「コーヒー好きなんか?」
「一日に七杯は飲むよ、コーヒーは精神を覚醒させるからね。君もコーヒー派かい?」
「うんにゃ、緑茶派や。で、俺はカラクレ・ウジマーチャて言うんや、よろしゅう」
「よろしく」
白髪の少年――フェイト・アーウェルンクスは優雅な仕草でコーヒー入りのカップを口に運ぶ。丸いテーブルの正面に座る彼を、俺は鈴音の隣で見つめている。
俺はこの少年を知っている。過去、俺がオコジョの呪いを受ける前、人間だったころ、俺はこの少年に出会っている。
ずくりと頭が痛む。頭痛は人型を成して、俺を抱えて包み込み押しつぶそうとする――そんな錯覚を覚える。
「ではそちらのお嬢さんは?」
「超鈴音ネ、しがない魔法使いをやっているヨ」
「ちなみに俺の娘やで」
「オコジョ妖精と親子関係かい」
「阿保なオコジョの戯言ダ、気にしなくていいネ」
やれやれと肩をすくめる鈴音は飄々とした笑みを顔に張り付けていた。
鈴音にとって今の状況は予想外だろう。フェイトという人物が、あの坊主の敵対者となる彼がこの時代を生きていることは知っていた。しかしこの白髪の少年が表舞台に姿を現すのはあの坊主が俺の故郷、京都を訪れた時のはずだった。
「それと私のことを買いかぶりすぎヨ」
「買いかぶりすぎということはないと思うよ。魔力の力場を作らず、転移のためのゲートを作らず、君はオスティアに現れたじゃないか」
「私はジャミング魔法が得意でネ、痕跡を残さないようにゲートは散らした訳なのダ」
「……ありていに言って、三流程度の君がかい?」
「得意不得意は誰にだってあるヨ。なかなかの腕前だと自負しているネ」
探るようなフェイトの視線を鈴音はいたずらっぽい笑みで遮断する。
鈴音は騙しているのだ。感情を相手に悟らせないように、仮面をかぶって自分と目の前の少年を。イレギュラーにより自分の知る過去と異なる流れが起きてしまうことを防ぐために、穏便にこの場を切り抜けようとしているのだろう。
「逆に聞かせてもらえるかナ。どうして私のような三流魔法使いと阿保なオコジョに気をかける?」
「霧に包まれたオスティアの廃都に君みたいな三流魔法使いが現れれば驚くだろう。あそこは熟練の冒険者以外立ち入りを禁止された場所だ」
「おお、それは気づかなかたネ! ということはフェイト少年は冒険者なのカ?」
「いや僕は……そんな自由な立場じゃないよ」
無機質な瞳を微かに動かすこともなく粛々と述べる。頭痛がまた襲い来て――鈴の音が頭の中に小さく落ちた。
「フェイトは、騎士かなんかか?」
「そんな高尚な身分でもないさ」
「ほな仕事あって忙しいとかあるんか?」
「君たちが何者かを見極める必要はあるね」
「せやったら俺らを案内してくれんか」
隣から視線が降ってくる。何を言っている、と雄弁に語るそれは鈴音が発生源だ。それを無視して俺は続ける。
「やー、俺らオスティアに来るの初めてでな、右も左もわからへんねん」
「それで僕にガイド役をしろ、と」
「俺らを見極めるのが目的なら一緒におった方がお得やろ」
頼むわ、と両手を合わせて頭を下げると彼はすっと立ち上がり、構わないよ、と短く言った。
○
喧騒は相変わらずまぶしかった。空に浮かぶウェスペルタティア王国の王都オスティアが戦争、魔法世界を二分することとなった『大分烈戦争』により地に落ちて幾年か。再び空に浮かび上がらせた島に築かれている新たな王都は戦争の残り香を感じさせず、活気に満ち溢れていた。
人間種、亜人種、双方が手と手を取り合い商売に励み、政治に励み、みな笑いながら私の前を通り過ぎてゆく。こんなやさしい世界が、私は欲しいのだ。
そのために時を越え、過去へと赴いた訳だが――
「中心市街地から北の方面に空港と漁港があるよ。南はリゾートホテルエリアだね」
「漁港て、空に浮かんどるのに何とっとんや?」
「オスティアにはここのように空に浮かばせた浮島がいくつかあってね、その中に湖があるらしいんだ」
「そこまで船でいって魚取ってくるわけや。俺も久々に焼き魚食いたいわ」
「僕は魚は食べないね」
「好き嫌いか? アカンで、子供なんやから何でもいっぱい食べへんと」
「食には興味なくてね」
「ほうか……よっしゃ、ならおっちゃんがなんかうまいもん食わせたるわ」
「オスティアに始めてきたと言っていた君がかい?」
「オコジョの嗅覚を嘗めたらあかんで」
何故だか私は『ナギまん』と暖簾の掲げられた屋台で注文するオコジョの後ろ、ふむと首をかしげる白髪の少年とともに行動していた。
どーゆー状況ね、意味わかんないね。夢か、夢なのか。過去を訪れたのも、白髪の少年――最後の英雄と呼ばれたネギ・スプリングフィールドと敵対することとなった悪の組織の尖兵であるフェイト・アーウェルンクスと仲良く散策していることも。
彼はネギ・スプリングフィールドが修学旅行で京都訪れるまで表舞台に出てくることはなかった。そこで黒髪の少年をかどわかし、とある女性を脅して鬼神を復活させるための手足として利用したのが最初の登場のはずだ。歴史が変わったのか、あるいは本来この時代にいない私と出会うことは必然だったのか。
私自身、まだこの世界を回すための舞台にも、最後の英雄の舞台にも立っていない観客のひとりだ。出会うこと自体は問題ないと思うが、ここで何かしらフェイト・アーウェルンクスに影響を与えて計画が阻害されることは防がなければならない。
「ほれ、鈴音も食いや」
それは私にほかほかと湯気を立てる包子を渡してきたカラクネも解っているはずだ。だというのに、この状況を作り出したのはカラクネだ。あぐりとかぶりつけば肉汁が舌を刺激し、身体を歓喜で震わせる。ナギまん……中々のものね。
「カラクネ、どーゆーつもりネ」
ぽそぽそと、ナギまんを食べるフェイト・アーウェルンクスには気づかれないよう小声で問いかける。するとカラクネは私の肩に飛び乗って、耳のそばでこそこそと呟いた。
「計画にイレギュラーが生じるのは当然やろ」
「それを承知でこの時代を選んだ訳だからそれはわかている。今聞いているのはそのイレギュラーから距離を置こうとしている私の意志を無視し、仲良くしているのはどういうつもりかと聞いているんダ」
ここに来るまで、私は再三とカラクネとともにフェイト・アーウェルンクスと別れようとした。予定があるのだと言って、飛行船の発車時間があるのだと言って、トイレに行くと言って、人ごみに紛れようとして、私は彼から逃れようとしてきた。しかしその行動をことごとく妨害したのはカラクネだった。予定なんかないでと、チケットも買っとらへんわと、俺はフェイトと待っとくわと、こっちやでと大きく手を振って、それらをすべて潰してきた。
「下手に逃げると目ぇ付けられるやん」
「なら疑問を解消してやれば良い。魔法と科学のハイブリットを作り出そうと研究しているとでも言ってネ」
火星で魔法を扱えるようにと学んだ私ではあるが、この身に刻まれた事情からか、魔力を取り込み放出するといったことがまるで出来なかった。故に、魔法生徒として麻帆良に通うために取った手段は、専門分野であった魔法工学の技術を用いた武装を作るというものだった。
電力によって作った疑似的な魔力タンクに魔力を取り込み、科学で演算して呪文詠唱の流れを作り魔法を行使する。これは精霊の力や術式を用いて制御する魔法具とは異なり、本人の力量や素質に左右することなく安定的に利用することが出来る。言霊による判別を必要とせず生体電気を判断材料に、電力さえあれば稼働できる私にはぴったりの武装だ。
「研究者として納得がいかないものを見られてしまってつい誤魔化したと言えばいい。ちっぽけなプライドが素直になれなかった原因だとネ」
「明らかに時代を先取りしとる技術をか」
「そこはどうとでもなるネ。私が天才美少女なのは事実ヨ」
私は張り付けていた笑顔を神妙な顔に変えるとフェイト・アーウェルンクスの方に歩み寄る。そんな私に気づいてか、彼は私の眼を無機質な目で見つめると半分ほど残っていたナギまんを石に変えてみせた。
「君は、君たちは未来から来たのかい?」
その言葉にぞわりと背筋が震える。そのようなこと、気づかれるそぶりを見せたつもりはない。だというのに彼は確信めいた声色でそう告げた。
「いやはや、なんでそうなるネ」
「君が言っていたんだろう超鈴音。この時代を選んだ、と」
聞かれていた――後ろに飛びのこうと足に力を入れるよりも先に、彼の手が私の肩を握っていた。巨大な岩のように強固に、私よりも小さな少年は私の動きを押しとどめる。
「やっぱちと鈴音には迂闊なところがあるわな」
フェイト・アーウェルンクスの頭の上に飛び乗ったカラクネは、子供の失敗を笑うようにけたけたと声をあげた。
○
「魔法世界が荒野になる未来を防ぐために過去に来た……君たちの目的はそういうことでいいのかな?」
「そういうことネ」
最初に彼と出会った喫茶店で、私は机に突っ伏してひらひらと手を振る。
カラクネがフェイト・アーウェルンクスにばらした訳ではない。私自身の身から出た錆、迂闊な言動で彼に目的を知らせてしまったのだ。ため息が口をついて漏れる。最悪の気分だ。
誤魔化して逃げようにも私とフェイト・アーウェルンクスの間に広がる絶望的な戦力差がその選択肢をすりつぶす。唯一頼みの綱であるカシオペアは魔力不足によって使うことが出来ない。諦めて吐露するしか私に残された道はなかった。
「魔法を世界に知らしめて崩壊を防ぐつもりなんや」
「具体的な手段は?」
「テラフォーミングによる魔力の発生とボロうなっとる回路の修復やな」
「なるほど……」
自暴自棄になりながらぱりぱりと注文したお菓子を食べていればカラクネはフェイト・アーウェルンクスに計画の具体策を述べている。それを聞きながら彼はコーヒーを口に含み、僅かに眉を動かした。
「ひとつ聞いていいかな」
「もういいネ、何でも聞くといいネ。赤字覚悟の大決算セールだネ」
「魔力枯渇現象により魔法世界の人々は消えてしまったというが……僕は、どうなったんだい?」
相変わらずフェイト・アーウェルンクスの表情は石のように無機質なままだった。寸劇を横目で見る人のように、僅かな興味と多大な無関心を含んでいると私には感じられた。
「今から数年後にネギ・スプリングフィールドに倒されて消えたと資料には残ていたネ」
「ネギ・スプリングフィールド……『千の呪文の男』の息子にかい?」
「そうネ」
自分の死因を聞いても彼は、そうか、と短く告げるだけだった。やはり彼は、フェイト・アーウェルンクスは資料の通り人形なのだろう。もしそうでなかったなら取り乱すはずだ。取り乱さなかったとしても感情の揺れ動きを見せるはずだ。死ぬ理由を聞かされて、殺されるという事実を聞かされて、人間ならば無機質にたたずんでいられる訳がない。
「ま、ここまで聞いてフェイトはこれからどないするつもりなんや?」
丸いテーブルの中心で、散策途中に買ってきたタバコに火をつけたカラクネは白い煙を吐き出しながら口を開く。けむい鼻孔を刺すようなにおいの中、ほんのりとバニラの香りが混じっていた。
「俺らを殺す気か?」
「それも考えたんだが……君たちの計画が完遂されれば魔法世界は救われるだろう。それは僕にとっても良いことだからね、超鈴音のように迂闊な行動はとらないようにするよ」
なんねそれ。いじめか? いじめなのか?
「目的にイレギュラーが生じないよう準備するさ」
「魔法世界を無にして人々を完全な世界に運ぶっちゅうやつやな」
「けっ、失敗すればいいネ」
「迂闊で間抜けな君よりも成功確率は高いだろう」
小さく鼻で笑うフェイト・アーウェルンクスに私の唇はとがる。嫌味な少年人形だ。
「せやったらフェイトも俺らと来たらどうや?」
カラクネの言葉に私はがばりと立ち上がった。音を立てて椅子が後ろに倒れるが、それを気にするよりも先に目の前のオコジョに詰め寄る。
「お前は何考えてるネっ!」
「フェイトくらい強いのおったら鈴音も戦力面で気を使う必要が無いやろ。麻帆良には近衛の爺様も高畑も、『闇の福音』までおるんやで」
「それは……だが私は彼以外と争うことなく計画を完遂させるつもりヨ。過剰戦力は逆に不信感を募らせ無駄な争いを生むだろう……私の目的は争うことではないネ」
「つっても邪魔になるんやったら排除せなあかんやろ? 俺は戦闘面では役に立たへんし、フェイトは素直なエエ子やし」
腕を組んで納得しながらカラクネはフェイト・アーウェルンクスに向き直った。どこまでいっても無機質な彼に、飄々とした口調で尋ねかける。
「フェイトにとってもエエことやと思うけどな。計画が達成されたら魔法世界は残る訳やし、俺らの監視も出来る訳やし、無理に人を消して完全なる世界に送る必要もない訳やろ」
頼むわ、と両手を合わせて頭を下げるカラクネに彼はすっと立ち上がり、構わないよ、と短く言った。
過去に戻り歴史を変える。思う通りに未来は描けず計画のために障害はいくつもあると覚悟はしていたが――さすがにこれは予想外ね。
○
やわらかそうなソファーが並べられた小さな部屋。その奥に堂々鎮座する机の先で一人の翁がこちらに視線を向けていた。和装をまとい、伸びた白髭を手でいじりながら僕たちに向ける垂れ下がった眉の奥、眼に宿した光は柔和そのもの。だが鏡のようにこちらの心を暴き出そうという意図が感じられた。
「お主らが連絡にあった入学希望の魔法使いかの?」
しゃがれた声だったが不思議と耳に入り込んでくる声だった。
超鈴音の未来技術により魔法世界のゲートをハックし、戸籍をでっちあげて、訪れた旧世界の麻帆良学園。その女子中等部にある学園長室の中、僕は頭の上にオコジョを乗せて、隣のお団子頭の少女とともに立っていた。
「ニーハオ、私の名前は超鈴音というネ」
「俺はしがないオコジョ妖精のカラクレ・ウジマーチャや。んでこいつが――」
「フェイト・ウジマーチャ、愚姉と父さんと一緒にお世話になるよ」
ひくりと超鈴音――愚姉の頬がひきつるが僕は気にしない。事実を述べただけなのに苛立ちを覚えるのは非合理的だ。僕にはまるで理解できないね。
「ふぉっふぉっふぉ、仲良しなのは良いことじゃの」
フェイト・ウジマーチャというのは父さん――カラクレ・ウジマーチャが僕にくれた名前だ。僕と愚姉は魔法世界出身の孤児で父さんに拾われて魔法を覚え、将来良い場所で働いて過ごしていけるように麻帆良学園で修行することを希望している、というのが僕たちの設定。
しかし父さん、か。父親とは精子の提供者のことだ。造物主の人形である僕の誕生にそのような過程は存在しないはずであるし、造物主が父親であるということもない。
彼らが語った計画には賛同できる。成功すれば無駄なことをせずとも魔法世界が存続できるかもしれない――彼女のように無駄なことをされる必要な無くなるのだ。僕が麻帆良に潜入するために必要な処置なのかもしれないが、父と子供などとは人形である僕には理解できない関係性だね。
「せやねん。二人とも仲良しでな、素直な賢いエエ子らなんやわ」
「どこが仲良しカ! 口を開けば私に対する嫌味ばかり……弟ならばもっと私を敬うがいいネ!」
「やれやれ、なら敬えるところを作ってほしいものだね」
ぎゃいぎゃいと喚く愚姉の言葉は無視する。そんな僕の耳に嬉しそうに笑う父さんの声が飛び込んできた。
まぁカラクレ・ウジマーチャは話が通じる。彼の自己満足に付き合ってあげるのも必要ならば仕方がないことなのかもしれないね。
しかし――
「お前も転校生か? 俺は犬上小太郎、よろしゅうな」
人間の小学校に通うことになるのは少し予想外だったけれど。無邪気に笑う黒髪の少年から差し出された手を握り返して、僕はそんなことを考えていた。