桃香ちゃんと愚連隊   作:ヘルシェイク三郎

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第一回 呉子遠、五台山で大人物と出会う

 呉懿子遠(ごいしえん)はエン州の陳留郡(ちんりゅうぐん)の生まれである。

 エン州は、古くに斉の桓公を輩出し、高名な儒者を多数生んだ土地であるが、子遠自体は後に英雄として名を馳せるような――、いわゆる将器を持つような輩とは似ても似つかぬ人となりをしていた。

 

 散逸された諸資料を筆者(わたし)こと、羅貫中が拾い集めた限りで言えることは……。

 良く言えば、生真面目であり。

 悪く言えば、小人物である。

 そんな、およそ大事を成そうという志を抱きすらしない、まさに"平凡"という言葉を体現したかのような性格をしていたことは疑いようがないだろう。

 

 子遠に転機が訪れたのは、丁度光和六年(183年)の春ごろになるだろうか。

 彼は、叔母が皇帝の外戚である何進(かしん)の私兵をやっていたということもあり、洛陽の近隣で学問を学び、武芸を鍛え、何進の下でそれなりの職に就くことができていた。

 ……といっても、この大陸において才気を持つものの大半は女性であり、男で大成するものはごくわずかにすぎない。

 当然ながら、彼も文武をそれなりに身につけたものの、そのどれもが人から頭抜けた能力を持つには至らなかった。

 大概の事を人並みにこなす男。恐らく、周囲からはそのように見られていたのだと考えられる。

 

 与えられた仕事を人並みに片付け、それなりに充実した日々を送っていた子遠は、ある日叔母の家に呼び出され、いきなり借金をせびられた。

「し、し、子遠さ、後生だ。オラに金さ、貸してくれねえだか」

※このようなやりとりが実際にあったかは分からないが、筆者(わたし)が散逸された資料から判断するに、似たようなやり取りがあったことは想像に難くない。

 

 叔母の呉匡(ごきょう)はこの時、三十路を越えたあたり。その風貌は伝わっていない。

 彼女は何進よりかなりの給金を貰っていたが、大変な浪費家で多くの借財を重ねている人物でもあったという。

 時には阿蘇阿蘇(アソアソ)に載っていた冬物ふぁっしょんを大人買いし、また時には洛陽魚香(らくよううぉかあ)を頼りにお勧めの酒家に繰り出し、朝まで酒食に耽てしまう。

 筆者が思うに、雑誌の作る流行に乗せられてああだこうだと動く人間は大抵が頭が緩いはずなので、恐らくこの呉匡なる人物もかなりのぱーぷりんであったに違いあるまい。

 その羽毛の如き軽い頭は、何進に仕えることになった経緯が「肉食いてぇ」であったことからも窺えよう。

 

 たかが肉ごときで釣られるとは何事か。漢書曰く「肉なんぞ太るだけで百薬の長にもなりませぬ」とあるように、食べるならばやはり甘味だ。

 ああ、甘味ならば、筆者も釣られてしまうやもしれぬ。

 

 閑話休題、この時の呉匡は都で有名な干人(ホスト)に引っ掛かっていたらしい。

 当世においてもそうであるが、官職を得た女性は得てして婚期が遅れるもので、婚期が遅れると憂さ晴らしとばかりに商売男にのめり込むことがある。

 呉匡はまさに行き遅れ女の代表格であった。

 

 時は光和年間、霊帝の治世。

 都で起きた天変の地異に対し「あー、男なんかが政治にかかわっているから起きるんじゃないですかね」と進言がなされ、「なるほど、確かに!」と容易く受け入れられるような男性蔑視の風潮の中でのことである。

 たとえ行き遅れの風当たりは強くないとしても、やはり思うことがあったのかもしれぬ。

 

 子遠は行き遅れた叔母を大変哀れに思い、三か月分の給金を貸すことにした。

 すると、味をしめた叔母は翌月になってさらに借金をせびってくるようになり、以降は金に困ったら甥に頼るようになる。

 流石の子遠もこれには憤りを見せ、

「いい加減にして下さい、伯母上。干人は、干人は結婚してくれませぬ」

 と彼女の愚行をたしなめた。

 

 しかし、叔母は子遠の言い分を聞かないばかりか、

「かかか彼は、こここ今後をオラに誓ってくれただよ! だってのに、そげな言い方はねえべや! 大体子遠さが職にありつけてんのは、オラの伝手だべ! そげな子遠さがオラに何て口聞くだか!」

 などと意味不明なことを供述し、常日頃より八つ当たりをするようになったため、子遠は日々の仕事に支障が出るようになった。

 温徳殿(おんとくでん)には大蛇が現れ、大河は時に氾濫した。

 明けの空には凶星が輝き、雄鶏(おんどり)は何故か雌になった。

 

 このままでは命も危ぶまれるのではと恐れた子遠は、

「今までお世話になりましたが、それがしにも生活というものがございます」

 とまくしたて、職を辞して放浪の旅に出ることを決意する。

 

 左氏伝に曰く、「黄河の濁りが清く澄むのを百年も待つなんて馬鹿じゃねえの」とあるが、それからの子遠はいにしえの君子を思わせる迅速さを見せた。

 四半刻とかけずに荷物をとりまとめ、「善は急げ」とばかりにさっさと河南郡より逃げ出してしまう。

 余談になるのだが、筆者は歴史上の人物が見せるこういった有能さの片鱗が愛しいと思える。

 何で物語や歴史上の人物はかっこよく見えるのだろう。

 ああ、現実の男性はやっぱりクソだと思いました。まる。

 

 さて、彼の出立を耳にした同僚の肉食系女子たちは大いにそれを悲しんだという。

 特に行き遅れ女たちの怒りは凄まじく、温徳殿(おんとくでん)には大蛇が現れ、都をすさまじい雷雨が覆った。

 青州を大津波が襲い、雌鶏(めんどり)は何故か雄になった。

 朱雀門では呉匡を狙い、素性の知れぬ匪賊が襲いかかったが、これは容易く返り討ちにされた。

 

 こうして、河南郡を発った子遠は幼くして亡くした母との思い出が残る陳留を避け、何故か幽州(ゆうしゅう)の啄郡《たくぐん》へと向かう。

 幽州は河南と比べると田舎である。

 しかし田舎ではあったが、風光明媚な良い土地でもあった。

 

 子遠は大いに風光明媚を楽しみ、道中で子どもに文武の芸を教えつつ、時には用心棒まがいのことをしつつも五台山(ごだいさん)の麓の街まで辿り着く。

 街では管輅(かんろ)なる占い師が、怪しい予言を流布していた。

 

「何だ、何だ」

 と民草が集る中で、管輅は高らかにこう叫んだそうだ。

「東方より飛来する流星群は、乱世を治める使者の乗物ですぞー! このままでは世界が滅びますぞー!」

 当時は、官匪の横暴、太守の暴政がまかり通る世になっており、巷では重税に耐えかねた農民が匪賊にやつして民を襲うこともあった。

 まさに世紀末を思わせる乱れようだ。

 当然、何進の私兵ながら役人まがいの仕事をしていた子遠もその予言に思うところがあり、思わず管輅に声をかけてしまう。

 

「なるほど、確かに今の世は乱れており、流星のような天変が起きてもおかしくはない。しかし、この世が滅ぶとはいかなる了見か。あまり滅多なことは言うものではない」

「それではもう金輪際言いませんので、あそこの酒家で麻婆豆腐を食べさせてはもらえないでしょうか。……もう三日も何も食べていないのです」

 子遠は管輅を哀れに思い、一杯の麻婆豆腐を与えることにする。

 これは幽州魚香(ゆうしゅううぉかあ)にも載るほどの絶品であったそうで、その日の管輅は占いを止めた。

 

 満腹ご満悦の管輅によくよく話を聞いてみたところ、どうやら流星の飛来自体は本当に起こり得るらしく、子遠は万が一に備えて東方の月が見える峰に陣取り、天変を見張ることにする。

 一日経ち、二日経ち、三日経ったところで、天変ではなく、周辺に異変が生じた。

 

 桃色髪の少女が、匪賊に襲われていたのである。

 その少女こそが、劉備玄徳その人であった。

 

 筆者はこの出会いこそが、劉備玄徳の運命を決める一種の分岐点だったのではないかと考える。

 何故ならば、ほぼ同時期に後の世に大きな影響を残す、桃園三兄妹が五台山にて劇的な出会いを果たしていたからだ。

 もし、玄徳が子遠と出会わずに、三兄妹と出会っていたらどうだろう。

 やはり、三国一のち、ちん、種馬とすら謳われる長兄の、あれや、これやにハマってしまったのではないだろうか。

 

 歴史に"たられば"はないものの、歴史が大いに狂ったであろうことだけは想像に難くない。

 

 

 

 

「へへっ、嬢ちゃん……。一人でこんなところをふらつくなんて無防備にもほどがあるぜぇ」

「やっ、いやっ……!」

 上弦の月に照らされた竹林の中で、匪賊らしき三人の男どもに少女が襲われている。

 少女は腕を掴まれて、ぽよん。

 必死に抵抗するも、ぽよん。

 気を十分に使えない女性の力では、ぽよん。

 ふりほどけずにいるようで、ぽよん。

 泣きそうな顔で叫んでいた。

 ああ、凄い。いや、何がとは言わないが。

 

 しかし、いくら河南を出たとは言っても、こんなガチの婦女暴行現場に出くわすとは思ってもみなかったため、それがし正直驚いている。

 

 田舎って実は修羅の国なんだな……。

 最近大陸中で治安が悪化してきているというのは、あながち本当のことなのかもしれない。

 どこもかしこも、都住まいをしていたそれがしの知る常識とは、違った理で動いているのだ。

 

 ああ、誰だ。都での窮屈な生活を捨て、田舎で自由にゆるやかに暮らしたいとかいっていた奴は。

 それがしである。

 ……今更ながら帰りたいなあ、都!

 

 しかし、それがしの郷里に向ける思慕が募っていくのとは全く別問題として、眼下で行われつつある蛮行を見過ごすわけにはいかなかった。

 何せ、これでも何進様の家来として、河南の治安を守り、兵庫の番を務め、それに手の空いた時には市場の経理も手伝っていた身の上である。……結構、労働条件きつかったな。

 とにかく、何処に目があるか分からないのだ。

 いたいけな少女の窮地を捨て置いたと何処ぞで噂されれば、今後の就職活動に支障が出るかもしれない。

 悪評が千里を走る前に、さっさとその芽を摘んでしまおう。

 まずは、勝てそうな相手か検分する。

 匪賊の数は伏兵がおらぬのならば三人。

 不意をつけば、十分に勝機が見込める数であった。

 

 匪賊の一人はこんぼうを持っており、贅肉の詰まった腹を愉快げに揺らしている。

 力はあるやもしれないが、鈍そうだ。

 もう一人は短刀を持つ小柄な男。

 こいつは嫌らしい笑みを浮かべながらも、少女から一番距離をとっている。

 臆病なのか、この三人組の中でもっとも下っ端なのかのどちらかであろう。

 最後に少女を捕まえている、頭髪の薄い細男である。こういう歳のとり方だけはしたくない。

 こいつは背中に青竜刀を提げており、見た感じでは一番使えそうな雰囲気を放っていた。

 

 んーー、都でよく見る、明らかにやばい奴らの匂いはしない。

 大抵才気を放っている人物は見ただけで分かるのだ。

 例えば、道すがら涼州弁を話す女とすれ違ったら、そっと俯いて道を譲るのが正しい。

 

 友人のまさし君が言っていた。

 この世の中には「ひろいん」と「もぶ」がいる。君は実に「もぶ」だなあ、と。

 言葉の意味は分からなかったが、匪賊は多分「もぶ」にあたるんじゃないかと思う。

 「もぶ」と「もぶ」が相対するならば、後は武術の練り上げ方が物を言う。

 百姓殺法なんのその。都剣術の使い手たる、それがしならば十分に打ち倒せるはずだ。

 ……うん、やろう。

 

 それがしは護身用の短槍を構え、少女のもとへ駆けつけようとする。

 その瞬間――、

 

 ぽよん。

 

 涙で顔をぐしゃぐしゃにする少女の双丘が派手に弾んだ。

 ……なんたる見事な大きさだ。

 まるで、五台山のような母性を感じる。もう少し助けるのを待って、弾む様を見ていたいという魔力がそこには秘められていた。

 

「……あっ」

 だが、少女と目が合ってしまった。

 空色の、(ぎょく)を思わせる綺麗な瞳だ。そんな目で縋られては、もう躊躇する余地はない。

 まさし君の人物観に当てはめるならば、彼女は間違いなく「ひろいん」に当たる人物だ。

「ひろいん」が悲しい目にあってはならない。

 

 それがしは竹林を駆け、短槍を振り回し、少女を取り押さえる匪賊どもをさんざんばらに叩きのめした。

 

「な、何なんだ手前は――、ぐえッ」

 最初の一撃は一番厄介そうな、頭髪の薄い男に向けて放った。

 こいつさえ無力化してしまえば、後は恐らくどうにでもなる。

 

「ななな、何だぁっ?」

 事実、贅肉の目立つ大男――、ああ、めんどうくさいな。デブで良いか。

 デブは、まともな体の使い方も知らず、ちょっと足を引っかけただけで動けなくなってしまう。

「ひぇぇっ」

 チビは得物の使い方も心得ておらず、無暗に振り回すばかりだった。

 

 匪賊に身をやつしている者の大半がただの食いっぱぐれであるとは風の噂で耳にしていたが、どうやら正しい情報であったようだ。

 都では平均より少し上程度の腕前でしかなかったそれがしが、こうも簡単に無双できてしまう……。

 正直、心地よくないと言えば嘘になった。

 

 ……決め台詞とか言うべきであろうか?

「――狩られる立場になった気分はどうだ?」とか、「覚悟は良いか? それがしはできている」とかそういうの。

 都でまさし君にかっこいい決め台詞を教わったときには、まさに心が震え立ったものであった。

 

 ただ、そういう台詞は本物が言うからこそクソかっこいいのであって、「もぶ」の放つものではない。

 ここで運悪く本物の達人と出くわせば、ただの赤っ恥である。やはり無言に徹することにした。

 

 こうして、最後の一人を打ち倒した後、それがしはゆっくりと残心をとり、深い息を吐く。

 都で学んだ武術がまともに通じて、本当に良かった。

 

「あ、あわわわわわわ……」

 さて、狼藉を働いていた者どもの処遇である。

 正直殺してもよかったのだが、今回は生かしてとっ捕まえることにした。

 街の官吏に引き渡して、就職の糸口とするためだ。

 

 悲しいことにそろそろ路銀が尽きかけており、どこかで労働にいそしむ必要があったのだ。

 ……ああ、嫌だなあ。働くの。

 ただでさえ、人間関係に疲れて河南を逃げ出してきたっていうのに、また上司にへこへこしなければならないのか。

「この愚図男」とか「あんた、二十歳にもなって、まだ伴侶いないの」とか「ほんと男って汚らしいわね、近づかないで、妊娠するから」とか日常会話に織り込まれるのか……。

 ……嫌だなあ。

 

 それがしの吐息が悲嘆のそれに代わったところで、

「あ、あのっ」

 悪漢の魔の手から解放された桃色髪の美少女が、豊かすぎる胸に手を当ててこちらに声をかけてきた。

 何処か、ぽややんとした空気を漂わせる娘だ。

 白地と緑地に染め上げられた装束は金の縁取りがされており、白磁のように透き通った肌を、より一層に映えさせている。

 恐らくは上等な絹を使っているのだろう。ただの平民ではなく、県令か何かの令嬢なのかもしれない。 

 太ももの見える短袴(たんばかま)は、阿蘇阿蘇でも紹介されていた"すかあと"だと思われるが、詳しいことを思い出そうとすれば頭がずきりと痛んでくる。おのれ、伯母上。

 

 ……丈が短いなあ。眼福だなあ。

 視線を悟られぬよう、それがしは少し薄目の状態で彼女と向き合った。

 

「無事で何より。昨今は治安が乱れておりますから、一人旅なぞ関心いたし――」

「あ、貴方はもしかして天の御遣い様ですかっ?」

「ヌッ?」

 ものすごい空色の瞳を輝かせながら問いかけられた。

 これは間違いなく、まさし君の言う「ひろいん」の風格を持ち合わせておられる。

 もし、彼女に「私のために大将軍になって」と請われれば、喜び勇んで何進様の首を取りに行き、返り討ちに合ってしまうかも知れない。……って、妄想でも勝てないのかよ、と己の非才に驚愕した。

 

 しかしながら、と思ってもみなかった言葉に首を傾ける。

 御遣い、御遣い……。

 何処かで聞いた覚えがあった。

 しばし記憶を巡らせてみたところ、

『このままでは世界が滅びますぞー!』

 と道端で叫んでいた似非占い師の幼女を思い出す。

 

「ああ、管輅なる少女の占いですか」

「そうです! ……あ、管輅ちゃんのことを知っているなら、地上の人ですよね。多分……」

 そうですよねー、あはは、と少し肩を落として桃色少女は力なく笑った。

 いわゆる曇り顔という奴だ。

 まさし君などは、「曇らせたい、その笑顔」と道行く少女に向かって真顔で言っていたことがあったから、一部の層には需要のある表情なのかも知れない。

 ただ、んー。それがしとしては、やはり美少女には笑っていてもらいたいのよなあ。

 笑顔こそが眼福の極み。

 少し、頬が赤らんでいるとさらに良し。

 

 それがしは彼女の顔を明るくすべく、こほんと咳払いをして問いかけた。

「天の御遣いなるお方を、何故探しておられるのです?」

「えっ?」

「いや、それがしも旅のみそらですから。何か役立てるかもしれませんぞ」

 そう申し出ると、曇りがちだった彼女の表情に、ぱあっと明かりが射しこんでくる。

「あ、ありがとうございますっ!」

 ころころと表情の変わる、良い娘だった。

 

「ええっと。私、天の御遣い様にこの大陸を救ってもらいたいんです」

「ふむふむ」

 大陸とは大きく出たもんだ。

 例えば、税の重い地域では、役人の課す税を納められない民草が大きな街まで逃げてきて物乞いをすることはあると聞いている。

 そういった場合でも、彼ら彼女らが他人に対して望むものは、"自己の保身"か"身内の保身"であろう。

 だが、この娘は"大陸を救って欲しい"と言った。

 あまりにも重たい望みだと呆れもするが、それと同時に敬意も覚える。

 この娘は、この大陸に住む人々のすべてを身内のように慈しんでいるのかもしれない。

 

「今の世の中は、お役人様がたくさん税金を取って、好き勝手していますし、盗賊もいっぱいいて弱い人をいじめていますよね」

「確かに。都では宦官にわいろを贈って、猟官活動をすることがさも当たり前のようにまかり通っておりますな」

「そう! そうなんですよっ。皆が働いて得たお金が、わいろに消えちゃうせいで、暮らしがちっとも楽にならないんです!」

 耳の痛い話である。

 河南で仕事に就いていた時には意識していなかったことだが、こうして幽州くんだりまで来てみると、今の治世にひずみが生じてきていることがよく分かった。

 じゃあ、それがしに何かできるのか? というと何もできない。

 だって、無職だもの。

 無職の吐く気焔は、酒家で吐く親父の吐しゃ物に良く似ている。

 要するに、まるで意味がないということだ。

 

「私、力ない人を守りたくて。でも、どうすれば良いか分からなかったところに、管輅ちゃんが御遣い様のことを教えてくれたんです!」

「それで御遣いを探していたと。なるほどなあ」

 立派な心掛けだと心から賛辞を送りたい気分であった。

 常に上司の顔色を窺い、日々の潤いは上司の机に彼岸花を生けることだけであった以前のそれがしが耳にしたら、この場で跪いてしまいそうなくらい、綺麗で壮大な志である。

 しかも、ちゃんと行動に移しているのだ。

 似非占い師の言うことであるし、御遣いなどというものが本当にいるとは到底思えないが。

 

 この娘はよほど環境に恵まれたのだろう。

 だからこそ、豊かな心と大きな胸がここまで育ったのだ。

 うん、素晴らしい。何処がとは言わないが。

 残念ながら、それがしは御遣いの居所を、それどころかこの世に存在しているのかすら知らなかったが、出来得る限りの手助けをしてやりたいと思ってしまうくらいには、彼女のことが気に入ってしまっていた。

 清らかであれ、この笑顔。

 

「力のない人を守りたいのですよね」

「はいっ!」

 彼女は拳をぎゅっと握り、力強い声で答えた。

 少し動くたびに、ばるんっとしておられる。何処がとは言わないが。

 

「役人の不正は平民にどうにかできるものではありません。役人は(まつりごと)に関わっており、平民は関わっていないからです。そして歪みの根源は中央のお偉いさんにあるわけですから……、いかに御遣いが力を持っていたとしても、それを正すのは難しいかもしれません」

「ううっ、そうですよね……」

「ただ、匪賊の横行については解決することができると思います。それこそ、御遣いに頼らずとも、我々一人一人の力によって、です」

「――っ、本当ですかっ?」

 彼女はそれがしに詰め寄り、ほっそりとした指でそれがしの手を強く握りしめてくれた。

 あー。

 うん。

 あー、これは。

 無慈悲な都での生活にささくれ立ったそれがしの心に、凄まじいほどの癒し効果がある。

 行き遅れとか、肉食系とか、あからさまに男を馬鹿にする上司とか。

 そう言う輩とは一線を画した、気立ての良さがここにある。

 

 彼女の笑顔力(えがおぢから)を浴びた今なら、山賊の一万や十万くらい退治できるかもしれない。敵に涼州弁を話す女とかがいなければ、何とかなる……、気がする。いや、気のせいかな?

 それがしは高鳴る心臓の鼓動をごまかしつつも、極力平静を装って彼女に言った。

 

「例えば、匪賊の被害を憂う者たちで義勇兵団を立ち上げます。匪賊は群れるからこそ、弱き者を蹂躙できるのであり、それはこちらも同じです。つまり、匪賊に対抗するためには、こちらも群れてしまえば良いのです」

「そっか! あっ……、でも。それってお金がかかるんじゃないですか? 私、お友達からお金を借りている身で……」

 恐る恐るといった風に俯きながら言う少女に対し、

 

「いやいや。確かに貴女は元手を持ち合わせていないのかもしれませんが、少なくとも貴女がここで声を上げたことで、一人は匪賊を打ち倒すべく立ち上がりましたよ」

 とそれがしは、精一杯の笑顔を浮かべて返した。

 

「えっ?」

「やらない善より、やる偽善とでも言いますか。こんな乱れた世の中です。綺麗ごとの一つも聴きたいじゃありませんか。少なくとも、それがしは今貴女の志を聞いて、『よーし、やるぞ』という気になりましたよ。明日には、匪賊を一人くらい退治しているかもしれません。世の中も、一歩くらいは良い方向に向かったんじゃありませんか?」

 それがしなりのかっこつけである。

 無論、本心から来る言葉ではない。

 

 たとえ、平平凡凡とした能力しか持たないそれがしが馬鹿正直に匪賊狩りを始めたところで、いずれは志半ばで倒されてしまうだろう。

 かといって、一から義勇兵団を募らんと呼びかけたところでまともに集まるとも思えない。

 だから、本心の七割くらいが適当に吹いた法螺である。

 ただ、残り三割くらいは「マジで頑張ってみてもいいかなあ」くらいに思っていた。

 今ここで目の前の少女からの尊敬を勝ち取ることは、今後それがしの未来にある、いかなる事柄よりも大事だと思えたのだ。

 ……後、正直な事を言えば、しばらくはまともに仕事がしたくない。

 

「そんな……」

 少女は口元に手を当てて、いたく感銘を受けていたようであった。

 それがし会心の演技である。

 後はこの場での尊敬を勝ち取れるだけ勝ち取り、格好良く立ち去って、しばらくは彼女の笑顔をおかずに幸せの余韻に浸りつつ、適当に手近にいる盗賊に喧嘩を売りながら、飽きたあたりで「我、器にあらず」と活動を止めれば、完璧だ。

 まさしくんが、「もらとりあむ」は大事だといっていたからな。

「もらとりあむ」って何だろう。

 

 しかし、事態は少女の一言によって思わぬ方へと向かってしまう。

「わ、私もお手伝いしますっ!」

「ファッ!?」

 この申し出には仰天してしまった。

 予定が狂い、混乱するそれがしに対し、彼女は畳みかけるようにして言ってくる。

 

「やらない善より、やる偽善。すっごく良い言葉だって思いました! 力ない人たちのため、今はどんな些細なことでも行動に移さなきゃいけないんですよね!」

 ふんす、と力みながら鼻息を荒くする少女。

 

「一人よりも皆で。何時かやってくる幸せな未来のため、一緒に、弱い者いじめをする人たちを懲らしめちゃいましょうッ!! 義勇兵団を、立ち上げるんですっ!」

 え、貴女も戦うの?

 盗賊に捕まって、いやらしいことをされてしまう未来しか見えない……。

「家の方が心配なさるのでは――」

「既に家は出ていますっ」

 この流れは、この流れはまずい……!

「あ、あいや。待たれよ。お待ちを――」

「待ちませんっ!」

 それがしは「ひろいん」の厄介さを改めて思い知った。

 この手合いは一度こうと決めると、絶対に初志を貫徹するし、謎の覇気によって周りを従えてしまうのである。

 事実、それがしは心が屈服しつつあった。

 少女は、それがしに向かって白い手のひらを向けて笑う。

 

「私……。今この瞬間、天の時と人の和を得ました。人の和は貴方ですっ!」

「お、おう」

 五台山に降り注ぐ、静かな上弦の月明かりを浴びて、少女がきらきらと輝いている。

 

「私、劉備って言います。劉玄徳。幽州(ゆうしゅう)啄郡(たくぐん)、楼桑里の生まれですっ」

「あ……、ご丁寧にどうも。それがしは陳留郡の呉懿(ごい)、呉子遠と申します。それで流石に義勇兵団というのは――」

 彼女は、まったく話を聞かない。

 

「私の真名……、子遠さんに預けます。桃香って言うんです! これから二人で力ない人のため、頑張りましょうねっ」

 ああ、駄目だ。

 真名まで預けられては逃げ出せない。

 この大陸において、真名は忌み名より尊く、一度名を預けた相手を未来永劫信頼しなければならないという意味合いがあるのだ。

 しかも男と比べ、女の、美少女の真名はすさまじく価値が高い。

 これで「やっぱり怖いから不参加で」とか「飽きたから義勇兵団を辞めます」などと言いだしたら、それがしの悪名は大陸中に知れ渡ることだろう。

 道行く人に「クソ男」とか「あんた、二十歳にもなって、まだ伴侶いないの」とか「喋らないで。アンタの息で妊娠するから」とか言われてしまうに違いあるまい。

 最早、義勇兵団に参加するより他に手はなく、まともな職に就くことはできない――、

 

「……待てよ、むしろ就く必要もないんじゃないか?」

「どうしました? 子遠さん」

「いやいや、こちらの話です」

 そもそもの話、上司の嫌みを笑顔で受け流し、へいこらする日々に嫌気がさしたからこそ、前職をほっぽり投げたのだ。

 冷静に考えて、玄徳殿と一緒に働くという前提で、前職と義勇兵団を比較してみよう。

 それがしはきらっきらと輝く玄徳殿の笑顔を見る。

 

 まずは同僚についてだが、

 何進様の私兵 … そびえ立つクソ

 義勇兵団   … 大きい

 

 次に給金についてだが、

 何進様の私兵 … 左団扇

 義勇兵団   … 大きい

 

 最後に最も慎重に考えるべき、命の危険についてだが、

 何進様の私兵 … 戦になれば決死隊

 義勇兵団   … 大きい

 

 んんんんんんっ? 悪くない待遇じゃないか、これは?

 すべての面において、義勇兵団の魅力が勝っているように見える。

 これは……、これは、決意すべき時なのかもしれない。

 

「玄徳殿」

「はい!」

 満面の笑顔が花咲いている。

 

「それがしの才は、人並みに過ぎません。一騎当千の働きはできませんから、玄徳殿をがっかりさせてしまうかもしれませんよ」

 それがしの言葉を聞いた劉備殿は、大きく(かぶり)を振って答えた。

 

「ううん! 私だって、一人じゃ何もできないもんっ。でも子遠さんと一緒なら、もっと、もーっと世の中のためにできることが広がる気がするんです」

 玄徳殿は、両手を星空に向かっていっぱいに広げた。

 無邪気な彼女の展望には、きっと輝かしい未来しか見えていないのだろう。

 しかし、それで良い気もする。

 

 まさし君が、「ふぁん」は「あいどる」を見るだけで幸せな気分になれるとか言っていた事があったのだが、今のそれがしはまさに玄徳殿の「ふぁん」になってしまったのかもしれない。

 それがしは、決意した。

「わかり申した。今このときより、それがしは玄徳殿を支えることといたしましょう」

「やったー!」

 感極まって抱きついてくる玄徳殿が柔らかくて。

 もう、今後のこととかどうでもよくなってしまう。

 あっ。いや、今後の展望はやっぱり必要だ。

 それがしは心配性なのである。

 

「げ、玄徳殿」

「はい!」

「今後のことですが……」

「はい!」

 良い返事だ。聞いていると心が浄化されていくようである。

 

「とりあえず、義勇兵団を立ち上げるには資金が必要になると思います」

「えっ? でもさっきは声を上げるだけでいいって……」

 こてんと首を傾げる玄徳殿。可愛い。

 

「それがしと二人だけで匪賊退治を続けようとするならそれでも良いのですが、やはり義勇兵団の規模を大きくしようとするならば元手が必要なのです」

「そっかあ、でも私……、お金あんまり持ってないんです」

 しょぼんとする玄徳殿。可愛い。

「日々の糧も稼がねばなりませんし」

「んーー……」

 どうしたら良いかと、おとがいに指を当て、うんうん唸る玄徳殿。可愛い。

 

「それがしに秘策があります」

「どんな秘策ですかっ?」

 目をきらきらとさせる玄徳殿。可愛い。

 

「匪賊の身ぐるみをはいで、路銀の足しにしていきましょう」

「えっ? それじゃあ匪賊と一緒になっちゃうんじゃ……」

「いえ、彼らの財は元は力ないものから奪った財です。だから、匪賊の身ぐるみをはぐことは、民草に財を返すということに繋がるのです」

 正直に言えば、まともに働きたくないだけであった。

 上司にへこへこするくらいならば、匪賊相手にカツアゲをしていた方がマシである。

「なるほど! 子遠さんが言うなら、そうかもしれないねっ」

 玄徳殿が納得するのとほぼ同時に、縛って放置していた匪賊三人組はガタガタガタガタと震えだした。

 

「お、鬼! 悪魔っ!」

「乱世を正すためだから。というわけで、持ってるものはすべていただくぞ。デブ、チビ、ハゲ」

 それがしが真顔でそういうと、三人組の顔色が青くなった。

「あ、あわわ」

「ひええ」

「俺、まだ禿げてねえよー!」

 そんな様子を流石に哀れに思ったのか、

「力ない人を守るためなの。ごめんね……、デブさん、チビさん、ハゲさん」

 すごく悲しそうな顔で頭を下げる玄徳殿。可愛い。

 最早退路を立たれたと思ったデブとチビは魂が抜けたようにへたりこんでしまう。

 だが、ハゲは違った。

 

「お、俺。貴女様の、玄徳様のお志にいたく胸を打たれました! どうか、俺を家臣にしてください!」

「えっ、私の?」

 ちらっと、それがしのことを玄徳殿とハゲが見る。

 ハゲの発案に活路を見出したデブとチビまでが地べたに頭を擦り付ける勢いで懇願してきた。

「お願いします! お願いします!」

「お願いします! お願いします!」

 あー、うーん。

「子遠さん……」

 ここまでされて、許さないというのも玄徳殿の心を傷つけかねない。

 また何かしでかした時に、身ぐるみをはいで、官吏に突き出すか荒野にでも転がしてやればいいのだ。

 それがしはため息をつき、苦笑いを浮かべた。

 

「じゃあ、有り金はすべていただくとして、身ぐるみだけは許してやりましょう。これからは誠心誠意、玄徳殿のために働くように」

「へへーっ!」

 こうして五台山の竹林にて立ち上げた、玄徳殿とそれがし、そしてデブ・チビ・ハゲのみのささやかなる義勇兵団は、夜明けと同時に世直しの旅を開始した。

 

 匪賊を襲い、身ぐるみをはぎ、匪賊を襲い、身ぐるみをはぎ、たまに仲間に加えたりもし、匪賊を襲い、身ぐるみをはぎ、匪賊を襲い、身ぐるみをはぎ……。

 半年ほど経ち、何か強面な部下がわんさか増えたあたりでそれがしは気づいたのだ。

 あっ、それがしたち、何か想像していたものと違う――。と。

 

「副頭領、どうしやした?」

「いや、何でもない」

 次なる街へ向かって行軍中、新たに加わった頬に傷のある部下からかけられた一言で、それがし夢から覚める思いであった。

 副頭領、これは義勇兵団の団員につけられる名称なのだろうか……?

 

 ちなみにデブ・チビ・ハゲは最古参のくせ、あっという間に下っ端落ちしている。

 都で磨いた文武の腕が、それがしを辛うじて副頭領たらしめていた。

 

「子遠さん、どうしたのー?」

「ほら、玄徳のお頭が呼んでいやすぜ。さっさと行きましょうや」

 くいっと親指で玄徳殿を指し示す様が何ともたくましい。

 ちなみに彼は、前の前の街の周辺で、匪賊の親玉をやっていた男であった。

 

「なあ」

「へえ、何ですかい」

「それがしたちって何だったかな」

「泣く子も笑う、劉玄徳とその一党じゃないですか。ほんと副頭領は頭の出来が違いますわ。なんせ、匪賊相手に"稼業"すりゃ、官吏にしょっ引かれることもなく、街の連中には感謝されるんですから。ぼろい商売ですよ」

「あ、うん」

 それがしはそっと顔をそらした。




恋姫二次で検索して見つかる、桃香ちゃんが幸せそうな小説が一作品でも増えることが主目的なので、多分二、三話で完結します。

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