ビスコッティ共和国興亡記・HA Edition   作:中西 矢塚

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 ◆◇◆

 

 

 空を覆いつくす、黒い、巨大な影。

 どうやらそれは、ゆっくりと、テラスに居るシガレットたちのほうに向けて、降下してきているらしい。

 

「……なに、アレ。ファザー・ハラオウンの自家用フェリーか何か?」

「お知り合い、ですか?」

 主を守るために一歩前に出たルージュとて、その威容を見るのは初めてである。

 緊張の面を隠さぬまま、主に尋ねた。

「ああ、いや。九台桜隅にある教会に住む、ちょっと変わった取引先の窓口をしてるニートの神父なんだけど、あんな感じの馬鹿でかい双胴船を中古で買って……って、いやまて、あの金属の塊、ひょっとしてロボじゃなくてナマモノなのか?」

 ブツブツと、恐らく本人以外は解らないであろう内容を呟きながら、シガレットは気付いた。

 徐々に近づいてくるそれ、日をさえぎって影となっていても、いい加減細かい輪郭がはっきりし始める。

 

 無骨な装甲が何枚も張り合わさった、マッシブな胴体と、噴煙を吐き出す脚なのか、それとも、エンジンユニットかなにかなのだろうか。

 そして、明らかに腕と解るそれと、背中には今は閉じられているが、それでも巨大に違いない鋼鉄の折合わさった羽。

 胴体から伸びるのは、船首を思わせる鋭い切っ先を持つ、二頭の首。

 下から見上げれば、全体のシルエットは、生前のシガレットが稀に目にしたこともある、空を行くSF染みた巨大な双胴船と似ていなくも無い。

 だがしかし、ひょっとしたら、その実態は。

 

「……竜と、言うものなのでしょうか?」

「腹に注連縄巻いてるし、ひょっとして土地神なのか、コレ……」

 竜。土地神。

 常人であれば滅多に目にかかれることは無いそれらに共通して言えることは、このフロニャルドに存在している生物(・・)ということだった。

 だいぶ、視界を覆うほどの距離にまで近づいてきた鋼の巨体は、ゆっくりと、船首の一つ―――いや、首の一本をめぐらせて、牙をむき出しにした厳めしい顔を、シガレットたちに向けた。

「……っ」

 見ていると、シガレットは実感した。

 まるで紅玉をはめ込んだような無機質な瞳が、間違いなく、意思のある視線を、向けてきていると。

 巨大で、偉大で、圧倒的な生物に見下ろされる絶望的な威圧感。

 脳裏に走る戦慄と警鐘は、或いは生物の持つ生存本能の成す物か。

 我知らずシガレットは立ち上がり、戦うための構えを取ろうとしていた。

 見下ろす巨体の竜と、見上げる若き猛禽。

 一触即発しかねない張り詰めた空気は、しかし。

 

「もしも~し。聞こえていますか~」

「マギーのガキってのは、テメェだろ~?」

 

 竜の背中から覗き込んでくる、小さな二つの影が発した呑気な言葉に、あっさりと一掃された。

「……人?」

 マントを付けた白髪の男と、豪奢なティアラを額に乗せた金髪の女性の二人が、竜の背中を構成しているであろう装甲の縁に、並んで腰掛けていた。

 女性の方はさも友好的な笑顔で、おまけに、ブンブンと大きな仕草で手まで振っている。

 しかも、更に。

「息災で御座るか、シガレット」

「やぁ」

 見知らぬ二人の背後に、見知った二人の兄妹。

「ダルキアン卿、イスカ様!?」

 困惑するルージュの述べるが通り。

 刀鍛冶と大剣豪。年齢不詳の二人の達人達が、そこには居た。

「……ええと」

 この状況をどう理解すればいいのか。

 戸惑うシガレットに向けて、竜の背の上に並ぶ者達は、言うのだった。

 

 ―――迎えに来ましたよ、と。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 灼熱の砂漠の上を、巨大な竜が行く。

 名を、クレイトス。

 かつて伝説の時代、英雄王達とともに戦った、双頭の鋼鉄竜だ。

 シガレットは何故か、そんな伝説の竜の背の上に立っていた。

 

「……ええっと」

「どうしましたか、シガレット。あ、オヤツ食べます?」

「ああ、いえ。どうぞお構いなく」

 差し出された剥き身の果物を、謝絶する。

「まぁまぁ、遠慮しないで。一杯食べないと大きくなれませんよ」

 だが、ニコニコと、意外と押しの強い笑顔で押し切られて、手の上に載せられてしまう。

 渡されて、食欲も無いからと返すわけにも行かず戸惑っていると、背後から野次が飛んできた。

「おいアデル。何かお前、孫を甘やかす田舎のババア……ヴフォゥ!?」

 野次は途中で悲鳴に変わった。

 何か手のひら大の固形物が、凄まじい速度でシガレットの横を通り過ぎたのは、多分、気のせいではないが気のせいにしておくべきなのだろう。

 背後を振り返ってみると、花札で遊んでいた筈の約一名が、案の定ひっくり返っていた。

「口は災いの元でござるよ」

「せめて甥っ子程度にしておけばいいものを……ふん」

 再びシガレットの横を果物が通り過ぎたが、次に聞こえてきたのは悲鳴ではなく、手のひらが弾くような音だった。

 どうやら、体よくキャッチしたらしい。

「まぁまぁ、シガレット。あまり硬くなくて良いでござるよ」

「いや、そうは言いますけどね、ダルキアン卿……」

 それこそ親戚の伯母さんのような柔らかな物言いに、シガレットがやはり、戸惑いも露に応じると、傍に居たほぼ初対面の女性が、身を乗り出してきた。

「そうですよ。マギーの子供はマギーそっくりの腕白さんって聞いて、楽しみにしていたのですから」

「見た目は……イテテ、デコ腫れてるんじゃねぇか、コレ……っと、あんま、マギーには似てねーけどな」

「はぁ。―――いえ、まぁ。父親似ですので」 

 曖昧に答えるシガレットは、実は正直、結構精神的にいっぱいいっぱいだった。

 

 ―――それも、仕方ないだろう。

 

 自分の母親をことを、親しげに愛称で呼ぶこの四名の男女。

 何を隠そう、彼等は、伝説の英雄王とそのパーティーなのだから。

 

 英雄王アデル。魔王ヴァレリー。そして対魔剣士のマキシマ兄妹。

 

 いずれも劣らぬ英雄―――約一名、悪名高き魔王が居るような気がするが―――達である。

 天空の聖騎士などと渾名されるシガレットをして、場違いと言う他ない、伝説に燦然とその名を刻む者達だ。

 尚、彼等とともに語られる英雄は、もう一人居る。

 

「マギーも一緒に来てくれれば良かったのですが」

「あいっかわらずマイペースだな、あの腕白娘も。大量のガキどもに囲まれてた時はビビったけど」

「長男が婿に行くという状況になって尚、新婚気分が抜けていないのは流石にどうかと思うけどな……大きい方の娘さんたち、呆れてなかったか?」

「まぁまぁ。あのマイペースが、如何にもマギーらしいではござらぬか」

 限度と言う物があるだろう。いや、微笑ましいではないですか。つーか、腹でかくなってなかった?

 ―――など等。

 シガレットを一人放って、共通の話題で盛り上がる伝説の英雄達。

 

 彼等が共通して話題にする人物こそ、何を隠そう、シガレットの実母その人だ。

 マーガレット・ココット―――マルグリット・ガレット・コ・コア。

 伝説の英雄達の一人。鉄拳の巫女なる呼び名で知られる人物である。

 

 彼等、現代に蘇った英雄王と愉快な仲間達は、本当はシガレットの母をこの場に呼ぶつもりだったようだ。

 だが、母マーガレットは、あっさりと旧友達の呼びかけを謝絶。

 変わりに、結婚間近の長男を代理として指名した。

 集合した英雄王一行は、その脚でガレット大使館のテラスで親衛隊長とギリギリの駆け引きを繰り広げていたシガレットを迎えに来て、今に至ると、そういう状況である。

 

 そして気付けば、緑豊かなビスコッティ領を遠く離れて、人気の無い、灼熱の砂漠地帯だ。

 

「……あの、アデライド様、そろそろ目的地くらいは教えていただきたいのですけど」

 日傘を差して呑気に鼻歌を歌う尻尾を持たない女性に、シガレットはおずおずと尋ねる。

 英雄王アデルは、様は要りませんよと微笑んだ後で、シガレットの疑問に応じた。

「封印洞窟です」

 

 それは、彼等英雄達が封印してきた、数多の魔物達を、封じ、そして癒し清めるための施設なのだ。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 クレイトスは、砂漠に埋もれた、古い時代の建造物の合間に、着陸した。

 ところどころ壊れ、その意味を損失していながらも、最も重要というべき、内部施設には損失一つい。

 どうやら、紋章術による強力な封印により、内部の機能は健全に保たれていたらしい。

 そして、封印を施した当人であろう、英雄王が背後に巨大な紋章を煌かせた時、封印は解除された。

 天然のヒカリゴケが淡く照らす、神秘的な、巨大な洞窟の内部へ、英雄達とシガレットは、足を踏み入れる。

 洞窟の高い天井を反響して、どこからか流砂の音が響く中を、奥へと進む。

 その途上でシガレットは、意外なものを目撃していた。

「自然の少ない砂漠の洞窟に、土地神が、こんなに……?」

 洞窟の岩間の向こうには、大小さまざまな、守護のフロニャ力の象徴たる、土地神達の姿が見える。

 生命力の少ない砂漠で、多くの土地神達が行き交うその意味は、この場所が、それだけの守護の力で満たされていることを証明していた。

「内部の循環機能は、健常に作動しているようですね」

「土地神達も元気そうでござるからな」

「守護力は欠片も失われていないってことだ。―――あとは、肝心の封印システムだが」

 満足げに頷きながら、英雄達は更に洞窟の奥深くへ進んでいく。

 膨大な守護の力の象徴、輝力の結晶化した水晶が岩の隙間から光を放つ、洞窟の奥の広大な空間。

「ここはまた、入り口あたりにもまして……」

 空気からして違う。

 肌で感じられるほどの膨大なフロニャの守護力の流れに、シガレットは圧倒された。

 恐らくは地下深くを流れるより強い力の流れを、術的な方法でこの洞窟内部に流し込んでいるのだろう。

 あれほどの土地神が発生しているのも、当然と言えた。

 これほどの守護の力を集積して、果たしてここでは何をしているのか、力の流れを押さえながら辺りを見渡していると、大よその事が理解できてきた。

 そこかしこに突き刺さっている刀の傍に近寄りながら、シガレットは呟く。

「封印刀に力を流して……いや、入れ替えて……ろ過してる?」

 刀は呪的な効果を秘めているであろう鎖につながれており、更に周囲には陣が敷かれている。

 それらが、刀の内側にある存在(・・)に対して、汲み上げたフロニャの守護の力を用いて影響を与えているのだろう。

「大体アタリだ。伊達にマギーの倅じゃねーんだな、ボウズ」

 ぽん、と背後から近所のオッサンのように頭をなで繰り回してくるのは、結局何者なのか今ひとつ良くわからない魔王だった。

 若干、悔しそうな顔をしているのは気のせいだろうか。

「刀に封印された魔物を、守護の力を利用して正純化する。この洞窟のシステムを考え出したのは、このヴァレリーでござるからな」 

「小僧にひと目で種を割られてしまえば、悔しくもあろうよ」

「うっせ。別に悔しくなんかねーし。このボウズはそもそも、そのためにつれてきたんだし」

「うわぁ!?」

 あからさまに負け惜しみ臭い台詞を言いながら、ヴァレリーは片膝を付いていたシガレットの首根っこを引っつかみ、立ち上がらせる―――と言うか、つまみ上げる。

「ちょ、放してくださいよ!」

 つま先すら付かない位置に持ち上げられ、喚くシガレット。

 本格的な成長期が訪れるまでに後一、二年は掛かりそうなシガレットである。

 成人男性の中でも長身の部類に入るヴァレリーとの身長差は歴然だった。

「いいからホレ、どうだ? というか、軽いなボウズ。それに小せーし、ちゃんとメシ食ってるのか?」

「結婚寸前の男に対して、なんつー屈辱的な……! と言うか、何この、田舎で遊び相手が誰もいないで親戚のオッサンたちに囲まれてる状況みたいな、アウェイ感は!」

 普段と違い周りに味方、と言うか手下、もとい目下が全く居ない状況だった。

 周りには目上の人間しか居ない。因みにルージュはフィリアンノンに居残りである。

 身長体格の事を突っ込まれれば、普段であれば力押しで黙らせるのが常套手段だったのだが、周りに偉い人しかいないとあれば、流石に難しいのだ。

 言われるがまま、振り回されるがままになるしかない。

「それ、今の状況と、何も違って無くないかい?」

「拙者らにとっては、お主、兄妹従姉弟の子供のようなものでござるからな」

「ですです」

 微笑ましげに語り合う、年齢不詳の英雄達。

「見た目若作りなんだから、少しは年寄り染みた真似を自重しろよアンタたち……」

 ため息を吐きながら、シガレットは首根っこをつかまれたまま、周囲を見渡す。

 説明不足の状況で、何となく周りがやって欲しい事が解ってしまう辺りが、彼の苦労性の所以だった。

 

 元々、彼等はシガレットではなくその母マーガレットを此処へ連れてくるつもりだったらしい。

 そしてマーガレットは、どうも本当に、英雄王の仲間の優れた巫女―――つまり、フロニャの力を御する事に長けた人物のようだ。

 人為的にフロニャの力を汲み上げたこの洞窟で、そんな力を持つ人間が行う役目など、考えるまでも無い。

 

「……む?」

 超直感的な何かに引かれて、シガレットはその方向に視線を向ける。

 封印の刀の連なる洞窟の、更に奥。暗がりで此処からでは様子が伺えない方向だ。

「あっちか」

「なるほど、奥の封印は、大分古いものだからな」

「やはり、どれだけ施術を徹底しても、経年劣化は防げませんねぇ」

 シガレットが何かを言うのを待つことも無く、英雄達は各々言いながら、シガレットの視線の向いた方向へと歩き出す。

「あの」

「心配ないでござるよ。その感覚を頼りにしたくて、おぬしを連れてきたのでござるのだから」

 笑いかけてくるブリオッシュに、シガレットは、いえ、と首を横に振った。

 

「そんな事よりいい加減、おろしてください」

 

 懐中電灯ヨロシク、腕にぶら下げられたままだった。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 

 

 それは刀身に亀裂が走った、今にも折れて朽ち果てそうな刀だった。

 

「三号封印……」

「なるほど、他の封印と比べても、劣化が激しい」

「此処に封じたのはどんな魔物でござったかな」

「確か、大ねずみの……」

 

 正確に管理されていた力の流れの、おかしくなっている部分。

 シガレットが直感的に見つけ出したそこにあったのが、この、崩れ落ちる寸前の刀である。

 封印刀自体が内部に魔物を封じているのだと考えれば、それが朽ちて壊れた時、どのような惨事が発生するかなど、考えるまでも無い。

 

「だが、コレだけの歳月をかけていれば、もう精霊化していてもおかしくはない」

 野性味溢れる外見からは想像も付かない知見に溢れた声で、ヴァレリーは言った。

「新たな封印等に御霊別けして再封印を……いや、此処まで正純化していれば後は」

 ブツブツと呟きながら観察を続けるヴァレリーを他所に、シガレットは周囲に視線を向ける。

「全体的に、さっきまでの場所に比べて、力の流れが弱い……のかな?」

「フム。それなりに確りと管理してきたつもりではござったが、やはり見るものが見れば劣化は隠せぬでござるか」

「マギーが居れば、この場で力の流れを綺麗に出来るのだがね」

「―――そうなんですか?」

 あの母に、そんな超自然的な真似が出来るのかと、シガレットは首を捻る。

 その態度に、イスカは苦笑した。

「アレで本気で嘘みたいに優秀な巫女なのさ、マギー、キミの母親は」

「うむ。マギーなら地脈の乱れ程度なら、簡単に直してしまうでござろうな」

「と、言われても、それらしいところを何一つ見ていませんので……」

 まるで信じられません、と応じるシガレット。

「とはいえ、キミの才能はどう考えても彼女の遺伝だ。女性として生まれていたのなら、きっと……む?」

 イスカは途中で言葉を止めた。

 シガレットとブリオッシュも何かに気付き、揃って封印刀を確認するヴァレリーたちのほうへ、振り返る。

 

 洞窟を揺らす、微かな鳴動。

 

「……しまった!」

「いけません!」

 舌打ちする魔王と、英雄王の悲鳴。

 彼等の奥で、哀れに崩れ落ちていく、魔物の封印の要だった、古びた刀。 

 刀は砕け、鎖は解け、敷かれた陣は、掠れて消えてゆく―――次の瞬間。

 

「……ねずみ?」

 

 大量の(・・・)ねずみが、地面から、間欠泉のようにあふれ出した。

 

 

 

 




 ※ 本編とは全く関係ない余り意味の無い解説 ※

 ■ ファザー・ハラオウン ■
 
 海鳴近郊の別荘地にある、ちょっと変わった形の十字架を掲げている教会の神父を勤めている男性。
 かつては次期聖堂騎士団長候補の最右翼とも謳われていた優秀な騎士だったが、派閥争いに破れ上司ともども管理外世界の飛び地へと左遷。
 その後は飛び地に形だけの教会をこしらえて無聊を慰める日々を一生送り続ける―――筈だったのだが、飛び地を出島として活用し、貿易で一山充てて巨万の富を得ることに成功する。
 そのため、税金対策で次元連盟(次元世界統治機構連盟=旧時空管理局)が財政健全化のために放出した中古の次元航行艦を購入したりしているらしい。
 因みに件の艦船だが、購入した後で、これ疎遠の母親とか実の兄とかが使ってた船じゃね? とか気付いて軽く凹んだのだとか。
 後、知り合いのマッドサイエンティストにより魔改造が加わり、本来外されて居る筈の虹色ビーム砲が実装されている模様。 

 尚、妻帯者である氏の嫁は元上司のニート……ではなく、地元の資産家の令嬢か元上司のお付の人だと思います。 
 
 あ、マジでシガレット君が主役の本編とは全く何も関係ありませんので、あしからず。





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