β世界に生きる   作:銀杏庵

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12 心霊治療能力者(ヒーラー)

 β世界の英国は、西側陣営において米国に次ぐ経済大国であり、かつ科学技術力及び強力な軍事力を保有する先進国である。

 その一方で、歴史の古い英国には、科学では解明できない心霊現象や超常現象が数多く報告されており、その真相を科学的な手法で究明しようと、著名な科学者らによって英国心霊現象研究協会(SPR)が、半世紀以上前に設立されている。

 この協会には、科学者だけではなく、死後の世界への関心や神秘的体験を切っ掛けに、政治家、企業家や小説家等、各分野の著名人も会員に名を連ねた。

 協会は、徹底した科学的な手法で謎の現象の究明に務め、偽霊能者や偽超能力者の詐欺行為を見破ったり、実は単なる自然現象であることを解明したりする一方で、本物の心霊現象や超能力者であることを認定したりした。しかし、一時期詐欺行為と決めつけて暴き立てる姿勢に傾倒したことで、会員の脱退が相次ぎ、協会の活動が低迷した時期があった。

 英国心霊現象研究協会は、半世紀以上を経た今日でも、心霊現象や超常現象の究明活動を続けていた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ビックベンの鐘の音が午後一時を知らせる頃、ロンドン市内のとある病院の一室では、英国心霊現象研究協会がセッティングした心霊現象の一つである心霊治療の実験が行なわれようとしていた。

 部屋の中央には、病人服を着た二十代前半の女性が、上半身を起こす形でベットに横たわっており、彼女の右足首より先は事故で失われてしまっていた。

 その若い女性は、不安そうな顔をして、ベットの先にある自らの右足近くに立つ、白い背広姿の十歳前後の少年を見つめる。

 若い女性の右足の先を、真剣に見つめる少年の横顔は、金色の髪がもっと長ければ少女にも見える美しさがあった。

 「始めます」 

 少年は合図と共に、若い女性の右足の先の上へ己の両手をかざすと、手のひら側に青白い散乱光が出現し、やがて光の粒子は幾つもの筋をなして、若い女性の右足先に降り注ぐ。右足先の皮膚に触れた光の粒子は、溶け込むように右足の中へ消えて行く。

 その光景を漏らさず記録しようと、左・右・正面から協会の職員が操作する八ミリカメラの動作音が、妙に室内に響く。

 ベットの回りで見守る二人の立会人は、この超常的な光景に大いに驚愕し、一人が思わず胸の前で十字を切る。一方、少年の心霊治療(ヒーリング)に立会い経験のある医師は、医療機器が示す患者のバイタルサイン(生命兆候)や容体を冷静に観察し、また、科学者達も発光現象を計測する各機器の確認に集中していた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 少年が、手のひらをかざしてから一分もしない内に、若い女性の右足の先の切断面に変化が現れる。

 彼女の右足の切断面──ケロイドのような醜い皮膚──に、最初は粟粒の様な物が生じ、降り注ぐ光の粒子を浴びながらカルス(植物の未分化)細胞のような塊へ成長し、それはやがて肉や骨等の組織を形成しながら増殖して行く。

 スローモーション映像のような速度で、失われた若い女性の右足の先が再生され、最後に形成された五本の足の指にはちゃんと爪さえもあった。

 「終わりました」

 少年の声に、室内に張りつめていた緊張感が解れ、ようやく人々は動き出す。

 ベットの上の若い女性は、右足の膝を曲げて、再生された右足の先に手で触れ、意識的に足の指を動かしたりして、取り戻したことを実感すると、喜びの余り嗚咽混じりに泣き出してしまう。

 傍らにいた医師──ドクター・ガオスは、そんな彼女を何とか落ち着かせ、再生部分に問題(足指の稼働、痛覚の有無等)がないか、診察を始める。

 (……触診した限りでは、問題なく再生されておるようじゃな……スターフィールド君のヒーリング能力は凄まじいな──欠損した足の先を部分的とは言え、丸ごと自己再生させるなんぞ、現代医学でも不可能じゃ)

 (これまで協会が集めた心霊治療──手等で悪い部分を除去する心霊手術、霊媒師の口を借りて霊が治療を助言する霊示治療等──の記録とは隔絶した能力であり、神の奇跡レベルと言える)

 ドクター・ガオスは、部屋を出て行く少年の背中を眺めながら畏敬の念を抱く。

 少年と入れ替わるように、患者の両親が病室に入って来た。彼らは、娘の再生された右足の先を見て驚き、母親は娘と抱き合って喜びを分かち合い、父親は娘の状態に関するドクター・ガオスの診断説明を嬉しそうに聞き入る。

 大手海運会社のオーナーである父親の繰り返される感謝の言動から、ドクター・ガオスは得られるであろう協会への高額な寄付金により、自分の研究予算が増えることに期待を膨らませる。

 (協会会員の紹介で、不治の病気や肉体障害を持つ大富豪一族を相手に心霊治療実験を施し、協会の長年の課題であった新たな会員や活動・研究の資金を大口寄付金で集めてみせる、彼の手腕は実に恐れ入るわい)

 (スターフィールド君が、春先に突然協会を訪ねて来た時は、子供特有の妄想癖かと疑ったが……あの光る粒子で自ら作った外傷を治療して見せた時は興奮したものじゃ……その後、白内障患者に始まり、頚椎損傷による下半身麻痺患者、がん患者等、不治の病や肉体障害をも治療してしまう、そのヒーリング能力の実力)

 (何としても、スターフィールド君のヒーリングの要である、あの光の粒子の正体を明らかにしたいものじゃ……)

 ドクター・ガオスは、介助者の助けを借りてベットから車椅子へ移った若い女性と一緒に、ここでは出来ない、再生部分の内部状態を確認するレントゲン等の各種検査に向う。その間、患者の両親の方は、別室にいる少年と協会の責任者を訪ね、お礼と協会への寄付等の件を済ませることになっていた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ロンドン郊外の長閑な田園風景が広がる丘の上に建つ屋敷があった。

 病院から屋敷に戻ったスターフィールドは、背広の上着を脱ぎネクタイを取り去った姿で、ソファーに仰向けになりうたた寝していた。

 人の接近する気配に彼の瞼が開かれ、視界の片隅に屋敷の執事であるジャックの姿を捉える。

 「ルリ様、お手紙です」

 ジャックは、複数の手紙を載せた銀の盆を、うやうやしく主へ差し出す。

 ルリが、けだるげそうに片腕を持ち上げ、銀の盆に手を伸ばす。

 仰向けの姿勢のまま、ルリは印璽が捺され封蝋された封筒をペーパーナイフで開き、中身の手紙を読む。

 「……エンデル氏の難病完治がやっと確認されたか……おや!? 百万ポンド(約十億円)を、ポンと寄付してくれるなんて太っ腹ですね……現役復帰出来ることが余程嬉しいのかしら?」

「ルリ様、女性の言葉づかいになっております、ご注意ください」

 舌をペロっと出して、己のミスを誤魔化すルリは、男性ではなく男装した女性であり、その秘密を知っている数少ない人間が執事のジャックであった。

 彼は、かつて別の家で長く執事を勤めていたが、大病を患うとあっさり首にされ、最底辺のスラムに落ちて死の淵にある所をルリに救われ、ルリに絶対的忠誠を誓う。

 その物腰はザ・執事なジャックであるが、今の彼の容貌は実年齢と大幅に乖離し、二十歳代の若者に見える。それは、ルリがヒーリングで彼の大病を治そうとした時、身体のかなりの細胞を作りなおす必要があったため、併せて若返りの実験を行なった結果である。

 そうした経緯もあって、ジャックは若返った肉体と長年の経験並びに人脈をいかし、全力で新しい主のために仕えており、主の秘密を漏らすことは絶対になかった。

 (協会の心霊治療実験に協力することで信用と伝を得て、独自に行なう大富豪相手のヒーリング商売は、まさに濡れ手で粟ね)

 恵比寿顔のルリは、内心でそんな事を考える。

 「何時ものように、(寄付金の節税対策で作ったネルガル)財団の口座への振込を確認しておいて」

 ルリは、読み終えた手紙を傍らにいるジャックに手渡し、次の手紙を手に取る。

 「……極東の島国にいる”最愛の友”メイが、事業を始めるから僕にも出資してくれって……財団の目的にそう面白そうな提案なので、投資する事に決めたから手配よろしく」

 そう言ってルリは、その手紙をジャックに渡し、ソファーから起き上がって軽く伸びをした後、居間を出て外へ散歩に向う。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 散歩から戻ったルリは、まだ午後五時前にも関わらず夕食を取る。

 ルリは、その小さな身体の胃袋に収まるのが不思議な量の肉料理を平らげ、食後のコーヒーを味わった後、軽くシャワーを浴びると陽も沈まぬうちに寝室へ向う。

 ルリの寝室は、窓は厚いカーテンで室内を隠しており、出入りできるドアは内側から厳重に鍵がかけられ、翌日の正午頃、本人が部屋から出てくるまで、何人も部屋に近づくことが禁じられていた。

 メイド達は、主が部屋の中で何をしているのか気になるも、主の安寧と秘密を厳守する執事が常に目を光らせており、愚行を犯す者はいなかった。

 ルリは、着ている物を全て脱ぎ捨ててベットの上で胡座をかくと、彼女を囲うように光の輪が現れると同時に忽然と姿が消え、約一万km離れた日本の帝都のとある家の一室で、姿を変え(髪や目の色を元に戻し)た少女が出現した。

 英国と約八時間時差のある帝国は深夜の二時。

 畳に敷かれた布団の上で、デコによって裸ではなく寝間着姿で再現された五月は、もそもそと布団にもぐり込む。

 「私の幸せな未来のためとは言え、この小さな身体で二重生活はきついわね……」

 疲れている五月は、両目を閉じると、直ぐに寝息を立て始める。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 五月は、後見人の件が片づくと、葛葉老人の目のある帝国では自由に活動できないので、瞬間移動できるデコの能力と時差を利用して、英国で別人(少年)になりすまして、多国籍企業ネルガルを興すことにしたのである。

 そのために五月は、葛葉老人の治療で他人への投与も可能と判明した、彼女が持つ生体強化用ナノマシンの自動修復を用いた偽心霊治療を行なうことにしたのである。

 モノリスから与えられた、このナノマシンは記録された五月の遺伝子情報以外でも、他人の正常細胞の遺伝子を読み取り、細胞を急速に増殖せさることが出来るので、治療方法のない難病や肉体欠損であっても、ほぼ治すことが出来る。 

 ナノマシンの欠点である自動修復に伴う痛みは、デコの亜空間収納で痛みの電気信号を除去すことで対処可能だと、ジャックの治験で判明している。

 ただ治すとしても、噂を聞いて人々に殺到されても困るので、効率よく資金を稼ぎ、かつ人脈を得るには、健康な身体を取り戻すためなら幾らでもお金や協力を惜しまない大富豪を相手にするのが最も良い。故にルリ(五月)の心霊治療は、己の生命力を分け与える代償が伴うもので、治療できる人の数は限られるため、特別な人にしか行なわないという設定(言い訳)を用意した。

 そうした準備を整え、ルリ(五月)は心霊治療能力者として権威ある組織のお墨付きと、会員を介して英国内をはじめ世界の大富豪の顧客を得るため、英国心霊現象研究協会のドアを叩いたのであった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 風薫る五月、帝都では三大祭の一つである葵祭の前儀──流鏑馬神事が行なわれた。

 その日の夜、大阪船場の高級料亭の玄関に、一台の銀色の車──政府(通商産業省)の国策で開発され、今月発売されたばかりの国産大衆自動車”昴”──が停まった。車から一人降りて来た年配の男性は、余裕のない表情で足早に料亭の中へ入っていった。

 灯で照らされた日本庭園に面した座敷の一室には三人の男女がいた。給仕を終えた女中が、頭を下げて襖を閉めて部屋を出て行くと直ぐに年配の男性が口を開く。

 「丸渕専務、電話で呼出した息子の件は、本当に間違いないのか?」

 「正木さん、慌てなさんな。先ずは一献傾け、落ちつかれなさいな」

 精力溢れるダルマのような中年男性──丸渕が、右手に持った徳利を正木の方へ差し出して酒を勧める。

 正木は、膳に置かれた盃を手にとり、丸渕の酒を受け、グッと飲み干す。

 「……息子さんが、ヤクザの情婦に手を出した件は、知り合いを通じて、そこの組長に丸く収めもらい手打ちを済ませたから、安心したまえ」

 丸渕の言葉で、正木はほっとした表情を見せる。

 「本当にありがとうございます」

 正木はそう言って、丸渕に向って頭を畳にこすりつけんばかりに下げる。

 「丸渕専務……このお礼はどのようにすれば良いでしょうか?」

 丸渕の性格──常に相手から対価を引き出す──を熟知している正木は、伺うような視線を丸渕に向ける。

 丸渕は、ニヤリと笑う。

 「監査役の貴方に──そう、我が社の未来のために是非お願いしたことがあるのだが……」

 会食を終え、高級料亭を後にする正木の顔色は、来たときよりも白くなっていたの対して、丸渕は満足げな表情をしていた。

 丸渕は、屋敷に戻る外車の後部座席に座りながら、部下からの報告を聞く。

 「ナルニアでの工作は、計画通り完了したと報告がありました」

 「そうか、そうか……これで紅井社長と紅井家は終わりだな、アッハハハハハハ」

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 六月二日(月)の朝、小学校の正門に面した道路を、幾つもの子供達の集団が歩いていた。

 敷地の境界に植えられた桜の木々は、青々とした葉が生い茂り、初夏を感じさせる日差しと共に、女性の肌の大敵である紫外線が大量に天から降り注ぐ。白人肌な五月にとっても、本来は有害な紫外線であるが、生体強化用ナノマシンによる肌ダメージの自動修復のおかげで、赤くなったり日焼けする心配もない。

 校門の前では、「おはようございます!」という挨拶が、当番の先生や子供達の間で何度も交わされる。夏子らと同じ集団登校グループの先頭を歩く五月が、校門の少し前で追いついた集団の中に、同じクラスの知り合いの背中を見つける。由緒ある西陣織の家柄の子で、着ている和服の質が高く、自ら立候補して女子の学級委員になった子なので、後ろ姿だけでも直ぐに分かる。

 「織部さん、おはよう!」

  振り向いた、おかっぱ頭の女の子は、五月の着ている服を見て目を剥いて驚く。

 「な、な、なんて格好しているのよ!」

 女性は慎み深くあれと教育を受けている織部は、身体をブルブル振るわせ、五月のスカート──膝上十cmと本人的には大人し目なミニスカート──を指さす。

 「衣替えだから、夏らしい服なの……似合っているかな、織部さん?」

 水色を基調とした上着は、襟・前中心・袖・裾には様々な白いレースの凝った飾りがたっぷり施され、チェック柄のミニスカートはプリーツのひだがゆらゆら揺れている。また、ミニスカートから露出している白くて長い生脚は、足先を飾る、フリルの折り返しのある白のソックスや翼のような飾りのあるウィングチップ(革靴)による複合効果で、見るものを魅了していた。

 五月の着ている洋服は、α世界の女性アイドルグループの制服風衣装デザインを参考に、α世界でドール衣装を自作していた中の人によるセミプロの腕前で作り上げた一点ものである。

 同じく春先に作った洋服は、紅井夫人に高く評価され、夫人の伝で高級仕立服屋にデザインが採用され、ちょっとしたお小遣いになった。脚を美しく魅せるミニスカートを組み合わせた、今回の洋服デザインの採用にも自信満々な五月であった。

 「素脚をそんなに出すなんて、破廉恥だわ! 脚を隠しなさい、脚を! 先生に言いつけるわよ!」

 お固い委員長体質な織部が声を荒らげるも、五月はどこ吹く風な顔である。

 「織部さん、スカート丈の長さの決まりは学校の規則にないわよ──それに、このミニスカートはロンドンの最新ファッションなんだけど」

 からかい甲斐のある織部に、五月は笑顔で大嘘をつくのであった。なお、ミニスカートは、α世界ではロンドンのデザイナーが1959年に売り出したのが始めであり、β世界では未だ発表されていない。

 織部は、きっと五月を睨んで踵を返すと、校門前にいる女性の先生を引っ張って来る。

 「先生! 破廉恥な格好している有栖川さんを注意してやって下さい!」

 織部に片腕を掴まれた二十歳前半の女性の先生が、五月の前にやってくる。

 「あら、まあ……」

 そう呟いた女性の先生は、左手で右片肘を抱えつつ右手の指を唇──濡れたようなピンク色の口紅が色っぽい──に当て、五月の周囲を回って衣装をじっとチェックする。

 「う~ん……とってもかわいいお洋服ね、有栖川さん……ちょっ勇気がいりそうだけど、先生も挑戦してみたいわ」

 「スタイルの良い遥先生なら、きっと似合いますよ」

 この先生の名前は、遥ミナト──そう機動戦艦ナデシコの操舵士であるが、五月の変化を引き寄せる因子の影響でプロスと同様巻き込まれ、この世界の人物として顕在化させられてしまったのである。五月が、クラスの担任(本来の担任が先月から産休となり、その替わりの臨時教員)となった遥先生と出会った時、「私の因子、恐るべし」と感嘆したものである。

 「先生! 何を言っているんですか! どうして駄目だと注意してくれないんですか!」

 「う~ん、校則違反じゃないし、脚が白くてすらーっと長い五月ちゃんに似合っているから、いいんじゃない?」

 「そんな格好駄目に決まっています! 何かの拍子で簡単にスカートがめくれてしまい、はしたないですわ!」

 織部は、遥先生に抗議する。

 「大丈夫だよ、織部さん」と言って、五月が両手でミニスカートの裾をつまみ、ヒョイと持ち上げて見せると、周囲で見守っていた男の子達が「おおおっ!」と一斉に期待の籠もった声をあげる。

 「え──っ!」

 五月がまくりあげたミニスカートの下は、短いスパッツをはいており、美少女な彼女のパンツを拝もうとしたエロガキ達の期待を打ち砕いてしまう。

 「い、インチキや──っ!」等、文句を言うエロガキ達に対して、遥先生は騒ぎを収めに出る。

 「まあ、文句を言いたくなる男の子の気持ちは分かるけど……五月ちゃんも悪戯は程々にね──皆、早く教室に行きなさ~い!」

 悪戯を成功させ満足げな五月は、未だ納得できない顔をした織部を残して、さっさと教室へ向う。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 六年生の教室に入った五月は、他のクラスメイトに続いて、黒板の上に掲げられている二つの肖像に、挨拶をして頭を下げる定例行事をこなす。

 そして、教壇に一番近い最前列中央の二人掛けの机に向う。五月の席が、最前列なのは、クラスで一番背が低いからである。

 五月は、生体強化用ナノマシンを使って身長を伸ばしているが、β世界で再生後四カ月で一cmしか伸ばしていない。自然な成長を装う面もあるが、小柄な五月が遥先生に正面から抱きつくと、ブラウスのボタンが弾けそうなボリュームを誇る巨乳に顔を埋めて、幸せタイムを味わうことが出来るからである。両親を失った五月の身の上に同情を寄せる遥先生は、五月──中身がスケベ心満載な中年親父であることも知らず──に対して、積極的にスキンシップをしてくれる。

 加えて、葛葉老人のカフェに来るお客やご近所さんから「小さいのにお手伝い感心だね」と、色々とお小遣いやおまけ(値引き)してもらえたりと、美幼女は何かとお得なのである。高い所にある物を取る時が多少不便ではあるが、本来のクラス担任の先生が産休から復帰するまでの間、当面、小柄なロリ路線を維持するつもりの五月であった。

 なお、のんびり成長の身長と違って、オッパイ好きな五月はチッパイを卒業しようと、生体強化用ナノマシンで乳育に密かに励んでおり、来年の春にはブラのお世話になるのを目標にしている。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「起立! 皇帝陛下並びに政威大将軍のお姿に対して、拝礼(最敬礼)!」

 遥先生の号令により、黒板の上に掲げられている二つの肖像に向かって、教室内の全員が深々と頭を下げる。

 (私も、すっかり条件反射が板についたわね──これ)

 五月は頭を下げながら、拝礼を行わせる意味──小さな時から繰り返す事で条件反射化させ、陛下や殿下を敬う精神を植えつける国の策──に、内心で苦笑する。

 「止め! 着席するように」

 遥先生の言葉に従い、生徒全員が再び椅子に座る。

 「あっ!」

 五月の隣に座る男子が声を発する。

 鉛筆が机の上を転がって五月の方に来たので、彼女は鉛筆を手に取り、「はい」と言って、持ち主である男子へ返すも、彼は畏怖で顔を青くしたまま受け取ろうとしない。彼の態度の原因に心当たりがある五月は、しかたなく鉛筆を彼の前に置く。

 五月が通うこの小学校は、学区の関係で西陣の織物関係と下町の住民の子供が大半で、残りは省庁に勤める官僚の子供で占められている。官僚の子供らは、勉強が出来ることを誇りとしているのか、小テストでいつも満点を取り、作文、絵、工作及び音楽等も大変良く出来ました賞をもらう五月は、彼らには目の上のたんこぶに映った。また、おしゃれな生ルリルリに日々萌える五月は、その目立つ容姿を着飾り、凶悪な可愛さを学校内で振りまいた結果、人気の男子らに関心を向けられ、他の子供達(女子)から妬みや嫉妬を買うことになる。

 そうした子供達が中心になって、五月への嫌がらせが始まるのに時間はかからなかった。

 わざと五月に聞かせる悪口に始まり、体育の球技で偏執的に狙われたり、悪意に満ちた落書きを机にされたり、学用品や上履きを隠されたり等、いじめへエスカレートしていった。

 五月は、頼りにならないクラス担任(遥先生の前)を見切ると、自らお仕置きを決行することにした。

 悪口を囀る相手に対しては、甲状腺のすぐ後ろにある反回神経をナノマシンで麻痺させて、しばしの間酷いガラガラ声になるようにし、恥じて無口になるようにさせた。体育の球技で偏執的に狙ってくる相手に対しては、生体強化された腕力による剛速球で、顔面や急所へお返しを喰らわせてあげた。

 また、隠れていじめを行なう相手に対して、五月は体外に放出したナノマシンで彼女が不在時の教室や下駄箱等での監視を行い、実行犯を特定する。悪意に満ちた落書きの相手には、両目の回りの皮膚のメラニン色素の量をナノマシンで急増させ、しばしの間パンダな顔に変身させてやった。物を隠(盗んだり)した相手に対しては、髪の毛根の穴をナノマシンで皮脂詰まりにさせて、しばしの間河童のようなはげ頭にしてやった。

 五月へのいじめを行なう度に、上記のお仕置きをされた結果、彼や彼女らは五月と関わることを異様に恐れるようになり、二度といじめや嫌がらせをすることはなくなった。

 一時間目の社会科の授業が始まり、遥先生が黒板に琵琶湖工業地帯──α世界と違ってβ世界では、琵琶湖運河整備と併せて工業団地が形成されていた──の説明を板書する。五月を除くクラスメイト達は、一生懸命ノートに黒板の文字を書き取りする。

 五月は、ノートも取らず黒板を見ている振りをしていた。五月は、教科書の内容を全て生体分子素子メモリーに記憶してしまっていたので、座学の授業中は補助脳コンピュータで脳内内職(α世界の技術書をβ世界向け編集やマンガ作画等)をして時間を潰している。遥先生も、五月が全ての教科書の内容を記憶していることを知っており、五月の態度を咎めることもしない。

 とは言え、そんな五月の姿は、勉強が出来ることを誇りとしている官僚の子供らにはむかつくものであり、時折敵意の籠もった視線を彼女に向けてくる。

 


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