王子な姫君の国王救出物語【水晶戦記】    作:本丸 ゆう

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第七話 エランの戦い

 《聖なる泉》の〈門番〉の周りに突然、膨大な量の暗黒が取り巻き始めた。

 国王セルジンは魔王アドランと対峙し、空は一面屍食鬼に覆われ、無数の矢が飛び交い、至る所で戦闘のものものしい轟音と悲鳴が上がる中、それは国王軍に絶望感を与えるように襲いかかる。

 

 《聖なる泉》の〈門番〉が、国王軍の兵士達を切りつけ始めたのだ。

 兵士には見えない黒い渦の影響で彼等の動きは鈍り、反撃する暇もなく切り殺されていく。

 絶命の悲鳴、肉体が断ち切られ、飛び散る血しぶきが、枯れ果てた大地を赤く染めてゆく。

 

「モラスの騎士第二隊、第五隊、〈門番〉の暗黒を抑えよ」

 

 国王セルジンの指示に、モラスの騎士第二隊と第五隊が〈門番〉を取り囲む。

 その第二隊の中に、エランはいたのだ。

 国王軍に参加して以来、何度かの屍食鬼との戦闘と、オリアンナの側を離れてからの訓練で、自分でも感じる程戦闘に慣れてきた。

 異例の早さでのモラスの騎士としての叙任も、元はレント領騎士隊での訓練の賜物(たまもの)だ。

 そして、心の中ではこう思う。

 

 陛下がオリアンナを、愛し始めたからだ。

 この異例の叙任は、陛下の贖罪(しょくざい)

 

 セルジン王から直接、オリアンナ姫の死が迫っている事を聞かされた時は、絶望感に打ちのめされた。

 王が必ず助けると約束をしたが、希望は見えない。

 オリアンナの望みは、影であるセルジン王を普通の人間に戻す事だ。

 

 彼女の死と引き換えに、陛下は永遠に生きる。

 死までのわずかな時間を、オリアンナは陛下の腕の中で幸せに生きるんだ。

 

 それで良いと思う。

 心の闇のコントロールは、簡単に出来た。

 元々、《王族》に逆らう事など出来ないのだ。

 

 僕は彼女の、最高の友になろう。

 

 それが彼の出した答えだ。

 エランは王から与えられた赤く輝くモラスの騎士の剣を手に、《聖なる泉》の〈門番〉と対峙した。

 膨大な量の黒い渦が、まるで意思のある生き物の如く(うごめ)く。

 その暗黒は《王族》の血をひく者にしか見えない事を、彼は最近まで認識していなかった。

 ただ嫌な感じがしていただけだ。

 

 僕もこれを放出して、オリアンナを苦しめていた。

 

 そう思うと不思議な事に、黒い渦への嫌悪感が消えた。

 〈門番〉を取り囲んでいた兵士達が、モラスの騎士の到着にホッとしたのをエランは感じ取る。

 モラスの騎士によって黒い渦の広がりはくい止められた。

 あとは黒い渦の境界を徐々に縮め、《聖なる泉》の〈門番〉と対峙する。

 

 問題は〈門番〉の強さだ。

 いくら訓練を積んでも、勝てない相手がいる。

 《聖なる泉》の〈門番〉には、歴戦の戦士である王の近衛騎士トキ・メリマンでさえ、勝てる保証はないと言われていた。

 

 境界は徐々にその範囲を縮めていく。

 突然エランの前に、黒い渦が人型を取る。

 それは自分と同じぐらいの背丈で、背には翼を生やしていた。

 

 ハラルド?

 

 エランの中で、どうにもならない憤りが沸き起こった。

 

「エラン!」

 

 彼の隣にいたモラスの騎士の一人が警告する。

 境界を構成する、精神の環が乱れたからだ。

 その隙をついて、〈門番〉がエラン目掛けて躍り出る。

 エランは自分の剣で〈門番〉の重く素早い剣を受け止めたが、彼の剣は呆気ない程簡単に跳ね飛ばされた。

 〈門番〉の剣が彼の首に迫り、瞬時に死を覚悟したその時、剣はピタリと触れる直前で止まる。

 

『お前はまだ殺さない。もっと苦しんで死ぬんだ』

 

 そのかすれ声には聞き覚えがあった。

 

 やっぱり、ハラルドの声だ!

 

 彼を嘲っているように聞こえた。

 〈門番〉は剣を、エランの隣の騎士に向ける。

 先程、警告してくれた騎士だ。

 

「危ない!」

 

 警告も虚しく騎士は、〈門番〉の刃に倒れた。

 エランは騎士の血を浴びる。

 暗黒を中和する環が、完全に崩れた。

 〈門番〉が開けた穴から黒い渦が漏れ出ようとした時、それを跳ね返す強力な魔力の波がエランを通り過ぎた。

 

 《聖なる泉》の〈門番〉が怯み、魔力の源に目を向ける。

 ルディーナ・モラスがその小柄な身体から信じられない程の魔力を繰り出し、黒い渦を圧したのだ。

 その隙にエランは跳ね飛ばされた剣を拾い上げ、切り殺された騎士の分も含めた魔力を繰り出す。

 暗黒が再び閉じ始めた時、横に来たルディーナが命じた。

 

「エラン! 黒い渦の中にハラルドがいるわ。〈門番〉は私が抑える。だからハラルドを見つけて討ちなさい」

「……はい」

「怖がる事はないわ。あなたは黒い渦に馴染んでいる、中に入っても影響はないはずよ。ただハラルドを討つ事だけを考えて」

 

 強力な魔力を繰り出しながら、ルディーナは華やかに微笑みかけてくる。

 エランは頷き、中和の境界をルディーナに委ね、暗黒の中に一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 暗闇に視界は閉ざされる。

 闇が液体のように呼吸を奪う。

 危機感にエランの鼓動は激しく脈打つ。

 彼はオリアンナを思った。

 好奇心旺盛な灰色の瞳で、自分に笑いかける。

 特徴的な肢体が、彼の目を惹き付けて放さない。

 王の愛を得て、彼女はますます綺麗になった。

 オリアンナのよく通る声が、自分の名を呼ぶ。

 

 《エラン。エラン……。エラン!》

 

 彼の中に冷静さが戻る。

 楽に呼吸が出来、視界が徐々に開ける。

 横に剣を持ったまま立ち尽くす《聖なる泉》の〈門番〉がいた。

 ルディーナの魔力のせいで身動き出来ずにいる。

 

 今なら〈門番〉を倒せる。

 

 そう思った時、ルディーナの声が聞こえた。

 

「〈門番〉を殺してはいけない! ハラルドだけを狙うのよ」

 

 その言葉に、彼は〈門番〉の横を通り過ぎる。

 黒い渦の中は異空間のように上下の区別も無く、エランの感覚を麻痺させる。

 足は動かしているのに進んでいるのか止まっているのか、まるで分からない。

 

 《ハラルドを討つ事だけを考えるのよ》

 

 ルディーナの声が、ただエランを突き動かした。

 ハラルドとは同じ年だ。

 同じ教師の元で学んだが、彼の嫌がらせは熾烈だった。

 座る席のない状況にされ立ったまま授業を受けるのは日常茶飯事、蝋板を割られたり、先生も誰もハラルドに逆らえない状況で、集団で暴行を受けたり。

 

 一度ハラルドを殴り倒した時は、君主先ロイ・ベルン指揮長官が降格させられそうになった。

 冷静な領主の判断で大事には至らなかったが、あれ以来ハラルドの嫌がらせは陰湿で遠回しなものになった。

 

 久しぶりに直接対決だ!

 

 エランの中に、信じられない程の闘志が沸き起こる。

 それと同時に黒い渦が変化し始めた。

 彼の少し前方で、黒い渦が凝縮し、黒い翼の生えたハラルドが姿を現したのだ。

 

『よお、エラン。僕の従僕』

「君の家来になった記憶はないよ、ハラルド」

 

 二人は睨みあった。

 エランに掛けられたハラルドの呪は、彼を自分の手で殺さなければ解く事は出来ない。

 王から賜った銀の額飾りのお蔭で、何とか屍食鬼に変化する事を抑えられている状態だ。

 彼は手にした赤く輝く剣を、ハラルドに向けた。

 

「君を殺す!」

 

 ハラルドは声を上げて笑う。

 

『僕は死ぬ事はない、この姿は永遠だ。くだらない事に振り回されてないで、君もこうなればいい』

「君と同じなんて、冗談じゃない! 生憎、僕はまだ人間だよ」

『そうかな?』

 

 ハラルドがそう言った途端、暗闇がエランを取り囲む。

 まとわりつく闇は、屍食鬼としての彼を形作る。

 目の前に、魔獣のようにせり出した鼻先が見えた。

 腕は醜く変形し、歪んだ指先から尖った刃物のような爪が、血肉に餓える凶器と化した。

 尾骨の重みに振り向くと、尻の上部から太く長い尾が大蛇のように揺らぎながら空を切っていた。

 そして視界の一部を遮る黒い翼。

 

『その姿の方が似合う』

 

 ハラルドが真顔で言った。

 エランは大きく息を吸い込み、そして吐く。

 すると屍食鬼の姿は、埃を振り払う如く消え去った。

 

「あいにく、僕は今の姿が気に入っているんだ。勝手に変えないでほしいな」

 

 彼はハラルドに斬りかかる。

 赤く輝く剣の切っ先がハラルドを捉え、弧を描いて切り裂く。

 確かな手応えを感じた。

 これで呪いから解放される。

 そう思った時、目の前のハラルドが消え去り、少し離れた前方に現れた。

 

『ここだ、従僕』

 

 ハラルドは顔を醜く歪ませながら、エランを挑発するように笑う。

 

 罠だ!

 

 エランの首筋の毛が逆立ち、心の片隅が警告を発する。

 だが、彼は一歩踏み込んだ。

 呪いを解くために、対峙出来る機会を逃す気にはなれなかったのだ。

 踏み込んだ右足が、まるで溶け出すように何の手応えも無く黒い渦の中に吸い込まれ、バランスを崩し黒い渦に絡め獲られるように転倒した。

 不気味な笑い声が、この異質な空間に木霊する。

 

『お前は永遠に、僕の従僕だ、《王族》の血を引く者。魔界域に引き摺り込んでやる』

 

 エランの身体の半分が黒い渦に呑み込まれ、足掻けば足掻く程、呑み込まれる速度を増す。

 

『諦めろ! あの女は王を選んだ。王はお前を殺すためにモラスの騎士にした。邪魔な存在を消すためだ』

「勘違いするなよ! 僕は元々、王配なんて望んでない!」

『は! 優等生は、頭の中まで優等生か? 素直になれよ、あの女が欲しいくせに!』

「ああ、欲しいさ! でもそれは、お前達のいない世界で、幸せに笑う彼女の姿を見てからだ!」

 

 エランの額飾りが赤く輝き始め、周りの黒い渦が消えた。

 彼は立ち上がり、剣を構える。

 セルジン王の魔力が自分に力を与えてくれるのを感じる。

 

「王は僕を裏切らない。僕も王を裏切らない。お前達とは、違う!」

 

 その言葉に呼応するように、ハラルドの身体から憎しみの炎のように黒い渦が吹き出した。

 

『ふん、生意気なエラン! お前を今すぐ屍食鬼に変えてやる!』

 

 ハラルドがエランに向けて黒い渦を放出しようとしたその時、彼の背後から声が聞こえた。

 

「そこまでだ。〈契約者〉ハラルド」

 

 冷静な声が、彼の動きを止める。

 振り向いたハラルドは、驚愕した。

 黒い渦を消し去るように輝く翼を大きく広げ、水晶玉の〈管理者〉マルシオン王が立っている。

 天界の光に目が焼かれるのを感じ、腕を上げて光を遮った。

 一瞬垣間見た〈管理者〉の横に、不思議な炎を揺らめかせた義弟の姿があった。

 

『オーリン!』

 

 ハラルドの憎しみが増幅した。

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