文々。新聞の新聞の印刷所は、文の自宅兼編集室の隣に位置している。そこでは週に一回(ただし、号外が発行される際はこの限りではない)文が印刷担当の山伏天狗達を叱咤激励しながら印刷作業を行っている。
かつての文々。新聞は、天狗仲間や一部の妖怪にしか読まれなかった弱小新聞だったが、人間向けの記事を書き始めたり、号外のばら撒き作戦が功を奏したのか購読者は確実に増えていた。そこにきての先日ばら撒かれた号外の大見出しが、『九代目のサヴァンこと稗田阿求が文々。新聞で連載決定!』だったこともあり、購読者は右肩上がりである。
「さー! 山伏天狗の皆さん。今日はいよいよ阿求の連載が始まる日ですからね! 印刷ミスなんかは絶対にしないでくださいよ?」
「「了解です!!」」
文の熱のこもった言葉を受けた山伏天狗達は気合を入れなおし作業に邁進する。
午後五時稗田邸前。
阿求が書き上がった原稿を抱え門の前に出てきてから数分、空から一人の鴉天狗が時間通りに舞い降りてきた。
「時間ぴったりに現れるとは律儀ね」
「あやや~。本当はもう少し早めに着くはずだったのですが、色々と立て込みましてね」
文はよほど急いできたようで、汗でびっしょりと濡れた髪の毛をかきあげながら申し訳なさそうな顔だ。
「別に時間に遅れたわけではないだから。あ、これが原稿よ」
そう言いながら阿求は文に原稿が入った封筒を手渡す。
「ありがとうございます。どれどれ、中身はどんなもんでしょうか?」
文は最初こそ楽しげに目を通していたが、徐々にその顔は険しいものに変わっていく。
「阿求? これはどういうつもりですか?」
「どういうつもりというと? 私は貴女に言われた通りに文字数を守ってマスを埋めたわ」
幻想郷の妖怪の中でも上位の力を持つ文に睨まれているにも関わらず阿求は涼しい顔だ。
「いや、確かに内容は何でもいいとはいいましたけど・・・」
「けど?」
「だからって何で『知られざる射命丸文の私生活』なんですか!?」
文は興奮して我を忘れているのか、往来の目も気にせず絶叫している。
「あら、でも読者の皆さんは気になると思うわよ。貴女の普段の姿」
「私の私生活なら、たまに余白が出来た時にかいてますよ」
にが虫を噛み潰したような顔をして、文は阿求に反論を試みる。
「ええ、私も読者だからよく知ってるわ。『清く正しい射命丸の日々』でしょう?」
「そこで私のことは散々書いてますよ」
「そうね。でも私が書きたいのは貴女の清く正しくない側面よ」
稗田阿求の死後に文はこう述懐している。「あれは獲物を見つけた悪魔の顔でした」と。
「私の新聞に、私に関する悪い記事掲載しようとは、中々いい度胸ですね」
「あら、別に私は貴女を誹謗中傷するような文章を書いたつもりはないし、今後も書く予定はない」
「では、一体何を書くつもりなのですか」
文の問いに阿求はしばし考えた後、満面の笑みをもって答える。
「そもそもとして、文は人里に最も近い天狗ではあるけれど、その本当の姿を知る者はほとんど居ない。そして、知らないからこそ貴女にマスゴミなんて評価がされたりする」
「それは、記者なんてものをやってる以上は仕方がないことでしょう」
「貴女はいいかもしれないけれど、私はよくないの。私は幻想郷に人々に貴女の良いところをもっと知ってほしい。貴女にマスゴミなんて評価をする人間が減って欲しいと思うからこそ書くのよ」
阿求は泣き笑いのような必死の表情で文に詰め寄る。
「はあ、これだから人間というものは」
大きく息を吐いて、諦め顔で文は笑う。
「わかりました。この原稿はしかと受け取りました」
文は、嬉しさと怒りが混ざり合ったかのような複雑な笑みを浮かべると、原稿を受け取り踵を返した。
「ありがとう」
阿求が返事を返す前に、文は空の彼方に飛び去っていた。
「流石は幻想郷最速ね」
阿求は小さく笑うと、門を開きその中へと消えていくのだった。
文が阿求から原稿を受け取ってから約二時間後。文々。新聞編集室では、文が記事の推敲を行っていた。すでに七時を過ぎているため、印刷担当の山伏天狗達が急かしてくるのだが、阿求の初連載ということもあり確認作業が普段よりも数段厳しく行われていた。結局新聞が印刷へと回されたのは八時を過ぎた頃だった。そこから活字をセットし、試し刷りをして紙面の確認をして、印刷は八時半から始まった
「皆さん申し訳ありません。ですが、今回はどうしても誤字脱字を出すわけにはいかなかったんです」
「あ、文さん。頭を上げてください。我々としても、今回の新聞の重要性は理解していますから。それに、このくらいの遅れなら我ら山伏天狗が取り戻してみせますよ! そうだろう!」
「「おおーー!!」」
普段は頭を下げることなど滅多にない文が頭を下げたことによって、山伏天狗達の間にメラメラと闘志が湧き上がり気合十分で印刷作業が始まった。
印刷開始から三十分後。印刷所に微かにノックの音が響く。
「お邪魔するぞー。射命丸ー」
訪ねて来たのは河童の河城にとりであった。にとりを含めた河童達は、天狗の新聞に印刷機の整備や活字を卸すことで協力している。
「おおぉーい! 射命丸ぅー!」
にとりは大声で呼びかけるが、印刷機の音が大きい上に、天狗達も大声で会話をしているため気が付く者が居ない。
「おお。河城さんじゃないですか。どうぞ中へ入ってください」
数分が経った頃、入り口に立っているにとりに一人の天狗が気が付き招き入れる。
「文から頼まれてた活字と印刷機の予備の部品を持ってきたんだけど」
「そうでしたか。文さんなら奥の休憩室に居ますからご自由にどうぞ」
「ありがとさん」
にとりは応対した天狗に礼を言うと、休憩室に向かって歩き出す。作業中の天狗達もにとりとは顔馴染みなので気にも留めない。
「休憩室は何処だったかな~。と、ここか」
にとりが扉を開けようとノブに手をかけると同時に、扉は内側に開かれる。
「おや? にとりさんじゃありませんか」
「やあ。流石にお疲れのようだね」
「ええ、新連載の売り込みやなんかで今週は何時になく動き回りましたからね。あ、入ってください。お茶くらいは出しますから」
にとりの言葉に苦笑しながら文は部屋に招き入れる。
「お湯は今しがた沸かしたのがあって、後は確かここにコーヒーが」
「コーヒーとは随分と珍しい物を飲んでるじゃないか」
「ええ、最近紅魔館のレミリアさんから譲ってもらってます。はい、どうぞ」
にとりは「ふーん」と気のない返事を返すとカップに口をつける。
「それで、にとりさんはここに何を?」
「それはないだろう射命丸。君から頼まれてた物を届けに来たのに」
文は顎に手を当てしばし考え込んでいたが、ようやく気が付いたらしく手を打った。
「ああ! そうでしたそうでした。活字と部品を頼んだんでした」
「普段はしっかりしてる射命丸らしくないね」
「あんまり言わないでくださいよ。それだけ忙しかったということです」
文は恥ずかしそうに頬を掻く。
「それで? 何が必要なんだい?」
にとりは、鞄の中を調べながら文に問う。
「えーと。確か『こ』(活字)が無くなりかけてましたね」
「んーと。ほい、『こ』ね」
「ありがとうござい・・・ます?」
受け取った『こ』を眺めていた文は訝しげな声を出す。
「そういえば、最近活字が変わってるようですけど」
文の問いに、にとりはニヤッと笑う。
「流石に気が付いてたか」
「そりゃあそうですよ~」
「とある鍛冶屋から、仕事をやらせてほしいとの打診があってね。試しに作らせてみたら中々にいい仕事をするもんだから、正式に契約したよ」
――妖怪に仕事をやりたいと頼む鍛冶屋? 少なくともそんな酔狂な人物は人里に居なかったと思いますが・・・。
文が訝しみながら活字を眺めると、側面にマークを見つけた。
「なるほど。この唐傘のマークは彼女ですか」
「そうなんだよ。ふらっと博麗神社に行ったらたまたまそいつも居てね」
文はその活字を眺めながら微かに微笑む。
「どうだい射命丸。なんなら全部の活字を唐傘印にしてもいいんだけど?」
「むしろこちらからお願いしますよ。そのうちにお礼に行かないといけませんね」
「定期購読の勧誘の間違いじゃないのかい?」
「ついでに鍛冶屋の広告も出してもらいますか。その分収益も上がりますし」
「そりゃあいいね。稼げるならそれに越したことはない」
そんな話をしながら、二人は呵呵大笑するのだった。
補足説明:にとりと文が話していた『活字』について。
現在では活字といえば本や新聞などの文字を指すことが多いが、これは便宜的に活字と呼んでいるだけであって本来の活字とは違う。
現在の印刷はほとんどが写植やDTPで行われているが、かつては金属で作った活字(金属や木に文字を彫りこみ、それにインクをつけて何度も印刷できるようにしたもの)を使って印刷を行っていた。
作中にでてくる活字は金属製である。これは、一文字一文字作られた判子のようなものであり、それらを組み合わせて一つの文章を形成する。
しかし、科学技術の発展により一々活字を組まずとも印刷が行えるようになったため、現在では活版印刷はほぼ絶滅状態にある。