転倒した僕に、半変化のレント騎士が近付いてくる。
あまりの恐怖に僕は声を上げる事も出来ず、まるで子供の頃を追体験している状態に陥る。
母上の悲鳴の後に訪れたのは、魔王とその手が持つ剣。
そして、僕の死だ。
もうすぐ、死が訪れる!
そう思った時、半変化が後ろに仰け反り、緑色の血を振り撒きながら僕から離れた。
後ろから斬り付けたのはエランだ。
のたうつ半変化を蹴り飛ばし、他の騎士が対処し始めたのを確認してから、エランはマールと一緒に僕を助け起こした。
「大丈夫?」
心配するエランの顔を見て、ほんの少し冷静さが戻ってくる。
安心したと同時に気が緩み、泣きながら彼に抱き着いた。
転んだ拍子にヴェールは外れ、顔が露わになっているのも構わず、エランに弱音を吐く。
「怖い……。屍食鬼は嫌だ」
「大丈夫だよ、僕が全部やっつけてやるから」
明らかに軽口だが、今の僕には必要な言葉だ。
幼馴染みのエランは、それを知っている。
僕は微笑んで、完全に冷静さを取り戻した。
「ありがとう、エラン。もう、大丈夫だ」
「もう少し、抱き着いていてもいいよ。ドレス、凄く似合ってるね」
嬉しそうなエランの言葉に、僕は慌てて彼から離れ、外れたヴェールを拾い上げてミアに渡した。
「早く、ここを出よう。この格好じゃ、足手まといになるだけだ」
広い部屋とはいっても、室内戦である事に変わりはない。
最初にトキが壁に打ち付けた半変化は、凶悪化する前に醜い翼を切り取られ、火を放たれて塵の如く消滅した。
良い香りに嫌な臭いが混ざり、室内の居心地が悪くなる。
「アレル、正気に戻れ!」
先程僕に近付こうとした騎士は、レント騎士隊の中でも余程信頼の厚い騎士だったのだろう。
一人が変化を止めようと彼にしがみ付き、激しく暴れる半変化の爪に、首を引き裂かれ絶命した。
周りに飛び散った血の匂いを嗅いで、半変化は急速に顎と翼を伸ばし、屍食鬼へと変化が早まる。
「あれは、アレルではない! 翼を切り取れ!」
領主ハルビィンが命じ、騎士達が戸惑いを振り捨て切り付ける。
もともと体格の大きい優秀な騎士だったため、攻撃は
そうする間にも黒い翼が大きく広がり、目付きは凶暴な屍食鬼へと変化する。
その目で絶命した友の死体を見、
「国王軍を呼べ! 近衛騎士、姫君と領主夫妻を守れ!」
トキの号令に、近衛騎士は迅速に動く。
部屋の中にいる、トキ以外の近衛騎士は四人。
僕を守りながら、サフィーナ達と共に扉へ移動する。
マールは従者の持つ鞄から何かを取り出し、いち早く扉に向けて走り出す。
トキはレント騎士隊を押し退けて、半ば屍食鬼と化し今にも飛び立ちそうな半変化の前に立つ。
「お前を、飛ばさないぜ」
瞬間に長く重い剣を抜き、肩に構え、切っ先を半変化の顔面目掛けて振り下ろす。
威嚇する半変化は翼を大きく広げ、足が浮き上がり、後退して剣を避ける。
完全に屍食鬼になりかけ、攻撃してくるトキに凶悪な牙をむく。
踏み込む態勢から、敵の振り下ろす長い爪を避け、部屋に置かれた重い飾り棚に飛び乗り、瞬時に屍食鬼の背後に飛び降りざま、トキは重い剣を振り下ろす。
「飛ばさん!」
剣は黒い翼の片側を切り落とした。
「ギャアアアァァァーーーーッ」
耳を
「マールさん、危ない!」
僕の声に、マールが足を止めた。
扉に向かう彼に、ぶつかる程の至近距離に屍食鬼が落ち、騎士達が守ろうと近付く。
「離れろ、火傷するぞ!」
騎士達に警告した後、マールは手に持つ革袋を屍食鬼に投げつけ、次に短剣状の物を投げ、それを突き破った。
その瞬間、屍食鬼は声を出す間もなく盛大な炎に包まれ、灰と化し、炎と共に消えた。
騎士達は、慌てて水瓶に殺到する。
炎が盛大過ぎて、部屋に燃え移ったのだ。
「お前の戦い方は、過激過ぎる! 屋外でやれっ」
「一瞬で消える。屋内でもイケるはずだが、火炎石の量が、多すぎた! 半量にするべきだ、貴重な物を無駄にした……」
呆れ返るトキの言葉に、火事になった事より、火炎石を使った実験に失敗した事に、マールは顔を
砂利状の火炎石を、革袋に入れて量を調整し、特定の金属で衝撃を与えると、爆発的に燃え上がりすぐ消える。
試作段階だが、屍食鬼消滅の有効性は非常に高い。
部屋中に煙が充満し、嫌な臭いに咳き込みながらレント騎士が、扉を開けようとして慌てて叫ぶ。
「鍵が掛かっている。閉じ込められているぞ!」
「何? 前室の者達はどうした?」
トキが扉を叩いて呼んでも、何の反応も返ってこない。
「この部屋以外でも、半変化が出たんじゃないのか?」
マールの言葉に、トキは振り返る。
部屋に充満する視界を遮る煙の濃さ、鎮火されているはずなのに、異常な煙の量だと気付いた。
「マール、また分量を間違えたのか?」
「まさか! コルの実の調合薬から、煙は出ない」
二人は顔を見合せ、魔王が身近に迫っている事を認識した。
扉が開かないと知った僕とエランは、充満する煙の中を咳込みながら移動し、扉近くの窓に駆け寄った。
窓を開ければ煙も消え、助けも呼べると考えたのだ。
鍵を開錠しても、窓はなぜか開ける事が出来ない。
エランの力でも開かないのだ。
「駄目だ、ビクともしない」
「どうして? どうなっているんだ、これは?」
重いドレスを引き摺りながら、別の窓に移動し開錠しても、やはり開かない。
レント騎士達も同じように窓を開けようと必死になる。
近衛騎士が二人、顔を顰めながら警告する。
「エアリス様、あまり動かない方が良いです。視界が悪すぎて、守れなくなります」
「分かっている」
突然、僕は何かの違和感を覚え、窓辺から煙る室内へと、視線を移した。
広い部屋に充満した白っぽい煙の向こうから、何かの気配が近付いて来るのだ。
それは背筋を凍らせるような、強烈な憎悪。
「姫君を守れ! 魔王が、来るぞ!」
マールの叫びが、部屋に響く。
違和感は僕の目の前で、徐々に姿を現した。
白っぽい煙の中に細い黒、清らかな水に滴った汚水のようなものが、大きく渦巻き邪気を放ち僕に近付いて来る。
気分が悪くなり、僕は立っている事が出来ない。
エランが僕を支えながら、見えない敵に向かって剣を抜く。
黒いの渦の中で、何かが
「ぎゃああああぁぁぁぁ――――――――――――――――――――!」
魂切る絶叫が、僕の耳を
トキが駆け付け、近衛騎士達と共に僕の前に立ち防御の構えを取る。
マールがエランに変わって僕を支え、エランも近衛の一員に加わった。
「大丈夫ですか、姫君?」
マールの問い掛けに、震える声で伝えるのが精一杯だ。
「誰かが、殺された。この中で……」
指差した場所の異変は、大方の人間には見えない。
「魔王か、マール?」
「そうだ! すぐに実体化する、気を付けろっ」
黒い渦は収縮し凝縮して、徐々に人間の形を取り始めた。
倒れている少年に見える、それは騎士達にも見えるようになった。
「ハラルド?」
黒い影は完全に実体化し、捕らえられたはずのハラルドの姿になった。
白目をむき苦悶の状態で皮膚は青ざめ、完全に死んでいるように見える。
サフィーナが悲鳴を上げる。
「ハラルド!」
領主ハルビィンが息子の状態を確認しようと近付きかけたが、周りのレント騎士に止められる。
〈沈黙の獄〉に監禁されたはずが、突然、扉も通らず部屋に現れるのは異常だ。
トキが叫ぶ。
「近付くな、これは罠だ!」
急にハラルドが白目の状態のまま起き上がり、僕に顔を向ける。
『最後に死人が生き残っていたとは驚きだ。ただの《王族》ではない……、何者だ?』
ハラルドの声ではない。
遠い昔に聞いた声、魔王アドランの声だ!
セルジン王の声と、驚く程よく似ている。
アドランはセルジン国王の腹違いの兄、似ているのは当然だが、僕を混乱させる。
死人と呼ばれて恐怖はいや増す。
八年前、僕は魔王に殺されているのだ。
身体が震えて、思うように動く事が出来ない。
マールが僕を庇い、抱きしめると、ほんの少し冷静さが戻ってきた。
「ハ……、ハラルドを殺したな!」
『この男が我が魔力を欲しいと言った。だから〈契約者〉として生き返り、我が
領主が悲鳴にも似た呻き声を上げる。
後継者を魔王に奪われ、国王軍の敵となってしまったのだ。
レント騎士隊もショックを隠せない。
「そんな……」
僕の中に、魔王に対する憤りが湧き起こる。
ハラルドは大嫌いだったが、その身体を乗っ取り〈契約者〉と伝える事に、憤りを感じるのだ。
養父母を苦しめる魔王が許せなかった。
「何のために、そんな事をする? それはハラルドの身体だ、放れろ!」
「姫君、魔王に聞いてはいけません!」
マールが慌てて、僕の言葉を遮ろうとする。
魔王に操られたハラルドの顔が、白目を向きながらニタリと笑った。
『《ソムレキアの宝剣》を持って、そなたが死んだ場所に来い。《ソムレキアの宝剣》を渡せば、ハラルドは解放してやろう』
「死んだ場所……」
僕の全身が、痛みを覚えた。
胸から背中にかけて心臓を貫かれた傷痕が、強烈な痛みを訴えてくる。
父エドウィンの館を想像しただけで身体が震え、息が上がる。
『《ソムレキアの宝剣》だ。必ず、一人で持って来るのだ!』
そう言った瞬間にハラルドは倒れ、苦悶の表情も消えた。
魔王が去ったのだ。
それと同時に僕の痛みも消え、思考が動き疑問が湧き起こる。
《ソムレキアの宝剣》なんて……、僕は持っていないのに?