桃香ちゃんと愚連隊   作:ヘルシェイク三郎

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第十回 劉玄徳、道を定める

「成る程……」

 うとうととしていたそれがしの思考が、ぽつりと漏れ出た上司殿の一言によって覚醒へと引き戻される。

「つまりは孟徳様に私たちの政治的な後見人の一人になってもらう、ということね」

 翌朝になり、愚連隊の幹部連中に子龍殿を足した面々は急きょ本陣の大天幕にて車座の会議を開くことにした。

 議題は当然、今後の方針について――。つまり、妙才殿の提案を我々はどう受け止めるべきなのか、である。

 

 うすぼんやりとした脳内を整理していくと、どうやらそれがしは寝ぼけたまま会議の参加者に向けて、孟徳殿と我々が協力関係を結ぶ利点と欠点をつらつらと説明していたようだ。

 ……うむ、我ながら何言っているか分からないな。

 何で、寝ぼけたまま仕事ができるんだよ……。

 この無意識に仕事をこなすという特殊技能は、都で丸一日仕事に追われていた時期に身につけていたものであった。

 もしかしたら、忙しい人間なら程度の差はあっても皆が身につけている技能なのだろうか? そうだったら良いな。世にあまねく幸せと不幸せは、もっと平等であるべきだと思うのだ。

 そんな風に、それがしがこの世に対して無駄な憎悪をまき散らしていると、玄徳殿が口元に指を当て、会議の場に疑問をふと投げかけた。一瞬で憎悪が氷解する。尖らせた唇可愛い。可愛いは愛。可愛いは正義。やっぱり愛だよね。

 

「うーん。孟徳さんっていう人はどんな人なのかな? 人柄が分からないと、こちらの接し方も決められないと思うんだけど」

 この疑問については間髪入れずに、上司殿から答えが返ってくる。

「お人柄については疑問を差し挟む余地はないわ、桃香。孟徳様はとても明晰で、とても美しく、万事の才に恵まれている、まるで天に愛されて生まれてきたかのような素敵なお方よ」

 大した持ち上げられようであるが、上司殿の語られた人物評は概ね都で広まっていた噂と変わらぬものであった。

 ただ、「その野望果てしなく、乱世ならばまさに奸雄なるべし。あと頭抜けた女色家である」という評が抜けている。

 意図して抜いたのかしら。一応、悪評の類になるものだし。

 ……いや、多分無意識だなあ。今の上司殿のうっとりとした表情は、まるで恋する乙女のそれである。好きな人物の悪評は、悪評として映らないのかもしれぬ。

 

「はぇーっ、すっごい人なんだね」

 上司殿のお言葉を額面通りに受け取られた玄徳殿が、素直な驚きを口にされた。

 こういった素直さは、聞き上手に必要とされる才でもある。事実、上司殿は大いに気をよくして、獣耳の頭巾をふりふりとさせながら孟徳殿の絶賛と宣伝を続けていった。

 

「ええ、本当に素晴らしいお方なの。それに天性の才にふさわしい誇りもお持ちだわ」

「えっと……、つまり騙し討ちみたいなことは起きないだろうから、協力関係という言葉はそのままに受け取って良いし、先方の悪行を心配するような必要はないって言うこと?」

「その通り。中々頭が回るようになってきたじゃない?」

 腕を組み、鼻息を荒くして満足げに頷く上司殿。大層嬉しそうなお顔をしている。それに比べて、玄徳殿はまだ聞きたいことがある様子であった。

 

「桂花ちゃんがこうまで言うんだもん。孟徳さんっていう人は悪い人じゃないんだろうね。でも、一般の人々に対してはどうなんだろう……? 私、黄巾を抜けた人たちがどんな風に扱われるかが心配なんだ」

「あー、商人の噂を聞く限りでは、貴賤の別なく、全ての者に公平であるらしいわよ」

 二人の会話に口を挟んだのは憲和殿であった。

 彼女の実家は酒家と繋がりが深く、商いの方面に太い伝手を持っている。故にこの愚連隊においては実家にいた頃の経験を生かして物資の補給・調達を担当しており、商人との折衝も基本的に彼女を経由して行っていた。

 孟徳殿の噂は、商人との折衝中に仕入れたのだろうなあ。

 ちなみに彼女の顔色がやたらに悪いのは例の如く二日酔いのせいである。『過ぎたるはなお及ばざるが如し』という名言を、彼女はどこかに捨て去ってしまっているのだ。

 

「公平……、ていうことは優しい人なのかな?」

「いいえ。むしろ、誰にでも厳しい人間というのが正しい評価だと思います」

「撫子ちゃん?」

 ここで愚連隊の常識と一般論を担当している国譲殿が、今までの情報を加味して持論を展開する。

 

「他人を公平に見るというのはすごく難しいのです。誰だって弱い者いじめをされている人を見れば、もやもやした気持ちになってしまいますし、嫌いな人間がいれば厳しい目を向けてしまいますから……。多分、孟徳殿という方は感情を挟まずに領地の運営ができる方なのではないでしょうか?」

「ううん、そっかあ」

 国譲殿の見解を聞いて、考え込まれる玄徳殿。

 実際、孟徳殿が聖人君子の類ではないということは確かだろう。それは都で良く耳にしていた噂からも、大体察することができる。

 曰く、結婚の決まっていた美少女を浚っていき、自らの愛人にしてしまった。

 曰く、調子に乗って罪を犯した中央官僚の娘をお尻百叩きの刑に処し、自らの愛人にしてしまった。

 曰く、都の有力者の愛人(人妻)に一目惚れし、密かに口説き落として寝取ってしまった。

 少なくとも道徳の面から見てみれば、「ええ……(困惑)」と戦慄するほどの暴れっぷりである。

 ただ、孟徳殿の人柄がどうであっても、元黄巾連中が今までより悪い扱いをされるということはないと思う。

 妙才殿のお話を聞いた限り、どうも彼女らは広く人手を欲している節があったからだ。

 つまりは現状売り手市場ということであり、いくら食いっぱぐれの元黄巾連中とてけんもほろろに突き放されることはないだろう。

 

「誰にでも厳しい、厳しいかあ……」

 しかし、玄徳殿はどうにも感情を排した政治理念というものにいまいちピンときておられないようであった。

 それはまあ仕方がないことだ。

 何せ、彼女は三国で並ぶ者がいないほどにお優しい気質を持ち合わせておられる。

 だからこそ、心配になってしまうのだ。元黄巾の連中が公平な目で見られて、もし再びはじき出されてしまったらどうしよう――、と。

 そんな玄徳殿の懸念などお構いなしに、国譲殿は身を乗り出してさらに続ける。

 彼女の中で孟徳殿の評価はかなり高いらしい。

 

「今は身分や力の差による理不尽と不公平がまかり通る世の中なのですから、公平に領内を管理しているというだけで孟徳殿は評価できますよ。だから、私は孟徳殿と協力関係を結ぶことに賛成します。むしろあちらの心証次第では幕下に収まっても良いんじゃないでしょうか」

「後見人の一人として付き合うんじゃなく、家臣になることを、こちらから願い出るってこと?」

 国譲殿は、玄徳殿のお言葉に我が意を得たりとばかりに手を叩く。

 

「協力関係とは、所詮コウモリのようにふらふらしたものです。何かあった時には手のひらを返されるかもしれません。それならば、もっと保護下に入って深い付き合いをした方が無難ではないでしょうか」

「……その心は?」

「私の見る限り、彼女は間違いなく出世しますから、今の内に目を付けておいて、我々も定職につきましょう。やくざな商売を、卒業するのです!」

 いつも通りの国譲殿であった。

 愚連隊の幹部たちも、「また始まった」という顔になる。

 先ほどまでの整然とまとめられた弁論も、やがて「桃香ちゃんは、こんなところにいるべきではないのです! お母上を心配させるべきではないのです! さあ! さあ!」といつも通りの主張に繋がり、玄徳殿も苦笑いを浮かべられた。

 ちなみに国譲殿は全く悪くない。

 むしろ、やくざな商売が普通と思っている他の奴らの方が全面的に悪い。

 ただ、悪いとは思うのだが、国譲殿を擁護する気にはなれなかった。だって、妙才殿の目の隈を見たら、なあ……。

 あのあからさまな競争社会に放り込まれるというのは、それがし的には絶対にない。

 それがしはできるなら週に三日は休日があって、それなりの給料をもらえて、同僚と上司が良い人で、母性豊かな美少女に毎日「頑張れ♪ 頑張れ♪」って言われる職に就きたいのだ。それが無理なら、延々と定職に就かずに玄徳殿を愛でていたい。

 少なくともそれがしにとっての理想の職場は、孟徳殿の幕下ではないと思う。いや、孟徳殿の母性次第では状況も変わるのかもしれないが……、でもなあ。

 未だ見ぬ母性に夢見て冒険はできぬ。

 

「桃香を孟徳様の幕下に入れるというのは賛成できないわ」

 興奮する国譲殿に待ったをかけたのは、意外なことに上司殿であった。

 それがしは「おや?」と驚いてしまう。

 上司殿からすれば、孟徳殿は憧れの存在だ。

 恐らくは今だって彼女に仕えるという夢を捨ててはおられないだろう。

 ならば、玄徳殿を通じて自分を売り込むというのはあながち悪くない案のように思える。下積み期間を一気に飛ばせそうだし。なのに、何故……?

「け、桂花さん……」

 それがしが解せないでいるのと同じように、国譲殿も上司殿に対して裏切られたとでも言わんばかりの悲しげな表情を向けていた。

 

「あのねぇ、撫子……。桃香の志は知っているでしょう? この娘は誰かの下に収まるような器ではないの。せっかく黄巾の鎮圧で今後のとっかかりを得られるかもしれないというのに、自分から小さく纏まろうとしてどうするのよ」

「う、それは……」

 呆れたようにため息を吐く上司殿に、上手い言葉を返せないでいる国譲殿。

 玄徳殿と上司殿の顔を彼女はきょろきょろと見比べ、やがてしどろもどろで口を開いた。

 

「……でも、今回の件でも桃香ちゃんは殺気を向けられたと聞きました。これからもっと危ない目にあうかもしれないんですよ? だったら、無難な領主のもとで戦とは無縁の仕事にさせてもらった方が、ずっと桃香ちゃんのためになると思います」

「撫子ちゃん」

 しゅんとして握り拳をぎゅっとつくる国譲殿の手を、隣にいた玄徳殿が優しく両手で覆われる。

 

「桃香ちゃん……」

「私のこと心配してくれてありがとう。でも、この大陸で辛い思いをしている人たちのためにできることを、私もうちょっと考えていたいんだ。勿論危ないことは避けるようにするからね。もう少しだけ、我儘を通させてもらえないかな?」

 こうなると玄徳殿一番の親友を自負している国譲殿は弱い。

 彼女は歯がゆそうに唇を歪め、「絶対に危ないことは駄目ですからね?」と言ったきり引っこんでしまった。

 ちなみにそれがしは玄徳殿が優しく国譲殿を抱き寄せた瞬間、その母性を詳しく見んがために前のめりになった。

「わわっ」

 あら^~、玄徳殿の母性がぐにゃりと変形して眼福でありますぞ~。

 全くもって、あの二つのぱふぱふは凶器であった。今は同性が相手だから良いものの、ひとたび異性に矛先が向いてしまった場合は即座に相手を恍惚状態へと誘ってしまう……、そんな魔性の凶器であった。

 あ、やばい。先日の感触を思い出してしまった。前かがみの角度を保っておこう。

 

「子遠殿、何をなさっているので?」

「いえ、お気になさらず――、って!?」

 と右隣の子龍殿に返した瞬間、凄まじいまでの脛の激痛に襲われ、それがしはたまらずもんどり打った。

 ……馬鹿な! 上司殿は国譲殿とともに玄徳殿の両隣に控えているため、真向かいにいるそれがしの脛に竹のこぎりは届かないはず――。

 

「あいだぁっ!?」

 良く分からないが、とりあえず左隣にいる褐色青年をもんどり打ちながら思いきり蹴り飛ばすことにする。

 犯行現場は見ていないが、疑わしきは罰するのであった。

 忌々しい走狗め。それがしと一緒にもんどり打つが良いわ。

 

「何やってんの、アンタたち……」

「どうしたの、子遠さん?」

 呆れ顔になる上司殿と、国譲殿を抱き寄せながら、ちらりとこちらへ目をやる玄徳殿。

 ううむ、それにつけても今日はお二人の肌艶と機嫌がすこぶる良いなあ……。

 ……羨ましい限りである。彼女らとは対照的にそれがしの肌は寝不足でガサガサであった。

 

 何せ、機嫌を損ねた玄徳殿を宥めるためにそれがしは天幕の外で玄徳殿の素晴らしさを讃える漢詩を延々と詠まされたのである。

 いや、ただ漢詩を詠むだけならば単純作業に慣れているそれがしにとってはそこまで重労働ではない。脳は休んで口だけを動かすなど、無心で書類の写しを作成する作業に比べれば造作もないことである。

 問題は途中で上司殿が寝ている方から不機嫌そうな咳払いが聞こえてくることであった。

 最初は意図がつかみかねたが、成る程眠る時に他人を褒めそやす詩など聴きたくはない。そう思い至ったそれがしが上司殿を讃える歌を即興で作って歌いあげると、

「コ、コホン!」

 と玄徳殿まで可愛らしい声で咳払いを始めるのだ。

 結果としてそれがしは夜を徹してお二人を讃える歌を代わる代わる歌う羽目になり、今の寝不足に繋がるわけであった。

 いや、良いんだけどね。お二人の機嫌が良くなるなら……、別に。

 そんなことを考えているところに、

「ん、桃香。来客みたいだよ」

 憲和殿から来客の知らせがもたらされた。

 

「お客さん? どちら様だろう?」

 国譲殿を抱き寄せながらきょとんとする玄徳殿。

 周りをぐるりと見渡した憲和殿が、「どっこいしょ」と億劫そうに車座から立ち上がった。

 どうやら、来客の対応は自分が適役だと判断したらしい。

 

「相手方に足元を見られますから、昨日の今日で孟徳さんのお遣いということはないと思います。黄巾の関係者じゃないですかね?」

「ああ、ということは……」

 玄徳殿に抱かれながら、国譲殿が体面の問題から客の素性を推測する。

 くそう、抱かれ心地がよさそうだなあ。

 幹部連中の耳目が天幕の出入口へと集中する中、外に出た憲和殿の驚きを含んだ声が天幕内へと聞こえてきた。

 

「ああ……、はいはい。あなたたち、いらっしゃい」

 程無くして、憲和殿が再び天幕内へと戻ってくる。

 彼女の後ろには、桃、青、紫と色とりどりの髪色をした少女達が続いていた。

 そのいずれもが類まれなる美少女であり、母性、平たい、眼鏡の様々な個性を持っている――、って黄巾賊の精神的支柱、みんなの"あいどる"張三姉妹じゃねーか!

 突然の体面に、当然ながらそれがしが「アイエッ」と仰天したのは言うまでもない。

 

 

 

「あれっ? アンタは……」

 不思議なほどに幹部連中が静かであったせいで、一人奇声を上げてしまったそれがしに対し、天和ちゃんの妹殿で平たい方――、つまりは地和ちゃんが訝しげな眼差しを向けてきた。

 というか、何で皆は三姉妹の来訪に驚いていないのだろう。

 天和ちゃんだよ、天和ちゃん。こんな近くに天和ちゃん!

 口をパクパクさせて理由を探し求めていると、何かを察した褐色青年がそれがしの疑問に答えてくれた。

 

「ああ、オヤジは知らねえか。三姉妹には今後の身の振り方を相談するために、来てもらう予定だったんだよ」

「なんでそういうのもっと早く教えてくれないの?」

 それがしは深い悲しみに包まれた。

 もっと早く教えてもらえれば、お手製の扇子に揮毫(さいん)してもらうこともできたのに。

 いや。よくよく考えてみれば変装していたとは言え、それがしは彼女らに暴言を吐いている。来訪の前にそれとなく席を外すこともできたはずなのだ。

 もうため息ついちゃうよ、それがし……。

 このままでは、三姉妹もそれがしの正体に気がついてしまうやも……、って、やたら地和ちゃんからじろじろと見られるな!

 地和ちゃんは眉間にしわを寄せて、勝ち気そうな瞳を瞬かせている。

 まるで何かを確認しているかのようだ。

 そうして、ずかずかずかとそれがしのもとへと歩みより、

「な、何か?」

「……アンタさ、ちぃたちの歌を最前列で良く聞いてた奴じゃない?」

 半眼で疑わしげにそう問いかけてくる。

 やはり、付け髭など変装の内には入らなかったのだろうか。

 先ほどまで探るようであった彼女の眼は、既にぎらぎらと確信の光で煌いておられた。

 これは非常にまずい流れだ。

 

「あの、あれは、その……」

「何々? ちーちゃん、どうしたの?」

 と、ここで天和ちゃんが割って入ってくる。

 やめて! 天和ちゃんに嫌われたら、悲しみで生きる気力が……。

 地和ちゃんは横で一つに縛った髪を揺らしながら天和ちゃんへと顔を向けると、強い口調で同意を求め始めた。

 

「天和姉さん、こいつよ、こいつ! 最前列でやたら騒いでた奴っ!」

「んー?」

 しばしきょとんとしていた天和ちゃんであったが、次第に何の話か理解し始めたらしく、可愛らしく頬をぷくーっと膨らませ始める。

 

「あー、あの時私たちにひどい事言った人ー!」

 ああぁぁ……、もう駄目だぁ、お仕舞いだぁ……。

 天和ちゃんのまなざしに耐えられず、それがしは思わず頭を抱えてしまう。

 そこに思わぬ声が上がった。

 

「あ、あの子遠さんは本気で張角さんたちを罵ったわけじゃ――」

「何で、あんな小芝居をしたのよ! 本気でびっくりしたんだからね!」

 地和ちゃんからの言葉に、天幕内の誰もが首を「ん?」と傾げた。

 

「……小芝居でありますか?」

「そうよ。アンタ、ここしばらくはずっと最前列でちぃたちの歌聴いてたでしょ! 扇子振りながらっ。姉さんたちも覚えてるでしょ?」

「んー、お姉ちゃんどうでもいいことは覚えないのよねー」

 と顎に指を当てて考え込む天和ちゃん、可愛い。

 

「……思い出した。何か急に最前列の常連になったと思ったら、合いの手を広めたり整理券を配ったり、勝手に周りを取り仕切り始めた奴じゃない」

 眼鏡の位置を直しながら目を見開く人和ちゃんに、地和ちゃんが盛大に肯定の意を唱える。

 

「そうよ、それよ! 似合わない付け髭なんて付けちゃってさ、一体何処のどいつがお忍びでちぃたちの歌を聴きにきてたのかと気になってたの。それがいきなり訳のわからない暴言吐き始めちゃって!」

「あー」

 思い当たる節は腐るほどにあった。

 地和ちゃんのいう合いの手とは、黄巾連中の黄ばんだ声援があまりにもばらばらであったため、まさし君仕込みの"こーる"や"おた芸"を密かに広めた件を指すのだろう。

 残念ながら、都の歌姫相手に"おた芸"を打ち、「歌が聞こえねえ」と聴衆からたこ殴りにされていた彼ほどのキレは再現できなかったが、それが返って三姉妹の歌を強調する結果を生んでいたように思える。

 多分、"おた芸"は最低限演者と聴衆の主従が逆転させぬように打つものなのだ。

 強すぎる光は、別の光と食い合ってしまう……。演者が太陽で月が聴衆という関係は決して崩してはいけない。第一黄ばんだ男の放つ光など、それがしは見とうない……。

 それがしは三姉妹の演唄会によって、また新たな真理を知ることができたのであった。

 あ、整理券を広めたのは単純に席取りで毎回死に物狂いの戦いを繰り広げるのがクソだるかったせいである。

 しっかし、よもや自分の仕業だとばれているとは……。

 

「ほら、何とか言いなさいよ!」

 ずいっと地和ちゃんに詰め寄られ、強く説明を求められる。

 ああ、これは仔細を打ち明けなければなるまいな、と腹をくくったところで身内から擁護の声が向けられた。

 獣の耳を模した頭巾を不機嫌そうに逆立てた上司殿である。

 え、上司殿?

 

「……それについては私が説明する。それで良いでしょ?」

 わざわざ車座から立ち上がり、地和ちゃんとの間に入っての擁護であった。

 おお、上司殿。上司殿――!

 それがしはずっと上司殿のことを、部下を見捨てぬ優しいお方だと信じておりましたぞ!

 よし、これで天和ちゃんの怒りは早々に解けよう。

 後で揮毫を貰いに行けるな……。

 それがしが内心で歓喜の雄叫びを上げているのとは対照的に、地和ちゃんは不承不承といった顔を見せていた。

 

「……分かったわよ。でも、ちゃんと全部説明してよね!」

 ぷいと顔を背けつつ、地和ちゃんは姉妹とともに車座の中へと座り込む。

 

「まずは誤解を解かなきゃ、話が始まりそうにないわね」

 と三人の着座を確認した上司殿は、そのままそれがしと褐色青年の間に着座して、今までのことを説明し始める。

 我々が黄巾賊に紛れ込んだ理由。三姉妹を知り、黒幕の存在に思い至ったこと、三姉妹を助けるための策を練り上げたこと……。

 上司殿の説明を聞いた三姉妹は、各々が違った反応を見せた。

 地和ちゃんは目を大きく見開いて、

「そんな……。"あいつ"が私たちを陥れようとしていたなんて……」

 とあからさまに驚いた表情を見せた。 

 人和ちゃんはというとため息をつき、

「まさか、私たちの知らない間にそんな厄介事に巻き込まれていたなんてね……」

 と頭を抱え込んでしまう。

 そんな二人とは異なり、天和ちゃんは、

「んー。良く分からないけど、めんどくさいことになってたのー?」

 一人のんびりとした声をあげられていた。

 それがしには分かる。妹二人とは違ったこの大らかさこそが天和ちゃんの魅力なのである。

 流石、三国有数の母性の持ち主は格が違うよなぁ!

 それがしが一人納得していると、上司殿からすごい顔で睨まれたため、慌てて顔をそらした。すごい怖い。

 

「張宝、アンタの言う"あいつ"っていうのが黒幕と見て良いわけ?」

 上司殿の語気強い質問に、地和ちゃんは若干気圧されながらも気丈に答える。

「そりゃあ、ちぃたちの興行のお膳立てをしてくれた奴は二人しかいないから、間違えようがないわよ」

「ふうん」

「何よ……」

 向かい合った二人が睨みあう。

 ううむ、何かこの二人は相性が悪そうだ。何故だ。解せぬ。

 体格的にも似通っておられるし、仲良くすれば良いのにあいででででででででででっ!?

 

「……今アンタ、何考えてたの?」

「いえ、何もぉ――ッッ!?」

 昨今は組み技偏重の処刑が続いていたせいか、久しぶりに本人の手によるのこぎり挽きの刑を受けた気がする。

 とはいえ、別に感慨深いはずもなく、褐色青年と比べて滅茶苦茶痛かっただけであった。

 青年は意外とそれがしに遠慮していたんだな……。今度から少し優しくしてあげよう。

 それはさておき――、地和ちゃんは今、彼女らのお膳立てをした人物は二人いると言った。

 これはどういうことだろう?

 上司殿も同じ点に引っ掛かりを覚えたらしく、地和ちゃんに問いかけた。

 

「二人ってどういうこと? 黒幕は複数いたの?」

「んんと……」

 地和ちゃんの歯切れが悪い。

 彼女を見かねて、人和ちゃんが代弁を買って出た。

 

「私たちは人気が出るまでは各地で旅芸人をしていたんだけど、そんな私たちを助けてくれた人が二人いたのよ」

「あ、于吉(うきつ)さんと馬元義さん? えっと、私たちに妖術を教えてくれたのが于吉さんで、興行の下準備をしてくれたのが馬元義さんかな?」

「ちょ、ちょっと人和、ちぃ姉!?」

 何でもないことのようにすらっと口にする姉妹に対し、地和ちゃんが抗議の声をあげた。

 

「……ちぃ姉さん。今までは世話になった相手だったのかもしれないけど、もう状況が変わっちゃったんでしょ? 私たちに罪を押しつけようとする人なんて、恩人でも何でもないわ」

「そんなの、まだ決まったことじゃないじゃない……!」

 二人が口論を交わす中、天和ちゃんがしばし考え込んでから口を開く。

 

「恩人でも何でも、お姉ちゃんは私たちが無事に済むならそれが一番だって思うかなあ」

 そのお言葉に妹二人が黙り込む。

 正直な話、彼女らの口論は結果の見えた話であった。

 何せ、首謀者と疑われた三姉妹の安全を確保するには、黒幕の特定は不可欠なのだ。

 無論、ただ潔白を証明するだけならば、黒幕以外の人間を適当にやり玉にあげても良い。三姉妹を想う信者の連中ならば、彼女らのために身を犠牲にすることも厭わないだろうし、甘い汁を吸おうとしていたごろつきどもに罪をかぶせても良い。

 だが、そうして黒幕を見逃したところで、彼(または彼女)にとって自分を知る三姉妹という存在は、後々目障りになってくるはずだ。

 つまり、こうして袂を分かった以上、三姉妹は黒幕の対立は既定路線に乗ってしまったのである。

 後は世話になった相手に矛を向けることを納得できるか、という問題であった。

 

「……分かった。全部話すわ」

 地和ちゃんは不満そうに唇をふるわせ、やがて姉妹に同調した。

 それから、三姉妹は各々の言葉でぽつりぽつりと今に至った経緯を語り始める。

 最初は大陸中の村や町を練り歩く、売れない旅芸人であったこと。

 自慢の種だった歌は人々に受けず、大道芸や手品を披露して糊口を凌いでいたこと。

 そうして、極貧生活を続けていたところに彼女らの前へ現れたのが、于吉という人物であったこと。

 彼は妖術師であったらしく、しばし旅を共にした後に三姉妹へ拡声の妖術を授けると、『太平要術の書』なる巻物を残して、三人の前から去っていったという。

 

「ちょっと待って、張角さん。『太平要術の書』って何なのかな?」

 幹部連中の疑問を代表するようにして、玄徳殿が口を開いた。

 それに対して、天和ちゃんが頭の中から記憶を引っ張り出すように口元をへの字に曲げて答えられる。ううん……。こうして身近で見比べてみると、やはり甲乙捨てがたく、双方共に眼福であった。

 

「んー。良く分からないんだけど、"太平の世を作るために必要なことが書かれている"って于吉さんは言っていたかな?」

「ええっ!?」

 玄徳殿が仰天した。玄徳殿が求めて止まなかった悲願の答えが、その『太平要術の書』とやらには記されているというのだ。そりゃあ、ビビる。それがしだってビビる。ビビった。

 

「はぁ……?」

 反面、上司殿はいかにも胡散臭そうといった表情を浮かべられていた。確かに、書物を読んだだけで太平の世が実現できるのならば苦労はない。この世に、いかなる聖人・英傑も必要ないということになる。

 だが、そんな上司殿の反応など気づかずに、玄徳殿は悲願の答えが分かるかもしれないと言う希望から、ものすごい勢いで天和ちゃんへと詰め寄った。

 

「お、教えて! この大陸に住む虐げられた人たちを救うには、どうしたらいいのっ?」

 ものすごい剣幕で玄徳殿に肩を揺さぶられ、天和ちゃんの母性がぽよんぽよんと揺れた。

 ……良し!

 

「ちょ、ちょっと。目が回るからー」

「あっ、ごめんなさい……」

 揺さぶり地獄から解放された天和ちゃんは、ふうと長い息を吐いて、胸の谷間から細長い巻物を取り出した。

 ……良し!

 

「……アンタ、さっきから何を力んでいるわけ?」

「い、いえ。お気になさらず!?」

 上司殿にそう返しながら、天和ちゃんが胸元から細長い巻物を取り出そうとした瞬間を、必死に脳内に刻みつける。これは大事な場面であるから、絶対に忘れてはならないだろう。

 

「これが、『太平要術の書』……?」

「そう。私たちには必要のないものだから、玄徳さんにあげまーす」

 随分と軽い仰りようだ。

 その気軽さが引っかかったらしく、今まで静観していた子龍殿が解せないという風に口を挟んだ。

 

「大事なものではないのですかな?」

「……元をたどれば、この巻物のせいで私たちは争乱に巻き込まれかけたわけでしょう。後生大事に持っていたってしょうがないわ」

 人和ちゃんの答えに成る程と思う。実際、彼女たちは平和を手に入れるどころか罪人に落とされかけたのだ。そんな縁起の悪いものを手元に置いていたくないと言う心情は、それがしにも良く理解できた。

 

「それに、多分あなたたちの思っているような書ではないわ。開いてみれば分かるでしょうけど……」

 その言葉に促されるようにして、ごくりと喉を鳴らした玄徳殿が巻物を紐解いていく。

 巻物の全幅はそう大きなものではなかった。

 天和ちゃんの胸にすっぽりと収まる程度(ここ大事)であり、その長さは一尋程度であろうか。

 玄徳殿は車座の中央に巻物を置き、皆が見えるように広げていった。

 

「どれどれ」

「んー?」

「何だあ、こりゃあ」

 幹部連中から素っ頓狂な声が次々にあがる。

 それも無理からぬ話であった。

 何故なら、紙面に平和に関する記述など全く見あたらず、ただ妙な絵図が記されているだけであったからだ。

 何というか、まるで子供の寝小便のような……、そんな染みが全体に広がっていている。

 これが天和ちゃんの汗だというなら、それがしも色々と捗るのだが、生憎と染みは色とりどりに分けられており、その境界を細い線が縦横に引かれていた。つまり、これは意図して描かれたものなのだ。

 んー。これは……、何だ?

 

「これって……」

 幹部連中のなかで、上司殿だけが顔色を変えて言葉を失っていた。

「桂花ちゃん、これが何なのか分かるの……?」

 玄徳殿の問いに、上司殿は重々しく頷く。

 

「これは、この世界の地図……、だと思うわ」

「えぇっ!?」

 その答えに、幹部連中が驚愕した。

 そうして玄徳殿を押しのけん勢いで、地図へと皆が殺到する。

「こいつはもしかして黄河か?」

「それなら、ここが冀州で、ここが幽州なんですか?」

「はぁー、この南の青い線が音に聞く長江かしら。よくもまあ、こんな小さな紙に……」

 皆が詰め寄り、自らの記憶と"世界の地図"を照らし合わしていく。

 最も熱心に地図の真贋を見定めているのは、やはり上司殿であった。

「有り得ない……、有り得ない……」と呟きながら、顔を地図に近づけては指差し確認をしておられる。

 それがしも感心しながら外巻きに地図を眺めていると、

「子遠さん、子遠さん」

 と玄徳殿がいつものようにそれがしの袖を引っ張りにきた。

 どうやら、興奮した幹部連中に場所を取られてしまったらしい。

 

「どうしたのですか、玄徳殿」

「うん、そのね。私、あれがこの世界の地図って聞いてびっくりしたんだけど」

 どこか釈然としない面持ちのまま、玄徳殿は続けられる。

「地図なんかと太平の世がどう繋がるのかな?」

「ん、それは、その」

 正直、それがしにもよく分からなかった。

 この時世において地図というのは、町中の案内板か軍事に用いられる地形図くらいのものである。

 目の前にある世界の地図は、本物だとすれば確かにすごい。

 だが、実用性を考えると、流石に首を傾げざるを得なかった。

 だって、世界の地図を使って街中を歩くことはできないし、世界の地図を持っていても、周辺の細かい地形までは良く分からない。

 ほうほう、成る程。世界ってのはこんな形をしているのかあ。……それで? という感想以外に言いようがない代物なのだ。

 それがしが玄徳殿に満足行く答えを返せずにいると、誰よりも前のめりになっていた上司殿が理解できないといった具合に吐き捨てた。

 

「……意味分かんない。何で、海の向こうの大陸まで描かれているのよ。実際に航海した人がいるとでも言うの?」

「桂花ちゃん。海って、あの?」

「そうよ、この中華大陸より広い青塗りの部分が全部海」

「え、ちょっと待って」

 玄徳殿が目を丸くして、さらに問われた。

 

「中華大陸って、こんなにちっちゃいの?」

「小さくはないと思うけど……、こちらは多分大秦国で、こちらは匈奴ね。色分けされているから憎たらしいくらいに分かりやすいわ」

 上司殿が忌々しげにそう言うと、玄徳殿がふるふると頭を横に振られる。

「そう言うことじゃなくって……、"天下"ってこんなちっちゃいってことなの?」

 その言葉に、上司殿がはっと顔を上げられた。

 

「桃香……」

「私、幼い時から帝はこの世界を――、天下を治める人だって教わってきたよ? でも天下がこんなにちっちゃいんじゃ……、天の外側はどうなっちゃうの?」

 玄徳殿は止まらない。

「大秦国って国は天下には入らないの? 国というからには人が住んでいるんでしょ? 天は人の上にあるものなんだから、大秦国の人たちの上にだって、天はあっていいはずだと思う。じゃあ、天下っていうのは何なんだろう……。人の数だけいっぱいあるものなの? 世界って何だろう。私たちの世界の外側に暮らしている人たちも、私たちみたいに悩んだり、色々なことを考えて生きているのかな……」

 しばらくして、玄徳殿は頭を抱え込んでしまった。

 

「玄徳殿……」

 彼女の悲願は、この世界で苦しんでいる人々を救うことであった。

 だが、彼女の考えていた世界が思っていたよりも狭かったことに気がついて、混乱してしまわれたのかもしれない。

 それがしはどう声をかけたものかと困惑した。

 上司殿もそれは同様で、手持無沙汰に地図を指で撫でておられる――、って、

 

「上司殿、その地図……」

「えっ?」

 上司殿の撫でた箇所が、にわかに輝きを放ち始めたのだ。

 輝きの中から我々の良く知る文字が躍り出し、空中に意味をなす文を構築していく。

 

 

――地域情報――

 

(勢力)袁紹

(本拠)南皮

(武将数)四

(部隊数)五

(兵力)三五〇〇〇

 

 

「な、何これ……」

 流石の上司殿もへたりこんでしまい、空中で煌々と光る文を見上げていた。

 それがしも驚きはしたが、これは理解の範疇にあったため、引き寄せられるように浮かび上がる文へと近寄っていく。

 

「ちょ、ちょっと子遠っ。不用意に手を伸ばしちゃ駄目! 何かあったら……」

「いや、多分これ……。まさし君の言う"すてえたす"みたいなものなのではないですか?」

「は?」

 まぶたを閉じて、青春時代を思い出す。

 まさし君は、何かと"すてえたす"と称して他人の能力を数値化することを好んでいた。

 道行く人々とすれ違うたびに、「あれは九十。六十。八十」と評価していくのがひどく面白くて、それがしも数値化してくれと頼み込んだものである。

 ちなみにそれがしは「おーるふらっと」と言われた。良く分からないが、けなされているわけではないだろう。

 上司殿の顔にも段々と理解の色が見えてきて、やがて不愉快そうな、いつもどおりの表情を取り戻される。

 

「ちょっとどいて」

 と言って上司殿はそれがしの前へと進み出て、空中で光る文へと恐る恐る指を伸ばされた。

 文字に指が触れた瞬間、ピンと甲高い音が鳴り響き、さらに違った文が構築されていく。

 

 

――人物情報――

 

(名前)袁紹

(性別)女

(統率)八十

(武力)六十九

(知力)五十

(政治)七十七

(魅力)八十

 

 

「これは……、本初の情報……、かしら?」

「恐らくはそうでしょうなあ」

 本初殿の下には、顔良、文醜、田豊といった人物の名前が列挙されており、やはり同じような情報が記されている。

 

「先程上司殿は南皮の辺りを指でなぞられたと思いますが、他の場所をなぞってみれば同様に情報が見られるのでは?」

「……そうね。やってみる」

 続いて上司殿が図上の陳留近辺をそっと撫でると、やはり違った情報が浮かび上がってきた。

 

 

――地域情報――

 

(勢力)曹操

(本拠)陳留

(武将数)四十五

(部隊数)二

(兵力)五〇〇〇

 

 

「って、武将数多いな!」

 思わず突っ込みを入れてしまった。

 上司殿も解せないといった風に、首を傾げておられる。

「人材の豊富さで言ったら、袁家だって馬鹿にできないはずなのに……、この差は一体何なの?」

 言うが早いか、浮かび上がった文字に触れて、先程のように詳細を読み取っていく。

 

――人物情報――

 

(名前)曹操

(性別)女

(統率)九十九

(武力)七十一

(知力)九十二

(政治)九十六

(魅力)九十六

 

 

「おー……」

 流石に天に愛されているとまで噂されるお方の"すてえたす"である。良くは分からないが、これはどの値も相当高いのではないだろうか。

 上司殿も感心されているかと思いきや、彼女は何故かげんなりと肩を落とされていた。

 何故だろう……?

 情報を下に辿っていくと、すぐに疑問は氷解した。

 元譲殿や妙才殿といった腹心の後に、ずらっと男性の名が連なっていたからである。

 

(名前)闇炎

(名前)闇牙

(名前)炎牙

(名前)炎狼

(名前)狂夜

(名前)剣牙

(名前)剣牙(その二)

(名前)死狼

(名前)死進

(名前)時夜 ……

 

 

 どうしよう……。剣牙(その二)という御仁がすごい気になる。

 これ剣牙その一さんと対面した時、何て会話しておられるのだろう……?

 良好な関係が保てているのだろうか? 赤の他人だというのに、すごい心配になってきたぞ。

「……何なの、この男の群れは……」

 男性嫌いの上司殿にとって、孟徳殿のお傍に男性の名前がずらっと並んでいる状況は、あまり面白くのないことであったのだろう。

 苦虫を噛み潰した表情の上司殿がこれ以上機嫌を悪くされないためにも、それがしは慌てて話題を変えようとした。

 

「でも、女性もいらっしゃいますぞ。この程イク殿とか、郭嘉殿とか……」

「そっちはもう確認済みよ。ふうん……、知力が九十七、ねえ」

 興味なさげに鼻を鳴らし、上司殿はそのまま冀州の、我々が駐留している辺りを指でなぞられた。

 

――地域情報――

 

(勢力)北郷一刀

(本拠)放浪軍

(武将数)五

(部隊数)二

(兵力)二〇〇〇

 

 

(勢力)劉備

(本拠)放浪軍

(武将数)二

(部隊数)一

(兵力)一〇〇〇

 

(在野)七

 

 

 おおー……、北郷殿の勢力もやはり表示されるのだなあ。

 しかし、義勇兵は放浪軍というくくりなのか。何か性質が違う気がするんだけれども、細かいことはまあ良いか。

「えっ?」

 しかし、それがしの袖を掴みながら傍で見ていた玄徳殿には意外な内容であったらしい。

 我らが愚連隊を指し示す情報を、信じられないような顔つきで凝視なさっている。

 

「こ、これっ。わ、私に確認させて!」

 そして慌てた様子で玄徳殿を指し示す文字を触り、その詳細を表示させた。

 

――人物情報――

 

(名前)劉備

(性別)女

(統率)七十八

(武力)八十(+五十・的盧)

(知力)七十三

(政治)七十八

(魅力)九十九

 

(名前)荀イク

(性別)女

(統率)四十八

(武力)六十六

(知力)九十六

(政治)九十九

(魅力)九十六

 

 

「は――?」

 それがしは言葉を失った。

 馬鹿な……、上司殿の武力が高すぎる。絶対に十台だと思っていたのに……。

 いや、まさかあれか? 子龍殿の組み技特訓が、彼女の武力を引き上げてしまったというのか?

 何と恐ろしいことだろう。その内、上司殿の機嫌次第ではそれがしの首をポキっとやられてしまうかもしれない。今後もより一層ご機嫌伺いに力を注がなくては……。

 あと、劉備殿の武力が八十もあった事にも仰天させられた。でもこれ、多分バルバトスさんの分が五十も上乗せされているってことだよね……?

 恐るべきはバルバトスさんというわけか。やはりご機嫌伺いをしておこう。ほんと怖い。

 あ、玄徳殿の魅力は至極当然の結果だと思いました、まる。

 何せ、あの母性は三国一であるからな……。先程の孟徳殿も魅力では玄徳殿に負けていたし、これは母性も上回っていそうだ。

 敗北を知りたい。

 しかし、成る程。ここまで読んできて、それがしにもようやくこの妖術書が何故"太平の世を作るために必要なことが書かれている"と言われたのか理解できるようになって来た。

 この妖術書は恐らく、世界のあらゆる勢力と数多の英傑を表示することができるのだ。

『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』と古来から言われているように、戦いにおいて相手と自分を客観的に比較できるということは大きな強みになるだろう。

 試しにとそれがしも、様々な地域の英傑を探し出していく。

 名族や、新興の豪族。そして、まだ野に居る英傑たち。

 ピッ、ピッと適当に世界各地を指でなぞっていくと、南方の大陸にあってはならない文字列を見つけ出してしまった。

 

 

――地域情報――

 

(勢力)正史

(本拠)まさし朝おーすとれいりあ

(武将数)四

(部隊数)一

(兵力)五〇〇

 

 

「ファッ!?」

 何で!? 何でまさし君がそんなところに居るの!?

 何時の間に中華大陸から離れていたの、あの人!?

「何やってるのよ、アンタ」

「いや、上司殿! まさし君がっ、まさし君がですな!」

「あいつのことなんてどうでもいいじゃない」 

 といって興奮しきりのそれがしに対して冷たい目でにらみ返してくると上司殿は何気ないそぶりで北郷殿の勢力を表示させた。

 きらきらきらと文字が躍っていき、彼らの"すてえたす"が表示される。

 

「ちょっと、上司殿。もう少し、まさし君の情報を……」

「そんなもの後回しよ。ふむふむ、北郷の魅力は九十七。当然だけど桃香ほどじゃないわけね。関雲長は……。統率が九十六に、武力が九十七って……。成る程、確かに大陸有数の使い手だわ」

 ぶつぶつと呟く上司殿のお言葉に、遠巻きにしていた子龍殿が反応を見せられる。

 

「九十七。この数字は、絶対的な力関係を表しているのでしょうかな?」

「どうかしらね。張翼徳の武力が九十八になっているけど、子遠の見立てではこの娘たちってほぼ互角なんでしょう? 多少の数値差なんて時と運で変わるもんじゃないかしら」

「そう願いたいものです」

 と子龍殿は猛獣を思わせる笑みを浮かべられる。

 先程から彼女は地図を興味深く眺めたはいたものの、その上に浮かび上がった英傑たちの情報についてはあまり興味を持っていないようであった。

 武人というものは机上の空論で勝敗を付けられることをあまり好かないから、彼女の反応も仕方のないものなのかもしれない。

 

「子龍、アンタの武力も見てあげようか」

「いや、遠慮しておきます」

「そっ」

 肩をすくめて、上司殿は孔明殿たちの"すてえたす"を見ようとする。

「あの、上司殿。まさし君の情報を……」

 それがしがお願いしても、上司殿は聞いてくれぬ。

 理不尽だ。

 上司殿はそのまま、孔明殿たちの"すてえたす"を一瞥して、すぐに情報をぱっとかき消してしまわれた。

 

「むむ?」

 上司殿の様子がおかしい。

 はてな、とそれがしが横から手を伸ばして再び孔明殿たちの"すてえたす"を表示させようとすると、間髪居れずに上司殿がかき消してしまう。

「……何か知りたいことでもあるわけ?」

 あっ、これは駄目な奴だ。

 多分、上司殿にとって面白くない情報が彼女たちの"すてえたす"に記載されていたに違いあるまい。

 上司殿は忌々しげに地図を睨み付け、

 

「こんなものは参考にもならないわ」

 とつまらなそうに吐き捨てた。

 ええ……。つい今さっきまで興味深そうに色んな情報を見ていたのに……。

 それがしが反論しようとしたところに、思わぬところから同意の声が飛んできた。

 

「うん……。こんなの、嘘ばっかりだよ」

 玄徳殿だ。

 そのお声には、隠し切れぬ怒気が多分に含まれておられる。

 一体、何が彼女をこうまで怒らせてしまったのか。

 玄徳殿は再びこの近辺の情報を表示させて、てんででたらめに情報を呼び出し始めた。

 

「張角さん、張宝さん、張梁さん、第六なんとかさん、昼青龍さん、馬元義さん……。やっぱり、そうだ」

 彼女は優しげであった眼を精一杯に怒らせて、表示された情報を睨みつける。

 

「この書物には、子遠さんも、撫子ちゃんも、梅花ちゃんも、廖化さんも、ロウハン君も……、皆が載ってないんだよ。こんなのって絶対おかしい!」

「玄徳殿……」

 玄徳殿はそれがしや愚連隊の面々を見回して、さらに続けられる。

 

「私は一人じゃ何もできない駄目な人間なのに……、計算だって武芸だって人付き合いだって、私よりずっと立派にできている人たちが、この書物には載ってないんだよ。何でなの? ねえ、子遠さん。これってどういうこと……?」 

 玄徳殿の問いかけに、それがしはしばらく思案する。

 脳裏に浮かび上がったのは、おさげを揺らし、筋骨隆々の体を見せつける貂蝉殿のお姿であった。

 

「それは恐らく……、"もぶ"と英傑の違いなのだと思います」

「"もぶ"って何?」

「この大陸の乱世を――、英傑たちの生きざまを大きな物語として括った時、主役にはならず背景として生きる人々のことですな」

 説明を続けるうちにそれがしの中で理解が深まっていく。

 貂蝉殿のいう外史とは、要するにこの書物に記された英傑たちが織りなす物語のことなのだ。街頭のお芝居の中で名もなき兵士が話題にならぬように、"もぶ"がどう動こうとも物語に大きな影響を与えることはない。

 

「背景って……。じゃあ、居なくても良い人たちってこと?」

「そんなことはありませんぞ。事実、玄徳殿の勢力を表す情報にある(兵力)という数値……。これが我々のような"もぶ"を指し示すのだと思われます。兵の数が大きいほど、勢力としては強大になるのですから、無意味ということはありません」

「でも……、子遠さんたちは数字じゃないよっ!」

 それがしの取り繕いを遮るようにして、玄徳殿は叫ばれた。

 

「私、桂花ちゃんと二人ぼっちなんかじゃないよ! 名前のあるみんなと一緒なの! だから、この書物はみんな嘘ばっかりなの!!」

「玄徳……、殿――ッ!?」

 涙目になる玄徳殿の背後で、浮かび上がっていた文字が更に変化していく。

 玄徳殿の勢力情報が、人物情報がでたらめに数値の増減を繰り返し、やがて燐光を帯びて虚空へと消えていってしまう。

 後に残った情報は北郷殿の勢力情報と、在野を指し示す"八"という数値だけであった。

 

「……私、今決めた」

 と玄徳殿は意を決したように宣言される。

「世の中の力ない人々を幸せにするって夢は諦めないけど、この書物に書かれていることなんて当てにしない!」

「桃香――」

 そのお顔は、初めてお会いした時に拝見した"ひろいん"としての表情に酷似していた。

 それがしは思わず苦笑いを浮かべる。

 彼女のような手合いは一度こうと決めると、絶対に初志を貫徹するし、謎の覇気によって周りを従えてしまうのだ。

「桃香……」

「お頭……」

 事実、それがしと愚連隊の面々は彼女の姿にコロリと屈服してしまっているではないか。

 

「この世の中が"英傑"だけの物語だって言うなら、私はそんな物語に参加しないっ! 私は"もぶ"なんて呼ばれている人たちと一緒に歩くのっ!! だから……、だから……」

 気持ちだけが前のめりになり、彼女の言葉が詰まっていく。 

 

「ごめんなさい、うまく言葉にできないや。私、頭が良くないから……」

 それがしは笑ってしまった。

 最後の詰めが甘いのも、玄徳殿らしいと言うかなんというか……。

 それがしはひざまづく。

 

「玄徳殿――、いえ。桃香様」

「ふ、ふぇっ!? 子、子遠さんっ」

 顔を果実のように真っ赤にされた玄徳殿に、それがしは言う。 

「お志、しかと耳にいたしました。ただ、いささか具体案に欠けているように思われますな」

「それは……、その……、えっと。ごめんなさい」

 しゅんとする玄徳殿、可愛い。

 

「まあ問題はありませんぞ」

「えっと、もしかして……」

 玄徳殿の期待に応えようと、それがしはさも知恵者然とした口ぶりで、いつも通りに大言壮語を吐き出した。

 

「……それがしには腹案がございますから」

 玄徳殿のお顔に笑顔の花が咲き誇り、上司殿が呆れたように肩を竦められる。

 愚連隊の強面連中も「また始まった」という顔になった。

 我々にとってはいつも通りのやり取りだ。多分、これからもこのやりとりは何かしら問題が起きるたびに行われていくことであろう。

 

「どんな!? どんな案なのっ? 私たちはこれからどんな道を歩いていけばいいのっ?」

 と身を乗り出す玄徳殿、可愛い。

 

「それはですな――」

「あ、ちょっと待って」

 と、ここで上司殿から待ったがかけられる。

 

「んお? どうなさいましたか、上司殿」

「本題に移る前に、子遠。今、桃香のこと何て呼んだ?」

 何だろう。

 上司殿のお顔がいつにもまして、怖い。

 

「あ、えっと」

 後ずさりしたところに、上司殿に肩をがしりと掴まれる。

「ちょっとお話しましょう」

「あ、あの桂花ちゃん。私は、その」

「桃香はちょっと黙っていて。大丈夫、すぐ済むから」

「あ、うん」

 この後、上司殿のご機嫌が回復されるまでに先日と同様小一時間かかることになった。

 これもいつも通りのやりといえばやり取りなのだが……。すごくやるせないのも確かではある。

 


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