火星連合本拠地にたどり着いてから俺は情報集めに力を注いだ。魔法世界は滅んだことを知った、元魔法世界である現火星と地球が戦争していることを知った。だがそれだけでは情報が足りないのだ。
なぜ滅びたのか、なぜ戦争が起こったのか。今となっては過去であるが俺と一緒に紅葉を見たアイツらがどうなったかを知るためにも、俺が起こした行動がどのような結果をもたらしたかを知るためにも、何より鈴音のような子供がまともな生活を送るために、俺の持つ記憶と現状をすり合わせる必要があった。
本拠地と銘打つだけありここには沢山の資料が集まっていた。学ぶことは先の指針を立てるためにも、生きていくためにも必要条件だ。それはここの連中も理解しているようだった。
お世辞程度に掃除がされた資料館で、ぺらぺら分厚い本のページをめくる鈴音の隣、机の上に広げた紙束の上で俺は呆けたようにつぶやいた。
「まぼろし、か」
12億いたはずの魔法世界の人口は魔力枯渇現象が起こると同時にその数を急激に減らしたことは聞いた話。荒野に放り出されれば食料や飲料水の奪い合いで数を減らしていくことは理解できる。だがその速度を置き去りにするような急激さで人口が減った理由がこれだった。
魔法世界に住んでいた人類種と亜人種の大半は魔法世界を覆う魔力によって形成された幻想であったらしく、メガロメセンブリア出身の人間を除き彼らは魔力が消えると同時に消え去ってしまったらしい。人格を持ち、子を為すことの出来る幻などとはスケールが大きすぎるように感じてしまう。
しかし考えてみれば、日本には『八百万の神』という考え方が存在する。山や川に始まり、トイレや台所にさえ、自然のもの全てには神が宿っているという神道の考えだ。だが山や川はともかく、トイレや台所などは人間がいたからこそ生まれたもの。打ち捨てられたおもちゃや家具にすら神が宿り、意思を持ち歩きだすのを俺は目にしたことがある。
とすれば、火星を触媒に魔法世界を形成した者がそこに住まう人格を持ち子を為せる存在を生み出したとしても不思議ではない。なぜそのようなことをしたのか――という疑問は浮かぶが、それは今考えることではないだろう。
「魔力が枯渇してもうた理由は……ま、火星には水も緑もあらへんからなぁ」
魔力とは水や空気など人間の周囲に存在する万物に宿るエネルギーのことだ。俺がこれまで見た限り、火星にはそんな自然が僅かにしか、つまり吹きすさぶ大気と荒野しかないのだ。まぁこれがあるおかげで魔法世界は完全に崩壊せず人々は生き延びることが出来たのだろうが、それだけでは元の形は保てなかったのだろう。
しかし、そう考えるとまた疑問が浮かぶ。魔法世界が火星を触媒に何者かによって作られたとしても、なぜ魔法世界はその形を成すことが出来たのだろうか。
魔力は万物の、大自然の力。その方向性を指定し幻想を生み出すのが魔法使いなど魔力を扱う者たちの役割だ。世界を生み出すほどの技能を持った魔法使いがいたとしても、その大本となる魔力はいったいどこから持ってきたのか。
「火星から……それやったら魔法世界が残っとるはずやわ」
先ほどまでの本を読破し、新たな本へと取り掛かる鈴音を横目で見ながら腕を組み頭をひねる。
かつての火星には水があり、生命が生きていた痕跡があるという。しかしそのかつてとは数万年までではきかない、数億年前の話だ。そんな時代に人間が生きていたとは考えにくいのだが――
「魔族が作った? せやけど魔族も妖怪も人間とは卵が先か鶏が先かの話もあるし、確証が得られへんわ」
ずくりと頭が痛む――仮に人間が作ったとして考えよう。
「もし魔法世界の作り主が人間の魔法使いやったとすれば、火星に持ってきた魔力の大本は……まぁ地球からやろうな」
地球と火星、魔法使いたちに言わせれば旧世界と魔法世界の間にはいくつものゲートが存在していた。主に人の往来を目的に、地球に12か所ある霊地と魔法世界を繋いでいたはずだ。
だがそのゲートの存在意義が別にあったとしたら、魔法世界を成り立たせるための魔力を供給するのが目的だとしたら――その供給回路に何らかの問題が起きてしまったのだとしたら。
「ふるうなってふんずまってしもうて、穴でも空いて火星の魔力が漏れて拡散したゆうて考えれば筋は通るんか」
魔法世界を作った人物は歴史上最高峰の魔法使いなのだろう。だがその後を継ぐ者がいなければ、その技術が継承されていなければ、結末は自明の理だったのかもしれない。
人為的に形成された魔法世界は人為的な技術不足により崩壊した――これが今俺の出した魔法世界が滅びた理由に対する仮説だ。
「かつての魔法世界を知っとって、水と緑の星である地球を知っとって、今は荒野に生きとる……そら戦争も起こるわな」
地球との戦争が起こった原因は人権問題か食糧問題か、火星の理由はそんなところだろう。対して地球側にも人口問題か、火星と同じく食糧問題からか、争うための理由はいくらでもある。
しかし――心の奥に黒い疑念がポツリと落ちた。
資料と推察から魔法世界の崩壊にひとつの仮説を打ち立てた訳だが、その迫っていたタイムリミットに誰ひとりとして気づいていなかったのだろうか。点在していた国々のトップは――幻想だった彼らはともかく人間だったメガロメセンブリアのトップは、地球にいた魔法使いたちは、魔法世界を救うために手段を講じなかったのだろうか。
気づいたうえで救えるだけ救ったのか、あるいはもっと上手くやる方法を何らかの影響で潰してしまったのか。
不意に脳裏に浮かび上がったのは白髪の少年の姿。正しく人形といえる奈落のように深く暗い瞳を携えた彼はあの時なんと言っていたか――俺には思い出すことが出来なかった。
「にしてもあの坊主は頑張っとったんやな」
「あのぼーず?」
ページをめくっていた手を止めて、鈴音は首をかしげながら問いかけてきた。
「てか難しそうな本読んどるな。わかるんか?」
覗き込んで目にしたタイトルは『魔法工学基礎理論』。俺にはさっぱり、門下外な文字だらけの本を撫でながら、鈴音は少しばかりの自信が含まれた声で口にした。
「ん、よゆー」
「はー、鈴音は賢いなぁ。さすがは俺の娘や」
「……むすめ……」
それだけ告げると額にしわを寄せて難しい顔を作った彼女に、調子に乗りすぎたかと心配になる。名付け親な訳だし、それくらいは良いかと思っていたのだが――
「嫌やった?」
「…………」
だんまりと口をつぐんだ鈴音にどうにも居心地が悪くなり、先ほど尋ねられたことに答えようとする。決して逃げたのではないのだ。
「あの坊主ってのはネギ・スプリングフィールドのことや。悪の組織を倒して、地球と火星の間に立って戦争を止めようと奔走して、火星からの移民を地球に受け入れさせた偉い人やで」
視線を資料に落とせば赤毛と大きな杖が特徴的な、美麗の青年の写真があった。悪の尖兵を倒し、『完全なる世界』を打倒し、英雄となった彼は中立の立場から戦争に介入し停止を促そうとした。だが、人ひとりの力などたかがしれており、結果的に休戦まで持ち込むことはできたが終戦に至らせることはできなかった。
しかし間違いなく彼は英雄であり、人々を導く希望であり、『立派な魔法使い』であったようだ。
「……からくねは、ネギがすき?」
問いかけてきた言葉は沈んだ暗い色をしていた。娘と呼んだのがそんなに嫌だったのか、とショックを受けつつも笑顔を心がけて口を開く。
「そらみんなのために一生懸命な人は誰だって好きやろ。せやから一生懸命に本を読んどる鈴音のことももちろん好きやで」
「…………」
「鈴音……鈴音さぁん、聞いとった?」
「…………」
「あー……なんやその、なっ!」
鈴音は顔を伏せていた。僅かな仕草ひとつでオコジョの身体はびくりと震える。それだけで先ほどまで頭の中を支配していた魔法世界のこと、戦争のこと、そしてあの坊主のことが追い落とされてゆくのを感じさせられる。
娘を持った父親とはこんな感じなのだろうか。嫌われるのが怖くて一挙手一投足に脅えながら暮らしているのだろうか。アイツの時はそんなこともなかったのだが、やはりあれは妻か妹がいてくれフォローしてくれたからこそどうにかなったのか。
ちらとこちらを向いてまた顔を伏せ、いくばくか経ってまたこちらを向いて顔を伏せる。鈴音の挙動にびくびくとしながら何か口にしようと頭を回転させてと、以外にも助け舟は彼女の方から差し出された。
「……わからない」
「何がや? えと……本でわからんとこがあったんか?」
「ネギ、すきかどうかわからない」
そっちの方かと安心してゆっくりと言葉を紡ぐ。坊主の話題ならいくらか引き出しはある。会話といえる会話はきっと成り立たせられるはずだ。
「そらませやな。あったことない相手に好きかどうかわからへんもんな」
「でも――」
じっと鈴音の視線が俺の焦るそれに交じり合わされる。不安そうで、無機質で、だがどこか照れくさそうな彼女は小さな声でつぶやいた。
「むすめ、は……ぱぱができるのは……かぞくはうれしい」
こちらに向けた顔はなれていないのか不格好で、ひきつっているようにも見えたが、鈴音の目尻は下がり口角は緩んで、彼女は初めての笑顔で俺に声を投げかけた。
「……そか。うん、可愛い娘が出来て俺も嬉しいで」
頬を紅葉色に染めて再び本の世界に没頭し始めた鈴音を見つめながら、つられて微笑んだ俺の胸にじんわりとあたたかいものが広がる。
「やっぱエエ子や。可愛くて賢くて優しい鈴音はエエ子やで」
俺の言葉にもう返答はなかった。だがそれで良かった。世間の親バカの気持ちが少しだけわかった気がした。
○
時の流れは残酷で恐ろしい。
時間は人格を変え、生き物を老いさせ、やがて死に導く一方通行の列車だ。誰ひとり降りることはできず、故に時の権力者たちは永遠の命を追い求めたのだろう。
時よ止まれ、お前は美しい――そう言ったのはゲーテの戯曲『ファウスト』の主人公であるファウスト博士だ。その言葉が今の俺にはよく理解できる。
「どーゆーことか?」
「……やー、なんや色々あったんや」
「家計からお金を抜いてお酒飲むのが色々あったってことなのかな?」
表情は幼かったころとは比べ物にならないほど豊かに、その豊かさを怒りの方向に突き進ませて、冷たい視線が俺の小さな身を貫く。
寸胴の身体は折りたたんだ短い足の上に乗せ、正座の姿勢で俺は地面に座らされていた。目の前には空の瓶を手に、腕組みした鈴音がいた。
「大人には色々あるんや」
「なら説明するといい、さあ説明すればいいと思うね。私にわかるように説明するのがカラクネの義務だと思うが……?」
「いっ……色々や」
無機質だったがやさしく無垢な鈴音はもういない。時の流れは残酷で――
「反省していないのなら今日のご飯は抜きだ!」
「そないなケチなこと言わんといてぇな、なっ、パパからのお願いや」
「誰がパパかっ! オコジョをパパにした覚えなんかないね!」
色々な光景を見せてくれる楽しいものなのだ。