暗く広がる夜の帳、半分に切り取られた月が星たちを辺りに侍らせていた。支配者のように鎮座するそれは俺たちを高い空から見下ろす。その眼光は母のようにやわらかく、娼婦のように妖しかった。
空から視線を徐々に下していけば、大きく横に手を伸ばした枝が存在を主張している。深緑にはまだ少し足りないようだが、生命を感じさせる青々とした葉を付けた巨木があった。
鈴音の女子中等部への入学を数日後に控え、俺は麻帆良の裏山に堂々と根を下ろす世界樹がよく見える広場を訪れていた。時刻は夜の九時を過ぎた頃。まだ幼い二人にはそろそろ寝てほしい時間帯だが、そんな鈴音とフェイトもこの広場にいる。
広場には俺たちの他にも鈴音と同じ年頃の学生が数十人と集まっていた。その中には見知った顔もある。
「なな、何事やと思う?」
「僕に聞かれても困るんだが……」
「強そうな奴らもいっぱいおるし、うきうきが止まらへんで!」
ぴすぴす興奮した子犬のように鼻息を立てる学ラン少年――小太郎の様子に対してフェイトは冷めた目で、彼に視線を合わせようともしない。そんなフェイトの調子もお構いなしに、小太郎はぴょこんと頭から生やした犬耳をパタパタと動かし、きょろきょろと辺りを見渡し、お尻から出した尻尾をぶんぶんと振っていた。
フェイトも小太郎みたく元気さをもう少し出してくれてもいいのだが、と思うがここ数日は張り合うように鈴音と料理を作りあっている。鈴音は最初に教えた俺の腕前なんてとっくにすっ飛ばしてしまい寂しい気持ちもあるが、それ以上に成長している彼女とほんのり変わったフェイトの姿への嬉しさで塗りつぶされていた。故に、これで良いのだ。望みすぎても仕方がないことを俺は知っているつもりだ。
「コラ、コタ君! 人前で尻尾や耳を出しては駄目なんですよ」
ぐるぐるとフェイトの周りをまわっていた小太郎にいさめるような声がかかる。サイドポニーに髪をまとめ、肩から竹刀袋をかけた少女はむんずと学ランの襟をつかんで彼の動きを止めた。
「姉ちゃん痛いわ」
「だったら早く耳と尻尾をしまってください」
「はーい」
丁寧な口調の少女は鈴音と同じ女子中等部の制服に身を包み、凛とした佇まいをしていた。つまらなそうな顔をした小太郎の頭をエエ子やな、と関西訛りの言葉と共に撫でる少女――桜咲刹那はぺこりと頭を下げる。腰から曲がる見事なお辞儀だった。
「すいません、コタ君が迷惑をかけて」
「いいネいいネ、元気なのはいいことネ……どこかの誰かとは違て」
「いいね犬上、君の姉はやさしそうで」
じとりとした視線を向けてくるフェイトに一歩踏み出そうとした鈴音を、彼女の頭の上に乗った俺はぺちりと叩く。
「今のはお前が悪いで」
「むぅ……カラクネはフェイトをかばうのカ?」
「姉貴分やったらもうちと懐の深さを持たな」
「まったくだね」
両手を広げてやれやれとため息を吐くフェイトに鈴音の頬がひくついているのは俺の気のせいではないだろう。時を越え、悲劇の連鎖を無くすために歴史を変えようとしている鈴音ではあるが、こんなところはまだまだ子供だな。
「えっと……超さん、で良かったですか?」
「そちらは桜咲さんだたネ。どうせならばせつなサンと呼んでいいカナ?」
「あ、はい。では私は超さんと。……お三方は仲良しなのですね」
呟いた刹那は遠い眼をして、望郷の念が瞳には宿っているように俺は感じられた。そんな刹那に小太郎から声がかかる。
「姉ちゃんは寂しがりやからな」
「その言葉は私のお布団の中に忍び込むのを止めてから言ってください」
「ちゃうでフェイト! たまにあるだけやからな!」
「聞いてないよそんなこと」
頬を赤く染めて否定する小太郎とそれを微笑ましく見つめる刹那に、懐かしさからか俺の口元は自然と緩んでいた。
「まずは入学おめでとう。皆がこれより魔法使いとして、術者として、裏に携わる者として、その力を平和のために使う人に育ってくれることを期待しておるぞ」
石畳の広場に置かれた鉄製の壇上で、あごに蓄えた白髭をなでつつ麻帆良学園長である近衛の爺様は集まっていた鈴音たちに向けて切り出した。傍らには眼鏡に無精髭の男、よれっとしたスーツを着た高畑がいた。俺たちの方に視線を感じるが……まぁ気のせいだろう。
「さて、明日より皆は麻帆良の学生としてこの学園に通うことになる訳じゃが、学生生活を謳歌すると同時に魔法生徒としてワシらに力を貸してもらうことになっておる。一人前になるための研修期間と思い、こちらも大いに励んでほしい」
「はーい! 俺らは何をすればええんや?」
体全体で所在をアピールし、大きな声で質問する小太郎に近衛の爺様はふぉっふぉっふぉ、と仙人まがいの声で笑う。小太郎の隣にいる刹那は視線が周囲から集まると同時に顔を赤くし小さくなっていた。逆側のフェイトは我関せずと無表情だが。
「ふむ、元気なのは良いことじゃの。お主ら魔法生徒には広域指導員……わかりやすく言えば風紀委員として活躍してもらうつもりじゃ。霊地のひとつである麻帆良には魔力がたまりやすく、魔力がたまりやすい場所は魔を引き寄せる」
「んで悪い感情も集まりやすいんやろ、父ちゃんから聞いたことあるで!」
自慢げに胸を張る小太郎に、ますます隣の刹那が小さくなる。そんな彼女の肩を鈴音はポンと叩く。中等部の入学式を前に麻帆良の魔法関係者が集まる中で、注目を浴びている事態に同情したのだろうか。
「人に仇為す魔が狙うのは魔力であると同時にそれを発生させる人の負の感情じゃ。じゃからといって結界で守られた麻帆良に魔物が麻帆良に現れて人を襲う、という訳ではない。ただ魔力にのった魔のささやきにより人の感情を後押ししやすくなる……端的に言えば粗暴になってしまうのじゃ」
幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉があるが、魔も神も人にとっての畏れから始まった。人知の届かない天変地異を、暗き闇夜でささやく音を、人は畏れと同時に敬うことで魔や神は人の目の前に姿を現すのだ。
人が先か、魔や神が先か。それは卵と鶏の論理のようにいまだ解明されてはいないが、自然や生物、他者への畏敬が無ければ魔や神はこの世に存在していなかったのではないかと俺は思う。
とはいえ彼らが自然に俺たちの目の前に姿を現すことは少なくなっている。江戸より昔はともかく、西洋で起きた産業革命により人は機械を手に入れあまねく現象を解明してきた。魔や神が人の心に占める割合は先祖からの口伝の減少にも伴い相対的に減りつつある。同様に、それでも解明できない事柄を神の御業、魔の手としているところも訳だが。
まぁ仮に覚えていたとしても、先人たちが残した遺産により魔が勝手に俺たち前に姿を現すことはまずないのだが。世の東西を問わず、先人たちは魔を抑え込むためにあまねく手法をとってきた。柄を下に箒を立てて魔を払うことだったり、柏手で悪い気を霧散させることであったり、神社仏閣に教会や祠を建立して魔が人の領域に踏み込んでこないようにしたり、都市を方角を定めて建設したりと様々に。日本でも少し歩けば道祖神――つまり地蔵菩薩が俺たちの生活を見守ってくれている。
そして魔から人々を守るために生み出された技術が俺が人間だったころに学んだ陰陽術であり、魔法であるのだ。
「欲望のタガが外れやすくなてしまう訳カナ?」
と、陰陽師や魔法使いに召喚されない限り自然と姿を現すことはとんと無くなった魔であるが、彼ら本来の性質は人を引きずることである。七つの大罪や四苦八苦のように、人間の欲望や苦しみにのって彼らは人を引きずり、理性的な行動を破たんさせ、時に死の淵に追いやるのだ。行くとこまで行く着いた先が日本でいう狐憑きや犬神憑き、西洋でいう悪魔憑きだ。
霊地である麻帆良には多くの魔力が集まる。そして多くの魔力は魔を引き寄せ、姿こそ現さないが魔のささやきが麻帆良の地に蔓延り理性よりも欲望が先に立たせてしまう。
それによって麻帆良は毎日がお祭り騒ぎなすっ飛んだ学園になっているという訳だ。
「左様。そんな彼らの仲裁に入りいさめる役目をお主らに請け負ってほしい訳じゃ。昼と夜の狭間にある逢魔が刻は世界の境界があいまいになり、草木も眠る丑三つ時は魔が最も活性化し、煌々と輝く満月は人の欲望を掻き立てる。そして――」
「時間を無理に曲げるうるう年は世界が歪むんや!」
「ふぉっふぉっふぉ、よく知っておるのう。他にも丙午の年も危ういのじゃが、まぁお主らが麻帆良に通う間は関係ないからの。ともかく麻帆良に通う学生たちが平和で有意義な日々を送れるようにするために、お主らにはこれから頑張ってもらいたい」
そう締めくくると近衛の爺様は壇上から降りていった。
小太郎は満足げにフェイトに知っていたか、と尋ねている。何を当たり前な、とでも言いたげに小さくああ、と返したフェイトに小太郎は少し不満気味だ。そんな彼の襟元をまた刹那がつかむ。
「何をやっているんですか!」
「父ちゃんに教えてもろうたこと言っただけやんか」
「恥ずかしかったんですよ私! うち恥ずかしかったんやぁっ!」
「そないに興奮せんでも……いひゃいいひゃいっ!」
真っ赤な顔で小太郎の頬を餅のように伸ばす刹那を見ながら、俺はやはり仲良しだなと再確認した。鈴音とフェイトもこれくらいの掛け合いが出来ればいいのだが……ま、期待せずに待っておこう。
「フェイトもこれくらい可愛げがあれば申し分ないんだがネ」
「愚姉もこれくらい可愛げがあれば申し分ないね」
今の二人の掛け合いで十分だからな。
目元をだらしなくゆるめて四人の姿を眺めていると、いつの間にかひとり加えて五人になっていた。参入した五人目は鈴音と同じ女子中等部の制服に身を包んだ金髪の少女だった。
その少女が注目を自分に集めるようパンパンと手を叩く。
「はい、お遊びはその辺までですわ。私は高音・D・グッドマン、風紀委員女子中等部第一班の班長を務めさせていただいておりますの」
気の強そうな見た目と口調に相反して妙に影の似合う彼女は、俺の記憶にはない初めて見る顔だった。
○
簡単な自己紹介と見回りのための当番を決めた後、高音・D・グッドマンはフェイトと小太郎へ言い聞かせるように口を開いた。どうやら私たちは週に二度程のペースで風紀委員としての活動に励めば良いらしい。
「基本的に風紀委員になれる魔法生徒は中等部以上と決まっているのですが、お二人は特例で配属されております。ですがくれぐれも自分の実力を過信しないようにお願いしますわ」
「おっしゃ、頑張るで!」
「…………」
影魔法の使い手、高音・D・グッドマン。将来はNGOで人々を救う魔法使いになる、一流には少し足りない実力者。直情型で、良くも悪くも正義感が強い性格。ま、この程度だったら計画の邪魔にはならないね。
「ちょっと、そちらのウジマーチャさん、聞いておりますの?」
「……ああ、聞いているよ」
「まったく、犬上さんは素直だというのに」
火星にあった資料を思い返しながら、私はフェイトに詰め寄る彼女を観察する。どうやら資料通りに問題なしのようだ。彼女が班長とやらなら適当に欺いて計画の準備のために時間は裂けるだろう。フェイトの無関心な態度が気にくわないようであるし、何かあった時は撒き餌にすればこちらへの注目は外れるか。
「正義を志す者として嘆かわしい限りですわ」
不機嫌そうな顔で高音・D・グッドマンは鼻を鳴らす。
「そこまでにしておきなさい」
そこに声が後方からかけられた。振り返れば浅黒い肌の男性が眼鏡の奥の瞳を私たちに向けた。ネクタイをぴっちりと締めスーツには皺ひとつない、厳格そうな男だった。先ほどまで学園長の隣にいた高畑・T・タカミチのだらしない着こなしとはえらい違いだ。
「高音君、張り切るのは解るが新入生に厳しくするのはいかがなものかな」
「すっ、すいません……気合いが入りすぎていたかもしれませんわ」
「ふむ、わかってもらえたならそれで良い」
男性は私たちひとりひとりを見渡してから分厚い唇をゆっくりと開いた。
「僕はガンドルフィーニ、君たちが所属する風紀委員中等部第一班の指導係をさせてもらっている」
ガンドルフィーニと名乗った彼は火星の資料にはなかったね。ということはその程度の魔法使いという訳か。やはり麻帆良で注意すべきなのは学園長である近衛近右衛門、元『紅き翼』の高畑・T・タカミチ、『闇の福音』エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの三名。京都神鳴流の葛葉刀子女史と風魔法の使い手である神多羅木教諭は武闘派らしいから不確定要素として覚えておけばいいかな。
「学校が始まれば君たちの力を借りることになる。学園長の言っていたよう、皆の生活を守るために頑張ってほしい」
ガンドルフィーニ先生はにこりと微笑むと、指を立ててから続けた。
「ちょうどよく正義の話をしていたが、君たちは正義とは何だと思うかな?」
正義、か。私は正義という言葉が好きになれない――自己を正当化する方便にしか聞こえないからだ。世界に魔法を知らしめ、陰鬱とした未来から火星を救い上げるために私は過去を訪れたが、私自身は自分のことを正義の使途だと思ったことはない。
世界のルールを変えること、古き慣習を破壊し新しい慣習を刷り込むこと、これは悪の所業だと自分で理解している。多大な変革には大いなる痛みと犠牲を伴う。それを成そうとしている私は悪の化身に違いないだろう。
まぁ悪だと自認し悪だと自称することもまた自己正当化に過ぎないのだが、正義と開き直るよりもまともだと思いたいだけかもしれないね。
「超くんはどう思う?」
自嘲気味な笑みを浮かべてしまったからか、ガンドルフィーニ先生は私に問いかけてきた。
「人を助けることネ」
ここで本心を吐露してしまう必要もないだろう。笑顔を作って大凡の人が喜びそうな答えをあげれば、ガンドルフィーニ先生は首を横に振ってもう一度問いかけてきた。
「そういう優等生的な答えではなく、君の本心を聞いておきたいんだ」
……バレるとは思ってなかったね。腐っても年齢を重ねているだけはあるということか。
私はけほりと咳払いすると、居住まいを正して口を開いた。
「世には正義も悪もなく、ただ百の正義があるのみネ」
彼の眼を見つめてそう告げると、ガンドルフィーニ先生はふむと顎に手をやった。何か探るような彼の傍ら、ずずいと乗り出して意見してきたのは高音・D・グッドマンだった。
「どういう意味ですか!」
「なに、思いを通すは力ある者のみということヨ」
「何を世迷いごとをっ!」
ばさりと金髪を手でかきあげると、膨らんだ胸を張って彼女は宣言する。にしても私のはなかなか膨らまないのはなぜなのかな。
「人を助け、人の涙をすくい上げる! これこそ正義と言わずして何とするのですか!」
自信たっぷりに、威風堂々と言える彼女がどうにも好きになれそうになかった。資料にあった通りの直情型で良くも悪くも正義感が強い性格を見せつけられたからか、あるいはそこまで言える何ひとつ不自由なく育ったのであろう彼女の環境が垣間見えたからか。
やはり高音・D・グッドマンの視線はフェイトを使って逸らすべきだな。
「先も言ったが高音くんは気合が入りすぎている」
ひとり納得していればガンドルフィーニ先生から制止がかかる。すごすごと引き下がった彼女を見て、溜飲が下がったのは心の奥に仕舞っておこう。
びしっと手を上げている小太郎からの期待を横に置き、ガンドルフィーニ先生はフェイトに尋ねかけた。
「お姉さんの意見を聞いて君はどう思う?」
「……そういったことは考えたこともないね」
「そうか――」
「はーい、俺はあるで! 俺の家族悲しませるやつはみんな悪いヤツや! でも俺の家族がみんなを悲しませとったら俺が止めたるんや!」
にこにこと割り込んできた小太郎にガンドルフィーニ先生は君のそれは正しいね、と嬉しそうに笑った。
「君はどう思う、桜咲くん」
「私は……私は、そこまで深く正義について考えたことはありません」
僅かに視線を下に移し、うつむいたせつなサンはですが、と一拍入れて顔を上げた。
「大切な人たちが私にもいます。その人たちを守るために……私は剣を振ることを躊躇いません」
うんと頷くと、ガンドルフィーニ先生は君たちには期待できそうだ、と言った。その顔は楽しそうで、とても嬉しそうに私には見えた。
「ちなみにそちらのオコジョ妖精くんはどう考える?」
「正義とか悪とか語らんで良かったら、正義の過ぎ去った後やと俺は思うで」
カラクネの言葉を聞いて、ガンドルフィーニ先生は目尻の皺を一層深めていた。
○
人々が生活を送る活気に溢れた麻帆良の街で人形の僕はため息をつく。腕に巻かれた風紀委員の腕章にちらちらと周囲の視線が注がれている。麻帆良に通う魔法生徒は風紀委員として治安維持に協力するのが役目らしく、僕もその例にもれず参加させられてしまっていた。
「つえぇ……」
ごほりと潰れた蛙のような声を上げるのは石畳に倒れた男たちのひとり。学生同士の乱闘騒ぎを見つけ、鎮圧したのがいましがたのこと。
もうここに用はない。くるりと踵を返し、僕は見回りに戻る。
まったく、どうして僕はこんなことをしているのだろうか。本来なら設定上姉の超鈴音と見回りをしているはずなのだが、彼女は用事があるからとどこかに行ってしまった。カラクレ・ウジマーチャも彼女と一緒に行ってしまい、故に僕は今一人だ。
「次の日曜日、か」
彼は去っていく際に次の日曜日、魔法世界を救うための仕組みを僕に説明すると言っていたが……そのようなことが出来るのだろうか。
僕らは魔法世界を救うためには幻想である魔法世界の住民を消し、『完全なる世界』にいざなうしかないと聞かされていた。『完全なる世界』は争いも憎しみもなく誰もが救われた世界だと、それこそが最良にして唯一の手段だと。
カラクレ・ウジマーチャと超鈴音の二人はテラフォーミングを行い火星の魔力を増やし、魔法世界を形成する回路を修復することで維持を果たすと言っていた。テラフォーミングは恐らく魔法を世界に知らしめた後に行うとして、説明すると言っていたのは回路の修復の方だろう。
魔法世界は僕を創造した造物主――始まりの魔法使いの作った人造異界だ。すべての魔法使いの始祖と伝わるその存在に、未来から来たオコジョと少女が立ち向かおうとしている訳だが……そのようなことが可能なのだろうか。
彼らの語る意見を受け入れ麻帆良にいるのは僕自身の選択だが……本当にどうして僕はそんな選択を受け入れてしまったのだろう。
考え込むなどまた僕にすればあり得ない行動をとってしまう。こういう時にはコーヒーを飲むのが良いね。
気分を切り替えるために手ごろな喫茶店を探して歩いていると、僕の進む先に今にも泣きだしそうな幼い少女がいた。周りを歩く人たちは彼女に気づいていないようでその横を通り過ぎていく。あれを助けるのも、僕の役目なのだろうか。
ため息をまたひとつ落として、僕は彼女に近づいた。
「ねぇ」
「ふぇ……ふえぇぇえぇぇっ!」
泣いてしまった。周囲から視線が集まってくるが、さてどうしようか。
「君の家は?」
「ふえぇえぇっ!」
「どこからきたんだい?」
「ふえぇぇえぇぇっん!」
涙を流しながら少女は泣き止むのを止めない。どうしたものか――この年頃の人間は幼稚園という施設に通うのが一般的らしいから、そこに連れていけば何とかなるだろう。
僕は泣きわめく彼女を抱え上げると、麻帆良の地図を思い出しながら目的の施設に向けて走り出した。まったく、制服が汚れてしまったよ。
「ちづるせんせーぃ!」
幼稚園にたどり着くと、少女はとてとてとエプロン姿の女性に駆け寄っていった。この保育園の先生なのだろう、超鈴音とは違い豊かな胸の女性は少女を抱きとめると頭を撫でてあやしていた。
さて、道草を食ってしまったが喫茶店に行きコーヒーを飲むことにしよう。振り返ろうとすると、それより先に声がかかった。
「君が連れて来てくれたのね、ありがとう」
「そうだね。じゃあ僕は――」
「お礼にお茶でも飲んでいって」
「いや、僕は――」
「飲んでいって……ねっ」
女性はやわらかい笑みを浮かべて僕を引き留める。結局彼女を振り切ることが出来ず、僕はコーヒーをご馳走になったのだが、振り切れなかったのは何故だろうか。
……違うね、その理由は解っている。少女に袖をつかまれながら微笑む女性の姿が、いつだったか僕にコーヒーを飲ませてくれた彼女に似ていたからか。