ビスコッティ共和国興亡記・HA Edition 作:中西 矢塚
◆◇◆
「どうぞ」
「どーも」
カチャ、と静かな音とともに差し出されたアイスティーのグラスを、だらりとした手つきで受け取る。
ストローを口にくわえ、よく冷えた紅茶で喉を潤して、一息。
空を見上げる。
ビスコッティ王都フィリアンノンに存在する、ガレット大使館のテラスから見上げる空は、何時もどおり紫色に晴れ渡っていた。
「なーんか、朝っぱらから、だらけちゃうね」
「このところ忙しかったですし、宜しいかと」
ルージュの添えた言葉に、シガレットは微苦笑を浮べた。
窘められたかったらしく、どうも、腑抜けた発言を全肯定されてしまったのが、むず痒かったようだ。
「宝剣の検分も終わって、ガレット国内に布告もし終えた」
言い訳染みた、仕事はしていましたアピール。
「はい。既に友好各国への招待状も発送し終え、儀式のリハーサルも終わりますれば」
続く、ルージュの言葉に、シガレットは感慨深げに頷く。
「いよいよ、か」
「はい、いよいよ」
後は、平穏無事に結婚式当日を、迎えるだけ。
「……の、筈なんだけどさぁ」
「……はい」
如何ともしがたい、と主従は揃って眉間にしわを寄せる。
「もう一度確認するけど、ルージュさん、何も知らなかったんだよね?」
「伝説の巫女様の御血筋、ということは、アッシュ様にお会いした当初より伺っておりましたが、その……」
言葉を濁すルージュ。
「オレもそーいう話は、前から聞いてたんだよね。古くにデ・ロワ家から分かれた家だった、とか。それをお前が継ぐんだとか、そういう話」
ガレット領主家分家、コ・コア家。
シガレットが、既に継承済みの―――故に、既にシガレットの本名はアシガレ・ココットではなくアッシュ・ガレット・コ・コアとなるのだが、それはさておき―――継承権も持つ由緒正しい家紋である。
コ・コア家の歴史は古く、長い。
まだ人々が、魔王や、それが率いる強大な魔物たちに生存を脅かされていたような、本物の勇者が必要とされていたような、そんな伝説で語られるような時代だ。
その当時、後にパスティヤージュ公国の国祖となる勇者と協力して魔王と戦ったガレット領主家の巫女が、コ・コア家の始まりである。
巫女は強大な輝力を有しており、そしてその力をガレット一国ではなく、世界全てのために役立てたいからと、デ・ロワ家から分かれ、国を後にし、魔王達により歪んだフロニャの力の流れを正すために世界中を巡り、癒しの祝詞を詠い、そしてやがて、旅の果てに愛する人を見つけ、子をなし―――云々。
早い話、その巫女の子孫が、シガレットである……筈だった。の、だが。
「何をどう間違ったら、オレの母上様が姫巫女本人になるんだよ」
「本当に、何故でしょうね……」
先ごろ出合った伝説の時代の生き証人の発した衝撃の事実に、二人は揃って頭を抱えた。
伝説の勇者パーティーの一員である年齢不詳の刀鍛冶、曰く。
それはもう、実にあっさりと、まるで笑い話のように―――いや、事情を知っている者達からすればズバリ笑い話以上のものではないのだろうが―――、全くありがたくない事実を、のたまってくれたのだ。
「念のためかすかな希望を込めてもう一度確認するけど、イスカ殿の勘違いじゃ、無いんだよな」
「はい。先日アッシュ様からご連絡頂いたさい、すぐにこちらでも確認を取りました。ビスコッティの元老―――長老の皆様方は、その事実を存じていらしたようです」
肯定していましたと、主人の留守居役としてフィリアンノンに残っていたルージュは言う。
シガレットは大げさにため息を吐く。
「オレもヴァンネットで確認して見たけど、隠居中の先代様も頷いてたんだよなぁ。母上様が怖いから黙ってた、とか言ってたけど。あの筋肉達磨のジジイをビビらせるとか、マジ何者だよ、ウチの母上様」
「その、それはやはり、伝説の姫巫女様ではないかと」
「因みに、その姫巫女って呼び方、ガレット以外ではされてないみたいだよ。パスティヤージュの英雄王を召喚したお姫様と被るからって」
尚、その代わりとしてついたあだ名は『鉄拳の巫女』である。
巫女と言う神聖な職業にあるまじき、物理系のネーミングだった。
「……いや、うん。ウチの母上様なら、相応しいっちゃあ、そうなんだけど」
「確かに……。マギー様、今も変わらずお元気でいらっしゃいますものね……」
「なんかね、フロニャ力に深く触れている間に、半精霊化しちゃったから歳をとらないらしいよ? 母親がロリババアとか、誰得なんだよホントマジで」
「そのお話、やはり、マギー様当人から?」
恐る恐る尋ねる従者に、シガレットは投げやりな調子で頷く。
「こっちに戻る途中、実家で確認してきたよ」
シガレットの実母、マーガレット・ココットは現在、ビスコッティ・ガレット国境付近の牧場で、夫婦揃ってセルクルの育成を行っている。
毎年のペースで子供を出産している割に、ちっとも体が弱っている様子を見せない、健康極まりない田舎の牧場婦人そのものであった。
「馬鹿な事を言ってるんじゃないって否定してくれれば良かったのに、『アンタまだ知らなかったんだ』とか、ぬけぬけと言いやがるんだぜ? アレが巫女呼ばわりされていた時代があったとか思うと、ホントにもう、ね……」
因みに、父親の方は正真正銘の一般人である。
なんでも、母親の方から一目ぼれして押しかけ女房したとか、なんとか。
「親父様は何時も通りダンディに黙って肩を叩いてくれるだけだし、妹たちは相変わらず三馬鹿に負けず劣らずアホの子ばかりで笑ってるだけだし……あ、そういえば」
普段あまり合わない家族への愚痴の途中で、シガレットは一つ思い出して、上着の小物入れから、あるものを取り出して、日差しにかざす。
「それは?」
「帰りがけに母上様に押し付けられた。持ってれば役に立つとか何とか」
肩越しに覗き込んでくるルージュに示しながら、シガレットは首を捻る。
それは、大振りの、空色のタブレットだ。
空の光を反射する以前に、水から淡く発光しているようにも見える。
透き通った輝きは、神秘的な力を秘めているように感じられた。
「随分と時代を感じる品ですが、宝剣か、何かでしょうか。その、姫巫女様が使用なされていた」
「物理オンリーで戦ってそうなあだ名付けられてる人が、宝剣とか使うかね?」
「何かの力が秘められていることは間違いなさそうですけど……マギー様は?」
渡された時に説明が無かったのかと尋ねるルージュ。
シガレットは無下に首を横に振った。
「何も。あの人、オレの無知を楽しんでいる節があるから」
「……そうですか」
マーガレット・ココットの性格を考えればそうだろうなと、ルージュは素直に頷いた。
あの女傑は、可愛い子には旅をさせた後で千尋の谷に突き落とすような教育こそを、由とするような人物だった。
息子に平気で正体不明の宝石を送りつける程度の試練は課すだろう。
「出来れば、見なかったことにして結い納品代わりってことで城の宝物庫の奥に投げ入れておきたいんだけど」
「流石にそれは……」
投げやりな主に、ルージュは頬を引きつらせる。
面倒ごとから逃げるつもりでそんなことをしようものなら、かえって面倒な事態になる気がしてならなかったのだ。
「その、何か知っていそうな方にご相談なさっては? ……今は、風月庵にはダルキアン卿だけではなく、イスカ・マキシマ様もご逗留なさっていらっしゃるのですよね?」
「素直に教えてくれればいいんだけど、どうだろうね」
気乗りしない口調でシガレットはぼやく。
ブリオッシュ・ダルキアンとイスカ・マキシマ。
年齢不詳の二人の兄妹が、実は伝説の英雄王とともに魔王と戦った勇者パーティーの一員であると言うことは、ある程度以上の地位についている者達にとっては、公然の秘密である。
そして、マーガレット・ココット―――鉄拳の巫女マルグリット・ガレット・コ・コアもまた、英雄王の仲間であれば、勇者パーティーの兄妹と面識が無い筈がない。
故に、尋ねれば事情を話してくれそう―――な、気がするのは恐らく気のせいだ。
なぜなら、人格者の兄妹に見えて、あれで破天荒を地で行くマギー・ココットの盟友らしいのだから。
「あの母上様と親交があるって時点で、若者に苦労を押し付けて、それを傍で見て笑って酒を飲むような資質があるってことだからな」
「言いすぎではないかと…………も、言い切れませんね」
ルージュも躊躇いがちに同意した。
実際、ビスコッティの騎士隊長格の一人であるはずのブリオッシュは、率先して自らが前に出るよりは、背後に控えて若者の成長を見守る立場に着くことの方が多かった。
よほどの苦境でなければ、積極的に手を貸すようなことは、無い。
兄のイスカに至っては、半分世捨て人である。
率先して世事に交わることの方が少ないのだ。
婚礼に使う神剣の鍛造を請け負ってもらうためにも、結構な苦労を必要とした。
「遠まわしに、『答えは自分で探し出せ』って言葉が返ってくるだけだと思うね」
「ええと、では、他に何か知っていそうな方と言えば……ユキカゼさんとか、
ためらいががちに言葉を切るルージュ。
シガレットも手のひらの上の宝石を弄びながら、曖昧な顔を浮べる。
「まぁ、うん。古そうな物の事を聞くなら、古い頃から生きてる人に聞くのが、良いよね」
例えば、そう。
「英雄王アデライド・グランマニエ、御本人とか」
「それと、魔王ヴァレリオ・カルバドス、ですね」
世界を救った勇者と、世界を滅ぼそうとした魔王。
両者とも、伝説に語られる時代の人物である。
魔王は倒され、英雄王は子孫を残して既に逝った。遥か昔に。
「この前、生き返ったんだっけ?」
「はい。パスティヤージュの遺跡の晶術装置が作動し、復活を果たしたとか。現在は、仲睦まじく、ご両人ともにエッシェンバッハ城に滞在なさっているようです」
「……英雄王と魔王が、仲睦まじく、ねぇ」
「……なんでも、ご夫婦のようですとか」
「…………へぇ」
「…………はい」
余りの現実味の無さに、主従は顔を見合わせて首を捻る。
だが、それが現実なのである。
実の母親が伝説の巫女だったのが事実だとすれば、遥か昔に死んだ筈の英雄王が生き返ったり、倒した筈の魔王が復活したりするのも、事実、なのだ。
英雄王アデライドと魔王カルバドスは、如何なる理由か、生前そのままの姿で、復活を果たした。
三国の勇者と、領主達が、揃ってその事態を、目撃したらしい。
「まぁ、伝説なんて幾らでも、後から後から時代に合わせて都合よく改竄されていくものだから、別に英雄王と魔王が夫婦だって驚かないけどさ。そもそも元地球人の勇者の子孫がリス耳尻尾になってる段階で、色々歴史考証がおかしい訳だし」
英雄王アデルは、元々は救国を請われて地球から召喚された勇者である。
故に当然、裸の耳で尻尾は持たない、ごく全うな地球人だ。
対して、その子孫を自称するパスティヤージュ公国公家の人々は、パスティヤージュ人らしい上に尖った耳と、大きく弧の字を描く毛深い尻尾を有している。
「……因みに魔王様は、どちらかと言えばガレット系の人種らしいですが」
二人を足しても何処にもパスティヤージュの要素はなかった。
パスティヤージュの血は、あくまで召喚主の姫の血なのである。
「まぁ、伝説上の人たちだし。後の子孫がパスティヤージュ系で揃っていた、とか? いや、うん。そもそもこの世界の遺伝の法則ってどうなってるのかイマイチ良く解らないんだけどさ。羊とかウサギとかトラとか、あの辺をミキシングしたらどうなるんだろうね? 今度、ガウルとベール辺りで試して見るか?」
「それほどお気になるのでしたら、ご自身で確かめて見るのがよろしいのでは?」
なんでしたら、私がお相手を務めましょうか。
唯一の直属の部下であり、それなりに長い付き合いの年上の人物であり、ついでに、親しい異性の言葉である。
「……ははは、その辺はまぁ、何ていうか、うん。何と言うか、なんともねぇ。―――いや、うん。と言うか、まぁ、うん。ホラ。アレだ。今度どうせ、エストナーシュの音楽祭でパスティヤージュに脚を運ぶんだから、丁度いいかもね」
とても恐ろしく凄まじいくらいにギリギリな発言を、シガレットは何も聞かなかったことにしようと決めた。
結婚目前に、自分から地雷原に飛び込む趣味は、流石に無い。
興味が無いと言えば、嘘になるのは仕方ないとして。
「それが宜しいかと」
「宜しいね、うん。大いに宜しい」
楚々と同意の言葉を述べる、背後に立つルージュを振り返る度胸は、シガレットには無かった。
そういえばこの人、そろそろ適齢期を過ぎるよな、とか、ガウルとジェノワーズの関係を見てると忘れがちになるけど、異性の親衛隊員とかそういう意味を大いに含んでるよなとか、諸々頭の中を過ぎってしまうのは避けられなかったが―――兎も角。
「嫁一筋、とだけ断言させてもらおう。深い意味は聞くな」
「特に何も尋ねる気はありませんけど、それが宜しいのではないかと」
顔を見合わせず頷きあう主従だった。
彼等の頭上を、大きな影が遮ったのは、そんな時である。
◆◇◆
まだまだ残暑も厳しいので、ちょっぴり涼しくなる(冷や汗的な意味で)お話。
ある意味、このSSで一番命がけの状況だったのではなかろうか……。
とはいえ、愛と勇気のフロニャルドフィルターを解除してしまった場合、嫁さんに子供が出来たら、悪い虫避けの意味も込めて、嫁さんも信頼しているであろうこの人が代理を勤めたりするんだろうなぁと、思ったり思わなかったり。
もっとも、現実でその場面になったら、『じゃあビオレさんで……』とか真顔で言って、嫁さんとあわせて二人からボコボコにされる事請け合いなんでしょうが。
まぁ、勇者シンクには是非頑張ってもらいたいですよね。
都築作品初のハーレム主人公を目指して。
確かこれまでだと、真一郎君の幼馴染丼が限界くらいだったっけ……?
いや、桜待坂の2が、あ、でもアレ監修だけか。
わんこは……ペットだからノーカンかな。