OVER PRINCE   作:神埼 黒音

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凛として咲く花の如し

―――リ・エスティーゼ王国 王城

 

 

この日は朝から祝賀ムード一色であった。

朝から大小問わず多くの貴族が王城へと集まり、様々な楽器が美しい音色を響かせる中、和やかに談笑が行われている。痛快といった顔もあれば、ひそひそと声を潜めている者も居る。

朝から贅沢な音楽付きの賑やかな祝勝会、昼には大英雄が登城し、夜には盛大な舞踏会―――

 

まさに貴族達からすれば死活を賭けた一日である。限界まで己を飾り立て、虚勢を張り、自らの影響力を高めるか、自らを売り込むか。

このような場で失態や恥を掻くような事があれば、もはや社交界には戻れない。

それは、貴族としての“死”である。

 

 

誰もが笑っているが、その目は笑っていない―――不可思議な空間であった。

 

 

大広間には数え切れない程の飾り立てた女性が犇いており、その装いの華やかさや彼女たちを彩るように輝く宝石の煌びやかさはこの世のものとは思えない。

八本指が消滅し、多くの動乱が終息した事もあって、この世の春と言わんばかりの光景であった。

だが、そんな煌びやかな中でも、異様に静かな場所が二つある。

 

その一つに多くの貴族がチラリと目を向けるが、すぐにその目を逸らす。

中には嘲笑うように鼻で笑う者もいれば、勝ち誇るようにニヤニヤと笑う者もいる。視線の先にあるのは―――六大貴族の筆頭とまで目されているレエブン侯であった。

 

現在の領地を返還した上で、公が新たに辺境領を賜る。

先日、そんな衝撃的なニュースが王国内を駆け巡ったのだ。

辺境領と言えば聞こえは良いが、元々レエブン侯の領地は王都の隣とも言える、最も豊穣で肥沃な土地である。その領地を手放して新地へ赴くなど、左遷以外の何物でもない。

 

既に内々ではアーグランド評議国付近の領主達は、レエブン侯が居た領地への鞍替えが決定している。他国に接する北の大地と、肥沃で安全な中央の大地。比べるのも愚かしい程の差があった。

現に中央への“栄転”が決まった北方の貴族達は、降って湧いたような幸運に酔い痴れている。

どれだけの権勢を誇った大貴族であっても、失脚する時は失脚するものであり、明日は我が身と怯える者もいたが、多くが目の上のタンコブが消えたと小躍りしていた。

 

 

曰く、大きな失態を演じた。

曰く、反逆を事前に抑えられた。

曰く、侯の息子にラナー殿下を降嫁させようと画策したが、失敗した。

曰く、帝国への内通が密告された。

曰く、両派閥より愛想を尽かされた。

曰く、水面下で行われている政争に大敗した。

 

 

数え切れない程の噂が流れていたが、要約すれば「蝙蝠の末路よ」と嘲笑う者が多かった。

実際、表向きの彼は蝙蝠と称される行動を取っていたが、それは両派閥のバランスを取る為であり、本当の蝙蝠ではない。心底そんな男であるなら、貴族らの頂点に立てる筈もない。

当然、それらの噂を流したのはレエブン侯本人であり、踊らされているのは周囲である。

 

ラナーの策謀と、レエブン侯の政治力が両輪となり、“馬車”は恐ろしい速度で駆け抜けた。

本気になったこの二人を前にしては、貴族連中をあしらうことなど赤子の手を捻るようなものである。

 

権勢を誇っていた頃のレエブン侯の周りは黒山の人だかりであったが、今は醜聞と連座する事を怖れているのか、誰も近寄ろうともしない。

ポッカリと人が空いた寒い壁際で、レエブン侯がグラスの中身を飲み干す。

朝から遠慮なく、アルコールであった。

 

周りから見ればそれが余計、ヤケになっているようで嘲笑を誘っているのだが、レエブン侯はそんな事などまるで気にもしないように、更にメイドを呼んでワインを注文する。

今日の彼は、朝から晩まで飲み続けるつもりだ。

 

 

(馬鹿に、屑に、アホに、出涸らし、よくぞここまで揃いに揃ったものよ……)

 

 

これが、愚かな貴族どもとの―――“最後の晩餐”になるであろう。

飲み干すワインの一つ一つが、彼なりのレクイエムなのである。

そんなレエブン侯へ、ワインを差し出す男が居た。

 

 

「ほぅ、これは我が国が誇る英雄、ガゼフ・ストロノーフ殿ではないか。私の姿を嘲笑いにきたのかね?遠くからでなく、近くで見たいとは戦士長殿も中々、人が悪くなったようだ」

 

「私は、貴方に詫びねばなりません」

 

「おやおや、何をおっしゃられているのか。それより、秘蔵のワインがあるのだが、どうかね?領地で作らせた試作品なのだが、中々に味が良くてな」

 

 

まるで酔っ払いの会話であった。

また、この男には不思議と酔態もよく似合う。

 

 

「ラナー殿下より、貴方の事を噛んで含めるように聞かされたのです。貴方は、蝙蝠などでなく、この国を想うお人であった」

 

 

言いながら、ガゼフもワインを飲み干す。

朝からこの男が人前で酒を飲むなど、珍しい事だ。今日ばかりは多くの貴族が私兵を詰めさせている為、警護の任から外されているという事もある。

無知蒙昧な平民の警護など要らん、という事であろう。

 

 

「ハハッ、そんな事だから君は王宮で生きていけんのだ。殿下の語った私の姿など、ただの一面に過ぎんよ。私は国を想ったのではなく、我が息子を想えばこそ必死であったのだ」

 

「だからこそ、です」

 

「ん―――――?」

 

 

レエブン侯から見たガゼフ・ストロノーフとは、まるで世渡りの出来ぬ男である。剣の腕前がどれだけあろうと、そんなものは黄金と虚飾と策謀に満ちた王宮では何の役にもたたない。

現に彼の政治的センスや配慮などは壊滅的であると言えた。

しかし、レエブン侯の思っていた反応とは少し違う。

 

 

「言葉を飾らずに言えば、私は貴族の事を化物のように思っていた。自身は何事も為さず、何ら恥じる事なく民草を絞り続ける、モンスター以上のモンスターであると」

 

「ふむ、君の言は間違ってはいないさ」

 

 

レエブン侯が冷めた目でガゼフを見る。

そんな当たり前の事を、何を今更といった表情であった。ガゼフの言はある意味正しいが、それがこの国においては社会であり、またシステムでもあったのだ。

 

 

「家族の為に懸命に足掻く……それは化物ではなく、人間の姿だ。貴方は、“人”であった」

 

「―――――アッハッハッ!」

 

 

遂に耐え切れず、レエブン侯が笑い出す。

何を言い出したかと思えば、最後には「人であった」である。貴族社会で生きていたレエブン侯からすれば、信じ難い程の口下手であり、無骨すぎる内容であった。

だが、ガゼフからすればこれが精一杯の言葉だったのであろう。

 

 

「戦士長殿、見ると良い―――これが、黄金と虚飾の“最期”だ」

 

 

レエブン侯がアゴを振り、大広場で楽しそうな声を上げる貴族達を指す。

ガゼフも黙ってそれらの光景を見た。周囲からすれば没落した蝙蝠と、社交界ではまるで見向きもされない、剣しか知らぬ愚か者の二人組である。

周囲はお似合いだと嗤っていたが、彼ら二人こそが―――この場における勝者であった。

 

 

 

「帝国でも貴族など消えつつある。遠からずあの鮮血帝が全ての貴族を消し去るだろうよ。それすらも時代の流れに過ぎん。時代の“うねり”が―――――全てを押し流す」

 

 

 

レエブン侯の口調は冷めていながらも、僅かに憐憫も含まれている。

それは彼ら個人個人にではなく、過ぎ行く“時代”に対するものであったのかも知れない。

 

 

「かの男が、一つの時代を終わらせた―――」

 

「―――ですが、そこから生まれるものもある筈です」

 

 

ガゼフの切り返しに、レエブン侯が少し考え込むようにグラスの中身を揺らす。

琥珀色の中で、氷がキラキラと舞うように踊っていた。

 

 

「あの男は、王だ。それも、生まれついての稀代の王だ」

 

「……それは悪しき事なのでしょうか?」

 

 

ガゼフの言葉に、今度はすぐさまレエブン侯が答える。

考えるまでもない内容だった。

 

 

 

 

 

「この国には―――――“あだたぬ”男だ」

 

 

 

 

 

酷く断定的な“それ”は、ガゼフに二の句を継がせなかった。

レエブン侯はそれだけ言うと、話は終わったと言わんばかりにグラスの中身を飲み干し、更に手元のワインを引き寄せた。まだまだ飲むつもりなのだろう。

ガゼフも神妙な面持ちで考え込んでいたが、差し出されたワインに慌ててグラスを合わせる。

 

 

「さて、後は待とうではないか―――“舞台の主役”を」

 

「そうですな」

 

 

二人がグラスを合わせ、透き通った音が響く。

それは新たな時代の始まりでもあり、一つの時代が終わった事を示すものでもあった。

 

 

 

 

 

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華やかな祝勝会の中、もう一つ―――異様な静けさを保っている集団がある。

スレイン法国の六大神官長であった。

王国の、それも王城に彼らが居るなどありえない光景であったし、今後もこんな光景は二度と見られないであろう。表向き、彼らは法国よりの使節団という事になっている。

彼らがどれだけの地位に居る者なのか、一部を除いては誰も知らずにいた。

 

隣国がモンスターの襲撃を“立て続けに”退けた事を寿ぐという名目になっており、その点では不思議ではない。だが、彼らは一様に「辞儀は不要」と周囲を退け、静かな目で広間を見渡している。

そこには祝賀ムードなどは一切なく、華やかな大集団の中において完全に浮いていた。

 

この大祝賀というべき雰囲気の中で、こんな辛気臭い集団に近付く物好きなど居る筈もなく、神官長だけでなく、それに付随してきた面々も静かに水を飲むばかりであった。

 

神官長達が身分を隠し、他国へ赴くなど本来ありえない事なのだが、神の御姿を一度で良いから見たい、というある意味、子供っぽい動機が原動力となっており、いざ動き出した時の法国の行動力は凄まじいものがあった。

 

現に何食わぬ顔をして祝賀会へと顔を出しながら、既に彼らはエ・ランテルの接収に動いている。

普段は気の長い彼らだが、いざ動き出すと稲妻のようであった。

 

 

―――彼らは黙し、何も語らない。

 

 

その心中には何が浮かんでいるのか、何を考えているのか。

神ならぬ身には、誰も分かりはしないのだ。

 

 

 

 

 

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―――王都最高級宿屋 「大英雄」

 

 

レイナースが二人の子供をアルシェへと届け、室内は一気にお祝いムードが広がった。

この時代、長い旅路というのは大変な苦労が伴うものだ。

アルシェは涙を流して何度も感謝を述べ、“姉妹”が揃った姿にニニャも泣いた。

 

 

「しかし、尊き師と巡り合うとは……何たる運命である事か!」

 

「はい、間違い無く運命でありました。あの方こそ―――マイロードであります」

 

「うむ、当然の事じゃな。師の身辺を守る騎士を探しておったが、うってつけであるわ」

 

 

帝国の四騎士の一角がいつの間にか寝返っているのだが、フールーダはむしろ、それが当たり前であるという態度であった。流石に皇帝は泣いて良い。

マイロードという言葉にニニャとアルシェは顔を引き攣らせたが、ニニャがアルシェの袖を引き、何事かを耳打ちした。それを聞いていたアルシェの顔も真剣なものとなっていく。

 

 

「僕達は蒼の薔薇に対抗する為にも、こちらも“陣営”を作るべきだと思うんです」

 

「……でも、向こうはアダマンタイト級冒険者の集団」

 

「えぇ、ですので僕達はフールーダ閥とも言うべきものを作って、対抗するべきです」

 

「……理に適ってる。大きな集団に個で挑むのは愚か」

 

 

蒼の薔薇は余りにも―――強すぎた。

個々の力だけでは無く、その抜群のチームワークや殲滅力は、王都での動乱やエ・ランテルの戦いで凄まじい力を周囲へと見せ付けたのだ。

いかに才能があるとは言え、ニニャやアルシェが個人で挑むのは無謀すぎるだろう。

 

 

「マイロードより、翁へ伝言があります」

 

 

その言葉に、室内の空気が止まり、時間までも止まったかのような様相を呈した。

静謐という言葉を体現した空間に、レイナースの鈴のような声が鳴る。

 

 

《私の恩人であるニニャさんだけでなく、ニニャさんのお姉さんや、アルシェさんの面倒も見て貰っているようで、感謝しています》

 

 

「との事ですが、翁に」

 

「ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉぉッ!」

 

 

レイナースの言葉を遮るようにフールーダが雄叫びを上げたが、其々がその言葉を噛み締めていた。ニニャは嬉しそうにはにかみ、アルシェもニッコリと笑顔だ。

ツアレも洗濯物を畳みながら頬を赤くしていた。一番騒いでいたのはフールーダであったが。

 

 

「近々、翁に頼みたい事がある―――との事でした」

 

「おぉぉ!この老体で良ければそんなもの、いつでも!今でも!どのような事であっても!」

 

 

帝都を火の海にしてこい、とでも言われれば即座に実行しそうな勢いであった。

そろそろ皇帝はキレて良いだろう。

 

 

「で、肝心の師はいずこに居られるのか……?」

 

「王城へ―――マイロードの前に、万人がひれ伏す事でしょう」

 

 

レイナースはそう言って笑みを浮かべたが、主から離れている状況に歯噛みしていた。

流石に帝国の四騎士が王城へ入れる筈もなく、すわ暗殺かと大騒ぎになるであろう。主の一世一代の舞台を自らによって台無しにしてしまう訳にもいかず、レイナースの心は千切れそうであった。

 

 

 

 

 

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―――王城の一室

 

 

(はぁ……遂にこの日が来ちゃったか)

 

 

モモンガは憂鬱な気分で鏡の前に立っていた。

これから行く大広間には百官悉くが並び、満座の中で“王様”などというものから褒賞されるのだ。

モモンガの会社にも良い成績を収めた者に“社長賞”などが贈られる事があったが、次元が違う。

 

 

(褒められに行く筈なのに、何故か罰ゲームのようにしか思えないんだよなぁ……)

 

 

この世界の住人からすれば王から称えられるなど、この上もない名誉ではあったが、モモンガからすれば厄介な案件でしかない。とはいえ、彼の立てた功績は余りにも大きすぎた。

自業自得とも言えるマッチポンプも含まれていたが、彼の行動が多くの人間を救ってしまった事は紛れも無い事実なのだから。

 

今、モモンガの後ろでは固い表情をしたクライムが直立不動の姿勢で壁際に立っていた。

形状記憶合金で出来ているのかと思える程、その姿勢は揺ぎ無い。

 

 

「あ、あの……楽にして貰って結構ですから……」

 

「大英雄様の御配慮に感謝致します!」

 

 

見かねたモモンガが何度か声をかけるも、クライムは顔を真っ赤にして叫ぶばかりであった。彼からすれば、夢にまで見た大英雄が目の前に居る事に興奮しっぱなしである。

案内役をするように、とラナーに言われた時にはクライムは思わずガッツポーズを作ってしまい、その子供っぽい仕草を笑われてしまったものだ。

 

 

(これが……これが、大英雄!御伽噺も、どんなサーガも超えてしまった人!)

 

 

クライムの姿勢は微動だにしていないが、その心中は叫びっぱなしであった。

噂に違わぬ、などという次元ではなかったからだ。その姿は白と黄金の神秘的な服に包まれている。南方にあったとされる黄金国家の軍服であるらしい。

言葉に出来ぬ絢爛豪華さと、美麗さが合わさった、まさに天上の神々が遣わした秘宝であろう。

 

服だけでもそれであるのに、着ている人物など、もはや筆舌に尽くし難い。

一目見ただけで、魂ごと奪われるような魅力である。

見ているだけで尊さを感じ、幸福感すら感じてしまう。この方の為に死ねるなら、それは至上の喜びとなるに違いない。

 

その感情は何処か、ラナーに対する裏切りのようなものにも思えて、クライムは頭の中で七転八倒していた。生真面目なクライムらしい姿である。

 

 

「広間では、華やかな祝勝会が行われているようですね」

 

「はい、全ての方々が、大英雄様を称えたいと自発的に集ったそうです」

 

 

そんな訳はない。

多くがラナーの書簡によって集められたものであり、中にはレエブン侯の“失脚”に乗じて、何事か策謀を巡らしている者も居る。だが、クライムにはそんな事情など分からない。

 

彼はラナーが命じるままに動くし、ラナーが命じるなら火の中にも飛び込むであろう。

まさに忠犬といった姿ではあるが、謀でラナーを補佐出来るような人物ではない。また、そんな人物であったなら、ラナーはクライムという人物に興を引かれる事はなかったであろう。

対するモモンガも、謀という点においては褒められたものではない。

 

 

(はぁ……何だか忘年会に呼ばれる芸人みたいだよな……)

 

 

これである。

今日の主役であるというのに、モモンガにそんな自覚はない。この恐ろしい程の意識の差こそ、ある意味では彼の魅力を一段と輝かせている原因なのかも知れないが。

意を決したモモンガが部屋を出て、クライムの案内の下、大広間の扉の前に立つ。

 

途端、心臓が強く鼓動を打ち、目の奥からは弾けるように火花が散った。

俺を使え、俺を操れ、俺を出せ、俺を縦横無尽に駆使しろ―――

まるでスキルが、そう叫んでいるようであった。

 

 

(やれやれ、困ったら使わせて貰うよ……)

 

 

まるで宥めすかすようにして、モモンガはそれを抑える。

長い付き合いともあってか、最近では制御も自由自在であった。

本人からすれば困ったスキルではあるが、自由自在にそれらを駆使する姿など、周囲から見れば“完全無欠”の姿であり、もはや手に負えない人物である。

 

 

「大英雄様、用意は宜しいでしょうか?」

 

 

クライムが振り返った時―――そこには別人が居た。

先程までの美しくも、何処か優しい笑みが消え、戦場へ赴くような凛々しい武人が居たのだ。

だが、クライムと目が合うと大英雄はカラリと笑った。

そして、その口が開いたかと思うと、クライムの生涯を決定付ける台詞を吐き出したのだ。

 

 

 

「クライム君と言ったな――――いざ、“天下見物”と参ろうか」

 

 

 

大舞台を前にして、悠々とそんな台詞を吐けるクソ度胸にクライムは酔い痴れた。

大英雄が呵呵大笑する姿に、実直なクライムまでつい破顔してしまう。

 

 

―――この人に一生、付いていきたい。

 

 

衝動的に、そんな思いがクライムの胸中に吹き荒れる。そして、一度芽生えたこの火は、もはや消せそうにないとクライムは目が眩むような思いで“それ”を思った。

盛大な音楽と大英雄の紹介を告げる声が響く中、遂に大広間への扉が開く。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

扉が開き、大英雄が一歩足を踏み出した時―――

入り口の周辺に居た女性達から黄色い歓声があがり、遂にそれらが絶叫となった。

まるで人の声が津波となり、大広間へ巨大な波濤を叩き付けてくるような有様であった。

 

まだ大英雄を見た事がない貴族達は、まるで「値踏み」するように斜に構えて待っていたのだが、その姿を見て一瞬で腰砕けとなっていく。中には立っていられず、尻餅をつく者も居た。

それ程に、大英雄の存在は桁違いであった。

 

 

周囲の喧騒など、まるで目に入らぬ姿で大英雄が歩き出す。

 

 

歓声が響き渡る中、遂にその全身から、魂まで奪ってしまうような七色の星光が溢れ出した。人の目を惹き付けて止まない光がグラデーションを描き、全身を艶やかに彩っていく。

国をも堕とす美貌の中に、凛々しい武人としての姿まで備えた、完全無欠の姿である。

 

その神々しさは、軽く千人を収納出来る大広間を覆ってもまだ足りぬ程だ。古今東西、歴史を紐解いて見ても、これだけ絢爛豪華で魅力溢れる人物は居ないであろう。

後に、名も無い文官は大英雄の姿をこう記している。

 

 

 

 

 

その姿―――――凛として咲く花の如し、と。

 

 

 

 

 

法国の面々などに至っては悲惨であった。

元漆黒聖典第三席次のレイモンが「ヒゥッ!」と得体の知れない声を上げたかと思うと、その場で平伏し、号泣しはじめたのだ。光の神官長であるイヴォンなど、ニグンから様々に聞かされていたにも拘らず、余りの眩さにとうとう気絶し、周囲の者が慌てて抱き起こす始末となった。

 

周囲をまるで無視するように歩いていた大英雄であったが、法国の面々の独特とも言える服装を見て足を止める。そして、一言声をかけた。

 

 

「ゼットンは元気ですか?仕事をサボっていなければ良いのですが」

 

 

眩い笑顔と共に発せられた神々しい言葉に法国の面々が恐懼し、ただただ、平伏する。

返事が出来ないのは、全員が号泣していたからだ。

一声掛けただけだというのに、周囲の貴族達は法国の面々が羨ましいのか、容貌を醜く歪めていた。歩みを進める大英雄の前に、ガゼフ・ストロノーフの姿が目に入る。

 

 

「ガゼフさん、また後で」

 

「えぇ、お待ちしております」

 

 

大英雄とガゼフが、笑顔を交わす。

その親しげな姿に、今度は貴族だけでなく、法国の面々まで歯噛みした。

遂には玉座の前まで来るのを待ちきれなかったのか、ランポッサが立ち上がり、震える足を引き摺りながら大英雄へと近づいていく。もはや、どちらが王なのか分からない。

広間の中央でランポッサが折り崩れるようにして倒れ、大英雄がその手を優しく掴む。

 

 

「あ、貴方に、どれだけの御恩を賜った事か……全ては、私の」

 

 

最早、ランポッサの口からはまともな言葉が出ぬようであった。

王である事を示す、“余”という単語すら出てこない。

大英雄の前でランポッサははじめて―――――国を背負わぬ、一人の老人となってしまった。

 

 

 

「王たるもの、意のままに振る舞えぬこと、さぞ難儀であったでしょう。心中お察し致します」

 

 

 

その言葉と共に、大英雄の手がランポッサの痩せた肩を優しく撫でる。

遂に我慢の限界が来たのか、堤防が決壊したかのようにランポッサの顔が歪み、さめざめと泣き始めた。百官が居並ぶ中で、国王が泣く―――異様な光景であった。

だが、それを変だと思う者など誰も居ない。その事の方が、よほど異常な光景と言えた。

 

 

「モモンガ殿、私は貴方に王位を」

 

 

ランポッサの口から、溢れるように言葉が出る。

だが、言い切る前に大英雄の人差し指が優しく唇へと添えられた。

 

 

 

「王よ、私は国を獲りに来たのではありません。自身の“後始末”をしに来たのです」

 

 

―――――それは明確な拒絶。

 

 

 

スキルでも何でもない、モモンガの素の言葉であった。

彼は一度たりとも王国が欲しいと思った事などなく、権力に興味もない。ましてや、世界征服などとは無縁の存在であった。

何故なら、彼は何処まで行っても―――鈴木悟であったから。

そして、鈴木悟は思う。

 

 

(何だか、首が回らなくなった中小企業の社長さんみたいだな……)

 

 

かつての営業先にも銀行から融資が受けられず、明日にも倒産、首括り寸前といったところがあったのだが、目の前の老人から漂う雰囲気がそれによく似通っていたのだ。

 

とは言え、彼にそれをどうこう出来るような力はない。いや、実際にはありすぎる程にあるのだが、本人は自身が国を救えるような存在であるなどと考えた事もないだろう。

故に彼の口から出た言葉は至って平凡であった。

 

 

 

「法国の皆さんも良い方が多いですし、“力を合わせて”頑張って下さい」

 

 

 

彼の知る国と言えば、王国と法国だけである。

両国に知人が居るモモンガとしては、そんな平凡な言葉しか出なかったが、ランポッサは稲妻を受けたように体を震わせ、涙を流しながら何度も頷いた。

 

 

「モモンガ殿、貴方に礼を述べると共に、望むだけの物を何でも差し上げたい」

 

 

モモンガは密かに、その言葉に息を飲んだ。

王都への長い道中で流石に懐も寂しくなってきている。女性に支払いはさせられない、と童貞特有の見栄っ張りもあって宿泊費などはモモンガが出していたのだ。

 

 

(金貨を何枚か貰っても良いんだろうか……一応、働いたんだしな……)

 

 

給料、というものがモモンガの頭にストレートに浮かぶ。

かと言って、あれらの騒動は別に依頼を受けてどうこうしたものではない。王城の一角など、ものの見事にペイルライダーが破壊しており、それらを考えるとプラマイはどうなんだ、と益体もない事が頭に浮かんでは消えていく。

 

 

「モモンガ殿、貴方が望むのであれば、私はどのような財宝でも」

 

 

そんなランポッサの言葉に、モモンガがせめて金貨の数枚でも貰おうか、などと小市民な事を考えたが、スキルが格好付ける方が遥かに早かった。

 

 

 

「―――――そんな事より、一献くれまいか?」

 

 

(何言ってんだよ、お前!お金ないって言ってんだろッ!)

 

 

 

モモンガは胸中で叫んだが、その顔には男でも見惚れるような微笑が浮かんでおり、ランポッサはその微笑に心底から痺れた。自身とは桁の違う―――王の中の王である、と。

 

 

「貴方には財宝どころか、この国自体が小さすぎたのですな」

 

「え゛っ……いや、その……」

 

「皆の者!さぁ、大英雄殿を称える舞踏会を始めよう!今日ばかりは無礼講である!」

 

 

ランポッサが老人とは思えぬ大声をあげ、それを聞いた周囲から大歓声が上がった。モモンガは“給料”をねだるタイミングを完全に逸し、ぎこちない姿で周囲の歓声に手を振って応えた。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

(はぁ……どうしてこうなったのか……)

 

 

会場では音楽が鳴り始め、その響きと共にムードが高まっていく。

当然、一番の注目を受けているのはモモンガだ。

一体、誰が最初に彼と踊るのか。水面下で凄まじいやり取りが行われる中、一つの手がモモンガへと差し出される。黄金姫、ラナーであった。

 

今日のラナーは全身を清楚な白色のドレスで包んでおり、身にも宝石など着けていない。

であるのに、その輝きは周囲の女性達を完全に圧倒していた。

 

 

「王子、私と一曲踊って頂けませんか?」

 

 

モモンガは遂にこの時がきた、と思いながら覚悟を決める。

長い練習の成果が問われる時が、とうとうきたのだ。

 

 

「えぇ、私で良ければ」

 

 

とは言え、モモンガの胸中は複雑であった。

舞踏会で初めてダンスを踊るというのに、相手が一国の姫様とはハードルが高すぎだろ、と。

だが、ここまで大英雄などと持ち上げられて、ダンスが下手であったら赤っ恥も良いところである。

尤も、下手であったとしても周囲はそれを笑ったりなどしないだろう。

 

精々が「長く戦陣にあって、玉座に座っている暇も無かったのだ。むしろ雄々しき姿である」などと、恐ろしい程に好意的な解釈をされるに違いない。

どんな失敗も失言も、全て良いように解釈される―――まさにその姿は流星の王子様であった。

きっと、何処かの世界でも全ての発言が二重、三重の深い意味と叡智が込められている、などと解釈される存在も居るに違いない。世界には似た者が三人は居るという。

 

ともあれ、モモンガがラナーの手を取り、音楽に合わせて足を踏み出した。

ラナーがサポートするように導き、モモンガもそれに応える。

 

モモンガの“それ”は帝国式の優雅なものであり、貴族の中には「見事なものよな」と褒め称える者も多かった。モモンガの練習時間など、微々たるものであったが、抜きん出た身体能力と、神器級武装によってステータスが限界まで底上げされている為、不可能まで可能にしているのだ。

 

 

「長らく苦労をお掛けしました、王子」

 

「いえ、そんな事はありませんよ」

 

 

踊りながら、ラナーが時に耳元で囁くように声を掛ける。

プリンセスの大胆な行為にモモンガは内心で激しく動揺していたが、おくびにも出さない。

 

 

「もうこの国は、大丈夫ですから」

 

「えっ」

 

「王子は御優しいので、友人が多く居る場所を放っておけなくなるんじゃないかって」

 

「それは…………確かに、そうかも知れませんね」

 

 

モモンガが、知り合った多くの人々の顔を思い浮かべる。

それらが危機に陥っていると知れば、彼は放っておけないだろう。

 

 

「もう、この国は大丈夫ですから」

 

 

ラナーが、同じ言葉を言った。

耳に残る、二度目の声。

 

 

 

「もう貴方は、貴方のやりたい事をして良いんですよ―――?」

 

 

 

その言葉に、モモンガがはじめて絶句する。

止まりかけた足を導くように、ラナーが優雅な手付きでモモンガをリードしていく。

 

 

 

「―――――私が、貴方を“解放”して差し上げます」

 

 

 

それはラナーが生まれて初めて浮かべる、“本物の笑顔”であった。

太陽とまで称される笑顔に、モモンガは場違いな―――そう、敗北感を覚えた。

 

 

「その為に私、頑張りますからっ。ね、王子」

 

「………貴女には、勝てそうにありませんね」

 

「私は王子には負けっぱなしじゃないですか―――一度くらい驚かさせて下さい」

 

 

そう、この世界に来てからのモモンガは、まるで激流に流されるようにして四苦八苦する日々であった。望むと望むざるに関わらず、平穏などとは程遠い生活である。

モモンガとしては色んな街を見たり、観光したり、冒険したり、幾らでもしたい事があったが、そんな生活など、激動とも言える日々の中では夢であった。

 

 

 

「ですから、いつか必ず迎えに来て下さい―――私の王子様っ!」

 

 

 

ラナーが輝くような笑顔を浮かべ、踊りなど完全に無視してモモンガに抱きついた。

一瞬驚いたモモンガであったが、遂には呆れたように笑い出す。

 

 

「私の財布は空に近いんですけどね……とてもじゃありませんが、黄金の馬車に乗ってお姫様を迎えに行けるような男じゃありませんよ」

 

「お金なんてっ!私の才覚で生み出してみせますっ!」

 

 

ラナーが細腕を捲るようにして言った台詞に、モモンガがとうとう耐え切れずに大笑いする。

これでは、どちらが男か分からない。

それも、王子と姫という肩書きであるのに金に困っているなど、こんな珍妙な話はないだろう。

 

 

「本当に面白いお姫様ですね……これは一種の“契約”なのでしょうか?」

 

「はいっ、私の王子様は話が早くて助かります♪」

 

「貴女は、“営業の天才”なのかも知れませんね―――――」

 

 

モモンガの“それ”は、ある意味では最高の褒め言葉であったのかも知れない。古今東西、最高の“営業”とは、相手が望む物を与え、笑顔にする事なのだから―――

モモンガの言葉が終わると同時に、丁度音が鳴り止んで一曲目が終了した。

 

 

「ぁっ、私は一夫多妻大歓迎ですよっ。王族は沢山、子を残すべきですからね」

 

「ちょ、ちょっと!いきなり不穏な事を言わないで下さいよ!」

 

 

 

こうして舞踏会の夜は更けていく―――

法国の面々は「どうか我が国に来訪して頂き、御指導を賜りたい」と辞を低くして懇願したが、それに対するモモンガの返答は神官長達に何事かを考えさせる契機となった。

 

 

 

 

 

貴方達は私を神と呼ぶ。

 

であるなら―――“人の国”は“人の手”によって運営されるべきだ。

 

私が苦楽を共にした国は消えたが、その国は今も尚、私の中に残っている。

 

貴方達には“今も”国があり、苦楽を共にした“仲間達”もいる。

 

外から来た(わたし)など―――――無用の存在ですよ。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

星々が輝き宝石のごとき光を放っている。

舞踏会は今も様々な盛り上がりを見せており、モモンガは一人、テラスに出て輝くような夜空を見上げていた。思えば、星空こそ全ての始まりであったのだ。

最終日を迎え、全てが虚空の彼方へ消え去った時、何故かモモンガだけがこの世界に居た。

 

 

(星の導き……なんてな)

 

 

グラスを傾けて一人、追憶に耽る。

悲しい気持ちはない。むしろ、モモンガの胸中にはふつふつと湧きあがってくるものがある。

気付けばガゼフが横に並んでいた。

二人の邪魔をさせぬよう、テラスの入り口ではクライムが忠犬そのものといった姿で睨みを利かせており、相手がどんな貴族であれ、目を吊り上げて遮断している。

 

 

「本音を言えば、貴方に王位を継いで貰いたかった」

 

「私に王など、そんな柄じゃありませんよ」

 

 

ガゼフが苦く笑い、意を決したように問う。

 

 

 

 

 

―――往かれるのか?

 

 

 

 

 

その言葉にモモンガが夜空を見上げ、沈黙で応える。

ガゼフにはその沈黙が―――とても美しいものであると感じた。

ようやく口を開いたモモンガの顔は、吹っ切れたような笑顔であった。

 

 

 

「えぇ、お姫様にも勇気を貰いましたしね。何より―――私は“冒険者”ですから」

 

 

 

モモンガが冗談っぽく言うのと同時に、トブの大森林に居るデコスケより緊急の連絡が入る。

《―――――異常な気配を持つモンスターを発見。対応を請う》

 

それはデコスケらしからぬ、非常に淡白な連絡であり、それだけに緊急性の高さを思わせた。

モモンガの姿に異常を感じたのか、神官長達がクライムを押しのけ、テラスへと殺到してくる。神に優しく諭されたとはいえ、彼らにとってモモンガはやはり特別すぎる存在なのだ。

 

 

「トブの大森林に異変があったようで―――私はそろそろ退席させて頂きます」

 

 

その言葉に、散々フールーダと話し合っていたレイモンが深々と頷く。

遂にこの時が来たのか、と言わんばかりである。

 

 

「かの地に封印されていた破滅の竜王が、とうとう目覚めたのですな」

 

「えっ」

 

 

レイモンの言葉に次々と法国の面々が声を上げ、「聖戦である」などと叫び出す。

どうやら、デコスケの知らせてきたモンスターが噂の竜王であるらしいとモモンガが察し、それらに合わせるべく、適当な言葉を口にする。

 

 

「手助けは無用―――あれは私が決着をつける」

 

「し、しかし!」

 

「神話の化物を退治するのは―――――古より、神と相場が決まっている」

 

 

モモンガの言葉に法国の面々は二の句を継げず、絶句した。

余りにも説得力がありすぎたのだ。何せ、神本人が言うのだから。

モモンガが神官長へ一枚のスクロールを渡し、大切な言葉を告げた。

 

 

「これをカジットに―――約束の品であると」

 

 

 

《転移門/ゲート》

 

 

 

突如吹き荒れた超魔力に、神官長達の顔が青褪める。

ありえない程の大魔法であり、時に額冠を使い、大儀式によって第八位階の魔法すら幾つか駆使する法国の面々であったが、こんな魔法などとても到達し得ない、まさに―――神の領域であった。

大魔力が吹き荒れる中、モモンガが転移門へと向かう。

 

 

 

「モモンガ殿!貴方の良き旅と―――――勝利を祝うッ!」

 

 

 

ガゼフが力一杯に叫ぶ。完全に勝利を確信している声に、モモンガが笑った。

勿論、モモンガは“許し難い偽者”のカタストロフなどに負ける気は毛頭ない。

どれだけのモンスターであろうと、課金アイテムを駆使してでも、この世から塵一つ残さず、完全に消し去るつもりである。

 

モモンガはもう、振り返らなかった。

だが、ガゼフに負けず劣らずの声をあげ、それに応える。

 

 

 

 

 

「私からも伝言を出しますが、皆に伝えて下さい」

 

 

―――――それほど、待たせないとね!

 

 

 

 

 

その言葉を最後に、モモンガの姿が転移門の中へと消えた。

 

 

 

 

 

同日、ランポッサより国内へ布告が出された。

法国と同盟を結び、エ・ランテルの街を共同統治下に置くと。

 

 

 

 




終章だけあって、長い話が続いていますね。
王になる、と思われていた方が多かったと思いますが、
モモンガさんにその気はなく、ラナーもそれを見越して動いていました。

彼女の今作での役目は、他のキャラには絶対に出来ないであろう“解放”です。
他のヒロイン達とは少し違った面を見せてくれました。


長く続いた「流星の王子様」の物語ですが―――後、二話をもって終了します。



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