My Fate In Ramayana   作:てんぞー

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Chapter 1

 ―――私がそれからそこに逗留し、周囲を理解し始めるには数週間という時間を必要とした。

 

 まず第一に無気力の極致にあった私は周囲の言葉も理解できず、頼れる相手もおらず、一方的に保護されている、それだけの状態だった。未だ名を知らぬラーマの存在はあっても、それでも不安や恐怖は残る。それが私の足を引いて理解へと踏み出そうとすることを阻んでいたのだ。故に私は数週間、与えられた部屋にこもりっきりで、必要最低限の運動だけをこなして呆然とした日々を送っていた。仕方がない、と言ってしまえば仕方がないのだろう。ただの人間によし、未知だ―――そう言って飛び出すだけのメンタリティを求めるのは間違っているのだから。

 

 そんな私を赤髪の美少年の兄弟―――即ちラーマと、その弟ラクシュマナは応援するように通ってくれた。

 

 私が逗留している部屋は庭の離れにある客人の用の小さな小屋であり、そこを完全に自分一人の為に使っていた。ここに訪れるのは掃除や食べ物を運んでくる召使を除けば、ラーマとラクシュマナの兄弟だけだった。他の者は気味を悪がっていたらしく、近づこうとさえも思わなかったらしいと後で私は知った。二人は私がどこから来たのか、なぜこんな服装をしているのか、そして私がとっさに漏らした異国の言葉―――つまりは日本語に対して興味を非常に刺激されており、未知に対する好奇心で貪欲に接触を図ってきていた。

 

 私はそれが怖かった。感謝しながらも私は言葉がほとんど通じず、そして無償の善意を見せてくれる二人の兄弟に対して恐怖を感じていた。それを知ってか、ラーマもラクシュマナもそのころは過度に質問をしようとはせずに、言葉の練習に付き合ってくれた。私が一日でも早く言葉を理解するようになれば、きっと心を開いてくれるだろうと、ラーマやラクシュマナはその時思っていたらしい。

 

 ただそれに反して私の心はさらに絶望感に包まれていた。

 

 最初は明日になれば―――その次は数日―――そして一週間後には―――そんな風に希望を抱いても私はこの状況から抜け出す事はなかった。これが夢であれば素晴らしかった。だが夢ではなかった。或いは私はインドの灼熱に頭をやられておかしくなってしまったのかもしれない。だが現実としてその時、私はこの絶望の夢から覚める事はなかった。出来なかった。認めるしかなかったのだ―――そしてそれを見たくなかった。

 

 希望を抱けば抱くほど、絶望が深まって行く。

 

 言葉を覚えながら良くされながらも、心には絶望という病が張り付いていたのだ。クーラーがなくて、冷たいミネラルウォーターがなくて、コーラを飲むことはできないし、テレビでニュースを確認できなくて、新聞は存在せず、シャワーなんてものは存在せず―――ありとあらゆる部分で今までの生活と違う。現代インドの生活水準ならまだしも、迷い込んだ場所はあまりにも古すぎて、遅れすぎていて、現代に慣れきった体では辛かった事もあった。

 

 夜、人知れず涙を流しても現実は変わらない―――その程度で現実は変わってくれない。

 

 友達の名前を呼んでも何もなく、父や母はいったいどうしているのか考えてもわかるわけもなく、日本に対して郷愁を抱き始める。帰りたい―――帰りたい! そう心が求めているのがわかった。だけどそれが現実になる事はない。ここがどこか調べる以前に、私は完全に小屋の主として外に出る事さえ恐怖を感じていた。

 

 これ以上無駄に広い世界を見たくはない。そんな現実を知りたくはない。

 

 少しずつ、心は負の方向へと腐り始める。

 

 ―――それを救ってくれたのは、やはりラーマだった。

 

 まず最初に軽い単語を教えて、意思疎通が少しだけ楽になるようになったら、片手を引いて小屋の外へと彼は連れ出していった。そこで私はいやでも彼に引きずりまわされ、様々なことを見せられた。まず最初に魅せられたのは彼の鍛錬だった。まるで息をする様に弓を放って的の中心を射り、剣を握れば見えないような速度で振るう。素人目からでも達人だと解る技量を披露し、そのまま王城裏の山へと狩猟に連れていかれた。

 

 また別の日にはラクシュマナを巻き込んで城下町へと向かい、そこで様々なものを見せられた。(ヴァナラ)の果物屋、民の為に作られた公園、訓練場、宿、通り―――世界は広く、そして素晴らしいものは多くある。それを証明するかのようにラーマは私の手を引いて街へと繰り出していった。そのおかげで私の絶望に凝り固まった心は一か月が経過したあたりから徐々にだが、溶け始めていたのだ。

 

 だがそれでも恐怖というものはなかなか抜けない。私は恐れていたのだ。良くされたのだ―――だが何時、またあの時の様に、急に世界が変わるかもわからない、と。私は優しくされ、それに慣れてしまったら、それを失うような事があればもう死ぬしかないのではないか、と、そういう恐怖を抱き始めていた。

 

 だがそんな私の考えとは別に、ラーマはその物語を駆けていた。

 

 私は狭い世界の中で自分の心と戦っている間に、ラーマは城の外へと出て師から武術を習い、マントラを習い、そして聖人達に会うことでその武器を授けられていた。少年だったラーマは私が一歩の前進に牛歩の如き時間をかけている間に物語の英雄の様な成長を遂げていた。それを私は知る術もなかった。そして知ろうともしなかった。結局は自分だけの世界に浸っていただけなのだから。何とも酷い人間だと、そう思った。

 

 ―――そしてさらに時間が経過する。

 

 二か月。もはや私が現代と呼べる未来へと帰ることを絶望し、諦めていたころ、ラーマに転機が訪れる。

 

 ミシリア(現在ネパール)を支配するジャカラ王の娘であるシータが婚姻を結ぶ年齢へと達したのだ。それ故に古代インドで行われていた夫選びの儀式であるスワヤマヴラを開くことが決まったのだ。これは開催側が試練を用意し、それを乗り越えた者に対して夫となる権利を与え、妻が夫となる存在を見定める為の儀式であった。現代のインドでは完全に死滅してしまった風習ではあるが、この古代では珍しくはなかった。

 

 何せ、神性の生きる神代の物語なのだ―――試練には神による()がある。

 

 故に何よりも信じられる。

 

 そんな婚姻を結び儀式にラーマの父、コサラの王は乗り気であり、ラーマ自身もそれ自体に運命を感じていたらしく、妙に乗り気であり、

 

 ―――私に世界を見せる為、といって小さな聖域(小屋)から私を引っ張り出したのだ。

 

 ほとんど無気力だった私はラーマから引っ張り出されながらも徐々に嫌な予感を覚え始めていた。この先、何か、現実に嫌でも直面しなくてはならない。そんな予感が私の中では生まれていた。しかし、ラーマに逆らうだけの気力も権力もなく、私はまたいつものように引きずりだされ、ミシリアへの道を道をラーマやラクシュマナ達と共に同道する事となってしまった。私のつたない言葉では多くの言葉を理解することが出来なかった。だけども、単語は聞こえるし、理解できた。

 

 ―――ラーマ。

 

 ―――シータ。

 

 ―――コサラ。

 

 ―――ミシリア。

 

 鞄の中に押し込んであった日本語翻訳版のラーマヤーナを私はその時とっさに思い出しそうになって、それを頭の中から消し去る事にした。考えてはいけない、本能的に理解する前にそう結論付けてしまったのだから。だって、そうだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 牛車に揺られて私達はゆっくりとミシリアへと向かい、そしてミシリアの王宮へと招き入られた。むろん、シータ姫の婚姻に対して乗り気だったのはラーマだけではなく、数多くの男達の目標でもあった。それ故に街は大量の男で溢れており、そして王宮にも別の国の王族らしき姿が見えた。彼らと競い合い、試練を潜り抜けた者のみがシータと婚姻を結ぶことが出来るのだ。

 

 ラーマは王族の義務として即座に他の王族との対談等に奔走しなくてはならず、私は暇を得てしまった。行き場もなく、ホールの隅の方で何もせず、この世の不幸を呪っている私に近づいてきた姿があった。

 

 ラーマに非常に良く似た少女だった。

 

 美しい赤毛を二房に纏めており、王族が持つ特有のカリスマ性を持っている、そんな少女だった。

 

 彼女は完全に輪から離れ、外れている私を心配した様で、珍しくラーマと同じような善性の塊をしたような存在だった。彼女もまた話していると心が安らぐような、安心するような、そういう雰囲気を持った存在であり、ラーマ同様、()()()()()()()()()()という欲求を生むような、そういう人物だった。ただそれ以上に、しゃべり続けていると段々とだが、私の心はこの状況を、時代を、物語を理解しつつあった。

 

 そうやって短い雑談の時を過ごし、試練の一夜目が始まった。

 

 ミシリアの王が用意した試練とは実に簡単なものだった。

 

 試練の場となる場所に弓が置いてある―――それを持ち上げよ。

 

 それだけであり、

 

 初日、多くの男が挑み、揺らす事すら出来ずに終わった。

 

                           ◆

 

 

 それから更に数日、多くの男達の奮闘が始まる。だが誰としてそれに触れ、っして持ち上げる事は出来なかった。それもそうだ。設置された弓とはすなわちシヴァ・ダヌーシャ―――即ちシヴァ神の弓、本物の神秘であり、幻想なのだから。その弓自体が神の所有物なのだから、神に許された存在以外が持ち上げる事なんて出来るはずがない。すなわち、これは最初からラーマとシータを結びつける為だけに用意された壮大な茶番だったのだ。だがそれを理解する存在はその場に誰一人としていなかった。

 

 私もその一人だった。現実から目をそらしたから、私は物語を読もうとしなかった故に脇役にすら成れていなかった。

 

 故に、理解する事なんて出来なかった。

 

 だがその数日の間、私はシータと言葉を交わし、友人と呼ばれるようになるまでには拙い言葉で話し合う様になった。完全に話す事は出来なかったが、シータはどうやらラーマに一目ぼれをしていたようで、比較的に彼に近い位置にいた私と話、彼の人となり、好きなもの、どんな生活をしているのか、それをまるで初恋の少女の様に浮かれながら聞いてきていた。世界や状況のあれやこれを考えているよりも、シータが顔を赤くしながら初恋の少女の様な姿を見せ、何とか頑張って相談に乗っているのは自分の心にとっても遥かに優しかった。無邪気に笑い、相談する姿を見ながら私は直感的に理解したのだ、

 

 ―――彼女の願いは叶う。

 

 ―――しかし、絶対に報われない運命なのだ。

 

 そしてその夜、

 

 私の予感を肯定するようにラーマはシヴァ・ダヌーシャを持ち上げた。ラーマ王子、美少年だ。屈強な男達では揺らす事さえできなかったその弓を彼は片手で持ち上げ、そして天へと向けて構えた。弓の弦に指を当て、それを引き、

 

 ―――弓が折れるまで引ききったのだ。

 

 もはや怪物、化け物という言葉でラーマの所業を片づける事は出来なかった。彼はその身で神々の力が込められた神弓を持ち上げるどころか折ったのだ。それはもはや普通の人間で成せる事ではなく、ラーマが神々に祝福された存在である事を証明したのだった。疑いようもなく、ラーマは試練を乗り越え、

 

 そして己こそが最もシータに相応しい存在である事を証明したのだ。

 

 民と、観衆と、そして王族の祝福を受けながらここにラーマとシータの婚姻が決定された。夢見る少女の願いは届き、そしてラーマ(王子)シータ()を得るのだ―――まるで物語の様に。美しい、美しいシーンだった。私はそれを眺め、そして痛みを覚えた。頭の中にさらに情報が書き込まれて行く。それは■■から与えられた、否、押し付けられた特権だった。

 

 世界を超え、時を超え、それでも繋がっている―――切れない。物語は故に終わらない。

 

 私は見た、ラーマが幸せそうにシータを抱き寄せる姿を。私は見た、シータが嬉しそうに綻ばせるその表情を。婚姻に対して乗り気だった王は直に祝福し、ラクシュマナは少しだけ、悔しそうな表情を浮かべながら心の底から祝福の言葉を送っていた。私はそれを一つのシーンとして眺めていた。私も脇役の脇役として登場するそのシーンを眺めて、

 

 ―――そして理解した。

 

 理解して―――頭の中から言葉を、物語を否定した。追い出した。認めたくはなかった。

 

 ラーマ、シータ、ラクシュマナ―――これだけ揃ってしまえば勉強した者として、容易にラーマヤーナという物語を思い出せるだけのピースが揃ってしまっている。本当はもっと早く理解していたのだ。それでも私はそれを認めたくはなく、見ようとはしておらず、そして今になってもそれを心の底から忘れようと、捨て去ろうとしていたのだ。

 

 ラーマヤーナの物語は多くの英雄譚と同じく、悲劇によって幕を閉じる。

 

 私は幸せな風景を見ていた。ラーマとシータが今、幸せの絶頂にある姿を見た。これから結婚式が開かれ、二人は正式に結ばれ、そしてこれから夫婦としての時間がやってくるのだろう。

 

 だけどそれは決して長くは続かない―――そんな事はあってならない。そう、だからウソに違いない。現実はそうじゃない。神話はフィクションであって、私が来ているのはノンフィクションなのだ。私の人生がフィクションであってたまるか。

 

 そんな思いと共に私はまた現実を否定した。

 

 現実を否定する者に運命は微笑まない。故に私はこの時、自ら手を伸ばし、何とかする事が出来るかもしれない状況を手放したのだ。

 

 私は後悔してはならない―――その権利がないから。

 

 私が現実から目をそらしたその代償がやってくるのはこの先のことである―――。




 30日帰国予定なので分割して更新を早める予定に。
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