β世界に生きる   作:銀杏庵

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03 再生

 1958年1月22日 日本帝国

 東回りでロンドンから東京に向かっていた、帝国航空所有の世界初のジェット旅客機が紀伊水道上空に差しかかる。

 「父様! 父様! あそこが父様の生まれた帝都ですか?!」

 長い銀髪を片側寄せにし、髪先を艶やかな組紐リボンで一つにまとめた女の子が、飛行機の窓を指さしながら、隣の席に座る三十代半ばの黒髪の大人と窓の間を何度も振り返る。少々興奮気味な女の子は、日本人と同じ濃褐色の目を輝かせ、雪のような肌に白人寄りの美しい顔立ちをしていた。 

 「五月、周りの方の迷惑になるから、はしゃいでは駄目ですよ」

 幼い娘の体調を思って、何十日もかかる船旅ではなく、ジェット旅客機を利用することにしたが、空の上から地上の景色を見下ろす目新しさは娘を興奮させるには十分であったようだ。就航して数年たったとは言え、非常に運賃が高額なジェット旅客機を利用できるのは裕福な人物か、それなりの地位にある人物に限られおり、娘を諫めた父親の有栖川有人は日本帝国の外交官という地位にあった。有人は、身体を娘の方に近づけ、窓から見える故郷の景色に懐かしそうに目を細めながら、娘の問いに指をさしながら答える。

 「右上に見える大きな湖が琵琶湖だから──その左下に見える都市が、僕が生まれ育った帝都だよ五月……それと、今度、僕たちがお世話になる葛葉の家は、帝都の真ん中ぐらいだから、あの辺りになるかな」

 父親の指さす先を良く見ようとして、五月は窓に額をくっつけるようにして目を凝らす。しばらくして、流石に砂粒未満の景色の中から、新しい住まいとなる家一軒見つけのは無理と分かった五月は、窓から顔を離して父親に何度目かになる帝都の話をねだる。

 「冬の帝都は、山に囲まれた盆地ということもあって、ロンドンよりも寒くなるぞ」

 「そんなに寒いと、少し前のロンドンのように石炭ストーブから沢山煙が出て、街はスモッグ(大気汚染)で大変ではないのですか、父様?」

 「大丈夫だよ、五月。将軍様が、帝都の空気と街を汚す石炭スートブを規制されたおかげで、スモッグの心配はないんだ」

 「積もる雪もロンドンのように薄汚れておらず、昔の屋敷が並ぶ帝都の雪景色は格別に美しぞ。五月も直ぐに見ることができるだろう……でも、お子様な五月には雪景色より、温かくて甘い小倉餡(ぜんざい)の方がいいかもしれないな。ハハハ!」

 「もう──っ、父様ったら……五月はそんな食い意地のはった子供じゃありません。ちゃんと、雅びが分かる大和撫子です!」

 拗ねた表情の五月が、愛らしい声で父親の有人に抗議する。有人は悪戯を思いついた目をしながら、わざとらしく腕を組み呟く。

 「そうか、それじゃしかたない。帝都に着いたら、時間合わせを兼ねて美味しい甘味処に寄るのは止めて、予定より早いけどお世話になる葛葉の家へ直行するとしょうか」

 「え!? そんなの駄目です、父様!」

 「どうしてだい、五月?」

 にやつく父親の思惑を見抜けず、五月は慌てて理由を探す。

 「え~っと、それは……そうだわ! 葛葉様にも予定がありますから、早過ぎてはお困りになるかもしれませんわ。時間合わせを兼ねて、甘味処に寄りましょう。日本の食べ物に早く慣れるのも、私が立派な大和撫子を究めるために必要なことですから」

 五月は、アタフタと両手を動かしながら父親を説得に務める。有人は、娘の必死な様子を微笑ましそうに見つめながら、わざと本意とは異なる言葉を口にする。

 「そうか、五月は早く日本の食べ物に慣れたいのか。それなら昼食には納豆を食べることにしょうか」

 「え?! え――っ!」

 思わず叫んでしまった五月は、「納豆はダメ、ダメ、ダメなの!」と、つぶらな目を潤ませながら父親に嘆願する。

 「……ハハハ。五月、納豆は冗談だよ」

 笑い顔をみせる有人に、五月はからかわれたことに気がつく。

 「も――っ、父様の意地悪!」

 フグのように頬を大きくふくらませ、私怒っていますポーズな娘を、有人は微笑ましそうに見つめた後、娘のご機嫌を取ることにした。

 「五月の言う通り、葛葉の家の都合もあるから甘味処で時間調整をしよう。とびっきり美味しい小倉餡のお店に寄るから、ご機嫌を直してくれ、五月」

 五月の膨らんだ頬がほころび、パッと明るい表情になった。五月は、念願である帝都の美味しい甘味を食べる様を想像し、瞳をキラキラと輝かせる。

 有人は、半年前に妻が亡くなってから笑顔をほとんど見せなくなった娘のことを気に病み、母親の思い出が強く残る英国を離れ、本国の(外務省)本省勤務を希望することにしたのである。傍らに座る娘が、日本への関心で明るさを取り戻している姿をみて、日本へ帰国する決断が間違いでなかったと感じていた。

 ドォ──ン!

 異常音が飛行機の機内に轟いた直後、客室内は白い霧が立ち込め、酸素マスクが一斉に降り、非常灯がともる。直ぐに、客室乗務員の女性が、『「酸素マスクをつけ、ベルトをして下さい!」』と、英語と日本で交互に何度も繰り返し叫ぶ。しかし、機体のどこかで裂け目が広がったのか、客室内は嵐が吹き荒れ、機内はパニックに陥ってしまう。

 飛行機は、急な下降、上昇、ダッチロールといった激しい揺れを繰り返しながら高度を下げた結果、客室内の嵐は治まったものの、機体は依然としてギシギシと不気味な音を鳴らし、不規則で激しい揺れは一向に治まる気配がなかった。

 「父様──!」

 「五月――!」

 恐怖から五月は、その小さな腕で必死に父親の体にしがみつく。有人は、娘の頭を自分の胸に抱き寄せ、せめて娘だけでも助かって欲しいと、必死に神に祈りを捧げるのであった。

 ジェット旅客機は、右翼の二基のジェットエンジンが止まったことで急速に失速して、やがて紀伊山地の上空でレーダーから機影を消してしまう。

 夕方、国内外のラジオやテレビは、乗員・乗客四十八名を乗せたジェット旅客機の消息不明事件を重大ニュースとして一斉に報じる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 雪を所々に残す山の中腹の斜面をえぐり、木々をなぎ倒した爪痕、散乱した金属片の先には、片翼をもがれ、胴体も半分になった金属の巨鳥の骸が見えた。既に墜落から数時間経過しているにも関わらず、その骸からは未だに黒い煙が立ち昇っており、他に動くものは何もなかった。

 そこに、直径十cm程の捩じれた白い帯の輪が空から降りてきた。墜落現場の中央当たりの地面に降りた白い帯の輪は、ゆっくりとその直径を広げて行く。不思議なことに白い帯の輪は、機体の残骸、倒木、岩、死体さえも透過して行く。拡大を続けた白い帯の輪が、歪に折り重なった残骸を透過した所で、不意に拡大を止める。その残骸の下には、抱き合う親子らしき二人の上半身があったが、周りには大量の血溜まりが出来ており、既に生きてはいなかった。数秒、親子の死体に接触して点滅を繰り返していた白い帯の輪は、直径を二m程に戻し、二人の元へ瞬間移動する。

 宙に浮かんだ白い帯の輪は、改めて親子らしき二人を輪で囲み、地面に向かってゆっくりと降下すると、子供の死体だけがふっと消えてしまう。次に、白い帯の輪は、残骸の横にあるスペースの空中へ移動した後、輪の直径を五十cm程に縮め、輝きを放ちながら地面に向かってす~っと降下する。輪が通り過ぎた後には、銀色の髪、頭、首、両肩、両腕・胸、腹、腰、両脚が丸で手品のように空中に現れ、最終的には十代始め頃の女の子が完成した。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 女の子の人形のような美しい顔だちは、"素材"となった者の面影を色濃く残していた。目を閉じたその表情は穏やかで、胸がゆっくりと上下していることから、彼女が生きていることが分かる。しかし、目覚める兆候はなかった。女の子の内側では、始めての生体再生ということで、体内のナノマシンが生体スキャンと最適化処理を目まぐるしい速度で行っている最中であったためである。

 再生から十分程経過すると、女の子の長い睫毛が僅かに動き始める。女の子は数回瞬きを繰り返し後、見開かれた目は少しぼんやりしていたが、意識が覚醒したのか目に精気が宿った。

 覚醒した女の子の目の前に浮かんでいる白い帯の輪(D型端子)が、彼女の脳へ直接話しかけた。

 『身体機能に問題はないか?』

 女の子は、頭、手、足の順で、身体を軽く動かしてみる。問題なく動くことを確認した女の子は、次に全身運動ということでラジオ体操を始める。

 「お腹の贅肉がないおかげか、身体が凄く軽いぞ!」

 調子に乗った女の子は、見よう見真似のカンフーアクション技のポーズを色々と試し、身体の反応の良さに感心する。

 「ふ~う……体の方は問題ない」

 女の子は、額に浮かんだ汗を片手で拭いながら、D型端子に報告する。

 『素体からの継承記憶に欠損あり──状況を確認せよ』

 「素体? ああ、この身体の素になった女の子、"有栖川五月"の記憶の引き継ぎのことか……」

 再生された彼女は記憶を遡及して思い出そうとするも、直ぐに眉間に皺を寄せ、難しい顔のまま時間だけが過ぎていった。

 「……飛行機の窓から日本列島を見た以降の記憶はあるが──それ以外は記憶が欠損して虫食いだらけな状況だ。原因は?」

 『墜落時の衝撃により脳に損傷発生──海馬にある短期記憶は復元達成するも、その他の長期記憶は部分的にしか復元できず』

 人間の脳は頭蓋骨内の脳漿内に浮かんでおり、衝撃により頭蓋骨壁面に衝突して受傷し易く、強度も木綿豆腐程度しかない極めて脆弱な組織である。D型端子と言えど、脳を再生することはできても、情報取得前に破壊された記憶を復元することはできなかった。D型端子の説明で、抜けた記憶の回復が不可能であることを理解した彼女は強い不安を抱くが、良く良く考えれば当面日本で生活する上で英国時代の記憶欠損で困ることは少ないことに気がつく。最低限必要となる日常的な会話や読み書き能力について確認したところ、日本語、英語及びフランス語も支障なさそうである。彼女は、記憶欠損はあれど、β世界に無事に再生できたことを感謝すべきだと思い口を開く。

 「記憶欠損は残念だったが、無事再生してくれたことを心より感謝する」

 彼女は、D型端子に向かって頭を深々と下げる。

 「D型端子──いや、長い付き合いになるから、名前で呼んだ方がいいか。君には名前はあるのかい?」

 『人類の文化的な意味での名前に近いものとしては、端子コード*********である』

 「それは、名前というより記号だな。名前を付けてあげよう……そうだなぁ、親しみがわくように、Dと子でデコというのはどうだ?」

 『……受諾』

 「う~ん、もっと愛想のある反応を期待したい所だが、まあいい。俺の名前は**──いや、この身体を頂いた以上、"有栖川五月"と名乗るべきだな。デコ、これからよろしく!」

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 五月は、改めて自分が着ているものに目を向ける。紅色のベルベットドレスは、あちらこちらが裂け穴も空いている上に、乾いた血痕や土埃の汚れと相まって、ドレス本来の深い光沢感は失われていた。ドレスの下のインナー(下着)も似たような損傷に加え、本来の白い色ではなく全体が赤黒く血で染まっていた。足元の飴色のチャッカブーツは傷だらであり、彼女の格好は惨憺たるものであった。

 「流石にこの格好で、冬山を過ごすのは凍死自殺するようなもの。服を修理して、汚れを取りたいところだけど……救助された時のことを考えると、綺麗すぎる服のままでは疑念をもたれ兼ねない。かと言って、救助前にこの悲惨な服をデコに再生してもらっても、身体に怪我がないことに疑念をもたれ兼ねないし……どうしたものか……」

 しばし考え込んだ後、五月はデコにここがどこなのか、人家は近くにあるのかを訊ねる。再生用素体探しで事前にデコが得た情報によると、ここは紀伊半島の山奥で周囲二十km圏内に人家はないとのことであった。救助は直ぐに来ないことが分かり、救助までの間に服は汚れるだろうと判断した五月は、デコの再現機能を試すのも兼ねて元いたα世界にある、良く似た服に着替えることにした。

 しかし、万能だと思っていたデコの再現機能には、予想外の制約があること──五月の身体を再生するために再現を使用した結果、再現機能回復までに六時間弱もかかること──が判明した。デコらにとっては、再現の実行は極めて稀にしかないため問題にもならなかったが、再現の多用を考えていた五月にとっては、思わぬ落とし穴にガックリと肩を落とす。デコの亜空間収納や情報体(データ)保存は、何時でも可能ということが、五月には唯一の慰めであった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 気持ちを切り換えた五月は、改めて周囲をぐるって見回す。彼女の金色の瞳には、悲惨な墜落現場の光景──残骸の間の千切れた遺体、炎に焼かれ炭化した遺体、むき出しの岩の上で散華した遺体等の様子──が映り、更に蛋白質や燃料が焼けた酷い異臭が彼女の鼻をつく。五月は顔を顰めた後、デコに命じて墜落現場で助かった人がいないか改めて調べさせたものの、生存者は誰もいないことが判明した。

 死に溢れた現場から直ぐに逃げたかった五月であったが、この身体の素になった娘を最後まで守ろうとした父親の亡骸を、そのままにするのは忍びないと考え、残骸の下から運び出すことにした。五月の筋力は、生体強化用ナノマシンのおかげで大人一人分(強化用の数を減らした影響で強化は低レベル)はあったが、流石に歪に曲がった重い金属の残骸除去は無理であったので、デコの亜空間収納の力を借りた。

 残骸が除去され、その下にあった父親の亡骸が露になるも、残念ながら彼の下半身は、残骸と岩に挟まれ押し潰されていた。

 五月が、死者への手向けとして、血と泥で汚れた父親の顔をそっとハンカチで丁寧に拭って綺麗にしていると──父親の顔にポタリ、ポタリと涙の滴が落ちる。

 「……あれ? 何で涙が……胸が苦しい」

 素になった娘の記憶に突き動かされて、五月は、無意識に涙を流したまま父親の亡骸を抱きしめる……。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 涙が乾く程に時間が過ぎた頃、五月は父親の亡骸を獣や腐敗から守るため、ブランケットにくるんだ状態で情報体(データ)をデコに保存させ、亜空間に収納した。

 デコの亜空間収納は非常に便利ではあるが、亜空間内では物質が元素レベルに分解されるので、情報体(データ)を保存しないで大切な物も入れると、泣きをみることになる。とは言え、使い方によっては亜空間収納は証拠隠滅にピッタリだと五月は心にしっかりメモしていたが。

 また、デコの亜空間収納は、特定の物質のみ選択することが可能であることが分かり、五月は大量の血を吸って固まり着心地が最悪な、インナーや乾いた血痕や土埃に塗れたドレスから、問題物質を亜空間収納で除去させる。

 冬山の気温の低い所で長く居たため、五月の身体からは既に大量の熱が失われていた。体内のナノマシンは、自動的に平熱を維持するために、体内にある熱エネルギー源を大量に消耗した結果、五月のお腹がクゥと可愛く鳴る。デコの再現機能回復で食べ物を得られるまで待てないという鳴く子(空腹)に急かされて、五月は食べ物と、ついでに着替え等を求めて、機体の残骸を物色することにした。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 五月の食べ物探しは、デコが白い帯の輪が広げた時に読み取った情報があったので、場所は直ぐに分かったが、辿り着くまでに時間がかなりかかってしまった。鋭い金属片や倒木の障害物、死体や肉片に近づかないように大回りしたためである。食べ物がありそうなカーゴコンテナの開閉扉は、丈夫そうな南京錠でロックされいたが、デコの亜空間収納で容易に扉をあけることが出来た。

 カーゴコンテナ内を物色し、集めることが出来た食べ物は、ビスケット、飴や干しぶどうと言った間食的な物が多く、缶詰はコンビーフ缶が二つしかなかった。期待していた飲み物は瓶の破損で全滅していた。得られた食べ物は、節約しても一日分がいい所であった。五月は、鳴く子(空腹)を静かにさせるため、量の多いビスケットを一枚ずつ、噛まずに溶けて消えるまで舌の上で味わう、いじましい努力で空腹感を誤魔化す。

 五月は、着替え一式が入った自分や父親の革製旅行カバンをデコの探索の力を借りて、何とか発見に成功する。食べ物以外でも、彼女が他の乗客の荷物の中身を物色する中、高級そうな時計やライター、女性用の高級な毛皮のコートや宝飾品を多く目にし、飛行機の乗客は金持ちが多かったことに気がつく。売り払えば一財産になるであろうが、流石に五月も死者の物に手をつける気にはならなかった──自分が生き延びるのに必要なもの(象牙細工のライター)以外は。なお、防寒用に毛皮のコートを使おうかと思ったが、染みついた香水(又は体臭?)の臭さに断念した。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 太陽は既に西へ大きく傾いており、沈む前までにデコの再現機能回復が間に合わないことから、五月は寝床の準備に取りかかる。

 荷物を全て放り出し空になったカーゴコンテナ内は、落下時の衝撃であちこち凹んだり、裂け目が多少あるものの、五月が身体を横たえるには十分な広さがあった。この中なら、野生の獣に襲われる心配もないし、多少なりとも寒い外気を遮断してくれることから、五月はここを寝床にすることに決める。カーゴコンテナの裂けた隙間に衣類を詰め、床に雑誌類を敷きつめ、その上にブランケットを敷いて、一応の寝床を完成させる。次に五月は、暖をとるためのたき火用の薪になる乾燥した枝を集め歩き、カーゴコンテナの開閉扉の前に薪の小さな山を作る。更に、水の確保のために五月は、デコに谷側の森を探索させたが、川も湧き水もなく、止むを得ず谷の所々に残っていた雪を亜空間に収納させた。

 西日が赤くなり出した頃には、準備を終えた五月は急造寝床に腰を落ちつけることが出来るようになったので、彼女は着替えることにした。五月は、再生した時に身につけていた悲惨なドレス等はデコの亜空間に収納し、自分の旅行カバンから取り出した衣服に着替えようと裸になる。ふと、五月は自らの胸の膨らみ(チッパイ)をじっと見つめ、両手で胸に触れ、そっと肉を寄せてみる。

 「……あの人(母親)の遺伝子が半分入っているんだから、もっと胸も成長していてもいいはずなの……はっ! 俺は何をやっているんだ……」

 五月は頭をブンブンと左右に振り、さっさと着替える。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 五月の長い髪を結ぶ組紐リボンが失われたため、背中に広がった銀色の髪と着替えた黒いドレスが美しいコントラストを描いていた。五月は、髪の一房を指でつまんで眺め、その綺麗な銀色に感心していたが、ふと、自分の顔や姿を見ていなかったことを思い出し、確認したくなった。

 「デコ! 再生した自分の容姿を一度見たいから、ここに戻ってきてくれ」

 人里探索兼原料元素収集で遠出をしているデコに、五月は互いの情報接続(P2P)を使って話しかける。直ぐに、デコが瞬間移動で彼女の目の前に現れた。狭いカーゴコンテナ内ということで、デコは直径十cmほどの大きさになっていた。

 「俺の周りをゆっくりと回って、映像データを俺に転送してみてくれない」

 『了解──実行』

 「えっ?! なんじゃこりゃ──っ!」

 自分の正面姿を見た五月の叫び声が、コンテナ内に響く。

 西洋人形のように色白で美しい顔だち、金色の目、腰の少し上まである長い銀髪等、機動戦艦ナデシコのルリの身体的特徴は見受けられるが……問題は彼女の容姿が少女ではなく幼女であり、顔も希望からやや外れていることであった。

 「……身体を確認した時は、動作ばかりに注意が向いていて気がつかず、胸がチッパイなのも偏食気味なルリだから成長が悪いかと思っていたけど……そもそもこの身体は、第二次性徴前じゃないか! デコ! モノリス様を呼び出してくれ!」

 『ネットワーク断絶により不可能』

 「あち~ゃ! 確か危険宙域に渡るため、そうしたんだった。約束を破ったモノリスに文句を言って、追加サービスをさせようと思ったのに……ブツブツブツ」

 『管理体との会話を希望と判断……管理体人格をエミュレート──実行』

 『やあ、無事に再生できたようで、おめでとう。**(男の名前)、いや有栖川五月ちゃん!』

 五月の脳に、直接モノリスの声が届く。

 「えっ?! 本物?」

 『残念ながら僕は仮想人格だよ。君が依頼をさぼらないように監視するのが仕事なのさ』

 「何それ! 俺って信用されていないの?」

 『その通り』

 「ひ、酷い。俺のガラスハートがビシッと割れた~っ!」

 五月が両手で胸を押さ、よろめく振りをする。

 『君って、監視されていないと脱線し易いだろ?』

 「ぐっ! それを言われると……」

 『ちゃんとやることやっていれば、罰はないのだから』

 「ば、罰って?」

 『延々と寝かさず、叱るだけさ』

 「それって、拷問じゃないですか! 拷問反対!」

 『ならば……元の君の秘密を、君の口を借りて人前で暴露しょう』

 「止めて──っ!」

 速攻で頭を下げる五月であった。

 『監視されたくない、罰も嫌と言われても、ねぇ?』

 「監視して下さい。罰も最初のでいいです」

 降参した五月は、うっすらと目元に涙を浮かべ、諦めたように言う。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「所で、モノリス様。再生したこの顔──美形──なんですが、希望とズレていませんか? 丸で、他人が無理してルリのコスプレをしているような違和感を覚えるし……それと一番の問題は──第二次性徴していないこの小さな身体は、希望と全く違うんですが!」

 『前者については、いきなり素体の顔が変わってしまったら怪しまれるだろ。ルリの容姿に近い素体をベースにして再生したばかりで差異はあるが、成長と共に希望(ルリ)の容姿になるよ。でも、アニメで描かれている大き過ぎる目は、ヒト種族的にありえないからね』

 「はぁ……」

 『後者については、ルリ似の素体の年齢が幼かったのだから、止むを得ない誤差の範囲さ』

 「いやいや、モノリス様。誤差の範囲ですむレベルを超えてます! 第二次性徴前と後では、天と地程にも希望に開きがあるんです!」

 『……なんで、そんなに成長レベルに拘るんだい?』

 「見て、触って、楽しめるパフパフおっぱいが、好きだからに決まっています!」

 『男の本能に忠実だね……そんなにおっぱいに拘りがあるなら、生体強化用ナノマシンにイメージを伝えて、理想の形に成長を命じればいいさ』

 「え?! モノリス様、ナノマシンって、そんなことも出来るんですか! ……夢のロケットおっぱいで、パフパフできる……」

 『……自分のおっぱいを揉んで喜ぶ夢想にふけるとは……ヒト種族の本能たるセルフ発情と言う訳──でもなく、元の男の願望意識が抜けない残念な、いや変態なヒトだね』

 『今更、素体を取り替えて再生することもできないし、時間を短縮し直ぐに望む姿は無理だが、ナノマシンで希望する形へ成長を促進させたまえ──まあ、ロリコンな君には今の幼女の容姿でも十分OKだろ?』

 「モノリス様。俺は、小さくて可愛いものは好きですが、幼女好きなロリコンではありません。その証拠に、再生を希望したルリは十四歳の少女です!」

 『うん? 元の君の居たα世界において、ロリコンには幼女の他に少女も含まれると、文明の証たる辞書に載っているのだが?』

 「え?! ……本当ですか?」

 『ああ、○辞苑なる文明の証にしっかり書いてあるね』

 五月のこめかみ当たりに、ダラリダラリと無数の汗が浮かぶ。

 『君の認識と違い、社会の一般的な基準では、君はロリコン確定ということになるね』

 「そ、そんな──っ!」

 ロリコンの定義を誤解していた五月は、両手を頬に当てムンクの叫びのようなポーズで固まる。

 『……無様な』

 モノリス(仮想人格)が冷たく呟いた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 己の間抜けさを心の棚の奥に押し込んで、どうにか復活した五月は、モノリス(仮想人格)に己の金色──琥珀色はあれどヒト種族にはありえない金色──の瞳をどうにかできないかと相談をする。モノリスは、虹彩内のナノマシンに反射光の波長を変調させることで、日本人特有の濃褐色の目に見せることができると五月に教える。このモノリスの助言は、目の色だけでなく、髪や肌の色も変えることができ、変装にもってこいだと五月は喜んだ。

 五月の質問に答えたモノリス(仮想人格)が、デコの監視領域に引っ込む前に、『直ぐに男性意識は抜けないだろうが、身体は女性になってしまった以上、心身統合の面から女の子修行は早く始めることを勧告する』という言葉を残していった。

 五月は、女の子(幼女)として生きることをモノリスに改めて指摘され、ちゃんと女の子をやれるか不安になってきた。

 「とりあえずボロが出ないように、言葉使いや内股な女の子歩きを練習するか、いや、しましょう」と、女の子修行を始める決意をする五月であった。

 


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