた──
幻叶) 「うん、夏来君に見てほしい物があって───って遅かったみたい」
だが、その用件とやらを聞くことは叶わなかった。
幻叶と男が夏来をみて悲しげな表情を見せる。
その理由がなんなのかは、直後襲い来る激しい頭痛により、ある程度察しがついた。
手で頭を押さながら苦しそうに唸る夏来を背に、両手を広げて身体から光を溢れ出しながら歩き出す幻叶。
幻叶) 「───ねぇ夏来君!」
その場の暗い雰囲気を壊すかのような明るい声が聞こえた。
顔を上げる夏来の目に映り込んで来たのは、涙に濡れた顔で満面の笑みを浮かべている幻叶の姿だった。
幻叶) 「君のポケットに入れているお守り、絶対に無くさないでね……それは君たちが積み重ねて来た大切な記憶だから もっと伝えたいこといっぱいあったけど、今はこれだけ 後のことは時期にわかる日がくるよ」
夏来) 「記憶……あっ……」
唯、そう最後に言い残して、幻叶は2人の前から姿を消した。
光と化した者は暖かな風に吹かれ、夜空へと昇っていった───
夏来) 「ぁぁ……」
頭痛が段々と治まって来ると、次に意識が朦朧として来る。
そんな中で消えていった幻叶を見届けた夏来は、言葉にならない声を上げた。
***) 「で 気を付け 帰 され夏 殿」
不意に、背後に立つ男が夏来に声を掛ける。
振り返った夏来だが、今にも途切れてしまいそうな意識のせいで、何を言ったのかが良く聞き取れなかった。
しかし、もうこの世界には居られないということは確かだった。
夏来) 「あなたは一体……」
ならばと、最後の力を振り絞って男へ最初の質問と同じことを聞き直す。
***) 「………」
どうやら男は返答に困っているようだ。
正体を明かすだけなのに、どうしてそこまで悩む必要があるのか、夏来にはわからなかった。
夏来) 「ぅぐ……!」
もう自身の意識を保つ事さえままならならず、縁側へ【ドン】と重い音を立てて崩れ落ちる夏来。
全身の力が抜け、「やっと元の世界へ帰れる」と目を閉じたその時、重く閉ざされた男の口が開かれた。
ニッ怪) 「我の名はニッ怪 滝。いくつもの平行世界を渡り歩き、何度もお主の夢を叶える手助けをして来た。この世界は第24番目の平行世界。故に、23番目に助けたのがお主じゃ。」
それまで途切れ途切れに聞こえていた声が、今は不思議なほどハッキリと聞こえる。
何でそんなことを、と口に出そうとした夏来だったが、もはや口を動かす力さえ出せなかった。
それでも構わず、【ニッ怪 滝】と名乗った男は話を続ける。
ニッ怪) 「何故にそのようなことを、とでも思っておるかの? 我も好きでやっておるわけではない……仕方なくじゃ。 ある妖怪に呪いをかけられての、孤独な少年の願いを叶え続けるというもんじゃった。」
先を話すに連れ、低くなっていく声のトーン。
過去に何があったのか、それは話を聞いても分からないことだらけだが、夏来には想像も出来ないことがニッ怪にはあったのだろう。
ニッ怪) 「初めは馬鹿馬鹿しかった。何故我ともあろう者が人間風情を助ける必要があるのかと……じゃから無視をした。出会うべき者とは反対の生を送った……だが長くは続かなかった。お主が死ねば我も死ぬ……それがこの幻叶世界と我が呪いにかけられた罪の重さ。」
夏来) 「……………」
ニッ怪) 「それからはお主らと行動を共にした。何度も何度も失敗しては次の世界へ……そうして行くうちに段々とお主らと居るのも悪くないと感じて来た。そんな中で始めて夏来殿が願いを叶えられたのが、お主が住む第23番目の平行世界じゃった。我自身は薄々気づいておった……我がお主らを信用するに連れて、それまで存在しなかった時間や人物が増えて行くことに。糜爛殿たち、そして悟神殿やゾルバースなどの敵が現れたのも、お主の世界が始めてじゃ」
先程の低いトーンから一変、今度は自身の進歩について楽しそうに話すニッ怪が想像できた。
この先も彼は、自分にかけられた呪いを解く事が出来ず、幾多の【幻叶世界】を彷徨い続けることだろう。
しかし、それは苦を生み出すだけのものではない。
人間と死神との信頼を得る為の【手段】である。
彼は、その一歩を【皇 夏来】という少年と共に歩みだしたのだ。
ニッ怪) 「──少々、話がすぎたかの……」
夏来) 「っ……」
今にも消えかかりそうなニッ怪の声に、夏来は なんとかゆっくりと小さく首を横へ振った。
そんな僅かな反応を見て、嬉しそうに笑うニッ怪の声がする。
ニッ怪) 「何時迄も変わらんの、お主の優しさというものは」
そう小さく呟いたニッ怪は、過去を懐かしみながら右手を夏来の背に当てる。
ニッ怪) 「───もう2度とこの世界に来てはならぬぞ。仕事を…増やされてしまっては……敵わんからの!」
涙に震える声が聞こえた直後、背中から伝わる衝撃波に、それまで支えて来た夏来の意識は一瞬にして崩壊した。
そして その世界から去る直前、脳内にニッ怪からの最後の言葉が流れた。
【感謝致すぞ 夏来殿】
ミーンミンミンミンミンミーン……
夏来) 「ぅぐ…ぁ……ぃ… はっ!」
真夏の焼けるような日差しと、うるさいほど耳に入ってくる蝉の声に夏来は目を覚ました。
勢いよく飛び起きたせいで、額に当ててあった冷たいタオルが足元にポトリと落ちた。
それを拾い上げて辺りを見回す夏来。
枕元には氷が入っていたであろう、キンキンに冷えきった水の容器とペットボトルが置かれてあった。
夏来) 「ぁ……」
ある程度の状況判断が終わり、夏来は自分が頭痛で倒れたことを思い出した。
だが、それ以上のことは思い出せそうにない。
誰かと話していた気がする、辛うじて記憶の中にあるものはこの位だ。
夏来) 「……まぁいいか…」
あまり深く考えないで行こう。
どうせ下らない【夢】なんだから。
そんな思いのまま客室を後にした夏来は、微かに聞こえる声の方向へ歩いて行った。
風鈴が折々思い出したかのように、リンリンとなる廊下を進む夏来。
床がギシギシと嫌な音を出す廊下を進むにつれ、その声の発生源が昨日食卓を囲んだ居間からであることが分かった。
締め切った窓をゆっくりと開けると、中に居た人影が夏来へと身体を向けた。
炎条寺) 「おっやっと起きたか 具合はどうだ?」
そこに居たのは、横に寝そべりながらテレビを見ている炎条寺だった。
夏来) 「うん……なんとか痛みは引いたよ それより……炎条寺君1人なの?」
炎条寺) 「あぁ、もうこんな時間だしな。叔父さんは仕事に行くって言ってたし、あの2人は叔母さんの買い物に付き合ってる。ま、俺はこの家を守る為にも留守番ってわけだ」
炎条寺が、テレビの上に掛けられている古ぼけた時計を横目に話す。
その時計の針は、午前9:30を指していた。
昨日の夜から今までとなると、約10時間程度気を失っていたことになるのだろう。
着ている服も昨日のままだ。
夏来) 「単に買い物がめんどくさかったからでしょ、行かなかったの」
炎条寺) 「げっ……ん、んなこたーねぇよ! ってそんなことは良いから、顔と歯磨きぐらいはして来いよな! ついでにシャワー浴びてこいッ!!」
痛いところをつかれたと言わんばかりの慌て様で、炎条寺が居間から夏来を追い出す。
夏来) 「わっ、わかってるよ……むぅ……」
ムスッとした態度のままその場を後にし、今日の分の着替えと歯ブラシを持って脱衣所へと向かう。
脱いだ服をカゴに入れ、軽くシャワーを浴びて
風呂場から上がる。
濡れたままの全身を頭から下へとバスタオルで拭いた後、ボサボサな状態の髪の毛をドライヤーで乾かし始める。
夏来) 「ふぃ……」
暖かな風に吹かれて気持ち良さげに息を吐く。
髪全体がある程度乾いてくると、パサパサ髪対策として冷風でサッと仕上げる。
夏来) 「よしっ、歯磨きっと……うぅ……」
髪の毛を乾かした後は歯磨きが待っていた。
昨日は昼を電車内で食べたせいで、昼食後の歯磨きをしていない。
そして夜には頭痛が重なり出来ずじまい。
実質、丸一日分の歯磨きが溜まっているのだ。
そんな事を考えながらだと、とても気持ちが悪い。
今日はいつもより念入りに、と歯ブラシを持つ手に力が入る。
ゴシゴシと上下左右にゆっくり動かすこと約5分、虫歯予防の為にも3回のうがいで済ませて終わった。
夏来) 「んむむ……」
歯磨き粉の苦い味を感じながら、長い長い廊下を歩いて行く。
ガラガラガラ───
その時、真っ正面に見える玄関の戸が音を立てながら横へと開いた。
中へ入って来たのは買い物に行っていた叔母達だった。
それぞれがパンパンに膨れたビニール袋を手に下げ、やっとの思いで玄関マットの上に置く。
夏来) 「おかえり〜」
そう何気なく話しかける。
その声に反応して、バッと顔を上げた幻花は素早く靴を脱ぎ、夏来の元へと駆けつける。
幻花) 「な、夏来! あんた大丈夫なの!? 立ちくらみは? 頭痛は!?」
夏来) 「え……ぁ…だ、大丈夫だよ なはは…」
目を見開き、肩を掴んで揺らす。
少々大げさ過ぎではないか?と思いながらも、今は元気なことを表すべく、咄嗟に笑顔を見せた。
幻花) 「そ……そう……良かった……」
途端に、幻花の手の力が弱まった。
深い息を吐きながら壁にもたれかかる。
その姿は、逆にこちらが心配になってしまうほどの焦りようだった────
叔母) 「何はともあれ 元気そうね、 良かった良かった」
仙座) 「夏来完全復活を祝って〜? ジャーン!」
荷物を台所に運んだ3人が、夏来と炎条寺が待つ居間へと入ってくる。
仙座の両手には【果物ミックスジュース】の二種類のパックが握られていた。
そして叔母からは人数分のコップ。
夏来) 「あれ、叔母さんは?」
それぞれの手元に支給されるコップだったが、最後の1人、肝心の叔母の分がなかった。
叔母) 「あ〜いやいや、大丈夫よ 今から夕方まで仕事だからね〜」
そう呑気に話す叔母の目には、疲れの症状が現れている。
それを察知した夏来たちが、叔母から仕事内容を聞き出した。
叔母) 「いやぁね……裏の畑の野菜を収穫しなきゃならないのよ〜 それが終わったら今度はたこ焼き屋の準備」
仙座) 「えっ! たこ焼きぃ!?」
仙座の目がキラーンと光る。
突然振り向いた仙座にビックリした叔母が、動揺しながら返事を返すと、目を見開きながら息遣いが荒くなり始める。
幻花) 「ゆりかは たこ焼き好きだもんね〜?」
仙座) 「うんっ! 大大大っ好きぃ!! 叔母さん! たくさん作ってね!」
夏来たちは知らない、2人だけの情報。
先ほどの反応から見るに、仙座は相当な たこ焼キラー! なんちゃって☆
夏来) 「………」
炎条寺) 「うぅ……なんか急に寒くなったな……ジュースはお預けにしようぜ……ぉぉぅ…」
幻花) 「じゃあ この機会に、叔母さんの仕事のお手伝いでもする? ただ厄介になってるだけじゃ迷惑よ」
夏来) 「そうだね、こんな時にこそ身体を動かして寒さを忘れなきゃ!」
それから夏来たちは玄関を出て裏手に回り、軍手をつけて作業に取り掛かった。
大きな畑に実るナス、ピーマン、トマトに胡瓜。
夏野菜を代表するものがそこにはあった。
仙座) 「おぉ〜! これ大きいよ! ほら!」
幻花) 「あ、ほんとね でもこっちも負けてないよ?」
仙座) 「なっ!? ぐぬぬ……」
随分と楽しそうにはしゃぐ幻花と仙座。
その傍で、夏来と炎条寺は首筋を焼かれながら苦しそうに畝る。
───今日はいつにも増して、日差しが強く感じる日だった。
炎条寺) 「あ゛あ゛疲れたぁ…」
太陽が天高く昇り、さらに気温が高まってきた昼頃、一通り作業を終えた夏来たちは居間で風に当たりながら涼んでいた。
叔母) 「みんなありがとね〜本当に助かったわ〜」
そこへ笑顔で礼を言いながら、両手で大きな容器を抱かえて持ってくる叔母。
ドンっと重そうな音を立てて、テーブルの上に置かれた容器の中を覗くと、先ほど採れたばかりの胡瓜とトマトがトッピングしてある大量の素麺が入っていた。
夏来・幻花) 「わっ…」
山の様に盛られた素麺に、思わず声が漏れる夏来と幻花。
それぞれが麺つゆを受け取ると、夏来達は手を合わせ、割り箸をつまんで食べ始めた。
最初は完食は無理だろうと諦めていた夏来だったが、炎条寺と仙座が人一倍食べてくれたおかげで、意外にも早く量は減っていった。
食後。
闇籠神社へ行こうとなった夏来達。
しかし、肝心の御守りを無くしてしまっていることに気がつき、炎条寺と2人で部屋中を探し回っていた。
仙座) 「2人とも、まだ─?」
炎条寺) 「わ、分かってる! クソっ…どこにあんだよ…」
廊下から仙座の声がし、焦りながら探る手を急がせる2人。
仙座) 「もう行くよ──!」
夏来) 「あっ! あった!」
その時、夏来がちゃぶ台の足の下に挟まっていた御守りを見つける。
素早く取ってポケットに入れる夏来。
ドタドタと部屋から出ると、玄関で呆れた様子の2人が待っていた───
炎条寺) 「あ……暑………」
夏来たちを容赦なく襲う、燦々と降り注ぐ太陽の陽射し。
家から出たばかりだというのに、すぐにも汗が吹き出し始める。
トボトボ……トボトボ……
暑さにやられて話す気力すら無い男子2人。
前のめりになって今にも倒れそうだ。
夏来) 「外……嫌い……」
炎条寺) 「俺、一生引きこもりの親不孝なクズニート野郎でもいいから、クーラーとポテチと快適な空間が欲しい……」
額から流れる汗を拭う。
それは運動をして気持ちいい!って時のような爽やかな汗などではなく、ただ単に不快なものだった。
肉体的に、そして精神的に参るのも時間の問題だ。
山の入り口までの距離を測る為、希望を胸に顔を上げる2人。
するとちょうど、曲がり角から数人の幼い少年たちが現れた。
短パンに白シャツ、麦わら帽子に虫かご、そして虫取り網。
ドラマや漫画でしか観たことの無いような【ザ・虫取り少年】が夏来たちの横をはしゃぎながら通り過ぎて行く。
その後ろ姿を追って、振り返り見てみると、互いに寄り添って日傘を持ち合う幻花と仙座の姿が目に映り込んで来た。
炎条寺) 「なっ!? テメェらやけによく喋るなと思ったら日傘かよォォオ!!」
夏来) 「ズルイ……」
冷ややかな視線を送る夏来と炎条寺。
幻花) 「持ってこなかった、あんたたちが悪い ね〜ゆりか♪」
仙座) 「そーだそーだ! 友喜はともかく、夏来は肌焼いた方がいいって、それ一番言われてるから」
夏来) 「うぅ…それはそうだけど……」
自分の痛い所を指摘され、嫌そうな表情を見せる夏来。
学校に行く以外、ほぼ家の中で日光の当たらない生活を送ってきた夏来の肌は、中学生時代
に【色素くん】や【コウメ太夫】と言われるほどに色白だった。
しかし、夏来の中学時代を知る者はこの中には居ない。
自分から口を滑らせない限り、3人は夏来の真実を知ることはない。
ホッと胸をなでおろし、安堵の息を着く。
だが そんな夏来を裏目に、夏来の過去を聞きたいと言ってきた仙座が不気味に微笑む。
それにつられて炎条寺と幻花も、擦り寄ってくる。
夏来は3人を振りほどこうと、他の話題を持ち出すために頭を悩ませた。
それから約10分後、山の入口へとたどり着いた夏来たち一行。
その頃にはもう話の話題は、最近のニュースやゲーム、面白かったYouTuberなどになっていた。
祭り会場となる平地へと続く長い石段を登っていく。
時折吹く風が周りの木々を揺らし、涼しげな音を奏でていた。
息を切らしながら石段を登り終わると、作業をする大勢の人たちが目に映り込んできた。
作業の邪魔にならない様にと、端を進んで反対側へと出る。
周囲を見回す夏来たち。
すると炎条寺が茂みの中に壊れかけの石段を発見する。
覆いかぶさる木々の葉を掻き分けながら登って行くと、目線の先に小さな赤い鳥居が見えてくる。
夏来) 「ここが闇籠神社……ん?」
鳥居をくぐり抜け、周囲を見渡す夏来たち。
すると、巫女姿の小柄な少女が箒を片手に境内の掃除をしていた。
夏来たちに気付いた少女は目を見開いて固まっている。
夏来) 「あ、あの……」
と夏来がポケットから取り出した例のお守りを右手に、石灯籠の両脇を通り過ぎた瞬間だった。
そのお守りが目を塞ぐほどに光り輝き出し、夏来たち4人に襲いかかってきた───
───あなたは覚えていますか?
夏来) 「──え?」
何処からともなく聞こえてくる、自分とよく似た声。
辺りは真っ暗な空間に包まれており、一歩先さえも見えない。
炎条寺) 「お、おい! なんだよ此処!?」
幻花) 「夏来の声……? ど、どうなってるの……?」
そんな中、背後からの震え声に夏来は振り返る。
そこには、怯えた様子の炎条寺と幻花が立っていた。
仙座) 「………ふっ」
その横で無言のまま、何も無い空を見上げる仙座は、目を瞑ってクスッと小さく微笑む。
そして夏来は炎条寺たちを横目に、再び聞こえる声に耳を傾ける。
───僕たちが過ごした、あの時間を
夏来) 「僕たち……」
───君の夢を叶えるための、夢の世界を
【夢の世界】
その言葉を聞いた瞬間、夏来は今朝 目覚める前に見ていた夢を思い出した。
ニッ怪 滝と言う人間、そして幻叶世界だと名乗る自称【神】
彼らに会ったのは初めてだったが、今になってみると何処と無く懐かしさを感じる。
夏来) 「僕は……何かを忘れているの?」
───君が叶えた願いは、君自身が取り戻さないといけない
突然、それまで思ってもいなかった言葉が、夏来の口から溢れ出してきた。
その言葉に、悲しそうな口調で答える声。
夏来) 「教えてよ! 僕は一体何を──」
──その時だった。
夏来の記憶の片隅に存在する、靄の掛かった記憶。
それを囲む見えない壁に、中心から縦に小さなヒビが入る。
夏来) 「ガァッ……!」
それを感じ取った夏来は、突如襲い掛かってくる心臓の締め付けられるような痛みに、胸を押さえながら膝から崩れ落ちる。
幻花) 「夏来! 大丈──」
夏来の元へ駆け寄る炎条寺と幻花。
だが、同時に全身の力が奪われていく感覚に、数歩進んで堪らず地面に倒れこんだ。
───どうか、思い出して欲しい
そして、その言葉を最後に、語りかける声は聞こえなくなってしまった。
徐々に痛みが引いてくると、辺りに漂う闇が段々と晴れていく。
炎条寺) 「なんだよ…あれ……」
手をついて立ち上がった炎条寺が、ある一点を見つめて呟く。
その目線の先を追うと、何かの映像が流れているスクリーンのようなものが現れていた。
仙座) 「……」
それを見つめながら立ち尽くす仙座の側まで駆け寄り、夏来たちも映像に見入る。
そこに映るのは、どれも夏来たち4人と、1人の長身の男。
楽しそうに話すその姿に、炎条寺と幻花は違和感を覚える。
炎条寺・幻花) 「夢の世界……夏来の願い……」
ふと我に帰った時には、そう口に出していた。
そして全てを見終わった瞬間、夏来たちの記憶の片隅にある、靄の掛かった記憶を囲む見えない壁が、大きな音を立てて弾け飛ぶ。
仙座) 「そうだったんだね……」
無数の光に包まれた記憶が、靄を振り払いながら噴水のように溢れ出てくる。
みんなと過ごした日々。
悟神やゾルバースたちとの死闘。
流した血と経験した数々の死。
そして叶えられた願いと、訪れる別れ。
炎条寺) 「そうだ……俺たちは夏来の願いを叶える為に……」
幻花) 「敵と戦って……傷ついて……失って……光を得た……」
全てを思い出した夏来たち。
あの世界で起きた、幻想的な夢物語を───
夏来) 「ニッ怪……くん………くっ…うぅ……」
炎条寺・幻花) 「夏来……」
振り返る2人。
そこには蹲りながら、大粒の涙を流す夏来の姿があった。
身体を震わせながらも必死に耐えているようだったが、漏れ出す悲痛な泣き声が、事の重さを物語っていた。
仙座) 「今は、そっとしておこうよ」
背後から聞こえる仙座の声に相槌を打ち、夏来の後ろ姿を見つめながら、3人は遠のいていく意識に身を任せた────
カナカナカナ……と鳴く【ヒグラシ】の澄んだ高い音調に、横たわる夏来たちは目を覚ます。
畳の独特な匂いに、どうやら室内へと運ばれているのが分かった。
???) 「あ、起きた起きた」
それと同時に、先に意識を取り戻していた仙座のクスクスと言った笑い声に混じって、聞き覚えのある声が聞こえて来る。
夏来) 「あ……ぁ!」
???) 「ふふん! ようやく思い出してもらえたようだね〜 幻叶様に感謝しなきゃね!」
そこにいたのは、夢の世界で戦った時と同じ黒生地の巫女服を着た【大橋 享奈】だった。
それぞれが驚きの表情を見せるのを、面白おかしく笑う享奈と仙座。
炎条寺) 「お前も、無事にこっちに戻ってきたんだな」
享奈) 「へへっ、なんとかね〜 あっ」
その時、祭り会場から作業終了のお知らせ放送が流れてくる。
古時計を見てみると、針は午後6時半を回っていた。
享奈が「ちょっと行って来る」と言って出て行く。
数分後。
ドタドタ と廊下を歩いて来る足音が聞こえ、顔を上げる夏来たち。
1人分の足音ではないことから、先ほどの発言は誰かを迎えに行っていたのだと察した。
享奈) 「おまたせ〜」
スゥーと戸が開かれる。
享奈に続いて室内へと入ってくるその人影を見るやいなや、目を見開いた炎条寺が戦闘態勢に移る。
両手に力を込めて炎を出そうとするが、当然のことながら出るはずもない。
炎条寺) 「あ……って……今の俺はただの人間じゃねぇか……」
そんな炎条寺を見て、やれやれと呆れた様子でその場に腰を下ろす男。
???) 「よっこらせ……ふぅ…いつかは貴様らが此処へ来るとは思っておったが……よりにもよって夏祭り前日とはな」
夏来) 「あっ…す、すいません…」
そう言って頭を下げる先にいたのは、この闇籠神社の守り神であり、夢の世界で対立した勢力の一つ。
【悟りを操りし神】悟神 霊鳥。
その威圧感は未だ健在で、目の前にしてる夏来たちは緊張からか、冷や汗を流し始める。
悟神) 「ふっ…気にするな………それより、よくぞあのゾルバースとやらに打ち勝ったな皇 夏来」
夏来) 「いえ……皆んなの力無しじゃ、勝てませんでしたよ」
悟神) 「クックック……そうか……皆の力ねぇ〜」
丸テーブルに肘をつけ、指を絡ませながら興味深そうに話をする悟神。
そんな彼が見つめるのは【皇 夏来】のみ。
他の者になど興味を示さない様な姿勢に、堪らず口が動く炎条寺。
炎条寺) 「オイ、話に割り込んじまうけどよ、この世界でもテメェは悪さを働くのかよ?」
その一言に、一瞬 嫌な表情を見せた悟神だったが、自分も聞きたいと言わんばかりの目線を向ける夏来を見て、深いため息をつきながらも応える。
悟神) 「忌々しい能力者が居ないこの世界で 一体なにをしろと? 第一 我自身も能力は無くしておる それに───今は我が娘を大切にしてやらんとな」
幻花) 「え? お子さんがいらっしゃるんですか?」
我が娘、確かにそう聞こえた。
決して聞き間違いなどではない。
一体どういうことなのか?
それをハッキリさせる為、幻花は悟神に対して疑問を投げかける。
すると、横にいた享奈が肩をツンツンと突く。
享奈) 「いるも何も、私がそうだよ」
仙座) 「あれ? 確か……苗字 大橋じゃなかったっけ?」
その発言に仙座は、顎に手を当てて思い出したかの様に呟く。
彼女の本名は上記で書いたように【大橋 享奈】だ。
享奈) 「あーそれはもう捨てたんだ〜 今は悟神 享奈って名前で通ってるの♪」
【悟神 享奈】
初めて聞く名に、なるほどと納得した夏来たち。
夢の世界で独りきりだった享奈にとって、この悟神という者の存在は大きかった。
実の親よりも深い愛情を受け、信頼しあい、認め合い……
人間を心底嫌っていた悟神も、彼女だけは嫌いになれなかった。
そしてこの日々が永遠に続くことを願って、本当の家族になった───
ボーン……ボーン……
そんなことを想いながら話を続けていると、夏来たちの耳に午後7時を告げる古時計の音が聞こえてくる。
悟神) 「おっと、話が長引いてしまったようだな……もう帰ったほうが良い」
享奈) 「気をつけてね」
そう言われて、叔父と叔母の心配する顔が頭に浮かんだ夏来たち。
初日のように泣きつかれては敵わない。
まだ外は薄っすらと明るい。
早々に帰宅したほうが身のためだろう。
夏来) 「では…また」
去り際に軽く会釈をし、夏来たちは闇籠神社を後にした。
夏来は幻花と横に並んで歩きながら、沈みゆく太陽をその目に映した。
森を抜ける頃には辺りはすっかりと暗くなっており、見上げる夜空には無数の星々が輝いていた。
遮る雲一つない、とても綺麗で美しく──そして何処と無く悲しげな空。
こんな想いになるのも、あの世界で成長したからなのだろうか………。
……………………。
……………。
………。
夏来たちはコンビニで買ってきた夕食を食べ終わり、お風呂を済ませた後、テレビもつけずに物静かに居間で寛いでいた。
眠たそうに目をこする夏来の手には、客室から持ってきた薄い毛布が握られている。
炎条寺) 「…………」
いつもは楽しそうにスマホをいじる炎条寺だったが、その時ばかりは何やら思いつめた表情をしていた。
闇籠神社での出来事がまだ受け入れられ無いのだろう。
実際、幻叶世界の生みの親である夏来自身であっても、あっちの世界で過ごした記憶と、こっちの世界で過ごした記憶が混じり合っている今の状況に、頭を悩ませている始末だ。
唯でさえ頭がおかしくなりそうな状態なのにもかかわらず、あっちの世界の記憶で体感した【友の死】又は【自身の死】が、余計に心を締め付けていく。
ドタドタ……ドタドタ……
遠くから此方に向かってくる足音が聞こえる。
次に居間の窓が少し開くと、叔父が顔をヒョッコリと出してきた。
叔父) 「あんまり夜更かしすると、明日起きられないぞ〜 長起きもほどほどにな」
そう言い残し、叔父は寝室へと戻っていった。
それからどれ程の間 悩んでいたのだろう……。
時計の針は午後11時を回っていた。
明日の為にも早く寝る、と言った幻花に続いて、仙座もトボトボと後をついていく。
幻花と仙座は先に寝て、部屋には夏来と炎条寺の2人きり。
夏来は横になって薄い毛布に包まり、寝入っても良い体勢を取っていた。
網戸の外からは、虫の鳴き声が聞こえてくる。
そして部屋の片隅からは扇風機の音。
目を開けた夏来の視界に、風に当たりながら気持ち良さげな表情を見せる炎条寺の姿があった。
炎条寺) 「なんだ、起きてたのか」
パチッ…
起きている夏来に気づいたのか、炎条寺が扇風機を止めて、右手をテーブルの上に置き 顔だけを向けながら話す。
夏来) 「なんだか、不思議だよね……夢の世界でおきたこと……」
炎条寺) 「あぁ、そうだな……」
夏来) 「………」
2人が黙り込むと、先程までの静寂が再び訪れる。
虫たちの声が聞こえる……
騒がしい都会の街中とは違い、田舎町の夜というものはこんなにも過ごしやすく、そこに住み着く虫たちの世界となりうるのだろうか……
炎条寺は、ふとそんなことを思った───。
炎条寺) 「よっしゃ、今日は飲むぜっ! オールや!」
冷蔵庫で冷やしてある、夏来たち用に買ってきたジュースを2本抱き抱えて持って来る。
それからはコップに少しついではグイッと一気飲み。
またコップに注いでは一気飲みと、まるで酒でも飲んでいるかのような雰囲気で時間を潰していく。
飲んで忘れようとしているのだろうか?
程々にね、と半目で忠告した夏来は、壁の方を向いて目を閉じる。
静かな涼しい夜。
時折ジュースをコップに注ぐ音が聞こえるだけで、他には物音すらしなかった────。
ペンギン) 「おはよぉ!こんちわぁ!こんばんわぁ!おやすみぃ!おきてええええええええええええええええ!!!!!!!!」
目の前にいるペンギンが、耳を塞ぐ夏来へ挨拶をする。
うるさいペンギンだなぁ……
ぴょこぴょこと跳ねたり、顔に手をビシバシと叩きつける。
その柔らかい食感に、ぬいぐるみの類だと理解した。
───いや、普通に考えてペンギンがこんなとこにいて、人の言葉を話す訳がないんだが………。
眠い目をこすりながら起き上がる。
それはキャッキャッとはしゃぎながら、客室の方へと駆けて行った。
その後ろ姿と声から、この爆音目覚まし犯人として、ある1人の少女が浮かんで来る。
間違いない、仙座ゆりかだ。
いつもよりご機嫌そうな声が家中に響き渡っていた。
ドタドタ……バタバタ……
そして落ち着きがない。
夏来) 「(そういえば、今日って夏祭りだったっけ…)」
顔を洗い、歯を磨く夏来。
そして今日がなんの日かを察し、仙座のあの様子に納得がいく。
時計を見ると、もうすぐ昼になる頃だった。
夏休みに入ってからと言うもの、なかなか早起きが出来ない日々が続いている。
日頃の疲れが溜まっていたのだろう。
先程までも、仙座の声に起こされるまで熟睡していたようだった。
ガヤガヤ……
外からは大勢の人々の声。
祭り当日ともなれば、それは村中も賑わうだろう。
仙座) 「きゃ──!」
そして客室の方からは仙座の叫び声。
何事かと客室の方へと急ぐ夏来。
すると、ペンギンのぬいぐるみを抱きしめた仙座が焦った様子で出てきた。
仙座) 「どいてどいてぇ!」
夏来はその声に反応して素早く避け、壁に背中を打つける。
走り去って行く仙座の背中を見届け、再び客室の方へと振り向く。
すると、中から別の声が聞こえて来た。
炎条寺) 「がお──! 待て待て──って うわぁお!?」
部屋から飛び出して来た炎条寺が、目の前に現れた夏来の姿を見て高声を上げた。
夏来) 「えっと……何やってるの?」
炎条寺) 「見れば分かるだろ 弱肉強食ごっこだ」
夏来) 「何それ!?」
初めて聞く単語に、すかさず疑問を投げかける。
そのとき、台所の方から「あれー!?」と仙座のショックを受けたような声が聞こえてきた。
台所の戸を勢いよく開け、中にいる仙座に声をかける。
仙座) 「ほら見てよ! ジュースの買い置きがなくなってるんだけど!」
炎条寺) 「買いに行くか? まったく……いつの間になくなったんだか…」
呆れた様子で腕組みをしながら話す炎条寺を見て、昨日の夜中の出来事を思い出す夏来。
「今日は呑むぜっ!」
とか言って、グビグビとジュースを飲み干して行く炎条寺の姿が映った。
夏来) 「え、それは昨日炎条寺君が…」
炎条寺) 「だぁ──っ!! 知らない知らない! 昨日の夜中にジュースを2パックも飲んだことなんて知らん!」
仙座) 「む?」
夏来) 「自分から言っちゃうのか…」
炎条寺) 「いいから行くぞっ! 俺の金で買ってやるよ!」
仙座) 「あ、じゃあお菓子も買ってよ! 奢りだ奢りだ♪」
そう言い残し、2人はドタドタと忙しい音を立てながら外へと飛び出していった。
そして1人残された夏来。
シーンと静まり返った家の中を歩いている時、二階からの突然の物音に驚いた夏来は階段の方を見つめる。
すると、背の高い人影が姿を現した。
夏来) 「叔父さん、おはようございます あの……千代ちゃんは──」
目に映り込んで来たのは、寝癖を弄りながら眠たそうにあくびをする叔父の姿。
叔父) 「あぁ、おはよう 彼女ならたこ焼き屋の手伝いをするって言って叔母ちゃんと出て行ったよ」
夏来) 「人手が足りないんですか?」
叔父) 「さぁ、どうだろうね 夏来くんも行ってみるといいさ もう祭りは始まっているしね」
夏来) 「そうですね……行ってみます」
時刻は昼を少し過ぎ、一層騒がしさを強めた外からの人々の声。
その中を行く夏来は、祭り会場へと足を運んだ。
今日は昨日ほどの暑さは無く、むしろ涼しいくらいだ。
見上げる空には入道雲、そしてその横に描かれた飛行機雲が消えていく。
夏来) 「あ、いたいた」
目線の先に、せっせとたこ焼きを作っている2人の姿が見えた。
幻花) 「いらっしゃ──あ、夏来」
近付いて声を掛けると、商売慣れした口調で幻花がバッと顔を上げる。
叔母) 「あら夏来くん、おはよう」
夏来) 「おはようございます 手伝いましょうか?」
叔母) 「えぇ、そうしてくれると助かるわ」
ニコッと笑った叔母が、夏来を店の裏側へと誘う。
服が汚れると悪いからと、エプロンを着させた。
その時、店先に作業着姿の悟神が現れる。
悟神) 「ご無沙汰しております」
叔母) 「あら悟神さん 最後にあったのはいつだったかね〜 享奈ちゃんは元気?」
悟神) 「えぇ、育ち盛りなもんで食費がかかるのなんの」
叔母) 「ふふっ あのくらいの歳じゃあ そんくらいがええんよ……ま、それにしても まだ若いのに1人で大変ねぇ」
悟神) 「いえ、そうでもないですよ」
そう言って振り返る悟神。
その目線の先には、社会人なりたての様な、まだ幼い顔つきの男女がいた。
夏来と幻花が驚愕の目を送る。
何故ならば、その5人の顔が、夢の世界で出会った糜爛達と瓜二つだったからだ。
すると、多数の視線に気付いた5人は、こちらに向けて大きく手を振るう。
夏来) 「あの……糜爛さんたちは、僕らに気付いてるんですか?」
悟神) 「いいや、あの世界の記憶を持っているのは我らのみだ」
出来上がっていくたこ焼きを、まじまじと見つめながら答える悟神。
どうやら記憶を持つ者は限られているようだ。
しかし等の夏来たちも、あのお守りを持って闇籠神社へ行かなかったら、永遠に忘れたままだった。
そう考えると あの時、学校の屋上に現れた人物は何者だったのか?
そしてどんな思いで、夏来に受け渡したのかが気になる。
夢の世界の記憶を持って、これから何をすれば良いのだろうか。
悟神) 「そうですね……では6パックお願いします」
──それは後々考えよう。
いつかは分かる日が来るはずだ。
今は祭りを……この世界を楽しもう。
叔母) 「はいよ、2人とも 至急あと4つ作るよ!」
夏来・仙座) 「はい!」
元気いっぱいの返事をして、夏来たちは熱気の中、たこ焼きを作り続けていった───
その日の夜。
昼間の賑やかさは夜になっても衰えを知らず、何時もは暗い外でも、今日ばかりは祭りの光に照らされ、仄かに明るい。
炎条寺) 「おっ、出て来たぞ」
家の前で壁にもたれかかる2人に駆け寄る幻花と仙座。
幻花は芍薬の模様が入った紺色の浴衣を身に着け、髪飾りで髪を結い上げている。
一方の仙座は薄いピンク色の浴衣に、牡丹の模様が散りばめられていた。
仙座) 「じゃーん! さぁさぁ見よ! この浴衣姿を!」
夏来・炎条寺) 「おぉ!」
草履のつま先で、クルリと優雅に回る仙座に思わず声が漏れる。
幻花) 「何やってんのよ、早く来ないと置いてくよ」
ムスッと頰を膨らませた幻花が、夏来の手を引っ張ってセカセカと歩く。
「何か悪いことでもしたかな?」と思った夏来だったが、今までの行動を振り返っても、その原因を生み出した言動に心当たりがない。
ならばと夏来は、幻花の機嫌を直すべく横に付いて笑顔で話しかける。
夏来) 「浴衣、千代ちゃんならなんでも似合うね!」
幻花) 「えっ、そ、そうかな?」
似合うと言われたのが少々くすぐったかったのだろうか、幻花の顔がほんのり赤くなっていく。
仙座) 「あ〜! 照れてる〜!」
とそこへ、2人に追いついた仙座が割り込んでくる。
下を向く幻花の顔を覗き込むや否や、わざとらしく夏来と炎条寺にもハッキリと聞こえる声を発した。
幻花) 「べ、別に照れてなんかっ……!」
炎条寺) 「おいおい〜 惚れちまったんじゃねぇの〜? やっぱお前って夏来のこと───」
そう口にした炎条寺の言葉が、突然半ばにして途絶える。
炎条寺) 「ぐぇっ!」
そして次の瞬間、短い悲鳴のようなものが聞こえた気がした。
振り返る2人が、目に映り込んでくる衝撃の光景に身体を震わせる。
炎条寺) 「ちょ、き…聞いてなっ……」
不気味に微笑む幻花が、炎条寺の腹部へと拳を叩き込んでいた。
低いうなり声をあげながら、その場に崩れ落ちる炎条寺。
仙座) 「あわわわ!」
幻花を怒らせてはいけない、そう改めて感じた瞬間だった。
炎条寺) 「い……いいパンチだ……衝撃的だな……だが無意味だ……ぉぉ……」
背後からの苦しそうな炎条寺の声に、振り返ることなく楽しそうに話をする幻花と、冷や汗を流しながら苦笑いをする仙座。
手を伸ばし助けを求める姿を見て哀れむ夏来は、炎条寺の元へと駆け寄り、肩に手を回して歩き出す。
炎条寺) 「俺……いつかはあいつに殺されるかも……」
そう呟く炎条寺。
確かに少々やり過ぎだとは思うが、その原因を知っているにもかかわらず、こうして返り討ちにあうのは救いようがない。
夏来) 「は…はは……」
そんな思いが頭を巡り、夏来はただただ笑うことしか出来なかった───
それから数分後、祭り会場の平地へと続く山の入り口に着いた夏来たち。
仙座) 「お祭りっ! やっほ〜い!」
すると仙座が1人、はしゃぎながら駆け出した。
苔の生えた石段を一段飛ばしで登っていく。
炎条寺) 「お、おい待て! 危ないだろ! ったく……俺はあいつを見張るから、後はお前たちで好きにしてくれっ!」
そう言い残して、炎条寺が小走りで追いかけて行った。
左手で腹を抑えていたことから、よほど幻花のパンチが効いたようだ。
夏来) 「こっちの世界でも、あの2人は変わらないね」
幻花) 「ふふっ…ほんと、落ち着きがないっていうか」
クスクスと笑いながら横に並んで、一歩一歩ゆっくりと石段を踏み歩く。
左右の木々につけられた提灯の灯りが連なり、2人の行く手を照らしていた───
祭囃子の綺麗な音色に包まれた会場へ足を踏み入れる。
色とりどりの屋台が立ち並ぶ側で、橙色に滲む提灯の数々。
そこは昼間に来た時とは比べ物にならない程の大賑わいを見せていた。
その中で、そわそわと落ち着きがない享奈を見かける。
夏来) 「享奈さん こんばんは」
享奈) 「あ、やっぱり2人も来てたんだ〜 こんばんは♪」
下ろし立ての明るい色の浴衣を着た享奈は、2人に気付くとニカッと笑って言った。
そして、すぐに辺りを気にし始める。
幻花) 「1人で来たの?」
何が気がかりでそんな状態なのか、それを知るために幻花が享奈に問いかける。
享奈) 「ううん、悟神さ……お父さんと来てるんだ〜」
口を濁らせ、此方側の呼び名へ言い換える。
その時、背後から誰かが夏来たちに声を掛ける。
悟神) 「ほう、やはり貴様らか 後ろ姿でまさかとは思ったが」
夏来) 「あ、悟神さん こんばんは〜」
幻花) 「こんばんは」
振り向いた夏来につられて幻花も、その目線の先を追う。
そこに立っていたのは、灰色と黒の暗めの浴衣を着た悟神だった。
悟神) 「あぁ、こんばんは そうだ……これ食べるか? あいにく甘いものは苦手でね サービスで一つ余分に頂いてしまったのだよ」
そう言って右手に下げている袋を突き付ける。
ふわふわな触り心地の袋をドキドキしながら開封すると、中から大きな綿飴が出てきた。
そして同じ型の袋を、今度は享奈に手渡す。
享奈) 「わーい! ありがと〜!」
それを受け取り、ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねて喜ぶ享奈の頭を、優しく微笑みながら撫でる悟神。
かつて邪神として悪の限りを尽くして来た者とは思えないほどの変わりように、思わず笑みがこぼれる2人。
悟神) 「さて……我らはもう行くが……着いてくるか?」
享奈) 「一緒に回ろうよ! ほらほらっ!」
幻花の手を掴み、享奈が歩き出す。
その後を渋々と着いて行く夏来は、悟神と夢の世界での出来事を語り合った────
一方その頃、駆け出した仙座を探し回る炎条寺。
途中で見失ってしまったが、昨日の幻花と仙座の会話を思い出し、夏来の叔母が出しているたこ焼き屋へと向かった。
炎条寺) 「やっぱりな、ここに居たか 探したぞゆりか」
そこには予想通り、ベンチに座りながら口いっぱいにたこ焼きを頬張る仙座の姿があった。
仙座) 「ふぁ〜ほむきぃ! ほれ、おいひい!」
炎条寺) 「口に含んだやつ飲み込んでから喋ろよ……何言ってっかわかんねぇ!」
そう言われ 急いで飲み込み、喉につっかえたタコを手元のりんごジュースで流し込む。
「ぷはぁ!」となんとも満足そうな表現をする仙座を見ている炎条寺は、急にお腹が空いてくるのを感じた。
炎条寺) 「おばさん、たこ焼き一つ」
叔母) 「はいよ、あら? 夏来くんと千代ちゃんは一緒じゃないの?」
炎条寺) 「あ──こいつのせいで別行動っす」
親指で仙座を指し、ため息をつく炎条寺に同情する叔母。
お金を渡し、出来立てのたこ焼きを貰う。
仙座) 「あっ!」
炎条寺) 「あぁ!?」
そして炎条寺がベンチに座って たこ焼きを食べ進めた時、ふと我に帰った仙座が声を上げる。
突然の事にビクッと身体が跳ね、右手に持っていた爪楊枝に刺した たこ焼きが、手元を離れて静かに地面に落ちた。
炎条寺) 「ぁぁ……俺の……My Takoyaki がぁ──!」
しかも その爪楊枝は細長かったため、2つまとめて刺していた。
なんだか 今日は不運が続くな、と内心思って気分が悪くなる炎条寺。
せっかくの祭りなのに、あまりにも仕打ちが酷すぎる。
道行く人が、落ちた たこ焼きに涙する炎条寺に可哀想な視線を送る。
仙座) 「友喜!」
頭を抱え、絶望感に浸る炎条寺の肩を叩く仙座。
炎条寺) 「なんだよぉ……」
力なく返事をし、顔だけを少し傾ける。
仙座) 「これ、美味しい!」
そう言って見せつけられたのは、残り2つしか無いたこ焼きのパック。
炎条寺の脳内に、落とした瞬間の映像が流れ始める。
炎条寺) 「わかっとるわっ!! 今食べた所だっつーの!」
声を荒げながら空のパックを指差す。
「もう食べ終わったの!?」と言い出しそうになった自分を止める仙座。
仙座) 「その──ごめん お詫びにこれ、はい あーん」
視界の隅に移る、砂と混じり合った たこ焼き2つ。
自分のせいでこうなってしまったんだと、仙座にしては珍しい反省の気持ちを込めて、たこ焼き1つをプレゼントする。
炎条寺) 「や、ま、待て ふ、普通に食うから置けって!」
仙座) 「私からじゃ……ダメ?」
炎条寺) 「な──」
泣きそうな目で上目遣いをしてくる仙座に、言葉を失った炎条寺は、心臓の鼓動が早くなるのをその身で感じた。
炎条寺) 「ったく……そこまで言うなら───」
と、大きく口を開けた時だった。
遠くから夏来と幻花に混じって、悟神と享奈がこちらに向かって来ていた。
今のこの状況を見られるのは流石にまずいと思い、
炎条寺) 「これはゆりかが食べろ 俺はお前のその気持ちだけで腹いっぱいだ」
などとクサい台詞を言い放つと、足元に落ちてあるたこ焼きを拾い上げ 空のパックに入れ、食べ終わった仙座から預かったパックと共にゴミ箱へと捨てる。
炎条寺) 「よしっ、今度はあっち行こうぜ!」
仙座) 「ぉぉ〜!」
今は、今だけは仙座と2人きりで居たい。
この短い時間を少しでも一緒に居たいから──
炎条寺は仙座の手を掴んで、夏来たちとは反対の方向へと走り去っていった。
4人は立ち並ぶ屋台を見ながら、ぶらぶらとあてもなく歩いていた。
左右には食べ物から玩具など、様々な店があり目移りしてしまいそうだ。
悟神) 「享奈、何か食べたいものはあるか?」
享奈) 「かき氷っ! かき氷食べよ!」
悟神が財布を出しながら尋ねると、享奈は目を輝かせながら興奮気味で答えた。
悟神) 「かき氷か……最近暑くなって来たからな、良かろう」
悟神が笑って頷く。
人混みの熱気に熱された身体を冷やすために、冷たいかき氷はうってつけだ。
悟神) 「すまない、かき氷を3つ 全部のシロップをかけてくれ」
ここで待ってろ、と夏来たちをベンチに座らせた悟神が かき氷屋の前に行き、3人分を注文した。
屋台のおじさんは分厚い氷を、シャリシャリと削っていく。
プラスチックカップからはみ出すほどに盛られた かき氷を受け取る悟神。
夏来) 「え、いいんですか?」
そのかき氷を手渡された夏来と幻花が、そっぽを向く悟神に問いかける。
悟神) 「あぁ、いいからさっさと食え」
腕組みをしながら周りを見渡す悟神に、奢ってくれたことを感謝しながら、夏来たちは食べ始めた。
色鮮やかなシロップで味付けされた氷が、舌の上で ふわりと溶ける。
頭が痛くならない程度に、夏来はスプーンですくった氷を口に含んだ。
夏来) 「ん〜! 美味しい!」
久しぶりに食べる食感に、夏来が頰に手を当てながらそう呟く。
幻花) 「ほんと…凄く美味しいわ やっぱり夏祭りはかき氷よね」
享奈) 「────!」
2人がよく味わいながら食べる中、享奈はガツガツと忙しく食べ進めている。
そして最後にカップの底に残る溶けかけの氷と混じったシロップを、ストローで一気に吸い上げる。
享奈) 「クゥーッ! ぁあっ!」
頭を抑え、声を上げて唸る享奈を見ながら、2人は面白がってクスクスと笑い合った。
仙座) 「うっぷ……おいしぃ…」
帯を押さえながら腹を膨らました仙座が、休憩所にて満足そうに声を上げる。
その手元には焼きそばが入っていた紙パック。
使い終わった割り箸と一緒にゴミ箱へ放り込む。
炎条寺) 「おい、そろっと花火が上がるぞ」
仙座) 「えっ! 花火!? どこどこ!?」
炎条寺) 「良く見えるポイント知ってんだ、行こうぜ」
強く頷いた仙座の手を引っ張り、2人は近場の人気のない緩やかな野原坂へと辿り着く。
お互いに少々走ったせいか、辺りに響くのは2人の荒い息遣いのみ。
仙座) 「あ…あのさ……」
そこで胸の前に手を当てた仙座が、斜め下を向きながら恥ずかしそうに言う。
そして、次の言葉を聞くよりも先に、炎条寺は仙座の手を握りっぱなしだったことに気付いた。
炎条寺) 「ぁ……す、すまん」
そう消えかかるような小さな声で謝り、2人はその場に腰を下ろす。
それから会話は特になかったが、不思議なほどに苦ではなかった。
夢の世界で初めて出会ってから約2年、今まで築き上げてきた関係なら、沈黙さえも楽しく思える。
だから今を逃したら、この心に秘めた思いは消え去ってしまう。
いつまでも仙座が、彼氏を作らない保証なんてないのだから。
仙座) 「こんなとこがあったんだね、あっそうだ! 夏来たちも呼んでこようよ!」
祭り会場へ戻り、夏来たちを探しに行こうと切り出した仙座が立ち上がる。
炎条寺) 「──ゆりか!」
身を翻し、足を踏み出した仙座の背に向け叫ぶ。
呼ばれてゆっくりと振り返った仙座は、どうしたの? と言いたげな表情をしている。
あと一歩、2人の間を縮められる距離はあるが、この足を踏み出す勇気がない。
しばらく黙り込んでしまった炎条寺を見て、仙座は迷惑な友人を見るような、この状況をどうすればいいのか分からないような、そしてある種の期待が混じったような表情を見せている。
炎条寺) 「お、俺さ」
雲から顔を出した月と星々が2人を照らす。
仙座) 「ん〜?」
様々な表情の中で捉えたそれが……仙座の本当の気持ちだったら良いなと思い、炎条寺は覚悟を決める。
炎条寺) 「俺は──」
このまま何も得られずに、夏休みを過ごすのが惜しくて──
1番気の合う異性で、お互い一緒にいることが楽しくなってきた気がするのに、高校を出てしまえば別れてしまう。
そんなの、悲しすぎるにも程がある。
仙座) 「───」
顔を上げ、仙座の目を見つめる炎条寺の顔は、今までのどんな時よりも赤みがかっているだろう。
だがそれは楽しくて赤いんじゃない。
疲れたから赤いんじゃない。
この気持ちの───感情の高ぶりを示す赤だ。
目が合い続けている仙座は、何かを察したように表情を変える。
その姿が、現状から逃げる様ではなく、全てを受け入れる姿に見えて、炎条寺は仙座の気持ちに背中を押される。
炎条寺) 「ゆりか、好きだ」
そう口に出す。
自分の声が乾いた響きになってはいないかと心配するほどに、喉が渇いている。
ギュッと握りしめる拳に、力を込める。
炎条寺) 「最初は、お前を変なやつ位にしか見てなかった。 いつも勝手なことばっかして、俺たちを困らせて───」
『ありがとう! ごちそうさま! というか…ここどこ? 君たち誰? 私わかんなーい☆』
『あれぇー? 怒んなくなっちゃった…怒ってたほうが感じ良いよ〜 あははー!』
炎条寺) 「能力があるとか言ってバカみてぇな事言い出して、ニッ怪のこと怒らせて──」
『え? んん? 誰にだってあるよ? 能力ぐらい』
『ごほん、じゃ、私の番だね [俳句を操る能力]っていうのは 5 7 5 で言った言葉が現実世界に起こる能力なんだ〜♪』
炎条寺) 「けど、そうしてく内に、俺はそんなお前を守りたいって思えてきた。 悟神の時や、ゾルバースの時、俺は無我夢中でお前を助けようと必死だった───」
『当たり前だ! お前らが戦って…俺らが何もしないわけには…いかねぇ!』
『お前たちは生きろ……なるべくここから離れて、どこか遠いところへ逃げろ! 生き延びて、いつか必ず奴を倒せ!』
炎条寺) 「ひ弱な俺に……どうすることも出来なかったくせによ……」
当時の自分を思い出し、唇を噛みしめる。
助けるって言っておいて、結局はみんな無意味なことばっかり。
*********
炎条寺) 「ふんっ…お前の中途半端な攻撃で死にぞこなったぜ…」
ゾルバース) 「ほぉ…? ならば今度こそ死を体験させてやるよォ」
*********
炎条寺) 「だけど………あの時は本当にお前を守れた気がした。 好きな人のために死ねるって、あんなにも気持ちがいいなんてな」
死の覚悟を迫られたあの瞬間を思い出しながら、震えた声で言う炎条寺の瞳に、一粒の光る雫が見えた。
炎条寺) 「だから、今度こそ お前を───」
その最後の言葉を遮る衝撃が、炎条寺の胸に飛び込んでくる。
見おろすと、そこには身体をピッタリと寄せた仙座が立っていた。
仙座) 「幸せだよ……もう…友喜といるだけで……幸せだってば……」
「だから、これからも守ってね」と、満面の笑みを浮かべた仙座を見て、炎条寺の目から大粒の涙が零れ落ちてきた。
今まで一度たりとも見せなかった涙に、恥ずかしさと嬉しさで顔をグシャグシャにしながら、ギュッと仙座を抱きしめる。
その時、2人を青白い光が包み込む。
空を見上げれば、花火が夜空に大輪の花を咲かせていた。
青い光が空に広がり、キラキラと光り輝いている。
散らばった光は弧を描いて落下し、闇に溶けて消えていった。
それを合図に次々と打ち上がる花火を、2人は座って手を繋ぎながら見つめていた────
脇道を駆けていく2人の姿を、夏来たちは横目で確認する。
時間的に、もうすぐ花火が上がる頃だ。
2人だけが知る絶景ポイントがあるのだろうかと思った夏来は、3人と共に2人の後を追いかけていった。
夏来) 「あ、ここって」
そうして辿り着いた先は、夏来たちしか知らない秘密の場所。
こんな所で何をしているのか、と2人に歩み寄る夏来は腕を掴まれ、頭を横に振るう悟神に止められる。
口に指を当て、「静かに」と呟く。
仙座) 「こんなとこがあったんだね、あっそうだ! 夏来たちも呼んでこようよ!」
立ち上がった仙座が、こちらに向き直し一歩を踏み出す。
それぞれが見つからないようにと、瞬時に草木の影へと隠れる。
しかし、その必要は無かったようだ。
大声で仙座を呼び止めた炎条寺が、言葉を詰まらせる。
少しの沈黙を置き、再び口を開いた。
「好きだ」と。
それを聞いた夏来たちは驚きと同時に、心の中で歓声をあげる。
すると、その時を待っていたと言わんばかりに、色鮮やかな花火が打ち上がり始めた。
夏来) 「僕たちはあっちに行こ」
この一生忘れないであろう、2人だけの甘酸っぱい思い出に邪魔者は不要だ。
音を立てないように静かに立ち上がり、夏来たちは来た道を引き返していった───
それから数十分後。
祭りも終盤に差し掛かかり、徐々に人が少なくなっていく中で、悟神たちと別れた夏来と幻花は型抜きに挑んでいた。
幻花) 「あーもぉ! 難し過ぎっての! もう一枚ちょうだい!」
あと一歩という所で手が震えてしまい、ピンがずれバキバキに割れてしまった。
だがそれでも諦めずに、失敗したぶどう味の型を口へと運んで本日5枚目の型へと挑戦する。
その横顔を盗み見た夏来は、先程の炎条寺の言葉を思い出す。
夏来) 「───」
しかし、その気持ちを夏来は心にしまい込む。
この想いを伝えなくても、こうして2人でいるだけで夏来は嬉しかった。
炎条寺のような告白は、夏来には到底出来そうにない。
いくら夢の世界で心身ともに強くなったとしても、これだけはどうにもならないのだ。
幻花) 「あ、出来た! ほら!」
夏来の顔を真っ直ぐに見つめる幻花の瞳がキラキラと輝く。
その手には、けん玉の形の型が摘ままれていた。
賞金として800円を受け取った幻花は、美味しいものを食べられ、さらには儲けられたのもあり上機嫌だ。
仙座) 「お〜い!」
そして祭りの帰り道。
手を振りながら2人に駆け寄ってくる仙座と、ポケットに手を入れながら照れた様子の炎条寺が歩いてくる。
仙座) 「やっほ! やっと会えたよ〜 楽しめた〜?」
幻花) 「まぁね、そっちはどうなの? 随分と機嫌が良いようだけど?」
いつもと変わらない口調で会話する2人。
どうやら仙座は、炎条寺と付き合っていることを隠し通すつもりのようだ。
仙座) 「えっ……ぁ…そ、そう? 別に何も……」
その分かりやすい挙動不審さに、幻花は仙座自身が真相を明かすまで、容赦なくグイグイと迫っていった────
月が雲に隠れ、真の闇が広がる外の景色を、炎条寺は1人孤独に縁側から眺めていた。
幻花) 「どうしたのよ、浮かない顔しちゃって」
すると、足音と共に幻花が部屋から出て来る。
炎条寺) 「ぁ……寝てなかったのか」
幻花) 「えぇ、さっきまで ゆりかの恋愛話に付き合ってた所よ。 それにしても、まさかあんたから切り出すとはね。 正直、見直したわ」
炎条寺) 「……なんだあいつ、言っちまったのかよ」
頭を押さえて、「はぁ…」と深いため息をつく。
元々おしゃべりなのは承知していた炎条寺だったが、これは流石にダメージが大きすぎたようだ。
しかし、知られたのは夏来と幻花の2人のみ。
それも、信頼しあった仲だ。
これから先、ずっと隠し通していられる自信がなかった自分には、これは逆に良かったと言うべきだろう。
炎条寺) 「バレたんならしょうがねぇな。 俺も頑張るから、お前も早く夏来とだな───」
そう思えた炎条寺は、吹っ切れたように明るい表情を見せた。
そして勢い余って余計なことを言いだしてしまう。
炎条寺) 「あっ、ヤベ……」
──気付いた頃にはもう遅かった。
居間からの弱々しい光に照らされ、振り上げられた拳が目に映り込んでくる。
目を強く瞑り、襲いかかる痛みから顔を逸らす。
しかし いくら待っても訪れない衝撃に、うっすらと目を開ける炎条寺。
炎条寺) 「なんだよ、殴んねぇとはお前らしくないな」
振り上げたはずの拳を、幻花は静かに下ろしていた。
いつもなら問答無用で殴りかかってくるはずなのにと、物珍しそうに見つめる。
炎条寺) 「──なぁ、千代」
そして表情を変えた炎条寺は、あることを切り出す。
幻花) 「なによ」
炎条寺) 「俺の代わりに、夏来をこれからも守ってやってくれないか?」
幻花) 「え?」
それを聞いた幻花は一瞬、何を言われたのか分からないと言った顔を見せた。
しかし、その強く訴えかけるような炎条寺の目を見て本気なのだと悟る。
炎条寺) 「別に付き合えとまでは言わん。 ただ、あいつのちょっとした心の支えになってほしいんだ」
そう言われ、髪を弄りながら目線を落とす幻花。
炎条寺) 「おい」
幻花) 「わ、分かってる! そんなこと言われなくても分かってるからっ!」
顔を覗き込まれ、幻花は恥ずかしさのあまり、ズカズカと部屋へと戻っていった。
炎条寺) 「さてと、俺も寝るか……」
怠そうに膝に手を当てて起き上がり、幻花の後を追って部屋へと入っていく。
仙座) 「んにゅ……ぁぅ…」
気持ち良さげに寝言を呟く仙座の頰を突くと、なんとも可愛らしい反応を見せた。
その姿に見惚れていると、「早く寝ろ」と幻花が囁く。
渋々布団の中へ入ると、すぐに睡魔が襲ってきた。
炎条寺は流されるがまま、目を閉じて眠りへとついた────
いつもと変わらない、大量のセミの鳴き声に目が覚めた。
夏来にとって、この聞き慣れた鳴き声は目覚まし時計の代わり。
左右を確認すると、炎条寺たちはまだグッスリと眠っていた。
夏来) 「早いなぁ…」
そう悲しげに呟くのにはある理由があった。
カレンダーを見て、今日が2学期が始まる一週間前だと知る。
あの夏祭りからと言うもの、毎日のように悟神家へと遊びに出かけていた夏来たち。
天気が良い日は本格的な山登りや、澄んだ川での水浴び。
そして夜には山の平地にて、両家の知人を集めての2泊のキャンプを楽しんだりもした。
しかし、そんな楽しかった日々も今日で終わる。
残念な気持ちに包まれ短く息を吐いた夏来は、皆んなを起こさないようにと、細心の注意を払って部屋を後にする。
夏来) 「よっ はっ」
夏来は玄関前で、朝の体操を始める。
小学生の頃は、こんなこともしていたんだなと考えながら、近くの自動販売機で買ってきた【なっちゃん! オレンジ】を手にとる。
かぽっと、力を入れてキャップを回し、左手で腰に手を当てながらジュースを飲む。
ゴクゴク……
夏来) 「ん〜っ! 動いた後はやっぱりコレでしょ!」
ラベルを見つめながら、満足げに一息つく。
夏の日差しが照らす中、喉を通るジュースの冷たさに、身体全体が震える。
水分補給がこんなにも有難いものなんだと改めて感じた。
夏来) 「ウォーキングでもしよっかなぁ」
朝のまだ涼しい風の中、照らす太陽の光は然程暑くもない。
日頃から運動をしていない夏来にとって、今は身体を動かす絶好の機会だ。
飲み干した空のジュースを片手に、先程の自動販売機の横に置かれたペットボトル入れに放り込むと、そのまま家とは反対方向に歩き出した。
寂れた小さな工場や公園を抜けて行くと、建ち並ぶ家々も疎らになり、郊外へと出た。
地面が砂利に変わり、道の両側に畑が広がる。
記憶が正しければ、今まで一度も来たことのない所だ。
夏来) 「あっ」
行く手に橋が見える。
あまり水量はないらしく、せせらぎの音は穏やかだ。
息を切らした夏来は、疲れから橋にもたれかかる。
するとどこからか、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『大丈夫かァ?』
獣のような低い声。
その声が聞こえた方を振り返ると、こちらに顔を向けた成人男性が土手に座りながら釣りをしていた。
夏来) 「あ、はい。大丈夫です……はぁはぁ」
逆光でよく顔が見えない状況の中、「疲れてるみてェだなァ……水あるが、飲むかァ?」と誘う男性。
知らない人だったが、優しく接してくれているのに拒否してしまうのは失礼だろう。
夏来) 「じゃぁ…お言葉に甘え──」
そう心を許した瞬間、光に遮られていた男性の顔がハッキリと目に映り込んで来た。
その顔を見て目を見開きながら、バランスを崩して地面に崩れ落ちる夏来。
『おッと……ほら、捕まれェ』
駆け寄る男性が、夏来に手を差し伸べる。
夏来) 「あ、あああの、す、すいません!失礼します!」
目の前の手を取り、起き上がる。
勢いよくお辞儀をすると身を翻し、その場から逃げ出した夏来。
背後から何かを叫ぶ声が聞こえたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
灰色の髪
正気とは思えない無感情の目
不気味な笑み
独特な言葉遣い
そしてなにより、【ゾルバース・ヴェルデ】そっくりの顔つき。
改めて近くで見ると迫力がありすぎだ。
夢の世界で受けた傷の痛みが、脳を通って伝わってくる。
夏来) 「はぁっ…はぁっ…」
冷や汗をかきながら家の中へと駆け込む夏来。
台所へ行き、水を一杯飲んで心を落ち着かせた。
あちらは夏来を見ても何にも感じていない様子だった。
悟神が言っていた、夢の世界の記憶を持つ者は夏来たちだけというのは正しかったらしい。
夏来) 「はぁ…ビックリした…悟神さんも居るってことは、ゾルバースたちも居るとは思ってたけど……急すぎだよ……」
と、そんな事を思っていると、背後から眠い目をこすりながら、フラフラとした足取りの仙座が現れた。
仙座) 「あれ、夏来? 早いね〜」
キョトンとした表情を見せる。
それほどに仙座にとっては、夏来が早起きだったのが珍しかったのだろう。
夏来) 「お、おおおはよう。そ、そろそろみんなのこと起こしに行こっか」
仙座) 「大丈夫、みんなもう起きてるよ。」
ほら、と指を指す先には、居間で目を閉じながらこくりこくりと身体を前後に揺れ動かす2人の姿があった。
こんな姿を見るのは久しぶりだな、と思った夏来は、声をかけて顔を洗ってくるように促す。
夏来) 「朝ごはんは僕が作るから、ちょっと待っててね」
戻ってきた2人が座り込むと、夏来が立ち上がって手を合わせながら言う。
台所に立って料理を作る夏来の後ろ姿を見ていると、ふと居間の中央に置かれているテーブルの端に、小さな紙切れがテープ止めされているのを見つける。
それを取った炎条寺は、そこに書かれている文を読み上げる。
炎条寺) 「えーなになに? 朝早くから仕事が入っちゃって朝ごはんを作る時間がありませんでした。 適当に冷蔵庫のもの使ってね。だとさ」
読み終わった紙を丸めてゴミ箱に放り込む。
何時もは慌ただしい朝が、今日は恐ろしく静かだった原因が分かり、納得したように頷く。
すると台所から、「あっ」と夏来の短い声が聞こえて来る。
顔色を変えた幻花が、夏来の元へと慌てた様子で向かう。
幻花) 「どうしたの夏来──って何これ」
夏来) 「はは……ベーコンだよ……」
駆けつけた幻花がそこで見たのは、黒こげと化した1枚のベーコン。
箸で恐る恐る触って見ると、パサリと砕け落ちた。
幻花) 「はぁ……ちょっと貸して」
夏来に任せてしまっていては、この先何が起きるかわからない。
不安な気持ちに駆られた幻花は、火を止めてフライパンを軽く洗い、よく拭いて再び火にかける。
その間、ベーコンを半分に切り分けておいてと言われた夏来は、調理用バサミで切っていく。
幻花) 「こうしておくと、食事の時に食べやすくなるのよ。 みんなもやってみてね」
夏来) 「誰に言ってるの?」
幻花) 「これを読んでる読者のみんなよ」
夏来) 「えぇ……」
困惑しながら、火が通ったフライパンに切り分けたベーコンを並べると、卵を2つ割り入れて蓋をする。
それから約5分後、白身が白くなって来たのを見計らい火を止める。
幻花) 「この時、すぐには蓋を開けないように! 余熱で黄身の色が変わって来たら食べごろよ。 これ大事だから、みんなも覚えておくように。 詳しくはhttps://cookpad.co──」
夏来) 「やめてよ千代ちゃん……こっちから見たら誰もいない空間に語りかけてる危ない人に見えるから!」
幻花) 「はいはい、分かってるから。 そんなことよりお皿出して? あんたたちもボサッと座ってないで手伝いなさいよ」
夏来の忠告を払いのけ、棚を指差して皿の準備を呼びかける。
重い腰をなんとか起こした2人は、盛られた目玉焼きを手に、居間へと戻って食べ始める。
その後を追って夏来と幻花も、急いで食事に取り掛かった。
炎条寺) 「おい、なんでそんなに急いで食べんだよ? もっと味わってだな……」
幻花) 「友貴……あんた今日の昼前にはこの家出るってこと分かってんの?」
炎条寺) 「えっ!? そうなのか!?」
幻花) 「はぁ……2学期一週間前なの分かってなかったの? 新学期に向けて色々と準備や夏休み課題やら残ってるんだから。 ほんっと、あんたって小さい頃からド忘れ多いし……バカはいつまで経ってもバカってね」
炎条寺) 「バ…バカ……」
薔薇の棘のような発言に、炎条寺がドンと落ち込む。
全て本当のことであるが故に、言い返したいが言葉が出てこないのだろう。
朝食を食べ終わった3人が、皿を流し台へと置きに行く中、炎条寺はただ1人箸を止めたまま「バカ……俺はバカ…」と唱え続けていた────
歯磨きを済ませ、客室にて帰る準備を進める夏来たち。
部屋中に散らばった自分の持ち物を整理している時、突然夏来が声を上げた。
夏来) 「御守りが……」
短パンのポケットに入れていた、あの大事な御守りが無くなっていたのだ。
そして今朝、あの橋で地面に倒れこんだ事を思い出す。
きっとあそこにあるに違いない。
幻花) 「ち、ちょっと夏来! どこ行くの!?」
そう思った夏来は、荷物を担いで家を飛び出していった。
玄関の戸を開け、勢いよく駆け出す。
なんだか今日は走ってばっかりだ。
右に曲がり、自動販売機の前を通り過ぎる。
そして突き当たりを左に曲がると、突然目の前に人影が現れた。
夏来) 「あっ! す、すいません」
もう数秒反応が遅れていたら ぶつかっていた距離だ。
周囲をよく見ていなかったことを謝罪し、軽く頭を下げる。
『よォ、届けに来てやッたぜェ』
夏来) 「え……ぇ?」
と その時、再びあの声が聞こえてくる。
そーっと顔を上げると、そこにはゾルバースが御守りを持って立っていた。
ゾルバース) 「裏に皇ッて書いてあったからなァ……ここらじャあァ、皇ッてんのはお宅しかないんでねェ。 ほら」
御守りを投げ渡す。
ゾルバース) 「もう落とすんじャねェぞ」
夏来) 「あ、あの!」
ゾルバース) 「あ?」
夏来) 「ありがとうございます!」
ゾルバース) 「────フッ。 じャあな少年、元気でなァ」
そう言ってゾルバースは、風に揺られる髪を手で押さえながら、夏来に背を向け歩き出す。
夏来) 「貴方も元気で……」
彼らには喜びを。
そして僕らには希望を。
愛を失った邪人はもう居ない。
こっちは無事に終わったよ、ニッ怪君。
夏来は無意識に空を見上げる。
青々と晴れ渡る空に、ゆったりと流れていく雲。
その先の世界で、今も何処かで夏来たちと共に運命に立ち向かうニッ怪の姿が見えた。
幻花) 「夏来──! 御守り見つかった──? 早く行かないとバスが来るよ!」
不意に聞こえてくる声に、視線を落とした夏来が振り向くと、前方に荷物を担いだ3人の姿があった。
夏来) 「──うん! 今いく!」
進もう。
あの世界が僕らに伝えたかった想いを探しに。
もう頼ってばかりはいられない。
自分で答えを導き出すんだ。
そう心の中で自分に言い聞かせた夏来は、3人と共に、この地との別れを惜しみながら東京へと帰って行った。
2学期初日の朝。
机に向きながら、自作の小説をノートに書いていく夏来。
その内容には、あの夢の世界での出来事が綴られていた。
内気な少年が、夢の世界を通して力強く成長していく───そう、まさに自分自身のことを書いているのだ。
夏来) 「えっと……ここはなんだったっけ……」
頭を悩ませながら、夢の世界の記憶を遡っていく夏来。
唸り声を上げ、もうすこしで思い出しそうになった、その時───
ドンっ!!
と何かが窓に打つかる音が聞こえた。
肩をビクッと震わせ、恐る恐る音の聞こえた方へと近づく。
夏来) 「───はぁ!?」
そして【ソレ】を目撃し、思わず腰が抜け床に座り込む。
目線の先に居たのは、ボールや小鳥なんかじゃない。
夏来) 「た、たた、鷹ぁ!?」
その場に居たのは、堂々とした佇まいまま、夏来の目を見つめる大きな鷹だった。
近くにあった箒を手に取り、右手に構えてジリジリと歩み寄る。
それでも逃げる仕草すらしない鷹を、夏来は興味深そうに見つめる。
夏来) 「あっ……凄い」
よく見ると、鷹の目はオッドアイであった。
右目が黒一色に染まっており、そこから首にかけて数本の傷跡のようなものがある。
そして咥えている青白い石を地面に落とし、くちばしで夏来の方へと転がす。
状況の整理が追いつかない夏来は、鷹の不可解な行動に首をかしげると同時に、ある人物の名が頭を過ぎった。
夏来) 「───ニッ怪君?」
その呼び名に反応して、鷹は夏来に背を向けて駆け出す。
大きな翼を広げ、地を蹴る。
風を掴み、どこまでも高みへ羽ばたいていく───
夏来) 「……来てくれたんだね」
青々と晴れ渡る空に、一羽の鳥を映す。
悲しみと喜びの混じる、不思議な気持ちが夏来の心に満ちた。
夏来) 「後は任せて、ニッ怪君」
戸を開け、足元に転がっている青白い石を掴み上げると、机の上に大事そうに置かれた御守りの中へと入れる。
紐をリュックのファスナーに通し、解けないようにギュッと縛り付ける。
炎条寺) 「おーい夏来 そろそろ行くぞー」
とその時、外から炎条寺の声と、それに紛れて幻花と仙座の話し声が聞こえてくる。
リュックに教科書を詰め込み、背中に担いで玄関へと急ぐ。
靴を履き、ドアノブに手を掛け振り返る夏来。
だがそこには、かつて夢の世界で過ごした、あの楽しかった日々の面影は無く、ただ静寂に包まれた空間があるだけだった。
しかし、今更悲しみに暮れる必要はない。
力強くドアを開け、光差す希望の未来へ夏来は歩き出す。
その姿は今までのどんな夏来とも違う【勇気】を持っていた。
それはあの世界を忘れない限り、決して消えることはないだろう。
炎条寺) 「ほら、早くいかねぇと遅刻だぞ!」
仙座) 「待ってよ友貴〜!」
夏来) 「ごめんね、千代ちゃん。学校違うのに来てもらって」
幻花) 「べ、別に……今日くらいはって言うか……その……ぁあもう! そんなのはいいって! 早くいこ!」
これからも僕たちはこの街で、この世界で生きていく。
それはとても辛く、苦しいものかもしれない。
けれど、今の僕には恐れなんてない。
【さらばじゃ、我の分まで幸せになるのじゃよ…皆…】
大丈夫だよ、ニッ怪君。
僕は自分で幸せな道を選べる。
その為に必要な事を知ったから───
けれど、僕のわがままを許してくれるなら 1つだけ聞いてほしい。
無数に存在する世界線の中で、僕たちが過ごした時間はニッ怪君にとって、ほんの一瞬だったのかもしれない。
けれど、僕たちにとっては一生の思い出だよ。
だから、どうか時々でいい。
僕たちを思い出してほしいんだ。
幻花) 「どうしたの夏来?」
手をかざしながら空を見上げる夏来を、不思議そうに見つめる幻花。
夏来) 「何でもないよ、行こっか」
下ろした手を固く握って、先を歩く幻花の背を追う。
そして最後に、夏来は振り返り呟いた。
「さようなら」
その言葉は、何もない静かな路地に響き渡って消えていく。
幻花) 「おーい夏来」
夏来) 「──うんっ!」
あの幻想的な夢物語を、夏来たちはこれからも忘れないだろう。
時が過ぎても、彼らの子供へ、そのまた子供へと繋がっていく。
それを願いながら、屋根の上で寝転がる死神は表情を緩めて優しく微笑んだ。
幻想夢物語〜少年の日々〜 (完)
長いこと連載を止めてしまっていて、大変申し訳ありませんでした。
これにて夏来たちの物語は無事に終了。
これから先の未来は、夏来たち自身に任せることにしましょう。
それでは、また会える日を楽しみに───
って、堅っ苦しいのは川に流そうッ!!
今現在、私は高校3ってことなんで、しばらく小説の活動は止めようと思ってますん……
すいません、許してください! 何でもしますから!((ん?
まぁ、幻想夢物語の1〜10話くらいまでを編集するくらいはやりますんで、これからもお楽しみに! ではでは、これにてドロン!