ビスコッティ共和国興亡記・HA Edition   作:中西 矢塚

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第三部
2-1


 

 

「そういえば……」

 

 天幕の最奥で書類の山に埋もれたまま、一言呟く。

 

「いかがなさいましたか?」

 

 傍にいた女性が、机の上に積み上げられた書類を取り上げながら尋ねる。

 因みに。

 既に、飲み過ぎでこれ以上は胃が荒れるからと、眠気覚ましのコーヒーは取り上げられて久しい。

 その代わり、強制的に仮眠を取らされたのだが。婚約者が居るのに、婚約者ではない女性の膝の上で。

 誰か咎めろよその辺、とか内心で思いつつ、誰も責めてくれないから自戒の意味も込めて仕事に没頭していた、というのが現在の彼の状況である。

 

 尚、『少し寝かせておけ』と命令を出したのは件の婚約者の模様。

 無論、彼はその事実を知らないし―――勿論、婚約者もまた、どのように寝かしたのかは知らない。

 偉い人にはわからない、それは、メイドの秘め事的な楽しみなのである。

 

 閑話休題。

 

「いや、たいした事じゃないんだけどね」

 

 返答している傍から、別の女性が別の書類の山を目の前に積んできた。

 早朝、基、昨晩か、或いはこの天幕を組み立てるそれ以前から続くルーチンワーク。

 最早乾いた笑みすら出てこない状況に、ため息一つ、吐きもせず。

 機械的動作ですばやく承認印を押し続けながら―――それでいて、承認しかねる書類はちゃんと選り分けているのだから、たいしたものであろう―――微苦笑を浮かべる。

 

「最近、日記を書いてないなぁって。具体的にはイズミ君が帰った辺りから、書いた記憶が無いかな」

「日記、ですか。さて……」

 

 お部屋では、そんなものを見た記憶は無かったような気がすると、ヘッドドレスと猫耳と、あと腰まで届くポニーテールに、ミニスカートから垂れる細い尻尾まで揺らしながら、女性は小首をかしげた。

 因みにこの女性、部屋掃除どころか、ひいては私生活一般から公務に至るあらゆる場面での世話役を、なし崩し的に勤めてくれている女性である。

 本来は、将来義弟となる筈の少年の傍に居るのが仕事だった気がするが。

 

「ま、例によってヴァンネットに持って帰るのを忘れてたって事なんでしょうけどね」

「あら、アッシュ様。すっかり『帰る』場所がヴァンネットになっていらっしゃいますね」

 

 よきことです。

 

 女性がおかしそうに笑った。

 二十台半ば過ぎの美人の仕草彩り溢れる振る舞いだ。これで、そろそろいい加減キツくね? な膝上二十センチのミニスカートをやめれば嫁の貰い手も見つかるだろうにな、と完全に他人事の気分で思った。

 

「何か?」

「いえ、何も」

 考えていませんと、威嚇染みた笑顔から、慌てて視線をスライドさせる。

 有体に言って怖かった。私生活の大半を依存している分、尚更。

「こーやって飼いならされて牙を抜かれていくんだろうね、男って」

「華の戦争を目前にして、何を気の抜けた事をおっしゃっているんですか」

「いや、だってさぁ」

 

 話を逸らしがてら、軽く背筋を伸ばす。

 固まった筋肉がきしみを上げた。

 大量の書類の山の隙間から、天幕の外の景色が、目に入る。

 

 ―――草原を埋める群集。

 せわしなく、陽気に、熱気に溢れた。

 

「あの姉弟の巻き起こすトラブルの後始末をすることこそが、もう、随分前からオレの日常になってる気がするし。あいつ等もミル姫くらい行儀の良い子だったりしてくれれば手間がかからんのだけどなぁ」

「ガウル殿下とジェノワーズも、随分頑張ったのですけど。―――勇者シンクのご帰還記念ということもあって、はりきっていらっしゃいましたし」

「結果が伴わない努力って性質が悪いよなぁ。悪意もないから、怒りづらいし。―――これでイズミ君を撃墜できなかったら、全力でお仕置きだ」

 

 忙しいから誰かやっておいて。

 じゃあ俺様が。

 よし、任せた。

 

 かくて、今回の戦興行の運営委員長はガウルの手に委ねられた―――結果は、まぁ、推して知るべし。

 数日前からシガレットが運営本部につめている辺りから、お察しと言う話だ。

 人には適材適所と言うものがあるな、と、誰もが思った話でもある。 

 

「一応、興行に支障のない物資管理は出来ていたと思うのですが……」

「いや、流石に無駄が多すぎるよ、これじゃ。ああ、いや、このくらいなら許容範囲って解ってるんですけど……」

 直ぐに改善できる無駄があれば、改善したくなってしまうのだ、と。

 節約しなくっちゃと、中世ファンタジーな世界に生まれ変わって十四年、未だに前世の平成日本での節約嗜好が抜けない毎日だった。

 ようするに、この煩雑な書類仕事も、実は個人的な趣味志向で、自ら苦労を背負い込んでいるだけだったりもする。

 フロニャの加護を充てにすれば、むしろ此処までキッチリ兵站管理を徹底するのは戦場でのオーバーキルにも匹敵する切り詰め具合なのだから。

「と言うか、式の準備くらいレオンミシェリも手伝ってくれれば、こんな状況になるまでガウルの馬鹿を放置しておく事もなかったのに……いや、レオンミシェリも、外回り(外交面)で忙しいのは解ってるんだけど」

「領主としてどうしても外せない、と言うご公務がこのところ重なっていらっしゃいましたし。―――それに、外はレオ様、内はアッシュ様が、というのがわが国のスタンスですし」

 後ついでに、自分の結婚式の準備とか恥ずかしい、照れる。とか何とかボソボソ言っていたらしい事は、メイドの秘密である。

「コレ外征に当たるから外向きの仕事の気もするんだけど……大体、おかしいよな。公式には、オレはまだビスコッティの人間のはずなんだけど……あ、そういえばこの間、手切れ金代わりだかなんだか知らないけど、遂にロランさんと同格に出世したんだぜ? ここ数年給料を貰った記憶が無いけど。いや、食うに困った事も無いんだけどさ」

「基本、アッシュ様ってどちらかのお城で生活なさっていらっしゃいますものね」

「場末の牧童が出世したもんだよね」

「ご実家、領主家の分家でいらっしゃいますけど」

 

 因みに、初孫の前に新たな弟か妹が誕生する確立の方が高いよね、と言うのが、あの両親を知る者全てに共通する認識である。

 給料の大半は弟達の養育費に当てられているとか、居ないとか。

 

「思えば遠くへきたものだ……っと」

「あら」

 

 ドン、ドンと空気を揮わせる祝砲の音が連なる。

 天幕の外で怒号と、その向こうで、拡声器を通して伝わる、やかましい、全く以ってやかましい早口によるアナウンスが続いた。

「……始まっちゃったか。いや、わかってた事だけど」

 遠鳴りのように響く怒号をBGMに、ため息を一つ。

「一旦切り上げますか?」

「午後まで出番は無いし、いいよ」

 メイドの言葉に首を横に振ろうとして、

「―――ああでも、折角だからイズミ君の登場シーンくらいは見ようか」

 周りに聞こえるようにそう言って、席を立つ。

 共に仕事をしていたメイド達を引き連れて、天幕の外へ。

 そこは、即席とは思えぬほどに堅牢に縄張りされた、ガレット軍の主陣地だ。

 敬礼をしてくる歩哨に片手を上げて応じながら、物見やぐらを上へ登る。

 見晴らしの良い台地に立てられた、戦場全体を直接俯瞰できる場所へ。

 会戦の合図は既に鳴った、となれば、陣地で尤も目立つ場所に婚約者は居る筈。

 彼女と共に、異世界の友達の帰還を見届けるのも良いだろうと、そういう思いがあった。

 

「……あれ? レオンミシェリは?」

 

 しかし、櫓の上には近侍の騎士たちの姿しか無かった。

 近日中に妻となる筈の女性、ガレットの領主の姿が無い。

 見知った顔の、そのどれもが曖昧な顔で明後日の方向へ視線をずらした事に、実に不安を感じた。

 

「先陣はガウルが勤めるって言ってたじゃないか。まさか……って、マジで居るよ」

 

 黒いセルクルに跨る、白銀の獅子の姿。

 一目で解る、解らん筈もないだろう、婚約者の姿。

 空中モニターに投影された、その背景に映るのは、まさしく。

 

「どーみても、前線陣地の防護柵じゃねーか……」

「あ、因みに伝言ですが、主陣地はアッシュ様に任せる、とのレオ様よりの伝言です」

「だからオレはまだビスコッティの将軍なんだよ! いやもう、本当に今更なんだけど! と言うか、ウチの大将格、誰も陣地に残ってないじゃないか!」

 

 大将レオンミシェリは前線。半独立部隊のガウル及びジェノワーズ、ゴドウィンも前線陣地。

 バナードとビオレは野外特設ステージで解説。

 主陣地には、平騎士しか居ない。

 

「軍事面ではそれで問題なく動いちゃうんだから、もうやだ……この脳筋国家……! たまにはそれを内政に生かそうよ……っ!」

「皆様、アッシュ様をご信頼なさってますから……」

「あんまり嬉しくねぇ……っ! オレも本来なら前線で戦働きする側の人間なのに……!」

 眉間を指で押さえてうな垂れる。

 大軍団の指揮統率とか、ちょっと面倒くさ過ぎるだろうと―――いや、だからこそ押し付けられたに違いないのだが。

「とりあえず、最前線の馬鹿どもに伝令を―――」

 それでも投げ出さないあたり、苦労性な少年だった。

 だが当然、苦労は中々報われない。 

 

『刮目して見よ! 我がガレット獅子団の、勇者の姿を!』

 

「……は?」

 高らかな宣言とともに。

 遂に戦場には、勇者が―――勇者らしい。どうやら。

 このフロニャルドでは極めて珍しい、裸耳の少女。

 見るからに、運動神経は優れていた。その姿をじっくりと眺めた後で、背後の女性に振り返る。

 

「……オレ、何も聞いてないんだけど」

「それはだって、戦闘相手国の方に、隠し玉をお伝えする訳には行きませんもの」

 ぴん、と指を立てて、メイドは答えた。

「……それ、誰の意見?」

 音頭を取ったのは誰だ、と追求する。

「アッシュ様がお考えになった方―――と、言うのは」

 如何でしょうか。

 冗談にしかならない言葉に、そういえばオレはビスコッティの人間だよなと、彼も今更ながらに思い出す。

 が、事はそういう問題ではない。

 勇者を呼び出したということはヴァンネットの召喚塔が用いられていた筈で、召喚儀式などという大仰な儀式が行われるのであれば、事前の準備は必須だ。

 城内で準備を整えようとすれば、本来、彼の耳に入らないはずがないのだが……。

「ガウルの馬鹿にしたって手際が悪いと思ったら、皆して嵌めたな……」

 ここ数日、彼はヴァンネット城を離れ、いち早く戦場に足を運び運営委員会の事務仕事の陣頭指揮をとっていた。

 ついでに、結婚式の準備に掛かりっきりであり、その他の一般業務に携わる量を減らしても居たのだ。

「秘密にしようと思えば、秘密のままにしきれる状況か……。アレ、事前に聞いてたイズミ君が連れてくるって言ってたお客さんだよな……?」

「はい。タカツキ・ナナミ様です。星詠みを行ったレオ様が、勇者になってもらったら面白いのではないか、と思いついたようで」

「面白いって……そんな思いつきで、本来救国の存在のはず勇者呼んで良いのかなぁ……? いや、今回はイズミ君も観光で来てるってのは知ってるけど。心臓に悪いから、こー言う事は事前に教えておいてくれよ」

 驚くから、と言う彼に、しかしメイドは。

「ご安心ください。サプライズはまだまだ沢山ありますので♪」

「……あの、それ。さっきまでの仕事が全部無駄になるフラグですよね?」

 貰った台本間違っていると言うかもう役に立ちませんよね的な意味で。

 

 ―――ニコリ、と微笑むメイド。

 いっそ清々しいほどの確信犯だった。

 

 突っ込む気持ちにもなれない、このやり場のない怒りを何処にぶつければ良いのか。

 

「オレも前線で暴れて来ようかな……」

 ストレス発散のために。

 呟くと、メイドはすぐさま頷いた。まるでそれが、計画通りのように。

「どちら側として参加なさいますか?」

 尋ねる彼女の背後には、両国両デザインの鎧が、それぞれ、二つ。

 無論、彼のために誂えられたものだ。

「とりあえずぶっ飛ばすならガウルが適役だから、ビスコッティ側にしようか。あぶれたイズミ君はあの新しい勇者とマッチアップってことで。あ、指揮はゴドウィンさん辺りに取らせておいて。どーせ前行ってもなんもせずに酒飲んでるだけなんだから」

 サボり的な意味ではなく、一般参加の兵士の多い現状では、騎士格の人間は前へ出過ぎないというのが当初のスケジュールだったのだ。もうとっくに破綻しているが。

 投げやりに言う彼に、メイドは礼儀正しく頷く。

「では、プランBで各方面に伝達します。あ、台本はこちらに。タイミングを告げるための無線機は……」

「準備が良いなぁ畜生!」

 

 参りました、と一つ息を吐いた後で。

 

「戦争の始まりだ」

 

 アシガレ・ココットは、天を仰ぎ宣言した。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 

 

 





 管理者の方、まことにお疲れ様です。
 どこもかしこも、何だか大変な状況みたいですね。


 ―――まぁ、さて。
 ここから初公開部分になります。

 所謂二期の内容なのですが……例によって放映中に同時進行ですので、内容は毎回毎度勢い任せで、後で何か判明したらそのつどその場しのぎをしのいでいくってな……。

 今回も無事オチまでたどり着けると良いですよね!




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