「ええんやないか」
「……カラクネ、言っている意味を理解しているか?」
「タイムトラベルやろ、わかっとるわかっとる。いやー、漫画の中に入れるみたいで楽しみやで」
時間逆行、つまりタイムトラベルとは机上の空論である。人々のあの時ああしていれば、という強い願いが引き起こした妄想であり、多数の物語が生み出されるための下敷きでしかない――ということが科学の定説だ。
意識を未来に飛ばすことは可能だ。生物が日常的に行っている睡眠という行為はある種、時間を超える行為であり、コールドスリープを行うことで未来に行くことはできるだろう。
だが過去に向かうことは不可能だ。高速で進む物体の周りを流れる時間が遅くなろうとも、力学上の方向が時間の流れに関係なく一定方向だろうと、粛々と積み上げられた過去によって今があるのだ。たった一匹の蝶の羽ばたきすら欠かせず過ぎていったのが過去であり、その過去に影響を与えることで今は違う形へと変化させてしまう。
仮に過去を変えるために時間をさかのぼったとしても、その時点でさかのぼった者の存在すら危うくなる――故に、因果律に反するタイムトラベルは成り立たないとされている。
「そうではなくて――」
語気を荒く、机の上に乗ったカラクネに詰め寄る。ぐいと顔を近づけてみても、カラクネは飄々とした表情を崩さず、いつもと変わらぬ様子で小さな口で続ける。
「鈴音が賢いエエ子やゆうのは俺が一番知っとるつもりや。タイムパラドックスやらバタフライ効果もどうにかなる目論見があるんやろ?」
だが、それはあくまで科学を基準とした場合だ。この世界には魔法があり、オコジョが話し、物理法則に反した現象を引き起こす者たちがいる。因果律に逆らうすべがあったとしても何らおかしくない話だ。
ふふんと挑発的に笑う目の前のオコジョに私はひとまずと、咳払いしてから打ち立てた理論について説明していく。
「カラクネはダイオラマ魔法球というものを知っているか?」
「高位の魔法使いが作るっていう箱庭やろ。なんや疑似的に作り出した空間を閉じ込めて、時間の概念すら歪めるっていう。そんなもん俺の周りにはなかったからなぁ……羨ましいなぁとはいつも思っとったわ」
「その通り、魔法使いたちは昔から空間と時間を縮めるすべを持っていたわけだ。だが考えて欲しいね、現実では数時間という短い時間しか過ぎていないのに入れば数日という長い時間を過ごして出てくる、これは世界の因果に反した行為だとは思わないか?」
刻々と進む時間の流れにのっとって生物は歳を取っていく。その当たり前の現象にダイオラマ魔法球は逆らっているのだ。その上そこにいたはずの人間が世界から消え去り、再び出てくることを許している。
私は僅かばかりの不信感と多大な高揚感を覚えながら話を続けていく。
「魔力は方向性を示すことで風という方向に影響を与え、炎や氷といった熱量に影響を与え、水や土といった質量に影響を与える――これは今や当たり前だが、科学的にはあり得ない現象だ」
「質量保存の法則を完全無視やからな」
「さらに闇や光という捕捉できないはずのものを質量として固定化することができる。だから時間を捕らえ、逆に回すことも不可能じゃないはずね」
「つまり鈴音は魔法――魔力には元々因果律をゆがめる力があるってことが言いたいわけやな」
「魔力だけではなく気も含めだがな。ちなみにカラクネは魔力とは何だと思う?」
「万物に宿る自然エネルギーを精神力と術式で取り込んだものやろ」
「そうではなく本質的に魔力が何であるか、気が何であるか、ということよ」
ふむと小さな腕を組んで私の話を真剣に聞き入っているカラクネは、しばし目をつぶり、ゆっくりと開いた。
「魔力と気は基本的に相反する、道教でいう大極――陰と陽の関係や。生命を爆発させる気は陽、精神力で制御する魔力は陰。相反しながらも双方が無くてはならない関係性を保っとるふたつの本質やけど……俺は進化の可能性やないかなと思っとる」
「ふむ……興味深い意見だ」
進化とは、生物の形質が世代を経る中で変化していく現象のこと。環境の変化に合わせ、構造や形態を時に複雑に、時に単純に、より効率的に子孫を残してゆくために行われてきた生命の神秘だ。それは化石の解析と遺伝子学の台頭により、ほぼ確固たる科学的根拠を持っている。
しかし、生物の進化はそれだけでは説明がつかないところがある。キリンの首はなぜ長いのか、複雑な生体組織は進化のみによって成り立ったのか、肉体はともかく精神や魂と呼ばれる概念はいかにして確立されたのか。
「そも平安の人間は魔力や気が扱えんかったみたいや。まぁ一部には使えるのもおったらしいけど普及しだしたのはもう少し先の話らしくてな、その辺りに環境から、あるいは自分自身から、可能性を引っ張り出して適応せなあかんことがあったんやないかな」
もしも魔力や気が進化の可能ならば、それが生物の肉体や精神に影響を与えたならば、既存の因果律を変える力があるならば――そう考えると疑問にひとつの答えが出てくるかもしれない。
大気に満ちる力を使った呪術は昔からあったらしいけどな、と続けたカラクネは、子供のようにきらきらと目を輝かせながら口を開く。
「しかし過去かー、恐竜とかやっぱりロマンやし見てみたいわなー」
展望を口にするカラクネに、私は先ほどまで僅かだった不信感がずくずくと高揚感を塗りつぶしていくのを感じた。
私の妄想ともいえる考えを最初から切って捨てないことはわかっていた。だとしても、あまりに彼は私の意見をすんなりと受け入れすぎていないだろうか。
いったい目の前のオコジョは、カラクレ・ウジマーチャは何を考えているのか――真意が見えず、それが不安だった。
「……どうして」
「ん?」
「どうしてカラクネは否定しないね」
○
「過去に戻り歴史を変えるということはいつも言っている妻の存在が、その関係性すら怪しくなるかもしれないということだ」
「なんや、俺に嫁さんいたってこと信じてくれとるんやんか」
「茶化さないでほしいね」
俺を叱責するときの不遜さはなりを潜め、鈴音の声には怯えが含まれていた。研究開発しているときの好奇心旺盛さはどこへやら、うつむいて後ろ向きな態度だった。料理を作っているときの爛漫さは消え去り、目に宿る光には申し訳なさが混じっていた。
「時を越えるなど荒唐無稽だと思わないのか?」
「やー、さっきの話をされたらいけそうな気がするやん」
「歴史を変えるということはカラクネが歩んできた人生そのものが……否定されるかもしれないということね」
「その口ぶりやと心配してくれとるんか?」
「当たり前ねっ! 私がこんな野望を持てたのも、すべてカラクネと出会えたおかげよ! なのに……そのカラクネが紡いできた日々に、後ろ足で泥をかける真似なんかしたくないね」
鈴音の声は消え入りそうだった。小さく、細く――やさしい彼女の心の叫びだった。
そんな成長が嬉しくて、子供のくせに妙に誇り高いその姿が誇らしくて、俺は鈴音の頭の上に飛び乗ってさらさらとした黒髪をゆっくりと撫でてやった。
「なんで否定せんかったって、そら簡単や。俺も人間やったからな、過去に後悔くらい残しとる訳だな」
「後悔……」
「俺オコジョやんか。気づいとると思うけどオコジョの呪いでこんな姿で生きとるわけや」
オコジョの呪いとは秘匿されるべき魔法を世間にばらさないようにするために、魔女狩りの惨劇を繰り返さないために生み出された魔法使いたちの安全弁だ。いくつもの裁判と書類による契約を重ねた末に発動させ、呪いを受けた対象の魔力や気を利用して常にオコジョに変化させ続ける魔法をかけ続け、力づくに弾き飛ばそうと魔力や気を扱えばより深くオコジョに近づく強力な呪法。
その呪いをかけられるのは危険な犯罪者や魔法秘匿の掟を破った魔法使いたち。
「俺にもやり直したい過去が、どうなっても防ぎたい過去くらいあるんやで。それに鈴音と同じでこの時代がエエ時代やとは思っとらんし」
「……だがっ!」
「それにせっかく娘が一生懸命頑張ろうて思えることを見つけとる訳やんか。協力したいって思うのはパパとして当然やで」
それだけ告げると鈴音は俺の首根っこを持ち、自分の顔の前に持ってくるといろいろな感情を噛み潰すように微笑んだ。
「誰が……誰のパパか」
「そんだけ憎まれ口叩けるんやったら十分や。それより過去に戻ってどないするつもりやねん?」
「世界に魔法を知らしめすつもりね! 魔法使いたちはみんな当たり前のように居た隣人で、友人だと認識させるのだ。ネットで情報を拡散させつつ強制認識魔法を使って――」
計画を語りだした鈴音を見ながら、俺は過去に思いをはせる。火星と地球の現状が良いとは思えないし、変えるならば鈴音の行おうとしている歴史改変くらい派手にやらないと変わらないだろう。個人的にも変わってほしい過去もある――先ほど口にしたことは俺の本心だ。
「混乱するであろう最初の十数年は私が監視装置となって政治的軍事的危機は回避するつもりね。そのためには資金も必要で、過去に戻ったらまずそこを解決しなければならないからこれからやることが山ほどあるのだ」
ただ――
「カラクネも協力してくれるか?」
「ま、娘の頼みやからな。ちなみに計画名は決まっとるんか?」
「大本はまだだが、タイムマシンにつける名前はカシオペアにしようと思っている」
「カシオペアかぁ……随分と皮肉を効かせとるな」
けたけたと笑いながら鈴音を見れば、自慢げに薄い胸を張ってふんぞり返っていた。
「私にはピッタリなのだよカラクネくん」
カシオペアはギリシア神話の中に登場する古代エチオピア王ケフェウスの妻で、アンドロメダの母だ。彼女はあまりに娘の美しさを自慢しすぎたため、海の神ポセイドンの怒りを買うこととなる。その結果、ポセイドンの怒りを静めるためにアンドロメダを生け贄として海の岩場に鎖で繋ぎ、自分の犯した罪を嘆き悲しむこととなった女だ。
「でもまぁ夜空に浮かぶカシオペア座は北極星を見つけるための目印や。暗闇の中を手探りで進む鈴音には確かにピッタリかもしれへんな」
鈴音が進もうとしている道は空前絶後、前人未到、因果に逆らった反則的裏道だ。目標とした時代に跳べないかもしれない、時を越えた瞬間消滅してしまうかもしれない、何が起こるかわからない、何が起こっても不思議ではない道だ。
過去を変える――それは甘美な響きで俺の脳裏を揺らす。だが手を伸ばしたい場所は受け入れた背後だ。そして俺は今、オコジョとなってはいるがこの時代に鈴音と生きている。
「ぬふー、頑張るよ私はっ!」
何かがあったときに優先すべきなのは――ま、考えるまでもないわな。
○
時間逆行を行うための準備は着々と進められていった。
ダイオラマ魔法球。
誰にも知られることはなく、どこからでも訪れることができる魔法の部屋とは物語の中ではよく出てくる話だが、現実の魔法使いたちもすでにその技術を確立させていた。
その作り方はいたってシンプルで、魔力によって疑似的に作り出した、あるいはそこに存在していた空間を切り取り、圧縮し、小さな箱庭として詰め込み、自在な時間を与える――と、言うは易く行うは難たしを体現する操作を施しているという訳だ。
科学的に見ればありえない手順をその操作はいくつも踏んでいる。まずは空間を切り取るという第一過程、次に空間を圧縮するという第二過程、さらに詰め込むという第三過程、最後に時間を手にかけた第四過程――と、シンプルである作り方に反逆するようにその実情は複雑怪奇であり、高位の魔法使いたちだけに許された至宝がダイオラマ魔法球には集約されていた。
「やはりここに時間逆行のためのヒントがある」
研究室でひとり、考えをまとめるために私はペンを取る。キーボードに打ち込んでやるのもいいが、自分の手で文字や数式を書きながら出力したほうが頭は回ることをこれまでの経験から私は知っていた。
さて、ではひとつひとつ疑問をつぶしていこうかね。研究室のホワイトボードを目の前に、私は意気揚々と思考を始めた。
第一過程はあったはずの質量を別の場所に移すという行為だが、魔法の世界ではよく認知された技術によって答えを出していた。
テレポート、すなわち転移魔法がその回答だ。異なる二点を移動するそのすべは、電波のように現象が二点の間を走り到達するのではなく、コピーアンドペーストのようにその場の質量を切り取り別の場所に張り付けることで起きている。そしてそれはPC上で行われるのと同じように、データを異なる場所に一度保存しておくことで張り付ける行為が可能になるのだろう。
その根拠に転移の際に魔法使いたちは必ず影に沈み、水の中に消え、火に包まれることで空間移動を開始し、影の中から、水の中から、火の中から現れている。つまり魔力によって生み出した別次元に自分を一度保存しているという仮説が成り立つ。
となれば第三過程である質量を詰め込むといった行為は第一過程とつながっているのだろう。保存した情報を小さな箱庭に張り付ければ良いのだから、これも転移魔法の応用によって解決できる。
「基本は極意とはよく言った話だ」
現物があれば解析できるのだが、なければ仕方がない。私にはこの頭がある。ないものにこだわらず、あるものを武器に前へと進んでいこう。思わず苦笑がこぼれ、私は再び思考の海に沈む。
第二過程である質量の圧縮だが、これもまた既存の情報によって説明できる。
魔法には質量がある。質量がなければ私たちに影響を与えることはできず、魔力が魔法に代わるときに質量を得ることで現実世界に影響を及ぼすことができるという訳だ。その魔法を固定化し、掌握し、その身に取り込んで極寒の世界を作り出し君臨したのが今も名のとどろく闇の福音であり、英雄となった雷の化身ネギ・スプリングフィールドだ。
どのような方法で――ということは明らかにはなっていないが、実際行った人物がいるのだから質量の圧縮は可能ということなのだろう。
だが、ダイオラマ魔法球は闇の福音以外の魔法使いも作り出している。伝説的な魔法使いである彼女たちと同じ方法ですべてのダイオラマ魔法球が作成されたとは考えにくい。となれば、別のアプローチの仕方があるのだろうか。
「変身魔法……」
『赤い飴玉・青い飴玉 年齢詐称薬』という有名な魔法具がある。赤い飴玉で大人になり、青いのを舐めれば子供になる――と、なんともどこかで聞いたことのあるその魔法具は、実際に姿形を変えるわけではなく幻術による疑似的な変化をもたらすらしい。
だがオコジョの呪いはどうだろうか。カラクレ・ウジマーチャはしっかりと人間だったその身をオコジョに変えて今この場に存在している――これは質量の圧縮を魔法によって行っているという証明そのものではないか。他にも日いずる国のNinjaは身体操作によって様々な姿形に身体を変えることができると何かの文献で見たことがある。これもまた質量の圧縮そのものだ。
最後の時間操作を行う第四過程には見当がついていた。超高速で移動する物体の周りでは時間が遅くなるというのは量子力学で解明された事実。となれば枠組みを高速移動させることでワームホールを疑似的に作り出し、そこに切り取り圧縮した空間を張り付けてやれば時間の流れが遅くらせることができるはずだ。
そして遅く、遅くなっていった時間の流れはある一点で逆行をし始める――はずね。
「……にしても、カラクネの変えたい過去は何なのか」
考察をひと段落付けたところで、口を突いて出たのは彼のことだった。
後悔している過去があるといったカラクネは、オコジョの呪いでその身を変化させている。だが、今の時代オコジョの呪いをかけるための裁判など行う余裕は火星にない。
それに私と彼が出会ったのは荒野に不釣り合いに生えた紅葉の下だ。あの時私は人に追われていた。だがいつの間にか追っ手を振り払い、気づけばあの場所にいた。
「認識阻害魔法……それも並みの魔法使いや計器を振り切れるほどの」
あの場所は他者が踏み込めないように封じられた場所なのだろう。ならばなぜ私にたどり着けたのか、という疑問も浮かぶ。
「……調べてみるか」
カラクネは東洋の魔法理論を理解し、話す言葉は日本の関西圏で使われている方言。つまり彼は関西呪術協会に所属する陰陽師だったのだろう。後はどの時代に生きたか、ということなのだが――
「調べていいのかな……?」
検討はついている。最後の英雄と呼ばれるネギ・スプリングフィールドのことを語る彼は同じ時代を生きた人物なのだろうが――そこで私の思考が止まる。
カラクネは過去のことを私に話してくれる。妻がいたこと、妹がいたこと、引き取って育てた子供が二人いたこと。名前は明かさずぼんやりと語るが、それは私を信頼してくれているからだろう。
何があってオコジョになったのか、なぜ火星に封じられていたのか。その理由はまだ明かしてくれていない。それを自力で暴こうというのは、彼の信頼を裏切ることなのではないだろうか。
「……けち臭い父親ね」
ぼやくように飛び出した言葉はきっと嫉妬からなのだ。