ピリついた態度が空気を張りつめさせていた。その原因となっている超鈴音は剣呑な雰囲気を隠そうともせず、吐き捨てるような口調をカラクネ・ウジマーチャに叩きつけた。
「説明するネ変態、さあ変態説明するがいいネ」
「あー……そこまで怒らなくてもエエんと違うか?」
取り繕うような彼の言葉に、彼女はとりつく島を与えない。侮蔑するようにふん、と鼻を鳴らすと、僕の近くにあったペンと奪い取るとコツコツ机を鳴らす。早鐘のようなその速度はカラクネ・ウジマーチャの言動を追い立てるためのもので、目論見通りに彼を小さく萎縮させた。
「ほなな、まぁ、説明させてもらうわ」
はぁ、と重苦しいため息を落としてから、のろのろと彼は僕らの方を見渡した。麻帆良大学工学部の一室、僕らがぐるり囲んだ机の中心でカラクネ・ウジマーチャは口を開く。
「俺と鈴音は歴史を変えるために未来からこの時代にやってきたってのは聞いとるな」
「過去へ戻るなどにわかには信じがたい話です。科学者としては憧れますが、まったくもって現代科学に喧嘩を売っているとしか考えられません。そもそも時間逆行というのは因果律の崩壊やバタフライ効果などから禁忌とされ、そのうえ時間というものは一定方向にしか流れないはずであり、三次元的空間解釈では到底説明できず四次元的な新たな軸に触れることでしか……いえ、仮に四次元への扉を開けたとしても――」
「ちょいまってぇなハカセちゃん。その辺は俺には説明できへんから後で鈴音にでも聞いてくれると嬉しいんやが……」
ぶんぶん胸の前で両手を振りながら立ち上がり、興奮しきった様子の葉加瀬聡美は一回り大きな白衣の裾をぱたぱた揺らす。カラクレ・ウジマーチャの制止をものともせず、彼女は言葉を繋げる。
「そうですか……ですがこれはお二人の存在にもかかわる重要な事態で、そもそも科学こそこの世の真理究明に至る唯一の手段と信じてやまない私にとってはお二人の言に信ぴょう性を抱ききれずですね――いえ、超さんが茶々丸を起動させるために必要なこの時代を超越した科学力を有し、カラクネさんがしゃべるオコジョとして目の前にいることは疑いようのない事実なのですがやはり私としては――」
「そこまでにしておいてくれるかな、葉加瀬聡美さん」
つらつらと自身の主張を並べ立てられているだけでは話が前に進まない。僕は指先に魔力を集めると、何もないところから小さな石を生み出した。
「この世の中には貴女の知らないことが満ちているということだ。かくいう僕も魔法によって作られた人形であるし、君の頭の中だけが、見知った事柄だけが世界のすべてではないということさ」
見せつけるように石を次々と生み出し、砂に変え、それをパッと消して見せる。すると彼女は不満げに唇を尖らせながらも椅子に腰を下ろし、大きな丸眼鏡の奥の瞳をきらりと光らせた。さながら嘗めるような彼女の視線を無視し、僕はカラクレ・ウジマーチャに向きなおった。
彼はありがとな、と僕に一声かけると話を本筋に引き戻した。
「過去改変の目的は火星を、魔法世界を崩壊から救うためや」
「ちょっと待ってください! 火星探査は1960年代から人工衛星や着陸船やローバーなどの無人探査機により数多く計画され探査結果を地球に持ち帰っていますが、魔法世界など銘打たれるほどの文明など発見できていませんよ! それ以前に生命がいたかすらまだ確定されていないというのにどうしてそのようなことが――」
「さきフェイトも言ていたが世界にはハカセの知らない事がまだまだあるということネ。そのひとつが魔法という技術であり、魔法使いという人種であり、鏡の中の世界のように作り上げた魔法世界という楽園という訳ヨ」
また立ち上がろうとした葉加瀬聡美を押しとどめるように超鈴音は口を開く。相変わらず奪い取った僕のペンを手に持ったまま、彼女はまたこつこつ机を叩いた。
「ほな話を続けるで。魔法世界の崩壊原因は魔力の枯渇現象、地球の環境問題と似たようなもんやな。土台を支える魔力そのものと維持するためのパイプに異常が起きとるから問題が発生しとる訳やが、前者は魔法を世界に知らしめてからやるテラフォーミングで、後者はこれから説明してハカセちゃんにも協力してもらいたいことで解決していくつもりなんやわ」
もちろんフェイトにもやで、と彼は付け加えた。その眼は僕が協力することをまるで疑っていないようで、なんとも不可解な気分が僕を襲った。
僕は造物主によって作られた人形で、完全なる世界を成すことこそが僕の存在意義だ。故に、彼らの展開するプランを見極めるために、珈琲を心置きなく飲むために、僕は彼らの茶番に付き合いながら監視をしているのだ。
僕のその思惑は未来から来たという、僕の死に様を知っているという、カラクレ・ウジマーチャと超鈴音は見抜いているはずだろう。
なのに彼は手の内を晒そうと、引き込もうと、僕に誘いをかける。仮に僕がその気になれば一瞬でカラクレ・ウジマーチャと超鈴音を石にし砕くことが出来ると知っているはずなのに、だ。
真意が見えず、だからかどうにも断る気にもなれず、僕は構わないよ、と短く返した。
「俺も麻帆良に来てからいろいろ調べてみたんやけど、魔法世界のお偉いさん方も魔力枯渇現象には気づいとるみたいで対策を講じとるみたいやわ」
オコジョの小さな指を立てて、カラクレ・ウジマーチャは念を押すように続ける。
「移民っちゅう形で少しずつ魔法世界のメガロメセンブリアから地球に人を受け入れさせとるみたいでな……まぁ全員を移すにはどれほど時間がかかるんかはわからへんし、根本的な問題はまだまだあるんやけど」
「現実的じゃないネ、地球の国々にそんなキャパはないヨ。内戦が起きてみても支援してその国の内部で解決させているのはなんのためカ」
眉間に皮膚が集まり谷を作り皺となる。超鈴音は苛立ちを隠そうともせず声を荒げると、僕のペンからカチカチと伸ばした芯をべきりと折った。
魔法世界では約12億の人々が生活を送っているが、そのうちで人類種と呼ばれる、地球からやってきた魔法使いの血を引く者は僅か6700万人しかいない。他は魔法世界でしか生きることの出来ない意思を持った幻想だ。
メガロメセンブリアの意向は彼ら普通の人間を救うことなのだろうが――理不尽だと思えるのは僕だけだろうか。沈むなら、共に歴史を刻んできた人々と併せて沈めば良い。自分たちだけが選ばれた、生き残るべき民だと考え実行している現状が、その傲慢さが、僕の胸の内に妙な感情を生み出させる。
超鈴音に理不尽な言いがかりをつけられ食事の準備や部屋の片づけをさせられたときに抱いたものとは違う。かといって、カラクレ・ウジマーチャに声をかけられ麻帆良に小学生として通い、魔法生徒として風紀維持活動にいそしんだ時に生まれたものとも違う。
これは――なんなのだろうか。
「ま、ま、落ち着きや鈴音。せやから俺らは未来から時を越えた訳やし、今日はその話をしに来た訳やないんやし」
ご機嫌をうかがうように、カラクレ・ウジマーチャは低い声を似あわない猫なで声に変換させて、
「これだから現実を見ていない連中は嫌いなのダ。魔法使いはただ魔法が使えるだけの人間に過ぎないというのに、彼らは本当の意味でそれを理解していないネ」
対して超鈴音は態度を硬化させる。僕のペンから芯を伸ばしては折る、伸ばしては折るを繰り返し、黒い瞳に怒っているのだと周囲にアピールするような光を押し詰めていた。
「そんなに魔法使いさんたちは自分たちを特別だと思っているんですか?」
ぽいっと投げ込まれたのは葉加瀬聡美の純粋な疑問だった。彼女は魔法というものを知らない一般人らしく、魔法使いたちの掟に沿って考えればこの状況は秘匿されるべきものをバラしてしまっている状況だ。麻帆良の魔法生徒になった折にガンドルフィーニという担当教官からくれぐれも注意するべきように、と念を押されていた。万が一に情報が漏えいしてしまえば、記憶を消す処理を行わなければならないらしい。
……まぁ僕にとっては関係ない話なのだが。僕の第一目的は超鈴音とカラクレ・ウジマーチャを見極めることだ。成り行き上に魔法生徒になってはいるが、彼らの掟は僕の優先順位ではその目的よりも下にある。
「高尚な目的と精神と理想を持つべきだと考えているんじゃないかネ」
おどけた口調の超鈴音の言葉に僕は一人の魔法使いを思い浮かべた。確かに彼女は超鈴音のいう言葉を体現しているだろう。
「俺は人間だった頃も魔法使いやないからその辺はようわからんけど、ハカセちゃんも賢いんやから頭フルに使って新しいもん色々開発したいなー、て思うやろ?」
「そうですね……確かに科学に魂を売った私としてはあらゆる現象を観測し、この手で実体化させてみたいとは思います」
「そこらの原動力の向ける先が高尚なところに至っとるんやろな。ハカセちゃんの賢い頭みたいに特別な力を持っとるから……正直ハカセちゃんも私は人とは違うんですー、とか思ったこととかあるやろ」
「……まぁ……そうです、ね」
恥ずかしそうに一回り大きな白衣の袖で口元を隠すと、葉加瀬聡美はもにょもにょと舌を回した。まだまだハカセも子供ネ、と胸を張る超鈴音にカラクレ・ウジマーチャは私こそ最後の魔法使い、とポツリと告げると、彼女は鼻息を急に荒くして散らばっていたシャーペンの芯を指で彼目掛けて弾き飛ばしていた。
だがそのような戯れよりも、僕は注視しなければいけないことがある。射貫くように白く小さなオコジョへと視線を向ける。頭の先から尻尾の先まで余すとこなく彼を観察すると、僕の中に矛盾が生まれた。
先ほどカラクレ・ウジマーチャは自分は元人間だと言った。だがどう見ても、彼はオコジョ妖精にしか見えなかった。確か彼はオコジョ妖精協会から免状を受け、正式にオコジョ妖精として認められていたはずだ。
怪しむような目付きをしてたせいか、僕の視線に気づくとカラクレ・ウジマーチャはへらへらと笑い、横から飛んできた芯の衝撃でひっくり返った。額を抑えながらのそのそと立ち上がる。いつまで見ても、どこまで見ても、オコジョ妖精にしか見えなかった。
「なんやフェイト、どうかしたんか?」
「いや、何でもないよ」
話を続けて欲しい、と僕が言うとカラクレ・ウジマーチャはほんのり眼の内の光を揺らめかせ――さっと元に戻すと目尻をゆるめて親指を立てた。
正確な分析をカラクレ・ウジマーチャに対して行う機会は幸か不幸かいくらでもある。ひとまず僕は抱いた矛盾を頭の片隅に追いやった。
「ほな、ちと遠回りしてもうたけど本題に入るで。魔法世界を形成しとる魔力回路を修復するってのがハカセちゃんにも協力してもらいたいことな訳や」
「魔法をつい先日知った私にですか?」
「せや、科学の力が必要やねん」
間違いないのだ、と固く強い声を聞くと葉加瀬聡美はその居住まいを正し、カラクレ・ウジマーチャをじっと見た。
「そもそも科学――産業革命に始まり世界に広く根差した工業化ってのは何のためにあるんやと思う?」
「汎用化と均一化による生産活動の為ですね」
間髪入れずに答えた葉加瀬聡美に彼は満足そうに小さな頭で頷くと続ける。
「その通り。科学はこの世の真理を探究する、古くは魔法的な錬金術に祖を成しとる訳やけど、本来の目的はその先にある工業化――人間の生活を豊かにするために発展してきた」
人間は万物自然を解明するために、進化の過程で手に入れた頭脳を使い生物の頂点に君臨した。その過程は古代では魔法の基本定理ともなっている火、大気、水、土の四大元素に始まり科学の下敷きになる錬金術に繋がっていく。
科学と魔法は古くはひとつの思想だったがある一時期から枝分かれしている。僕は魔法技術の結晶であり、魔法も秘匿されつつも現代ま残っている訳だが、もっぱら世界を発展させてきたのは科学となり、魔法や錬金術は空想上の存在というのが世界では通論となっているらしいね。
「技術の汎用化と均一化。何年も修業をして初めて作れるようになっとったもんを使い方を教わるだけで誰でも同じもんを作れるようになる……これが工業化の目的やな」
「だが科学もまだまだヨ。職人と呼ばれる人々の技術には追い付けていないところもあるのが現状ネ」
「手作業――感覚の世界ですね。まったく、どうして機械で観測できないところを指先ひとつで理解してしまうのか……科学万能への道は遠いですよ」
はぁと落ち込んだように葉加瀬聡美は首を落とす。だが休むことなく、跳ね返ってきたボールのようにぐいと顔を上げると爛々と輝いた目でカラクレ・ウジマーチャを次の言葉を待っていた。
「で、魔法も同じ感覚の世界な訳やな。一流魔法使いとか呼ばれる連中はみんな職人的技術を持っとる。せやから優秀な魔法使いはもてはやされとるんや」
「そこに食い込んでいこうと考えている訳ですね――」
そう言ってから大きく息を吸い込むと、
「科学の力でっ!」
葉加瀬聡美強い言葉で発した。何かを決意するような、そんな声に僕には思えた。
隣では超鈴音が満足げな笑みを浮かべてふんぞり返っていた。まぁ彼女はやる気に満ち溢れているようだし、彼女を完ぺきに引き込むことが超鈴音の今回の目的だったのだろうと僕はあたりを付けた。
目的もなくそんな顔をしていたらただの馬鹿としか思えないからね。もっとも迂闊な超鈴音であるから僕の深読みしすぎかもしれないけれども。
「そーゆーことやな。そのために魔法と科学を融合させる訳やが、元は同じやったとはいえもう別れて久しい……じゃあどうするか、となるんやけど」
今度はもったいぶるようにカラクレ・ウジマーチャが一拍置いた。ぐるぐると机の上を動き回り、その中心で大きく手を掲げると、
「俺の専門でもある陰陽術を応用するんや!」
そう、吼えるように宣言した。
「陰陽術にある五行説では万物は木、火、土、金、水の元素からなるて考えられとるんやけど、その中で注目すべきなのは金の要素や」
陰陽術――確か東洋で発展した魔法思想のひとつだったか。西洋魔法が一般的に広まっているから中国や日本でしかお目にかかれない神秘だと記憶しているね。
星詠みや呪い、占いに主眼を置いていると聞いたことがあるが、それを専門にしているということはカラクレ・ウジマーチャは何故――
「陰陽術では五つの要素は相補関係を成り立たせとる。んで、金の要素ってのは土の中にある鉱物を指し示したものなんやけど、他の四つとは異質なものを持っとるんや」
「確か人の手が関わっている、ということだったかネ」
「そういうこっちゃ。人の営みを自然の要素の中に加えて陰陽術は構成されとる。つまり――」
「科学の力が魔法の論理に入り込める、ということですか」
「察しが良くて助かるわ」
首をもたげた僕の疑念は彼の会話で彼方へと追いやられていく。
魔法と科学の融合。その発想が時を越える、という僕の生みの親である始まりの魔法使いも成し遂げていない事象を成し遂げたのだろう。科学技術の発展は目覚ましいものがある。発達した科学は魔法と変わらないと言われるらしい科学だ。無から有を生み出すことは出来ていないが陸を駆け海を越え空を飛び宇宙まで至った科学には大きな力があるのだろう。
だがここでまたひとつ、僕の中で別の疑問が生まれた。
「電子魔法とは何が違うんだい?」
電子魔法は発展する科学に対応するために生み出された魔法のはずだ。雷魔法を応用させ電子精霊を人工的に作り出してパソコンとかいうものを制御するんだったかな。
「麻帆良を覆う結界も確かに電力を利用して展開されとるみたいやし、その制御に電子魔法が使われとるみたいやけど根本的に考え方が違うんや。あくまで魔法ありき、結界も電力にある魔力を上手い具合に転換しとるだけやわ」
「いまいち要領を得ない説明だね」
「んー……簡単に説明すると電子魔法は魔法使いがおって媒介となる機械があって初めて成り立つ。対して俺のこの考え、未来でいう魔法工学は機械単体で成り立たすことが出来る訳やな」
機械だけで成り立たせる。仮にそれが可能だとしたら――
「機械から魔法が使える、ということかい?」
「魔法世界を作ったやつは天才、稀代、前後不出の魔法使いや。だからっちゅーてその技術が再現できんことにはならへん」
僕の問いかけにカラクレ・ウジマーチャの口は歪み、その軌跡は不敵な笑みとなっていた。
「機械ありきの正確で均一で汎用的に制御された魔力の流れを生み出す装置、こいつを量産して地球と火星の間を流れる魔法世界を維持するための魔力回路に正しい方向性を与えたる――これが魔法世界維持のための手段や」
……もし仮に、機械制御で魔法を扱えるとしたら、その装置が不眠不休で魔法世界を作る力場を維持し続けたならば、本当に崩壊は止まるのかもしれない。
魔法世界の崩壊は魔力枯渇によるものだ。地球から連続的に魔力を送り込むことが出来たなら、火星でも機械より魔力を無駄なく蔓延させることが出来たなら、枯渇は起きないのかも知れない。そのための世界への魔法認知、か。
未来の火星は恐らくむき出しの荒野が広がっていたのかな。彼の口ぶりからするに、保持は可能だとしても形成には至らないのだろう。だからこそまだ魔法世界が現存するこの時代を訪れたのか。
「戦うのは嫁さんにまかせっきりやった俺やけど、陰陽師らしく呪いやら結界やら、力の流れの扱いには自信があるんやで」
小さな身体を大きく見せるように広げ、天を仰ぐようにカラクレ・ウジマーチャは開いていた腕をどんと胸に打ち付けた。
なるほど、超鈴音の面倒を昔から見ていたとは聞いていたが彼もまた技術者の傾向があるのか。そう考えると葉加瀬聡美という、見るからに科学者といった風体の彼女は協力者として第一級品なのかもしれないね。しかし――
「奥さんがいたのかい?」
僕が小首をかしげると、フェイト……お前もかっ、とカラクレ・ウジマーチャは机の上にへたり込んでいた。ふむ……おかしな問いかけだったのだろうか?
○
――不意に、少女は傍らに人の存在を感じた。先ほどまでこの一室で話されていた空想上の魔法、幻想である魔法の物語。これまで少女が信じてきた科学万能を一笑に吹かすその思想を、そしてそれに挑める機会を与えられた今を、噛みしめるように誇りとしている幼く優秀な頭脳で整理していた時だった。
目の前の机の上で先ほどまで空想幻想を語っていた白いオコジョは、黒髪をお団子頭にまとめた同年代の少女と議論を交わしていた。ということは隣に感じる気配は残りのひとりのものだろう。
レンズの上の淵が視界に入るところまでずり下がった眼鏡を食いと指で持ち上げると、少女――葉加瀬聡美は傍らの気配へと身体を向けた。
白いなぁ――そう感じさせる少年だった。それは無垢さを体現する初等部の制服を着ているためだろうか。あるいは雪のように透き通った髪色のせいだろうか。件の少年、フェイト・ウジマーチャは硝子玉のような瞳でハカセへと視線を向けていた。
「どうかしましたか?」
彼は魔法使いだ。つい数刻前に見せつけられた何もない空間から石を生み出し、砂に変換し、消し去ってしまうという現象。見栄も恥じらいもなく、年頃の少女らしくおしゃれもせず、科学に魂を売ったと公言するハカセであるが、その眼で見てしまった事柄をトリックだと切り捨ててしまうほど凝り固まった思考回路はしていなかった。
そも、先ほどまでオコジョ――カラクレ・ウジマーチャと名乗った喋るオコジョの存在と、彼のパフォーマンスが無ければ魔法の存在をハカセは認めてはいなかっただろう。つい先日、完成し起動を果たしたガノノイド。その功績の一端を担うことになった超鈴音の時代を超越した科学を知った時も、自分よりもはるかに天才がいるんだな、というのが実際ハカセの印象だったのだから。
「キミは……」
そう告げると彼の瞳にかすかな光が走ったように葉加瀬には感じられた。だがすぐにそれは消え、無機質な作り物のように戻り、壁を作るように手のひらをこちらに向けてきた。
「いや、何でもないよ」
変な子だな、というのがハカセの印象だった。それだけだった。だからといって別段どうこうしようという気もなかったし、それよりも魔法に科学で挑む、というぶら下げられたニンジンのような課題の方が重要なのだ。
そうですか、と短く言い捨てるとハカセは机の上に引っ張り出してきたノートパソコンを開き、カタカタとキーボードを叩く。もっぱら運動は苦手な彼女であるが、その指は踊るように滑らかに走るよりも速くで動いていた。
叩く、ひたすらに叩く。ごちゃごちゃになっている頭の中を整頓するように課題を抜き出し、仮定を想像する――と、そこで指は止まった。ハカセ自身は魔法について何ひとつ知らないのだ。逸り過ぎていた気持ちを抑えきれずに躍起になろうとしていたが、根本が理解できていなければ何ひとつ解決しないのだ。
カラクネと超はいまだ議論を続けている。さて、どうしようか……そう思ったところでまだ傍らに先ほどの気配が残っていた。白い少年、フェイトは相変わらずそこに石像のように立っていた。
「フェイトさんは魔法使いなんですよね?」
「そうだね」
「じゃ、じゃ、ぜひぜひその基礎理論について説明してほしいんです!」
ぐぐいと立ち上がって鼻先が触れ合うほどに顔を近づける。小学校中学年になったばかりだというのにハカセとほとんど変わらない身長なのは、彼女が小さいからか、あるいは彼が大きいのか。
至近距離で見つめた瞳は、微かな揺らぎすら見せていなかった。
「なぜ僕が?」
「先ほどは協力すると言っていたじゃないですか」
「それがキミに説明することにどうしてつながるのか、ということなんだけれど」
「魔法はさっぱりなんですよ私、科学はきっかりですけどね」
彼の横を抜け、後ろにあった椅子を一脚持ってくると、フェイトの肩をつかみハカセはそこに座らせた。
「ささ、まずは基本的なところからお願いします。錬金術は化学の解明に大きな影響を与えたと言いますが、なにぶんそこらあたりは勉強不足でして。いえいえ大丈夫ですよ、現代で解明されている化学についてはあらかた頭に入っていますし、物理や数学の知識もあります。残念ながら生物は門下外でしてざっくりとしか解りませんが必要だというならば明日までに最新の分子生物学の理論を詰め込んできますので!」
とめどなく放たれるマシンガンのような言葉の弾丸に、辟易した様子もなく、ただ鎮座する像のようにそこにいたフェイトは、
「どうしてそんなにも……キミは楽しそうなんだい?」
問いかけられた疑問は、実に飾り気のないものだった。例えるなら幼子が空はどうして青いのと母親に聞くような、ぼやけて純粋でまっすぐな疑問だった――少なくともハカセにはそう思えた。
「だって楽しいじゃないですか」
そしてその疑問は、いつもハカセが科学に対して抱く疑問と同じだった。
「解らないものがある、納得できないものがある、そしてそれを解決する手段を知れる、再現できる機会がある……この状況を楽しい意外に何と表現すればいいのか私にはわかりませんよ」
ふふんと嬉しそうに、玩具を与えられた子供のような笑みをハカセは浮かべる。その様子をフェイトはじっと、食い入るような視線を向けていた。
熱を帯びた――もっとも熱は帯びていなかったが、至近距離での見つめ合い。年頃の少女としては照れる場面なのであろうが、残念ながらハカセには異性に対する周知の感情は持ち合わせていなかった。
「科学は楽しいですよ、素晴らしいですよ。フェイトさんも楽しめるはずです、きっと、たぶん、メイビー。という訳できりきり話してください」
さぁ、さあ、さぁあっ! と詰め寄るハカセにため息を落とすと、フェイトはゆっくりと固い唇を言葉を紡ぐ形へ変えていった。
麻帆良大学工学部の一室、ハカセに与えられた研究室で、時を越え世界を変えるための計画は始まりの鐘を受けたのだった。