静香と志保は異母姉妹で、中学三年生だ。
そしてそれは「ぼく」も同じ。
「一応言っておくけど」
と彼女は顔をしかめて言った。
「私と静香が、その……だということは……」
「ああ、わかっているよ。秘密にしろというんでしょう」
ぼくは肩をすくめた。
ぼくは中学三年生。
目の前の少女、北沢志保もそうだ。
彼女の小さな顔は、ゆるやかなウェーブのかかったストレートの長い髪に囲まれている。その顔の中で茶色い瞳は細められていて、冷たい色を宿している。彼女はぼくを忌々しげに見つめている。
彼女はため息をついた。
「まさかあんたに聞かれるなんてね」
「君がこんなところで電話をしているのが悪いんだよ」
夏休み明け初日の教室、夕方。部活もなく、授業もなく。
誰もいない校舎、物音すらしない教室。
携帯電話での会話は、とてもよく響いた。
「わかってるわよ! けどこんな時期のこんな時間に人がいるなんて思わないじゃない!」
がなりたてる彼女に対して、「そうかい」とぼくは言う。
そして彼女の前の目の前の椅子に座る。「少し聞いてもいいかい?」
不機嫌そうな「どうぞ」。
「確か君と彼女の誕生日は結構離れていたと思うんだけど?」
「あんたに誕生日教えたこと、あったっけ?」
「小学校のころ、後ろの黒板に書かれていたことを覚えていないのかい?」
「あんなので覚えたの……」
「そうとも」
「静香は9月14日、もうそろそろだね。そして君は」
「1月18日」
「そうだね」ぼくは微笑んだ。「ということは彼女のほうが姉というわけだ」
「はっ!」彼女は吐き捨てるように言い、豪快に足を組み替えた。
「おい、気をつけろよ。下着が見えるぞ」
「見られたところで減るもんじゃないわ」
「アイドルとしてのイメージは削れるんじゃないかい?」
彼女はぼくをじろりと睨めつけて、低い声で「あんたは私のファンじゃ」
「ないね」
「じゃあいいじゃない」
「そうかもしれない」
「まあ、いいわ。それで?」
「うん。彼女はこのことを知っているのかい?」
「知っているわ」
「そうか……」
窓の外からの夕陽が彼女の鼻梁を染め上げる。
綺麗だ。
頬に薄くかかった影。赤々と燃える地平線が彼女の顔に映し出される。じり、と結んだ唇もまたなめらかで、それの立てる水音はいかほどか?
ぼくはゆっくりと口を開く。
「それで、先ほどの電話のお相手は」
「あんたね」
彼女はこちらを見もしない。
「ああ」
「あんまり首を突っ込まないで」
歯ぎしりするように顔を歪めながら、心優しい少女は言った。
けれど、ぼくはそんなのは無視する。
「……最後に一つだけ」
「なに」
「君がそのことを知ったのは、いつだい?」
彼女とぼくの目が合った。
「……半年前よ」
「そうか。ありがとう」
ぼくは立ち上がり、机にかけていたかばんを肩にかける。
「じゃあ、また」
声をかけても彼女はこちらに意識をやらず、ずっと窓の外を見ていた。
教室を出るまで、彼女はずっとそうしていた。
「静香」
「あら? どうしたの?」
ぼくと志保、それに静香――最上静香――は昔からの友人、小さい頃からのともだち、つまりは幼なじみだ。だから、彼女の朗らかな笑みなんてものは、とうに見飽きている。
「いや、なに。一緒に帰ろうかと思ってね」
「あはっ、珍しいわね。いいわよ」
セーラー服を一分の隙もなく着込んだ彼女のスカート丈は言うまでもなくひざ上5cmで、前髪は額の真ん中あたり。志保と同じようにロングヘアだけれど、静香は真っ黒で、志保は茶色がかかっている。
昇降口の下でぼくを待っている彼女のために急いで靴を履き替えようとする。
その間、ぼくたちは他愛のない世間話をする。
「最近、雨がひどいわね」
「そうだね。傘は持ってきたかい?」
「もちろん。あー、でも」
「でも?」
「私はこれから仕事だから、迎えに来てもらうって手もあるんだ」
「なるほど。そうするのかい?」
「ううん。荷物を置いてから行きたいし、せっかく君が誘ってくれたのだから」
「それはありがたいね」口紐を結び終えて、立ち上がる。
「一人で帰らなくて済む」
「ふふふ。感謝しなさい」
「ありがたく存じます。最上静香様」
うやうやしく一礼するぼく。
「ぷっ、似合わないからやめたほうがいいわよ」
「だろうね」
ぼくたちはそのまま外に出る。会話の通り、外は雨模様。
傘を差して歩き出すと、生地を叩く音が会話のベース・ライン。
今日の授業の話をしたり、明日の授業の話をしたり、次に出るステージの裏話を聞いたり、彼女の同僚の話を聞いて彼女の知らない部分を知ったり、ぼくたちは歩き続ける。
「そうだ、静香」
「ん、なに?」
彼女は楽しげな顔に疑問符を浮かべる。
「君が志保と姉妹だというのは、本当かい?」
ぴたり、と彼女は足を止めた。
深い森の奥底からの叫びのように声は湿っていた。
「……誰から聞いたの」
「志保が誰かと電話しているのを少し、ね」
「そう、なんだ」
「本当なんだね」
「そう。そうよ。私と志保は、姉妹……異母姉妹よ」
「本当だった、か」
ぼくはどう思うべきだったのだろう。
どちらであって欲しいと願っていたのだろう。
ぼくが愛するためには、どちらであったほうが都合がよかったんだろう。
ぼくには、わからなかった。
「それで」
「それで?」ぼくは聞き返す。
「それで、どうするの?」
「どうするもなにも。これまでと同じさ」
ぼくは肩をすくめた。
ぼくは無力だ。
目の前の少女、最上静香もそうだ。
「私と君はともだちで?」
「ぼくと彼女もともだちさ」
「それで、いいのかしら」
軽くぼくは笑った。
「それ以外のことなんて、ぼくは思いつかないよ」
「そう、ね」
静香が笑い返してきたけれど、雨のせいかぼんやりして見えた。
目の前に二人の女性がいる。
「聞いておきたいのだけれど」
と、左側の女性は言った。
青色のドレスに身を包んだその女性は、あのころと同じように真っ黒なロングヘアで、あのころよりももっともっと大人びて、ぼくの嘘を許さないほどに華やいだ笑顔を見せていた。
僕は両手を広げて、
「なんだい?」
と答える。
「あんたは、結局わたしとこいつのどっちが好きだったの?」
と、右側の女性は言った。白黒チェックのドレスのその女性は、あのころと同じように目を細めてこちらを見つめて、あのころよりももっともっと心の奥底を見透かすような透明さを持っていた。
あの時から数年が経っていた。
彼女たちの背は伸び、僕の背も伸び、身体は大きく成長し。
入れ物が変容するよりももっと早く内側は変化した。
この同窓会の立食パーティで久しぶりに出会ったとき、二人はユニットとしてアイドルの活動をしていて、押しも押されもしないトップアイドルになっていた。
そんな彼女たちの前で、ぼくはあの頃のように薄く笑みを浮かべた。
「さあね。今更、どちらでもいいだろう?」
「ごまかした、ということはどちらかを好きだということは否定しないのね」
「私たちのどちらか、ね」
「おいおい、終わった話なんだから、どうでもいいじゃないか」
「そうはいかないわね」
「ええ」
「なぜだい?」
志保が言う。「だってあなたは私たちが姉妹であることを知っていた」
静香が言う。「そしてその上で、普通に私たちは生活を続けた」
「いいことじゃないか」
「いいえ。あなたは私たちが異母姉妹ということを知って、全くこれっぽっちも態度を変えなかった」
「ぼくは包容力があるからね」
そう
「どう考えてもおかしいわ。そんなことができるのは」
「君がもともと知っていたから」
矢継ぎ早に繰り出される糾弾の言葉。
言い訳を許さない艶やかな二重奏に、ぼくは酔いしれる。
「いつ、知ったの?」
「小学生のころさ」
だからぼくは誕生日を覚えていた。
「私たちに言おうとはしなかったのはなぜ?」
「口止めされていたからね」
「口止め?」
「君たちの父親に、さ」
「あなたは、お父さんと面識があるの?」
「なぜ?」
「そんなことはどうでもいいじゃないか」
「いいえ、よくないわ。まだ聞きたいことがあるの」
「そうよ。あなたは、あなたは……」
志保が言いにくそうに口を開く。
だが、言葉は出てこない。
その手を両手で包み込むようにした静香が、言葉を継いだ。
「あなたは、誰?」
「誰だと思う?」
志保と静香は異母姉妹。
じゃあ、ぼくは誰だ?
「ぼくは二人のうちどちらかが好きなわけじゃないよ」
「……どういう意味?」
「どちらも。二人共が好き、いや、愛しているのさ」
二人の幼なじみで、二人の秘密を二人より早くに知り、そして二人ともを見守り続けていたぼくは?
さあ、誰?
ぼくは二人の愛する人に向けて、笑顔を向けた。
「君たちの、兄だよ」
かしゃん、とグラスの割れた音がどこかから聞こえた。