OVER PRINCE   作:神埼 黒音

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WAKE UP TO FALL IN LOVE

―――エ・ランテル 冒険者組合

 

 

組合長であるアインザックが、緊張した面持ちで対面に座る人物を見た。

流星の王子様、救国の軍神、光の王、余りにも贈られた名が多すぎて、今ではもはや一つに絞るのが難しい人物。ひとまず、王都で一番人々が喝采を込めて呼ぶ「大英雄」としよう。

その大英雄が突然、組合へ訪れたのだ。蜂の巣を突いたような騒ぎになったのは言うまでもない。

 

 

(確かに各種の手続きを一度行いたい、とは申し送ったが……)

 

 

当然、アインザックからすれば組合の方から出向くという話だったのだ。まさか、多忙の極みであろう本人が、自ら来るなど予想もしていない。

とはいえ、やらなければならない手続きはそれなりにあった。何せ、この大英雄にはプレートだけ大急ぎで届けたものの、他の手続きは何もしていないのだ。

 

登録時の《銅/カッパー》の状態で大きな功績を立て、何とか《白金/プラチナ》のプレートを大急ぎで届けたものの、更に大功を立てて遂にはアダマンタイトにまで登り詰めてしまったのだ。

驚くべきことに「数段飛ばし」が複数回である―――前代未聞と言って良い。

 

 

「まずは住居についてですが……」

 

「申し訳ありませんが、お答えしかねます」

 

 

大英雄が即答する。二の句を継げさせない断定的な口調であった。

住所不明など、本来ならそんな事が通じる筈もないのだが、王都やエ・ランテルでの騒ぎを見ていると迂闊に住居など明かせない、という思いがあるのであろう。

アインザックもこれは特例として認めざるを得ない、と判断した。

 

そもそも、冒険者組合はモンスターから人々を守り、町を守り、公道を守り、外での活動地を守るという性格のものであるが、有体に言えば仕事を募って、仕事を割り振り、それによって仲介料を得て運営されているものだ。

 

冒険者に対して絶対的な命令権などがある訳でもないし、代々の主従でも何でもない。あくまでビジネス上の間柄でしかないのだ。

当然、不世出の大英雄にして最高峰の冒険者に対し、高圧的に何かを求めるのは非常に難しい。

 

 

「では、他の項目ですが……」

 

 

アインザックが用意していた様々な書類を並べると、大英雄が眼鏡をかけてそれらを一枚一枚、丁寧に目を通していく。冒険者の中には面倒だから、とさっさとサインだけする粗雑な者が多いのだが、やはり大英雄はそこらのゴロツキめいた冒険者とは一線を画する存在なのだな、とアインザックは密かに思った。

 

 

(それにしても、何と美しい姿である事か……)

 

 

アインザックは大英雄の妖しさすら漂う雰囲気に酔いそうになっていた。

腹の底から震えがくるような美貌であるというのに、眼鏡をかけただけでそこに高貴な知的さまで加わり、もはや今のモモンガは手に負えない存在となっている。

もはや慣れてしまったのか、本人も臆する事なく堂々と顔を晒して生きている為、以前に比べてその輝きは格段に増しているといって良い。

 

それも当然であった。

どれだけの容貌であってもビクビクと何かに怯え、必死に顔を隠している人物など、その輝きも翳るだろう。今のモモンガは自分を受け入れ、ごく自然に振舞える程に成長している。

たった一人、突然放り込まれたこの世界で必死に戦ってきた事は無駄ではなかったのだろう。

 

 

 

「なるほど、アダマンタイトともなれば……随分と融通が利くようですね」

 

「大きな声では言えませんが、その通りです。まして先日の共同墓地の件で、我々は大英雄殿に返しきれぬ程の恩を受けております」

 

「恩など。私は、私のやりたいようにやっただけですから」

 

 

 

―――まして、私はルーキーに過ぎません。

 

 

 

アインザックが腹の中で唸る。

彼とて元は冒険者であり、多くの死地を潜り抜けて組合長にまで登り詰めた男だ。

その仕事上、海千山千の様々な冒険者を見てきた男と言って良い。

その彼から見て、大英雄は何一つ嘘は言っておらず、心底からそう思っていると感じたのだ。

 

 

(過ぎた謙虚とは嫌味になるものだが……この方が言うと、まるで心まで洗われるようだな)

 

 

大英雄は密かに脂汗を流しながら練習したサインを幾つか記し、名実共にアダマンタイト級冒険者としての手続きを完了した。だが、まだ残っている話がある。

 

 

「モモンガ殿……その、報酬の件なのですが……」

 

 

アインザックの口が淀む。

大英雄の成し遂げた功績が大きすぎて、一介の冒険者組合ではとても判断しきれないものであったからだ。ズーラーノーンが引き起こした死の螺旋、アンデッドの大軍勢の討伐。

極め付けに、王都を恐怖に陥れた魔神までこの地で討ち果たしているのだ。

 

これらに対する報酬など、前例が無さ過ぎて何を出せば良いのかも分からない。例えば白金貨として算出するなら、それは国家予算規模になるであろう。

 

 

「いえ、一連の騒動での報酬を求める気はありませんので」

 

「そ、それはどういう意味でしょう……」

 

「私自身の戦いも含まれていましたから……報酬を受け取る訳にはいかないという事です」

 

「し、しかし……そういう訳にも……!」

 

 

だが、大英雄はサインを記した書類をアインザックへと渡し、立ち上がる。

この話はこれで終わり、という事だろう。

慌ててアインザックが残りの用件を告げると、立ち去ろうとしていた大英雄が足を止めた。何が大英雄の琴線に触れたのか、振り返った表情は笑顔であった。

 

 

「へ~、それは面白いですね。なら、報酬はその代金に使って貰えますか」

 

「な”っ……お、お待ち下さい!額が額ですので!」

 

「その辺りは、一般的な価格に気持ち程度の上乗せで構いませんよ。では」

 

 

大英雄が部屋を去り、最後の言葉にアインザックが頭を抱えた。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

「殿~、次はどっちに曲がるのでござるかー?」

 

「貰った地図だと、こっちかな」

 

 

モモンガはハムスケの背で揺られながら、久しぶりに“ポカ”をした気分であった。

アインザックから冒険者は使役する魔獣をちゃんと“登録”しなければならないと告げられたのだ。

言われてみれば当たり前の事であった。

 

 

(犬猫ですら首輪を付けたりするもんな……)

 

 

リアルでも危険な動物を飼うなら当然、申請して手続きをしなければならない。

余裕のある富裕層の一部などは、人間でも丸ごと喰らうワニを飼っている、などと実しやかに噂が流れていたものだ。

ハムスケの見た目はともかく、この世界の人達からすれば、それこそワニより危険だろう。

 

 

「某には絵(?)なるものが、いまいち分からんでござるよ」

 

「魔法で書き写すと一瞬って言われたんだけどさ、それだと味気ないだろ。せっかくこんな世界に来たんだから、ちゃんとした絵にして貰おうと思ってさ」

 

「確か水面に映る姿のようなもの、でござったか?」

 

「ハムスター相手に何て説明すれば良いのやら………俺からすればこの世界に来て初めて撮る、高級な“スクリーンショット”みたいなもんかな」

 

 

自分で言いながら、懐かしい光景が頭に浮かぶ。

ユグドラシルでは良く、何かの記念にスクリーンショットを撮ったものだ。ボスを倒した時、レアアイテムがドロップした時、仲間が死んだ時の姿も、しっかり撮って笑いのネタにしたものだが。

 

ハムスケに説明にもならない説明をしつつ、ようやく教えて貰った邸宅へ辿り着いた。

白亜に塗られた、随分とお洒落な家だ。

著名な画家と言ってたし、気難しい人でなければ良いんだけれど。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

―――ジェットストリーム・モレソージャン宅

 

 

「旦那様、冒険者組合から大至急の依頼が来ております」

 

「野蛮な冒険者の、その組合など我輩の知った事か。塩でも撒いておけ」

 

「で、ですが……モレソージャン様……あうっ!」

 

「たわけっ!我輩の事は旦那様、もしくはジェット様と呼べと言っておるだろうが!」

 

「申し訳ありません!モ……ジェット様!」

 

 

遥か昔に、何処かで聞いた事のあるやり取りである。

エ・ランテルが誇る天才画家、ジェットの邸宅で毎日のように行われているやり取りであった。

怒られても一向にめげない女性使用人も、結構良い根性をしている。

 

実際、門前払いしても仕方がない程にジェットは多忙であった。

ティアに依頼された「私の王子」というふざけきった絵。あの絵が評判を呼び、依頼が引っ切り無しに舞い込んで来るようになったのだ。―――何せ、描いた人物が時の人である。

アダマンタイト級冒険者からの依頼でもあった為、その重みはジェット本人が知らぬ間にトンでもない規模となって世間へ喧伝されてしまったのだ。

 

 

(あの小娘め……!余計な仕事を増やしおって……!)

 

 

あの絵はティアが持ち帰った為、「もう一度描いてくれ」との依頼が後を絶たない。

ジェットからすれば噴飯ものである。

だが、性格はともあれ紛れも無い天才画家であるジェットが、ティアの執拗とも執念とも言える注文に応えた絵の出来栄えは、まさに“神がかった”ものであった。

 

実際にそれを見た人々が次々に口コミで広めていった為に、今では王国一との評判まで得るようになったのだ。無論、それはジェットの本意ではない。

 

 

(何が大英雄か……野蛮人の親玉のようなものではないか)

 

 

彼は自らの腕と、自らの才を恃みとして世に立っている。

何かの“追い風”のようなものを受けて評判が高まるなど、片腹痛いと思っているのだ。芸術家にままあるタイプの、非常に厄介な捻れ方をした人物と言って良い。

 

 

「ですが、噂の大英雄様の魔獣を描いて欲しいとの事で……」

 

「……本人も来るのか?」

 

「そのようです。くれぐれも、失礼のないようにとの事でした」

 

「チッ、馬鹿馬鹿しい……」

 

 

一言、ジェットが吐き捨てる。

 

 

「少しばかり強いのか、魔法が使えるのか、一体それがどうしたというのか。力ある存在など、いずれ消え行く空虚な存在に過ぎんではないか」

 

「ですが、この街を救ってくれましたよ?」

 

「たわけが……力など所詮は一代のもの。優れた芸術は何百年、時には千年の時間すら越えて世に残るのだ。どちらが上で、どちらが確かなものであるのか、言うまでもあるまい」

 

「ぁ、今の台詞は少しだけ格好良かったです」

 

 

その言葉に、「フフン」とジェットが得意気に笑う。

実際、それこそが彼の信念なのだろう。それは芸術家と言われる職業の者としては立派と言えたが、とても世間で生きていけるようなタイプではない。

形こそ違えど、この男もガゼフ・ストロノーフと同じく“世渡り”が出来る男ではなかった。

 

 

「ぁっ、大英雄様が来られたようです!」

 

「魔獣などに家へ入られてはかなわん。庭にでも通しておけ」

 

 

こうしてジェットは絵のモデルとなった人物と、遂に出会う事となった。

そして、この出会いが―――

彼の人生を、数奇なものへと変えていく事になる。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

客に対する容儀を整え、ジェットが表へ出る。

途端、目に入ったのは途方も無い大魔獣であった。ジェットはハムスケを連れての凱旋の時も、パレードにもまるで興味が無かったので、これが初見である。

見上げるような途方もない巨体に、深い叡智を湛えた瞳、美しい毛に、刻まれた紋様。足が震えるような恐ろしさはあったが、ジェットから見ればどれも芸術として超一級のものであった。

 

 

(こ、これが森の賢王……!そう呼ばれるのも、むべなるかな……)

 

 

そして、その主は庭に置かれた白い椅子に腰掛け、テーブルに置かれた紅茶を悠々と飲んでいた。その目は庭の風景を楽しんでいるようでもある。木漏れ日が反射する中………どういう訳か、白と黄金で出来た服が、風景に違和感無く溶け込んでいたのだ。

 

 

「素晴らしい庭ですね」

 

 

そう言いながら立ち上がり、振り返った顔に、ジェットの魂が悲鳴を上げた。

彼は自分の“小煩さ”を知っている。鼻持ちならない人物であると思われているのも。

これまで彼の審美眼に見合うだけのものなど、この世に存在しなかったのだから。あらゆる物が、人が、全て自分より劣ったものとしか映らなかったのだ。

 

 

 

だが、たった今―――――“究極の芸術”と出会ってしまった。

 

 

 

「そ、その大魔獣を描くには余りにもみすぼらしい庭でしょう……すぐに場所を変」

 

「ここで構いませんよ。申し遅れましたが、私はモモンガと言います」

 

 

モモンガの注文は至極、簡単なものであった。

組合への登録用ではあるが、「自分と魔獣を一枚の絵として描いて欲しい」というもの。大魔獣だけでなく、この人物も絶対に描きたいと思っていたジェットからすれば願ったり叶ったりである。

 

 

こうして、筆の動く音だけが耳に入る、静かな時間が始まった―――

 

 

「ポーズなどはどうしましょうか?」

 

「どうかお気にならさず……自由にして頂いて構いません。既に“出来上がって”いますので」

 

 

モモンガには分からない。書き始めたばかりなのに、出来上がっているとはどういう事なのか。

だが、ジェットの筆は全く止まらず、氷の中に火を宿したような形容しがたい目で自分達を見ており、迂闊に声すら掛け辛い雰囲気であった。

余計な口出しをして仕事の邪魔にならぬよう、モモンガも腹を括る。

 

 

(いつか本で読んだ、ピクニックみたいだな)

 

 

紅茶と出された茶菓子を楽しみながら、モモンガが庭へと目をやる。

小さいながらも整った、落ち着く風景であった。大仰なものでなく、自分にはこれぐらいのスペースが落ち着くのだろう。使用人の女性も随分と気が利いており、紅茶が冷めればすぐに淹れ直し、様々な茶菓子を出してくれる。

 

 

「良い天気でござるなぁ……某は眠くなってきたでござるよ」

 

「お前は食べて寝てばかりだな」

 

「食べて寝るのは生物の一番大切な仕事ではござらんか~」

 

「う、ん……?そう、なのか……そう言われればそんな気もしてきたけど……」

 

 

遂にハムスケが足元で丸くなり、惰眠を貪りはじめる。

その間も筆はどんどん進んでいるらしく様々な絵の具が搾り出され、何十本もの筆が入れ替えられながら白い画布へ向かっていく。

 

 

(これが絵師さん……いや、画家って人達なのか……)

 

 

世界の全てが、データやデジタルの世界で生きてきたモモンガにとっては新鮮ではある。カメラや写真が当たり前の世界では、本格的な絵画というものはほぼ絶滅した文化と言って良い。

何処でもボタンを押せば一瞬で全てを写せるというのに、とんでもない労力をかけて筆で一から描写する理由も余裕もない世界だったのだから。

 

 

(でも、こんな世界に来たんだから思い出の一枚ぐらい残したいしな……)

 

 

平たく言えば、人の手による手作りっぽいものが欲しくなったのだろう。

旅行先などで、ままある事だ。

こうして幾許かの静かな時間が過ぎ―――――絵が完成した。

ジェットは完全に燃え尽きたのか、顔色は蒼白となっており、肩で息をしている。それだけ、全身全霊を集中して描ききったのであろう。

 

 

「これは……素晴らしいですね!」

 

 

絵を見た瞬間、モモンガが手放しで称賛する。

彼は芸術に深い造詣などがある訳ではないが、この絵が素晴らしい出来栄えだという事ぐらいは分かる。緻密なタッチで描かれたそれは、まるで風景を切り抜いたかのようであった。

 

そこには柔らかい笑みを浮かべたモモンガが椅子に腰掛けており、足元にはうつ伏せになっているハムスケの姿が描かれていたのだが、モモンガが気に入った部分は絵の全体図として、とても落ち着いた雰囲気であったという点だ。

何やら“偉人”のように威風堂々と描かれたりしたら、完全に赤面ものである。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

大英雄が何度も礼を述べながら去った後、ジェットは放心したように庭で佇んでいた。

何もやる気が起きない。しようとも思わない。

ジェットは思う。

 

 

これは一時的なものではなく、半永久的なものであると―――

 

 

会心の出来栄えとも言える作品が完成した後、こうした事はあるにはあったが、今回のはそんな軽いレベルではなく、画家としての“死”すら感じていた。

自分から漂う気配に、あのクソ生意気な使用人すら戸惑っているようだ。

 

 

「と、とても良い出来栄えでした、ね……旦那様。い、いえ、今までで一番でした!」

 

 

その言葉が、とても遠い。

良い出来栄えだったからこそ、一番の出来栄えだったからこそ、“死”が訪れたのだ。

何と馬鹿な話だろうか。生涯で最高の作品だと確信出来るものを描いてしまった。

なら、これから何を描けば良い?

今後、何を描こうと全て劣化した作品にしかならないではないか。

 

 

「皮肉なものだ……生涯最高の作品を完成させるという事は、画家として死を迎えるのと同じ意味であったのだな。我輩は、そんな事すら知らずにいたのか」

 

「旦那様……」

 

 

両目から涙が溢れてくる。

それは悲しみであったのか、喜びであったのか、それすらも分からない。

ただ、胸には揺るぎ無い達成感と、ぽっかり空いた穴のようなものがあり、相反する二つの気持ちに揺れるまま、涙が枯れるのをただ、幼子のように待ち続けるだけだった。

 

 

後に組合からジェットへ届けられた報酬額は、白金貨100枚という馬鹿げたものであった。気持ち程度の上乗せ、と言われたアインザックが組合の金庫を空にして届けたものである。

エ・ランテルを救った金額として考えるならまるで足りないだろうが、そこはもう誠意を見せるしかない、とアインザックが腹を括った結果であった。

 

しかし、この絵こそが大英雄が生涯で唯一、描かせた絵であった為、その価値は計り知れないものとなっていく。スタートから白金貨100枚という浮世離れした絵であったが、すぐさまそれが何倍、何十倍と価値が釣り上がっていき、遂には「一国に値する」と称されるようになっていく事となるが……。

 

 

 

高まる評判に反するように、この日をもってジェットは筆を置いた―――

 

 

 

彼が再び筆を握るのは、数十年後の事となる。

世界で唯一、「大英雄の描き手」と呼ばれる事となる、数奇に満ちた彼の生涯であるが、それを語るのはまた別の日にしよう。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

「絵というのはよく分からんでござるなー。某はもっと雄々しく描いて欲しかったでござるよ」

 

「ははっ……あの姿こそ、お前の本質を突いてると思うよ」

 

 

モモンガが絵を思い出しながら、柔らかい笑みを浮かべる。

この世界の人達からすれば恐ろしい魔獣かも知れないが、自分からすれば食べているか寝ているか、の印象が一番強い。おまけに侍言葉で話す大きなハムスターときてる。

 

のんびりとうつ伏せになって、つぶらな瞳を向けていたハムスケの絵は、自分の中のハムスケ像にピッタリと合う素晴らしい内容だったと思うのだ。

 

 

(さて、これからどうするか……)

 

 

エ・ランテルの街を闊歩しながら、これからどうするかを考える。

王宮から招聘されている事を考えるなら、やはり王都へと向かわなければならないだろう。

 

 

 

「見て、お姉ちゃん!凄い魔獣が居るよ!」

 

「見、見ちゃダメ……食べられるよ……!」

 

(……ん?)

 

 

 

見ると、幼い女の子二人がハムスケを指差して震えていた。

エ・ランテルの人達はもうハムスケを見慣れているので、こう言う反応は久しぶりかも知れない。

 

 

「殿、あの反応を見て下され!やはり、某の威容に慄くのが正しい姿でござるよ~」

 

「子供相手に恐れられてどうするんだよ……」

 

 

と言うか、子供から見れば着ぐるみみたいで可愛いと思うんだけどな。

大きなハムスターとか、マスコットとか漫画とかでも居たような気がするんだけど。

 

 

「大丈夫、ハムスケは人を食べたりしないよ―――――」

 

 

子供を怯えさせぬよう、笑みを浮かべながら言ってみる。

途端、二人の子供が赤面し、その後、目を輝かせながら寄ってきた。

 

 

「じゃ、じゃぁ……さ、触っても平気……?」

 

「あぁ、大丈夫だよ」

 

 

恐る恐る、といった手付きに噴き出しそうになる。

確かに、子供の頃は大きな犬に触るだけでも相当な恐怖があったのを思い出したのだ。この世界で言えば、ハムスケはドーベルマンどころか、虎やライオンなどに近いのだろう。

 

 

「お、大きい……それに固い!」

 

「カチカチだよ!」

 

 

う、うーん……何だろうか、この居た堪れない空気は。

ハムスケの毛の固さについて言ってるだけなんだろうけど、何だか微妙な雰囲気が……。

いや、俺の考えすぎか……。

 

 

「お兄ちゃんのも触って良いかな……」

 

「な、何言ってんのさ!ダメだよ!」

 

「えぇ、キラキラした服……触りたい……」

 

「ぁ……ふ、服ね!あはは……」

 

 

頭に純銀の鎧を着た聖騎士が浮かび、冷や汗が流れる。この場に居たら手錠を掛けられていたかも知れない……と言うか、この子らややこしい言い方しすぎなんだよ!

 

 

 

―――その子達から離れなさい、性犯罪者!

 

 

 

「ちょ、誤解ですから!この子達はハムスケの……!」

 

 

声のした方を見ると、軽装に身を包んだ女騎士が居た。

長く伸びた金の布のような髪が顔半分を隠していたが、とんでもない美人である事は一目瞭然だった。こんな美人から性犯罪者呼ばわりされるとか、どんな罰ゲームだよ!

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

―――レイナース・ロックブルズ。

 

 

帝国の四騎士とまで世に謡われる彼女であったが、その気分は暗鬱たるものであった。

モンスターを討伐した際に負った呪いが、顔半分を覆うようになって久しい。

呪いをかけられた顔は膿を分泌し、定期的にハンカチで拭わなければまともに生活する事すらままならない、歪な人生となってしまったのだ。

 

貴族の令嬢として何不自由ない生活から一転し、醜聞を恐れた家からは追放され、醜く歪められた容貌に婚約者も逃げ出した。

皇帝の力も借りて家と婚約者には復讐を果たしたが、残ったのは虚しさだけである。彼らに復讐をしたところで呪いが解ける筈もなく、自分の堕ちた人生は何一つ変わらなかったのだから。

 

 

(私は、何をしているんでしょうね……)

 

 

子供二人を王都へ届ける、という意味不明の任務を受けたのも、相手がフールーダ・パラダイン翁だからこそだ。かの翁なら、呪いの解呪方法をいつか見つけてくれるかも知れない、と言う淡い期待があったからである。

 

実際、翁はこの呪いに興味を示し、様々な文献を漁って調べてくれている。

それを考えれば、どんな理不尽な指示であっても翁の機嫌を損ねるのは甚だ不味い。

 

 

(クーデリカとウレイリカ、か……)

 

 

フォーサイトというワーカーに所属する、メンバーの妹。

翁は自分の元弟子の妹であると言っていたが、他に碌な説明をしようともしなかった。魔法が絡むと相変わらずの困った人である。

一方的に役人へと指示を下し、一秒の時間すら惜しい、といった態度でその尻を叩きに叩き、瞬く間に行政処理を終えてしまったと聞いた。

 

借金の清算や、親との義絶など本来はそれなりに時間のかかる案件なのだが、帝国で翁の言葉に逆らう者など居る筈もなく、一瞬でそれらが終わり、自分へと鉢が回ってきたのだ。

 

 

(とは言え、良い骨休めになっているのかも知れない……)

 

 

自分を見れば怖れ、何か呪いが伝染するかのように怯える連中に囲まれての暮らしは、余りにも辛すぎた。何処にも救いがない日々の中で、天真爛漫な子供との旅路は決して悪いものではなかったと思う。

 

 

(でも、何故王国にいらっしゃるのか……)

 

 

何か情報でも探っているのか、破壊工作でもしているのか。

それとも、あの皇帝の指示で王国に騒ぎでも起こそうとしているのかも知れない。ただ、そのどれもが翁の興味を引きそうにないものばかりなのだ。

 

自分と翁の間には別段、深い付き合いなどはないが、あの翁が魔法に関する事以外で、能動的に動く事などありえないという事ぐらいは分かる。

 

 

(ともあれ、二人に食事を……)

 

 

こうして彼女は、運命の王子様と出会う事となった―――――

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

深い叡智を感じさせる、見上げるような大魔獣。

それに騎乗する男が慌てながら振り返った時、余りの美しさに嫉妬で焼き焦がされそうになった。

この呪いを受けてから、美しいものが憎くて憎くてしょうがないのだ。

全てを叩き壊して、歪に変えてしまいたくなる。

 

 

だが―――この人は―――

 

 

(わ、わたしは……とんでもない事を……!)

 

 

冷静になって考えれば、このような大魔獣に騎乗する人物が犯罪者である筈もない。

それに、身に纏っている途方もない服はどうだ!全身から光が溢れ、マントに至っては太陽の光を反射して、七色の光まで放っていた。

 

 

(性犯罪者などと、とんでもない事を……)

 

 

幼い子供に怪しげな言葉を言わせていたから、つい激高してしまったが、取り返しがつかない。

自分の言葉に怒りを感じているのか、彼は胸と目に手をあて、こちらへ鋭い視線を向けたかと思うと、遂には大魔獣から降り、こちらへと近づいてきた。

 

 

「も、申し訳ありません……私の勘違いでした。非礼を深く詫びます」

 

「お前の名は―――?」

 

 

敵地で、自分の名を名乗るのは憚られた。

それ故にいつものフルプレートの鎧も脱ぎ、冒険者風に変装してこの街へと入ったのだ。だが、この光り輝く男性の前で嘘偽りを述べる事は恐ろしく苦痛であった。

往来で突然起きた騒ぎに、周囲の人々も何事かとこちらへ視線を注いでいる。

 

 

「レ、レイナース……ロックブルズ、です……」

 

 

言って、しまった……。

もしかすると、この中には自分の名を知る者も居るかも知れない。帝国の四騎士が王国領に居るともなれば、大きな騒ぎにもなり兼ねないだろう。

 

 

「お、お兄ちゃん!レイナースさんを怒らないであげて!」

 

 

子供たちの声が遠くから聞こえたが、自分の頭は真っ白のままであった。

余りにも失態を重ねすぎた。

こんな騒ぎとなっては、この子達を届ける任務すら覚束ないではないか。

 

 

 

「レイナース・ロックブルズ―――貴様、“憑いて”いるな?」

 

 

 

男性の手が伸び、自分のアゴを掴む。

そして、もう片方の手で腰を力強く引き寄せられた。

 

 

(ぇ……)

 

 

ちょっと、待って……この体勢は……。

当初は殴られるのかと体を固くしたが、今ではもう粘体のモンスターのように腰砕けであった。

近い……近い、近い、近い!全然嫌じゃない!どうしよう?!

 

そして、その美しい唇がおでこに触れた時―――

悪しき呪いが“断末魔の悲鳴”を上げたのを確かに聞いた。同時に、いつも顔を覆っていた不快感まで消えたのだ。

 

周囲からどよめきと喝采が起き、慌てて顔に手をやると、いつもの不快な感触が完全に消えているではないか。それでも信じられず、急いで手鏡で確認する。

 

 

鏡に映っているのは―――――元の自分の、素顔であった。

 

 

「~~~~~~~~っ!」

 

 

声にならない声が出た。それは絶叫であったのかも知れない。

周りからはおかしな目で見られるだろう。だが、それがどうしたというのか。

自分を苦しめ続けてきた呪いが、人生を台無しにしてくれた根源が、跡形もなく消えているのだ!

 

 

―――――ごく自然に、涙が零れた。

 

 

良い大人が、世に四騎士などと謡われている自分が、それも敵地で、泣きに泣いた。

笑われても良い。後ろ指を指されても良い。

今だけは、どれだけ恥ずかしい女になっても構わない―――

 

 

押し寄せてくる感情に流されるままに、まるで泣く事を楽しむようにして、泣いた。

 

 

気付けば、クーデリカとウレイリカが心配そうな顔で自分の両手に抱き付いている。

この子達からすれば、何故自分が泣いているのか分からないのだろう。だが、何かを感じたのか、慰めようとしてくれているのかも知れない。

 

 

「大丈夫、私は、平気、だから……」

 

 

何かを言おうとしたが、まるで言葉にならなかった。

これではどちらが子供か分からない。

何も言えずに俯いていると、目の前に影が差し、ハンカチを差し出されていた。彼の表情は何処までも透き通っており、泣き顔を晒している事が今更ながら恥ずかしくなってくる。

 

 

 

「レイナース―――――女の子は笑った方がいいな」

 

 

 

その言葉に、心臓が押し潰された。

笑うべき事に「バン!」と耳にハッキリ聞こえる程の音が聞こえたのだ。いや、破裂した。

顔に血が集まってくるのと同時に、自分の運命が大きく変わった事を強く自覚する。

自分はこの方と出逢う為に、ここへ来る定めだったのだ。そうに決まっている!

 

 

「どうか、貴方の名をお聞かせ願えませんか……」

 

「えっ……あ、あぁ、私はモモンガと言います」

 

 

モモンガ様……名まで尊く、美しいとはどういう事なのだろうか。

この方に出会う為に、これまでの苦難があったのだと今なら強く信じられる。むしろ、呪いを受けていなければこの方に出逢えなかった事を思うと、呪いにまで感謝したくなってくる程だ。

 

 

 

「私、レイナース・ロックブルズはこの時より―――“貴方の騎士”となる事を誓います」

 

「えええええええっ?!」

 

 

 

こうして大英雄は多くの人間を笑顔にしたり、泣かせたりと騒ぎを起こしつつ、王都へと向かう事となった。王宮でも彼の存在は大きな騒ぎとなるに違いない。

王宮に巣食う貴族達は驚愕し、そして、痛感するだろう。

 

 

“歴史”というものを紐解けば。

 

その多くが―――――“たった一日”で変わるものだという事を。

 

 

 

 




色んな涙と笑顔を溢れさせながら。
物語は再び、王都へ―――




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