~おまけ(五話NGシーン)~
ナルナーク(これが愛、なのか? ……だったらいいな)
ナルナーク「(スヤスヤ)」
立津麻衣「……」
立津麻衣「……計画通り(ニヤリ)」
その時。箸墓(はしはか)ゆかりは厄介事に巻き込まれていた。場所はいざなぎ学校A校舎玄関ホール。本来A校舎はいざなぎ学校高等部の生徒達が利用する場でありいざなぎ学校中等部三年二十二組に属するゆかりには全く縁のないはずの区域なのだがゆかりは高等部の職員室を拠点とする一教師に呼び出されていたのだ。何の用事だろうか。何かマズいことがあったのだろうか。何かしでかしてしまったのだろうか。ゆかりは辺りをきょろきょろと落ち着きなく見渡しながら職員室へと向かう。ネガティブ方面な推測に傾くゆかりの心は既に曇天模様だ。加えていざなぎ学校の校舎は概して迷宮のように入り組んでいる。A校舎に初めて足を踏み入れたゆかりが半ば迷子状態に陥り不安になるのも無理はなかった。地図があっても迷子は迷子。先の展望が見えなければ不安なものは不安なのである。
「道に迷ってるのかな?」
「ふぇっ!?」
案の定と言うべきか、職員室に向かうはずが何故か玄関ホールに舞い戻る羽目になったゆかり。奇跡的に迷子状態から生還したゆかりだが目的地までの道筋は依然として不明なまま。一旦立ち止まり職員室への道のりを再確認しようと地図と睨めっこをしていると頭上から優しげな声が降ってくる。不意打ちを喰らったゆかりが情けない声をあげると「ごめんね。驚かせてしまったみたいだね」と続けて言葉を掛けられる。
「……え?」
柔和な笑みがよく似合う人。顔を上げてゆかりに声をかけたであろう男を直視したゆかりの第一印象だった。綺麗に整えられた緑髪に透き通るような碧眼。まるで絵本の中から飛び出したかのような見目麗しい皇子のような外見にゆかりは呆然としてしまう。思わず声が漏れ出てしまうのも無理のない話だろう。
ゆかりはどこまでも普通だった。自身が内包する神力の量も平均並みだし神理の識徒としての知識も技量も標準並み。通信簿なるもので表すならばオール3といった所だ。見た目も格別に綺麗だったり可愛いだったりなわけではないが救いようもないほどに醜いわけでもない。日進月歩で日々美容関係に力を注いでどうにか中の上にこぎつけている程度のレベルだ。運動神経もそれほどいいわけではなく頭の回転も他人に抜きんでるほどではない。どこまでも普通。どこまでも平均。どこまでも標準。どこまでも凡人。どこまでも一般人。ゆかりは一般人の範疇に自分が収まっていることに劣等感を感じていた。自分が特別でないことに嫌気が差していた。だからだろうか。ゆかりには憧れがあった。いつか自分だけを見てくれる王子様みたいな人が現れて普通止まりの自分を特別にしてくれることを夢見ていた。恋に恋する年頃なゆかりが特別を欲したことで生まれた現実味のない夢。バカらしいと、そんなことあるわけないと思いつつ中々捨てられない夢。ゆかりはそれをズルズルと抱えたままかれこれ数年学校生活を過ごしてきた。
それがどうだろうか。今、ゆかりの目の前には自身の妄想が体現したかのような魅力的な容姿を持つ男性が立っている。高等部の生徒なのだろう。身に纏う制服から一目瞭然だ。しかもその年上の男性が「よければ案内しようか?」と提案を持ち掛けてきている。恋に恋する乙女なゆかりは嬉しくて仕方なかった。本当に自分を迎えてくれる人が来たのだと、これで自分は特別になれるんだとゆかりは内心で歓喜していた。勿論返事はOKである。職員室の場所が分かり眼前の年上男性とも話ができる。一石二鳥だ。デメリットなんてどこにもない。ゆかりは肯定の意を伝えようとして――
「……いえ。結構です」
即座に否定の意思を示した。万人受けするであろう柔和な笑みを浮かべたまま固まる男子生徒を無視してゆかりは歩き出す。ついさっきまで歓喜に震えていた心は冷め切っていた。理由は簡単。男に付き添うように彼の背後に控える何人もの女子生徒の姿。その光景を見てゆかりは思い出したのだ。何人もの美少女を侍らせる残念美形たる緑髪碧眼のハーレム男、ナルナーク・フォン・アシュトレイの話を。恋に恋する乙女なゆかりが男性に望むものは少女漫画で描かれるような相思相愛の純粋な関係であり複数の女子生徒の心を鷲掴みにするハーレム男など言語道断なのだ。期待して損した。がっかり顔で玄関ホールから立ち去ろうとするゆかりだったがそうは問屋が卸さなかった。
「何の真似ですか先輩方?」
「貴女、ナルナーク様の提案を断るなんてどういうつもりでして!?」
「何様のつもりなの!?」
「いえ。どういうつもりといわれましても――」
ゆかりの行く手を遮るようにゆかりの前方に立つ女子生徒達。前方だけじゃない。完全に包囲されている。嫌な予感を感じつつゆかりが問いかけると女子生徒達は次々にヒステリック染みた非難の声をあげる。どうやら彼女達にとって意中の相手たるナルナークの提案を無下にすることは許容できないことだったようだ。完全に地雷を踏んでしまった。地雷が原に乗り込んでしまった。喉元まで迫った陰鬱なため息をゆかりは何とか呑みこんだ。ここでため息など吐けば事態は悪化の一途を辿るだけだと判断した故の行動である。
「その辺にしておけ」
「は、はい。ナルナーク様」
面倒なことになったとゆかりが眉をしかめていると再起動を果たしたナルナークは女子生徒達に制止をかけてゆかりの前方に立ち塞がる。ゆかりを見下ろす目には先ほどまでの慈愛に満ちた眼差しは跡形もなく消えている。身に纏う雰囲気も明らかに高圧的だ。何を言われるのか。何をされるのか。決して自分にとっていいことではないだろう。背筋の凍る思いとはこういうことか。ゆかりはブルリと身を震わせた。
「お前、俺のものにならないか?」
「……はい?」
「恋愛真教に入れってことだよ。なァに、悪いようにはしねえよ」
「ッ!? お、お断りします!!」
肉食獣を思わせるギラついた眼光でゆかりを見下ろしながら提案を持ち掛けるナルナーク。ゆかりの想定を軽く超えたナルナークの発言にゆかりの脳は機能停止した。わけが分からなかった。ゆかりは一度ナルナークの提案を断った。丁重などという言葉からかけ離れた方法でナルナークの提案を無下にした。年下のくせに生意気だと怒り心頭になるのならまだしも気に入られる要素などどこにあっただろうか。聞き間違いではないのか。ゆかりがコテンと首を傾げているとナルナークがニタァと獰猛な笑みを見せて耳元で囁いてくる。恋愛真教に入るよう勧誘してくる。
恋愛真教への入信。それは事実上ナルナークのハーレム勢に加わることを意味する。ナルナークの周りを取り囲む女子生徒陣の一人になることを意味する。仮にここでナルナークの提案を受け入れたらこの場で何かされる可能性は低くなる。ゼロになると言ってもいいだろう。だけど。何が悲しくてナルナークに恋心を抱く生徒の一員にならなければいけないのか。ゆかりは一瞬だってナルナークハーレムの一員になることを認めたくはなかった。そのはずなのに。そんな感情とは裏腹にゆかりの口は了承の意を伝えようとしている。原因はゆかりの鼓膜を打つナルナークの美声。夢で見た皇子様と全く同じ声色にゆかりは意図せず顔を赤く染めナルナークの提案を受け入れようとしている。目の前の男は皇子様じゃない。自分だけを見てくれる存在じゃない。騙されてはいけない。恋愛真教入信を頑として拒否する本能がナルナークに魅了された心を呼び覚ます。ハッと我に返ったゆかりは声を大にしてナルナークの案を拒絶した。
「なんだ? この俺の言うことが聞けないのか?」
「聞く必要がありません。分かったらさっさとどいてください。私にはこれから用事があるんです」
ゆかりはナルナークをキッと睨み付けて言葉を放つ。一応先輩だからとなるべく自分の感情を露わにしないよう努めていたゆかりだったがもう限界だった。心に蓄積されたムカつきが、イライラがついに爆発したことでゆかりの言葉に嫌悪の念が付加される。ゆかりは苛立ちを感じていた。強い憤りを感じていた。手慣れたやり方で自分を堕とそうとするナルナークに。そのナルナークに攻略されかけた自分自身に。
ナルナークは「へぇ……今ので上手くいくと思ったんだけどなぁ」とゆかりへと手を伸ばす。身の危険を感じて後ずさろうとするもまもなく背後の壁に阻害される。「や、やめてください!」と声をあげるもナルナークを牽制するに至らない。周囲に誰か人がいることをも期待して声を張り上げたゆかり。しかし。運が悪いことにA校舎玄関ホールに人影はなかった。いや仮にあったとしてもそのほとんどは自分を助けてはくれないだろう。ナルナークの悪名は神理の識徒としての実力や名門アシュトレイ家の存在感とともに広まっている。ナルナークの横暴を止められるのはナルナークよりも優秀なごく一部の生徒や教師だけなのだ。それでもワラをも掴む思いで声を上げたゆかりだったがやはり無駄だったようだ。ゆかりは目を瞑った。何をされるかわからない。そんな得体の知れない恐怖から逃げるように。
しかし。ゆかりの元にナルナークの手が届くことはなかった。ゆかりが待ち望んだ乱入者が現れたからだ。現状を打開するきっかけを与えてくれるであろう救世主が現れてくれたからだ。ゆかりは安堵した。これで厄介事から解放されると。ナルナークやナルナークハーレム陣に絡まれなくて済むと。しかし。現実は甘くなかった。
ナルナークの横暴を止めに入ったのは何と転入生だった。新宗教聖戦(ネオ・ジハード)すら知らない表の常識に染まった男だった。おそらくロクに神理一つ行使できないであろう神理の識徒なり立ての存在。優秀などという言葉とは遠くかけ離れた存在。その男はあろうことかナルナークの実力を知らずにナルナークを挑発し続けしまいには自分の身柄を賭けたネオ・ジハード開催の直接的原因をもたらした。
冗談じゃない。自分抜きで話を進められたことにゆかりは抗議の声をあげた。ロクに神理一つ使えないであろう眼前の紅髪の男が戦うぐらいならまだ自分がナルナークとネオ・ジハードを行った方がマシだ。所詮0.0000000001%と0.01%の違いだがまだ自分が神理バトルに参加した方が勝率がある。話は終わりだと言わんばかりにその場を後にするナルナークを引き留めようと抗議の声をあげたゆかりだったがナルナークの足が止まることはなかった。
(うぅ。これで私もあのサイテー男のハーレムの一員ですか……)
ゆかりはガックリとうな垂れた。紅髪の男子生徒が桃髪の女子生徒に連れられていく様子を視界の端に捉えつつ盛大にため息を吐く。あの転入生がナルナークに勝利するなんてあり得ない。ミジンコが不死鳥に勝つようなものだ。もはやナルナークの勝利→自分の恋愛真教強制加入は避けられまい。
ハーレム男、ナルナークの悪評はかなり知れ渡っている。噂話に疎い自分でさえ知っているくらいだ。少なくとも中等部の生徒のほとんどがナルナークの名を知っていることだろう。自分があの男のハーレムの一員となったことが知れたらどうなるかなんて目に見えている。確実に避けられる。面食いだと思われる。尻軽女と思われる。家柄目当て、資産目当て、権力目当てだと思われる。そうなればあまり多いといえない友達との交友関係が終わるかもしれない。クラスで孤立するかもしれない。どうしてこんなことになってしまったのか。ゆかりは泣きたい気持ちを何とか堪えてその場を後にした。職員室に向かう気力などもはや欠片も残ってはいなかった。
そこからの一週間はただひたすらに無気力だった。ナルナークのハーレムに加入すれば自分の生活スタイルをナルナークに合わせなければならなくなる。その考えが時計の秒針が進む度に自分に残された自由時間が刻々と減っていくような気にさせる。目に見えないけれど自分が自分であるために必要不可欠な何かが欠けていくような感覚。時間が過ぎるのが苦痛で苦痛で仕方なかった。まるで断首台に向かうために一段一段と階段を上る死刑囚の気分だった。
そして。運命の日。ネオ・ジハード当日。ゆかりは学校を欠席していた。ここ一週間の間ロクに食事をとることができず熟睡できず絶望しか見えない未来を前に精神をすり減らしていたツケが一気に降りかかった形だ。同室のクラスメイトに体調不良で休むことを担任の先生に伝えてくれるよう頼んで送り出した後、女子寮内でゆかりは身を縮めて布団を被る。ここから一歩も出たくない。女子寮から出ればネオ・ジハードを終えたナルナークが両手を広げて待ち構えているような気がしてゆかりはブルリと体を震わせる。
と。その時。脳裏に浮かんだのは神理に関する知識がロクにない状態で無謀にもナルナークの横暴を止めた紅髪の男だった。確かにあの男の余計な手出しのせいでゆかりの恋愛真教入信がほぼ決定事項になった。だけど。もしも彼があの時ナルナークにちょっかいを出さなければどうなっていただろうか。あの時のナルナークの目はどんな手段を用いてでも自分を恋愛真教に引きずり込もうと画策する猛獣の目だった。あの男が割り込んでこなければもしかしなくても暴力的な手段に打って出ていたかもしれない。無理やりナルナークのハーレムメンバーにされていたかもしれない。その可能性は十分に考えられた。
ネオ・ジハードを見届けよう。ゆかりは一つ頷いた。最悪に近い結果をもたらしたとはいえあの紅髪の男に一時でも助けられたのは事実だ。ナルナークの横暴に待ったをかけてくれたのは事実だ。だったら。無知な彼がナルナークに痛めつけられる光景を見届ける義務が自分にはあるはずだ。ゆかりは栄養失調に睡眠不足でボロボロな体に鞭打って多目的ホールへと歩を進める。会場の熱気からネオ・ジハードがまだ続いてると知ったゆかりは足首に鉄球でも繋がっているのかと思いたくなるほどに重い足を引きずるようにしてネオ・ジハード開催場所へと足を踏み入れる。
しかし。これはどういうことだろうか。ゆかりは思わず目を疑わずにはいられなかった。それほどまでにゆかりの視界にはゆかりが予想だにしなかった光景が広がっていた。眼前には首と胴体が分離し夥しいほどの血を流す死体とプランとした右腕をそのままに死体を見つめる紅髪の男。「……う、わぁ。やり過ぎちゃった、アハハ」などと平然とのたまっている男。笑っている男。
個人宗教同士のネオ・ジハードを観戦しにやってきた物好き達の悲鳴が響き渡り多目的ホールが混沌に満ちていく中、ゆかりは絶句していた。ネオ・ジハードすら知らなかったはずの一般人があのナルナークを倒した、否、殺したという事実に。
「――ッ」
ゆかりは戦慄していた。たった一週間でナルナークに勝利するだけの実力を身につけたであろう紅髪の男に。いくら【神理≫≫≫再構成】の結界があるとはいえナルナークを平気で殺してみせた紅髪の男に。まるで狙っていたかのようなタイミングで紅髪の男と最近話題の唯我独尊教の狂信者:緋条理との身体的特徴が合致したことがゆかりの恐怖をさらに煽っていった。
「で、でもお礼は言わないと――」
怪我をしているのにも関わらず何がおかしいのか未だに笑っている紅髪の男を見つめたままゆかりは上ずった声をあげる。例え相手がナルナークをグロテスク極まりない肉塊に変えた凶悪極まりない殺人狂の危険人物だとしても自分をナルナークの魔の手から助けてくれたのは紛れもない事実。感謝の念はしっかりと伝えないといけない。でないと何をされるかわかったものではない。ナルナークに目をつけられた時より遥かに厄介な展開がもたらされるかもしれない。かくしてゆかりはあの男に唯我独尊教加入を強制されるのではないかと想起しながら重い足取りで多目的ホールを後にするのであった――
……緋条理の逆鱗に触れたくない一心で。
やっと登場。渦中の女子生徒、箸墓ゆかりちゃん。本当なら第一章ヒロインとしてもっと早く登場させたかったんだけどキャラが勝手に動く理論発動で理くんと絡ませることが出来ませんでした。でもってゆかりちゃん、早速理くんに対して恐怖意識が芽生えております。チョロくないのは結構だけど……さてどうしたものか。