――魔法世界極東 深紅に染まる館の一室――
雷鳴が轟く。世界を塗り替えるかと思えるような強い閃光が窓から差し込む。夕暮れ時から降り出した小雨は、今や豪雨と言って差し支えないほどまでに荒れ狂っている。
無音には程遠い。まるで館が不協和音を奏でるための下品な楽器にでもなったかのように盛大な音を響かせていた。
ゴウゴウと。轟轟と。囂囂と。
しかし、今の俺の耳には何も届かない。
何故ならば俺の耳はすでに一つの音を聞くためだけの器官と化してしまったのだから。
サラリ。そんな、聞こえるはずのない音が耳を撃つ。
音を鳴らすは小さなビン。中世の錬金術師が用いるような、どこか瀟洒なフラスコ。
中には赤く染まった液体が入っていた。
ほんの数滴。フラスコの底で水銀の如く球形を作っているその液体こそ、俺が長年夢見た成果。不死の霊薬などよりよっぽど価値のある一滴。
だからこそ俺は外の光景など目に入らない。貫こうとするかの如く屋根を撃つ弾雨の音に耳を貸すことも無い。
「くっくっく。はっはっは。ハーッハッハッハァッ!!」
狂ったように俺は笑う。当然だ。これこそが我が悲願。生まれ落ちた瞬間から抱き続けた我が宿願。
「神々よ! 女である俺がこの世界をどう変えるのか見たかったんだろうが、俺は貴方方の思惑を踏破する! ここに! 俺の念願の! 性別詐称薬改め! 完全永久性転換薬が! 完s痛いっ!!」
な、何が起きた!? 何かものすごい力で後頭部を殴られたような気がするが?
しかしこの館には俺しかいないはず。俺を殴る人間なんて……ん?
あれ? なんで俺一人ぼっちなわけ?
ヘルマンは? フィオは? あるぇー?
「ま、まさか」
そういえば薬は完成しているというのにその
「空の雲は千切れ飛んだことに気づかず、消えた炎は消えた瞬間を炎自信さえ認識しない! まさかこれが、キングクリムz痛いっ!!!」
再びの後頭部への打撃。俺はたまらず跳ね起き……って、え?
「起きた? カフェで食事をしようと言い出した本人が、食べ終わると同時に眠るなんて正気を疑うわ」
頭を上げた俺の視界に入ったのはハンカチで口元を拭う見慣れた女性。
視線を辺りに向ければ、血を思わせる紅の館などどこにもなく、あるのは美しい街並み。
空を仰げば雲一つなく、燦々と輝く太陽を擁した蒼穹。
と、いうことは、だ。
「夢オチかよォ! 夢オチは手塚先生が禁止にしたんじゃなかったのか!」
そう。赤い館も雷鳴を生む黒雲も、そして念願の性転換手段も、ぜーんぶ夢。
ここにあるのは魔法薬開発を早々に諦めた(といっても別の方策のめどが立ったからではあるが)俺と、活気に満ち溢れたグラニクス。
「あー。やってらんねぇ」
俺は不貞寝をしようとテーブルに突っ伏し、再びフィオによって後頭部を殴られたのだった。
――自由交易都市 グラニクス――
よほどいい夢だったのか、未だに「あれが夢とか」だの「なぜ現実じゃなかったんだ」だのぶつくさ文句を垂れ流しているアイカを、半ば引きずるようにして歩く彼女の名はフィオレンティーナ。フィオレンティーナ・フランチェスカという。
フィオはグラニクスにてマジックアイテムや秘薬、さらにはいわくつきの(魔法世界における『いわく』ともなればそれは往々にして本物である)物品までもを扱う『魔法屋』を経営する店主である。
そんなフィオがアイカと出会ったのは今より五年前。彼女とその連れの男――言うまでもなくヘルマンのことである――が魔法屋に様々なものを持ち込んできた時だった。
(あれ以来、懐かれてしまったわけだけれど、不思議と居心地がいいのよね。私が他人を受け入れるなんて。切っ掛けはなんだったのかしらね?)
ケルベラスの大密林を踏破した話をアイカから聞いた時だったか。滅多に見られない素材をアイカが見つけてきたのを知って、アイカ、ヘルマンとともに大密林へと潜ったときだったか。それともフィオの作り上げたダイオラマ魔法球に目を輝かせるアイカを見た時だったか。
(いえ、きっとどれも違う。きっと、いつまでも変わらない私に対して、アイカが何の嫌悪も見せないから)
魔法世界には長命種と呼ばれる種族がいる。代表的なのはヘラス族。人の三倍もの寿命を誇る彼らは、その種族的アドヴァンテージをもって魔法世界の半分を支配するに至ったほど。
人、亜人という括りを外せば、竜種なども長命種にあたるだろう。数百年の時を生きる彼らは、時に千年を越える寿命を持つ個体を生み出すことすらある。
では長命種がいずれも魔法世界で権勢を誇っているかと言えば、答えはNO。
人は自身と違いすぎるものを忌避するものだ。老いることなく若さを保ち続ける存在。それは時に恐怖の対象になるほど。
そしてヘラスと違い頂点に立つことなくマイノリティーとなってしまった長命種はどうなるか。答えは火を見るより明らかだろう。
時には恐怖から殺される。時には『長く使える奴隷』として捕まえられる。時には『若さを保ち続ける女』として売り飛ばされる。時には『彼らの血を飲めば不死性を得られる』などと吹聴され狩り取られる。
フィオもまた、人より長く生きられるというただそれだけの理由で滅ぼされた、今や名も残っていない長命種の一人である。
(でも、アイカの私を見る目には何の曇りも無い。出会ってから五年。魔法球を使用しているアイカはどんどん成長しているというのに私は昔と変わらぬまま。だというのにアイカは私を恐れない)
それはフィオにとって初めての経験だった。何年経とうとも見た目の変わらぬ自分に奇異の目を向けない者はいなかった。たとえ『正義』を自称する者だったとしても、フィオを見る瞳には、嫉妬であったり恐怖であったり嫌悪であったり、何らかの色が宿ったものだ。
しかしアイカの瞳は純粋そのもの。フィオを長命種としてではなく、一人のフィオとして見つめてくる。フィオ自身は気づいていないが、アイカの存在は間違いなく彼女にとっての救いとなっていた。
(グラニクスを拠点にしてそろそろ十年。一所に留まるには長すぎたくらいだけど、)
一つの街で十年以上も暮らしてしまえば、嫌でも周囲との違いが浮き彫りになる。年齢詐称薬などで誤魔化すことも出来るが、それにも限界はある。ゆえにフィオはこれまでも世界各地を転々としてきたのだが、
(アイカがいるというのなら拠点を移すのは先にするというのも悪くは無い、か)
いつの間にか背の高さを追い越されてしまった少女とともに、フィオは見慣れたグラニクスの街を歩く。
辺境の地ゆえに治安の悪い街ではあるが、それでもフィオに不満などかけらもなかった。
隣を歩いてくれる者がいる。ただそれだけで満ち足りた気分だった。
かつては永遠にさえ思える自らの生を呪い続けた少女は、いつまでもこんな時が続けばいいと、初めてそんなことを思ったのだった。
しかし、彼女の平穏は崩される。
かつて多くの者の平穏を奪った、歪な『正義』によって。
「ふむ。随分早かったな。おかえり」
そんな言葉でフィオらを迎えたのは、店番を押し付けられた高位の悪魔。ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマンである。
「早かったかしら? 食事にしては時間がかかった方だと思うのだけれど」
というのも、実はフィオは突然寝だしたアイカの寝顔を堪能していたからなのだが。もちろんフィオ以外は誰も知らないことではあるが。
「うむ。出来ればもう数日ほど帰ってこないというのを期待していたものでね」
「ん?」
とフィオは首を傾げる。ヘルマンはこのような冗句を言う方ではない。多分に悪ふざけの過ぎることもあるが。
アイカも同様の疑問を持ったようで、
「なんなんだよ、ヘルマン? 一人店番させられたことに対する皮肉かぁ?」
「いや、……まぁすぐに君らも理解するだろう」
そこでヘルマンは一度言葉を区切り、魔法屋の奥へと視線を向けた。
「客だ。それも君にだよ、アイカ。店の方は私が見ておいてやろう。君がついて行ってくれるかい、フィオレンティーナ」
ヘルマンの言葉にアイカは「うげぇ」と小さく漏らす。その顔は苦虫を噛み潰したかのように歪んでいた。
魔法屋のさらに奥。フィオらの住む居住スペースの一室で、その男は待っていた。
どこかくたびれたような印象を与える無精ひげの男。あの顔は雑誌で見たことがある。確か旧世界で活動する悠久の風とかいう団体の――
そこまで考えたところでフィオの思考は中断された。アイカが部屋に入ってきたことに気づいた男が、慌ただしく立ち上がったからである。
「アイカちゃん! 探したよ!」
「……誰だよオッサン」
うへぇといった感じで尋ねるアイカに男は一瞬戸惑う。いや、あれはオッサン呼ばわりされたことにショックを受けているのか。
「あ、ああ。そういえばこうして会うのは初めてだったね。僕は高畑・T・タカミチ。タカミチでいいよ。それでアイカちゃん」
「その前に、座らせていただいてもよろしいですか?」
フィオの言葉に高畑は驚く。どうやら今までアイカしか見えていなかったらしい。失礼な話だ。ここはフィオの家だというのに。
「ああ。そうだったね。突然すまない」
頭を下げる高畑をしり目に、フィオは高畑の対面に座る。隣には嫌そうな表情を顔に張り付けたアイカが。
しかし嫌だからと言って何も話さないというわけにもいかなかったのだろう。アイカは高畑に問いかけた。
「で、その高畑さんが」
「タカミチでいいよ」
「ああそう。で、その高畑さんが俺に何の用で?」
それに関してはフィオも興味があった。魔法世界でそれなりに名前の売れている高畑がアイカとなんの繋がりがあるのかも見えない。アイカからは過去の話を聞いたことは無かったし、フィオも詮索などしたことが無かったからだ。
「もちろん君を連れ戻しに来たんだ。随分かかってしまったが、無事なようで何よりだったよ」
「はぁ。こんなとこまでわざわざご苦労なこって」
「む、君は自分が何をしたのか……いや、今はよそう。後でスタンさん達からさんざん説教はあるだろうからね。さぁ、荷物なんかがあれば纏めてくれるかい。みんなが君を待っているんだから」
フィオには気に食わなかった。この場にいる自分を無視して話を進めていることにも、アイカの意向を無視するかのような発言にも。なので、
「少し、待っていただけますか? アイカを連れ戻すとか言ってらしたけど、どこへでしょうか?」
「む。そういえば君は?」
「この店の主人、フィオレンティーナ・フランチェスカです。ミスタ」
「そうか。フランチェスカ君はアイカちゃんが魔法世界に来る前のことは聞いていないのかな?」
その言葉を受けフィオはアイカへと視線を向ける。
まぁなんとなくは気づいていたことだ。アイカが旧世界の出身であることも、『アイカ・ベオルブ』というのが偽名にすぎないということも。そう判断する材料は余るほどフィオの手元にはあったのだから。
「……へぇ。アイカって旧世界の出身なの」
「あ、あはは。言ってなかったっけ?」
「別にいいけど。私も聞かれたくないことの一つや二つはあるのだから。ではミスタ。アイカを連れ戻すというのは旧世界へ?」
「ああ。旧世界の英国になる。アイカちゃんの兄も待っているよ」
兄も? そこはまず両親を上げるべきなのではないか? そう考えたがフィオは尋ねはしない。それよりも先に聞かねばならないことがあったから。
「もし、アイカが戻りたくないと、ここにいたいと言ったら、貴方はどうするのかしら?」
「む。い、いや、それは、確かにアイカちゃんの意思というのも大切だとは思うが、しかしまだ彼女は子供なんだ。本人が望むからと言って」
「それはつまり、無理矢理にでも連れ帰るということ?」
「……ああ。そうなるだろう」
「だ、そうだけど、どうする、アイカ? 貴女がそれを望むというのなら、私はお姫様をさらう悪い魔法使いの役をやってあげてもいいのだけれど?」
そう言ってフィオは一枚のカードを取り出す。それは仮契約の証。純白のストールを身に着けた、従者としてのアイカを描いたパクティオーカードだった。
「私なら其処のミスタから完全に姿をくらますことも、そして貴女を召喚することも出来るわ」
高畑の息をのむ音が聞こえるが、それには取り合わずフィオは続ける。
「さぁ、選んで。アイカ・ベオルブ。いえ、アイカ・スプリングフィールド。貴女は何を望むの?」
結局アイカの選んだのは『帰還』を受け入れるというものだった。
フィオレンティーナ・フランチェスカはその日のうちに十年続けた店を売り払い、自分の作品であるマジックアイテムを魔法球へと仕舞い込む。
二週間後、旧世界はウェールズへと到着したアイカの両脇には、魔法世界にて知る人ぞ知る実力者であるフィオレンティーナ・フランチェスカと、かつてアイカを暗殺するために現れたヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマンの二人の姿があった。
ついにアイカは舞い戻る。
ネギ・スプリングフィールドを中心に、捩れ、歪んだ、物語の中心へと。
「そういや俺が偽名を使ってたって気づいてたんだな?」
「何言ってるのよ。仮契約カードにはちゃんと書いてあるじゃない。アイカ・スプリングフィールドって。むしろ気づかないでいられる貴方の頭が心配だわ」
「むむむ」
「はっはっは。ほらな、アイカ。私の言った通りだろう? 君は勘は鋭いが頭の方はよくはない。新たな魔法薬の開発など諦めて正解だっただろう?」
「うっせぇんだよ、ヘルマン! テメェ、今日こそぶっ殺す!」
「殺し合いなら魔法球の中でにして頂戴。貴女たちの殺し合いは派手になりすぎるのだから」
「い、いや、殺し合いって!? 止めるべきなんじゃないのかい!? って、二人とも全力じゃないか!!」
というわけで18話。ここから原作に絡み始めます
魔法世界編では修行だの戦闘だのヘルマンだの赤毛だの。意外と盛りだくさんでした
本当はフェイトやらラカンやらトサカやらクママ奴隷長やらと絡ませる展開も考えてたんですけどね(グラニクスにいたのはその名残だったり)。いい加減マホラキャラを出したいですし。結局こんな感じで
それと、ヘルマンに次ぐ仲間としてフィオさんの登場です
結構喋ってますね。ネギまにはいないクーデレキャラにするつもりだったんですが
ま、これからに期待ということで
いい区切りですし次回はステータスやら能力やらの解説を挟みましょうかね