鈴色紅葉   作:足の裏の歌

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~2~

 鼻先を地面につけ固い大地に身を伏せる。這うように、といってもずりずりと腹を引きずり音を立てるではなく抜き足差し足を心がけて、俺はゆっくりと歩みを進める。

 俺の視界の先にあるのはオコジョのこの身の丈よりいくばくか大きな石。がさついた表面をこちらに向けるその後ろにとがったものが見えた。草ではない、草ならば時折吹く風に揺れるはずだ。とがった石でもない、石ならば滑らかな動きを見せないはずだ。

 

 目を皿のように開き、丸い耳をそば立ててじっと注意深く観察する。かさりと小さな足音が聞こえ、とがったものは横移動をした。

 

 それらを合図に足に力を籠めた。疾風のように――とは誇張しすぎだが、オコジョの力をいかんなく発揮し加速する。

 オコジョの身体になって勝手が違うかと思いきや、人間の頃よりも俺は敏捷に動くことが出来るようだ。人よりもオコジョの方が身体能力に優れているのか、身体が小さいからそう感じるだけなのか、あるいは単純に俺の運動神経が悪かっただけなのか。

 

 ともかく野生の力をいかんなく発揮して大きな石が眼前に迫るや否や、方向を上に変えるため四つの脚で跳びあがった。

 眼下には鱗をまとった爬虫類、トカゲがかさかさと地面を滑るように走るのが見える。寸胴の身体を折り曲げて石の上に着地し、バネのようにトカゲ目掛けて俺は突っ込んだ。尾っぽでバランスを取りながら、これでもかと開いた口に生えた小さな牙を突き立てるために。

 

 

 

 

 

 

「帰ったでー」

 

 身体の半分くらいはある大きさのトカゲを口から離し、声をかければゆっくりと少女の顔がこちらを向いた。すたすたと歩み寄ってきて、親指と人差し指でトカゲをつまみ上げると踵を返して元の場所に戻ろうとするその小さな背中に、俺は声を再び投げかけた。

 

「ちょいまち」

 

 またゆっくりと少女――超鈴音は俺の方に顔を向けた。人とオコジョという体格差から見下ろされるように降り注ぐ視線を受け止めて、目じりを下げてゆっくりはっきり言葉を紡いでゆく。

 

「人からなんかもろうた時はありがとうて言うのが基本やで」

 

「…………?」

 

「ありがとう。はい、鈴音も続いてぇ」

 

「あり、がと」

 

「うんうん、エエ子やな」

 

 首をかしげる鈴音に対して、おおげさに見えるほど大きく首を縦に振り、大きく拍手をしてやる。逆側に首を傾げ直した彼女はひざを折り、俺の姿を不思議そうな瞳で見つめてきていた。

 

 俺が鈴音と出会って数日が経過していた。その中でいくつか、彼女に対してわかったことがある。

 

 ひとつは世間一般の、俺がかつて身に着けたような人の世界で生きるための常識を知らないということだ。眠る前にはおやすみ、朝起きればおはよう、何かをして貰えばありがとう。そんな当たり前のあいさつを鈴音は自ら行うことがなかった。

 そういった知識は普通父母から教わるものなのだが、それが出来ないということはつまり彼女に教える父母がいないということなのだろう。それはだだっ広い荒野に一人いたということからもうかがい知れた。

 

 しかしここ数日、ほぼ一方的に俺が話すばかりなのだが、どうやら鈴音はきちんと意味を理解しているようで会話は成り立つ。それは鈴音が聡いからなのか、あるいは別の意味があるのか。関西圏で産まれた俺の方言が通じるという事実には、どこかうすら寒いものを感じてしまう。

 

「……プラクテ・ビギ・ナル“火よ灯れ”」

 

 その上、魔法というものに対する知識を彼女は持ち合わせている。じりじりと指先から灯した火でトカゲを炙る鈴音はどこかでその技術を得て行使できているのだ。

 

 本来魔法は秘匿される技術として世界の裏側に存在している。オコジョとなっている俺自身もその裏側に生きる一族に産まれ、手ほどきを受けつつ体得した。

 

 一般常識を知らない、会話を理解する頭は持っている、魔法を使える。その事柄から考えるに、鈴音はどのような場所で産まれ育ったかが推察された。

 

「子供は世界の宝やのに、やっぱあかんかったってことなんかねぇ」

 

 記憶が正しければ今俺たちのいるこの荒野は世界の裏側、魔法を知る者たちだけが生きる大地。以前に目にした時は緑と水があり、空や地を魔力が覆っていたはずなのだがその片鱗は俺の小さな身体では僅かにしか感じ取れなかった。歩いても広がるのは荒野ばかり。空気を形成するだけの魔力はあるようだが、それ以上にかつて活気にあふれていた魔力はない。風に乗った魔力は荒野と同じく乾いていた。

 

「……何があかんかったんやろうなぁ」

 

 がじがじと焼目の付いたトカゲをかじる鈴音を見ながらぽつりとつぶやいてみても、返ってくるのはただ変わらない不思議そうな色をたたえた瞳だけ。ごくりと喉を鳴らして、尻尾だけになったそれを見ると彼女は俺の方へとまた近づいてきた。

 

「……ん」

 

「なんや? もしかして俺にくれるんか?」

 

「おれい、とってきてくれた、ありがとう」

 

「ありがとうな、やっぱ鈴音はエエ子やで」

 

 差し出してきた手を辿り、頭の上にたどり着いた俺はオコジョの小さな手で鈴音の髪を撫でてやる。

 

「俺はその気持ちだけでお腹イッパイや。大きくならなアカンから鈴音が食べ」

 

「ん、ありがとう」

 

 思うところは色々とあるが、まずはこれから先の方針を決めなければならない。となればやるべきことはひとつ。

 

「お前以外にも人、おればええんやけどな」

 

 最悪の事態にはなっていないことを祈りつつ空を見上げる。浮かぶ太陽は地球で見た時よりも小さく感じた。

 

 

 

 

 

 

 頭の中に浮かべたあいまいな地図を頼りに、俺は鈴音を先導し歩みを進める。

 

 太陽が昇ればじりじりと焼けつくような日照りが俺たちを襲い、沈んで夜になれば凍えるような寒さが俺たちに迫る。まるで砂漠のような気候だ。

 オコジョであるこの身にはなんてことはないのだが、俺が驚いたのは鈴音も同様に変わらぬ様子でついてきていることだった。昼は外套をすっぽりと頭までかぶり日差しを軽減し、夜はダンゴムシのように丸まり眠りについているのだが、普通の子供の身に耐えきれる寒暖差ではないはずだ。

 

 微かに残る魔力によるものなのか、もしくは産まれた時からこの環境だったため適応したのか、あるいは鈴音自身に秘密があるのか。振り返ればとてとてと素直に後ろをついてくる彼女に確認するにはまだ早いだろう。それよりも先に考えるべき疑問があるのだ。

 

何故俺のいる場所は、緑と水に溢れた美しい魔法世界は、砂埃が舞うだけの荒野になっているのか。大方の予想はついているのだが、その事実をどこかで受け入れたくないというのが俺の本音だ。もし仮に魔法世界が滅びたのだとしたら――とにかくしっかりとした事実として確認したいのだ。

 

 ずくりと頭が痛む。襲い来る頭痛は俺をあざ笑っているように感じた。

 

 

 

 

 

 視界に入るのは朽ち果てた街並み。

 

「枯れ果てた荒野からオコジョ妖精が現れるとは……夢か?」

 

 耳に入ってきたのは人の声。大きく手を振り駆け寄ってから尋ねかける。

 

「ここはどこや?」

 

「ここは火星連合本拠地だ。お前らは……まぁガキとオコジョ妖精が乗り込んできた鉄砲玉な訳ねぇか」

 

 金属製の門の前に立つ男は肩から銃をかけ、埃にまみれた服を着て、自嘲するような笑みを向けてきた。

 

 火星連合――男が口に出したのは聞きなれない名前だった。

 

「わかってきたんじゃないのか?」

 

「やー、俺おちこぼれでな、向こうでぽけーとしとったらいつの間にか来とったんや。もう帰れんし、なんか女の子見つけるし、大変やったんやで!」

 

 だんだんと地面を小さな手で叩きながら、疑問を挟ませないように矢継ぎ早に言葉を並べ立ててやれば男は小馬鹿にしたような、憐れむような視線を俺に向けてきた。構わず俺は笑顔を作りそれを見せつけるようにして続ける。

 

「せやけど良かったわ。人もおるっちゅうことは、飯も食えるし酒も飲める。やーよかったよかった」

 

「よかった?」

 

「せやで。ばんざーいや」

 

「ばんざーい」

 

「盛り上がっているところで悪いが酒なんてめったに回ってこねぇぞ。まぁ工業用アルコール飲む馬鹿もいるが」

 

 そんなー、とへなへなしおれながら考える。男の言葉から推察するに、俺の予想は当たっていたようだ。やはり魔法世界は滅んでいたのだ。しかし俺はしっかりとここで生きているし、鈴音も目の前の男も生きている。土台から消失したのではなく、上に積み上げていたものがなくなったということだろう。

 

 その上、先ほど男の言った『工業用アルコール』という単語と肩にかけた銃。魔法の扱いも曖昧な様子だ。

 

「ほなここどこやねん」

 

「さっきも言ったが火星連合本拠地だ」

 

「火星? 魔法世界やないんか?」

 

「そんなもんとっくに滅びてるよ」

 

「ええとこやーゆうて聞いとったのにどーゆーこっちゃねん!」

 

「……あー、お前馬鹿だろ」

 

「誰が馬鹿や! 俺が馬鹿ゆうんか!」

 

「悪かった悪かった、オコジョくんは賢いな」

 

「そうや、親からも大絶賛やで」

 

 そして何よりも火星連合という名称。それは魔法世界が火星であり、火星を触媒に形成されていたという事実を俺に突きつける。少なくとも俺は知らなかったし、広く認知もされていなかったはずだが、男は確かに火星連合と口にした。

 

 さらに鉄砲玉という言葉――戦いがこの地で起こっているのだろう。

 

 頭を抱えたくなる真実が次々と明らかになるが、今はそれに頭を悩ませている時間すら惜しい。出来る限り情報を得ることが先決だ。

 

「とにかく俺ら歩き詰めでくったくたやねん。寝るとこくらい提供してぇな」

 

「ま、それが俺も気が楽だ。変なことはするんじゃねぇぞ」

 

 それだけ告げると男は振り返り、金属製の門が重たい音を立ててゆっくりと開く。分厚い扉の向こう側は、外から見たのと同じように朽ちた街並みが立ち並んでいた。

 

 

 

 

 

 

「からくね、おなかすいた?」

 

「いや、俺オコジョやからお腹すかんのや」

 

「おー、オコジョすごい」

 

 あぐあぐとリスのように頬を膨らましてパンを食べる鈴音に、ひらひらと手を振りながら答える。大の字に寝転がって溜息を吐いた俺に気を使えるようになるとはと、成長した彼女の心に感動を覚えつつ、それに浸れる緩やかな時間を積み上げられた問題が押し流してゆく。

 

「12億おった魔法世界の人間はほとんどおらんようになって、今じゃいったいどれだけおるかも確認できんで、地球と戦争中で……どうしてこうなったんやろな」

 

 口にするだけでめまいがしそうだった。

 

 記憶を頼りに訪れた旧アリアドネー、現火星連合本拠地に入った俺は現状を知るべく情報集めに奔走した。その結果がこれだ。

 

 魔力の枯渇現象――地球でいう環境問題が魔法世界を襲い、包んでいた幻想は引き剥がされ荒野がむき出しになった大地がお目見えしたそうだ。それだけで12億がいきなり激減したとは考えにくいが、事実として横たわっているからには蹴とばして無視する訳にもいかない。何かがあったのだ。俺には想像もつかない何かが。

 

 だが一番の問題は小競り合い程度かと予想していたよりもはるかに大きな戦争が起こっていることだ。

 

 横を向けば鈴音は手についたパンの残りカスを舐めている最中だった。この地に入り、彼女と同じような年頃の子供たちを何人か目にしたが、同じように薄汚れている者がほとんど。本拠地と銘打っているここはお世辞にも豊かとはいえる場所ではなかったのだ。

 地球と火星の戦争。星間戦争などSF小説の中だけの話かと思っていたが――情勢は極めて悪いのだろう。

 

「なんとかせなあかんわな」

 

 誰に聞かせるでもなく、誓うように零した呟きは乾いた火星の風にのまれて消えていった。

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