桃香ちゃんと愚連隊   作:ヘルシェイク三郎

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第七回 呉子遠、天啓を得る

 ……暑い。

 照りつける太陽の下、それがしの陣取る冀州のとある場所には、人々の熱狂が渦巻いていた。

 ざわざわざわと周囲で暑苦しくもひしめき合っている者たちは皆、頭に黄色い頭巾を巻いている。

 巷では黄巾賊と呼ばれている者たちだ。

 

 世を騒がせた大逆人として、頭目の張角とともに討伐対象にまで認定されている彼らではあったが、今はこぞって仮設の舞台を見つめている。

 彼らの中に、よこしまな思いを抱いている者は存在しない。

 皆が皆、きらっきらしておられる。

 曇りないまなこで見つめる舞台は、川辺で咲き誇る季節の花で彩られ、純白の布で覆われていた。

 もうじき、あの生娘のように華やかな舞台に"彼女たち"が上るのだ。

 

「――まだか」

 ごくりと、隣の男が生唾を飲み込んだ音が聞こえた。

「まだなのか」

「うるせえ、黙って待ってろ……!!」

 それがしは、耳障りなつぶやきを繰り返す隣の男に殺気混りの睨みを利かせる。

「ヒエッ……」

 待ちわびているのは誰だってそうだ。それがしだって、そうなのだ。

 今も女神の名前が記された手製の扇を握りしめ、武者震いをしながらも彼女らの降臨を切望している。

 ああ、付け髭が本当暑苦しい。

 いっそのこと取ってしまいたいけど、人相がばれるのは避けたいのだよなあ……。

 

「ほぁ、ほぁっ……」

「ほぁぁっ……」

 いい加減に痺れを切らしたところで、壇上に煙幕が立ちこめた。

 煙幕の中には三人娘の影がゆらゆらと見えている。

 来た!

 何処かから聞こえてくる楽器の演奏を背に、三人娘がそれがしたちの前へと姿を現した。

 

「ほぁぁぁーーーっ! ほぁぁぁーーーっ!!」

 彼女らの降臨を喜ぶように、それがしたち観衆は狂喜乱舞する。

 そんな観衆の反応を満足げに見回した三人娘たちは、手に持った短杖を口元へと近づけた。

 きらびやかな宝石が先端に埋め込まれた木の杖だ。

 先端を娘たちがトントンと指で叩くと、ブツッ、ブツッと虫の羽音にも似た妙な音が辺りに響きわたる。

 さらに聞こえてくるのは、どういう原理だか皆目見当がつかないが、彼女たちの息づかい。たぎる。

 

 左には、青髪を一つに結わえた平たい胸の少女。

 右には、紫髪を短く切り揃えた理知的な風貌の少女。

 そして、中央に……、

「みんなー、集まってくれてありがとぉーっ!」

 桃源郷はここにあった。

 慈悲深さを感じさせながらも瑞々しい母性の谷間を露わにしておられる桃色髪の美少女が、それがしに笑いかけておられる。それがしに。

 

 感極まったそれがしは声を枯らさん勢いで叫んだ。

「てぇぇんほぉぉうちゃぁぁぁーんっ!!!」

 冀州の大地にそれがしたちの声が遠雷の如く轟き、

「それじゃあ……、私たちの新曲、聞いていってね! 黄夫当立(たてよ、おとこのこ)っ!」

 至福の時は始まった。

 

 

 二刻にも及ぶ三人娘たちの演唱会は、万雷の拍手をもって無事に閉会を迎えた。

 いやあ、扇の振りすぎで腕が上がらない。

 喧噪冷めやらぬ群衆の中、身体から全ての熱が絞り出されたかのような心地の良い脱力感に身を委ねながら、それがしが水筒の水を浸けた濡れ黄巾で顔を冷やしていると、

 

「"それがし"、"それがし"ではないか!」

 都で良く耳にした、凛々しさと暢気さが入り交じった女性の声が耳に届けられる。

「んお?」

 何で、こんな場所で聞き知ったる声が……?

 怪訝に思いながらも声のする方に目を向けると、そこには粗末な平民服と黄色い頭巾を身に纏った、二人の姉妹が立っていた。 

 

「久方ぶりだな、それがし。今日初めて知ったことだが、お前に髭は似合わんらしい」

 くすりと一方の女性が口元に手を当てる様を見て、それがしは目を丸くする。

 

「妙才殿、元譲殿っ! 何故、ここに?」

 困惑気味の問いかけに、長い黒髪の女性――、元譲殿は鼻高げに口の端を持ち上げた。

 端正で愛嬌のある顔の造りも相まって、粗末な格好が全く似合っていない。お互い様である。

 

「何故も何も、冀州(ここ)は我らの縄張りからすれば目と鼻の先だぞ? だから、こうして潜入――」

「姉者」

 元譲殿の続く言葉を短い青髪で片目を隠した女性――、妙才殿が遮った。

 

「むっ、そうだった。すまんな、秋蘭。気をつけねば」

「ああ、そうしてくれ。この喧噪の中ならそう注意することもないだろうが、念には念を入れねばな」

 そう釘を差す妙才殿の表情は柔らかい。

 相変わらず、この姉妹は本当に仲がよろしいなあ、とこちらまで和んでしまうような慈愛に満ちた表情であった。

 

 ふと、彼女らと初めて出会った時の記憶が瞼の裏に浮かび上がる。

 夏侯一族の烈女・才女として名高い元譲殿と妙才殿とは、たびたび仕事上の付き合いがあったのだ。

 出会い頭に元譲殿が放った一言が、

『むぅ、湿気った顔をしているなあ。男というのは皆こうなのか。シャンとしろ! シャンとっ!』

 と握り拳を作りながらの叱咤であったことは今も印象に残っている。

 いや、確かに当時のそれがしはまるで死んだ魚のような目をしていたけれども……。

 

 だってなあ、延々と同じ書類を書き移す作業はなあ。同僚が遊び歩く中で、一人ぽつんと作業をし続けるのはなあ。それでいて、締め切りは待ってくれない。挙げ句の果てには「使えない奴」やら「面白味のない奴」などと同僚にはなじられて、明日が見えない毎日が続き、ああ、仕事が、仕事が――!

 

「おい、戻ってこい。それがし」

 ――はっ!

 危うく発狂しかけたため、それがしは慌てて回想を止めた。

 それがしが妙才殿に礼を言うと、彼女は肩をすくめて周囲の様子を窺った。

「場所を変えないか? 情報の交換がしたいのだ」

「んお、お安いご用ではありますが、お二人が欲しがる情報をそれがしが持っているとも思えませんぞ」

 お二人は曹孟徳殿に仕えているはずだから、身分も暮らしも安定しており、黄巾賊に加担する理由がない。

 とすれば、恐らく主から潜入操作を命じられている最中なのだ。

 何故密偵に任せず、彼女らが手ずから情報を探っているのかは分からないが、欲しがっている情報については大方見当がついた。

 恐らくは兵糧庫の場所だ。

 黄巾賊は有象無象の集まりだが、有象無象だけあってとにかく数が多すぎる。

 真っ当な軍略家ならば、正面から戦おうとせずに絡め手でその力を弱めようとするだろう。

 察するに、討伐に参加している諸侯から先んじるために情報戦において抜け駆けでもしようとしているんじゃないだろうか。

 

 でもなあ……。

 こちらが知っている情報なんて、彼女らならば容易く入手できているはずなんだがなあ。どういうおつもりなんだろう。

 意図が分からず首を傾げていると、妙才殿は片目を細めて、悪戯っぽい笑みを向けてきた。

 

「いや、何。別段有益な情報を持っていなくとも良いんだよ。ただ近況を聞かせてくれるだけでも構わない。……それともお前は知己に心配をかけておいて、何も説明をしない腹づもりだったのか?」

「アッ、ハイ」

 それがしの良心に妙才殿が放った矢が突き刺さる。まったくもって、ぐうの音も出なかった。

 

 てくてくてくと。

 降参したそれがしは、お二人とともに黄巾賊の天幕がひしめく界隈から離れるようにして移動を始める。

「我々も黄巾賊が怪しげな儀式をしているという報告を密偵から聞いてだな。真偽を確かめるべく直接偵察に出向いたというわけだ。いや、しかし……、張角があのような女子であったとはなあ」

「それがしも、その点には驚かされましたぞ」

 歩きながら発せられた元譲殿のお言葉にそれがしは同意する。

 巷で流れている噂に従うならば、黄巾賊の頭目というのは十尺もあるひげもじゃの大男であるはずで、あのような素晴らしい母性を持った美少女であるはずがないのだ。

 

 それに怪しげな宗教儀式がただの演唄会であるという事実も、実際目にしなければ分からない情報だろう。

 我らも大いに計算を狂わされた。当初の予定では山賊に扮装して、いや扮装する必要もなかったのだが、とにかく黄巾賊入りをすることで、密かに頭目を始末する予定だったのだよなあ。

 本当、大いに狂わされた。

 あんな瑞々しい母性を、この手に掛けるなど……、それがしには……っ!

 と握り拳を固めていると、元譲殿に額をこつんと小突かれた。

「お前は相変わらず、人の話を聞かずに考えごとをする奴だなあ」

「おっと、これは失礼をば」

 それがしの言葉に、元譲殿はわははと笑い声をあげる。

 いつも楽しげにしておられるのよな。彼女は。

 こんな彼女が、戦場では鬼の表情で縦横無尽に駆け回るというのだから、世の中分からないものだ。

 それにしても、

「良くそれがしに声をかける気になりましたな」

「ん、何故だ」

 きょとんとする元譲殿にそれがしは続ける。

 

「いえ、潜入捜査中に顔見知りと再会するというのは色々と問題があるのではありませんか? それがしがまことに黄巾賊入りしている可能性もあるのですから」

「ええ? それはなかろう。お前が? 黄巾に?」

 ないないと手を振る元譲殿の反応を見るに、それがしは妙な信頼を得ているようであった。解せぬ。

 

「なあ、それがし。お前は沈む船に乗り込むような男だったか? むしろ、さっさと逃げようとする男だと記憶しているのだが」

 続く妙才殿の補足で疑問がそっくり氷解した。

 うん、それがしの心の弱さは筋金入りだからね……。仕方ないね……。

 

 そうこうしている内に、背の高い葦が生い茂る川辺が前方に見えてきた。

 この辺りなら良いだろうか?

 流れる川のせせらぎと葦が擦れ合うざわめきが、上手い具合に我々の会話音をかき消してくれるはずだ。

 

「ちょっと失礼」

 それがしは腰にはいた剣を抜き、周囲の葦を一部だけ切り払った。

 うん、大丈夫かなあ。

 人目も水を汲みにくる者が少々遠くに見えるだけで、近くに気配も感じられない。

 恐らくは問題なかろうと踏んだそれがしは、お二人の方へ振り返ると深く、深ーく頭を下げた。

 

「申し訳ございません」

 謝罪の一手。これに尽きる。

 元譲殿はそれがしがいきなり頭を下げたことに、しばしぽかんと口を開けられていたが、

「あ、そうだ! お前は本当にどういうつもりだっ! 何かあったら、イの一番に相談しろと言っていただろうが!」

 すぐに何に対する謝罪か理解したらしく、不満げに口を尖らせた。

 

「いやあ、その」

 彼女らとは、それがしが上司殿の部下になる以前から付き合いがあり、居心地の悪かった前々職より上司殿のおられる部署へ配属される際にも大変世話になったのだ。彼女らの住む方角に足を向けて寝られないほどには、大きなご恩があった。

 ただ、だからこそ彼女らには相談できなかったのだ。

 万が一に上司殿と彼女らが対立する事態にでもなったらと思うと、恐怖で足が震えてくる。

 

「……嫌がらせする輩は異動前に潰したと思っていたのだが、もしや異動後も続いていたのか? お前の上司に問い合わせても『アンタたちには関係ない』の一点張りだったのだが」

 まずい、両者はすでに接触を果たされていたのか。

 お二人に詰め寄られた上司殿の剣幕が、それがしには容易に想像できた。

 自身の顔から血の気が引いていくのを自覚しながら、慌てて上司殿の弁護を始める。

 

「ああ、いや。違うのですぞ。上司殿は本当に嫌がらせをするお方ではないのです。何というか、それがしの不徳の致すところというか……」

 口が裂けても言えない……。

 心が擦り切れていたところに、上司殿の持ってくる仕事量はちょっときつすぎただけだなんて。

 しかも上司殿と再会してから得た情報を勘案するに、別に仕事をよこしたことについては悪気はなかったらしい。むしろ目をかけて下さっていたようであったというのが余計に心に突き刺さる。

 というか、今のお言葉で上司殿がそれがしを追っかけてきた理由に合点が行った。

 これから仕えようとしている御仁の腹心から「お前、何で部下を虐めてんの?」などと直接問いつめられれば、そりゃあ汚名を返上したくなる。

 それがしは内心で上司殿に平伏した。彼女が今も秘めているだろう怒りがひたすら恐ろしい。

 しくじったなあ。

 お二人のところへ「探さないで下さい」とでも文を送っておけば良かった。いや、それはそれで角が立つような気も……。

 何と説明したものかと、それがしが言いづらそうにしていると、妙才殿は小さく息を吐いて、問うてきた。

 

「……まあ、お前なりに事情があることは分かった。それで、今は幸せか?」

「幸せか、といいますと」

 抽象的な問いかけであった。

 それがしが鸚鵡返しに答えると、妙才殿は形の良い眉を寄せて続ける。

 

「都にいた頃よりも不都合はないか? ということだ。お前には、日頃の甘味や仕事上の礼もある。行く宛がないなら、我々の陣営で便宜を図ったって良いんだぞ。これでも、お前に立場を与えてやるくらいの甲斐性はあるつもりだ」

「うむ、うむ。秋蘭は良いことを言う。私も同じ気持ちだな。恩知らずになるつもりはないのだぞ」

 妙才殿に倣って、元譲殿も我が意を得たりとでも言わんばかりに大きく頷く。

 ああ、もうこのお二人は。

 お二人の声色に、嘘偽りは感じられない。

 むしろ、彼女らなりの打算のひとかけらもない善意だけがそこにあった。

 ……やはり、このお二人は癒されるのだよなあ。

 別段お二人の母性に目を奪われているわけではなく、一日八刻もあった仕事時間のうち、貴重な半刻もの休み時間をとる名目になってくれていたからでもなく。

 それはそれとして、お人柄がこう……、好ましい。

 彼女らに、それがしはかなりの好感を抱いているのだ。

 もし目の前にある人生の分岐を転換し、彼女らのもとへ赴いたとしても、それがしはそれなりに幸せな人生が送れることだろう。噂の孟徳殿がお持ちの母性も気になるし。

 ――ただ、それがしは丁重に謝絶した。

 

「仰ることはありがたく。しかし、今のそれがしは自分で自分が幸せだと思いますぞ。巡り合いというものを得ることができたのです」

 心に浮かび上がったのは、玄徳殿のお姿であった。

 今のそれがしは、天下に二つとない母性を存分に拝む機会に恵まれているのだ。

 それがしを「大事な仲間である」と言ってくれる彼女と出会うことができたのだ。

 これ以上の待遇を望むなど、"もぶ"たる身には過ぎた欲であろう。

 仮に彼女が何処ぞに身を寄せるという選択肢でも選ばない限りは、今の境遇を捨てる気にはなれなかった。

 それに今の仕事量も忙しくはあるが、前に比べて殺人的というわけでもないし? これ以上の鞍替えは上司殿が怖すぎるし?

 それがしの言葉を聞いた妙才殿は「そうか」と少し寂しそうに笑った。

 その笑顔に、それがしは「おや?」と目を丸くする。

 

「……疲れておられるのですか?」

 上弦に細める彼女の目の下には化粧では隠しきれない隈があった。

「む。やはり、それがしも気づくか。お前も秋蘭に言ってやってくれ。根を詰め過ぎても良いことなどないと」

 妙才殿の変貌は元譲殿の懸念でもあったらしく、元譲殿は非難めいたまなざしを妙才殿に向けた。

 

「ええっと……。仕事量が多いのですか?」

 自分で問うてみて、ありえないなと自覚する。

 孟徳殿は人の才を好む御仁とは聞いていたが、才を使い潰す御仁とは聞いていない。そもそも、女色家との噂も立っておられるし、いたずらに腹心の美貌を損なうような仕事量を与えるとは思えないのだ。

 それがしの問いかけに、妙才殿の笑顔は苦笑いへと変わっていく。

 

「いや、何ということもない。ただ最近、妙に才知豊かな者たちばかりが(こぞ)って曹家の門戸を叩くのだ。私も寵愛だけで華琳様のお側にいるわけではない。流石に負けてはおられんと思ってな」

 そう言って妙才殿は肩をすくめ、「こうして手ずから偵察にも赴いているわけだ」と締めくくった。

「才知豊かな者たちですか」

 こう言ってはなんだが、気の回しすぎのようにしか思えない。

 元譲殿の刀術は洛陽でも右に出る者がおらず、妙才殿に至っては千人に一人の弓の才に加えて、事務仕事まで得意なのだ。繰り返しになるが、事務仕事まで得意なのである。

 そんなお二人を上回るような人材がほいほいと野に埋もれているわけがなく、仮に存在していたとしても各門閥がさっさと囲ってしまうため、在野として留まることはないだろう。

 だから大量に、それも有能な者ばかりが集まってくるという話はちょっと、なあ。 

 それがしが「考えすぎなのでは?」と妙才殿に返すと、彼女は「やはり、そう思うよなあ」とでも言いたげな表情を浮かべられた。

 

「武才は姉者に追随し、智謀も並々ならぬものを持っている将など、ごろごろと居るはずがない……。やはり、そう思うよな。明らかにありえない話だ」

「む……。だが、奴らが私に負けぬ武を持っているのは確かだぞ。いつぞやなどは並み居る匪賊の頭を踏み台にして、まるで空を翔るように頭目の首を取りに行っておったではないか。『だが俺の身体は空を飛んでそのまま匪賊の本陣へと向かう』とか叫んで。秋蘭もその目で見ていたろう」

「は?」

 思わず間抜けな声をあげてしまう。

 いくら十把一絡げの匪賊といえども、数が集まれば脅威となる。それを物ともせずに立ち回れるとあらば、確かに妙才殿の話も大げさというわけではなさそうだ。

 それに台詞もすごくかっこいい。だが、

 

「そんな化け物じみた英傑が、何人も挙って?」

 ありえない。

 呆れた声で困惑をあらわに返すと、

「ああ、その顔だ。良かった。私の常識は間違っていなかったのだな。ちなみに訂正するならば、何十人も……、だ」

 妙才殿は疲れたようにため息を吐かれた。

 

「英傑は路傍の石ころではない。華琳様は御身の天命を良くご存知だが、同時に天が甘くないことも知っておられる。何なのだろうな、彼らは。華琳様は彼らの素性を『何処か異境の国が滅んで、この中原へと流れ着いた難民ではないか』とご推察なさっていたが……」

「異境」

 ……何だろう。

 妙な既視を感じる。

 

「一応は気を許さぬよう重用せずにいるのだが、それでも手柄は立てていくのでな。私自身、少々焦っているのは自覚しているさ」

 つい最近似たような話を耳にしたような……?

 あんぐりと間抜け口を開けながら空を仰ぎ見る。空に浮かび上がってきたのは、孫公裕殿の柔らかな母性に顔をうずめて苦しそうにしていた、北郷殿のお顔であった。あな、うらやまし。

 

「あっ。もしやすると、その者たちというのはニッポン? ニホン? そんな名前の国からきたのではございますまいか?」

「知っているのか? それがし」

 がばりと食いつくようにして、妙才殿の目の色が変わる。

 それがしは戸惑いつつも、答えを続けた。

 

「いえ、つい最近似たような境遇の御仁と出会いまして。幽州の義勇軍、北郷殿と仰るのですが。彼も異境から流れ着いた方でありました」

「ニッポンとはどのような場所だ」

「北郷殿の話を聞いた限りでは……、まさし君の語る理想を体現したような国と」

 とここまで説明した途端、妙才殿がぴたりと硬直する。

 

「妙才殿?」

「まさしとは、あいつか? 都で一番の変態の。あの"めいど服"に"対魔忍こす"、"ばにいがある"を広めた……」

「そう、そのまさし君ですぞ。ご存知でしたか」

 妙才殿の表情に、理解の色が見えてくる。

 そして両腕で自らを抱きしめると、耳まで真っ赤に染めながら、震える声を絞り出した。

 

「奴のいやらしい発想に感銘を受けた華琳様に、私は何度辱められたことか……! いや、華琳様に蹂躪されることは構わんのだ。その発想の一端に! 奴のスケベ心があったことが気に入らんっ……! 華琳様の美しいお顔に、奴のスケベ顔が透けて見えるようで……!」

 お? おお……?

 驚愕の事態が判明した。どうやらまさし君は、孟徳殿と知己の関係であったようだ。羨ましい。どんな見事な母性をお持ちなんだろう……。きっと大海の如く大きいのだろうなあ。

 

「ああ、ああ! 納得がいってしまう! すとんと腑に落ちてしまった! よくよく考えてみれば、奴らの知謀に光るものを持ちながらも、知性が足りていない言動の数々があの変態にそっくりだ! ちくしょうっ!」

「みょ、妙才殿。お、おちついて」

「それがし!」

 妙才殿はそれがしの両肩を掴むと、据わった目で問いかけてきた。

 

「……北郷とやらも、"同類"なのか?」

 それがしは北郷殿の姿を思い浮かべ、ほんのりと胸に灯った温かみに従って答えた。

「まるでまさし君と話しているかのような、心の安らぎをそれがしは感じましたぞ」

「良し、華琳様に進言しよう。幽州から来ている共闘の要請ははねのけるべきだと」

「ん、えっ――?」

 妙才殿の目には強い決意がこもっており、何時の間にやら眼の下のクマは吹き飛んでしまっていた。

 気力が充実している証拠である。

 ただ、あれれ? 雲行きが怪しいぞ?

 

「むぅ……。少々当てと違ったが、秋蘭が元気になったのならば何も問題はないな。ならば、よし!」

 まさし君も北郷殿も良い御仁なのだがなあ。

 満足げに腕組みをしてうなずく元譲殿が最後の最後まで変わらぬままであったのが、救いと言えるような、言えないような。

 それがしは内心、二人の心休まる知己に詫びを入れながら、遠くを見据えて何かを誓う妙才殿から目を背けた。 

 

 

 

「さて、定時報告。アンタの所感を述べなさい」

 玄徳殿が待っておられる愚連隊の天幕へと戻ってきたそれがしは、仲間の視線を受けながら、そして膝にかかる岩の重みを感じながら、上司殿の言葉に対して神妙にうなずいた。

 

「あの、上司殿。その前に……」

「何よ」

 折りたたみ椅子に腰掛けた上司殿の目は、大変据わっておられる。大変怖い。

「何故、それがしは岩を抱いておるのでしょうか」

 上司殿は不機嫌そうに手持ちの扇を爪で弾きながら、ちらりと烏桓賊の青年を見た。

 ちなみにあの扇には「天和ちゃんは三国無双の愛天使」と書いてある。それがしお手製の品であった。

 

「ロウハン、こいつの偵察中の素行。もう一度説明なさい」

 青年は戸惑いながらもこれに答える。

「……うす。オヤジの扮装は完璧でした。黄巾賊になりすまし、『天和ちゃーん』とそれはもう他の面々よりも熱心に応援をしてやした」

「天和とは何?」

「恐らくは、頭目の真名じゃねえかと……、アッ」

 青年が何かに気づいたようにして、ばつの悪そうな表情を浮かべた。

 

「オヤジ、すまねえ」

「桃香、裁定」

「……うん。頭目の張角さんって妖術で人心を引きつけるんだよね。多分、子遠さんは術にかけられちゃってるから、正気に戻るまでは岩を抱いてもらおう」

 何だと。

 それがしは術にかけられていたというのか。

 いや、そんなはずはない。それがしは単純にあの瑞々しい母性に見とれていただけであって、

「定時報告」

「アッハイ」

 それがしは神妙に報告を始めた。

 

「まず、黄巾賊の構成ですが……。単純に三姉妹を慕う輩と、混乱に乗じて悪事をやらかす山賊あがりの二種類がおりますな。今まで周囲に悪さを働いていたのは多分後者でありましょう」

「全員が悪い人たちではないってこと?」

 玄徳殿の疑問に、それがしはうなずいて答える。額が岩にゴツンとぶつかり、少し痛かった。

 

「中には食いつめて合流しただけの民もおりました。ただ、今後どうなるかまでは分かりませんが」

「それは大多数の意見に流されて、朱に染まってしまうということかしら」

 上司殿のお言葉に、それがしは少し考えてから答えを返す。

「……というよりは、頭目の言葉に従うがゆえでしょうか。信じる者の言葉は何よりもの指針になるでしょうから」

 そこまで続けたところで、上司殿が解せないという面持ちで遮ってきた。

 

「ちょっと待って。以前の調査で、三姉妹はただの旅芸人であったという結論が出ているはず。だからこうしてすぐに首を取りに行かず、事の経緯を調査し続けているわけでしょう。彼女らに野心が芽生えたとでもいうわけ?」

「いやあ、多分なんですが。黒幕がいる気配がするのです」

 愚連隊の面々がざわめく中、それがしは自らの所感を述べる。

 

「三姉妹の歌は、それはそれは素晴らしいものなのですが、歌詞にですね。何というか、漢王朝への反逆を煽るような箇所が散見されるのです」

「なら、彼女らが野心を持っているということじゃない」

「いえ、歌詞が明らかに一人だけの手によるものではないのですな。上司殿ならお分かりになると思うのですが……、まさし君の開催した歌合わせを覚えておりますか?」

 上司殿は見るからに嫌そうな表情を浮かべながらも、「ああ」と納得の声を漏らした。

 それがしは目を瞑り、屋敷の庭先で並みいる文化人に囲まれたまさし君の姿を思い出す。

 

 かつて桃の木の下にいた文化人がしたり顔で

『桃のようようたる、灼灼たり、その華』

 と古の歌を引用すれば、

『桃尻と騎乗位、驚異の親和性』

 とまさし君はそれにちなんだ彼なりの見解を語ってみせ、また別の文化人が音韻を重視した新作を披露すれば、

『ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ』

 と斬新な音の歌を返していたものであった。

 ……懐かしいなあ。

 結局、ぴぴるなんたらは何だったのだろう。

 浅学なそれがしにはよく分からなかったが、きっとあの歌の中身には深い意味が隠されていたに違いあるまい。

 ただ、そんな見事な歌を詠める彼にも不得意なものが一つだけあった。それが歌の付け合いである。

 付け合いとは複数の作者が一つの歌を作り上げる遊びなのだが、まさし君はとにかくこれが下手なのであった。

 恐らく彼の発想が常人から逸してしまっていることが原因なのだろう。

 何を題材に読んでも、連続して詠むと繋がりが悪くなってしまい、合わせる人々がつじつま合わせに大変な苦労を要してしまう。

 そして、この繋がりの悪さというものが三姉妹の歌にも見受けられたのだ。

 

「何と申しますか、三姉妹の歌には音韻の素晴らしい箇所と政治的な意図が込められた箇所がありまして。全く噛み合っていないのです。張角殿も恐らくは気づいているのでしょう。歌っている時に、時折歌いにくそうな、不満そうな表情を浮かべられておりました」

 例えば、三姉妹の新しい歌には「突き進め下克上」なる歌詞が盛り込まれていた。大部分の箇所で、好きとか嫌いとか言い出したのは結局誰なのかを論じているというのに、これはあきらかに収まりが悪い。

 

 それがしの推論を聞いた上司殿は口元に手を当てて考え込み、忌々しげに表情を歪めて口を開いた。

「……理解したわ。つまり、三姉妹をどうにかしただけではこの騒動の元凶を絶つことはできないということか」

「残念ながら」

 恐らく、黒幕が三姉妹に表舞台を譲っているのは、いざという時に責任を全てかぶせて逃げだせるようにしているからだろう。

 ずる賢いというか、何と言うか。どうやら、かなり頭の回る者が背後にいるらしい。

 上司殿がぎちりと爪を噛む。

 

「まずいわね……。私たちにはあまり時間が残されていないかもしれない」

「どういうことですか?」

 国譲殿が眉根を寄せて問う。いつもなら今ぐらいの時分には酔っぱらった憲和殿の介抱をしているはずなのだが、今日は早めに酔いつぶれてくれたために、こうして会議に参加しておられた。

 彼女はこの愚連隊において理性的で常識的な考えを述べられる貴重な人材だ。

 彼女の理解が及ばぬということは、この場にいる誰もが理解できていないということであり、上司殿は肩をすくめて国譲殿や他の面々に向けて答えた。

「黄巾賊は既に討伐軍によって包囲をされつつあるの。恐らくは各地にある兵糧庫への奇襲が始まるのも時間の問題ね。討伐が始まれば、いかにその黒幕が頭の回る奴だとしても黄巾賊の敗北は揺るがない。地力というものが違うのだから。そして……、敗色が濃厚になれば黒幕は逃げ出すはずよ。また何処かで再起を図るために」

 ……つまり、黒幕を捕らえるためには討伐が始まる前に勝負をかけなければならない。

 上司殿がそう締めくくったところで、がたりと椅子を蹴飛ばす音が天幕内に響いた。

「それって……」

 玄徳殿だ。

 

「それって散々張角さんたちを利用するだけ利用して、見捨てていっちゃうってこと? そんなの酷過ぎるよ……!」

 玄徳殿のお言葉に、「そうだ、そうだ」と頬傷オッサンをはじめとする愚連隊の面々が膝や机を叩いて口々に賛同を表明した。

 うーん、まずい流れだ。

 この強面どもは、玄徳殿に負けず劣らず筋が通らないことをひどく嫌う。

 その証拠に、彼らの表情が口よりも物を語っていた。

 もう「いかにして黒幕を白日のもとに引きずり出し、制裁を加えるか」にしか眼中にない感じだ。

 ただ、ただなあ……。

 それがしは彼らに冷や水を浴びせた。

 

「皆さん、冷静に。信者と情報交換を重ねても、全く尻尾を掴ませないような輩が相手なのですぞ。相手は相当に慎重を期しています。今から黒幕を探し出すというのなら、大変な困難が伴うことでしょう」

 高まった熱が、すうっと冷えていく。

 皆が憮然とした顔つきになる中、国譲殿が手を挙げた。

 

「今は忍び働きに適した者を選りすぐって内情を調べていますよね。それで手が足りぬのなら、他の面々も総動員をかけて調査すれば良いのでは?」

「いや、そこまで大々的に嗅ぎ回れば、我々が相手を探っていることがばれてしまいます。やはり、逃げられる可能性が高いです」

「でも、だったら……」

 それがしの答えを聞いても、彼女はまだ何かを言いたげに口を動かしていた。

 彼女も何だかんだ言って、一年以上も愚連隊の一員として活動を支えてきた蓄積がある。

 合理的で平民的な安定志向の中に、筋の通らぬことをやりこめてやりたいという、反骨精神のようなものが育ちつつあることが容易に見て取れた。

 天幕の中に沈黙の帳が下される。

 既に愚連隊の目的は「玄徳殿のために何かでっかいことをする」ことから、「黒幕を何とかしてぶっ潰す」ことに取って代わられつつあった。

 

 だが、それでは駄目なのだ。

 我々には事を成すための手段がない。

 当初の目的が「玄徳殿の名声を高める」ことである以上、二兎を追って一兎をも得られない事態だけは避けねばならなかった。

 それがしは上司殿へと目配せをする。

 すると上司殿も流れがまずいことに気づいておられたのであろう。こくりと頷き、周囲を見回し手を挙げようとした。

 んー、罪もない三姉妹の首を取るというのは流石に玄徳殿が悲しむだろうから、兵糧庫を焼き討ちして逃げる策にでも切り替える感じかな。

 元譲殿らには不義理をしてしまうが、我々も手柄は欲しいから仕方ないね。

 こうして、もやもやとした袋小路に追い込まれた我らの方針に妥協案を提示しようとしたその時、

 

「……やっぱり、張角さんたち可哀そうだよね」

 上司殿が言葉を発するよりも先に、玄徳殿の声が天幕内に響いた。

「……と仰ると?」

「私ね。旅芸人として彼女たちが歌を披露してきたのは、みんなに自分たちの歌を聴いてもらいたかったからなんじゃないかって思うんだ。だって、歌ってみんなを笑顔にするためのものだもん」

 両手を胸元におき、玄徳殿は物憂げに息を吐かれた。

 

「このまま、歌が反乱の道具にされちゃうのは何か嫌だな……」

 やっぱりお優しいのだよなあ。

 彼女の呟きが、それがしの思考に新たな道筋を敷いていく。

 妥協案よりももっと輝かしい、玄徳殿らしい優しい道だ。

 

「歌が、反乱の道具に」

 む?

 むむ……?

 

「ん、あー」

「どうしたの? 子遠さん――、って。もしかして!」

 玄徳殿の表情が、ぱあっと晴れ渡っていく。

 それがし、まだ何も言っていないのに。

 

「また何か思いついたの?」

「いや、大した着想でもないのですが……」

 しり込みするそれがしを見て、頬杖をついた上司殿がため息を吐かれた。

「良いじゃない。アンタは小細工でその場をしのぐことにかけては一丁前なんだから。ここはアンタの案に乗って見るのも手だと思うわ。背水の陣というわけでもなし、方向転換は容易だしね」

 ご意見番の太鼓判が押されたところで、それがしは退路を失った。

 といっても、本当に大した案じゃないんだよなあ。

 

「いや、そのですな。黒幕を探すことは難しくても、黒幕の思惑を潰すこと自体はできるやもしれません」

「どうやってっ?」

 それがしは岩を抱きながら、さも知識人めいた風を装って続ける。

 

「歌は世界を救うのです」

「ん?」

 皆が、ぽかんと口を開けて何のことだか分からないと言った表情になる。

 それがしは続けた。

「いや、ですから。歌は世界を救うのです。人々の心には"あいどる"が必要なのですぞ」

「この大陸の言葉で話しなさい。アンタのまさし語は生憎理解できないの」

「むむむ」

 ふてくされたように口を尖らせる上司殿が発する謎の圧力に負けたそれがしは、無い知恵を絞って案の形を整えていく。

 

「ああ、なるほど……」

「へえ!」

 それがしの腹案は幸いにして「大筋では良い案である」と皆の賛同を得ることができた。

 ただ……、策を実現させるための下準備が厄介なのだよなあ。

 何と言っても、我々には時間が足りなすぎる。

 まともに準備をしていては、討伐軍が動き出してしまうだろう。

 

 手っとり早く、人心の注目を集めるには……。

 さらに打ち合わせは紛糾し、上司殿は頭を抱え、玄徳殿は苦い顔になった。

 それでも残された時間の無さはいかんともしがたく、結局荒療治の出たとこ勝負を通すことで、皆の意見が統一されることになる。

 

「とりあえず、明日からの数日間が勝負です。……各々方、心して役割を演じられますように」

「うん、子遠さんもだからね。自分の身は大事にして。みんな仲良くが一番だけど……、私は子遠さんたちが辛い思いをするのも嫌だから」

 そのお言葉だけで、三年間は戦えそうである。

 その日、それがしは驚くほどぐっすり眠ることができた。

 自分でも現金なものだと、呆れざるを得ない。

 

 

 翌日、それがしと主立った愚連隊の強面連中は黄巾を頭に巻くこともせず、肩で風を切りながら、いかにも自分たちは匪賊であるという顔をして演唱会場へと足を運んだ。

 一行の中に玄徳殿はいない。

 そのことに少し寂しさを感じつつも、それがしは目の前に広がる人の群れを凝視する。

 会場は、今日も大した盛況ぶりであった。

 人、人、人、人……。数え切れないほどの背中を越えた先に、三姉妹のために設けられた舞台がぽつんと見える。

 

 ううむ、予想通りというか遠い。

 このように徹夜で場所取りをしていないと、ムサい男たちの背中が壁になり、まともに彼女らを見ることができないのだ。

 先日までは、天和ちゃんの母性を間近で拝見するために随分と苦労をさせられた。

 何せ、うまい具合に場所をとっても、開演までに時間がかかる。当然ながら人間として当然催すべきものが催すのだが、用を足しに場を離れて戻るだけで場所取りを巡って揉め事が起きるのだ。知人や隣の者に確保を頼んでも、である。

 

 黄巾賊に身を潜ませてから、今まで一体何人の好敵手と揉めたことか。

 "天和ちゃんを愛で隊"四天王の五人衆ども……。"地和ちゃんに朝起こしてもらい隊"の昼青龍殿……。"控え目に言って人和ちゃんのお腹をツンツンし隊"第六天魔王の筆頭殿……。

 彼らのような強敵との争いを避けるためには大小便を我慢するか、飲食を控えるしかない。一度挑戦したこともあったが、このまま貫徹すれば神仙にでもなれるんじゃないかと思うくらいには苦行であった。

 

 ……それを思えば、今日は気が楽だ。

 だって、邪魔者は皆蹴散らしてしまえばいいのだから。

 

「二人とも。お願いしますぞ」

「へい、任せてくだせえ」

「……うす、ちょろい仕事だぜ」

 頬傷オッサンと褐色青年が、それがしの前にずいっと出た。

 そして、これみよがしに舌打ちをしたかと思えば、前方を塞ぐ人の肩を掴み、強引に引き倒す。

 

「おう、どけやクソども」

「はァ!? 俺たち"地和ちゃんに踏まれ隊"の席を奪い取ろうなんざ……、はい。どうぞ」

「後ろは譲ってやるから、演唱会を楽しみな。おう、道を開けろ手前等! 最前列は俺らのショバなんだよ!!」

 時には威圧して、時には暴力沙汰まで起こしながらも、我々強面連中は強引に最前列へと向かっていく。

 たとえ殺意のこもった視線を向けられようとも我々はひるまない。

 それはくぐってきた修羅場が違うということもあったが、彼らが恐らく実力行使には出ないだろうということも大きかった。

 乱闘をいたずらに起こして、演唄会を台無しにしたくないのだ。同じ三姉妹を愛する同志として、彼らの思いは痛いほどに良く分かった。

 

「悪いなあ」

 と、声には出さずに心の内でのみ頭を下げる。

 彼らの良心を手玉に取り、我々は傍若無人な振る舞いを続けなければならない。

 最前列の中央を確保して、三姉妹の登場を我が物顔で待つ。

 

「おう、酒を取ってくれや」

「うす。肴は?」

「くれ、くれ」

 胡座をかいて座り込んだ頬傷オッサンが酒瓶を盛大に呷る。

「かーっ! うめえ、もう一本くれ」

 飲み終えた酒瓶を後列に放り投げても、誰も文句を言う者はいなかった。

 うーん……。まったくもって、堂の入った親分面だ。流石に元匪賊の頭目だけあって、周りに理不尽を強いることに慣れておられる。

 それがしも身内でなければ、演唄会に支障が出なければ、こうして彼らの隣に座ることはなかっただろう。

 可能な限り距離を取って、無駄な荒事に巻き込まれないよう心がけたに違いあるまい。

 

「オヤジ……」

 オッサンとは打って変わってピリピリしているのが、褐色青年を筆頭とする若衆であった。

「どうしたの」

 青年に対して、それがしは舞台をぼけっと眺めながら答える。決して、仲間たちの無体な振る舞いが直視できなくなったわけではない。

 

「いや、俺たちは何時だってお頭のためにヤバい橋を渡ってきた。けどよ、今回みてぇなヤマは初めてだ。ただ人をぶっ飛ばすだけじゃねえ目論見なんざ……。果たして成功するのか、と思ってよ」

 いや、玄徳殿のことを思うなら、まずはすぐに人をぶっ飛ばす素行から改めようぜ……、と思わないでもなかったが、よおく考えてみると、事のきっかけはそれがしである。

 こつこつとまともな仕事をしたくないからと言って、「それじゃあカツアゲでもしようか」と安易に始めたそれがしの責任であった。

 ゆえに黙認する。

 ギギギと青年の方を振り向いて、まるで全てを見通しているかのごとく、にっこりと微笑み、とぼけた声を青年に返した。

 

「上司殿が太鼓判を押してくださったから、多分大丈夫だと思うよ」

 実際、それがしだけの案であったならば、予期せぬ落とし穴で破綻することもあっただろうが、今回は上司殿や皆と共に細部を詰めている。

 だから、大丈夫なのだ。

 それがしは策の成功を確信しているし、一人で責任を受け持たなくていいため、気も楽である。

 あと、大小便を我慢しなくて良いというのが何よりも大きい。

 

「それでももし失敗したら」

 青年は不安をぬぐえないようだ。

 でもでも、だっては男らしくないんだよなあ。

 それがしは軽い調子で続けた。

「そりゃあ、適当に暴れて逃げ帰ればいいんじゃないの」

 逃げ帰る途中に兵糧庫を燃やすだけで、少なくとも当初の目標は達成できる。

 ぶっちゃけて言えば、"玄徳殿の名を高める"だけなら、今回はそこまで困難ではないのだ。

 三姉妹を救おうとするから、こうして危うい綱を渡る羽目になる。

 いや、不満はないけどね。それがしだって、天和ちゃんたちを助けたいし……。

 

「そう気負う必要もないさ。でえんと構えていればいいの。でえんと」

「俺は、オヤジみてぇに図太くなれねぇよ……」

「え。図太くないよ、全然」

 むしろ、肝が小さいからこそ今の境遇に流れてきたというのに、青年はてんで合点が行かないという風に息を吐いた。

 それがしの図太さについてはさておいて、彼の落ち着きの無さは、まるで初陣を控えた新兵のようである。

 

 何か不安を取り除けるような気の利いた一言でも投げかけられればいいのだが、生憎何も思い浮かばない。

 何かないかなあ。例えば、うーん……。

「流されていれば、その内終わるよ」

 却下。望まれぬ結婚の初夜か。

「終わった後の休暇を妄想すれば、頑張ろうって気になれるよ」

 これも却下。我々に休暇はない。自営業だもの。

「根性が足りないんじゃないの。みんな頑張ってるよ?」

 ……駄目だ、思いつく言葉のことごとくが官畜(ぶらっく)のそれだ。

 分かった! それがしは上司になっては駄目なんだな。これ以上悲しみを連鎖させないためにも、まともな職につくべきではないのだなと思いました。まる。

 

「始まりやすぜ。副頭領、準備を」

 取り留めもないことを考えていると、突如頬傷オッサンの表情が険しいものに変わった。

 眼前の舞台に煙幕が立ちこめる。

 いよいよ、演唄会が始まるのだ。

 いつも通りの演出と客の歓声が轟く中、三姉妹が颯爽と姿を現す。

 黄色い衣装に包まれた、瑞々しい、瑞々しい、ああ、天和ちゃん。ああ、天和ちゃん……! 相変わらずの瑞々しい――、

 

「アイエッ!?」

 臑に痛みを感じたため、慌てて母性から目をそらした。

 馬鹿な……。いつもそれがしの臑を竹のこぎりが行き来する時には、上司殿か玄徳殿が傍におられるはず。

 だというのに、今この場に彼女らはおられない。

 不可思議だ。理不尽だ。

 もしや、古傷が痛むような錯覚なんだろうか。それとも妖術の類なんだろうか。

 何なの、一体。まるで分からない。やだもー!

 

「……どうしやした?」

 青年に心配されたところで、それがしはコホンと咳払いをする。

「何でもないよ」

 よくよく考えてみれば、今のそれがしは心を鬼にせねばならぬ。

 お手製の扇を振っている場合ではない。やらねば、ならぬことがあるのだ。

「天和ちゃん、すまぬ……。すまぬ……」

 脂汗を流し、心の内で血涙を流しながらも、それがしは精一杯に息を吸い込み、叫んだ。

 

「ようやくのお出ましか! 脱げ、脱げぇぇぇぇぇええ! ケツと胸を見せろぉぉぉおおお!」

 

 

 ――しいん、と。

 にわかに沸き立った熱狂が、あっという間に鎮まった。

 次いで最前列を奪った時に向けられた怒気とは比較にならない重圧が我々に襲いかかる。

 三姉妹も、今までにかけられた声援とは別種の言葉をかけられたことで、いささか混乱をしておられるようだ。

 ああ、天和ちゃんが困ったようにこちらを見ておられる。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 でも、仕方がないのです。

 良心がずきずきと痛んだが、ここでしり込みしてもいられない。

 我々は勢い良く酒をかっ食らって、考えうる限りで最悪の客を演じ続けた。

「おーい! 姉ちゃんたち、こっち来て酌をしてくれや!」

「誰かもっと酒持ってねえのか。酒が足りねえ! 酒が!」

 こういう時、頬傷オッサンは本当に頼りになる。

 何処からどう見ても、性質の悪いやくざ者だ。彼らの熱演によって会場は最早一触即発の状態にあった。

 四天王の五人衆が、昼青龍が、第六天魔王がが、数万とひしめく観衆が、演唄会を台無しにされたことで怒り心頭に発している。

 うーん、もうひと押しかな?

 仕上げにと彼女らの歌を適当にこきおろそうとしたところで、

 

「も、もうやめて!」

 観衆の最後列から、玄徳殿の良く通る声が聞こえてきた。

 静まり返ったところに彼女の声は良く響く。

 観衆のまなざしは自然と玄徳殿のもとへと集中した。

 うむ、黄巾を頭に巻いていても玄徳殿は可愛い。

 天和ちゃんと見比べてみても、それがしの中では玄徳殿の母性が僅かに勝るな……。

 

「ここは、歌と踊りを楽しむ場所だからっ! みんなで仲良く歌を聞こうよっ……!」

 彼女の声色はそれがしも目を丸くするほどに切迫しており、見事な演技といってよかった。

 事実、観衆は玄徳殿の熱意にすっかり参ってしまっている。

「おい、ありゃあ誰だ……? あの胸は一体……」とざわめく男たちの様子を見て、それがしはほっと胸をなでおろした。

 自らの悪感情を代弁してくれる、何処からどう見ても美少女が突如現れたとしたら、人は一体どういう思いを抱くであろうか。

 答えが今、目の前に提示されている。

 

「あの嬢ちゃんの言うとおりだ!」

「てめーら、ふざけんじゃねえぞ! 俺たちはいやらしい気持ちでこの場にいるわけじゃねえんだ! 帰れ、帰れぇ!」

「人和ちゃんのおっかけは遊びじゃねえんだぞ!」

「下郎ども、根切りにしてくれるわ!」

 どうやら、策の第一段階である、"玄徳殿という御仁を黄巾賊に認知させる"ことにはひとまず成功したらしい。

 

「オヤジ……、こっからどうすれば」

「できうる限り情けない感じに撤退しよう」

「……うす」

 それがしたちは彼女の言葉に委縮した風を装って、罵声と嘲りを背に受けながら、すたこらとその場から逃げだした。

 

 

 

 前の職場でもそうだったのだが、一度関係性やら流れやらを作り上げてしまえば、その後はトントン拍子にうまくいくものだ。

 それがしたちは、演唱会が終わったあたりで黄巾の連中のもとへと挨拶伺いにまわった。

 謝罪行脚を開始したのである。

「ちょいと皆さん」

「あっ、テメーらは……」

「いやいや、先ほどはどうも失礼をば……」

 謝罪内容は相手によって手を変え品を変えるものの、大筋では統一する。

 要約すれば、「先ほどの叱咤で我々も目が覚めた。これからは我々もちゃんと歌を楽しむ同志になりたい。あと、あの時に叱咤してくださった女性は素晴らしい方だと思いました。彼女にも是非謝りたいので、貴方から仲介してもらえないか」とでもなるだろうか。

 面白いもので自らに大義があり、こちらが下手に出ている間は彼らも驚くほど居丈高に接してくる。

「誠意が足りない」と言われれば、更に頭を深く垂れ、「出すもんを出せ」と言われれば、手持ちの酒を彼らに振舞う。

 気分の良くなった連中の中には、それがしたちの頼みをきっかけに玄徳殿のもとへ会いに行く者たちもいることだろう。

 ここまでくれば、我々の目論見も半ば完成したようなものであった。

 

 そう――、"玄徳殿と黄巾の連中を良い形で交流させること"こそが策の第二段階なのである。

 玄徳殿に悪意なく接した者は、皆が好印象を持つはずだ。

 何せ、彼女は可愛いし、大きい上に大きい(大きい)。

 母性に満ち溢れた彼女の人徳をもってすれば、同じ三姉妹の歌を聞く同志という共通項がある連中を骨抜きにすることなど、赤子の手をひねるよりも容易いことであった。

 

 一つ懸念があるとすれば、

「おい、貴様。先ほどのあれは一体いかなる仕儀であるか」

 などとそれがしに問いつめてくる、何で黄巾賊に混ざっているのか分からない猛者や顔見知りの取り扱いであったが、

「良い胸であった。耳元で頑張ってって言われたい」

 基本話せば分かってくれたため、問題はなかった。

 

 そして、慌ただしい謝罪行脚を済ませて一日を終える。

 玄徳殿の人気は時を置くごとに高まっていき、演唄会より二日と経たずに黄巾の連中から第二の精神的支柱として持ち上げられるようになった。

「玄徳ちゃああぁぁぁん!」

 初日に性質の悪い客を演じた関係上、我々には遠巻きに眺めることしかできないのだが、時には演唱会の合間に三姉妹の曲を「歌ってみた」り、「踊ってみた」りしているようで、時折今のような黄ばんだ声が聞こえてくる。

 どうやら評判は上々のようだ。

 今は「踊ってみた」の時間かな。

 

「こっち向いてくれぇぇぇぇ!」

 豆粒大にぽつりと見える玄徳殿のお姿に、それがしは歯ぎしりせざるを得ない。

 ああ、くそ。くそっ、くそっ! 三姉妹を模した衣装を着た玄徳殿が母性を弾ませている様を間近で見られないのが、とにかく心残りだ……。悔しすぎる。

 

 でも、謝罪詣でには口の回る人材が必要だったんだよなあ。

 憎い。それがしの無駄に回る口が憎い……!

 ところで、何故上司殿が玄徳殿の隣で屈辱に耐えかねるといった顔で踊っておられるのだろう……?

 確かに玄徳殿お一人では三姉妹の歌と踊りを完全に真似することはできない。

 三姉妹の踊りは、母性と、眼鏡と、平たい胸が醸し出す魅力の相互作用によって初めて完成されるのだ。

 となれば、上司殿は――。

 

「ヒエッ!?」

 上司殿と目が合った。四半里は離れているというのに何と言う勘の鋭さだろうか。

 やばい……。それがしの考えていたことが悟られていた場合、身の破滅である。後で謝罪の言葉を考えておかねば……。

「って、さっきから臑が痛いんだけどぉっ!」

 ばっと見下ろせば、褐色青年が竹のこぎりを片手にそれがしの臑を引いているところであった。

「いや、姐さんに言われててよ……」

 それがしは無言で青年を蹴りとばすと、再び「踊ってみた」の舞台へと目をやる。

 ……上司殿は仕方ないとして、何かおかしな御仁が混じっているように見受けられるのよなあ。

 三姉妹の眼鏡枠。

 それがしから見て右の位置に立って踊っている御仁は、国譲殿でも憲和殿でもなかった。

 いや、よくよく考えてみれば眼鏡枠なのかあれは……?

 青い短髪を楽しげに揺らしながら、踊る女性の顔には蝶を模した仮面がかけられていた。

 

 って、眼鏡じゃなくて仮面枠じゃねーか!

 

 青髪の蝶仮面をかけた女性は、こちらを見るとにやりと口の端を持ち上げて口を開いた。

 ――後で、そちらに伺います。

 読唇術を会得していない、それがしにも分かる程はっきりとした口の動きであった。

 あれって、伯桂殿のところにおられた子龍殿だよなあ。

 何でこんな場所におられるのだろう……?

 

 

 

 

「いやはや。子遠殿は韓信(かんしん)の生まれ変わりとでも言うべき御仁ですな」

 日も沈んできた時分に、天幕で休んでいたそれがしのもとへやってきた子龍殿は開口一番にそう言った。

「はあ、韓信ですか」

 それがしは生返事をして、彼女を見る。

 韓信とは漢の高祖を助けた名将として知られた英傑だ。

 ただ、この韓信という人物。後に高祖から叛心を疑われ、粛清されてしまうのだ。

 いかに名将といえども、引き合いに出されて嬉しい人物ではなかった。

 

「ちなみにそれがしの都にいた頃のあだ名をご存じであったり?」

「いんや? もしや耳にたこができておられましたか。ならば、申し訳ない」

 と言い、子龍殿は持参した酒瓶をぐびりと傾ける。

 ううん、彼女は一体何をしに来られたのだろう?

 そもそも、玄徳殿とそれがしたちの繋がりが黄巾内に広がっては都合が悪いため、可能な限り接触をしないよう心がけていたのだ。

 だから特に理由もなく、策を台無しにされては困るのだが……。

 そんなそれがしの懸念が透けて見えたのか、子龍殿は人を食ったような笑みを浮かべて、細い指を三本立てた。

 

「私が子遠殿のもとへ参った理由は三点あります。まず一点目は玄徳殿。あの御仁から言伝を頼まれたからです。ほら、私ならば変装をしておりましたから、子遠殿のもとへ足を運ぶにも都合がいいでしょう?」

 何だと。

 子龍殿のあの仮面は変装のつもりだったのか……。

 それがしはてっきり、眼鏡と仮面を勘違いしていたのかと……、いやそれもありえないな。

 咳払いをして、それがしは問う。

 

「して、玄徳殿からの御伝言とは?」

「"もう大丈夫だから"。つまり、謝罪行脚を止めるようにとのお願いですな。あまり、女性を悲しませるものではありませんぞ?」

「あー……、もしかして玄徳殿は悲しまれておりましたか」

「それは、もう」

 子龍殿の答えに、それがしの良心がずきりと痛む。

 玄徳殿は今回の策に最後まで反対なさっていたのだ。

 三姉妹は助けたい。でも、そのために身内が傷つくのも嫌だ。でも、やっぱり三姉妹は助けたい……。

 そんな葛藤に苛まれていた彼女を、理をもって説き伏せたのが上司殿である。

 

『良い? 桃香。何かを成し遂げるためには、何かを犠牲にする覚悟を持たなければならないの。物事には優先順位をつけなさい』

『でも、どちらかなんて決められないよ……』

『アンタの優しさは美徳よ。でもそれだけじゃあ駄目。もし、どうしても決められない場合は、犠牲になる覚悟がある者に頼めば良いの。アンタのためなら、骨を折ることを厭わない連中が、うちには山ほどいるでしょう。それに今回は命がけの仕事ってわけでもないんだから、笑って送り出してやればいいのよ』

 その場では渋々了承した彼女ではあったが、いざ実際に罵倒される我々を目の当たりにしたところ、耐えられなくなってしまったらしい。

 玄徳殿らしいというか、何というか。

 

「上司殿は何と?」

「事は九割九分成功したから、仕上げを悠々待っていろ、と」

「ああ、成る程」

 確かに玄徳殿はもう黄巾賊の中でかなりの発言力を獲得したわけであるから、後は三姉妹の安全をお題目にして一旦の解散を諭していけばいいだけだ。

 もしくは三姉妹に直接会い、今がいかなる窮地にあるかを知らせてあげても良い。

 今回の大目標となる"黄巾賊の反乱を、事が動く前に鎮圧してしまう"ことの達成は、既に目の前に見えている。

 要するに我々の担わねばならぬ仕事は終わったということであった。

 肩の荷が下りた気分である。これでそれがしの責任はなくなった。変装をして天和ちゃんの演唄会を見に行こう。

「ただし、貴殿の正体がばれることから、万が一に繋がる恐れもあり得るため、三姉妹の演唄を見に行くことは禁じる、と」

「……はい」

 上司殿の千里眼にはぐうの音も出ない。あの人ホント怖いよ……。

 子龍殿は声を上げて笑って、指を一本折り曲げた。

 

「それで二つ目の理由ですが、私からご忠告を」

「はて、忠告ですかな?」

 何だろう。

 三姉妹に入れあげすぎるなという話であろうか。だとすると、もう手遅れなのだが……。

「……黄巾の将に手練れの者が混ざっております」

「それは、昼青龍殿や第六天魔王殿のような……?」

「いや、その御仁等は分かりませぬが」

 真顔で問うそれがしの言葉に、子龍殿は困惑気味な表情を浮かべられて続けた。

 

「私は白蓮殿に頼まれて、玄徳殿の護衛に参ったわけですが……、彼女に殺気を向ける者がおります」

「――なっ!?」

 第六天魔王殿たちは既に玄徳殿のことを「見事である」と認めておられていた。

 少なくとも表だって姿を見せている猛者たちに、玄徳殿へ悪感情を向ける者はいない。

 ……となれば、暗躍する猛者。つまりは黒幕が玄徳殿を狙っている可能性があった。

 

「玄徳殿についてはご心配めされるな。この趙子龍が武名に誓ってお守りいたしましょう」

「心強いお言葉です」

「ただ、心配なのは子遠殿たちです。狙いが玄徳殿だけならばいいのですが……。もし、貴殿等までも狙いに入っていた場合、本陣を守る私では助太刀に行けませぬ。敵は私に正体を掴ませぬほど、隠行に長けた人物……。くれぐれもご注意めされるよう」

 子龍殿でも感知できない手練れかあ。

 強そうだなあ。最低でもそれがし五人分から十人分くらいの実力はありそうだ。

 基本、単独行動は避けるとして……。相手が徒党を組んできた場合は逃げの一手で良いだろう。

 勝てない戦に首を突っ込む趣味は持ち合わせていなかった。

 

「貴重な情報、痛み入りますぞ。周囲には常に警戒を払っておくことにします」

「そうしなされ。ああ、それと……」

 子龍殿はためらいがちに天幕の外へと目をやった。

 ……誰か、外に待機しているのだろうか?

 

「子龍ちゃん、もう良いかしらぁん」

 口調は淑やかな女性のものであったが、その声色はやけに野太く感じられる。

 というか、都で聞き覚えがあった。

「このお声は……」

「おや、もしかすると顔見知りですかな。貴殿にお会いしたいとあちらの天幕へやってきたので、こうしてお取り次ぎに伺ったわけですが」

「うーん、顔見知りというか」

 子龍殿の問いかけに、それがしは唸った。

 別段、それがしは彼(彼女?)と面識があるわけではないのだ。

 彼(彼女?)は良くも悪くも都では有名人であり、一方的に見知っているだけに過ぎない。

 だからこそ、わざわざそれがしに会いに来る理由というものに思い当らぬわけなのだが……。

 とりあえず、お会いしてみれば分かることであろう。

 それがしは、天幕にお呼びする形ではなく、自分が天幕から出ることによって彼(彼女?)を出迎えた。

 彼(彼女?)のお姿は、ちょっと仲間たちには刺激的すぎるんじゃないかなあと思ったからである。

 

「ようこそ、おいでくださいました。貂蝉殿」

「そう言えば、はじめましてになるのかしらねぇ。お互いに顔と名前は一致しているみたいだけれども。これって運命なのかしら?」

 三つ編みにしたもみあげを揺らし、女子供の腰ほどもあるたくましい二の腕をきゃるんとさせて、裸同然の姿をした貂蝉殿が顔を赤くされる。

 何時見てもすごい威圧感だ。およそ同じ生き物とは到底思えぬ。

 

「貂蝉殿も顔見知りであるというのならば、私にそう言ってくれても良いだろうに」

「ごめんなさいねぇ。お話したことはなかったから、ちょっと自信がなかったのよぉん」

「はは、言葉を交わしたことがないというのに、顔見知りとは面白い話ですな」

 子龍殿は貂蝉殿相手にも全く尻込みする様子を見せない。

 都にもここまでまともに彼(彼女?)と会話できる者はほとんどいなかったというのに、まこと肝が据わっておられるなあ。

 ほお、と感嘆しながらも、それがしは貂蝉殿に声をかけた。

 

「どうなさいますか? 天幕をご用意いたしましょうか。そのお姿ではお寒いかと思われますし」

「あらやだ、優しい! でも心配は御無用よん。漢女(おとめ)は鍛えているから、この程度の寒さなんてなんでもないわん」

 こんな風に、と腕に力を込めて見せると、女子供の腰ほどの太さであったものが、大の大人の腰ほどの大きさにまで膨れ上がった。ふぇぇ、怖ぇ……。

 だが、そんな様子を目の当たりにしても子龍殿は「ほう、お見事」と目を細めるだけに留まっておられる。

 分かった。この人、人を筋肉とか強さで図ってしまう人なのかもしれない。

 都でよくすれ違っていた、涼州弁の御仁を思い出す。

 よし、これからは無言で道をお譲りすることとしよう。この手合いの絡みは、生傷が増える。

 

「長居をするつもりもないから、ここで良いわよん。人の目も少ないし」

「すぐに旅立たれるのですか?」

「ええ、幽州に。このままだと都に留まる意味がなくなりそうだから、"御主人さま"のもとへ行こうかと思ってねん」

「御主人さま?」

 それがしが首を傾げると、貂蝉殿は頬を赤らめ、いやいやをしながら嬉しそうに語った。

 

「御主人さまは、御主人さまよん。天の御遣いで、とってもイケメンのカレ」

「北郷殿でしたか」

 北郷殿すげえ。あの御仁の人徳は、貂蝉殿までも心酔させてしまうのか。

 流石まさし君と同郷の方だなあ。

 それがしが勝手に納得をしていると、貂蝉殿は何故かそれがしを値踏みするようにしてじっと見つめてきた。

 

「んー、当てが外れたかしらん?」

「何がですかな?」

「知多星、呉学究」

 ん? 貂蝉殿の仰っていることが分からぬ。

 それがしが困惑を深めていると、さらに貂蝉殿がそれがしの顔を覗き込んでくる。

 

「他人の空似かしら。"キャラクター"の再配置かしら。しらを切っている様子ではなさそうねぇ……」

「呉学究という方と、それがしに何か」

「ああ、気にしないで。もしアナタが知多星でないというのならば、私はアナタに語る言葉を持っていないから」

「……貂蝉殿。その言い方は子遠殿に失礼であろう」

 表情を険しくする子龍殿を見て、貂蝉殿は再びきゃるんと身体をくねらせる。

 いや、まあ、うん。貂蝉殿については失礼とかそういうのは求めていないから良いんだよな。

 だって、都でお見かけしたときから謎の御仁として名を馳せておられていたし……。

 きっと、それがしには分からない考えをお持ちなんだろうと思う。

 貂蝉殿はしばし考え込むようにして口元に手を当てられると、意を決したように口を開いた。

 

「呉子遠ちゃん。私は今から独り言を言うから、アナタなりに解釈してねん」

「ん、はい?」

 それがしの反応を無視して、彼(彼女?)は続けられる。

 

「"世界"というものは人の想念の数だけ沢山あるの。だから、劉備ちゃんのもとにアナタが存在しない世界もあるし、そもそも劉備ちゃんが誰かの下についている世界だってありえる。例えば、御主人様の愛人におさまっている世界なんてものだってあるのよん」

 むむむ……、いきなりぶっこんでこられたぞ。

 ええと、たられば話の話をしておられるのだろうか。そして、たられば話は現実のものとして、どこかにあって……。やばい、良く分からない。

 

「まさし君や、北郷殿の仰るニッポンとは違うのですか? あれは天のお話だったと思いますが」

 苦し紛れに発したそれがしの問いかけに、貂蝉殿は目を丸くされた。

「ああ、そういうこと……。御遣いの相対化によるバタフライ現象を狙った神仙がいるということなのねん。于吉ちゃんか、左慈ちゃんか……。"そういう"方向性なら、私が動く必要性もないわねぇ」

 ば、ばたふ……?

 まるで言っていることが分からんぞ。一を聞けば十が分からなくなる。

 どうやら、本当に彼(彼女?)は独り言を言っているだけなのかも知れぬ。

 もう解釈するのを諦めたくなってきた……。だが、彼(彼女?)が発した続く言葉にそれがしは飛び上がってしまう。

 

「この外史はおそらく、劉備ちゃんをいじめるためだけに作られた世界なのねん」

「は、え――?」

 玄徳殿をいじめるため……、それはつまり彼女の天命が、彼女に不幸しか与えないということなのだろうか。

 それがしは玄徳殿と初めて出会った夜のことを思い出した。

 あの時、彼女は賊の手に落ちておられた。

 不幸といえば、不幸なのだろう。未だ匪賊狩りに身をやつしておられることも不幸。自分なりに努力をしてきたというのに、北郷殿という自分とよく似た存在と出会ってしまったことも不幸。思い当たる節は山ほどにある。

 

「"忘れたくない、離れたくない"と切に願った、とあるオトコノコの活躍が正史の観測者の想念を生み出した。彼らの活躍をもっと見ていたい。彼らのこれからはどうなるんだろう。いや、別のルートも興味がある……。こうして、数多の外史が生まれていき、更なる外史を生み出していったわ」

 貂蝉殿はそこで言葉を切り、悩ましげな表情を浮かべられた。

 

「でも、想念とは必ずしも良いものだけがあるわけではないの。例えば、気に入らないやつを酷い目に合わせてやりたい。あいつが女を独占するのは間違っている。そもそも歴史的にはこんな物語、ありえない。そんな風にして物語を否定することによって生まれる世界……、外史もあるわけ。私たちは、そんな外史を"アンチ外史"なんて呼んでいるわ」

「あんち、外史?」

「"アンチ外史"では概ね誰かが不幸になることが多い。不幸になるためのお膳立てが、天命によって定められている場合が多いの。まあ、それも外史のあり方の一つなんだけれどねん。他人の不幸は蜜の味、というから。そういう楽しみ方だってあっていい。少なくとも私は認めるわん」

 言って、貂蝉殿が苦笑いを浮かべられた。

 

「この外史は劉備ちゃんにとって"アンチ外史"であったはずなのよ。酷い目にあい、観測者を楽しませるための」

 達観というか、諦観というか、彼(彼女?)は天命をまるで他人事のように語っておられる。

 まるで、神仙のような立ち位置だ。

 いや、あるいは本当にそうなのかもしれない。

 

「けど、どうやら横槍が入ったらしいわねぇ。"アンチ外史"に引っ張られて、正史に影響が出ることを恐れた者たちがいた。アナタのいう"まさし君"がこの世界に存在することも、その一環ねん。主人公でもないアナタが、こうして物語を左右できる存在にまで変容してしまったことも、彼らの仕業かもしれない」

「それがしが……。ええと、それがしが玄徳殿と出会ったことによって、天命が変わりつつあるということでしょうか」

 貂蝉殿はにっこりと微笑まれた。

 

「呉子遠ちゃん。アナタはこの外史で何を為したい?」

「何を、というのは」

「世に居る英傑と肩を並べて戦ったり、時には出し抜いたり……、外史の突端から影響を受けたアナタならば、ある程度の願いはかなうはずよ。だから、どうしたい?」

 それがしは少し考え、答えを出した。

 

「"ひろいん"に涙は似合わないのではありますまいか」

 その答えを聞いた貂蝉殿はしばしきょとんとした後に、

「……于吉ちゃんも、左慈ちゃんもたまには良い仕事するじゃない。私、この方向性のお話も好きだわん」

 満足げに頷いて、話は終わったとばかりに背を向けた。

 

「聞きたい話は聞けたから、私は御主人さまのもとへ向かうわねぇ。頑張りなさい、呉子遠ちゃん」

 見返りながら、手を振る貂蝉殿。

 それがしの疑問はあまり解決しておらぬのだけれど……、いくら考えてもまともに理解できそうな気がしない。

 うん、めんどい。それがしは考えることを止めた。

 

「あ、そうそう」

「んお、はい?」

「外史の突端……、つまり転生者の取り扱いだけれども。基本、物語の"もぶ"であったアナタがまともにかなう相手ではないわ。もし出し抜きたいのならば、頭を使いなさい」

「んー? 分かりました?」

 いや、まったく分からないんだけれども。

 分からなくても分かりましたと返すことが、それがしなりの処世術であった。

 貂蝉殿は苦笑いを浮かべられると、今度こそこの場を後にした。

 

 ……うん。まじめに良く分からなかった。

 でも、玄徳殿のために頑張らなければならないことだけは分かった。

 "ひろいん"に涙は似合わないものな。頑張ろう。

 


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