ビスコッティ共和国興亡記・HA Edition 作:中西 矢塚
◆◇◆
「いやまぁ、先代の爺様とか、お前の親父さんの絵姿とかを見てたから、無いことは無いだろうとは思ってたけど……」
「ウハハハハ! こーして見下ろして見ると、チビっちゃいのな、兄貴!」
「るっせーよ! ―――ったく、無駄に図体デカくなりやがって……」
丁度視線の高さにある分厚い胸板が、張り出した肩が、ゴツイ二の腕が、実に妬ましかった。
「シンク、すっかりおっきくなっちゃったね……」
「そうかな?」
視線を横にずらせば、無駄に色気のある美声が聞こえる。
ラブロマンス物の洋画で主演を演じる俳優の様な美形の青年が、幼女と姿を変えたナナミを抱きかかえているのが見えた。
金髪に、赤い裏地の白マントという格好が、その整った顔立ちと併せて現実感を見失わせる光景である。
「イズミ君のほうは何か、ギャグみたいなレベルのイケメンだし、お前はお前で、マジで先代様にそっくりのマッチョマンだし……」
「爺ちゃん、今の俺より縦にも横にも後五十センチくらいデカくねーか?」
「いやまぁ、二メートル楽に越えてるからな、先代様。政務から身を引いて出来た暇な時間、パンプアップに使ってるらしいし。―――アレと一緒にするのは、酷か」
あの筋骨隆々の巨人と比べれば、目の前の銀髪の青年は、精々常識の範囲内に収まる身長である。
ただし、その人物が普段、同じ目線の高さで隣を歩いている少年の変じた姿でなければ、だが。
「―――なるほど、英雄結晶はこのような形で、貴方達に力を与えたのですね」
アデルの言葉が洞窟の広間に響く。
彼女は、自らが既に人に手渡した筈の二つの宝石を、覗き込んでいる。
それらの宝石は、彼女が手放した時と違い、その内側に、意匠化された輝力の紋章が浮かび上がっていた。
一つには、ビスコッティの。
そしてもう一つには、ガレットの。
それぞれの王家と、その信託を受けた勇者のみが掲げることが出来る紋章が。
「お前等二人には、英雄の資格があるってこったな」
幼い姿の魔王ヴァレリーが、金髪と銀髪の二人の美形の青年に笑いかける。
彼等は、大人の姿に成長した、シンクとガウルに他ならなかった。
経緯を説明するのは、簡単である。
シンクとガウルの二名は、残りの魔物を討伐するために、断崖に阻まれた洞窟の奥へと侵入した。
そこで待ち構えていたのは、それまで相手にしていた子ねずみの集団ではなく、一つの巨大な、大型のねずみの魔物だった。
アデルを始めとした優秀な戦士たちから力を奪い、魔物としての本来の姿を取り戻していたのだろう。
見上げるほどの巨体と、力を取り戻して尚飢えを抑えきれない凶暴性。
挙句、魔物は二人に対して、強力な輝力光線砲すら放ってきたのだ。
そして、 極太の光線に溺れ、あわやと言う状況に二人が陥った時、アデルから渡されていた英雄結晶が煌きを放った。
洞窟そのものを揺るがした光線が通り過ぎた後、支援を行うために箒に跨り追いついてきたレベッカとナナミが呼びかけたとき、シンクとガウルは土煙の中から立ち上がる。
立ち上がったとき、その姿は。
「今更だけど、もう、何でもありだよな……」
疲れを隠さぬ態度でシガレットは言う。
視線は、幼女化したジェノワーズたち三人を軽々と抱え上げている青年の姿のガウルへ向いていた。
その傍では、幼馴染のほかの勇者達に囲まれて笑う、無駄に美形な青年姿のシンクも居る。
魔物に襲われ皆が子供になったと思ったら、魔物を倒すために友人達が大人になる。
正直なところ突っ込みどころしかない、突っ込み始めていたら一々きりがないの状況だが、しかしそれが、このフロニャルドと言う世界の日常とも言えた。
世の中、諦めが肝心である。平穏な生活を送りたいならば、特に。
シガレットは今生の十五年近い人生経験を踏まえて、実務的な思考に頭を切り替えることにした。
「それで、皆様方」
シンクたちが倒した最後の一匹。
大ねずみの魔物―――が、けもの玉化したふわふわでもこもこな巨大な球体を前になにやら話し合っている英雄王達に、シガレットは尋ねる。
「この魔物達は、どうするのですか」
ぴくり。
英雄王が、背後から掛かった言葉に反応した。
無駄にゆっくりとした動作で、振り返り、シガレットと視線を合わせる。
視線を合わせて―――微笑み、かける。
―――そのことなのですが、シガレット。
笑顔で語りかけてくる英雄王アデルに、シガレットは、全力で嫌な予感を覚えた。
◆◇◆
「―――おおやますみおおかみをおぎまつりて―――」
半ば投げやりに、或いは棒読みに。
それでいながら、それなりに格調高く神聖な雰囲気を感じさせる程度には、
艶やかな青い髪。
引き締まった肉感的なプロポーション。野生的な、美しい肢体をしていた。
取り巻く気風は神前に舞う巫女のそれ。
で、ありながら同時に、戦場を舞う剣姫の威も兼ね備えていた。
その姿を目にした者達は、誰も彼もが一様に、同様のことを思うだろう。
―――美しい女性だ、と。
「―――やおろずのかみたちもろともにきこしめせともおす」
同時に風が踊り、封印洞窟を眩いばかりの光が照らす。
祝福の詩に対する大地の返礼か。
不純に歪んだ洞窟の地脈の流れがたちどころに正常化していく。
かつてあった、真新しき頃よりも尚、正常に、清浄に。
正しき力で洞窟が満たされていく。
それは、不純な歪みの根本たる、魔物であっても例外ではない。
長い封印の果て、既に精霊としての格を取り戻し始めていたねずみの魔物、その郡集団は、フロニャの加護の力が発する輝きを受けて、遂に正真たる土地神としての有り様を取り戻したのだ。
けもの玉が次々と爆ぜた後に残ったのは、真っ白で、半透明で、薄っすらと輝きを放つ、穏やかな生物だった。
人畜無害な小動物の群れは、その生来的な気質故か、暗がりを求めて洞窟の方々へと散っていく。
山ほど居た子ねずみも、山のような巨大なねずみも、もう、広間からは居ない。
巫女による浄化の儀式が、完全な形で終了した。
「―――ふぅ」
無事に一仕事を終えたと、安堵の息を吐く青髪の巫女。
それにつられて、
「……っプ」
「……ンッフ……」
「……っ! …………っっ!!」
彼女の背後から、何かをこらえるような声が、次々と。
その音を確かめ、巫女の額にピコピコと青筋が走る。
わなわなと震え出す肩―――ついでに、女性的な艶やかさの一端を担っている、胸も揺れた。
それがどうも、本人的にも、限界だったらしい。
「お前等なぁ!」
がばっと、忌々しげに振り返る、巫女の女性。
途端。
その美貌を正面から直視することになった者達は。
「ぶっ! 駄目だ! 限界!! 腹イテェ!! ぎゃははははははははははは!」
先ず、ゴツい銀髪の大男が、真っ先に腹を抱えて笑い出す。
「ガウ様、あかん、笑ったら悪……っ! っっ! ごめん、ウチも限界や……ぶははははは!」
「ふた……二人とも! そんな、人の顔見て……ぷっ! ぷぷ……!」
銀髪に抱えられていた幼女達の内、トラ耳とウサギ耳の二名が釣られて笑い出す。
「てめぇら……!」
巫女は、整った美しい顔立ちを、威嚇的な色で染める。
怒気を孕んだその態度に、銀髪の男の頭にしがみ付いていた黒髪の幼女が、ボソりと、言った。
「……ベルの言うとおり。笑っちゃ駄目だって。―――シガレット、こんなに美人なのに」
―――シガレット。
怒りに肩を震わす抜群のプロポーションの女性を指して、シガレット、と。
青髪の少年の名で、名指しする。
その、傍で。
「英雄結晶って、こんなことも出来るんだ……」
「もう、自分のことも含めて何がなにやら……」
「と言うか本当に、あの、凄い美人ですよね……」
異世界から来た勇者達が半笑いで言い、
「うむ。すっかり見違えたでござるな、シガレット」
「……駄目だ。見てたら頭が痛くなってきた……」
同僚達がしたり顔で頷き、或いは頭を抱え、
「つか、あんまりマギーと似てないな」
「どちらかと言えば、レオ姫様に似ていらっしゃらぬか?」
「なるほど。本人のイメージが形になっている訳だから、手っ取り早く彼の尤もよく知る女性のイメージを形作ったのか」
「それにしても、流石はマギーの子なのです。作法も祝詞も適当なのに、何故か成果だけは完璧に上げるのですから。まさか、ここまで完璧に浄化をしてくれるとは思いませんでした
大人たちは、他人事のように雑談に興じていた。
「ひと様を指して好き勝手に、大概にしろよお前等! 特にそこ、ゲラゲラ笑ってやがる愚弟!」
他人事同然の彼等の態度に、巫女の血管がブチ切れた。
指差すのは、腹を押さえて大笑いをしている銀髪の男。
「ぶはははっ……ははっ! ぐっ……ぐはっ! ……ぃや、いやワリいわりぃ……兄貴……いや、
『
―――姉の尊敬語。親愛の意を込めて用いる。
因みに当たり前だが、姉と言うのは女性を対象にした呼び方だ。
「死ねコラァッ!」
「ごふあぁっ!」
紅白袴のような巫女装束を振り乱して、巫女は銀髪の男を蹴り上げる。
踵が顎に直撃し、宙を舞う大男。しがみ付いていた幼女三名は、要領よく飛んで逃げていた。
「あ、駄目だってシガレット君……さん?」
「そうやでアニキ……いや、アネキ? 姐さん?」
「その服、スリットが深いから、そんなに脚を上げたら下着見えちゃうよ、シガレット……ちゃん?」
「一々疑問系で女っぽい形容詞付け加えようとするんじゃねぇよ、三馬鹿ぁっ!!」
怒りに顔を赤く染め、半分は涙目に、自らの尊厳を掛けて巫女は叫ぶ。
「オレは男だぁっ!!」
透き通るような美しいソプラノボイスが、洞窟の広間に響き渡る。
「いや、どう見ても今のお主は女じゃ」
元より幼い姿のままの公女による冷静な突っ込みに、皆が、揃って頷いた。
「……チクショウ」
認めたくない事実に、ひざを折りうな垂れる巫女。
まぁ、ようするに。
この美貌の巫女こそが、英雄結晶の力により変身した、アシガレ・ココットその人だった。
◆◆◇◇◆◆
窓辺の席。
幼い頃から何一つ変わらない―――いや、椅子とテーブルの高さくらいは歳に併せて変わっているが―――場所。
時刻は、夜。
「次に会うときは、婚礼を結ぶ時だ」
ニヤニヤと。
「―――いっそ様になるほど似合わない気障ったらしい態度で、確か別れ際、そんな事をいっておった気がするのだがのう」
笑いながら乙女は言うのだ。
詰るようにも、弄るようにも、強請るようにも聞こえる声で。
「しかし、おかしいのぅ? 確か婚礼の儀は、まだ一週間も先の話であったと、ワシは記憶しておるのじゃが」
小さな丸テーブルにひじをかけてねめつけられれば、瞳と瞳の距離は最早至近だ。
シガレットは、曖昧な笑みを浮かべて、視線を逸らす事しか出来なかった。
「いや、まぁ……」
「まぁ?」
止まらぬ、追求。
シガレットの背中にいやな汗が流れたのは、果たして、夏の夜を満たす湿気を帯びた熱が故か。
予想外に居心地が悪い空気が待っていたのは、まぁ、事実であるから。
「アホどもがあることないこと面白おかしく吹聴する前に、自分で言い訳を、ねぇ?」
シガレットはなんとも情けない気分で、目の前の婚約者に、正直に事情を説明した。
「言い訳、のう」
微苦笑。
「なんぞ、面白い経験をしたらしいの」
「一つも面白いことななんざ、ありゃしませんよ」
対するは、不貞腐れた態度だ。
心底疲れたと言う口調で、シガレットは吐き捨てる。
「二度はしたいと思いません」
「せぬのか? ―――なんじゃ、勿体無い。相当な別嬪じゃったと聞いておるぞ」
「そー言う話がアホどもから伝わって欲しくなかったから、こうして顔出してるんですってば!」
がん、とテーブルを叩きながら喚くシガレット。
その勢いのまま、ぐい、とグラスの中身の酒精を煽る。
「ホントにさぁ、レオンミシェリ、貴女にまでにまで『楽しみ』とか『もう一度』とか言われるとマジで凹むんで、やめてください。後生ですから」
悪酔いしてるのが一目で解るくらい、態度に泣きが入っていた。
他人が聞けば興味深い、面白いと済ます事のできる話でも、話題の渦中の人物にとっては、どうしても笑い話ではすまないという話は、多々存在する。
昼間にシガレットが経験した事態も、シガレット自身にとってはそうだったのだ。
封印洞窟、そこで発生した魔物を完全に浄化するために、英雄結晶の力を借りる。
借りて―――女性となる。
土地に寄り添い土地を清め、土地を正す力を持つのは、巫女たる女性にのみ許された力だからだ。
シガレットは英雄結晶の力で見目麗しい女性の姿に変貌することにより、母親譲りの巫女としての才覚を発揮した。
無論、現在は既に、元の男性としての姿を取り戻している。
しかし体が元に戻ったからといって嫌な記憶が消えてくれた訳は無く、だからこうして、シガレットは自らの心の平穏を取り戻すために、ヴァンネットの王城に顔を出したのだった。
―――次に会うときは、婚礼を結ぶ時。
ほんの二日前の別れ際に交わした言葉。
それを、自らあっさりと破って。
シガレットは、どうしても婚約者レオンミシェリの顔を見ずには、いられなかったのだ。
◆◇◆
「……最近ただでさえ、不安で不安で胃が痛いってのに、此処にきて女になるとか、それもう、不安感じる以前に、根本から資格無しって事になるじゃないですか。今更、泣くも笑うも出来ないっての、そんなの……」
「……仕方の無い男じゃの」
ブツブツと呟く酔っ払いに、レオンミシェリは苦笑する。
この男が、こうも悪い酔い方をするのを見るのは、カノジョには初めてだった。
「本当に、仕方が無い」
そのことを、嘆くべきか、はたまた喜ぶべきなのか。
彼が悪酔いした理由を性格に察して、それを理由に喜んでやれば、きっと彼は付け上がるだろうから―――否さか。
「たまには少しは付け上がって見せぬか、馬鹿者が」
微苦笑を浮べて、ため息を漏らす。
シガレットがレオンミシェリのことを良く見ているように、レオンミシェリもまた、婚約者たるシガレットのことを、よく見ていた。
悪酔いしている理由も、わざわざその日のうちに顔を見せに来た理由も、レオンミシェリは確りと理解している。
「―――そんなにも、情けない姿を見せるのは嫌か」
呟きは、酔いどれた男にも届いたらしい。
ん? と緩慢な仕草でシガレットは顔を上げた。
レオンミシェリを視界に―――納めているのか、居ないのか。
言葉が聞こえて、目の前に誰かが居ることも、一応は理解しているのだろう。
「……いやに、決まってるじゃないか」
「何故?」
「だって、こんなアホみたいなことで、愛想つかされたり、したら」
―――それはもう、泣くに泣けない。
そんなことを、そんなくだらない―――周囲、レオンミシェリ含めた彼以外のすべての人間にとっては―――ことを、本気で口にしている。
「……アホはお前じゃろ、この場合」
妙なところでどつぼに嵌る男だなと、レオンミシェリはため息を吐く。
「なぁにがアホなんですかぁっ」
ばん、とテーブルを叩いて抗議する、紛れも無い酔っ払い。
「歳も上、身長も上、立場も上なら戦闘力も上。そんな人を嫁にするために、普段、どれだけオレが……」
取り繕うために顔を出したのに、かえって残念な部分をさらけ出してどうするんだコイツ、とレオンミシェリは思った。
「いつぞや聞いた、ロランのヤツをどうこうという話もあったから、薄々気付いてはいたが……、案外と社会的立場と言う物を気にする男じゃの、御主」
「気にするに決まってるじゃないですか! お前では相応しくないとか誰かに言われたら、それだけでもう……!」
「ワシらの仲について、そんな無謀な発言をする度胸のある人間が、この国に居るとはとてもワシには思えぬのじゃが……いや、言うだけ無駄か」
レオンミシェリは、処置なしと首を横に振る。
ようするにそれは、シガレットが常に、内心で抱えている不安、なのだろうから。
シガレット本人が納得せねば、どうしようもないのである。
「―――まぁ、そのためにこそ、あの結婚式のやり方、なのじゃろうが……」
一週間後に行われる、レオンミシェリとシガレットの結婚式。
それは、ガレット全土―――どころか、隣国ビスコッティ、更には来賓予定の各国すらを巻き込んだ、非常に大規模な物が予定されている。
内容としては単純だ。
新郎の母国であるビスコッティの国境から、新郎自らが兵を―――これは、ビスコッティからの供出となる―――を率いてガレットへと出陣。
街道沿いに国内主要都市を回り、その都市を防衛するガレット軍騎士団、プラス一般参加の民兵達を攻め落とし、それらを吸収し、新婦の待つ首都ヴァンネットまで辿り着けば、無事結婚成立となる。
尚、防衛には来賓各国の名将たちの参加も予定されている、一代戦興行だ。
「我がガレットの騎士たち全てを倒してみせねば、我が夫たる資格は無し、とでも、言いたいのじゃろうが……その意気や由、と言うべきか……しかし」
フム、とレオンミシェリは鼻を鳴らす。
戦。それもガレット全土を巻き込むような大戦ともあれば、レオンミシェリも腕が鳴るところだ。
自らの夫となる男と、全力で闘争を行うというのも、実に胸が躍るシチュエーションである。
そんな結婚式は、一生忘れぬ、夫婦のよき思い出となるに違いないであろう―――とも、思うのだ。
そう思ったから、夫(
しかし―――だが、しかし。
「せーしんねんれいてきにいえばひとまわりいじょうとししたをひっかけちゃったわけだしさぁ。おっさんじちょーしとけよとかつっこまれたら、それだけでだうと……っていうか、むこうだったらはなしかけただけでけいさつざたれべるだもんねーははは、もーだめだおれ~……」
「……この、アホは」
悪酔いここに極まれりという、目の前の男の姿に、レオンミシェリは大きく息を吐く。
最早、疑問系すら必要ない。
この男は、どうあがいても、華の結婚式を素直に楽しみきることが出来ない。
その事実は、レオンミシェリにとって好ましからざる話だ。
ひとが……そう、ひとが。
レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワその人が。
こんなにも。こんなにも―――。
「おう、そうじゃとも」
自らの胸の上に手を添えて、レオンミシェリは深く頷く。
「思えばワシも、春先の一件から、随分と遠慮しすぎておったのかもしれぬ。うむ、確かにあの時は、一人で先走って手ひどい失敗をしてしまったが……ウム。それゆえ、可能な限り御主の言葉を尊重しようと、今日まで夫の三歩後に楚々と続くような貞淑な妻となるべく努力を重ねてきた訳じゃし……」
シガレットが素面だったら盛大に『
「じゃがのう?」
ぐい、と、テーブルに突っ伏した酔っ払いの頭を、男前な仕草で持ち上げる。
胡乱気な瞳を、凄絶な笑みで覗き込む。
「ものには、限度と言う物があろう。夫が誤った道へ踏み出そうと言うのなら、身体を張って止めてやるのが、妻の務めというものじゃ。何より」
何より。
「何より夫が、『妻のため、妻のため』と繰り返しながら、その実、自分のために勝手をしているのが本当で―――ましてや」
そう、ましてや。
「ワシを見くびるでないぞ、シガレット」
◆◇◆
―――翌朝。
ヴァンネット城の広間には、報道に携わる、多くの人間が集められていた。
領主からの緊急の会見が行われると、朝早くに―――夜が明けるような早い時間に、報道各社に、各国大使館に連絡があったのだ。
会見の内容は、不明である。
広間に集まった人間達は、周囲の同業者達と推論を繰り広げているが、明確な答えは出ない。
ガレット全国民が待ち望んでいる結婚式を目前に、一体何が発表されると言うのか。
「皆、待たせたの」
早く明確な答えを得たいと待ち望む聴衆の前に、漸く、領主レオンミシェリが、大臣、騎士団長、そして親衛隊長を引き連れて姿を現した。
何時もどおりに、堂々とした姿の代表領主レオンミシェリ―――に、比べて。
その背後に付き従う国家の重鎮達の表情は、何とも表現しづらい、曖昧な顔色を浮べていた。
「先ずは、朝早くからご苦労だった」
集まった報道陣達に、レオンミシェリは先ず告げた。
「早速だが、本題に入ろう」
前置きの一つもなく、続けた。
レオンミシェリの背後で、親衛隊長と騎士団長が額を抑えて呻いた。
老齢な大臣は、全てを諦めたような表情を浮べている。
報道陣は、困惑も露だ。
だが、レオンミシェリは、それら全ての反応に、全く関心も示さずに。
ただ、愉しげに、得意げに、嬉しげに。
「六日後を予定していた我が結婚式だが、中止にした」
そんな、重大発表を行った。
サプライズと言うものには鮮度があります。
前振りをすれば前振りをするだけ、驚きとは死んでいくのです。
真のサプライズとは、予期しない方向から、予期しない形で飛び出してくる物を言う。
―――まぁ、つまり。
ネタ的にスキップしても問題ないような封印洞窟編をわざわざ差し込んだのは、こーいう流れにする予定だったから、だったり。
アレだけ変身するって前振りしてしまうと、全く驚きも無いのでオチになりませんからねー。
てな感じで、次回、最終回をお楽しみに。