ビスコッティ共和国興亡記・HA Edition   作:中西 矢塚

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 ◆◇◆

 

 

 ヴァンネット城は、記憶のままにあった。

 シガレットにとっては役二年ぶりの来訪―――現段階では―――の筈なのに、まるで、昨日出かけて、今日、帰宅したかのような気安い空気で、そこは彼を迎え入れた。

 何故だか当たり前のように私室があれば、専用の執務室もある。

 港の様子を一望できる廊下を歩けば、何故か隣に居る領主を差し置いて、各種文官は彼に群がる。

 まさしく、ホームと呼ぶしかない、そんな空気だ。

 何を懐かしむ必要も無く、当たり前に日常が続いているのなら、当然、シガレットのやることは極まっている。

 即ち、仕事だ。

 私的な勇者の歓待を領主に任せて、文官たちを引き連れて、執務室で書類の山に埋もれる。

 つみ上がった書類の山。

 圧倒的なその量だけが、彼に二年の歳月の経過を感じさせるものだった。

 

 ―――とは言え。

 まさか二年分の書類の確認を夕食前に終わらせられる筈も無く、最低限、勇者召喚によって発生した公式行事の日程のズレを修正する作業を終了させ、今はもう、夜。

 因みに、帰還初日の食事は、何時もどおり執務室で済ませた。

 

 夜。

 ヴァンネットでの夜をどう過ごすか。

 シガレットの選択は、また、周囲の人間の解釈も、一つだった。

 風呂上りの彼に、就寝前にしてはキチっとした身なりの服へ着替えさせたメイド衆に先導されること、少し。

 先導されるまでも無く、通い慣れた一つの部屋へ、彼は足を踏み入れた。 

 

 

 ◆◇◆

 

「なにやら、昼間は面白い話をしておったの」

「……?」

 

 ぼうとしていた視線を、少し上げる。

 ワイングラスを揺らす、妖艶な―――部分は、残念ながら一度も感じたことは無い―――美少女が見えた。

 美少女。いや、もう真ん中の一字を外しても良い頃だろう。

 優雅に晩酌を行うと言うこの趣味も、最早、年に似合わぬとは、言えない。

 格好付けて一息でグラスの中身を飲み干そうとして、思いっきり咽て、挙句に顔を真っ赤にして目を廻していた頃とは、違う。

 酒の肴にはこの上ない、夜の湿度が似合うようになってきた、つまりは、美女が居た。

 レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ。

 今や、婚約者である。

  

「……疲れておるのか?」

 帰城早々に忙しそうだったようだし。

 返事が無く、ただ視線を合わせているだけのシガレットの態度が奇妙に映ったのだろう。

 気遣うような言葉に、シガレットは苦笑して首を振った。

 貴女に見蕩れていただけです―――なんて言葉は、言う筈も無い。

 そんな言葉を聞いて喜ぶのは、部屋の隅で家具の一部に溶け込んでいる、メイドたちだけだからだ。

「いえ、何時ものことなので、別にそれほど疲れている訳では―――ああ、いや。勿論、言葉で気遣う前に手伝えよとか思わんでもないですけど」

 一緒に帰ってきた連中全員が、そそくさと逃げ出してくれやがったし、と。

 恐らく、シガレット以外には出来ないであろう、領主相手に、堂々とした暴言だった。

 だが、敵も然る者。

 数年来、似たようなやり取りを繰り返してきているのだ。

 今やレオンミシェリは、その程度の言葉では良心に傷の一つも浮かび上がらない。

「船やら、鉄道やら、学校やら。―――半分以上、ヌシの趣味じゃろ」

「まぁ、そうなんですけどね。でも残りの四半分程度は、お宅の弟さんの不始末の尻拭いだったりもするんですが」

「安心せい。もう直ぐお前の弟じゃ」

 精々、過保護に可愛がってやるのじゃなと、レオンミシェリは喉を鳴らす。 

「生まれた順番の速さで言えば、実はアイツのが兄だったりするんだよなぁ」

 今更だけど、とシガレットは渋面を浮かべる。

 結局のところ、適材適所とシガレット自身すら思っている。

 ガウルは中心に立つ華はあるが、下から誰かを支えるような地味な仕事には、まるで向かない。

「それでも少しは、せめて流れくらいでも覚えてくれれば、こっちもフォローし易く……天才肌ってヤツとも違うけど、アイツもなんつーか、過程をすっ飛ばしていきなり解答から入るタイプだし……いやまぁ、今更ですね、コレも」

 オレが引退するまでに教育しきればきっと平気だ、と。

 あからさまに問題の先送り宣言をした後で、シガレットは話を切り替えた。

「で、昼間がどうの、とか言ってましたけど」

「ん? おお。それは、アレじゃよ。―――ナナミ達と」

 あと、ジョーヌとベールと。

 若干視線をさまよわせながら、レオンミシェリは言った。

 照れるくらいなら聞かなければいいのにな、と思いながら、シガレットは首を傾げる。

 

 昼間の会話。

 ナナミ達の、と来れば内容も自ずと知れようと言う物だ。

 内容に反して、無駄に騒がしく話していたものだから、声の響く草原の道中だ。

 最前列を進むレオンミシェリの耳にまで、話の内容が届きもするだろう。

 

「面白かったですかね、アレ。いや、人によっては愉悦を覚えたりもするでしょうけど」

 羞恥プレイを強制する的な意味で。 

 何しろ話題は、『誰が誰のどんなところが好きか』と言うゴシップ極まりないものだ。

 案の定、レオンミシェリは愉しげに笑っていた。

「ウム。右へ左へハナシを振り回して―――ようも誤魔化したものじゃな」

「いや、割りと本音トークだったと思いますが。タカツキさん、何か人に嘘をつかせ辛い空気とか持ってますし」

「であろうな。嘘であったのなら、流石にワシも、困る」

 

 仮に、会話を締めたときのシガレットの一言が嘘だったとしたら。

 恐怖を覚えるのか、或いは、怒り狂うのか、悲嘆に暮れるのか。

 どちらにとっても想像したくない光景だろうし―――無論、想像する必要の無い類の光景だった。

 

「じゃが、言葉の解釈を相手に委ねて、煙に巻いたのは事実であろ?」  

「そりゃ、衆人環視の中で羞恥プレイ染みた真似はしたくないですもの」

「フム。しかし、ワシは気になる。気になって今晩は眠れないかも知れぬ。そして丁度よいことに、衆人の監視とやらは、ここには無いぞ?」

 テーブルに肘をかけ、僅かに乗り出すレオンミシェリ。

「いや、一番聞いて欲しくない人たちが周りに居るような気もするんですけどね」

「ん? いや、誰も居らぬぞ。安心せい、人払いは出来ておる。ビオレも下がらせたであろ?」

 いや、それはどうだろうねと、シガレットは内心で婚約者の言葉に突っ込みを入れた。

 室内には彼等二人以外に、人の気配は無い。

 無論、室外にも気配はない―――が、居ないはずが無いのだ。

 お呼びとあらば―――無くても、必要と判断すれば即参上、が彼女等の務めなのだから、恐らく、否、確実に寝室の端で晩酌を続ける二人の声が聞こえる場所に、居るに違いないのである。

 だが、恐ろしい事に、歴戦の勇士たるシガレットをして、周囲には人の気配が全く感じられなかった。

 だが逆に、だからこそ、確実に隠れているに違いないと、断言できる状況だった―――経験談的な意味で。

 

 ―――とはいえ。

 

「今更、その程度の羞恥プレイに臆していても、ねぇ」

「何がじゃ?」

 なんでもない、と首を傾げるレオンミシェリに笑いかけるシガレット。

 笑顔のまま、

 

「愛していると、ここでもう一度言葉を重ねても足りませんか」

 

 或いは淡々とした調子で、続けた。

 レオンミシェリは虚を突かれた顔のままでしばらく間を置いて、やがて、頬を赤らめるのではなく、少し申し訳無さそうな顔で、視線を逸らす。

「足らぬ訳がない―――無いが、持て余しているのかも、知れぬ。いや、勿論お前の気持ちを疑った事など、無い……いや、そうじゃない。疑っている訳ではないが、いや。―――つまりじゃ、昼間にお主も言っておったじゃろう? 性格の合わぬ部分もあれば、目を覆いたくなるような失態すらも知っていよう」

 そうでありながら、尚。

 当たり前のようにシガレットは、レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワに対して、愛を囁くことなどできるのか、と。

「ヌシの言葉は嬉しい。聞くたびに、重ねられるたびに、異なる彩りと共に、ワシの胸を高鳴らせる。で、あるからこそ……いや、すまぬ。面倒なことを」

「ああ、いえ。何となく言いたいことは解ります」

 酒も入って、良くない方向へ進みそうだった言葉を、慌てて退ける。

 思いのほか深刻な方向性の会話の内容に、若干戸惑いも覚えていた。

 

 幸福である事が不安である。

 不安に思っている事実に、申し訳が立たない。

 それが余計に、自分を追い詰める。

 結婚を目前に控えて、よくある話とも言えるかもしれないし、だからこそ、解決は難しそうだ。

 

 その難問に対して、シガレットが思うことといえば。

「まぁ、でも、多分。そー言うところが、ええ。オレは好きなんですけどね」

 ああ、幸せだなと。

 疑いようの無い顔で、言うのだった。

「……はぁ?」

 何故そうなる、と眉根を寄せるレオンミシェリに、シガレットは微苦笑する。

「初対面の時から、今も変わらず、オレにとって貴女は手の届かない高嶺の花ですから」

 根はどうしようもなく小庶民ですしね、と冗談めかしながら。

「手が届かないと思っている女がね、こう、自分から慰めろ、と傍によってくるとか。コレで惚れない男が居るとしたら、見てみたいですよ。ああいや、見たくないです、やっぱり」

 

 オレだけで充分だ、と。

 

「……案外と、独占欲が強いのだな」

 他人事のように、レオンミシェリは言った。

 お褒めの言葉まことに恭悦、とでも言えばいいのか。

 不必要なことをしゃべり過ぎているんじゃないかなと言う不安を覚えつつ、シガレットは頷く。

 自分が不安を覚える程度で、レオンミシェリの不安を解消できるなら、それは最早、優先順位を付けるような問題ですらないのだから。

「まぁ、昔から貴女に対してはこんなですよ、オレは。ロランさんに嫉妬したこともありますし」

「ロラン? ロラン・マルティノッジか? 何故そこで」

 そんな名前が出てくるのか。

 当然の疑問の言葉に、シガレットは失笑気味に答えた。

「ガキの頃、訓練試合で負けたことがあったでしょう? 盾を突破できなくて」

「……随分、古い話しを」

 今なら余裕で勝てるぞ、と頬を膨らませるレオンミシェリ。

 それはそうでしょうね、と頷きながら、しかしシガレットは全く彼女が予想外の言葉をつむぐ。

「試合に負けてふて腐れるレオンミシェリの頭を、ロランさんが撫でていたんですよね。アレが実に様になっている風に見えて―――ああ、うん。思えばあの頃から、かな。オレはレオンミシェリ、貴女と、こうなりたかった」  

 瞳と声に篭る熱量に、レオンミシェリは戸惑いを。

 

「……そう、か。ウム。そうか」

 

 一度、二度と。

 噛み締めるように頷く。

 レオンミシェリは戸惑いを―――戸惑いは、漸く。

 思えば、春の夜の、あの湖の畔のひと時から、ずっと抱いていた戸惑いが。

 

「そうであるならば、もっと早く言えばよかっただろうに」

 馬鹿者がと、幸福な人間だけが浮べることが出来るであろう表情で、レオンミシェリは言った。

「ふられたら怖いじゃないですか」

 勢い任せに余計なことを言い過ぎたとでも言わんばかりの投げやりな口調で、シガレットは言う。

 レオンミシェリは笑った。

「幾ら小娘の頃のワシであろうと、惚れている男の言葉を断るほど愚かではあるまいよ」

「―――そりゃ」

 息を詰まらせるシガレット。

 レオンミシェリをまじまじと見つめ、それから漸く、大きく一つ、息を吐く。

「そりゃ……いえ、うん。ええ。―――ええと、好きです」

 

 だから。

 付き合ってください。

 

 問答の余地無く、間違いなく支離滅裂な言葉である。

 レオンミシェリは肩を震わせて笑った。

 ツボに入ったとでも言わんばかりに、苦しそうに、愉しそうに、それから、嬉しそうに。

 レオンミシェリは笑った。

 シガレットは不貞腐れた顔をを作った。

 レオンミシェリはもう一つ笑い、そして、更にテーブルの上に身を乗り出す。

 二人を隔てるのは、小さな丸テーブル一つのみである。

 半身を乗り出せば、最早、片肘をつくシガレットを、真下から覗き込むような姿勢だ。

 

「そういうところが、好きじゃ。たかがワシの言葉一つで……ウム。―――ははっ、実に似た物同士じゃな、ワシ等は」

「嬉しいですけど、正直あんまり、嬉しくないですよ」

 形だけの反論は、直ぐに、刹那の間もおかず、ニヤつく物を抑えきれぬ、只の笑みに変わった。

 至近距離で、見つめあい、笑いあい、頬を染めあい、―――さて。

 そして二人が、愛し愛されあう、婚約者同士であれば。

 

 瞳を閉じたのはどちらが先か。

 顔を寄せたのは、どちらが先か。

 まるで、競争のように、競い合う速さで、二人は。

 

「レオ様~~~! いっしょに寝よ~~~~!!」

 

 ばぁん、とドアが開く。

 枕を抱えた黒髪の少女―――あらゆる意味で勇者な少女が、転がり込んでくる。

 固唾を呑んで二人の様子を見守っていたメイド達ですら呆気に取られる、そんな最高に空気を読まないタイミングで。

 

「……あれ?」

 

 固まる空気が、更に凝固する。

 パジャマ姿で枕を抱えてレオンミシェリの寝室へと飛び込んできたナナミは、そこで漸く、室内の様子に、気付いた。

 窓に近い位置に据えたテーブルの上で身を寄せ合う、見知った男女。

 因みに、現在は夜で、此処は女性の寝室で、男女だから、当然片方は男性だ。

 ナナミとて、コレで年頃の少女である。

 実体験を伴わない、あくまで聞きかじり程度の知識であっても、これだけ状況が揃っていれば―――いやさか。

 むしろ、聞きかじりの知識しか持たぬがこそ、過剰に反応してしまうのが、夜の―――基、世の道理。

 

「し、失礼しましたぁ~~~~~~~~~~~!!」

 

 肝心のシガレットとレオンミシェリが全く反応できないタイミングで、ナナミはレオンミシェリの寝室からログアウトした。

 輝力の残光すら見える全力の速さだ。

 

 少し後。

 漸く、ぽつぽつと。

 

「……ええと」

「言い訳とか、考えて法が良いんですかね、やっぱ」

「何を言い訳するところがあるのじゃ?」

 男の言葉に、聊かの不機嫌さを交える女。

 返答によってはただでは済まぬと言う態度に、男はおどけて、

「そりゃ、何時もよりアルコールの度数がキツかった事とか?」

 こっそりと覗きを行っている連中が、翌朝辺り酷い目に会うであろう、些細な事実を口にした。

「戯けが」

 気付いていたなら言わぬか、と。

 未だに至近にあったシガレットの額を、レオンミシェリは容赦なく小突く―――自らの額で。

 コツンとぶつかる、互いの、離れる、鼻先が擦れ合う、僅かな距離。

「いやぁ、普段と違うところとか、見れるかなって」

「……悪く酔って、我慢も効かなくなってしまったら」

「それはそれで、良いじゃないですか。そろそろ夫婦になるんですし、赤裸々な話も出来そうですし」

「―――ならば先ず、お主はその微妙に丁寧な言葉遣いを何とかせよ。今更じゃが」

「いやぁ、高嶺の花に、やっぱり恐れ多くて。まぁ、でも」

 

 善処します、と。

 その距離が、どちらかの、どちらもの、悪戯心で、直ぐに。

 

 おやすみ、と言い合って、二人は別れた。

 その日、その晩は、結局。

 たったそれだけの、当たり前の日常だった。

 

 




 結婚する、する、言うてても、こいつら全然会話シーンが無いんだよなぁと思いながら、じゃあ一つ、ラブにコメった感じの……と思って出来たのがごらんの有様である。

 ナナミさんお疲れ様でした。



 
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