[甘言に乗ってはいけません、若君!]
[お前はトムニ爺を連れて逃げろ! 呼び笛で、お前達の竜を呼び寄せるんだ]
マシーナが警告する中、テオフィルスは竜の指輪を左手中指から外し、トキの足元に放り投げた。
彼は七竜の魔法が使えなくなったのだ。
テオフィルスを庇いマシーナが前に立ち、トキに向かって剣を構える。
老トムニまで、剣を抜いた。
トキは不敵な笑みを浮かべながら、答えるように剣を構える。
「面白い。貴殿に、私の相手が務まるかな?」
[マシーナ、立ち向かうな! お前達は逃げるんだ!]
[それを許す相手じゃないでしょう! 若君が逃げるなら、そうしますよ]
テオフィルスは顔を
緊急事態でも争いは避けられない。
トキは僕を他の近衛騎士に預け、低い声で命じる。
「王命により、罪人とその随行者の処刑を行う! そこの男は、私が
騎士達と兵は、一斉に三人のアルマレーク人に飛掛かる。
マシーナは他の騎士達を薙ぎ払い、一直線にトキに向かう。
トムニは老齢ながら元は竜騎士、武器を取りテオフィルスだけでも逃がそうとする。
トキとマシーナの剣が、激しくぶつかる。
僕は王の言葉を思い出しながら、緊急事態を知らせに戻った三人のアルマレーク人を見ていた。
《信じて下さい。僕は……、あなたが好きです》
《では、私に従うのだ。あの者の処刑命令は出してある。そなたはそれを止めてはならぬ。これは王命だ!》
《…………はい》
僕は陛下が好きだ。
でも……、父の国人の死なんて望んでない。
葛藤が苦しみを生む。
テオフィルスを利用してたのは僕。
父の館まで同行させ、僕の意志で知らずに彼を罠に陥らせた。
こうなる事が解っていたはずなのに、なぜ竜の指輪を投げた?
なぜ命を危険に晒しても、屍食鬼の襲来を知らせに戻った?
《お前は奴等に、支配されたままでいいのか?》
良いわけないだろう!
僕の足元に転がる竜の指輪を見詰めた。
これに触れれば、僕が七領主家の血を引く人間と知られてしまうだろう。
せっかくあんな危険を冒して別人と信じ込ませたのに、すべてが無駄に終わる。
でも、彼等が殺されてしまえば、レント領を救う手段の一つが失われる。
《お前に、世界を見せてやる!》
僕は、竜に乗れるのか?
馬にも乗れないのに?
父から竜騎士の血を受け継いでいるから、もしかしたら乗れるのか、竜に?
竜に乗らなければ、屍食鬼を追い払えない!
レント領を救えないんだ!
戦うテオフィルスの真青な瞳を見つめた、父と同じ空を映した青い瞳を。
心の中でセルジン王の姿が、悲しみを浮かべ僕を見る。
王命に逆らったら、どんな目に遭うか分からない。
たとえ最後の《王族》でも、僕の事を許さないかもしれない。
完全に嫌われてしまう、そう思うと息も出来なくなる。
それでも、僕は…………。
「待て! 戦闘を止めろ!」
鐘楼の鐘と警告のラッパが響き渡る中、甲高い声が人々の動きを止めた。
「オーリン様?」
トキがマシーナから距離を取り、不満そうに振り向き睨み付けてくる。
「彼等を今だけ協力者とする。レント領を守るために、共に屍食鬼と戦う。皆にそう伝えるんだ!」
「殿下、王命に逆らうつもりか!」
僕は青ざめながら、怖い顔をして睨むトキの説得を試みる。
「空からの協力があれば、レント領の犠牲を防げる!」
「それを陛下が望むか? 我等だけで屍食鬼を打ち破る事は可能だ。アルマレーク人の協力など必要ない!」
「この宝剣は屍食鬼を消すんだ。これが無いと、屍食鬼は追い払えない! それにアルマレーク人は、もう僕を誘拐したりしない。魔王を呼び寄せる事になるって、知ってしまったからね」
「…………それでも、王命は絶対だ!」
意見が噛みあわない中、誰かが叫ぶ。
「あれを見ろ、火が出ているぞ!」
兵士が指差す方向を見て、皆が驚愕した。
荒れた庭園の樹木越しに、北東の空が真っ赤に燃えている。
魔物が城壁内に侵入した可能性が強い。
「第三城壁が破られた、魔物が領内に侵入したんだ!」
レント騎士達は騒然となる。
城塞内に火の手が上がった事に耐えられなくなり、僕はトキに詰め寄る。
「トキさん、全ての責任は僕が負う、あなたに類が及ばないよう取り計らう。だから、彼に竜の指輪を返して下さい!」
「殿下、私を誰だと思っている? 王の近衛騎士を
トキは僕を振り払い、長剣を手に今度はテオフィルスの元へ向かう。
マシーナが止めに入り再度、剣と剣が激しい音を立ててぶつかり合う。
このまま彼が殺されれば、竜の協力が得られずレント領が壊滅する。
エランが僕を抱え込むように腕を回して肩を押さえつける。
騎士達には腕を掴まれ身動きが取れない。
「止めろ、トキさん! 離せ、離せっ!」
「あいつは敵なんだ、手を組まない方がいい!」
僕は怒りに身を
「うわっ!」
僕は彼等の手を逃れ、落ちていた竜の指輪を拾い上げて、トキの横を素早く通り過ぎる。
「オーリン様!」
戦闘に集中している者の側に寄る危険は、重々承知している。
味方の兵と騎士達の間を決死の覚悟ですり抜け、テオフィルスに近付く。
彼の剣の技量が少しでも未熟であれば、僕は斬り付けられる。
幸い彼は優秀な剣技の持ち主、戦闘中でも僕を認識して近付くのを手助けした。
僕は素早く、彼に竜の指輪を差し出す。
「早く、竜を呼べ!」
「お前……」
「早く!」
周りの騎士達は僕を引き摺り、彼から引き剥がす。
竜の指輪は、彼の前で落ちた。
暴れる僕を数名の騎士が覆い被さり取り押さえる。
まるで罪人扱いだが、王命に背いているのだから、当然の対応だ。
「レント領を、助けて……」
テオフィルスを囲む兵達は、指輪を取らせまいと必死に攻撃する。
彼は目の前に転がっている指輪まで、剣と斧の刃をすり抜け、持ち前の運動神経で身体を動かし、指輪に触れた瞬間に叫んだ。
[リンクル、出でよ!]
その瞬間、全てを吹き飛ばして竜の影が現れたのだ。
彼を阻んでいた騎士は吹き飛ばされ、僕も他の騎士達と共に吹き飛ばされた。
怒りを溜めた竜の出現に慣れているアルマレーク人だけが、身の守り方を知っている。
テオフィルスは立ち上がり、竜の指輪を左手中指に
「射手、あの男を射て!」
トキの命令が飛び、射手は即座に体勢を立て直し、狙いを定める。
次の瞬間、竜が国王軍目掛けて炎を吐いた!
国王軍の頭上すれすれに炎が伸び、皆が身を低くして避ける。
高温の熱気が皮膚を焼き、体毛の焦げる臭いが恐怖を
炎の直撃を受けた木々が燃え上がり、至近距離で受ける竜の炎の威力に、皆が度肝を抜いた。
敵に回すには、恐ろしい相手だ。
僕はトキと他の騎士達の隙を突いて、炎の中を武器も持たずにテオフィルスの元に走る。
「攻撃を止めろ!」
「こっちのセリフだ。協力を申し出ているのに、和解する気が無いだろう? こうしている間にも、屍食鬼が到着する! 俺達はアルマレークへ帰るぞ!」
彼は怒りを漲らせて睨みつけてくる。
「待て! 僕が協力を受け入れる。和解する!」
テオフィルスは怒りの表情のまま、僕を値踏みするように観察する。
金色の髪が炎で焼かれ縮れて、白い皮膚も赤く火傷を負っている。
誰もが身を縮める中、一人炎を恐れずここまで走り抜けたからだ。
竜の指輪を素手で持って平気でいられるのは、七領主家の血を引く者の証。
左手に魔力を感じ取れないので、エアリス姫ではない、正体不明の王太子。
「誰が何と言おうと、和解する!」
「…………お前は、どの領主家の血統だ?」
「え?」
「まあ、いい。和解に応じよう」
彼は怒りの表情を緩め、周りを見る。
[リンクル、怒りを静めろ。攻撃を止めて、火を消せ]
七竜リンクルは大きく息を吸い、国王軍に向けて吐き出す。
皆が今度こそ死を覚悟し、身を縮める。
何かが通り過ぎた後、熱気も火傷の痛みも木々の炎もまるで幻のように消えた。
人々は茫然と凶暴な竜を見る。
竜の表情など読み取れないが、その様子から攻撃は止んだのだと理解出来た。
「百年前のアルマレークに、〈七竜の王〉は存在しなかった。だから魔力を持つ七竜は参戦していない。だが、今は違うぞ!」
彼はトキを睨みつけながら、低い声で静かに告げる。
「俺に攻撃する時は、七竜が怒りを持ってエステラーンへ攻め入る事を、王に伝えておけ!」
その警告を冷静に受け止め、深く溜息を吐きながらトキは剣を鞘に収めた。
これ以上の争いは王国に
王命に反しても、それは避けねばならない。
トキは騎士の礼を取り、剣を自分の前の地面に置いた。
「殿下の御意思に従う」
強面なトキの顔に、心配気な表情が見て取れた。
その事に気付いた途端、僕の心にセルジン王の言葉が甦る。
《あの男が婚約者である限り、エステラーン王国はアルマレーク共和国に併合される危険がある!》
王を裏切っている事に迷いを感じる。
彼の失望した顔が目に浮かび、手で額を押さえた。
断続的に聞こえてくる破壊の振動が、心臓を苦しめるように響く。
レント領に八年前の悪夢が甦る―――大勢の人間が殺され、多くの血が流れた。
母の無残な姿が目に浮かぶ。
再び魔王の剣が僕に付き下ろされた気がして、呼吸が荒くなる。
父の館を見た。
幽霊屋敷と呼ばれる館は、荒廃した姿を晒し続けている。
こんな悲劇を繰り返したくない!
たとえ陛下に嫌われても……。
王の姿が脳裏から離れず、心を苦しめる。
涙が滲む思いを堪えながら、テオフィルスを睨みつける。
「早く、竜を呼べ」
「ふん、偉そうな王太子、誰にでも命令出来ると思うな! 俺は自分の意思で動く、お前の命令は聞かない」
彼の蔑んだ青い目が、棘のように心に突き刺さる。
この男を動かすのは容易ではない、あまりの焦燥に項垂れる。
「……お願いです。竜を、呼んで下さい!」
「人にものを頼む時は、目を見るものだ」
憤りを感じて顔を上げ、彼を睨みつけた。
すると意外なほど優しい表情を浮かべて僕を見ている。
「竜を呼ぶ前に、条件がある」
やはり、そう来た……。