爆風で吹き飛ばされた枯れ木が、波を打つように丈高く横たわっている。
竜の葬儀が行われた場所は、夜には暗闇で見えなかったがそんな場所だった。
王が野営地を、わずかに残った森にした理由は明白だ。
ここじゃあ、屍食鬼達から丸見えだ。
竜の羽ばたきで巻き起こる大きな風を浴びながら、僕は一騎ずつ空へと飛び立つ竜騎士達を見ていた。
上空は屍食鬼の群れで覆い尽くされているが、地上との距離は遠い。
アルマレーク人達が帰還出来る、絶好のタイミングだ。
「今日は屍食鬼達が遠いですね。陛下のご配慮ですか?」
セルジン王の横に来た宰相エネス・ライアスが、上空を見上げながら訊ねる。
「私も不思議に思っていた、こんなに空が広いのは初めてだな。まるで竜を帰還させたい意志でも働いているようだ」
王と宰相は顔を見合わせた。
「女神でしょうか?」
「そうかもしれぬ。水晶玉の魔力がぶつかり合って、アドランは吹き消えたのに、なぜ私にはダメージが無い?」
「マルシオン王が陛下を助けられたのでは?」
「分からぬ。彼が現れたのは、あの爆風の直後だ。瞬時に私を守る事等、出来るのか?」
王は森の後ろ、断崖絶壁の上にそびえる廃墟を見つめた。
トレヴダール城―――、そこに女神が待っている。
セルジン王の横にいた僕は、マルシオン王の冷たい琥珀色の瞳を思い出した。
《愚かな姫君、後悔するぞ》
僕は左腕にはまる腕輪のある位置の腕甲に触れる。
《天界の罠に堕ちたくなければ、はめるべきではない》
すぐにでも、腕輪を取り除きたい衝動に駆られる。
テオフィルスを助けた時は制御出来たが、普段の状態で魔法制御出来る自信は、まったくない。
焦りにも似た気持ちで、次の竜が飛び立つ様子を見ていた。
風が巻き起こり、僕の金色の短い髪がなびく。
竜が飛び立った場所に、羽ばたきが巻き起こす風に、身を屈めるテオフィルスの姿が現れた。
七竜の決めた婚約を、解消したばかりで気まずい気持ちと、彼の姿がまだ心を動揺させる事に僕は苛立ちを覚えた。
不意に視界を遮るように、目の前に人が立つ。
「エラン」
「風除け。これも護衛の務め」
そう言って、にやにや笑う。
王に僕の近衛を命じられてからのエランは、時々レント城塞にいる時のような、悪戯っぽい笑顔を僕に向ける。
人数の増えた近衛騎士隊に囲まれて、トキとルディーナに挟まれ緊張感が漂う中、彼の笑顔が僕には救いだ。
「オリアンナ、そろそろイリを」
「はい!」
王の呼びかけで僕は、イリが待つ自分の天幕に行くため騎乗した。
この場所へ移動する際、イリについて来るように呼びかけたが、眠ったまま動く事もなかった、まるで声が聞こえてないみたいに。
「護衛は途中まででいいよ、イリが威嚇して暴れても困るから」
「判りました。ではオーリン様が見える範囲で待機致します」
トキが答えルディーナと共にそれぞれの馬に騎乗し、各隊の騎士達も移動のために用意を始めた。
王は黙って彼等の様子を見ている。
横にはエネス・ライアスとアレイン・グレンフィードが、王を守り待機していた。
昨夜まったく対極の行動を取った二人は、その事が
セルジン王が微笑みながら近より、騎乗した僕に手を差し伸べる。
王と手が重なり、不思議な安心感が生まれた。
「イリに近寄る時は、竜騎士の鎧を着用する事を忘れるな」
「はい。でもセルジンは?」
「私はテオフィルス殿と話がある。すぐに天幕へ戻るが、出立の準備をしておくように皆に伝えてほしい」
「判りました」
王は僕の手にくちづけし、微笑みながら別れた。
その場を離れる前に僕は、頭数が少なくなった竜と、一人残るテオフィルスを見る。
空を見上げる彼は、竜騎士達を見送っている。
屍食鬼に覆われた薄暗い空に、竜の吐く薄赤い炎の吐息が、印のように棚引く。
竜が一頭、また一頭遠ざかって行く。
一緒に、帰ればいいのに……。
婚約を破棄して、もう関係ないはずなのに、なぜか胸が痛んだ。
イリは相変わらず、僕の天幕の前に居座って眠っている。
竜を起こさないようにそっと近づき、横を通り過ぎて天幕に入った。
「オリアンナ様、そろそろあの竜を、どかして頂けませんか?」
ミアは顔を引き攣らせて入り口を指差した。
どうやら竜が怖いらしい。
「分かってるよ、そのために戻ったんだ。竜騎士の鎧の装着を手伝ってくれるかな」
「はい!」
ホッとしたように急ぎ鎧の用意を始める。
何度か身に着けているうちに、ミアも他の侍女達も、異国の鎧の装着に慣れてきた。
「そんなに、竜が怖い?」
「まあ! オリアンナ様は、怖くありませんの?」
「うん。怒ると怖いけど、普段はかわいいよ」
「そ、そうですか……」
納得いかないように、ミアが首を傾げる。
僕は微笑みながら、イリに出会ったからだと思う。
あの真ん丸の目を見た時から、可愛いと思い心が通じ合った。
突然僕を連れ去ったり、周りを蹴散らして突進したり、厄介な面はあるけど、僕を慕ってくる姿を見ると邪険には出来ない。
鎧を装着し
素手で竜に触れないなんて、人間とはまったく違う生き物なんだ。
あんなに可愛いのに……。
天幕を出て、イリから少し離れた所で立ち止まる。
トキと近衛騎士隊は竜を刺激しないように、立ち枯れた森の木の陰に待機していた。
ルディーナが指揮するモラスの騎士は、魔力の届く範囲で僕を囲む円陣を組む。
エランもその中にいた。
早くこの状況にも慣れなきゃ。
大勢の人間に護衛される事に戸惑い、彼等の視線に自由を奪われる。
溜息を吐きながらイリを振り返ると、竜は緩やかに首を上げ、何かを探して辺りを見回していた。
「イリ!」
僕が近づこうとしたその時、イリが鎌首をもたげ、身体を膨らませ翼を大きく広げて、口を開けて威嚇する。
暗い口の中から、赤い炎が揺らめく。
「え?」
「オーリン様、危ない!」
ルディーナの悲鳴にも似た警告は、イリの大音量の咆哮で消えた。
僕は耳を押えてうずくまり、意識を失いそうになり地面に倒れる。
それはモラスの騎士達も同様で、唯一影響を受けなかったルディーナが、僕の側に駆け寄り障壁を作る。
「大丈夫ですか、オーリン様?」
抱き起こされた僕は、耳が完全に聞こえなかった。
身体に大きな振動が伝わり、それが竜の近付く地を揺るがす振動だと気付いた時、僕は恐怖のあまり目を見開く。
イリは怒りに棘状鱗を逆立て、大きな口を開けながら僕に向けて突進してくる。
ルディーナの作り出す障壁に触れ、金属的な悲鳴を上げながらも、その障壁を突き破る勢いで、何度もぶつかった。
僕の耳が、<生命の水>の魔力で、徐々に回復する。
「ダメだ、イリ! 暴れるな!」
イリの鱗は障壁に触れて傷つき、端から割れ始めていた。
「イリ!」
僕がイリに駆け寄ろうとするのを、ルディーナが必死に押さえつける。
「いけません! イリはオーリン様を攻撃するつもりです」
「どうして? そんな事はしないよ!」
「オーリン様の声が、聞こえていない、分かりませんか?」
言われて僕は、呆然とイリを見つめた。
怒りで鱗は黒く変色し、目は興奮して尖り、大きな口の中から今にも炎を吹き出しそうになっている。
炎を吐かれたら、大勢の人間が焼け死ぬだろう。
「ゆっくり、後退しましょう。刺激しては、ダメです」
僕達は後退を始めた。
モラスの騎士達の中には、まだ意識を失って倒れている者達もいる。
エランが逸早く回復し、意識のある者達に障壁を作るよう呼びかけた。
トキと近衛騎士隊も意識のある者達は仲間を助け起こし、イリを刺激しない場所まで移動を始める。
イリはその動きに反応し、翼をバタつかせ大きな風を巻き起こす。
少し空中に浮きあがったイリは、上体を大きく反らし口の中の炎を周りに吐き出そうとした。
「火を吐くぞ!」
トキの警告に意識のある者達は、木立の陰に隠れ身を低くする。
イリが炎を吐き出した!
「イリ! 止めろ―――!」
僕が叫んだその時、上空に大きな羽ばたき音と、不思議な鳴き声が聞こえた。
イリは炎を吐くのを止め、その声に答えるように鳴き始める。
イリの鳴き声は、どこか物悲しく聞こえた。
羽ばたきが近付く、そしてイリより大きな竜が、地上に舞い降りた。
[リンクル、火を消せ!]
竜の背から命令が聞こえると同時に、周りを焼き尽くそうとした炎が消えた。
声の主は竜から飛び降り、イリの目の前に立つ。
テオフィルスは同情するように、イリに呼びかけた。
[お前の竜騎士は、いなくなった訳じゃない。今はお前に、心を開く事が出来ないだけだ。イリ、〈七竜の王〉として命じる、レクーマオピオンへ帰れ!]
イリは抗議して鳴いたが、七竜リンクルが一喝する唸りを発した事から、項垂れ従う素振りを見せた。
テオフィルスはアルマレークの方向を指差し、イリに飛び立つ命令を出す。
イリはまだ自分の竜騎士である僕を待っていた。
目の前にいる事に気付かず、僕が呼びかけるのを待っている。
[イリ! 帰れ!]
イリは僕を呼び、可愛い声を上げる。
だが、答えは返ってこない。
悲しい叫びを残しながら、イリは飛び立った。
風が巻き起こる中、僕はイリに向かって必死に呼びかけた。
「イリ、イリ! 僕はここにいるんだ、どうして分からないんだよ! イリ―――!」
「無駄だ! お前は七竜の加護を捨てた。ただの領主家血縁の扱いになったんだ」
「どういう事だよ? イリは、僕の竜だ」
僕は怒りから、テオフィルスに掴みかかる。
彼は溜息を吐きながら、冷ややかな目で僕を見下ろした。
「お前、七竜レクーマの声が聞こえないだろう?」
「あ……」
言われてみれば、そうだ。
レクーマの声も、身近にあった存在感もなくなっている。
「〈七竜の王〉との婚約を破棄したお前がイリに乗るには、何年もかけて一から竜騎士の修行に励むか、レクーマの指輪を嵌めるしかない」
僕は呆然と、彼を見つめた。
「馬鹿な、ヘタレ小竜。お前は竜騎士、失格だ!」
冷たく僕の手を振り払い、テオフィルスは元婚約者に背を向け立ち去った。
僕はただ、その姿を見送るしかなかった。
イリに失った悲しみに、一筋の涙を流しながら……。