ナーベラル・ガンマ、生きる黒歴史との逢瀬   作:空想病

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時系列としては、書籍9巻最後から10巻あたり。



第六話 疑問

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の訪れにより、空気に生物の息が満ち満ちる都市。

 なれど、その日、その時の人間の都市には、沈黙(サイレンス)の魔法でもかけられたかのように、静寂以外ありえなかった。

 不意に、閉ざされていた城門がひとつふたつと開かれ、その都度に歓迎の鐘の音が鳴らされるのが、やけに大きく響いた。エ・ランテルが魔導国の領地として譲渡・編入され、アインズ・ウール・ゴウンの一行が都市の大通りを行進する。

 この都市の住人は、至高の御方の威光と支配に屈服したかのごとき沈黙のみで、一行を迎え入れていた。それ自体は別に構わない。しかし、扉の陰や窓の隙間から、ただ覗き見るという行為は、ナザリックに属する者にとっては無礼と断じて当然の応対に他ならない。沈黙するにしても、せめて支配者となる御身への敬服と従属の姿勢を見せるくらいしなければ、けっして許されない愚挙である。

 ナザリックの者がそれを指摘し、都市住民を通りに強引に引き出さないのは、御身の優しさによって、都市に住む人間共は許されているからに過ぎない。

 

 

 

 その日、ナーベラル・ガンマは、黄金の輝き亭の最上級の客室で待機していた。

 頭部からは長く真っ白な獣耳──〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉の魔法を発動させて。

 この魔法によって、ナーベラルは都市大通りで行われている遣り取りを、声と音の応酬を、つぶさに感得することが何とか可能だ。さらには、〈千里眼(クレヤボヤンス)〉を発動し、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の都市入来という記念すべき瞬間を、彼女は遠隔地にいながらも己の視界に納め、記憶の宝箱にしっかりと納めておくことができた。

 無論、これはアインズ一行を襲撃せんとする無知蒙昧なゴミがいないかを監視する意図から発動しているものでもある。

 故に、不遜にもアインズ・ウール・ゴウンの行軍を邪魔立てするように、ゴミムシの子どもが(つぶて)を投げた場面も、彼女は確実に見ていた。

 投げられた石は非力かつ脆弱な子供らしい軌跡を描き、一行に届くにはまるで及ばないが、それでも、ナーベラルは即座に転移魔法で飛んで、そんな暴挙を働いた子供を、そんな子供を御せなかった母親諸共に殺したいと欲する衝動と格闘する羽目になったのは、半ば予期していても難しいことであった。

 それでも、ナーベラルは己に与えられた役目を、待機命令を、順守する。

 至高の御方の傍近くに侍る守護者統括が、助命を嘆願する(ゴミ)の母親に微笑み、誅罰の言葉を紡いだおかげもあるが、その数秒後に、今回の役目を果たすべく(つか)わされた“彼”が、最高のタイミングで現れてくれたのも、多分に影響を及ぼしているようであった。

 白き女悪魔の直前に、漆黒の英雄の姿で現れた“彼”こそ、至高の御身によって創造されし者──ナーベラル・ガンマの上位種族である同胞──この都市で冒険者仲間として共に任務を果たすべく、ナーベラルとは別の場所で待機していた存在。

 

『子供が石を投げた程度で乱暴だな』

 

 ナーベラルの耳を心地よく撫でる声。

 それが偉大なる御方のそれをそっくり真似た声であると同時に、彼の奏でる言の葉であるというだけで、乙女の頬は淡く色づく。

 思わず行進を邪魔した者らの存在さえ忘れかけるほどの昂揚が、ナーベラルの心臓を熱くさせる。

 

『嫁の貰い手がないぞ』

『お前に言われても嬉しく……ゴホン!』

 

 アインズ一行とモモン──パンドラズ・アクターの一芝居。都市統治においての最初の布石は万全の態勢で行われていたが、万が一ということもある。彼等の活劇を邪魔しようという愚か者(特に法国などが疑わしい)で台無しにされてはならないし、何より、都市で何か騒乱が生じれば、必然的にアダマンタイト級冒険者が逐一対応せねばならないのだ。戦争が終結して以来、魔導王入来の噂を聞いたエ・ランテルの警備を担っていた衛兵──王国軍兵士は軒並み撤収し、衛兵の代役を担えるだろう冒険者チームは、そのほとんどは別の都市へそそくさと移動して、この都市に残っている者は僅かばかり。その僅かというのはこの都市に愛着を持つ連中や都市出身者程度のみで、はっきり言えば雑魚中の雑魚ばかりである。

 アインズの護衛たる女悪魔と、漆黒の英雄に扮する彼の応酬は続く。

 

『……お前の名前を聞いていなかったわね。名乗りなさい』

『モモンだ』

 

 特に、魔導王アインズ・ウール・ゴウンの統治を歓迎しない奴儕(やつばら)が、ここぞとばかり暴れ出したら不愉快極まる。どんなことになろうとも排除し尽くす必要があるのだ。そんな時に、いざ出動しようと思って、拠点代わりにしている宿屋以外から出現するのは控えるべきだろう。律儀にナザリックへ戻っていないのも、そのための措置に過ぎない。

 やがて二人の遣り取りは、核心に迫りつつある。

 

『アインズ様はあなたにご提案があるそうよ。感謝して聞きなさい。我がナザリックの軍門に(くだ)れとの仰せよ』

『──正気か?』

 

 半ば以上、予定通りの筋書きだ。

 ナザリックの者として、心にもないことを彼は情感たっぷりに演じて言いのけてみせる。

 最高の役者(アクター)による劇場は、(なま)の目で見ていたい欲求すら覚えるほどに白熱の度合を増していく。

 

『それに俺にはパートナーがいるが、彼女はどうする?』

 

 パートナー。

 彼から自分がそのように言われていると理解するだけで、ただでさえ妙にむず痒い頬が、思わず手の甲で拭いたくなるほどの熱を帯びる。唇の端が少しだけ持ちあがった気がするのも、()せなかった。

 

 アインズ・ウール・ゴウンに対し絶対的忠誠と信奉を誓う戦闘メイドとして、ナーベラル・ガンマは任務として、彼と共に務めに励んでいるだけ…………なのに。

 

 英雄モモンとの取引、という名の協力体制のとりつけに成功した御方の列が、彼と別れる。

 英雄は命拾いした母子に声をかけ、都市の者たちに協力を申し出ることで、都市統治への第一の布石は見事に形を成した。モモンの慈悲と厚意に応えるべく、都市の者たちはアインズ・ウール・ゴウン魔導王の統治を受け入れる姿勢が構築され、後に周辺国家が予想もしていなかったほどの平和が、このエ・ランテルには舞い降りることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の内に、ナーベラルとモモン──パンドラズ・アクターの両名(+ハムスケ)は、エ・ランテルにおけるアインズの居住地、かつては都市長が使っていたという屋敷に通された。

 対外的には、アインズ・ウール・ゴウン魔導王と、市民代表兼法の執行者という立場に据えられた冒険者チーム“漆黒”との協定を、成文化明文化するための会談であり、仮にも魔導国──ナザリックに臣従する者たちをアインズが改めて歓待するという名目で。

 市民らが、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の列に加わり、アンデッドという化け物の屋敷に成り果てた都市中央へと招集されていく二人(と一匹)の身を心の底から案じていたが、

 

「ご苦労だったな、二人とも」

 

 無論。

 実際はご覧の通り。

 二人を招いた最大の理由は、アインズが己の配下である者たちを(ねぎら)う意図があってのこと。

 市民らが危惧しているような事態など、まったくもってありえなかった。

 

「ありがとうございます、アインズ様!」

「勿体なき御言葉」

 

 モモンの全身鎧を解いて卵頭に軍服姿をさらすパンドラズ・アクターと、ナーベの装束からメイド服に戻ったナーベラル・ガンマが、御身から掛けられる慈しみの発露に深く頭を下げる。この屋敷には念入りに情報系の対策を施している上、魔導王の屋敷に忍び込もうという馬鹿もいない。二人が普段の姿に立ち戻っても、大した問題はないのだ。

 ちなみに、モモンの乗騎であるアインズのペット──ハムスケは、屋敷に呼び寄せた死の騎士(デス・ナイト)と戯れ、戦闘訓練に励んでいるところなので、この場には呼ばれていない。

 アインズたち一行は、仮設としての謁見の間──かつてはパーティーなどに使われていたらしい大広間で、二人を慰労する。

 此度の都市入来において唯一、アインズの傍近くに控えることを許されていた守護者統括から、屋敷まで〈転移門(ゲート)〉によって先行し歓迎の準備を万端整えていた守護者たちに至るまで全員が、二人の任務がひとつの結実をもたらした事実を言祝(ことほ)いだ。

 

「さすがはパンドラズ・アクター、アインズ様によって生み出された者ね。先ほどの遣り取りのおかげで、この都市に住まう者たちはモモンの言葉に従い、それによってかつてないほどの平和を、アインズ様の慈悲深さを甘受し、その身に宿すことができるというもの」

「まさに、アルベドの言う通り──愚かしく浅ましい人間たちでは、アンデッドであるアインズ様の威光と魔力に怖れ慄き、無意味な反駁や不安を懐くなど劣悪な思考行動に移ることも、実際あり得るところ。そうなっては、我々はこの都市を暴力と恐怖によって支配するしかなかったところでしたが、御身が事前に生み出されていた英雄モモンによって、何もかもが中和されえるという事実。いやはや、まさに感服の至り」

 

 アインズ・ウール・ゴウンのこれまでの行為──冒険者“漆黒”のモモンとして人間の世界に潜入していた時点で、この都市を平和的に統治する準備を着々と整えていたことは明白な事実。

 その事を隣に並ぶ彼、パンドラズ・アクター経由で知らしめられたナーベラルをはじめ、すでに知らされていた居並ぶ守護者たちが感嘆を紡ぎ出す。

 シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、セバスなどの錚々たるメンツが一斉に賛美する御方は、堂々と「よい」と宣して、湧き起こる喜悦の熱量に応じた。

 

「──いつかも言っておいたが、本当にたまたまだ。それに……」

 

 困ったように微笑むアインズは、ナーベラルをはじめ、そこに集ったシモベたち──守護者たちの他に、護衛として侍る八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)影の悪魔(シャドウ・デーモン)、さらに都市統治のために揃えたアンデッドモンスターや屋敷の清掃管理のため暫定的に派遣された一般メイドら──に目を細め、朗々とした調べと共に、告げる。

 

「おまえたちという、優秀なシモベたちがいたからこそ、私は、ここまでのことを行えたのだぞ」

 

 瞬間、閃光のような輝きを、ナーベラルは己の心の内側に感じ取る。

 同じように、とてつもない感動と歓喜を懐いた守護者各位やシモベらが、ある者は瞼の端に熱を灯し、ある者は御身の慈愛の大きさに打ち震え、ある者は薔薇色の頬に満面の笑みをこぼす。

 そして、慈悲深き至高の御方は、今回の主役たる二人──漆黒の英雄を演じ続けた二人のシモベたちに、最大級の賛辞を送ろうと、仮説の玉座から立ち上がる。

 

「ナーベラル・ガンマ」

「……は、はっ!」

 

 半ば予想外なことが起こり、ナーベラルは一瞬ながら応答が遅れる。

 御身はよりにもよって、己の生み出したもの(パンドラズ・アクター)よりも先に、ナーベラルの方へと歩み寄ってきたのだ。

 平伏し続ける黒髪の乙女は、自分の肩に触れる骨の掌の感触が信じられない。

 

「よくぞ、ここまで働いてくれた。“漆黒”の冒険者仲間・ナーベとして、おまえの働きは真実、称賛に値する」

「そ、そんな! 勿体ない御言葉!」

 

 ナーベラルは知っている。自覚している。

 己がどれだけ、アインズの計略に添えない不徳を、失態を、馬鹿な過ちを繰り返したのかを。

 

 かつて。

 ナーベラルはとんでもない失態を犯した。

 初めての冒険者としての任務中に、しつこいウジムシの言葉に反論した際に、とんでもない失敗を、アルベドの名前を不用心に口にして、諫められた。

 その後すぐ、御身に数度、背中を叩かれ、励まされた。

 

 あの時とほとんど同じ──だが、今回のこれは籠手越しではなく、至高の御身の御手に直接……触れられている!

 

 あまりの処遇の厚さに、ナーベラルは興奮を抑えきれない。

 しかし、アインズと隣の彼によって日々注意を促され、数多くの過ちから学んでいるナーベラルは、御身の待ち望むことを、ただ()す。この身の奥に灯る感謝の熱を、一言一句、余すことなく伝えるために。

 

「すべては、アインズ様の御助力と御助言があればこそ──無能な私を導き、聡していただけたパンドラズ・アクター様の御助勢があればこそ──私は、これまでの任務を遂行することができたのです。真に賞するべきはアインズ様と、アインズ様の創られた()(かた)であるべきかと」

「ふむ……私は大したことはできていないと思っていたが。その感謝は受け取っておこう、ナーベラル」

 

 真の賢者のごとく謙遜する御方。

 

「私の方こそ、感謝を。ナーベラル殿」

 

 パンドラズ・アクターも、短い感謝を紡ぐのみで応じた。

 

「だが、ナーベラル。自らを“無能”だなどと貶める必要はないぞ? おまえの創造主である弐式炎雷さんにも悪い」

「も、申し訳ありません!」

 

 またも失敗するナーベラルの肩を、アインズは再び励ますように数度叩いて労うと、隣で同じく平伏するパンドラズ・アクターにも向き直り、「…………大儀であった」と短く賞する。

 

 だが。

 

「…………?」

 

 アインズは、ナーベラルにしたように、彼の身に直接触れることは、なかった。

 対するパンドラズ・アクターも、言葉少なに恐縮しつつ「ありがとうございます!」と返礼するのみ。

 そんな二人の姿が少し意外に思われたナーベラルだが、直接の創造主と被造物という関係性が、二人にそうあることを求めたのだと判断して、疑問を胃の腑の底に押し込む。アルベドや並み居る守護者各位も沈黙と納得の微笑を浮かべており、ナーベラルの懐くような疑念などありえないとでも言わんばかりなのも影響していた。これは、余人が口を出すべきことではない……はず。

 アインズは最後に激励の意味を込めて、漆黒の英雄を演じる二人に、改めて命じる。

 

「おまえたちは今しばらく、漆黒の英雄モモンと、ナーベとしての任務につくことになるだろう。今後とも変わることなく、忠義に励め」

「かしこまりました!」

「──かしこまりました」

 

 パンドラズ・アクターの淀みない答礼に若干遅れて、ナーベラル・ガンマも至極あたりまえのごとく、承知の声を紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城塞都市エ・ランテルを魔導王アインズ・ウール・ゴウンが統治することになって、幾らかの時が流れた。

 冒険者“漆黒”は、チームごと魔導国の配下の列に加わり、市民代表としての地位を約束された。もうひとつ定められた法の執行者──反乱者などへの刑罰を与える立場というものは、今のところ機能したことはない。それほど、この都市に生きる者たちはモモンに全幅の信頼を寄せ、彼が忌む事態にならぬよう、魔導国の管理下に、従順な姿勢を貫いていることの証明である。

 よって、モモンの今の役割は、もっぱら市民たちの意見を聞き、それを魔導国側に供出するという体制を担うことに傾注していた。

 そのおかげで、都市民たちは強壮に過ぎるアンデッドモンスター……死の騎士(デス・ナイト)の衛兵や、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の政務官、魂喰らい(ソウルイーター)の馬車などとすれ違っても、それほどの危惧や不安を懐くことはなくなりつつ、ある。それでも、遠巻きに見るだけの状況は変わっておらず、子供らが興味本位で近づこうとするのを引き留める姿勢は変わりない。このあたりの問題解決に向けて、アインズは既に何らかの手段を模索している真っ最中である。

 無論、都市周辺の巡回によるモンスター討伐も並行して行わねばならない。

 現在のエ・ランテルは、王国の衛兵は残っておらず、残っている冒険者たちもほんの僅か。

 何かしら不測の事態が発生していないか、凶悪かつ強靭なモンスターが出没する予兆などがないかを確認する作業は、極めて重要な懸案事項である。魔導王のアンデッド軍がいかに強壮であろうとも、都市の住民らは未だにアンデッドには慣れ切っておらず、実際にその庇護を受けているという実感も薄い。まだ、モモンが周囲を巡回し、モンスターを狩ってくれていると聞いた方が、安心の度合いは段違いなのだ。少なくとも今は。

 そんなわけで、ナーベラルも時折だが、アインズ・ウール・ゴウンの居住地と定められた屋敷内にある別邸、モモン一行に住まいとして与えられた新拠点より、モンスター討伐の任を受けて出動することは少なくはない。ナーベは、魔法詠唱者(マジックキャスター)。単独では非力極まるはずの麗雅な女性の姿をしているが、その戦闘力の高さはアダマンタイト級……最高峰の冒険者に相応しい位階に到達しており、それが英雄モモンと肩を並べて戦うことを許される条件とまで解釈されるに今は至っている。

 人々は、街より出動する彼らを見ることで、外からの脅威に怯えることなく、また都市内に跋扈するアンデッドたちの事も忘れて、日々平穏に暮らしていくことができるのである。

 しかしながら。

 漆黒の英雄たる二人の内、ナーベ個人の市民に対する影響力はさほどでもない。

 漆黒の“美姫”、ナーベという人物像が、どれほどに冷徹かつ人間嫌いで、愛想もなければ愛嬌もなく、堅牢堅固な尊大すぎる姫のごとし振る舞いを取る──それが一種の魅力として男女問わず認知されてもいる──女性なのかは、この都市では知らぬものも絶えて久しい、ひとつの常識ですらあった。そんな彼女に市民らが意見を申し立てるのは、並みの人間であれば御免被る冒険だ。ナンパ目的に声をかければ瞬きの内にすげなくあしらわれ、それでも強引に言い寄るような愚鈍には、アダマンタイト級のキツい仕置きが待ち受けているのだ。ある意味、アンデッドの警邏並みに近寄りがたい女性なのである。ナーベは。

 そのため、都市住民のほぼ十割は、魔導王に敢然と立ちはだかった英雄モモンにこそ、生活向上のための相談や、魔導王の企む都市政策の内容について、様々な意見や嘆願が届けられるのは、無理からぬ事態でしかない。

 だからこそ、彼女のみがナザリックに帰還し、アインズからの別命を受諾する運用配置の変更は、自然の摂理と言っても良いほど当然なことである。

 だが、

 

「…………」

 

 冒険者ナーベ、もといナーベラル・ガンマは、心の底が穏やかでなくなっていた。

 ありていに言えば、ものすごく、イライラしていた。

 原因は、ナーベラルにもはっきりと理解できている。

 この目の前の状況だ。

 

「どうか、納めてください、モモン様」

「これはどうもご丁寧に。しかし──」

 

 だが、彼は固辞するように手を前に突き出した。

 モモンに身を寄せる女──未亡人らしく、子ども連れだ──は、汚らしい木の籠に満載したパンや果物などの食料を手土産として、パンドラズ・アクター扮する英雄モモンに、何事かの相談に赴いたようだ。

 これは、モモンという英雄に“施し”を送ろうという類のものではない。むしろ、アダマンタイト級冒険者として、モモンは並の都市民よりも潤沢な資金を与えられるべき存在だ。無論、街を守護し、人々に尊敬されるほどの偉業を成し遂げてきたものを賛美する名目で、こういった個人的な贈答品のやりとりというのは、あって然るべき現象ともいえる。アイドルとファンの関係に近いだろうか。

 しかし、この街に住まうものにとって、今やモモンは最後の生命線とも言うべきもの。

 モンスターを討伐してくれるというだけでなく、いざとなれば、あの魔導王として君臨するアンデッドに勇猛果敢に挑む、守護者のごとき英傑であり、旗頭となるべき男。

 彼を失えば、都市の住民は連鎖崩壊的に、あのアンデッドの王に統治されるという恐怖に潰れ狂うだろう。

 そうならないために、彼等市民は以前よりも増して、英雄モモンに(おもね)る姿勢が顕著に顕われ始めた。街の代表者として抜擢された英雄を、街に繋ぎ止めておきたいと努力する市民の数は、一向に減る気配を見せない。彼らは未だに、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が、自分達エ・ランテルの人間をどうするのか、不安を覚えてしまってしようがないのである。

 贈り物を受け取ってもらいたい一心の未亡人は、モモンに詰め寄るように一歩前へ。

 その一歩は、ナーベラルには不遜極まる距離感に思われたが、英雄モモンは悠然と未亡人の女を励ますのみ。

 

「しかし私は、一介の冒険者にして、今は街の代表。これを受け取るわけにはいきませんが、嘆願の件については承知しました。必ず、魔導王陛下に上奏しておくことを約束しますよ」

「ありがとうございます。ですが、これからまた、外へ討伐に向かわれるのなら、食料は要りようかと」

「確かに。だが、ご安心を。我々は十分な備えを確保しております。現在の都市の状況を考えれば、これは貴女たち家族で、いただいた方がよい品でしょう」

 

 エ・ランテルは、魔導王を受け入れたその日を境に、都市そのものが死んだように、経済能力──物流が滞っていた。原因は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王と、その領土に近寄ることを、周辺国家の商人たちが恐れたからだ。生者を食らい殺すと信じられて当然の化け物(モンスター)、アンデッドによって統治される土地に足を踏み入れて、無事に帰ってこれると思える人間は多くない。絶無と言っても良いだろう。この問題は近い内にアインズが帝国などで親交を結んだ商人などを利用して解決の目を見るが、ここしばらくは都市の備蓄庫などをひっくり返して、それを配給する体制下が続いている。それ以上を買い求めようにも、どこの商店も品物はほとんど入荷しておらず、また都市の外へ逃げた連中の店は固く鍵がかけられて久しい。

 そんな状況下で、小さな子どもに栄養のあるものを食べさせ、老いた親に滋養のあるものを与えたいはずの未亡人は、こうしてモモンにすり寄り、涙ぐましいまでの努力を見せつける。

 ナーベラルは何も言わない。

 自分の表情が歪まないよう、必死に無表情を装うしかない。

 傍にある毛むくじゃらの物体(ハムスケ)に這わせた手が、ギリ、ギリ、と何かを掴み始める。

 モモンの遠慮に、尚も食い下がる姿勢を見せる人間の女が、また、彼に近づいた。

 たまらず、大きく舌を打ってしまう。

 

「……では、これだけをいただきましょう」

 

 そんなナーベラルの様子など知る由もなく、モモンは諦めたように、籠の中の果物をひとつ取り上げ、うらやましげに食べ物を眺めていた未亡人の子と、視線を同じにするよう膝をついた。母親の腰に纏わりついたままの女児に、取り上げたそれをしっかりと手渡す。

 

「食べて、いいの?」

「ああ。それは私から、君に贈ったもの。だから、それは君のものだ」

 

 にっかりと微笑む女児の頭を、モモンは大きな掌で撫でまわす。

 それを目の当たりにした母親が、感涙に咽びそうになりながら感謝の声を紡いだ。

 

 漆黒の英雄であるモモンの美談が、またひとつ構築されたというのに、

 

 ナーベラルは心底、

 

 不愉快だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街道にて。

 

「ナーベ殿ぉ、さっきのはちょっと痛かったでござるよぉ?」

 

 エ・ランテルを離れた冒険者チーム漆黒は、いつものごとき“見回り”の任務に勤しんでいた。

 周囲を警戒するモモンが前を行き、遅れて魔法詠唱者(ナーベラル)魔獣(ハムスケ)が歩いている。

 しかし、実際は何もすることなどないに等しい。

 

「ひょっとして(それがし)、何かしてしまったでござるか?」

「だまりなさい」

 

 怯えるように身を縮み込ませる小動物は、しかし慣れた調子で「申し訳ないでござる」と口を噤む。すでに数ヶ月も冒険者チームとして共に旅をし、ナザリック内で共に生活してきた関係だ。両者の間には、それなりのコミュニケーションが交わされるようになって当然であり、その様は先輩従者が主人に無礼を働く後輩従者をたしなめるものに近い。

 だが、今回ばかりは、後輩であるハムスケの方にこそ理があった。

 外へチームで見回りに行くということで、意気揚々と進んでいった一行を引き留めるように現れた、子連れの嘆願者。

 嘆願の最中、

 共に英雄モモンの背後で控えていたナーベとハムスケの間で起こった遣り取りは、この二者しか知りようがないこと。

 一応、強大な力を持つ“元・森の賢王”である巨大なジャンガリアンハムスターの体躯、その防御力は、並の全身鎧並みに硬い。魔法詠唱者のナーベラルが魔獣の毛束を乱暴に引っ掴んだところで、そこまで重篤なダメージにはなりえないが、まったく皆無というわけではないのだ。無理矢理に人間であてはめるなら、頬をつねられる程度のかわいらしい痛みとのこと。

 しかし、ハムスケは自分がこれまでにどれほど馬鹿な失態──ナーベラルという先輩に注意されたか覚えているし、漆黒の英雄たちに相応しからぬ不遜な振る舞いをとって迷惑をかけてきた前科もある。やはり自分が何かしでかしていたのかと納得するのには、十分であった。

 

「むぅ…………あ、あれは!」

 

 僅かに呻き声をあげていた魔獣の目に、見慣れた黒い輪郭が。

 

「お~ぃぶぇ?!」

 

 反射的に挨拶でも交わそうという感じに駆け出しそうになった魔獣の鼻面を、ナーベラルの拳が押さえつける。

 氷点下に冷え切った視線と声音が、魔獣の強靭な心臓を寒からしめる。

 

「いい加減に覚えなさい。外での我々は、漆黒の英雄。誰が見ているか判らぬ所で、気安く御方のシモベと言葉を交わしては差し障りがある、と」

「も、申し訳ないでござるよ。ナーベラル殿」

 

 毛を乱暴にされるよりも痛烈な打撃に、ハムスケは涙声になりつつ陳謝する。咄嗟にナーベの本名が飛び出しているため、もう一撃ほどお仕置きされてしまったのは、言うまでもないだろう。

 ナーベラルは、ハムスケが声をかけようとしたモノを注視する。

 エ・ランテルの冒険者が激減したとはいえ、今やこの地域はアインズ・ウール・ゴウンの、魔導国の頂点に君臨する御方の領地。ナーベラルたち漆黒が、冒険者の仕事──モンスター討伐を続ける意義も意味も皆無に等しい。

 その証拠が、街道の脇に(そび)えるように待機している。

 死の騎士(デス・ナイト)

 アインズの特殊技術(スキル)によって創造されたアンデッドモンスターは、かなりの数がエ・ランテル内外に派遣され、こうして御方の所有する領土の治安維持のため、駐在任務に従事されている。疲労も睡眠も不要なアンデッドであるため、吹きっさらしの街道に突っ立ていても、彼らは不平不満もなく、直立の姿勢を24時間体制で維持し続けることができるのだ。微動だにしない彼ら(アンデッド)を恐れ、エ・ランテルに侵攻・潜入しようという雑魚モンスターは絶えて久しく(また、人間の商人がよりつかない理由にもなっていたが、ナーベラルは知りようがない)、はっきり言えば漆黒がチームを組んで見回りに出る行為は、都市住民へのアピール以上の効力はない。

 毛むくじゃらの物体が、気さくに死の騎士に「お疲れでござる」などと発言するのを未然に阻止したナーベラルは、前を行く彼──英雄モモン──パンドラズ・アクターに倣うよう、無視を決め込む。

 至高の御方のまとめ役にして、最後にナザリック地下大墳墓に残られた御身、アインズの創造したモンスターは、たとえ雑魚であろうとも、ナザリック内でそれなりの地位にあって然るべき存在。無視して通り過ぎるというのは十分以上に不敬な行為であるところだが、これも任務なので仕方がないのだ。

 漆黒の英雄は、あくまで魔導王と都市民の間に立つ調停者。いざとなれば、魔導国の王を誅してくれると期待されている(そんなことありえるわけもないが)市民の代表なのだ。

 それが魔導国のシモベと仲睦まじく談笑するというのは、現時点ではありえない。

 そうして、冒険者“漆黒”は、大した敵や異常と遭遇することもなく、一日の巡回時間を終えた。

 

「今日は、ここで野営しよう」

「かしこまりました」

 

 ナーベラルは一も二もなく従った。

 エ・ランテル周囲の街道を見回り尽くした漆黒は、日の高い間に野営の準備を整える。

 小規模だが、アダマンタイト級にふさわしい天幕(テント)をはって夜露を逃れ、火をおこすための薪も拾わねばならない。こういう時、ハムスケの存在は重宝される。強壮な魔獣の背に括りつけられることで天幕を運ぶ労が減り、森に分け入るのにも便利な存在だ。最初期の薬草採取の時のごとく、熟した木の実や、良く枯れた木片を集めるのにも利用できる。まことに、コレを従属させたアインズの智謀は見事である。おそらく、ここまで利用できることを見越して、この魔獣を従えることを決したに違いあるまい。

 慣れたように野営の準備を整え、日が落ちきったあたりには、爆ぜて燃える薪の灯りと、星の光しか見えない。

 

「…………」

「…………」

 

 座って火を囲む影は、二人きり。

 ハムスケは自分で狩っておいた食料を平らげ終えると、少し離れた場所でスヤスヤと寝息をたてて丸くなっていた。時にはフゴーという馬鹿みたいにうるさい(いびき)をかく魔獣だが、あれは完全に安心しきった時の習性らしく、今のように周囲が開け切って、尚且つ一応の警戒もしている状況だと、かなり抑えられる。「天敵がいない」時は音など出し放題だが、「敵がいるかも」と意識するだけで、自分の気配を本能的に隠蔽しようという野生の適応力があるようだが、ナーベラルには興味がなかった。

 

 そんなことよりも、ナーベラルは彼を、御身より与っている装備……二振りのグレートソードを手入れしているパンドラズ・アクターを、殊更に意識せざるを得ない。

 

「何か?」

「──?」

 

 しきりに横目で彼の方を見ていたことに、ナーベラル本人は気づいていなかった。

 

「何か、私の顔についているでしょうか?」

 

 普段通りの彼の声。二人きりという状況なので、モモン──御方の声のままでいる必要性はなかったのだ。

 ナーベラルは咄嗟に頭を振った。ポニーテールが左右に大きく動く。

 

「いえ、何も──」

「そうですか」

 

 それで会話は終わってしまう。

 何故だろう、奇妙な空白を感じてしまう。

 いくら彼が自分の使命に──アインズから預かっている装備の点検に集中していると言っても、彼であれば何も問題なくお喋りを楽しめたはず。

 漆黒の任務中、ハムスケの応対で忙しかったナーベラルは、彼、パンドラズ・アクターと他愛もない話に興じたかった。普段のように、彼が封じられている宝物殿の財物の貴重さや、クリスタルの整理方法などを熱く語ってくれる姿を見たかったし、ナーベラル自身のなんてこともない話──姉たちやソリュシャン、妹たちとの生活や、コキュートスとの時代演劇じみた遣り取り──それに、自分の創造主である弐式炎雷との思い出を語る時は、とても言葉にいいようがないほどの多幸感を得られたもの。

 

 なのに。

 今日のナーベラルは、やけに静かだ。

 貝のように押し黙ってしまっている。

 

 何より、その事実が一番理解できていないのは、ナーベラル本人に他ならない。

 

「お疲れのようでしたら、お先にナザリックへ戻られては?」

 

 天幕の中に入れば、パンドラズ・アクターが〈転移門(ゲート)〉を開いてくれる。

 それを通って、ナーベラルは神々の居城であるナザリックへの帰還が叶い、そこで十分な休息を得られるのだ。傍目には、ナーベは天幕の中で休んでいるとしか見られないための工作だ。二人を監視している者がいるとは思えないし、事実これまでそういった不穏な影を僅かでも感知したことは絶無であったが、世界級(ワールド)アイテムなどの万が一ということもあるため、ここまで慎重な措置を講じざるを得ないのである。

 

「いえ、私は別に」

「とてもそうは見えませんが?」

 

 彼の優しさが胸を突いた。頬がたまらなく熱くなる。

 彼が、パンドラズ・アクターが、自分を見ていてくれている事実を知って、よくわからない心地を覚えてしまう。

 だから、少々浮ついた声で、疑問をひとつだけ零す。

 

「そ、そういえば、都市でパ……モモンさんに陳情に来ていた女がいましたが」

「ああ。あの者が言うには、アイン……魔導王陛下が、エ・ランテルに住まう自分たちをどうするおつもりなのか、一刻も早く知りたいという類のものでしたよ。この手の相談は割と多く、私の方も現段階では何も知らされておりませんので、対応は保留になるでしょう」

「なるほど……」

 

 アインズ・ウール・ゴウンが、どのような国を作り上げるつもりなのか。

 それは、エ・ランテルに残留するすべての人々にとって、また近隣諸国に存在する全人類全生命の関心事でもあった。

 なるほどと呟いたが、それはナーベラルがまったく意に介したことのない問題提起だ。

 あの御方が、平和的かつナザリックにとって素晴らしい国づくりを推進することは確定的だが、それがどのように行われるのかについては、まったく理解が及んでいない。

 だが彼は、パンドラズ・アクターは違ったようだ。

 

「私が思うに、アイ……魔導王陛下が平和的に人間の都市を掌握したことに関連して、様々な種族が共存し得る世界を構築するものと愚考いたします」

 

 彼は他にも、カルネ村という人間と亜人が共存する村の例などを取り上げて、適確かつ実際的な具体案を脳裏に描くことを可能にしているようだ。

 ナーベラルでは、こうはいくまい。

 自分はこの解答や結論に至る以前に、そんな問題を自ら懐くこともできずにいた。

 自分(ナーベラル)には、できないことがある。それはしようがないことだ。

 この在り方も含めて、自分の創造主が生み出してくれた。

 それを教えてくれた、自分と同じ二重の影(ドッペル・ゲンガー)

 とても、素晴らしい方。

 なのに──

 

「あ……」

「どうかされましたか?」

 

 黒髪の乙女は、これまでにないほど強く、頭を振った。

 彼の慰める声が、数時間前のそれと、ダブってしまう。

 都市で。

 泣き出した未亡人を慰めるように、モモンが──彼の手が、人間の女の肩を支え、子どもの頭を撫でた、あの瞬間が、ナーベラルの脳内に閃いた。

 

「どうして……」

「んん?」

 

 いい加減、奇矯にも思えてしようがないナーベラルの様子を見咎めて、パンドラズ・アクターが首を傾げた。

 

「何でもありません」

 

 半ば吠えるように言ってしまった自分に、ナーベラルは半瞬もして気づいた。

 とんでもない失態を自覚した乙女は、彼に勧められていた通り、天幕の中にもぐりこむ。

 それほど広くない、簡単に言えば人が寝転がる程度のスペースしかないそこで、ナーベラルは異様に熱い目元を拭って、自問する。

 

 

 

 ──どうして、こんなに思い出したくないのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【続】

 

 

 

 

 

 




第七話に続きます。

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