鈴音に出会って幾年かが経っていた。
子供の成長は早いというが、彼女もその例にもれずすくすくと成長した。俺と出会うまで他人と触れ合う機会が少なかったのか、出会った人間が壁を作って彼女と接していたからか無機質で、これから先大丈夫かと心配していた感情も普通の人と子と変わらない喜怒哀楽を見せてくれるようになった。
あの時初めて見せたぎこちない笑顔も成長を遂げ、今では滑らかに微笑むことが出来ている。出来なかったことが出来るようになる、そこに僅かばかりの助力が出来る。親や教師とはその行為に感動を覚え、喜びのいくばくかを共有させてもらえるからこそ子供に愛しさを覚えるのだろう。鈴音の笑顔には俺も助けられている。
助けられているというのも、今俺の居る火星が地球と戦争をしているからだ。本拠地であるここに戦火が及ぶことはこれまでにもなかったが、陰鬱ですさんだ空気感は人の心にヒビを入れてゆく。
だからこそ、彼女や同世代の子供たちの笑顔は俺のような大人たちには安らぎと希望をもたらしてくれるのだ。
戦争は休戦を挟むことはあったが停戦することなく続いているらしい。百年の長きにわたる戦争。私怨は教育にまで入り込み膝を折ることが困難になったとしても、あまりに長すぎる戦争だ。荒野で生きる火星の民と水と緑に生きる地球の民。条件も対等ではなく、火星側から降りる理由はいくらでも作れる。
それでも戦争が終わらないのは火星の人間を地球に受け入れるだけのキャパシティーが無い、というのもあるのかもしれないが、俺は政治的な影響のために続けられているのではないかと考えている。
俺を含め、魔の力に携わり生きていた人々は影に潜むようにひっそりと生きてきた。表舞台に出れば、超常の力を持つ俺たちは異端者として排されてしまうということはこれまでの歴史が証明している。
欧州で12世紀、教会の指導によって行われてきた異端審問に始まり、15世紀に入れば民衆の扇動による魔女狩りが起こり、日本でも術者たちは身分階級を新たに作られ隔離されてきた。一部の有能な魔法使いや術者たちは政治の上層に入り込み生きながらえることが出来て、隠れ里を作り逃れてきた者たちもいるのだろうが、普通の家庭に突如として生まれた素質のある者や多くの魔法使いたちは排されてきたこれまでがある。
それは民衆を、国を維持するためなのだろう。かつてのローマではコロッセオを作り、剣闘士による人殺しや猛獣狩りなどのショーを用いて民衆の不満を発散させた。特定の相手を悪と定め、政治を円滑に進めるというのはよくある話だ。
魔法使いは普通の人間にとって異端だ。魔法世界という想像上の幻想に生き、自分たちと違う歴史を歩んできた彼らを不倶戴天の敵とすることで地球はその星の上で起こっている戦争を減らしているのだろう。
そしてきっと、地球に生きる人々にとっては正しいことだ。地球で歴史を刻んできた魔法使いたちにとっても、血を残し技術を継承するために必要なことだったのだと俺は考える。故に、火星は地球と戦争を続けている。科学で作られた兵器を相手に、血が紡いできた魔法を相手に、火星は贄として生かされている。
「なーに難しい顔をしている?」
仁王立ちにふんぞり返った鈴音は、10歳程度まで成長した身体で小さな俺を見下ろすようにして言葉を吐き捨てた。俺に降り注がれる視線には侮蔑するような冷たさが含まれている。
「……やー、いろいろ考え事を」
「言い訳のか?」
言葉尻が一層強くなった。先日、こっそりとためていたお金で酒を飲んでいたのだが酔いつぶれていたところを見つかり説教を受けた。その後、信用ならないね、という寂しい言葉を受けて俺の私物を漁られたのだが――
「オコジョの分際で人間の裸に興奮するとは……不潔ね、最低だ」
そこで秘蔵のエロ動画を見つけられてしまったのだ。
よく『売春は世界貴古の女の職業』といわれるが、もともとは売春といっても金銭のやりとりではなく天上の神と地上の人間を繋ぐ聖なるものとしてはじまった。
紀元前3000年ごろにはメソポタミア南部に都市国家をつくり、楔形文字を発明したことで知られるシュメール人。史上最古の民族とされる彼らの神殿には『神殿娼婦』と称する女性たちがいたのだが、彼女たちは各地から貢ぎ物をもって神殿にやってくる男たちのすべてと性行為を行なう義務があった。彼女たちは神の側女とされ性行為はいわば接待であり、神へ奉仕するのと同じこととだったのだ。
つまり食欲、睡眠欲に続く性欲は人間の三大欲求として深く本能に刻まれた尊いものなのだ。子を為し次世代を育むというのが生物の本懐。だからこそ荒れ果てた火星でもエロ関連の産業はしっかりと発展している。俺が人間だったころとは違い、人の手のひらサイズほどの映写機から立体的な動画が空間に映し出されるようになっている。その臨場感たるやかつてとは比べ物にならない。
ともかく元は成人男性であった俺がエロ動画をたしなむことは仕方がないことで、生物の本懐である性欲に何ら文句を言われる筋合いはないのだが――やはり鈴音も年ごろの少女。そんなものを持っていたら起こるのが道理というものなのだろう。義理の妹も俺と妻との性行為を見てしまって実家から飛び出したこともあったし、潔癖な時期なのだろう。
「むっ、昔を思い出してしもうたんや」
「人間だったという戯言かな」
「ほんまやで! 結婚もしとったし、嫁はんの面影を重ねてしもうたんや」
「それが黒髪巨乳もので、だから許してほしいと言いたい訳かね?」
正座させられている地面が冷たい。肌に感じる温度がいくらか下がった気がした。
「まあいいね」
「せやったら――」
俺の言葉は途中で止められた。鈴音は手に持っていた秘蔵のエロ動画入り映写機を地面に落とし、ぐしゃりと踏みつぶした。ぱちぱちと男の欲望は嘆くような音を立てて、砂上の楼閣のようにはかなく崩れ去っていった。
「今日もカラクネのご飯は抜きだ」
にっこりと微笑んだ鈴音の顔はこれでもかと喜色を張り付けて、俺は首を縦に振ることしかできなかった。裂けるように横に開かれた口元は、まるで獣が牙をむいているようだったのだ。
○
「カラクネ、そこのスパナを取って」
担ぐように工具を持ち上げて鈴音の手元に運ぶ。薄暗くも多くのモニターから出る光で不自然な明るさを保つ部屋の中はいくつもの工具とコードで溢れかえっていた。その中心、人をかたどった枠組みに彼女は張り付いていた。
俺からスパナを受け取ると、人型の背中についていたボルトをゆるめ、中から基盤を取り出した。
「ジャンク品ばかりでは駄目だな。焼き切れてしまっているよ」
鈴音の肩に飛び乗ってみてみれば、緑色の板の一部が焦げ付いていた。唇を尖らせた彼女はそれをポイと投げ捨てる。ここは鈴音の研究室だ。
資料室で俺が魔法世界の歩みを学んでいた傍ら、鈴音は魔法と科学を融合させた『魔法工学』という分野の本を読み漁っていた。それはかつて赤毛の坊主が受け持っていた生徒が体系化させたものらしく、日用品をはじめとし兵器や旅立ってしまったエロ動画にも活用され、火星では少ない資源と受け継がれてきた魔法を有効活用し生活水準を向上させるための欠かせない学問として深く浸透している。
昔面倒を見ていた鳥頭な二人とは違い鈴音は聡く、凡人では理解しがたいそれを記憶し応用し、今では火星連合本拠地で最年少の技術者として活躍している。そのおかげで朝昼晩と三食を食べることが出来るようになり、風呂にも入れ、眠る家屋も手に入れるという文化的な生活を送れるようになっていた。
目の前の人型も鈴音作成のロボットであり、治安維持や生活の手助け、戦争での人死にの軽減のために周囲から期待されている発明品だ。
と、ここまでだけの説明ではまるで俺が少女に養ってもらっているヒモのようだが、そういう訳でもない。工学の分野はさっぱりと理解できないが、これでも日本で長く続いた世界の裏側に生きる一族の出身。西洋魔法とは体系が違うが、東洋魔法の使い手として共同開発を行っている。
「出力あげすぎなんと違うか?」
「ん、言う通りだ。だがこれ以上下げると日常的な手助けしかできないよ」
「ほな制御の方法を変えるしかないわ。人間と機械やったかってがちゃうからなぁ……もうちいと触媒をガンガンつかえりゃ話は変わるんやけど」
「仕方ないね、火星には資源が限られている。あるもので勝負するのが技術者の使命だ」
くっくっくと、妙に黒い笑みで喉を鳴らす鈴音に呆れながら、楽しそうに出来ているのだから良いのかと微笑ましくなりながら、俺は彼女の肩から飛び降りて近くにあった机へと移る。
ぐしゃぐしゃと頭の中の内容を羅列するように書き記した紙の上に、身の丈ほどある鉛筆を抱えて走らせる。
効率的な物事の運用のためにはいくつかの手段があるが、もっとも単純なのは踏んでいく過程を別の過程と置き換えて次のステップに進むまでの時間を短縮することだろう。火を起こすということも初めは木と木をすり合わせて摩擦熱を発生させていたことが、火打石による火花の発生に変わり、リンを用いたマッチが台頭し、やがてガスや電気に変わっていった。
新しい過程へと置き換えることで次のステップに使う時間やエネルギーを増やすことが出来る。それにより大きなものを、多くのものを作り使えるようになる。小さな、ちょっとした改変の繰り返しが今の当たり前のように使っている技術へ繋がっているのだ。
「……カラクネ」
呼びかけてきたのは鈴音だ。ちなみに最近はパパと呼んでくれることはなくなった。この場所に根を下ろして数年、もう少し純粋だった一年前くらいまではそう呼んでくれていたのだが……たぶん思春期という奴だろう。悲しむべきなのか、成長を喜ぶべきなのか、悩みどころなのだ。
「なんや喉でも乾いたんか?」
「違う……カラクネは今の時代をどう思う?」
振り向けばまっすぐと差し出される視線。黒い瞳には迷いと、小さな決意が宿っているように感じた。
○
「そら良くはないやろ。戦争しとる、三食食べれるゆーても遺伝子培養の人工物、スラムも出来とる、子供たちがみんな学べる場所もあらへん……良くはないやのうて悪いわな」
『T-ANK』と名付けたロボット――魔力を使い遠隔操作を可能にした魔法と科学のハイブリットである私の発明品に背中を預け、尋ねた言葉に帰ってきた返答は私の予想通りだった。
カラクネはオコジョにとってみれば大きな鉛筆をゆっくりと机の上に置いて、私を見ながら続ける。
「娘の成長に悪影響やし、パパ心配やで」
「誰がパパか」
「うぅ、最近冷たいでぇ……」
頬を膨らませて言えばカラクネは落ち込んだ様子で頭をかくりと落とした。
――別に私は彼のことが嫌いな訳ではない。
たったひとり、荒野を歩いていた私に出会ってくれた。鮮やかな赤に染まった紅葉を一緒に見ることが出来た。色々な話をし、一般常識と呼ばれるものを教えてくれた。人工の食材を少しでもおいしく食べられるように料理を教えてくれた。この研究室も、火星連合に掛け合い手に入れて来てくれたのだ。
ただまぁ……なんというか……とにかく、今はそれを考えないことにしよう。決して逃げた訳ではないのだ。
「突拍子もないことを言っていいかな?」
「ん、構わへんで」
ゆっくりはっきりと、低いカラクネの声に心が落ち着いていくことを私は感じる。
先ほどまでの態度はどこにやったのか、やわらかく微笑んで私を見つめてくるこのオコジョに出会ってしまったから、出会えてしまったから私は――
「私はこの世界が嫌いね。火星と地球で起きている戦争も、連綿と続く憎しみの連鎖も、地球の上層による一極支配も」
「一極支配、ちゅうのはどういう意味や?」
「気づいているはずね。火星はスケープゴートだということを」
「はー、鈴音はやっぱ賢いエエ子やな」
世界は理不尽だ。生まれた時代、生まれた場所、生まれた家庭、生まれ持った特徴。それだけですべてが変わる。この世界に産まれた瞬間から差別と区別が始まっているのだ。下に生まれたものは下に、上に生まれたものは上に――それはずっと変わらずに、変えられずに、変えられないように、世界は回っている。
「私はこの世界が大嫌いね」
生まれて背負った運命から逃れられないと、変わらないと思っていたこの世界が。たったひとつの小さな出会いで様々なものに触れることが出来て、変わっていけるのだと思えたこの世界が。それでも跋扈した巨大な意志によって、変えられないと思わされてしまうこの世界が。
「だから私は世界に反逆する……私は世界を変えてやる!」
私の一歩は小さくても、その一歩が新たな世界を開くと私は知った。
前へ進もう、この足で。未来を切り開こう、この手で。差し伸べてくれた小さな手に報いるべく、今度は自分自身の手で世界を変えるのだ。
「そら随分と大きく出るが……どうやって変えるっちゅうんや? 連合のトップにでもなって地球と和平交渉でもしてみるか、あるいはそのT-ANKとやらで地球に侵攻するんか」
「そんなことはしないね。今の状況は地球にとってメリットしかないから資源が少なく人も少ない火星を生かさず殺さずの状態で残している……和平は足蹴にされるだろうし、侵攻は格好の餌よ」
「ほな魔法世界の復活か?」
出てきたカラクネの意見が私は嬉しかった。魔力枯渇現象によって滅んだ魔法使いたちの楽園の復活――荒んだ大地しかないこの火星でそんな突拍子もない意見が、不可能といえる試みが彼の頭の片隅にあるということが、私と同じようにこの世界を憂いているということが、それが解ったことが、私は素直に嬉しかったのだ。
これから私が口にしようとしていることは狂人の戯言と一蹴されるようなことだ。
それでもカラクネならまともに取り合い付き合ってくれるのではと期待させられて、はやる気持ちを抑えるように丁寧に言葉を紡いてゆく。
「この世界は歪んでいるから根本をひっくり返す――そういった意味では魔法世界の復活は私と同じ意見ね」
「せやったらどないするんや?」
「簡単な話だ……私は時を越えて歴史を改変する」