「アミール……、どうして?」
セルジン王の最愛の女性が目の前に現れた事で、僕の鼓動は激しく高鳴った。
王を奪われてしまう、そんな恐怖に怯えた。
僕はまだどうしようもなく子供で、目の前に立つ女性はかつて王の愛を独占し、死んだ後も彼の心に長く生き続けていた存在。
今も……、そうだ。
王が完全に
震える手で、彼の手を握りしめる。
はっとした王は僕に振り向き、顔を歪める。
「私が会いたかったのは女神だ。彼女じゃない……!」
そう言いながらも彼の目は、アミールに捕えられ抗う事が出来ない。
僕はただ手を強く握りしめる事しか出来ない。
聖鳥シモルグ・アンカは死者の魂を運ぶ、セルジン王の心の奥底の願いを、叶える事も出来る。
『セルジン』
アミールは彼に微笑みながら、優雅に手を差し伸べた。
その手をセルジン王が取る事が、当然のように。
王はまるで操られるように、一歩踏み出そうとする。
僕は耐えられなくなって、王の身体に抱き付き阻んだ。
そうして王の鼓動の激しさを知り、絶望感に打ちひしがれる。
涙で何も見えなくなった。
「セルジン……」
苦痛に満ちた僕の声に、王は我に返った。
僕を抱きしめ、アミールを冷静に見つめる。
「君は、誰だ?」
王はアミールに呼びかける時の、言葉で訊ねる。
「そなた」ではなく、「君」という親しみを込めて。
『アミール・エスペンダですわ、私のセルジン』
懐かしい声……、
王は優しい微笑みを返しながらも、僕を強く抱きしめた。
「それは、知っている。私は女神に会いに来た……、君ではなく」
『女神は、私です』
王は驚きで、目を見開いた。
「女神……、君が? ……何の冗談だ?」
アミールは面白がるように微笑む。
『神が人と交わる事がないとでもお思いですか? そうやってあなた達エステラーン王国の《王族》は、誕生したのではなくて?』
「……」
『人間は薄情極まりない。天空の神々の慈悲も忘れ、地上に堕ちた者達を崇める。我等を忘れるから、こんな混乱が生じるのです!』
「女神……アミール?」
アミールはゆっくり首を横に振り、その身は薄ら光を帯び始める。
『我が名はアースティル、天界の守護者。あなた達の世では「戦いの女神」と言えば判るのかしら?』
その瞬間、凄まじい光が女神を光源として放たれた。
王は僕を庇いながら、身を屈める。
皆が王と僕を守るため、何も見えない状況ながら必死に前に出た。
人の盾が完了した頃、光の波は止む。
巨大樹の下に光り輝く戦衣を身に纏い、長い槍を携えた戦いの女神アースティルが、神々しい姿で現れた。
「それが君の本来の姿か……、アミール」
王は初めて彼女と出会った時の事を思い出す。
アドランとの小競り合いで窮地に陥った時に、見知らぬ凄腕の女騎士に助けられた、それが彼女だった。
あの時も、戦衣を身に付けていた。
戦いの女神だったのか……、強い訳だ。
正体も判らないまま二度目に出会った時、完全に心を奪われていた。
最初から〈管理者〉にする目的で、私に近付いたのか?
女神と判った今、心の中のアミールが消えかけている事を、セルジン王は悲しく思う。
「女神アースティル……、恐ろしい存在だ」
『私をお嫌いになられました?』
「それは、これからの対応次第だな」
王の腕の中で僕は、徐々に冷静さを取り戻しつつあった。
彼が肩を軽く叩いていたからだ。
「オリアンナ、しっかりするのだ!」
王の囁きが聞こえ、僕は顔を上げる。
彼が僕を見ている事に気付いた。
王から腕を放し、アースティルに振り返る。
彼女が神々しく輝いている事から、女神だったと分かり驚く。
「私に近付いたのは、水晶玉の〈管理者〉にするためか?」
王は不快感を滲ませながら問質した。
『あなたは誕生した時から私達を惹きつけたわ。だから水晶玉の〈管理者〉にする事を提案したの。我等と同じ永遠を生きるに相応しい』
「断る!」
王の態度に、女神は微笑んだ。
『あなたに断る権限は無いの、これは決定事項よ』
「権限が無いのであれば、余計に断るな。私は貴殿達と生きる気はない!」
女神は困った顔をした。
『お怒りですか?』
「当然だ。私の心を踏みにじった。女神といえども、許さぬ!」
女神は声を上げて笑った。
『面白い男。私を困らせて、何を要求したいのかしら?』
そう言って、王の横にいる僕を見つめた。
あまりの威圧感に、僕は恐怖を感じる。
『オーリン、何時まで隠れているつもり?』
その問い掛けに、僕はギョッとなった。
いつの間にか横に〈ありえざる者〉オーリンが立っていたからだ。
オッドアイの彼の横顔は緑の瞳の方を向けているため、まるで若いセルジン王が横にいるのかと思う程、王にそっくりだ。
美しい翼が、今は身を隠すように、彼の身体に巻き付いている。
『母上はきっと、怒るから』
オーリンは完全に怯えている。
『私が怒る? どうして?』
『父上が……、オリアンナ姫を選んだから』
『あら、そうなの?』
女神は微笑みながら、王を見つめた。
セルジン王は顔色一つ変えず、無表情に女神の視線を受け止める。
オーリンは僕の後ろに隠れた。
『言ったはずよ。その娘の性別を、男に変えるように!』
『仕方がないよ、父上が邪魔したんだ。小さい頃から、シモルグを使って会いに来ていたから。僕だって、父上に会いたかったし……』
突然、僕の横に光が降り、側にいた近衛騎士三人を直撃する。
騎士達はその場に倒れ、即死した。
あまりの突然の出来事に、皆何が起きたのか判らない。
「し……、死んでいる」
助け起こそうとした他の騎士が叫ぶ。
女神は何の素振りも見せず瞬時に人間を殺せる、その事に誰もが恐怖を感じた。
オーリンはますます僕の影に隠れ、王は二人を庇いながら抗議した。
「我が騎士を討つとは、許さぬぞ!」
『私を敵に回したら、どうなるかお解かり?』
激しい緊張が辺りを支配した。
セルジン王に庇われながら、僕はこの窮地を切り抜ける方法を探して辺りを見回す。
国王軍から離れた雲の道の端に、一人マルシオン王が女神を見つめて立っている。
彼の妃ロレアーヌは、《聖なる泉》を構成する一員として囚われたまま。
マルシオン王の望みは、妃を《聖なる泉》から解放する事だ。
僕は《ソムレキアの宝剣の主》、重要な役割から、女神も手が出せないのではないかと思えた。
だから聞いてみたのだ。
「あの……、女神アースティルさん」
突然、拍子抜けする声が、緊張する国王軍の真ん中から発せられた。
一同は唖然としながら、僕を見る。
僕はセルジン王の後ろから顔を覗かせ、女神を見つめた。
『宝剣の主オリアンナ、命乞いなら無駄よ。エステラーン王国は滅びるのだから』
「そうじゃなくて……、マルシオン王のお妃様を《聖なる泉》から解放するには、どうしたら良いのですか? 女神様ならご存知なのでは?」
マルシオン王は呆れたように目を見開く。
女神の罠に堕ちた者を救い出す方法を、女神に聞く僕に呆れた。
そんな事は考えた事もないようだ。
女神は鼻白むように、僕を見つめた。
『私が怖くないの?』
「怖いです。でも、それ以上に知りたい! 僕は役割を担って死ぬ身です、教えてくれたっていいでしょ?」
「オリアンナ!」
セルジン王は僕の大胆さに肝を冷やしながら、なおも女神から隠そうとする。
女神は声を上げて笑った。
『面白い娘。私の愛する男を奪っておきながら、私に頼る? 答えるとお思い?』
「水晶玉の〈管理者〉は、あなた方と生きる者じゃないんですか? マルシオン王は、お妃様の解放を願っておられます!」
「オリアンナ姫! 止せっ」
マルシオン王は怒りを感じ、国王軍に近付く。
『マルシオン、本当か?』
「……あなたが答えるとは、思えない」
『見限られたものだ。簡単な事、宝剣の主がはめている〈抑制の腕輪〉を、あなたがはめて迎えに行けば良いだけよ。今は駄目でも、平和な時は泉の構成員はいくらでもいる』
マルシオン王は信じられないように、女神アースティルを見つめた。
『ただし、解放するという事は、彼女に死を与える事。二度と会えなくなるが、それで良いのか?』
「…………」
『良く考えなさい』
マルシオン王は項垂れた。
水晶玉の〈管理者〉は永遠に時の放浪者となる。
彼にとって妃が心の支えではないのか。
女神の罠に堕ちたと言っていた彼に、ロレアーヌ妃は恩情として残された者ではないのか。
僕の心に、なぜか女神アースティルに対して親しみが湧いた。
「陛下、戦いの女神にも、情が通じるのですね」
国王セルジンは呆れて、頭を抱えた。
「そなたは良い意味で、まだ子供なのだな、オリアンナ」
「え?」
「あれは今、我が軍の騎士を三人も殺した、戦いの女神だぞ。気を許すな!」
「は……、はい」
僕のあまりの緊張感の無さに、周りは呆れ苦笑する。
緊張が緩んだ事から、王は女神に切り出した。
「この姫君は大切な《ソムレキアの宝剣の主》だ。それは貴殿も同じだろう、女神アースティル」
『あなたを水晶玉の〈管理者〉に出来る唯一の存在ですもの、当然ですわ』
「マルシオン王は水晶玉の〈管理者〉になる事と引き換えに、アルマレークの竜を大人しくさせた。私も条件を出したい」
『……その娘の延命なら、不可能よ!』
気勢を殺がれた王は、呆然となる。
『当然でしょう? その娘は死者、オーリンの命の光が宿っているだけの死者なのです』
「……では、水晶玉の〈管理者〉にはならぬ!」
女神は再び声を上げて笑った。
『あなたはその娘に感化されて、子供にでもおなりになったの? 無理難題を言われても、出来ない事もあるのです。それよりもっと、望む事があるのではなくて?』
セルジン王は悔しさに顔を
「何か、方法はないのか……?」
「方法なら、ある!」
国王軍の後方から、低い大声が響き渡る。
テオフィルスが、女神を睨みつけながら立っていた。
『竜の眷属? マルシオン、どういう事です!』
「……知らぬ! セルジン王に聞け」
女神がテオフィルスに向けて、槍を向けた。
矢のような光が
『我が宮殿に竜など、汚らわしい!』
戦いの女神は、その本性を現した。
竜の血を求め、残虐な殺戮を求め、その容貌は殺気が集約するように変化した。
戦う為に!
「セルジン王、本当の望みを言ったらどうです!」
テオフィルスもまた、女神と戦う意志をむき出しに叫んだ。
「エステラーン王国を、存続させたいんじゃないのか!」